フッサールについて語ってくれ [無断転載禁止]©2ch.net
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>>269
君は、頭上を飛んでいる飛行機の位置エネルギーが見えるのかね >>270
飛行機は見えるよ?
あなたには、1+1 が見えるの? >>271
飛行機は私にも見える
いまは、エネルギーの話をしているのだ
君には位置エネルギーが見えるのか、と聞いているのだよ >>272
エネルギーをみえるとか見えないとか、質問が質問になっていない。
飛行機の位置や質量を、位置エネルギーと表現している。
順序が逆。
だからあなたには、1+1 が見えるのか、と指摘した。 >>273
>飛行機の位置や質量を、位置エネルギーと表現している。
ちなみに君それ、まるで分かってない
位置エネルギーはポテンシャルエネルギーだから
その意味は、作用(力)に微分距離を乗じたものを距離で積分したものだ
もちろん、「場」という潜在的作用の空間を想定した場合の話だ
mghの場合は、力が不変の場に於いて、作用がmgで、距離がhな
>あなたには、1+1 が見えるのか、
私は、「1+1」という字は見えるし、意味も分かる
「実在する1+1そのもの」は私には見えない
君には見えるのかね?
なんだかちっとも進まないな
エネルギーが見えるか見えないか
それを答えてくれればよいだけなのだが
何をびくついているのかね
つまりな
君は、いかなることをもってそれを「実在する」ことの根拠にしているのか
それを明確にしてもらえればよいわけだ >>274
それが、飛行機の位置や質量を、位置エネルギーと表現しているということだよw
要するに、実在を抽象化した時の表現のしかただ。
1+1も同じで、見えるとか見えないとかの問題ではなく、実在を抽象概念でとらえた時の表現のしかた。
自然科学というのは、実在を前提としてそれを抽象化する。
抽象のしかたが適切であれば、抽象化した概念同士の中で、論理化することができる。
抽象化が不適切であれば、論理の破綻をきたす。
言葉が実在になるのではなく、実在が言葉になるのだ。
もちろん、言葉はその言葉だけでいくらでもでたらめな表現ができるが、それは言葉の抽象のしかたがおかしいからだ。
卵を石と表現することが可能でも、言葉としての意味を成立させない。
一方で、それが言葉である以上は、でたらめであろうと、卵とか石とかいう実在を根拠にしている。
自然科学系の学問では、その言葉(記号)の定義を厳密にするから、卵が石になることはない。
卵も石も、抽象化すれば、どちらも1と表現することができる。
それが1+1が成立する根拠だ。
繰り返すが、エネルギーは見るものではなく、捕捉するものだ。
エネルギーを見る、というのは言葉の誤用に過ぎない。 >>275
>エネルギーは見るものではなく、捕捉するものだ。
おお、そうなのか、「捕捉」な
エネルギーを捕捉するとは、どういうことを言うのかね? >自然科学というのは、実在を前提としてそれを抽象化する。
>抽象のしかたが適切であれば、抽象化した概念同士の中で、論理化することができる。
>抽象化が不適切であれば、論理の破綻をきたす。
実在が前提とされた概念は、論理が破綻しなければ、それは実在するとしてもよい、と
そういうことを言いたいのかね? >言葉が実在になるのではなく、実在が言葉になるのだ。
それは君がそう信じているだけであってな
論理的な根拠など無いよ
たとえばダークマターは実在するか? >>276
エネルギーを捕捉しなければ、あなたのパソコンもスマホもただの文鎮だ。 >>277
それ、言葉の循環だよw
実在が前提とされた概念のもとは実在するに決まってるだろ? >>278
なにか実在するものをダークマターと名付けている。
まだ内容が解明されていないだけ。
重力もまだ内容は解明されていないが、あなただって椅子の上から転げ落ちることがあるだろ? >>279
なんだ、答えられないのかね
分からないなら分からないと言えば良い
>>280
アホみたいに循環させてるのは君なのだよ
もし「実在を前提ととされた概念のもとは実在する」なら
実在するかどうかは、人間の想像(思考)次第ってことになるだろ
君の言う「オカルト」だな
>>281
ダークマターが実在するかどうかは不明だよ
諸現象の辻褄を合わせるためにとりあえずでっち上げてるだけだ
19世紀まで、熱素も十分な科学的整合性をもって実在が前提とされていたが
今や影も形もない
ニュートンのプリンキピアにはエネルギーなどという概念は無い
つまり力学にとってエネルギー概念は絶対に必要不可欠というわけではない
ただしエネルギーを導入した方が理論が圧倒的にスマートになる
君は何にも知らないようだな
どうして私に絡もうなんて思ったのかね 私はハイデガーの著作を読んだことは無いのだが(『存在と時間』は持ってるけどね)、
>>262の存在論的差異は、ちょっと見ただけで「当然のことだな」と思ったよ
時計は時間を計るものだが、時間ではない
しかし時間を想定することはオカルトではない
体重計は重さを計るものだが、重さではない
存在者は「存在している」のだが、存在ではない
では存在者としてあることはどういうことか
そして存在するとはいかなることなのか
そう考えるのは自然なことだよな >>282
答えているのが理解できないの?
人間がいなければなにも存在しないといってるのは、あなただよ?
なにかが実在してるから、抽象の結果に影響が出る。
自然科学に疎すぎないか? >>283
ハイデガーの「存在」概念は、モーセが聞いた「わたしはあるというものだ」という言葉からきている。
その言葉を突き詰めようとした。
神学的な議論抜きに考えるのは無意味。
ハイデガーが取り上げようと考えた「時間」も同じ。 ハイデガーの存在論で第一義的に問題になるのは
人間の存在であって神の存在ではないだろう >>286
違うよ。
でもここはフッサールスレだから、これ以上はハイデガースレへ。 >>284
>人間がいなければなにも存在しないといってるのは、あなただよ?
私がそれを言った箇所を引用してくれ給え
『実在が前提とされた概念のもとは実在するに決まってるだろ?』
と言ったのは君だよ>>284
>なにかが実在してるから、抽象の結果に影響が出る。
根拠が無い
君は抽象とか捕捉とか、ぼんやりしたことしか言えないようだな
>自然科学に疎すぎないか?
私はエネルギー管理士の免状持ってるけど
君は? >>285
>ハイデガーの「存在」概念は、モーセが聞いた「わたしはあるというものだ」という言葉からきている。
根拠は? >>288
あなたは、実在を前提としない概念が成立するといってるのだから、人間がいなければなにも存在しないといってるのと同じこと。
実在がなければ、思考だけを勝手にいじってるだけ。
卵を石と名付けるような、まったくの無意味。
エネルギー管理士?
省エネ促進のための?
科学と関係があるのか? >>289
「存在と時間」や「現象学の根本問題」を読めばわかる、としかいいようがないな。
わからなければそれまでだ。
もちろん、聖書は必須だが。 >>290
>実在を前提としない概念が成立するといってるのだから、人間がいなければなにも存在しないといってるのと同じこと。
君は頭も悪いね
「実在を前提としない概念が成立する」ことと
「人間がいなければ何も存在しないこと」は
同じではない(むしろ全く関係が無い)
「Aを前提とせずにBが成り立つ」というのは
Bの成立のためにはAは無関係である、ということ
つまり、概念成立の条件としてそれが実在するかどうかは無関係である
そういうことだ
自然科学は「思考を勝手にいじるだけ」にはならない
現象、つまり観察事実との照合によってテストされるわけだが
この観察事実は理論を前提とする(理論負荷性)
不可分のパッケージとなるわけだ
君は私に対して「自然科学に疎い」と言えるだけの学力あるの? >>291
いきなり「ハイデガーはオカルトだ」と言い出したのは君であってな
君は、私を説得できないのだから、その程度の理解だということだよ
>>283にまともに反論できないだろ? >>292
>現象、つまり観察事実との照合によってテストされる
これ、僕が言ってる実在をもとにした抽象ということだよ?
意見に差異がないなら、それはそれでいいんだが?
>存在者は「存在している」のだが、存在ではない
>では存在者としてあることはどういうことか
これが無意味な問いだといってるんだよ?
存在者というのは、実在という言葉の言いかえに過ぎないから、存在という言葉を使ったからといって、「存在」一般が生じるわけではない。
それは、ただの言葉。
「わたしはあるというものだ」からきた発想であることは明白だよ。 >>294
それ抽象とは言わないでしょ
普通はね
君の言語感覚は雑ではなかろうかね
>存在者というのは、実在という言葉の言いかえに過ぎない
おお、そうなのか
ところで存在者は存在するわけだよな?(それとも存在しない?)
で、存在者は実在の言いかえに過ぎない、と
そうすると君は、「実在は存在する」と言ってることになるね
しかし「存在」は存在しないと、それを言ったらオカルトだよと
んー
まことにポンコツな話だよね
あなたは多分ね、中学・高校で国語の成績が悪かったのではないかな
でも自分の回答が間違っていたとは信じていない
違ってたらごめんなさいね
ちなみに「存在者」の意味は「存在するもの」だよ、当たり前でしょ
でもそこにおいて、実在との関係は度外視されている
(そもそも、ある概念がどうであればそれが実在するか、は人間には分からない)
ちなみにこの段階では、存在とは何か、についても棚上げだけどね
存在と存在者の区別、これはハイデガーよりはるか以前、アリストテレスからの
伝統らしいわ >>295
1+1 というのは、数えられるものを数として抽象した結果だよ?
他に適切な言葉があるのかな?
「存在者」は存在する。
「存在」は存在しない。
繰り返すが、言葉があるからといってそれが実在(存在)するわけではない。
サルトルは明確に言っているね。 >>296
存在者は実在する
存在者は実在の言いかえに過ぎない
とすると
「実在」は存在するの? ちなみに
>>262の「存在論的差異」だけど
「存在」が存在する、とは全く言ってないよね
これは藁人形論法ですよ
あなたは哲学に向いてないのじゃない? >>297
実在が存在するというのは同義反復。
「存在」一般は存在しない。
つまり、実在=存在。
もちろん実在というのはものに限らず、精神の動き、様々な関係等を含む。 >>298
ハイデガーの「存在と時間」は、まさに「存在」一般を究明する試み。 >1+1 というのは、数えられるものを数として抽象した結果だよ?
1+1が好きなんですね
あなたにとってそれは「存在者」なんですか? >>301
「存在者」を抽象して数字にした、と何回も書いてる。 >>300
>ハイデガーの「存在と時間」は、まさに「存在」一般を究明する試み。
それで良いではないですか
結局ね
存在が当たり前と思っているか、そうは思っていないのか
という問題意識、哲学的態度の差ですよ >>302
あなたにとって「抽象された数」は実在するものなのですか? >>303
実在しないものを存在させようとするから、オカルトだといっている。 >>299
>実在が存在するというのは同義反復。
だとしたら「存在者」は「実在」の言いかえではないよね
「存在者」は存在する、も同義反復?
>「存在」一般は存在しない。
「存在者」のようには存在しない、というだけですよ
>つまり、実在=存在。
それだと結局、「存在者=存在」という
素朴で非哲学的なオチですよ >>304
それも何回も書いた。
実在が根底にある抽象された概念。 >>305
>実在しないものを存在させようとするから、オカルトだといっている。
ある概念が実在するかどうかを、あなたはどうやって判断するのですか >>306
「存在者」は存在するも同義反復。
実在=存在者=存在。
ただし、ハイデガーの「存在者」は、精神や関係などを含まない小さな概念。
素朴であろうと複雑であろうと、オカルトは哲学にならない。 >>308
また繰り返しw
概念とは、実在を根底に置き、実在を抽象したもの。 >>310
抽象が実在するのではなく、実在は抽象することができる。 >>309
>実在=存在者=存在。
それならそれでもいいけど
「実在が根底にある抽象された概念」を考えることは
どうしてオカルトにならないのですかね
「存在」一般は存在者の根底にある抽象された概念
これならオカルトになりませんよね 実在を根底に置いて抽象化することがオカルトではない、というなら
「存在」一般を考えることに何の問題もありませんね >>313-314
「存在」一般を「存在者の根底にある抽象された概念」にしようとして失敗したのがハイデガーだよ。
抽象化することで概念を広げようとすると、存在=世界、みたいに無意味になっていく。
普通は概念を縮小していくときに抽象化する。 >>315
自分で納得できてるんなら、別にいいけどね。 >>316
そうすると
失敗したからオカルトだと
あなたはそう判定するわけですか >>316
>抽象化することで概念を広げようとすると、存在=世界、みたいに無意味になっていく。
存在者と存在を区別しようとしたのだから
それは違うと思いますよ
存在者が存在することが当たり前なのか
存在者は何もせずに無策無為のまま存在なのか
そうではない、と思ったのでしょう
私もそう思いますし 「存在者」つまり「存在するもの」の概念が無機的唯物論に汚染されているのですよ
だから「存在すること」が何らの動きも無い、「ただ在るだけ」となってしまった
しかしそうではないのだ、と
20世紀初頭、その時代Iの空気の中で、哲学においても科学においても、
世界観が激変し、覚醒した人間がいたってことですよ
哲学において壮大に失敗したら
むしろ成功なんじゃないですか そもそも、存在するとは何ごとなのか
少なくともそれは、消滅にさせようとする暴力に対して、抵抗しなければならない
その能力を持つものだけが、その間だけ、存在することを許される
その力が無くなればただちに世界から消えるだけ
人間も、動物も、植物も、太陽から素粒子まで
存在するためには、何らかの形で活動的に自己を保持しなければならない
一切の「存在者」がその概念を獲得したとき
存在一般の概念も静かに消えていくでしょう
もちろん、比喩ですよ
でなきゃオカルトですからね >>318
違うよ。
元々ハイデガーの「存在」概念は抽象化を目指したものではない。
神の存在証明のために設定した概念だよ。 >>319
>存在者と存在を区別
それを無意味だといっている。
>存在者と存在を区別しないと存在者は何もせずに無策無為のまま存在
意味不明だよ。
言葉を連ねれば意味が成立するわけではない。 >>321
>「存在者」つまり「存在するもの」の概念が無機的唯物論に汚染されている
それがオカルトだといってるんだが。
>世界観が激変し、覚醒した人間がいた
ハイデガーが寄与した部分が少しでもあるとすれば、それはナチスだよ。 >>321
>その能力を持つものだけが、その間だけ、存在することを許される
>その力が無くなればただちに世界から消えるだけ
完璧に宗教だな。
誰が許したり消したりするの?
なんの比喩にもなっていない、オカルトそのものだと思うよ。
ところで、この一連の議論は、フッサールとどう関係すると思うの? >>322
>神の存在証明のために設定した概念だよ。
あなたの独断ですよね
>それを無意味だといっている。
あなたにとって無意味なだけで
論理的に無意味というわけではないのですよ
ゆえに、今でも考察されたりするわけでしょう
(まあ、ハイデガー知らんけどね)
>意味不明だよ。
>言葉を連ねれば意味が成立するわけではない。
あなたの引用が捏造だからですよ
まあそれがあなたの精一杯 >>324>>326
ああ、それは私個人の考え
君には理解できない話
>ところで、この一連の議論は、フッサールとどう関係すると思うの?
ハイデガーがどうとか言い出したのは君であって私ではない>>249
もう満足したのか? フッサールの話にするか?
こんなのはどうだ
〜超越論的主観性はオカルトか〜
存在一般がオカルトなら、これはどうなんだろうなー >>327
平行線だから、これ以上の議論は無駄だね。
でも、僕の引用が捏造というのはどれのこと? >>330
>存在者と存在を区別しないと存在者は何もせずに無策無為のまま存在 >>328
僕がハイデガーを持ち出したのは、あくまでもフッサールの両端の一方の弟子として。
あなたが他の人の尻馬に乗ってハイデガーの話を聞きたがってたんじゃない?
ま、どうでもいいけど。 平行線ではなくて
入口が分からない人が絡んでるだけですよ >>331
言葉はあなたの書いたとおりだけど、組み合わせがおかしかった? ハイデガーはどうでもいいけど
存在論的差異は、あたりまえの問題意識だと思ったからね >>333
それを平行線というんだと思うよ?
僕には、あなたがまったく哲学の知識がないように見えるし、あなたは僕がそう見えるんだろう。 >>334
組み合わせは君の任意なのかね
勝手に意味不明に組み合わせた上に、「意味不明。」て
君は幸せものだな >>335
存在論、などというもの自体がオカルトだといってるんだけどね。
オカルトが気に入らなければ、無意味な議論、と言い替えてもいい。 >>336
>僕には、あなたがまったく哲学の知識がないように見えるし
まあ君は、「自然科学系にこれほど無知なのは、よほどの老人だからだろうな。」>>269
とか言っちゃうおマヌケさんだから、そう見えて当然だろ >>338
君は無意味な議論が大好きなんだよ
自覚したまえ
では超越論的主観性の話にしようか
これ、オカルトかね? >>329
ここは、フッサールスレだからねw
超越論的主観性はオカルトだよ? >>342
超越論的主観性はオカルトか
んー
では「意識」はオカルトですか >>340
老人という見立ては外れてた?
どっちにしても、あなたは自然科学系に弱いじゃないw >>344
多分、君よりは強いだろ
エネルギー管理士試験、なめんなよ
君では10年勉強しても受からんよ >>346
エネルギー管理士・・・
実生活上でバカにする気はないけど、学問ではないよ。 >>345
>意識そのものは、実在だよw
なるほど
ところで、『人間が存在者を認識するのは意識に於いてそれがなされる』
これはOKかね >>347
一度、問題を見てください
理系では、問題も解けずに御託並べてる奴はただの負け犬なんですよ >>348
意識をある固定した状態として捉えるなら、意識の活動を認識という。
その認識によって、また意識が形成される。 >>349
バカにはしてないよ。
でも学問じゃない。 >>350
>意識をある固定した状態として捉えるなら、意識の活動を認識という。
>その認識によって、また意識が形成される。
それを踏まえてで良いので、>>348に答えてくださいよ 実際バカにされてるとは思っていないわけなんだよね
勝者の余裕です >>352
>『人間が存在者を認識するのは意識に於いてそれがなされる』
不適切な表現だから、適切な表現に変えたんだけど? >>354
そうですか
超越論的主観性というのは、>>350のようなことですが
しかしオカルトなんですよね >>356
超越論的主観性をもう一度調べてみてね。
全然違うから。 >>357
いやいや違わない
超越論的主観性というのは、意識の活動形態のことだから
君がそれを理解できないからオカルトだと思ってるだけ >>358
超越論的主観性というのは、意識の外に、無限としてのなにものかを設定したうえでの、意識の限界の設定だ。
意識の中で意識の無限を設定し、意識の限界を設定する。
「無機的唯物論」のほうが正しいに決まってるw >>359
ぜんぜんちがいます
「超越論的」の意味は、「意識が外界を認識している」ことを認識している
つまり意識に対して外界は超越しているはずだが、しかし意識はそのことを
自覚することができる、その自覚の主体が超越論的主観性
無限とか、一切関係ありまっせーん >>360
カントを読んだことがないのはわかる。
あなたの書いているのは、ただの主体のありかただ。
それも、言葉の言い替えに過ぎない。
超越論的主観性については、カントを読んでからにしてね。 結局この人はね、自分で勝手につくりあげたモンスター>>359にオカルトのレッテル貼ってるだけなんだよ >>362
あなたがもう少し哲学の本を読んでから、議論しようね。 カントはたまに読むね
しかしカントとフッサールでは「超越論的」の意味が違うよね
カントの場合、超越論的の意味は>>360だよ
純粋理性批判を調べたら彼はこう書いている
対象に関する認識ではなく、対象を認識する『その仕方』についての認識
それを超越論的と呼ぶことにする
つまり、我々は対象を認識していますよ、そしてそのことをまた認識してますよ
だから、これからそれについて考えてみます、と
そういうことだよ >>363
あなたの理解力では読んでも無駄だと思いますよ
そもそも貴方、人間が世界を理解することを何も不思議に思ってないから
だがそれは、間違っているわけではない
哲学という営みが異常なだけだと思う
だから、オカルトだ、という貴方の主張は正解 >>364
カントについてはもう少し読んでみてね。
調べるんじゃなくて、読んだ方がいいと思う。
フッサールの超越は、デカルト。
客観的な存在を主観で受けたものでしか把握しようとしないから、客観と主観との無意味な「無限」となる。 >>365
>人間が世界を理解することを何も不思議に思ってない
「世界」という言葉の曖昧さを別にすれば、そのとおり、なにも不思議なことはない。
人間の主観、個人の資質と環境で「世界」なるものを設定し、空虚な問いを投げかけるのが哲学。
哲学がオカルトに過ぎないという見かたを共有できたのなら、よかった。 貴方は、哲学にも自然科学にも向いてないのだから諦めてください ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています