あたかも存在しているような時間という概念について [転載禁止]©2ch.net
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私たちはいわゆる「時間」というものをモノの変化を介せずには捉えることができない
秒針の動き、ヒトの移動、建造。本質をとらえるためには物質的なものをすべて排除しなくてはならない
すると私たちは時間の概念を想像している時のみ「時間」を感じる
人の想像なしに「時間」は現れない
「時間」というのは想像上のまやかしだ。強いて言うなら死への恐れを昇華させたものにすぎない >>762
目に見えていない世界だけが自由なのだよ 物差しは伸縮しないものが求められる
時計は遅れたり進んだりしないことが求められる
「時間」を量るにも安定して運動するものが基準となる
つまり「時間」は物差しであるということ 物差しというのは比較対照するためにある
「時間」という物差しもまたそのようにしてある
この車とあの車の速度の違いとか
けっきょく運動量なんだよね、時間は
高さがこれだけ違うと言っても、高さだけが存在するわけじゃない
あくまでも対象をそれで理解しているだけで、縦横高さがそれぞれ在るわけじゃない
時間にいたっては今しか無いんだから、ここからここまである物質が運動する、または繰り返し何回運動することを一秒と設定する
つまり量で理解するしかない
今そのものはゼロで理解するしかない
時間の正体は今をゼロで理解するしかないから量、つまり時間という次元が必要になるということ
縦横高さがそれぞれで在るわけがないのと同様に時間もそれとして在るわけでは無い 存在というのは理解がむずかしい
存在そのものが運動の否定、静止ということだから
存在ある意味無という矛盾ということになる
これを理解するのにかなりかかったなあ >>766
量で理解するなにかって何って話に以降する時間 次元は理解するための道具で他次元が実在しないのとどうように時間もまた こわれたレコードといい続けているうちに自分がこわれたレコードになりましたとさ
めでたしめでたし めでたしかーめでたくないのかいまひとつーはっきりしないめでたさよー あたかもしれないし、なかたかもしれないあたかも存在しているような時間という概念について
長々と説明されている間に的を外すという諺
教訓 30字以内で簡潔に射程に収めましょう 392 名前:自然過程説 ◆/Pbzx9FKd2 [sage] 投稿日:2017/10/29(日) 07:56:39.27 0
二十年近く前に理系の方から、この時間理解は自然が今の連続だという指摘を受けた。
線は大きさの無い点の集合、二次元は幅の無い線の集合
三次元は厚みの無い面の集合、そして四次元は運動しない三次元の集合ということになる。
その前後に理解には対象とそれを認識するという二つが必要だという指摘も受けた。
それは運動に対して静止だと示していたのでそれ以上展開するつもりはなかった。
二つともそこで留めておかないで掘り下げていたらなあとつくづく思う。
393 名前:自然過程説 ◆/Pbzx9FKd2 [sage] 投稿日:2017/10/29(日) 08:02:59.98 0
0×∞=0
数には大きさが無い。
つまり数は自然には無い。 391 名前:自然過程説 ◆/Pbzx9FKd2 [sage] 投稿日:2017/10/29(日) 07:56:06.48 0
四次元は運動しない三次元の集合だな。
つまり「今」の正体が運動であることを示している。
運動変化する無限の自然を静止で、そして静止で理解することにより必然的に有限で理解しなければならない。
そのために次元が必要になるというだけだ。
光速度一定の原理は絶対座標の存在を否定する。
このことは次元の非在を意味する。
つまり四次元である時間は自然には存在しない。 正攻法じゃ歯が立たない恨みがましくつきまとうアリ○ちゃん どこかのスレで見えないレスあったから、半消えというところかな
まともなこと何もいえないし、ガヤとしてしか機能していないアリ○ 俺もアボーンしている
明後日の方向のレスばかりだし アリスにはそれなりに自負があるんだろうなあ
某理系掲示板でもそういう人が居て、わたしの投稿をまったく無視して、たまに侮蔑的な投稿をしていた
さんざんやりあってきた一人の理系が、これは解けないもんだなんだと提出した問題を、これはこういう観点から解けると示した
実は話が噛み合っていないということがそれで判明し、形勢が逆転した
件の理系はそれを認めることが出来なかったのは自分の修めたものに対する自負が相対化されてしまうということだったように思う
言ってはいけないかも知れないが、理系の認識論は少しナニなのだ
全ての人がそうだとは言わないが、わたしなどの程度の認識論を示されて、えっという反応にこっちが驚いてしまったのを覚えている
ある思想家が、科学者は哲学者をバカにするが、その実最悪の哲学に囚われていると書いていたことを思い出した
「科学の終焉」でホーガンも科学者の尻尾についていって、似たようなことを言っていた
科学もまた、学問の分野ではトップランナーなのだろうが、それでもそれほどの段階ではないし、中世に毛が生えた程度というか、天動説の誤謬を引きずっている段階だろう
それは絶望ではなく、新たな展開を予期される希望でもあるとわたしなどは思える
ブリゴジンが語るように、科学は始まってさえいないということだろう 自分の能力がそれほどでもないことはわかっている
ある麻雀の名人は、人はどんな人でも負けるが、その負け方が大事なのだと語る
わたしもまた負けるにしても、自分なりの能力をすべてとはいわなくてもそれなりに発揮することによって負けたい
萎縮して能力を発揮しないで負けるのは口惜しいことではないかと
むろん、それは学問を、そして生きるとはということをわかりたいがためだし、わたしの誤りであることがわかれば、それが目的なのだし、それで良いことだろう
個人の認識の勝ち負けということでは決して無い
理解できれば、他人の理解が正しければ受け容れるのは当然だし、自分の面子なんてのはつまらないことだろう
・・・まあ感情としては面白く無いだろうなあ w 誰も無誤謬なんてことは無いし
ニュートン、カント、ヘーゲル、アインシュタイン、ボーア、マルクス、三浦つとむ、板倉聖宣etc
間違わない人間なんていないし
まして凡人の我々は
市井の趣味人の範囲を超えないようなわたしたちは言うも恥ずかしいような当たり前のことだろうし
いや、振り返ると、そんな当たり前の結論に達し、堂々と自由に間違えることにする
自分に対する過度な自信がいろいろな弊害をもたらしているだけだし
間違えることは恥ずかしいことではない
恥ずかしいのは、間違いが明らかになった時に、間違いだと認められないことなのだろう
それで良いのだ、と _____
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\∴∵∴∵ ノ ヽ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ /
\__ / \___ ノ / 八尾市ナマポ不正受給犯罪者宮川さんの顔
60歳でこのキモさは異常
いえい いえーーーーーーい
http://bbs.innolife.net/bbs2/img/star/3922.jpg l l
j {
/,ヘ ヽ
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,┘└ュ l l
/ /i ヽ ヾコ ぴゃっ?
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l:::: い:;:;:`ニニ´ .:::::::/
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`ー'' `マン´ 物理学も生物分類と同じで差異を否定で理解していることには変わりがない 宇宙の外なんかない
それは差異としてあるだけ
外が在るという主張は観測によってしか証明されない
それが無かったらたんなる仮説 アリス
不思議の国のアリス、は存在するか。
それは、存在するのか、それとも、存在しないのか
それとも、第三の在り方なのか。 考えてみると宇宙の外がないと、宇宙はなり立ちません。そのさらに先のスペースは内とも外ともいえるのかどうかもわかりませんよ。 今いる場所の定義を考えてみること。果たして宇宙の中なのか。
それは証明されていません。 誰かが勝手に名付けただけでね。言語化したというか。 勝手に名づけたけど、対象自体は同じだよね
日本、ヤーパン、ジャパン、ジャポン 919 :考える名無しさん :2018/01/27(土) 10:41:36.10 0
申請して認定されたなら不正じゃ無いだろ
つまりモノホンの障害者
バカは書き込むなよw
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1512049357/919 とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
GDWSL 宇宙、非宇宙が実在するとしたら
存在が否定関係を孕み矛盾し理解不可能となる 木は実在
時間は理解のための次元
次元は実在しない 木は同一として実在することはないけどね
非同一を同一で理解する そのままでは認識できない
鳥と鳥もち
媒介としての鳥もち 地球から天体の運動を理解する
このことの意味することの理解の重要性 >>819
そうか、すまんかった。
時間と変化は一組の概念ですね。 運動変化は量で認識するしかないから
時間、つまり四次元が必要になる
有を無で理解する 三次元は静止
それが無限に集まっても
時間実在論は理解出来ない 運動はアプリオリで決定不能
自然はただあるだけ
自然の自己言及としての意識 ヒトはまだまだかと
だからおもしろいし可能性がありそう >>822
時間の実在、というのがそもそもボンヤリしててわかりづらい。
人間が共有出来る概念があるだけ。 >>824
勿論!
人を含めて、世界は変化を内在する。
完成され、静止した世界は不可知ですから。
あってもなくても「示されるのみ」 現代物理学の間違いに気づけば、時間は自ずとわかるようになる 時間は実体の運動と切り離されて考えることはできない。
実体がなければ時間もない。
とすると、実体の運動と時間の関係は、実体の運動によって時間が経過するのか、時間が経過するから実体は運動するのかのどちらかである。
さて、同じく実体の運動と関係するものとして空間がある。
空間も時間も(少なくとも一定の)類比のあるものとみなされている。
そして、空間は実体に対して絶対的に受動的・受容的である。
であれば、空間と類比のある時間も実体に対して受動的・受容的であると考えることができる。
そうであるならば、実体の運動と時間の関係は、実体の運動によって時間が経過する(とみなされる)ということになる。 続き
もし、このように時間が極めて受動・受容的存在だと考えると、なぜ時間そのものを考えるときその存在性を危ぶむほど希薄なのかということも説明することができる。
およそ人間の知覚は受動的なものであり、能動的要素が多い存在ほどそれをよく把握することができ、反対に受動的要素の多い存在は把握することが難しい。
そうすると、受動・受容的存在の極みともいうべき時間については、それを把握することは困難であり、最も無に近いものとして感じられる。
従って、時間の対極である運動と併せて考えられるときは、時間の存在は明白となるが、時間そのものを考えるときはもはや無のような存在として把握されることになる。 中動態とかどうでもいいんだが、"loswerden"という感覚は重要だと思う。
所有することで自らが縛られる。手放すこと、失うことによって「自由になる」。
日本語で"loswerden"の"los"に相当する要素として用いられるのが「ゆ」だ。
「ゆるむ」、「ゆく」、「聞こゆ」、「ゆき(雪)」のように溶ける
http://www1.odn.ne.jp/xenom/gzentei.box/los-.html
4 loswerden:(s) 4 から逃れる、4 を厄介払いする;(ugs.) 4 を売り払う;
(ugs.) 4 を失う;4 (お金)を使う 「ゆくときををしむ」
「をしむ」の「を」は呼び声であり、
この場合、「をしむ」とは、
「Why not stay here a little more?」という呼び掛けである。 「おく(奥)ゆかしい」
Let me get to the bottom of it! 溶けて消えるゆき(雪)
https://en.wiktionary.org/wiki/l%C3%B6schen
Etymology 2
Borrowed from German Low German lössen, lossen, lessen, from
Middle Low German lössen, which is derived from the cognate of
German los (“rid; free”). しばりがとける/しばりをとく様態を表すように使われているのが
ドイツ語の"los"であり、日本語の「ゆ」も同様に使われている。
「自由」や「悠々自適」などの漢語表現においても、「由」や
「悠」は、単に漢字の意味ではなく、「ゆ」が表す様態を心/意
として伝えるように用いられていると考えるのが妥当だろう。 1日は太陽の運動量
時間は計る対象は違ってもある物理の運動量
ここからここまでということ
時間が実在するなら太陽は無限に実在しなければならない
つまり時間は運動量の抽象であり、自然に実在するはずもなし 一日は地球の自転運動で定義される。
太陽の運動って言うって事は、どうやら天動説を信じてるようだね。
16世紀辺りの人かな? >>842
基準は仮設
だからここからここまでとかひ ここからここまでと仮に設定する。
これは認識が必要とすること。
てわ 天動説は地球が静止していると認識することが間違い
認識が地球が静止せ つまり地球が静止していることが運動理解に必要ではあるが地球自身も運動している。
べつに地球が不動としても、それが仮であることを理解していれば良いだけ。 >>850
そうか、ここがわかっていないんだ
認識というのは本質として仮ということがわかっていないんだ
ここから始めようか
規制があり、中断するかも知れんが
現代科学者も方程式の性格を誤解してるからな。 認識が仮であり、そのままじゃないことを見抜いたのがはひ ヘーゲルであり、精神の現象学序文でそのことを語る
彼の否定もスピノザの否定もそういうこと
否定の否定は科学革命の本質 今日も明日も忙しいが、まあじっくりやるか
認識は認識主体と客体が前提となる
科学革命は主体の実在の否定 いや、そうか、ここが詳細に論じられるべき箇所だな
認識は自然の直線の反映ではない
あくまでも媒介がつきまとう 時間もまた媒介だが
自然認識が直接の反映だと誤解してるのが現代科学
地動説も太陽が不動という仮の認識 さて一休み
しかし説明すべき要が発見できたな
これを序論で述べる必要があるな
いやいや収穫があった
ある意味アリスに感謝だ 太陽、自転、いずれも運動量
運動量で認識してる
運動量自体は実在しない
それが仮ということ
仮というが意識されていない じゃ次回に
・・・ここは徹底的に論じなきゃいけないな
一回りという運動量が認識であり、量は実在せず
時間が実在しないことにも繋がる 序論、書き直します
これが要なんだなあ
ここを理解しないとわからない
新段階に昇れそうだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています