★ なぜ、【一神教】はかくも駄目なのか? ★ [無断転載禁止]©2ch.net
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一神教というよりも一神教徒は世界中で殺戮やテロをおこしまくっている。
彼らはなんでこうも頭がおかしいのか?
このままでは、人類は一神教徒によって滅ぼされるかもしれない…。 司馬遼太郎「〇〇〇〇〇〇〇〇」
江崎 戦争の話になりましたが、このごろの日本の社会を見て、
日本を破滅に導いたあの太平洋戦争が起こった原因がわかるような気がしますね。
もちろん戦争は、結果的には軍部に戦争責任を負わせることで終わりました。
しかし無謀な戦争に傾斜して行く日本人の国民性にも大きな原因があったのではないでしょうか。
司馬 あの戦争は結果的に言って、日本の陸軍なら陸軍、
海軍なら海軍が戦争をやったということですらなくて、
プロであるはずの日本の軍部が戦争そのものに、「適応」もできなかったんじゃないでしょうか。
わけもわからず負けた。もっとはっきり言えば負けたとも言えない。
負けたというのは、負けるまでに一つの火花が散っているわけですから、
日本軍は近代戦に適応もせずポッシャッてしまった。
そんなことは戦争のプロである軍人にはわかっているはずなんです。
が、しかし軍人さえ、わかっていなかったところに、日本社会の問題があるのではないでしょうか。
戦争に突入したというのは国民がそのときに戦争に対する思考、態度で一様性になってしまっていた。
一様性になってしまっていたことが、戦争せざるをえなくなった原因です。
戦えばひどい目にあうぐらいわかっておりながら、開戦に向かって「右えならえ」せざるをえなかった。 こういうことも言えませんか。
日本を一つの村だと仮定して、村には情報がいろいろはいってくる。
情報のなかには庄屋なり村の人たちにとって気に入らない情報のほうがむろん多い。
情報っていうのは、つねに希望的観測を逆なでするんだけれども、
都合のいいように情報を一切コントロールしてしまうんですね。
これは村落の秩序と平和のためにコントロールするわけです。
気に入らない情報がはいってこないために、みんないい気分になって新しい現実に適応もできなくなる。
開戦したというのは、カッコいいですけれども、じつをいえば開戦などとはおこがましい。
ほんとうは戦争に適応もできない状態にはいっていったわけです。
そんな国は、世界の歴史のなかでどこにもないとおもいます。 村の情報コントロールというのもレッテルで、村の人の言い分も聞くべきと思う。 勝つために情報統制をするのは良いでしょう
結果それで負けるのだけど、講和に持ち込むのにもある程度は戦局を好転させないといけない
そのための情報統制はダメとは思うが、俺は一概に否定しない 村の反論をイデオロギー統制だというのはどうかと思う。
個々の論点について議論すべきではないですか。 俺は不審否定で顰めた。不審視や好奇もあったと思う。
それが村の見解の押し付けかは分からない。 そのような顰めが中々止まらなかったが殆ど止まった。
ある程度不審を放置する事にし、顰めは無くなったけど、戦略的にどうというより、自分の不審と不審視に耐えられなかったしおかしかった。 これも外部の意見を無視する村の意見という事になるのだろうか。
基本的に、不審視をしたら反発されても仕方が無いと思う。 ずっと謝ったしすまんと思うけど、不審視をしたら顰められても仕方が無いと思う。
俺は顰めが自律してしまったけど。 不審視や好奇視があっても顰めてはいけない。顰めて悪かったと思う。 不審視に不審否定で顰めないとエスカレ−トする。その場を離れてもまた人はいる。
今は無くなったが顰めが自律した。 何でもないという一言を言えればいいんだけど、往来で見知らぬ人にそれは言えずイライラが溜まる。
それは爆発した。 やはり言うけど俺はこれから戦略的に行く。
どうせ戦略的にならざるを得ないならそうやる。 ともかく匿名掲示板は止める。顰めずマイペースで行きたい。 マイペースになり切れず嫌悪されると思うが差し当たりいい。 顰めは無い。後は情報統制しない。
不審はクズで、顰めこそ無いと思うが不審を気にしつつで鬱屈しておかしいと思う。
排除されればいい。 >>550
明日は、昼カレー食べるお。(о´∀`о) ttp://toyokeizai.net/articles/-/13697
日本人の的外れな「リベラルアーツ論」山田 順 :ジャーナリスト
リベラルアーツとは何か(上)2013年04月17日
リベラルアーツは、「一般教養」と言ってもいいが、日本の大学の一般教養とはまったく違うものだ
これを説明するために、まず、欧米と日本では、そもそも学問のとらえ方自体が違う
日本の大学で現在行われている教育そのものが、根本的に欧米の学問体系からズレているからだ
心理学科が文学部にあるのは異常
心理学や経済学は…理系に分類されている
欧米の学問体系からいくと、心理学科が文学部にあること自体が異常である
欧米の教育システムを日本に移植する際に、数々の誤解、勘違いが生じたためだと思う
欧米との違いをこのまま放置しておくと、本当のグローバル化などできない
リベラルアーツが何か…なぜリベラツアーツ教育が重要なのかも、理解できなくなくなる
経済学や心理学を文系、文学部の中に心理学科があるというようなことを続けていていいのだろうか?
日本の大学の教育レベルの問題もあるが、もっとも重要なのは教育自体が欧米とは異質だという点だ アートとサイエンスの違い
日本と欧米との学問体系の違い…科目の違いに私が気がついたのは、
娘がインターに通う中で、「おや、なにか変だ」と思うことが多かったから
たとえば、リベラルアーツのアーツは「arts」
日本でアートと言うと、私たちはすぐに「芸術」を思い浮かべる
学校の科目としては「美術」や「音楽」を思い浮かべる。
ところが、「歴史」も「地理」も「文学」もみんなアート
アメリカの大学や大学院を卒業して授与される学位(degree)には2種類ある。
「A」がつくものと「S」がつくものだ。「A」はアート(art)の略で、「S」はサイエンス(science)の略
大学を卒業すると「学士」(Bachelor:バチェラー)がもらえるから、
学位はメジャーにした科目により「BA」(Bachelor of art)か「BS」(Bachelor of science)のどちらかになる
歴史を専攻した…この場合、大学卒業時にもらえる学位は「BA」で…
心理学を専攻…して、もらえる学位は…「BS」である 私が…「そうか」と思い当たったのは、
アートもサイエンスも、その言葉から私たち日本人が思い浮かべることと、
アメリカ人が思い浮かべることは違う…と気がついたからだ。
どうやら、アートは芸術ではない。
サイエンスも理科や科学ではないということに、私は、あるとき気がついた
つまり、そもそもアートやサイエンスの日本語訳が違うのだ。
訳が違うというのは、その言葉が持つ概念が違うということ アートとは、人間がつくったもの
それでは、アートとは何なのだろうか?
それは、あえて日本語に置き換えれば「人工」ではないだろうか?
つまり、人間がつくり出したものすべてがアートである
芸術や美術はアートであることは間違いないが、本来のアートはもっと広い意味を持った言葉なのだ。
これは、アートの反対語は何か?と考えると、より理解できる。
アートの反対語は「nature、ネイチャー」(自然)である
英語を話す子供たちは、ネイチャーを海や空、山や森などとは答えず、「things God made」と答える
これは「神がつくったもの」という意味だ。
同じく、アートは「things humans made」(人間がつくったもの)である。
このことがわかって、私は初めて、日本語の世界と英語の世界が根本的に違うのだと知った
欧米の学問体系も、この世界観に基づいてつくられている。
欧米の学問体系は、大きく2つに分かれている…ひとつがアートで、もうひとつがサイエンスだ。
アートとは「人間がつくったもの」だから、これを学び、研究するのがアートの勉強であり…
科目でいうと、文学、歴史、哲学、美術、建築、音楽などだ
もうひとつのサイエンスは「神がつくったもの」、
つまり、この世の中にある人間以外がつくったものすべてを学び、研究することだ サイエンスの目的とは何か
そもそも文学はアートであってサイエンスではないから、
心理学のように神がつくった人間の心理のメカニズムを研究する学問が、
アートの学部にあってはおかしいということになる。
サイエンスについて…言うと、その目的は、神がつくった世界(=自然界)を貫く法則を見つけ出すことである
リベラルアーツとは、ひと言で言えば、西洋世界の学術・学問の基礎である。
欧米の高等教育では、このリベラルアーツがすべてのアート(ヒューマニティーズ)と
サイエンスの「入り口」と考えられており、
これらの科目を履修した後にメジャー(専攻)を決めるシステムになっている
とすると、リベラルアーツをより正確に日本語にすれば、
「教養学」より、「基礎学問」のほうが最適ではなかろうか? 文部省「国体の本義」1937
この和の精神は、広く国民生活の上にも実現せられる。
我が国に於ては、特有の家族制度の下に親子・夫婦が相倚り相扶けて生活を共にしてゐる。
「教育ニ関スル勅語」には「夫婦相和シ」と仰せられてある。
而してこの夫婦の和は、やがて「父母ニ孝ニ」と一体に融け合はねばならぬ。
即ち家は、親子関係による縦の和と、
夫婦兄弟による横の和と相合したる、渾然たる一如一体の和の栄えるところである。
更に進んで、この和は、如何なる集団生活の間にも実現せられねばならない。
役所に勤めるもの、会社に働くもの、皆共々に和の道に従はねばならぬ。
夫々の集団には、上に立つものがをり、下に働くものがある。
それら各々が分を守ることによつて集団の和は得られる。
分を守ることは、夫々の有する位置に於て、定まつた職分を最も忠実につとめることであつて、
それによつて上は下に扶けられ、下は上に愛せられ、
又同業互に相和して、そこに美しき和が現れ、創造が行はれる。 磯野誠一「家族制度」
戦前の「国体の本義」に表現されている「一如一体の和」とは
「集団の各員が、それぞれの身分において、集団への情緒的一体感に埋没している状態を指す。
これは集団への没入というよりも、集団から分化しない状態と表現するほうが適当であり、
個人を超越した団体でなく、個人の存在がいまだ認められない状態である」
「和の精神は情緒的一体感の通用する範囲のみ作用している。
それ以外の人間や集団はよそ者であり、こちらの集団を脅かすかもしれない存在として警戒される」。 ttp://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1396898238/276
福沢諭吉「学問のすゝめ」
>…禁裏様は公方様よりも貴きものなるゆえ、禁裏様の心をもって公方様の身を勝手次第に動かし、
>行かんとすれば止まれと言い、止まらんとすれば行けと言い、
>寝るも起きるも飲むも喰うも我思いのままに行わるることなからん。
>公方様はまた手下の大名を制し、自分の心をもって大名の身を自由自在に取り扱わん
>…かくの如きは即ち日本国中の人民、自躬からその身を制するの権義なくして却って他人を制するの権あり。
>人の身と心とは全くその居処を別にして、その身はあたかも他人の魂を止める旅宿のごとし
>詰まるところは他人の魂を我身に入れんとする趣向ならん
ttp://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1396898238/278-279
>只管目上の人の命に従って、かりそめにも自分の了簡を出さしめず、
>目上の人は大抵自分に覚えたる手心にて、よきように取計らい、
>一国の政事も一村の支配も、店の始末も家の世帯も、上下心を一にして、
>あたかも世の中の人間交際を親子の間柄の如くになさんとする趣意なり
>世の名分を主張する人は、この親子の交際をそのまま人間の交際に写し取らんとする考えにて、
>…爰に大なる差支あり。
>…かの実の父母が実の子供を養うが如き趣向にて、第一番に国君を聖明なるものと定め、
>賢良方正の士を挙げてこれを輔け、一片の私心なく半点の我欲なく、
>…上下合体共に太平を謡わんとするの目論見ならん。実に極楽の有様を模写したるが如し。
>右の如く上下貴賎の名分を正し、ただその名のみ主張して専制の権を行わんとするの源因よりして、
>その毒の吹出すところは人間に流行する詐欺術策の容体なり。この病に罹る者を偽君子と名づく >「一如一体の和」とは
>集団への没入というよりも、集団から分化しない状態と表現するほうが適当で
>個人を超越した団体でなく、個人の存在がいまだ認められない状態である
>和の精神は情緒的一体感の通用する範囲のみ作用している
>それ以外の人間や集団はよそ者で…こちらの集団を脅かす存在として警戒される
>即ち家は、親子関係による縦の和と、
>夫婦兄弟による横の和と相合したる、渾然たる一如一体の和の栄えるところ
>この和は、如何なる集団生活の間にも実現せられねばならない
>夫々の集団には、上に立つものがをり、下に働くものがある。
>それら各々が分を守ることによつて集団の和は得られる
>分を守ることは、夫々の有する位置に於て、定まつた職分を最も忠実につとめることで
>…かくの如きは即ち日本国中の人民、自躬からその身を制するの権義なくして却って他人を制するの権あり
>詰まるところは他人の魂を我身に入れんとする趣向ならん
>一国の政事も一村の支配も、店の始末も家の世帯も、上下心を一にして、
>あたかも世の中の人間交際を親子の間柄の如くになさんとする趣意なり
>その毒の吹出すところは人間に流行する詐欺術策の容体なり。この病に罹る者を偽君子と名づく
>返す返すも世の中に頼みなきものは名分なり。毒を流すの大なるもの専制抑圧なり。恐るべきに非ずや 〇〇〇〇〇〇〇「〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇」昭和53年
分裂質障害では、イメージの、現実からの解離が生じている。
イメージというのは、象徴であり、精神的産物である。それは身体的経験という現実に対立するものである。
このことは、イメージが非現実的なものであるといっているのではなく、
身体現象とは異なる現実性をもつということである。イメージの現実性は感情や感覚との結びつきから生じる。
しかしこの結びつきが分裂してしまったとき、イメージは、抽象的なものとなる。
イメージと現実との分裂は、妄想を抱いている精神分裂病の人において最もはっきりと現れる。
古典的な例として、自分をイエス・キリストやナポレオンと思っている痴呆化した人の例がある。
一方、精神的健康とは、イメージと現実とが一致している状態をいう。
健康な人においては、自分自身のイメージは、自分の身体でもって見たり感じたりするものと一致している。
… イメージの機能が広く受け入れられている社会においては、イメージが危険なものになると、
イメージの効果は人間関係においても好ましくないものとなり、危険な働きをするようになる。
たとえば、父親が子供の欲求に反するような父親像を演じている家庭においてみることができる。
こうした父親は、自分自身を自分のイメージでみているように、
自分の子供を一つのイメージとしてとらえている。
そこでは、子供は、自分の感情や欲求をもつ個人としてみなされない。このような状況においては、
しばしば父親の無意識的な自己像の投射である一つのイメージに、子供を合わせようとする教育が行われる。
親の無意識のイメージに自分を無理に合わせようとしている子供は、
彼自身の感覚や自己同一性の感情、そして現実との接触を失う。
自己同一性の感情の喪失は、家庭状況にその根がある。成功や人気、セックスアピール、知的な教養、地位、
自己犠牲といったイメージに基づいて育てられた人は、他の人たちを人としてみるかわりにイメージとしてみる。 イメージは抽象物であり、理想であり、個人的な感情に犠牲を強いる偶像である。
イメージは一つの観念的なものであるために、肉体的存在の上にあるとみなされ、
肉体的存在を脇役へ押しやってしまう。肉体は、イメージのための単なる道具となってしまう。
個人は、肉体という現実から疎外されてしまう。疎外された個人は、疎外された社会をつくり出す。
正常な場合イメージは、現実の反映である。
つまり、人の行動をより効果的な行為へと導くことを可能とする精神的産物である。
… 正常な場合には、自我と体は、密接に働きあうパートナーの関係にある。
健康な人間における自我は、肉体の快楽原則を促進させる機能をもっている。
一方情緒的に障害されている人間においては、自我は体を支配しており、
肉体よりもすぐれた価値体系をもつものとなる。 〇〇〇〇〇〇〇「〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇」
ナルシシズムは心理的状況と文化的状況の両方を説明する言葉である。
個人のレベルにおいてナルシシズムとは、
「自己」(訳注1)を犠牲にしてなされる自分のイメージへの過剰なのめりこみと特徴づけられる
ようなパーソナリティ障害のことである。
ナルシシストたちは、自分がどう感じるかということよりも自分がどう見えるかということに関心を持つ。
じっさい彼らは、自分が追いもとめるイメージと矛盾するような感情を否定していく。
彼らは感情なしに行動しながらも、たいていの場合、ひとを誘惑し、操縦し、
権力や支配力を得ようとしてたたかっている。
彼らは自我中心的な人間(エゴチスト)であって、自分の利害に関心を集中しながらも、
真の意味での自己の価値というものが
――すなわち自己表現、自己抑制、品位の感情、そして誠実さが――欠けている。
文化のレベルにおいては、ナルシシズムは人間的価値の喪失のうちに
――つまり環境への関心、生活の質への関心、自己の同胞たる人間たちにたいする関心の喪失のうちに――
見出すことができる。 〇〇〇〇〇〇〇「〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇」訳者序文 昭和53年
昭和五十三年九月十五日 〇〇〇〇〇(九州大学名誉教授、〇〇〇〇〇〇〇病院長)
この本は、私の医学観、ひいては人間観に重大な転機を与えた書物である。
私だけではなく、現代人の多くは、この本によって、
ショックといってよいほどの影響を受けるにちがいないと思われる。
なぜなら、一医学者の斬新な人間観察によって、現代の病、
ひいては現代の危機の根元が、鮮烈にえぐり出されているからである。
…著者の〇〇〇〇〇は、現代人の不健康の根底をなすものとして、「自我と肉体の分裂」をあげ、
「健康な人の自我は、身体と同一視されており、
病的な人の自我は、体との確固たる同一視をもっていない」と述べている。
…最近西欧では、情動を失い、知性のみに偏してゆく現代人の状態に対して、「失感情症」という
新しい表現が用いられている。そして、このような知性と情動の分裂が、
さまざまな非行や心身両面での不健康(現代の病)の病根をなすというのである。
すなわち、現代人の知性は、もはや情動を、豊かな情操やみずみずしい生命感情へと昇華する力を失っており、
知性による濾過を受けない情動が、そのまま突っ走るとき、
いわゆる近道反応としての行動異常となり、不完全燃焼の情動エネルギーが身体機能を撹乱することが、
現代人の半健康の根底をなすというわけである。
私は近頃、知育偏重の教育のもとで、多くの日本人たちもまた、
世代が若くなるほど、このような性格のひずみに陥りつつあるのではないかという気がしてならない。
…本書にふれた世の親たちは、親たちのあり方が、一見無心な子供の心に焼きつけられ、
それが、成人後の心身の健康に、いかに重大な意味をもつかについて、慄然とされることであろう。
…〇〇〇〇〇は、いわゆる分裂質の発生の原因を、…精神分析家としての素養にもとづいて、
このような幼児の親子関係にもとめている。 >禁裏様は公方様よりも貴きものなるゆえ、禁裏様の心をもって公方様の身を勝手次第に動かし、
>行かんとすれば止まれと言い、止まらんとすれば行けと言い、
>寝るも起きるも飲むも喰うも我思いのままに行わるることなからん。
>公方様はまた手下の大名を制し、自分の心をもって大名の身を自由自在に取り扱わん
>…かくの如きは即ち日本国中の人民、自躬からその身を制するの権義なくして却って他人を制するの権あり。
>人の身と心とは全くその居処を別にして、その身はあたかも他人の魂を止める旅宿のごとし
>詰まるところは他人の魂を我身に入れんとする趣向ならん
>こうした父親は、自分自身を自分のイメージでみているように、
>自分の子供を一つのイメージとしてとらえている。
>そこでは、子供は、自分の感情や欲求をもつ個人としてみなされない。このような状況においては、
>しばしば父親の無意識的な自己像の投射である一つのイメージに、子供を合わせようとする教育が行われる。
>親の無意識のイメージに自分を無理に合わせようとしている子供は、
>彼自身の感覚や自己同一性の感情、そして現実との接触を失う。 「国体の本義」が国民に求めた価値観とは、圧迫を受けた人々が陥るところの分裂質障害、
ナルシシズム障害を、社会的に正常と見なすような価値観だったのか? >只管目上の人の命に従って、かりそめにも自分の了簡を出さしめず、
>目上の人は大抵自分に覚えたる手心にて、よきように取計らい、
>一国の政事も一村の支配も、店の始末も家の世帯も、上下心を一にして、
>あたかも世の中の人間交際を親子の間柄の如くになさんとする趣意なり
>世の名分を主張する人は、この親子の交際をそのまま人間の交際に写し取らんとする考えにて
>上下合体共に太平を謡わんとするの目論見ならん。実に極楽の有様を模写したるが如し。
>右の如く上下貴賎の名分を正し、ただその名のみ主張して専制の権を行わんとするの源因よりして、
>その毒の吹出すところは人間に流行する詐欺術策の容体なり。この病に罹る者を偽君子と名づく
>返す返すも世の中に頼みなきものは名分なり。毒を流すの大なるもの専制抑圧なり。恐るべきに非ずや >あの戦争は結果的に言って、日本の陸軍なら陸軍、
>海軍なら海軍が戦争をやったということですらなくて、
>プロであるはずの日本の軍部が戦争そのものに、「適応」もできなかったんじゃないでしょうか。
>わけもわからず負けた。日本軍は近代戦に適応もせずポッシャッてしまった。
>戦争に突入したというのは国民がそのときに戦争に対する思考、態度で一様性になってしまっていた。
>戦えばひどい目にあうぐらいわかっておりながら、開戦に向かって「右えならえ」せざるをえなかった。
>日本を一つの村だと仮定して、村には情報がいろいろはいってくる。
>情報のなかには庄屋なり村の人たちにとって気に入らない情報のほうがむろん多い。
>情報っていうのは、つねに希望的観測を逆なでするんだけれども、
>都合のいいように情報を一切コントロールしてしまう
>気に入らない情報がはいってこないために、みんないい気分になって新しい現実に適応もできなくなる。
>開戦したというのは…ほんとうは戦争に適応もできない状態にはいっていったわけです。 カレル・ヴァン・ウォルフレン「日本/権力構造の謎」
…さらに、ジャーナリストや学者たちが、
自国の社会を論じるのに西欧製の社会や政治・経済の概念を日本に誤って転用するので、
…日本…について誤った理解をすることになる。
…というのは、日本の社会でいう“現実”とは、客観的に観察した結果としての実際の事実というより、
心情的なイメージに合わせて構築された、そうあるべき“リアリティ”だからである。
… その結果、…文化人類学者クリスティ・キーファーが言うように、
真実が社会的に構成されるようになったのである。
…西洋の哲学または西洋の常識の基礎は、人間にはつきものの自己欺瞞をおさえるには、
妄想や幻想を入り込ませないようつねづねよく注意することだと教えている。
ギリィシャ文明以来、西洋の知の発達の歴史を貫い…た戒め…は、「矛盾を育むなかれ」ということ…
この戒めは論理、数学、科学の根本法則である。 …だが、はっきりしていることは、他のアジアを詳しく見ても、
日本ほど“リアリティの管理”がおこなわれている国はほかにないということである。
…どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、
基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。
これには、日本に長く滞在した西欧人もアジア人もたいていびっくりする。
… 超越的な真理を認めない政治的文化の本質を西欧人が理解するには、なみはずれた知的努力がいる。
… 西欧の知的・倫理的な伝統は、
普遍的に通用する何らかの信念があるという前提に深く根ざしているので、
このような前提を欠く文化がありうるとは、とても考えおよばない。
西欧では子供を教育するのに、
人間の欲望や気まぐれな考えとは関係のないところに宇宙を支配する究極的な論理があるという前提を、
それとなく教えこむのが、暗黙のうちに了解されている一般的な慣行である。 ttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/51185
「教育勅語」の呪縛のなかで日本社会が先送りにしてきた課題
我々はそれをどう乗り越えるべきか 堀 有伸 精神科医
日本社会が直面する課題
あらゆる思想・宗教・政治理論などは、言語で表現される思想や教義・理論体系を奉じている。
しかし、教育勅語に現れる日本的な感性は、
そのような言語化される以前の「生活の実感」を、それらの諸理論よりも上位に置く。
…教育勅語が表現しているのは一つの強力な哲学的な立場であり、
西洋近代に対する一つのアンチテーゼになりうるものだ…
藤田省三という丸山眞男の弟子の政治学者に『天皇制国家の支配原理』という著作がある。
それを読むと、いま日本社会で起きていることについての理解が大変深まる内容となっている
…教育勅語が制定された背景には、上からの近代化と、各地のムラ社会の論理
(情と義理によって構成員の一人一人が全人格的に結びついていること)の対立があった
教育勅語を見て、「普通の当たり前のことが書いてある」という感想を持つ人が多いと思う。
しかし、教育勅語の影響を評価するためには、「教育勅語が排除しているもの」を見る必要がある。 つまり、「哲学的な考察」「政治についての考察」「批判的行為」
「何らかの理論」「外国の知的伝統」などへの真剣なコミットは「非道徳的」となり、
素朴な生活感覚と情緒的な一体感を保つことが「道徳的」である――。
その道徳的な感覚が、批判を押し込め、ムラ的な感覚では対応できないようなどんな問題についても、
「日本的道徳」を適応させることで解決できるような万能感が生じる要因の一つを作ってしまった
…複雑な葛藤には、論理や法による正/誤の判断が行われて決着がつく事が望ましい
…日本社会で生きることは、「日本的な感性のなかでより道徳的であるための競争」の性質を帯びてくる。
必然的に日本人は、哲学よりも道徳の運用法に興味をもたざるを得ない
…私は教育勅語が日本人の精神性に与える影響は、とてつもなく広く大きいと感じている
…より教育勅語の精神に忠実な人々にとっては「批判は不道徳的で避けるべき行為」なので、
何らかの意味で罪悪感を刺激されると相手以上に身を粉にして働くようになる。
何らかの意味で自分を安売りすることを自分に強いるので、例えば職業場面でのうつ病の発生や、
ある種の業界における安売り競争、その結果に生じるデフレスパイラルにもこの心性はかかわっている 西洋近代へのアンチテーゼとして
西洋近代は、それまで真理を保証する存在であった「神」を殺し、
その代わりに「人間の理性」を真理の根拠を担保する存在として認定した
…近代以降の思想家や哲学者は、みな、ある意味で人間の理性の限界を感じた上で、
それを真理の根拠の基盤に据えることの正当性を担保することに困難を感じ、そのことについて思考した。
私たちは理性的な存在でありたいと望んだとしても、身体的な欲求や願望から自由であることはできない
フッサールという哲学者の後期の論文『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』に着目したい。
この論文では、個別の科学が、世界を客観的に把握するためにその「数学化」を推し進めたために、
生における全体的な意味が見失われ、学問全体が危機に陥っていると指摘されている
ガリレオは自然現象の背後にある物理的な法則を明確にして、
人々に理解させたという意味で「発見する天才」であった。
しかし同時に、天空や太陽、そして星々に対して人々が抱いていた素朴な信念や、
生活感覚に根付いて天体に与えていた意味づけを無意味なものにしてしまった
科学の進展とともに、あらゆる世界の現象は数学的に表現されていくようになっていくけれども、
それとともに、それらの現象から私たちが直接に把握した直観的な意味は、ますます見失われていく
…これが、フッサールが指摘した「ヨーロッパ諸学の危機」であった …フロイトやハイデガー、マルクスなど、
人間の理性を規定する情動・身体・生活の基盤の重要性を指摘した西欧の哲学者は数多く存在した
…そのような西洋近代の精神の運動を対照とすると、
最初から、生活世界に根を下ろした直観と生活感覚に留まり続けようとした日本の土着的世界観…は、
西洋近代の運動から見た時に、後進的であるのと同時に先進的である
…現象学や精神分析などで、「あつかえる記号の発達」を考察することがある。
人間が扱うことのできる記号は、最初は身体言語と区別がつかない泣き声、うめき声から始まる。
やがて抽象的な理論展開…世界から切り離された記号操作にいたる
自らも言語の使い手として、「言語を使う人々」の世界に参入するが、
この「言語以前」と「言語以後」の違いが個体の精神の発達において決定的な意味をもっている
…私が思うに、教育勅語に現れる精神性は、「言語以前」の「言語以後」への優越性を強調する。
これは、哲学的に相当に強い、西洋近代に対する一つのアンチテーゼたりえるような強力な立場である
…言語以後の存在に対しては、その存在を尊重しながら、その意見(言語内容)を否定することが可能である。
しかし言語以前の存在(自分の言語をもたず、影響力のある何かに同一化している場合を含む)では、
存在と意見が未分化なので、意見の否定が、そのまますぐに存在の否定になってしまう。
つまり、議論がルールのもとでの言語ゲームにならず、存在と存在の潰し合いとなる では、単純に「教育勅語」を否定すればよいのだろうか。
私の回答は否である。これはシンプルな表現であるが、
そうであるからこそ、相当に強い思想的な立場を占めている。
そのことについてのレスペクトを失ってはならない。
西洋近代の宿痾は、人間と自然の対立、そして人間の疎外・孤立化である。
人間と自然にかかわるさまざまな出来事が数字に変換され、
その数字の操作だけで重要な物事の決定が行われてしまい、全体の意味が見失われているということは、
現代の日本を含む世界の重要な危機である。
教育勅語を否定することで、生活世界の重要性を否定するような発想が強まることにも、
警戒を行わねばならない。…生活とそこに根付いた直観を否定するのは危険である。 ttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/51030
原発事故から6年、都合の悪いことを黙殺し続ける私たちの「病理」
南相馬の精神科医が目にしたもの 堀 有伸 精神科医 ほりメンタルクリニック院長 2017.2.23
「日本的ナルシシズム」という思考法
筆者は、昨年に『日本的ナルシシズムの罪』という本を上梓し、現代日本に蔓延する病理性について報告した。
そこでは「和を持って貴しとなす」という美徳についての誤解が行われ、
狭い仲間内でのみ通用する都合のよい「想像」を共有することが人間関係において過度に重要視されてしまい、
その想像と合わない現実を扱うことや、
想像を共有しない他者との関係性を構築することがきわめて困難になるという特徴があると記載した…
2011年の原発事故が起きるまで、ほとんどの日本人が共有していた原子力発電についての「安全神話」と
それによって維持されていた日本社会の連帯と安定が、その一つの現れである。
2011年の事故によって明らかになったのは、それが都合のよい想像だったのであり、
その想像を強く共有したために私たちが
「原子力発電所は事故を起こすかもしれない」という現実を適切に扱えなくなっていたという事実である。
ここに現れているのは、「原発事故によって私たちは多くのものを喪失した」という現実についての否認である。
国家の無謬性を、どうしても維持したいと願っているかのようだ。
このような方法で保たれる一体感は想像上のもので「ナルシシズム」の産物に過ぎず、
立場の異なる者による対話を不可能にさせて分断をもたらす性質を持っており、
それゆえに厳しい試練に耐えられるものではない。 私たちの心の分裂(スプリット)とその克服
精神病理学で「分裂(スプリット)」という用語が用いられることがある。
同じ対象についての矛盾した空想が、私たちの心の中に同時に存在しながら
そのことについては無自覚なままであることを指す。
そして、このような「分裂(スプリット)」を抱いている対象については、
私たちは一貫性のある現実的な対応を取れなくなってしまう。
ttp://www.huffingtonpost.jp/arinobu-hori/narcissistic_b_7651150.html
ナルシシスティック・パーソナリティーの特徴は、そのような苦悩や葛藤を抱かないことだ。
それは、こころの中で分裂という機制が多用されていることに由来する。
例えば、「日本を愛している」「日本は素晴らしい国だ」というこころと、
「日本のことを憎悪している」「日本は劣っている汚れた国だ」というこころは、明らかに矛盾している。
しかし、ナルシシスティック・パーソナリティーでは、この二つのこころが葛藤を起こすことはない。
その場その場でどちらかの考えや感情にのみ込まれてしまい、疑問を抱かない。
ナルシシスティック・パーソナリティーの場合には、
自分の同一化している対象についての好ましくない面を認識することが引き起こす痛みに、耐えることができない。 だから、そのような体験については、こころの外に押し出してこころを守ることに、精一杯になる
日本が直面する困難な課題について現実的に考えるよりも、
日本とそれと一体化した自分との良いイメージを守るという防衛的なこころの動きに終始して、
否定的な側面を分裂排除してしまうために、現実的に考えられなくなる弊害が起こり得る
私はこれについて、
「分裂が許容されることによって葛藤や考えが生じず、ナルシシズムが維持される」と記述したい。
ニヒリズムを乗り越え(私にはニヒリズムとは否定的な同一化に由来するナルシシズムの問題と思える)、
「オモテ」と「ウラ」の使い分けではない自分の考えを持てるようになることを、
この変化と危機の時代に、国民の一人一人が目指すべきだと考える。 耕論 暴走する忖度 千宗屋さん、ヴィルヘルム・フォッセさん、金田一秀穂さん
朝日新聞 2017年7月7日
先回りした服従、悲劇生む ヴィルヘルム・フォッセさん(政治学者)
ドイツには「フォラウスアイレンダー・ゲホルザム」という言葉があります。
忖度と同じように、訳すのは難しいですが、直訳すれば先回りした服従という意味です。
なぜ、ホロコーストのような大量虐殺が起きたのかを説明する際によく使われます。
法律や社会のルールを守り、税金を納める。家庭では、よい息子、よい娘で、ほめられたい。
周囲に波風を立てないよい隣人で、
異議を唱えようとしない態度が、結果として非人道的な悲劇を生む土壌になった
日本の政治と社会の研究を30年以上してきました。日本とドイツは似ています。
まじめで時間を守り、先回りして自主的に服従します。
ドイツの戦後と日本の戦後もある時期までは非常に似た道をたどったと思います。
…自信を取り戻しつつあったドイツ人に大きく影響したのが、68年から世界を覆った若者の反乱でした。
きっかけは米国でのベトナム反戦運動です…ドイツでは若者たちが、
教授や親の世代が戦争中に何をしていたのかを問いただす運動に発展したのが大きな特徴でした。 「ガウンの下の千年のホコリ」。第三帝国を「千年王国」と称したナチスとの関係が、
大学教授の着るガウンの下に隠れていないか。
過去を白日の下にさらそうという動きが、社会全体に大きく影響しました。
民主的だったワイマール体制がヒトラーの台頭を許してしまったのは、制度の欠陥ではなく、
民主的な思考と行動をする市民が足りなかったとの理解が広まったのです。
それまで、先回りして服従するのがよい市民だとされてきた考えから、
疑問を公的に発する成熟した市民になることが重要だという考えが共有され、意識が変わったのです。
日本はそうなっていません。この意識は国の発展も左右するでしょう。
工場で高品質の製品を大量につくるには、波風を立てず、仲間や上司の期待に応えることが役立ちます。
それは日本でもドイツでも証明されてきました。
しかし、世界は新しい価値やそれまでになかったサービスや商品を生み出す大競争の時代に入っています。
摩擦や対立を恐れず、多様な意見や価値を認め合う社会的な基盤は民主主義を存続させるだけでなく、
経済的な競争の側面からも、求められていると思います。 >周囲に波風を立てない…異議を唱えようとしない態度が、結果として非人道的な悲劇を生む土壌になった
>日本の政治と社会の研究を30年以上してきました。日本とドイツは似ています。
>まじめで…先回りして自主的に服従…
>過去を白日の下にさらそうという動きが、社会全体に大きく影響しました。
>民主的だったワイマール体制がヒトラーの台頭を許してしまったのは、制度の欠陥ではなく、
>民主的な思考と行動をする市民が足りなかったとの理解が広まった
>制度の欠陥ではなく、民主的な思考と行動をする市民が足りなかったとの理解が広まった
>戦争中の末端行政の現れ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、
>さては町会、隣組、警防団、婦人会といったような民間の組織が
>いかに熱心かつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかる
>少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、
>苦しめつづけたかということを考えるとき、
>だれの記憶にも直ぐ蘇ってくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、
>あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や
>雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といったように、
>我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であった 奥山俊宏 認証済みアカウント @okuyamatoshi · 7月23日
内閣府の原子力委員会が20日、「原子力利用に関する基本的考え方」を決定し、
政府は21日の閣議でそれを「尊重する」と決めた。
従来の原子力利用長期計画・大綱に代わるものだが、そこまでの拘束力はない。
原子力委員会の「原子力利用に関する基本的考え方」の中で特に興味深いのは
「原子力関連機関に継続してに内在している本質的な問題」の指摘だ。
福島原発事故ではない本当の「我が国における原子力利用の閉塞」の原因をあけすけに指摘している。
原子力委員会「原子力利用に関する基本的考え方」曰く、
「我が国では、特有のマインドセットやグループシンク(集団思考や集団浅慮)…同調圧力、
現状維持志向が強い」と指摘。それらが原子力安全に悪影響をもたらしたと示唆している。
「組織内で部分最適に陥り、情報共有の内容や範囲について全体での最適化が図られない結果として
必要な情報が適切に共有されない状況も生じており、組織内外を問わず、
根拠に基づいて様々な意見を言い合える文化を創り出す必要もある」と原子力委員会。
福島原発事故と日本文化を結びつけて「日本だから事故が起きた」と指摘する論調は欧米で強く、
国会事故調もそれに近かったけど、ほかならぬ日本政府の原子力委員会が
「日本的組織や国民性の特徴が原子力の安全確保のみならず
原子力利用全体にも影響を及ぼしたとの認識」に至ったのは特筆すべきこと。 ttp://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/kettei/kettei170720.pdf
3. 原子力関連機関に継続して内在している本質的な課題
我が国の原子力利用では、1990年代以降、様々なトラブルに伴う長期間の運転停止や計画の遅延等が生じ、
国民の不信・不安を招くとともに、2011年3月に東電福島原発事故が発生し、
国民生活に深刻な影響を及ぼした。
東電福島原発事故の反省のみならず、我が国における原子力利用の閉塞を以前からもたらした、
原子力関連機関に内在する本質的な課題を解決することが不可欠である。
安全文化に国民性が影響を及ぼすという指摘5があるように、
国民性は価値観や社会構造に組み込まれており、個人の仕事の仕方や組織の活動にも影響を及ぼす。
我が国では、特有のマインドセット6やグループシンク(集団思考や集団浅慮)、多数意見に合わせるよう
暗黙のうちに強制される同調圧力、現状維持志向が強いことが課題の一つとして考えられる。
また、我が国では、組織内で部分最適に陥り、
情報共有の内容や範囲について全体での最適化が図られない結果として
必要な情報が適切に共有されない状況も生じており、
組織内外を問わず、根拠に基づいて様々な意見を言い合える文化を創り出す必要もある。
このような従来の日本的組織や国民性の特徴が原子力の安全確保のみならず
原子力利用全体にも影響を及ぼしたとの認識の下に、
それぞれの原子力関連機関が抜本的な改善策を検討することが必要である。
あわせて、原子力利用に求められる高い透明性や説明責任について、真摯に対応することが必須である。
5) OECD/NEA「THE SAFTY CULTURE OF AN EFFECTIVE NUCLEAR REGULATORY BODY」
6) 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)「国会事故調報告書」 >父親が子供の欲求に反するような父親像を演じている家庭においてみることができる。
>こうした父親は、自分自身を自分のイメージでみているように、
>自分の子供を一つのイメージとしてとらえている。
>そこでは、子供は、自分の感情や欲求をもつ個人としてみなされない
>しばしば父親の無意識的な自己像の投射である一つのイメージに、子供を合わせようとする教育が行われる。
>親の無意識のイメージに自分を無理に合わせようとしている子供は、
>彼自身の感覚や自己同一性の感情、そして現実との接触を失う
>イメージは一つの観念的なものであるために、肉体的存在の上にあるとみなされ、
>肉体的存在を脇役へ押しやってしまう。肉体は、イメージのための単なる道具となってしまう。
>個人は、肉体という現実から疎外されてしまう。疎外された個人は、疎外された社会をつくり出す
《権力者》が国民の欲求(願望)に反するような《権力者》像を演じている国家においてみることができる。
こうした《権力者》は、自分自身を自分のイメージでみているように、
自分の国民(及び国家)を一つのイメージとしてとらえている。
そこでは、国民は、自分の感情や欲求をもつ個人(存在)としてみなされない
しばしば《権力者》の無意識的な自己像の投射である一つのイメージに、
国民(及び国家)を合わせようとする教育(政治的・社会的メッセージの連呼と強制)が行われる。
《権力者》の無意識のイメージに自分を無理に合わせようとしている国民は、
彼自身の感覚や自己同一性の感情、そして現実との接触を失う
イメージは一つの観念的なものであるために、肉体的存在の上にあるとみなされ、
肉体的存在を脇役へ押しやってしまう。肉体は、イメージのための単なる道具となってしまう。
個人は、肉体という現実から疎外されてしまう。疎外された個人は、疎外された社会をつくり出す ttp://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1438238895/844
マイケル・ジーレンジガー「ひきこもりの国」
>日本人に理解できなかったこと――
>そして当時のわれわれ外国人のほとんどが理解できなかったこと――は、
>日本人が構築したきわめて緊密なシステム、
>国民がこれほど巨額の富を短期間に蓄積することを可能にしたシステムが、
>日本に凋落をもたらした原因ともなっていたという事実だ。
>日本は、全体が一つの目的に向かって邁進しつづけることによって、奇跡的な産業効率を実現した。
>しかし、それが長所であると同時に、弱点となった。
>この均質な国民が取り憑かれたように必死で達成しようとした集団の調和は――
>順応への圧力、批判の阻止、反対者に対する抑圧、
>「部外者」を拒絶する病的なまでの排他性などによって作りだそうとした
>それは――暗黒と破壊をもたらす種子をはらんでいたのである。
>このシステムによる個性の抑圧は著しく、
>国民の多くは精神的に大人になれないまま、事実上アイデンティティを剥奪されていた。 >親の無意識のイメージに自分を無理に合わせようとしている子供は、
>彼自身の感覚や自己同一性の感情、そして現実との接触を失う
>このシステムによる個性の抑圧は著しく、
>国民の多くは精神的に大人になれないまま、事実上アイデンティティを剥奪されていた。
(日本人の多くは) 事実上アイデンティティを剥奪されていた…
ここは笑うところでしょうか? 怒るべきところでしょうか? ttps://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1396898238/238-278
>《此の下剋上の意味を勘違ひして居る人があるやうで…下剋上といふことを、
>下の者が順々に上を抑へ付けて行くのを下剋上といふやうに考へ(ているようだが…)
>一條禪閤兼良が感じた下剋上はそんな生温いものではありませぬ。
>世の中を一時に暗黒にして了はうといふ程の時代を直接に見て感じた下剋上で…
>最下級の者があらゆる古來の秩序を破壞する、
>もつと烈しい現象を、もつと/\深刻に考へて下剋上と言つたのである》
内藤湖南がここで語っていることは(例えば今の〇〇〇〇過激派が行っている)古代遺跡の破壊ような、
気の遠くなる年月をかけて過去に人間が蓄積して来た
(建造物、都市を始めとする)文物、知識・理論(=理屈・対抗論理)の徹底的な破壊と、
破壊した後(廃墟の中での無力感と、支配に乗り出す者らに対抗する理屈を失った状態の、
頭が真っ白になったところ)に単なる恐怖支配を貫徹する。
そこからそれ以前の過去とは切り離された“今につながる”日本が誕生した。ということだろう。
つまり「応仁の乱」とは今の〇〇〇〇社会で起こっていることと同様な大悲劇であった。
非常に高度な文明、これを生んだ古代中国、その人智、
この模倣とはいえ、そこで生れた理論、技術、思想(=倫理)=社会制度を取り入れて蓄積し、
一度完成を見た学術や人材が〇〇〇〇過激派のような《足軽》によって破壊され、
焼かれ、殺され、根絶やしとなって高い文明と倫理が壊滅し、時代を数百千年逆戻りした。 中世の日本が正に、内乱とその後に続いた破壊によって石器時代?
に近い所まで文明が破壊し尽くされて逆戻りした。
そこで一旦、一切の高度な精神性と政治制度と知識が壊滅し、
そこから〇〇〇〇〇〇・ステートのような(身の毛のよだつ)恐怖支配の社会が始まった。
その後に大名となった者らはこの時代にのし上がった者らであるという。
つまりは今、イ〇クやシ〇アで破壊と暴力とを推し進めている者らのボスと同種の者である。
この恐怖支配の形式が、やがて封建制度として確立されて行った、のだ?としたら…。
そこから何が生み出されるのか、されないのか。
ヨーロッパ中世も疫病と戦乱=殺し合いのカオスの中にあった。
その中から《人文主義》(『文は人なり』)は生まれた。
殺戮の連鎖は宗教革命とルネッサンスを生み、ギリシャ文明への回帰をもたらした。
そして最終決戦であるフランス革命を経て、
独裁者とそれを支える(暴力支配の)論理がユークリッド幾何学=西欧近代合理主義に敗れ、
(永遠“に”理想、欺瞞、そう言われようが)自由・平等・博愛を掲げる社会体制(共和主義)が始まった。
といった過程は日本には来なかった。
(秩序崩壊以後の恐怖支配を元にした封建制の)日本社会の中から宗教も思想も哲学も生まれなかった。
全てが外国から輸入された。支配者を正当化する理屈として。支配を行なう道具=兵器として。 恐怖支配は特に幼児期の人の心に《心的外傷》を植え付けて、
それは大人となった人々の精神に分裂質障害とナルシシズム障害を作り出す。
分裂質障害とナルシシズム障害は現実を解離した《イメージ》によって操作される世界を作り出す。
>禁裏様は公方様よりも貴きものなるゆえ、禁裏様の心をもって公方様の身を勝手次第に動かし、
>行かんとすれば止まれと言い、止まらんとすれば行けと言い、
>寝るも起きるも飲むも喰うも我思いのままに行わるることなからん。
>公方様はまた手下の大名を制し、自分の心をもって大名の身を自由自在に取り扱わん
>大名はまた自分の心をもって家老の身を制し、…徒士は足軽を制し、足軽は百姓を制するならん。
>…かくの如きは即ち日本国中の人民、自躬からその身を制するの権義なくして却って他人を制するの権あり。
>人の身と心とは全くその居処を別にして、その身はあたかも他人の魂を止める旅宿のごとし
>詰まるところは他人の魂を我身に入れんとする趣向ならん ttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/52633
「いじめ自殺」多発にもかかわらず、学校の有害性が問われない不可解
茨城県取手市・中3女子自殺事件【後編】
内藤 朝雄 明治大学准教授 2017.8.21
強い方にしたがうだけ
ここからわかるのは…利害計算が市教委の首尾一貫した行動原理となっている、ということ
さらに、市教委が真実、あるいは真理というものを、どのように扱っているかを見てとることができる。
市教委にとって「ほんとうのこと」は意味がない
あるのは、利害と技術と上下関係が混合した職業上の生活様式だけである。
このように考えると、市教委の行動様式を明確に理解することができる。
それが真実であるかどうかではなく、強いもの(文科省)に言われると即座に従い、
いじめがあったのかなかったのかという真実(ほんとうのこと)に関する判断を簡単にひっくり返した
この言葉の意味は、真実をめぐる対話には答えない、
力と力のぶつかりあいで強い方にしたがうだけだ、という本音であると理解できる。
市教委にとって、真実のありか
(ほんとうのこと)を主題とする質問に答えることの方が無意味な「いいわけ」なのである。 教育委員会に真理はない
教育委員会自体が、そのような上には卑屈、下には尊大で、真実は無意味、
力関係とそれに応じた欺瞞のアートがすべてという職業的生活習慣の上に運営されてきた
一言でいえば、教委に真理はない
力関係のなかで利害損得に従って仮象をはりあわせて演劇的に生きる者に、
記者は手練手管とは別の真理(ほんとうのこと)…によって応答することを求めた。
強者である文科省であれば、何を要求されても教委はひたすら平伏する。
真理の言葉こそが、教委にとって最も意味のない「いいわけ」なのだ
(この考察に際しては、哲学者ニーチェの著作群を参考にした)。
学校制度の有害性
このような世界の住人たちが、学校で道徳教育をし、情意評価で成績をつけ、
高校入試の内申点によって生徒の将来を左右している。
こういう者たちに、生徒はへつらって生きるしかない。
こういった学校制度の有害性が社会問題にならないのが不思議である。
「内申や推薦や情意評価といった制度は、卑屈な精神を滋養し、精神的売春を促進し、
さらに課題遂行という点では人間を無能にする」(拙著『いじめの構造』)。
教員に生徒の態度や道徳を評価させ、成績をつけさせると、醜悪きわまりない人格支配が蔓延する。
特に「おまえの運命はおれの気分次第だ。おれはおまえの将来を閉ざすことができるんだぞ。
おれのことをないがしろにしたら、どういうことになるかわかっているだろうな」
という高校入試の内申制度は、青少年の健全育成にとってきわめて有害である。 ttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/52631
日本の学校は地獄か…いじめ自殺で市教委がとった残酷すぎる言動
茨城県取手市・中3女子自殺事件【前編】
内藤 朝雄 明治大学准教授 いじめ問題研究 2017.8.20
日本の学校制度は何十年も変わっていない…不幸な結果の生じやすさも同じである。
学校制度を変えるほかに、有効な手立てはない。
いじめを構造的に蔓延・エスカレートさせる学校制度の欠陥を、メディアは問題にしない。
日本の学校は、生徒を外部から遮断した閉鎖空間につめこみ、
強制的にベタベタさせるよう意図的に設計されている。これは世界の学校のなかで異常なものである。
生徒を長時間狭い場所(クラス)に閉じこめ、
距離のとれない群れ生活を極端なまでに強制する学校制度が、人間を群れたバッタのような〈群生体〉に変える。
そして、いじめ加害者を怪物にし、被害者には想像を絶する苦しみを与える。
学校で集団生活を送りさえしなければ、加害者は他人を虫けらのようにいたぶる怪物にならなかったはずだし、
被害者は精神を壊された残骸や自殺遺体にならずにすんだはずだ。
原因は、学校のまちがった集団生活にある。
学校であれ、軍隊であれ、刑務所であれ、外部から遮断した閉鎖空間に人を収容し、
距離をとる自由を奪って集団で密着生活をさせれば、
それが悲惨で残酷な状態になりやすいのは理の当然である。
いじめが起きていない局面でも、学校は、
人間関係をしくじると運命がどう転ぶかわからない不安にみちた場所になる。
この不安(友だちの地獄)のなかで生徒たちは、多かれ少なかれ、付和雷同する群れに魂を売り渡し、
空気を読んで精神的な売春にはげみ、集団づくりの共鳴奴隷・共生奴隷として生きのびなければならない インタビュー 展望なき世界 朝日新聞 2016年2月11日
仏人類学・歴史学者エマニュエル・トッドさん
悪い方へ悪い方へと回り続ける歯車をだれも止められない。そんな気分が世界に広がる。
過激派といわれる勢力の暴力、難民や移民への排他的な反応、分断される社会。
新著「シャルリとは誰か?」(邦訳、文春新書)で、その閉塞状況の読み解きに挑んだフランスの知識人、
エマニュエル・トッド氏に聞いた。
――15年前、米同時多発テロが起きたとき、あなたは中東は近代への歴史的な移行期にある、と話し…た。
イスラム過激派と呼ばれる運動は、その流れへの激しい反動だと。今、起きていることもその表れでしょうか。
「奇妙なことに、中東について新たな宗教戦争という見方がよく語られます。
シーア派とスンニ派の戦争だという。だが、これは宗教戦争ではない。
イスラム圏でも宗教的信仰は薄れつつあり…人々がその代わりになるものを探している中で起きている…」
「『イスラム国』(IS)もイスラムではありません。彼らはニヒリスト。
あらゆる価値の否定、死の美化、破壊の意思……。
宗教的な信仰が解体する中で起きているニヒリズムの現象です」 ――欧米の対応はそこを見誤っているのでしょうか。
「アラブ世界は国家を建設する力が強くない。
人類学者としていうと、サウジアラビアやイラクなどの典型的な家族制度では、
国家より縁戚関係の方が重みを持っています。イラクのフセイン政権はひどい独裁でしたが、
同時に、そんな地域での国家建設の始まりでもあった。
それを米ブッシュ政権は、国家秩序に敵対的な新自由主義的思想を掲げ、
国家の解体は素晴らしいとばかりに戦争を始めて、破壊した…」
「中東でこれほどまずいやり方はありません。今、われわれがISを通して目撃している問題は、
国家の登場ではなく、国家の解体なのです」
――信仰が薄れるにつれ、社会秩序を支えるにはますます国家が必要になるのに、
逆に破壊するちぐはぐな対応というわけですね。
「つまるところ、中東で起きているのは、アラブ圏で国家を築いていく難しさと、
米国などの新自由主義経済に起因する国家への敵対的な考え方の相互作用の結果ではないかと思います」
――あなたは新しい著書で、テロのあとの仏社会の側の動揺と迷走を分析しました。
「…私が愛した多様で寛容なフランスは別の国になったように感じています」
「パリでテロを起こし、聖戦参加のために中東に旅立つ若者は、
イスラム系だが生まれも育ちもフランスなど欧州。アルジェリア人の友人はいみじくもこう言いました。
『なんでまた、欧米はこんな困った連中をわれわれのところに送り込んでくるのか』。
あの若者たちは欧米人なのです」 ――そこを直視すべきだと主張したあなたの著書は、激しい反発を呼びましたね。
「本が出て多くのテレビ番組に呼ばれたが、侮辱されるばかり。
『君は本当のフランス人ではない』とさえ言われました。そこにあったのは反知性主義です」
「…彼らはイスラム嫌いを政教分離原則などと言い換える。
右翼の価値観がフランスの価値観になってしまった…」
――昨年1月のテロ直後に数百万のフランス人がデモに繰り出し、抵抗の決意表明として内外で称賛されました。
しかし、あなたはそこにイスラム系市民への排他的な空気を感じ取り、仏社会の病理を読み解きました。
「デモに繰り出した人の割合が高かったのは、パリ周辺よりもむしろかつてカトリックの影響が強く、
今はその信仰が衰退している地方。また階層でいえばもっぱら中間層。
それは第2次大戦中のビシー対独協力政権を支持した地域、階層でもある。そう指摘して非難の的になりました」
「リベラルな価値の表明といいますが、
実際はイスラムの預言者ムハンマドを『コケにすべし』と呼びかけるデモでもありました」
――欧州でも中東と同じように信仰の衰退と、それにともなう社会の分断という流れが背景にあるのでしょうか。
「そうです。今後30年で地球に何が起きるか予測したければ、
近代を切り開いてきた欧米や日本について考えなければ。本物の危機はそこにこそあります。
歴史家、人類学者として、まず頭に浮かぶのは信仰システムの崩壊です」
「宗教的信仰だけではない。もっと広い意味で、イデオロギー、あるいは未来への夢も含みます。
人々がみんなで信じていて、各人の存在にも意味を与える。そんな展望が社会になくなったのです」
「そのあげく先進国で支配的になったのは経済的合理性。利益率でものを考えるような世界です」 ――それが信仰の代わりに?
「信仰としては最後のものでしょう。それ自体すでに反共同体的な信仰ですが。
経済は手段の合理性をもたらしても、何がよい生き方かを定義しません」
――そうやって、分断される社会で何が起きるのでしょうか。
「たとえば中間層。フランスでは、経済的失敗に責任がある中間層の能力のなさの代償として、
労働者階級が破壊され、移民系の若者を包摂する力をなくしてしまった。
世界各地で中間層が苦しみ、解体されていますが、フランスは違う。
中間層の代わりに社会の底辺がじわじわと崩れています」
「そこを見ないで、悪魔は外にいることにする。
『テロを起こした連中はフランス生まれだけれども、本当のフランス人ではない』
『砂漠に野蛮人がいる。脅威だ。だから空爆する』。おそるべき発想。
ただそうすれば、仏社会内の危機を考えなくてすみます」 ――仏政府は、二つの国籍を持つ者がテロに関与したら仏国籍を剥奪するという提案をしました。
確かにこれはフランスが掲げる価値観とぶつかるように見えます。
「二重国籍はフランスを寛容な国にしている制度。仏国民とは民族的な概念ではありません。
フランス人であると同時にアルジェリア人や英国人であることはすてきだと考える」
「提案は、教養のある人には、ユダヤ系市民から国籍を奪って迫害したビシー政権を連想させますが、
85%の人は支持している。その意味するところがよくわからないのでしょう」
「テロへの対策としてもばかげています。想像してください。
自爆テロを考える若者が、国籍剥奪を恐れてテロをやめようと思うでしょうか。
逆に、国籍剥奪の法律などをつくれば、反発からテロを促すでしょう」
「私は『新共和国』という言葉を本で使った。中間層が支配する国という意味です。
そこでは、イスラム系に限らず、若者をその経済や社会に包摂できなくなりつつあります」 ――だとすれば日本も共通するところがあります。
移民は少ないが、非正規労働者として他国での移民労働者のような扱いを受ける人はたくさんいます。
いわば一部の国民が戻る祖国のない移民になりつつあるのかもしれません。
「興味深い指摘です。先進国の社会で広がっているのは、不平等、分断という力学。
移民がいなくても、教育などの不平等が同じような状況を生み出しうる」
「それに日本の文化には平等について両義的な部分があります。
戦後、民主的な時代を経験し、だれもが中流と感じてきた一方、人類学者として見ると、
もともと日本の家族制度には不平等と階層化を受け入れる面がある。
民主的に働く要素もあれば、大きな不平等を受け入れる可能性もあります」
――簡単に解けない多くの難題が立ちはだかっているようです。何が今できるのでしょうか。
「この段階で取り組まなければならないのは、虚偽からの脱却です。
お互いにうそをつく人々、自分が何をしようとしているかについてうそをつく社会。
自分を依然として自由、平等、友愛の国という社会。知的な危機です」
「それは本当に起きていることを直視するのを妨げます」 ttp://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1396898238/293-300
全体主義の芽を摘む 強制収容から逃れたボリス・シリュルニクさん
インタビュー 朝日新聞 2015年12月1日
NHK カズオ・イシグロ 文学白熱教室 >――15年前、米同時多発テロが起きたとき、あなたは中東は近代への歴史的な移行期にある、と話し…た。
>イスラム過激派と呼ばれる運動は、その流れへの激しい反動だと。今、起きていることもその表れでしょうか。
>「奇妙なことに、中東について新たな宗教戦争という見方がよく語られます。
>シーア派とスンニ派の戦争だという。だが、これは宗教戦争ではない。
>イスラム圏でも宗教的信仰は薄れつつあり…人々がその代わりになるものを探している中で起きている…」
>「『イスラム国』(IS)もイスラムではありません。彼らはニヒリスト。
>あらゆる価値の否定、死の美化、破壊の意思……。
>宗教的な信仰が解体する中で起きているニヒリズムの現象です
>アラブ世界は国家を建設する力が強くない。
>人類学者としていうと、サウジアラビアやイラクなどの典型的な家族制度では、
>国家より縁戚関係の方が重みを持っています
>今、われわれがISを通して目撃している問題は、
>国家の登場ではなく、国家の解体なのです ttp://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1396898238/283-289
内東湖南「應仁の亂に就て」
>…私が始めて讀んだ時からいつも忘れずに居つた事は「足輕といふ者長く停止せらるべき事」といふ一ヶ條で
>足輕即ち武士サムラヒ以下にある所の歩卒が亂暴をするといふ事に就て非常に憤慨してゐる…
>そして是を取締らないといふと政治が出來んといふ事を言つてゐますが、
>是は即ち貴族階級の人から見た最も痛切な感じであつたに違ひないのであります…
>私は足利時代は亂世である、亂世の時には時々個人の能力あるものが非常に現はれるものであるが、
>足利時代は亂世であるに拘らず一向天才が現はれない、其當時の武士といふものには優れたるものが無く、
>唯だ足輕が數が多いか腕つ節が強いかといふ事に依て無暗に跋扈し、
>さうして勢ひに任せて亂妨狼藉をしてゐたのであります。
>詰り武士がだん/\修養がなくなつて人材が乏しくなり、
>さうして一番階級の下な修養のない腕つ節の強い者が勢ひを得るやうになつて來た…
>此の下剋上の意味を勘違ひして居る人があるやうで…
>下剋上といふことを、足利の下に細川、畠山の管領が跋扈して居り、其細川の下に三好、
>三好の下に松永が跋扈するといふ風に、
>下の者が順々に上を抑へ付けて行くのを下剋上といふやうに考へ(ているようだが…)
>一條禪閤兼良が感じた下剋上はそんな生温いものではありませぬ。
>世の中を一時に暗黒にして了はうといふ程の時代を直接に見て感じた下剋上であるから、
>それは單に足利の下に細川、細川の下に三好といふ風に順々に下の者が跋扈して行くといふやうな、
>そんな生温いことを考へて居つたのではありませぬ。最下級の者があらゆる古來の秩序を破壞する、
>もつと烈しい現象を、もつと/\深刻に考へて下剋上と言つたのである >シーア派とスンニ派の戦争だという。だが、これは宗教戦争ではない。
>イスラム圏でも宗教的信仰は薄れつつあり…人々がその代わりになるものを探している中で起きている…」
>「『イスラム国』(IS)もイスラムではありません。彼らはニヒリスト。
>あらゆる価値の否定、死の美化、破壊の意思……。
>宗教的な信仰が解体する中で起きているニヒリズムの現象です
>さうして一番階級の下な修養のない腕つ節の強い者が勢ひを得るやうになつて來た
>最下級の者があらゆる古來の秩序を破壞する、
>もつと烈しい現象を、もつと/\深刻に考へて下剋上と言つたのである
ttp://digital.asahi.com/articles/DA3S11545435.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11545435
仏テロ、米「深刻な脅威」 朝日新聞 2015年1月11日
>米CNNテレビに出演した米議員は、今回のパリの襲撃事件について
>「14世紀の世界観をもった者たちが、21世紀の武器を手にしている。
>非常に危険な組み合わせだ」と強い警戒感を示した。 戦争は本質的に、双方の経済的な利害対立で生じるもので宗教は後付にすぎない
そして、あらゆるイデオロギーを無くしても民族、集団、コミュニティなどは消滅しない
人類一切を無個性、普遍同一化しない限り争いが無くなることなどありえない 「神の声を聞いた」なんて今で言えば幻聴に過ぎない
本来なら精神科に行くべき人間なのに教えを広めたから世界は精神病にかかった 神の声というのは 無意識の流れから、自然科学的に流れ出たもので会って
精神分析でもうまく聞き取れないだろうな。太古の記憶がない詩人でない家系
の人たちには才能が足りない。永遠にな。 シ ス 〇 − 血統の後継者を男にしたのがイスラムの不幸のはじまりで
クルアーンにはそのような暗唱がもともとなかったと思う。劣化だろうな。
暗唱技術の。
幻と 聴行動 も状態平常テンションでもいくらでもあるだろうし
あるひとには、平凡な人には思えないけど。すべてが。
幻の言うことを言語処理情報処理できない無能な輩が、
世界を遅らせてしまうだろうな。
幻で人を集めているわけではなく 兵隊を敗北させ、離散させるために
幻があるのだから、選別されたユダヤの民の言うことを
善く聞くべきだろう。手短に。逃げれば安全だ。女性優先で。
完成に近づいている、神殿建築ですら悪霊にはてこずるし、イスラムの建築
を過小評価しないことだ。建築士も一級程度じゃ、被害が出るだろう。 >>611
>>神の声というのは 無意識の流れから、自然科学的に流れ出たもの
自然科学
自然における観測可能な対象やプロセスに関する科学あるいは知識
生物学や物理学など。数学のような抽象的知識
哲学のような理論的知識とは区別して用いられる用法
なんですか自然科学的って 定義のことじゃないよ。今の実体経済だよ。よくないのは。 【一神教】(いっしんきょう)名詞 他の神を認めると一神教ではなくなってしまうので他の神は認めない。
つまり異なる権威を排斥する。
一神教における「神の存在証明」は独断によるでたらめなので根拠たりえない。
つまりひたすら「我を信じよ」と叫び続ける。
外には無制限の攻撃、内には信じることの強制。
狂信者の発生頻度が特に高い。常識人に嫌われる所以である。
そして嫌われる要素しかないことがわからない者だけが信者になる。
(→注釈)(→神の存在証明)
(なお、わたしは仏教の大乗運動の発生は「疑似一神教化もどき」と理解している。
狂信者の多い仏教系きちがい宗教は実質的にほぼ一神教と判断してよい)
(「あのんの辞典」より引用) 日本には偏向報道で伝わっているだけで
中東は宗教の教義を理由に戦争していないからね
単なる経済格差による民族紛争
政治的に特定の民族が占めていて他民族を弾圧している
それに対する反発としてイスラム国やアルカイーダみたいなのが出てきてる
それも元々異民族だったり違う領土をヨーロッパの植民地化に伴いヨーロッパ野津後王で国境作ったことが原因
それによって一つの民族が国境で強制的に二分割どころか三分割・四分割されてる。
されに特定の少数民族を軍事支援してヨーロッパよりの政権樹立もしてる。
その反動が今の中東情勢にある。
しかし伝統的に中東は土地が貧しく略奪により生計を立てる山賊文化が国の伝統になっているの事実。
旧約聖書にもユダヤの山賊行為を正当化する文面は多い。
また中東がまとまってオスマントルコのような大きな勢力になっては困る事情がヨーロッパにはある。 日本には偏向報道で伝わっているだけで
中東は宗教の教義を理由に戦争していないからね
単なる経済格差による民族紛争
政治的に特定の民族が占めていて他民族を弾圧している
それに対する反発としてイスラム国やアルカイーダみたいなのが出てきてる
それも元々異民族だったり違う領土をヨーロッパの植民地化に伴いヨーロッパの都合で国境作ったことが原因。
それによって一つの民族が国境で強制的に二分割どころか三分割・四分割されてる。
そして特定の少数民族を軍事支援してヨーロッパよりの政権樹立もしてる。
その反動が今の中東情勢。
しかし伝統的に中東は土地が貧しく略奪により生計を立てる山賊文化が多くの民族の伝統になっているの事実。
旧約聖書にもユダヤの山賊行為を正当化する文面は多い。
また中東がまとまって昔のオスマントルコのような大きな勢力になっては困る事情がヨーロッパにある。
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\ /`ハ ` ̄´`丶| l ...::::::::::/ `ヽ;:.:
\ /、/ ', | ! / ヽ;:.: いま日本は中国が力をつけてきて嫌な思いをしている。
市場や生産拠点としては魅力的でありながら政治的には圧力をかけてくる。
もしイスラムが戦争をやめて一つにまとまりイスラムの超巨大国家が現れたらそれはそれで脅威だろう。
少なくとも石油価格は牛耳られる。
幾らシュール革命が合った問いはいえ中東全てがまとまればアメリカ国内の需要だけで消え世界的には対抗できないだろう。
一神教とは関係なく他の経済圏が正常に成長したら日本など先進国でいられない。
経済破綻をしてギリシャやスペインのような失業率が20%30%といった状況に追い込まれる。 カネモチのバカでかい庭にすんでるムレスみたいになちゃうのか!?ッ 「もし神が悪を妨げる意思はあっても力が無いなら全能ではない。
力はあるが意思が無いなら邪神である。力も意思もあるなら悪はどこから来るのだろう。
力も意思もないなら、なぜ神と呼べるのだろう」 エピクロス 『神との対話』シリーズの神。
どこか特定の宗教だけの神ではなく、
世の多くの宗教にインスピレーションを与えてきた普遍的な唯一の神。
思索的な哲学書として読んでも面白い書物だと思います。
イエスの事も「イエスは最高のマスター(師)の例だが、イエスだけが聖者・マスターではない」と。
今回は宗教や格式を超えて、愛を持って気さくな形で人類に語りかけてきてくれた。
この愛の神を本当に信じ、心に受け入れれば、本当に世界の観方と経験が変わると思います。
《10分ほどで読めて分かる『神との対話』》
https://conversationswithgod.wixsite.com/kamitonotaiwa-matome
>>622
自然界に有るのは調和かそうでないかだけである
善悪などというものは自然の摂理から逸脱した人間独自の概念でしかない
人間にとっては知恵というものが決定的に害悪だった
自然界の法則と人間のやってることを比較すれば分かるだろう
もはや人類に知恵を捨てることは適わないなら
死滅する以外に道はない とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
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