>>274
それが、飛行機の位置や質量を、位置エネルギーと表現しているということだよw
要するに、実在を抽象化した時の表現のしかただ。
1+1も同じで、見えるとか見えないとかの問題ではなく、実在を抽象概念でとらえた時の表現のしかた。

自然科学というのは、実在を前提としてそれを抽象化する。
抽象のしかたが適切であれば、抽象化した概念同士の中で、論理化することができる。
抽象化が不適切であれば、論理の破綻をきたす。

言葉が実在になるのではなく、実在が言葉になるのだ。
もちろん、言葉はその言葉だけでいくらでもでたらめな表現ができるが、それは言葉の抽象のしかたがおかしいからだ。
卵を石と表現することが可能でも、言葉としての意味を成立させない。

一方で、それが言葉である以上は、でたらめであろうと、卵とか石とかいう実在を根拠にしている。
自然科学系の学問では、その言葉(記号)の定義を厳密にするから、卵が石になることはない。

卵も石も、抽象化すれば、どちらも1と表現することができる。
それが1+1が成立する根拠だ。

繰り返すが、エネルギーは見るものではなく、捕捉するものだ。
エネルギーを見る、というのは言葉の誤用に過ぎない。