ブリタニカ草稿の解説読めばフッサールが形相的還元を中心に理論を組み立てていることがよくわかる
目の前に見たことのない花を見る網膜に映る光の像自体は意味がない。その像からこれは葉っぱや茎と繋がっていて植物であり「花」であることは間違いない。
薔薇と同じ「赤い」花だと思う
「赤」として「見たことのない花」として志向性の中で認識する、後で図鑑でこの花だと名前を覚えその花として認識する
網膜に映った光の像自体ははかなくて移ろいやすいが「赤」として「名前のない花」として「名前のついた花」として認識したものは普遍的で形相であり色褪せることはない
経験とは独立に客観的に存在する「光の像」の記憶は消えても
個々の知覚はどうでもいい。普遍として時空も経験とも独立に直観した本質直観が根本的認識であり、それは時空とも個々の経験とも関係なく常に正しく不変的であり常に真理だ
誤解されているがフッサールは主観的な知覚主義者ではない。経験主義者じゃなく普遍論者、実在論者
個別的な体験には意味を認めない
プラトンのイデア論もそう考えれば全く筋が通る
カントは中途半端に経験論的だが物自体で経験はその反映でとか言い出すと色褪せうつろい行く薔薇の網膜に映る色と郵便ポストの網膜に映る色の共通の本質と、この見たことのない花の共通の本質とと無限背進に陥るからペケ
個々の網膜の光とは関係なく赤の本質がありそれは経験とは独立に不変で普遍でかわりない真理だと考えないと矛盾に陥る
フッサールの現象学がやってたことの大部分は形相的還元であり、要するにイデアのこと、志向性も本質直観も形相的還元もイデアを捕らえて経験とは関係ない時空を越えた真理を把握すること
個々の移ろいやすい網膜の像、知覚ではなく不変的な一般的な普遍者、それは知覚を離れた「見たことのない花」や「赤」を含むで認識論を作っている