物差しというのは比較対照するためにある
「時間」という物差しもまたそのようにしてある
この車とあの車の速度の違いとか
けっきょく運動量なんだよね、時間は

高さがこれだけ違うと言っても、高さだけが存在するわけじゃない
あくまでも対象をそれで理解しているだけで、縦横高さがそれぞれ在るわけじゃない

時間にいたっては今しか無いんだから、ここからここまである物質が運動する、または繰り返し何回運動することを一秒と設定する
つまり量で理解するしかない
今そのものはゼロで理解するしかない
時間の正体は今をゼロで理解するしかないから量、つまり時間という次元が必要になるということ

縦横高さがそれぞれで在るわけがないのと同様に時間もそれとして在るわけでは無い