>>166
>論理が飛んでいるので

いつも逃げの言葉を最初に持ってくるんだねw
別に構わないが。

>そんなことは知っている
>当然知っている

哲学が言葉である(言葉に過ぎない)ということは理解してるんだね?

それなら、僕が>>160に書いた「言葉によらない(エポケーという)態度や(精神の共通性のような)超越論的主観性を設定するフッサールとは無関係だし、真逆ということになる」ということも理解できるんじゃないか?
ヴィトゲンシュタインは、哲学は言葉に過ぎないと指摘している。
フッサールは、哲学は言葉ではないものを哲学にしようとした。

>ヴィトゲンは「私」の問題については、フッサールよりはずっと優れた視点を持っている
>ヴィトゲンはフッサールのように、超越論的自我を設定してしまわないという点で

君は、>>123>>133でこう書いた。
つまり、ヴィトゲンシュタインとフッサールの「私」を、同類の「私」としてとらえているわけだ。

>俺がヴィトゲンとフッサールを同類と理解している、と誤解

だから、君が二人を同類としてみているというのは、僕の誤解ではないのだ。