フッサールについて語ってくれ [無断転載禁止]©2ch.net
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>>200
>君にとって、哲学とは何だ?
言葉の遊びだ。
その点はヴィトゲンシュタインと同じだ。
フォイエルバッハとヴィトゲンシュタインによって、哲学は現実の解明に解体、移行した。
>これは当たり前のことだぞ
当たり前ではないから、ヴィトゲンシュタインは言葉の遊びだとして哲学を解体した。
永井はその哲学をヴィトゲンシュタインの中で復活させるという、おかしなことをやっている。
その他のことは、君がヴィトゲンシュタインに興味を持ってからにしよう。 >>201
フッサールのことなので、ひとつだけ。
>純粋自我を肉体的な特性として理解していない
それだとフッサールは幽霊の存在を認めていることになるw 元をたどると、
俺が、191さんの、超越論的自我と本質直観の問題にたいして、レスしていた
だけのところに、
いきなり別人だとも名乗ることもなく(それが失礼だが)、
その文脈でFWがレスしてきたってだけだな。
フォイエルバッハだのヴィトゲンだの
あげて、まあ哲学の不毛性をいいたいだけなのだろうが。
ヴィトゲンの件も、もともとは、フッサールの私の把握と、ヴィトゲンの私の把握
の違いで、ヴィトゲンのアプローチのほうが共感できるってだけのコメントだったが。
そりゃあ、純粋自我が問題だったからね。
かみついてきたうえに、
まったく今は関係のない言語ゲームの話にどうももっていきたがっているように見える。 >>202
>言葉の遊びだ。
じゃあ勝手に遊んでおけ。俺は相手にしきれんが。
>永井はその哲学をヴィトゲンシュタインの中で復活させるという、おかしなことをやっている。
君は遊んでおけばよろしい。
>それだとフッサールは幽霊の存在を認めていることになるw
それはまた、えらく飛躍のある論理展開だ。
どうして、幽霊がいきなりでてくるの? 肉体に依存しない純粋な私と、
幽霊との関係性は? フッサールは幽霊をどう定義しているの?
フッサールが幽霊について言及していないなら、どのようにしてつながるの?w >>205
>フッサールは、純粋自我は死なない、と述べている。
>肉体と同時に死ぬようなものではない。
>肉体に依存しない純粋な私
これが幽霊じゃなくてなんなんだよw
君としては、二人を相手にしたので集中できなかったのかも知れない。
気の毒になってきたから、もうやめる。 デカルトの「超越論的主観(コギト)」が純粋な“精神”であるという論理から、“心身二元論”が創出しており、
哲学はデカルト以来ヨ−ロッパに於いて「主客の一致」はあるのかという重大な『謎』が提出されてきた。
ここから、バ−クリ−やヒュ−ムの徹底的独我論(世界の現実存在の想定は、まったく無根拠)のような考えや、またこれに対抗して
カントの「物自体(世界それ自体は人間には認識できない)」などの議論が現れた。
上記の問題点は、デカルトが超越論的主観(コギト)を“純粋な精神だけが主観を構成する”と定義したからであり、
この“純粋な精神である主観”を基底とすることにより、心身二元論が創出している。
これからの哲学の方向として、超越論的主観(コギト)が“心身合一”したものとして存在しているという論理は、
メルロ=ポンティの「精神と物質、あるいは、心と体は二つの異質な実体ではなく、むしろ二つ異なった水準の“ゲシュタルト”に
他ならない。」と述べている様に、 思惟・思考する以前に、我々の“心と体”は“心身合一”したものである訳です。
この様な存在への捉え方は、ハイデガ−に於ける「現存在」の概念にも見られる。 とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
WOGS0 近代哲学の父といわれるデカルトから始まる“心身二元論”が、いろいろな意味において、
現代の民主主義の理念、そして、機械論的世界観から現代科学の基盤となっている論理実証主義を創出し、
今日の物質的科学文明へと至っている。
フッサ−ルは、デカルト哲学を真摯に継承し、深く論究して新しい現象学を確立した。そして、デカルト哲学の
良い面と悪い面の分析の中から、『ヨ−ロッパ諸学の危機と超越論的現象学』を著し、西洋文明に警鐘を鳴らしている。 3月からコメント無しなのか。2ちゃん、ごちゃんか、も廃れたな。 心身といってもルーツが違うから、合一という感覚的なものでもないと思うが。 二元だけなのかな?それでは構造が簡単すぎるでしょう。 そもその人間と言ったら肉体も継ぎ物で分割されるが、心は一単位の様な気がして
心身と合わせるのにはどうも抵抗があるな。 独我論とちか世界を認識でいないとかくらいネガティヴな議論が続くけど、
外部の知覚が人間に発生している以上どうしても人間は世界を認識できそうだぞ
ということになってくると思う。 外部他社の認識を人間は使っているのであってそれを、重ねて
人間は表象し合うのではないですか? 人が認識されなければ世界はないのだから、人の認識が世界なんだろ? >>217
客観的な世界は人がいてもいなくても存在するよw 1(ひと)が認識されなければ世界はないのだから、1(ひと)の認識が世界なんだろ? >>219
その人にとってはねw
主観と客観を混同してる。 >その人にとってはねw
1(ひと)の認識の前に1(ひと)を想定して、その1(ひと)が1(ひと)を認識する
と考えて、それを主観と呼ぶのは、1(ひと)が認識される前に1(ひと)が既に
認識されているとする矛盾ですよ? >>221
バカだねえ・・・
存在は本質に先立つ。
これがすべてだよ。 To recognize one is the world itself >>223
ほんとにバカだねえ・・・
英語で書けば真実になるなら、英米人のいうことはみんな正しくなるw
One recognition forms one subjectivity within the recognized range.
Even if expressed in the word "world", it is simply expressing subjectivity by the word "world". How one is recognized is how the world is. >>224
悪いが英単語を使っているだけで英語になっていない The world changes in accordance with how one is recognized. 学校の英作文でいい点数をもらって勘違いしたまま大人になってしまったのだろうか。 英語のネイティブが決して書かないような奇妙な英語を書くにしても、
やはりそれなりの技法が必要なのだ。 >>224
ゲンロン芸人が英語で作文をするとそういう英文もどきが出来上がる。
批判的な立場からであっても、英語のネイティブがクリシェやバナリティではない
英文で反論するのなら大いに歓迎するけどね。 >>226
それは申し訳ない。
じゃあ、英語で書くのはやめとくよw >>225
それは認識の問題であって、世界の問題ではない。
>>227
目の前にあるコップに動けと念じると、コップが動くとでも?
頭おかしいだろw >>230
日本の5chなんだから、英語のネイティブはめったにいないだろ?
なにを期待してるんだよ?w
あたま大丈夫か? フッサールの説明で、「カッコに入れる」て表現使うやつの解説は信じてない >>234
いい説明だと思うけどな。
エポケーなんてそんなもんだろ。 >>234
あー、なんかわかる気がする
判断保留でいいのにな。
というか、最初にそう表現した人の表現をまんま思考停止して使ってる感じは哲学放棄みたいな感じだしな >>236
判断保留というのは、哲学も一時放棄しないとダメだろ。
ただし、捨て去るのではなく、横に置いておく。
「カッコに入れる」というのは、適切な説明だと思うけどな。 例えば
・地球は丸い
という命題があったとしてエポケーはそれを
・(地球は丸い)と我々は思っている
・注意深い観察に基づけば(地球は丸い)ものとして我々に現れる
のように無条件に断定されない命題として捉えておく
みたいなことだと思っている >>238
「地球は丸い」というのは現象ではなく、知識だから、エポケーの例としてはふさわしくないかも知れない。 基礎付けできなかったのだから現象学は失敗だったのにいまだに影響力があるのはなぜですか フッサールの希望した状況が、「根源を見つけること」であるなら
たしかにそれが達成されることは、今後も無いだろう
しかしそれでも、およそ他の学問に影響を持ちえる"哲学”は現象学だけだ
概念分析やら科学哲学なんかは、科学に対して全く影響力が無い
可能性すら無い
もちろん、それら自体は学問であって、十分に面白いわけだが >>242
他の学問というのは自然科学のこと?
どんな影響を与えているの?
社会科学系なら、ヘーゲルやマルクスは多大な影響を与えていると思うけど。 自然科学だよ
科学によって圧倒的に構成されてしまう『世界』に対して
それを根底から批判できるのは、哲学ではいまのところ現象学だけだから >>245
実際に批判されているかどうかについては、私は知らない
まあ、ほとんどされていないだろ >>247
たとえば>>238がぶつぶつ言ってるけど
現象学は、「地球は丸い」ことの是非について語るわけではない
現象学は、「意識に於いて地球はどのように現象しているのか」
を「批判」するもの
現代の教養人は「電流は電子の流れ」であることを悩んだりしない
理由は2つ
一つは、とりあえずそこを踏まえないと前に進めないから
もう一つは、「理解すること」が世界を構成する源泉であるために
理解する人は、理解されたことをもはや疑う気にならないから
フッサールは、そもそも物理学を修め、それでも尚、自分の見た景色はしかし
「世界の本当ではない」ことが見えた人間なのだ
そもそも電流とは何か、電子とは何か
電流とは電流というシンボルを巡る諸々から構成された「謎のX」につける仮の名前
これがこのように意識に現れるの理由は謎であって、未だ必然ではない
その謎を必然とするために、「自明であると思われることに批判を加える手段」として
フッサールが建設したのが現象学
お尋ねの「批判できると思う根拠」はね
電子とか電波とか重力とか
そういうものが「実体としてある」ことが、そもそも主観的現象であることは
現象学によって批判的、学的に自覚することが可能だからだ
なぜそんなものを自覚する必要があるのか
そういう自覚がなければ我々は、ただバーチャルに浮かんでいるだけの存在になるから >>248
言っちゃなんだが、それだとただの心理学じゃない?
客観的な存在が主観によって左右されるとするなら、オカルトだし。
前者がメルロ=ポンティで、後者がハイデガー・・・ >>249
その「前者」とは何を指しているのかね? >>250
「ただの心理学」
いくらなんでも、そのくらいの日本語は理解して欲しいと思うが。 そもそも心理学というのは
心に起因する被験者の振る舞いまたは報告内容を、
世界の中の出来事の一つとして扱い、分類または解釈する
そのような学問だろ
現象学というのは、そのような心理学が、人間に発生するのはそもそもいかなる事態なのか
を吟味する行為
ただの心理学ではないだろ 客観的な存在>>249と君は言うが
たとえば君は電子という実体が客観的に存在すると思っているのかね >>252
心理学というのは、あらゆる対象と個人との心理的な関係を解明しようとする学問。
その対象には、物質的な存在だけではなく、自分自身の心や共同性としての心も含まれる。
心を追究する自分の心自体の揺れを含めて、対象と人間の関係を追究したのがメルロ=ポンティ。 >>253
違うというなら、ハイデガーの「存在」概念を明示してみてくれ。 >>254
電子であれ、クォークであれ、なにごとかの客観的存在であって、人間の心が生み出したものではない。 >>255
だから、それらを「世界の中の出来事の一つとして」扱っているわけだろ
それをフッサールは、自然主義的な世界定立と批判するわけだ
現象学というのは、心理学に於けるような諸々の意味が構成される場面に立ち会う
その努力というか、態度変更のことだろ >>257
何も無いところから心が電子生み出した、などとは現象学といえども言わないわけだ
こういうことだ
電子を直接に見た人間などいない、いないが
雷のような自然現象と、プラスチックをこするとほこりを吸着する現象
これら関係ない現象が、電荷という仮想実体を想定することで合理的に連結される
さらに電荷の”正体”は何か、と人間は考える
だが、実際にあるのは、観測され得る現象相互間の関数的な関係だけ、だ
そこから先は、人間がどうしようもなく作ってしまった虚構
ならばその虚構の構造を批判しましょう、とそういうことだよ >>258
>自然主義的な世界定立と批判
それ以外に世界を設定するなら、それはオカルト。
>諸々の意味が構成される場面に立ち会うその努力というか、態度変更
そんなことは優秀な学者や知識人は皆やってる。
メルロ=ポンティの場合は、さらにその前提となる自分自身の心理の揺れを客観的に捉えようとした。
いずれにしても、客観的存在の自然性を前提にしない限り、それはオカルトだ。 >>259
見えない現象でも、可視化されてきているのが現代の自然科学。
虚構に陥るのは、人間の主観と自然的な客観を混同するオカルト的な精神による。 ハイデガーの「存在」概念
人間(現存在)が、「存在者が存在者としてあることがいかなることであるか」と問うことは
存在者と存在者ならざる『存在』との間に差異を見ている(存在論的差異)
これのことか
何がオカルトなのかね >>260
君の言う「オカルト」の意味がよく分からない >>261
可視化されるのは、どうしてだと思う?
それは、「現象を細工しているから』だろ >>262-263
どう見てもオカルトだろ。
「存在」という存在しないものを設定してるだけなんだから。
オカルトというのは、人間の想像(思考)に過ぎないものを実在として見てしまうこと。 >>264
加工ではなく、いわばただの拡大と捕捉だ。 >>265
それは単に君が、自分の気に入るものだけが存在すると思っている
それだけのことだよ
ためしてみるか?
君の言うように、人間の思考に過ぎないものを実在として見てしまうことがオカルトだ、として
では「エネルギーは実在する」と言ったらオカルトなのかね >>266
電子をどうやって拡大するのかね?
回折か?イオン化作用か?光電効果か?
所詮は、現象に合うような虚構を構成してるだけなんだよ >>267
エネルギーは実在するに決まってるだろw
電子は捕捉できるしw
自然科学系にこれほど無知なのは、よほどの老人だからだろうな。
さすがにフッサールが気の毒になってきた。 >>269
君は、頭上を飛んでいる飛行機の位置エネルギーが見えるのかね >>270
飛行機は見えるよ?
あなたには、1+1 が見えるの? >>271
飛行機は私にも見える
いまは、エネルギーの話をしているのだ
君には位置エネルギーが見えるのか、と聞いているのだよ >>272
エネルギーをみえるとか見えないとか、質問が質問になっていない。
飛行機の位置や質量を、位置エネルギーと表現している。
順序が逆。
だからあなたには、1+1 が見えるのか、と指摘した。 >>273
>飛行機の位置や質量を、位置エネルギーと表現している。
ちなみに君それ、まるで分かってない
位置エネルギーはポテンシャルエネルギーだから
その意味は、作用(力)に微分距離を乗じたものを距離で積分したものだ
もちろん、「場」という潜在的作用の空間を想定した場合の話だ
mghの場合は、力が不変の場に於いて、作用がmgで、距離がhな
>あなたには、1+1 が見えるのか、
私は、「1+1」という字は見えるし、意味も分かる
「実在する1+1そのもの」は私には見えない
君には見えるのかね?
なんだかちっとも進まないな
エネルギーが見えるか見えないか
それを答えてくれればよいだけなのだが
何をびくついているのかね
つまりな
君は、いかなることをもってそれを「実在する」ことの根拠にしているのか
それを明確にしてもらえればよいわけだ >>274
それが、飛行機の位置や質量を、位置エネルギーと表現しているということだよw
要するに、実在を抽象化した時の表現のしかただ。
1+1も同じで、見えるとか見えないとかの問題ではなく、実在を抽象概念でとらえた時の表現のしかた。
自然科学というのは、実在を前提としてそれを抽象化する。
抽象のしかたが適切であれば、抽象化した概念同士の中で、論理化することができる。
抽象化が不適切であれば、論理の破綻をきたす。
言葉が実在になるのではなく、実在が言葉になるのだ。
もちろん、言葉はその言葉だけでいくらでもでたらめな表現ができるが、それは言葉の抽象のしかたがおかしいからだ。
卵を石と表現することが可能でも、言葉としての意味を成立させない。
一方で、それが言葉である以上は、でたらめであろうと、卵とか石とかいう実在を根拠にしている。
自然科学系の学問では、その言葉(記号)の定義を厳密にするから、卵が石になることはない。
卵も石も、抽象化すれば、どちらも1と表現することができる。
それが1+1が成立する根拠だ。
繰り返すが、エネルギーは見るものではなく、捕捉するものだ。
エネルギーを見る、というのは言葉の誤用に過ぎない。 >>275
>エネルギーは見るものではなく、捕捉するものだ。
おお、そうなのか、「捕捉」な
エネルギーを捕捉するとは、どういうことを言うのかね? >自然科学というのは、実在を前提としてそれを抽象化する。
>抽象のしかたが適切であれば、抽象化した概念同士の中で、論理化することができる。
>抽象化が不適切であれば、論理の破綻をきたす。
実在が前提とされた概念は、論理が破綻しなければ、それは実在するとしてもよい、と
そういうことを言いたいのかね? >言葉が実在になるのではなく、実在が言葉になるのだ。
それは君がそう信じているだけであってな
論理的な根拠など無いよ
たとえばダークマターは実在するか? >>276
エネルギーを捕捉しなければ、あなたのパソコンもスマホもただの文鎮だ。 >>277
それ、言葉の循環だよw
実在が前提とされた概念のもとは実在するに決まってるだろ? >>278
なにか実在するものをダークマターと名付けている。
まだ内容が解明されていないだけ。
重力もまだ内容は解明されていないが、あなただって椅子の上から転げ落ちることがあるだろ? >>279
なんだ、答えられないのかね
分からないなら分からないと言えば良い
>>280
アホみたいに循環させてるのは君なのだよ
もし「実在を前提ととされた概念のもとは実在する」なら
実在するかどうかは、人間の想像(思考)次第ってことになるだろ
君の言う「オカルト」だな
>>281
ダークマターが実在するかどうかは不明だよ
諸現象の辻褄を合わせるためにとりあえずでっち上げてるだけだ
19世紀まで、熱素も十分な科学的整合性をもって実在が前提とされていたが
今や影も形もない
ニュートンのプリンキピアにはエネルギーなどという概念は無い
つまり力学にとってエネルギー概念は絶対に必要不可欠というわけではない
ただしエネルギーを導入した方が理論が圧倒的にスマートになる
君は何にも知らないようだな
どうして私に絡もうなんて思ったのかね 私はハイデガーの著作を読んだことは無いのだが(『存在と時間』は持ってるけどね)、
>>262の存在論的差異は、ちょっと見ただけで「当然のことだな」と思ったよ
時計は時間を計るものだが、時間ではない
しかし時間を想定することはオカルトではない
体重計は重さを計るものだが、重さではない
存在者は「存在している」のだが、存在ではない
では存在者としてあることはどういうことか
そして存在するとはいかなることなのか
そう考えるのは自然なことだよな >>282
答えているのが理解できないの?
人間がいなければなにも存在しないといってるのは、あなただよ?
なにかが実在してるから、抽象の結果に影響が出る。
自然科学に疎すぎないか? >>283
ハイデガーの「存在」概念は、モーセが聞いた「わたしはあるというものだ」という言葉からきている。
その言葉を突き詰めようとした。
神学的な議論抜きに考えるのは無意味。
ハイデガーが取り上げようと考えた「時間」も同じ。 ハイデガーの存在論で第一義的に問題になるのは
人間の存在であって神の存在ではないだろう >>286
違うよ。
でもここはフッサールスレだから、これ以上はハイデガースレへ。 >>284
>人間がいなければなにも存在しないといってるのは、あなただよ?
私がそれを言った箇所を引用してくれ給え
『実在が前提とされた概念のもとは実在するに決まってるだろ?』
と言ったのは君だよ>>284
>なにかが実在してるから、抽象の結果に影響が出る。
根拠が無い
君は抽象とか捕捉とか、ぼんやりしたことしか言えないようだな
>自然科学に疎すぎないか?
私はエネルギー管理士の免状持ってるけど
君は? >>285
>ハイデガーの「存在」概念は、モーセが聞いた「わたしはあるというものだ」という言葉からきている。
根拠は? >>288
あなたは、実在を前提としない概念が成立するといってるのだから、人間がいなければなにも存在しないといってるのと同じこと。
実在がなければ、思考だけを勝手にいじってるだけ。
卵を石と名付けるような、まったくの無意味。
エネルギー管理士?
省エネ促進のための?
科学と関係があるのか? >>289
「存在と時間」や「現象学の根本問題」を読めばわかる、としかいいようがないな。
わからなければそれまでだ。
もちろん、聖書は必須だが。 >>290
>実在を前提としない概念が成立するといってるのだから、人間がいなければなにも存在しないといってるのと同じこと。
君は頭も悪いね
「実在を前提としない概念が成立する」ことと
「人間がいなければ何も存在しないこと」は
同じではない(むしろ全く関係が無い)
「Aを前提とせずにBが成り立つ」というのは
Bの成立のためにはAは無関係である、ということ
つまり、概念成立の条件としてそれが実在するかどうかは無関係である
そういうことだ
自然科学は「思考を勝手にいじるだけ」にはならない
現象、つまり観察事実との照合によってテストされるわけだが
この観察事実は理論を前提とする(理論負荷性)
不可分のパッケージとなるわけだ
君は私に対して「自然科学に疎い」と言えるだけの学力あるの? >>291
いきなり「ハイデガーはオカルトだ」と言い出したのは君であってな
君は、私を説得できないのだから、その程度の理解だということだよ
>>283にまともに反論できないだろ? >>292
>現象、つまり観察事実との照合によってテストされる
これ、僕が言ってる実在をもとにした抽象ということだよ?
意見に差異がないなら、それはそれでいいんだが?
>存在者は「存在している」のだが、存在ではない
>では存在者としてあることはどういうことか
これが無意味な問いだといってるんだよ?
存在者というのは、実在という言葉の言いかえに過ぎないから、存在という言葉を使ったからといって、「存在」一般が生じるわけではない。
それは、ただの言葉。
「わたしはあるというものだ」からきた発想であることは明白だよ。 >>294
それ抽象とは言わないでしょ
普通はね
君の言語感覚は雑ではなかろうかね
>存在者というのは、実在という言葉の言いかえに過ぎない
おお、そうなのか
ところで存在者は存在するわけだよな?(それとも存在しない?)
で、存在者は実在の言いかえに過ぎない、と
そうすると君は、「実在は存在する」と言ってることになるね
しかし「存在」は存在しないと、それを言ったらオカルトだよと
んー
まことにポンコツな話だよね
あなたは多分ね、中学・高校で国語の成績が悪かったのではないかな
でも自分の回答が間違っていたとは信じていない
違ってたらごめんなさいね
ちなみに「存在者」の意味は「存在するもの」だよ、当たり前でしょ
でもそこにおいて、実在との関係は度外視されている
(そもそも、ある概念がどうであればそれが実在するか、は人間には分からない)
ちなみにこの段階では、存在とは何か、についても棚上げだけどね
存在と存在者の区別、これはハイデガーよりはるか以前、アリストテレスからの
伝統らしいわ >>295
1+1 というのは、数えられるものを数として抽象した結果だよ?
他に適切な言葉があるのかな?
「存在者」は存在する。
「存在」は存在しない。
繰り返すが、言葉があるからといってそれが実在(存在)するわけではない。
サルトルは明確に言っているね。 >>296
存在者は実在する
存在者は実在の言いかえに過ぎない
とすると
「実在」は存在するの? ちなみに
>>262の「存在論的差異」だけど
「存在」が存在する、とは全く言ってないよね
これは藁人形論法ですよ
あなたは哲学に向いてないのじゃない? >>297
実在が存在するというのは同義反復。
「存在」一般は存在しない。
つまり、実在=存在。
もちろん実在というのはものに限らず、精神の動き、様々な関係等を含む。 >>298
ハイデガーの「存在と時間」は、まさに「存在」一般を究明する試み。 >1+1 というのは、数えられるものを数として抽象した結果だよ?
1+1が好きなんですね
あなたにとってそれは「存在者」なんですか? >>301
「存在者」を抽象して数字にした、と何回も書いてる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています