意識のハード・プロブレムについて考えるスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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「意識のハード・プロブレム」とは、
物質および電気的・化学的反応の集合体である脳から、
どのようにして主観的な意識体験というものが生まれるのか
という問題のこと。
このスレでは、意識のハードプロブレムを
解決するべく、『心と脳の関係』について
考えていきたい。 分子は1コだとエネルギーがどんな値であっても、個体でも液体でも気体でもない
最低でも2つあったときにその関係性で状態が決まる
精神も粒子間の相互作用の中で生まれているのだとしたら、
いわゆる素粒子1つに対しては宿っているものではないだろう
素粒子を「波の性質を持つ」と言うのも、
計算方法とか人間のとっての世界の見え方から出てきた例えで
実際にどんな姿をしたものなのかが分かっている訳ではない
ダークマターやダークエネルギーなんかもそうだけど、
観測ができないけど物質界に明らかに影響しているものをどう位置付けるのかはもう哲学の世界
それを「クオリア」「4次元」「あの世」などどう表現するのも自由、因果関係の辻褄さえ合えばよい >>70
これは、「波動の法則」って言う著書に同様のことが書いてあったから事実だろうな >>69
後者はプラシーボとか認識論的なものな気がするなあ >>75
物質の状態→クオリアの発生が一方通行の場合、
日本人が屁をこいたら地球の裏側でブラジル人がくしゃみをするみたいな感じで
原因側が結果側を認識することができない
実際には原因側である物質界は「痛い」とか「悲しい」といった結果側であるクオリアを
言語化し音声や文字にできていることからも、フィードバックはあると考えられる
もし一方通行なのであれば、
生存に不利になる状態に「痛い」「苦しい」といった回避したいクオリアを伴う必要はなく
有利になる状態に安心や快感を覚える必要もない ラベリングすれば認識できるようになるっていうのは頭の中で起きてることで物質に影響はなくない?クオリアが次のクオリア化に影響を与えてるというか
まあ頭の中の世界にはクオリアしかないから、そこでは相互作用ということになるんだけどさ 静電気力は電荷に対しては作用しても質量には作用しない
重力は質量に対しては作用しても電荷には作用しない
物体そのものが運動をすれば電荷も質量も同時に位置や速度を変える
ニュートリノはほとんどの物体を通過してしまうが、稀に衝突する
ダークマターは質量(重力)を持つが電磁波とは相互作用しないことになっている
相互作用には色々な組み合わせや程度が存在している、クオリアも同じような感じなんだろう
「悲しい」は「つらい」を誘発するが、「すっぱい」や「眩しい」を誘発することはない、でも稀に間違えて「幸せだ」になる
物質界にフィードバックする経路を持つクオリアもあれば、ないのもある
有機物(炭化水素類)にはこの経路を持つものが多く、生命はそれを利用して進化したんではないかな? あれもあればこれもあるってそれ何もわかんないって言ってるのとほぼ一緒じゃないすか
その電磁気力とか素粒子とクオリアが同じ性質を持つのかってこととかも検証できてないし
そりゃ現実に組み合わせが頑なに一種類なわけはないとは思うけど
単純にクオリアがその体験者じゃなくて物質そのものを変えた例とかこうすれば検証できるっていうのをあげたらいいんすよ
ていうかこれ「クオリア」か「物質」かどっかの言葉をずれた意味で使ってるよね?
主観的な体験を指すクオリアを客観的な物体に帰属させるっていうのは根本的に用法が間違ってるはずなんだが
なんかそれわざわざ二元論にして相互作用を語るんじゃなくて物質界にクオリアは元々含まれてるって言った方がすっきりしないか? 「クオリア」はダークマターなんかといっしょで、正体が掴み切れていないが「たぶんある」何かに対する便宜上の呼び方に過ぎない
話する人の間で共通の理解ができさえすれば「霊魂」みたいなオカルト染みた言い方でもいい訳だ
ハードプロブレムとしては、随伴現象説や哲学的ゾンビが、現実世界で起こっていることに対して説得力を持つかどうかを考えるときにクオリアという言葉を使えばいい
クオリアの振る舞いが実際にどうであれ、やがては物理学に組み込まれるモノだよ ディープラーニングが発明されたおかげでクオリアもほぼ解明されたのに
ここの人達は何を言っているの そもそもAIはハードプロブレムを理解できるのかなぁ? 心脳問題のスレがここにあったか
スレ立てしなくてよかった >>62
紙芝居は二次元だが、紙芝居がどのような原理でできているのかを説明するためには、
紙をめくったり、しゃべったりするオジサンについて言及しなければいけない。
三次元でもまだ足りないな。 >>73
あの「原子核の集合体」がどうのこうのっていう、どこかの建築士が書いたトンデモ本? 心脳問題を語る上で重要なのは、哲学の立場としてはやはり、「脳の作用によって、心の問題はすべて説明できるはず」という、唯物論のスタンスから出発すべきだということだろうな。
それを代表する論者といえば、アメリカのドナルド・デイヴィッドソン。
スピリチュアルな要素は、どうにも説明のしようがなくなった最後の最後に持ち出すのなら良いが、最初からそれを持ち出すのは反則といえる。 >>88
紙芝居は極端な例だな。
昔のテレビの画面のほうがいいかもしれない。
昔のテレビは、画面は二次元だったが、正確には曲面だった。
ただ、それを見る人は、曲面だということを意識していなかった。
ソニーの平面ブラウン管が登場したときは、「真ん中が凹んで見える」と言われた。
背後には、でっかいブラウン管があった。
ブラウン管という、三次元の立体の中で起きるブラウン現象が、画面の二次元世界に投影されていた。 >>88
紙芝居の絵が二次元っていうのと紙芝居の仕組みを混同してるだけじゃんそれ 哲学的ゾンビに恐らく近い存在が「ロボトミー手術をされた人間」と「エピソード記憶障害を持つ人間」
まあ、哲学的ゾンビの思考実験っていうのは主観とか意識っていうものの検証の難しさを示唆してるだけだから
実在したからなんだって感じではあるんだけど、
ロボトミー手術をされた患者っていうのは思考力とかは落ちてしまうんだけど
思考する力や自由意志が完全になくなるわけじゃなくてむしろ「感情を感じる力」がなくなってしまう
ある患者が手術後に沈む夕陽を見ても何も感じなくなった自分に気付いて、
でもそれをつらいとか悲しいって感じることもできなくなっているために
「自分は本当にダメになってしまった」って言葉を残したりしてる
ここからわかるのは意識というものはその性質がグレードダウン・グレードアップしうるということで
物理的にある程度発達した知能を持てば意識は芽生える、あるいは意識はずっとあってその質が変わるということが予想される
エピソード記憶障害っていうのは記憶障害の一種で、知識は記憶できるけど体験は記憶できないっていう状態
たとえば「りんごの色は赤」ってことは覚えられるんだけど「さっき見たりんごの赤さ」みたいなものは覚えられない
哲学的ゾンビと違うところは、こういう人たちは覚えておけないだけで感情や感受性自体は持ってるということ
だから彼らは「りんごの赤さ」は知らなくとも、りんごを見ればその度「赤さ」は感じているはず
ここから考えなきゃいけないことは俺らの場合にもりんごを見る度感じる「赤さ」は果たして全て同じクオリアなのかということ
あるりんごを見た時の「赤さ」と5秒後にまた見た時の「赤さ」は同じ『赤さ』なのか
りんごを見たその時に感じる「赤さ」と後で思い出した時の「赤さ」は同じ『赤さ』なのか
「りんごの赤さを思い出す」というのは記憶の中のりんごを思い出してその赤さを感じているのか
それとも抽象化された赤さを思い出してりんごを思い描いているのか
クオリアは抽象化が可能なのか、抽象化されたクオリアは元のクオリアから変化するのか
この辺攻めていけばクオリアを生み出すものがシナプスの中にあるのかそれとも意識の中にあるのかってことくらいは絞れるんじゃないかと 物理学がマジメに心の哲学に着手した場合、物質とクオリアを対等に扱うだろうな、どっちが先かは無く、相互作用し互いに因果関係を持つものとの仮定から始めるだろう
コンピュータは膨大な計算をこなしているが、サボる選択肢をプログラムされていないので、実はめっちゃ苦しんでいるのかも知れないw
高度なAIならそのことを告白してくるかも知れない >>89
量子(=素粒子)の、波動性(状態の性質)と粒子性(=物質)は、今日の最先端の現代科学であり、
量子力学の本を読むと、素粒子が物質的性質と精神的性質を“一つのもの”の内に合わせ持っていることが
詳しく説明されている。 プラナリアを(左右ではなく)前後でぶった切って発生した2個体は、両方とも餌の場所を覚えているらしい
多分記憶は神経細胞以外の部分にも少し保存されてて、それは現代物理学がまだ観測できていない次元なり粒子なのかも知れない(これを何と位置付けるかはとりあえず自由)
自分は最近はクオリアを発生するものじゃなくて常にスタンバイしてる物と仮定して考えてみてる
というのは心の哲学の中でも最近の関心が「自己が継続すること」だから
脳を構成する物質が入れ変わってもクオリアが不変なら説明し易い
脳がスイッチ、だから脳がダメになればアホになる >>95
素粒子はエネルギーであり質量であるってだけで精神的性質なんてオカルトじゃないんだが
二つの側面を持つなんて二元論ではなくてどっちかっていうとエネルギーと質量は同じものっていうのが恐らく正解で
まあ、質量がエネルギーに変わるとかエネルギーが質量に変わるなんてのは本物のオカルトよりオカルトなんだが
この現象はとっくに確認されてるもので今この瞬間にも世界中の粒子加速器の中で何千回と行われてる あーでも仮にクオリアから物質へのフィードバックがあったとしても、それで処理が分岐することはないな、少なくとも人間が作ったコンピュータだと
AIによるクオリア解明はまだまだ先かな
やっぱ生物進化みたいにデザインを偶然に任せる必要があるね、その辺までプログラミングすればいいのか 自然進化の場合は仕組みは謎だけど複雑化・高度化していく力が働いてるってのがあるからね
意識がどこから生まれたかというより、むしろそういう複雑化の結果として意識とかがある感じ 心の哲学は最近久しぶりにまた考え始めたんだけど、AIとか再生医療が実用段階に入ってきて、心の哲学学界もなんか変わってきてるんなか?
サールとか生きてるのかな?だとしたらシンギュラリティ見られないのは無念だろうな
チャーマーズとかもまだやってんのかな?大型書店でもクソ分厚い難解な本がやっと1つあるくらいのマイナー分野なんだよね >>100
自分は哲学的ゾンビ的な唯物論は否定するけど、決定論の立場は崩していなくて、だから自分にとって生物進化は基本的に突然変異と自然淘汰の積み重ねでしない
その中でクオリアの働きを上手く生存・繁殖に結びつける変異があったのだという前提で今は考えてる、もちろん将来考えは変わるかも知れないけど AIは生物に追いつけない可能性があると思うのには、DNAに比べてプログラム言語はトライアンドエラーし難そうだからなんだよな、まー自分が知らないだけかも知れないけど
その意味では飢餓や病気をかなり克服してしまった人間も既にほぼ進化辞めてるな
それはさて置き、いくら何億万テラになっても、細菌まで含めた生物進化の歴史には追いつけないでしょ >>94
>コンピュータは膨大な計算をこなしているが、サボる選択肢をプログラムされていないので、実はめっちゃ苦しんでいるのかも知れないw
いや、コンピュータは何も感じていない。
行列計算でも、0が大量に並んでいる行列を見れば、
人間なら、「0に何をかけても0だからな」と言って、当たり前のようにスッ飛ばす。
コンピュータはそうはいかない。
「0×0=0」という計算を、延々と何時間でもハテしなく続ける。
コンピュータにとっては、普通の計算と何も変わらない。 >>95
最先端の現代科学とは言えないだろう
それが言われるようになったのは、百年前から >>97
それはそうだろう
人間の脳の中には、色彩のパレットがある
脳は、受容した可視光の波長をもとに、適当な色をピックアップして、心に伝えている >>103
ロボットがリアルの生物に追い付くのは非常に困難と思うが、
コンピュータ・シミュレーションの中の仮想生物なら、
遠くない将来、リアルに追い付くよ プランク定数なる宇宙のデジタル最小単位があるようだけど、これ多分クオリアにもあるだろうから、そう考えるとちょっと寂しいねw そう、コンピュータ・シミュレーションは、リアルの物体を小さなメッシュに切って、
近似的に再現するんだけど、切り方を細かくすればするほど、
精密でリアルな解析になる。
でも、これって、リアルの宇宙も実は同じなんだよね。
切り方の最小単位がプランク定数で極端に細かいだけで、
デジタルな4角形で近似的に表現してることには変わりない。 クオリアは、すべてが脳の想定範囲内におさまってるものと見て、まず間違いあるまい。
色彩も、音声も、脳にもともとプリセットされたものの中から選ばれて、心に届いている。 >>110
子供の頃狼に育てられるとその後保護されても人語を覚えられなくなるとかあるから
子供の頃にプリセットにする情報を選んでるんだと思うぞ 素粒子物理学によれば宇宙は真空中に浮かんだ波なんだから
だったら意識も脳の中に浮かんだ波でいいんじゃないのかなあ
真空は真空じゃなくて粒子と反粒子が生まれてはぶつかって消えるのを繰り返していて
なんらかの影響でそのバランスが崩れると粒子か反粒子かどっちか余り始めて
その余った方の粒子が固まってできたのが宇宙っていうのが今の解釈
意識の方も、感情については4種類だか3種類だかのホルモンの組み合わせとバランスですべて実現されてるんだから
脳の電気信号もそれぞればらばらの電気信号なんじゃなく重ね合わせることができる波で
そうやって脳全体の信号を一つに重ね合わせて生まれる波が意識なんじゃないかと
そうなると特に何も考えてない時でも意識を維持するための信号が何か流れているのだろうな ただややこしいのが多重人格っていうのが存在することで、これをそのまま2つの意識と呼べるかは怪しいんだけど
1つの脳が2つ以上の人格を保持できてその人格同士で会話もできる以上は
意識そのものがそのまま脳全体を支配しているわけではないのだろう
ハードに対するソフトのような感じで脳の中に意識の働きを担う部位があるのかもしれないし
逆にソフトに対するハードとして「我」という意識が消えた後も残りの肉体そのものの持つ意識みたいのがあったりするかもしれない
まあなんだ、右脳と左脳は実は別々の意識を持っていて脳梁通して話し合ってるかもしれないっていうあれだ >>112>>113
待てよ、意識は五感で感じる信号全てを使ってるわけではないから
まず脳全体の信号から無意識が生まれその上で使う信号をフィルタしたものが意識になるのか
フィルタされた信号から意識が生まれるのか意識そのものがフィルタを行うのかはわからんが
こうなると意識というのは本当にどこに注意を向けるかというフィルタでしかなくて
それなら複数存在しうるというのは理解できるな
そうなると思考というのも考えているのは肉体の脳であって「私」という意識は次にどこに着目するかの舵を取っているだけか?
ここまで来るとオカルトだが 頭部の結合双生児が意識を共有できるらしいから、少なくとも脳が大事な働きをしているんだろうな
1個人の内部だと、仮に脊髄に意識があっても脳とは共有できていないんだろうな、反射で単純な機械処理してるように見えるから 反射を抑えるのも脳の役目だったりするし、身体の部位はやっぱり意識を持ってないか
持っててもそれは考えて話すこの「私」の意識とは違う代物な気がする 昔北海道で韓国のバラエティ番組のロケがあって、泊まった宿も部屋番号も映ったので、同じところに宿泊してきた
最高の思い出 少なくとも、副腎皮質などから分泌されるホルモンは、確実に人間の感情に影響を及ぼしている。
腹の底からズーンと不愉快になったりするのは、このため。
それだけを取ってみても、脳がすべての精神活動を担っているということはあり得ない。 脳を本社とすると、腹部の太陽神経叢は、工場の管理部門に相当する。
腹は、消化や血流など、重要なことが行われている身体活動の現場。
脳とでは距離が離れすぎているので、そこには太陽神経叢と呼ばれる神経のカタマリがある。
「ミニ脳」と言われる存在だ。 >>118
その感情を感じるのは結局脳ってことになるでしょ 455考える名無しさん2018/02/11(日) 08:34:44.840
心の哲学の分野における機能主義(きのうしゅぎ、英: Functionalism)は、
心的な状態とはその状態の持つ機能的役割によって定義される、という立場を指す。
すなわち、「痛み」を感じている人間の脳の機能を忠実に再現しさえすれば、
それを構成する材料が神経細胞ではなく、シリコンチップや、バネと歯車で構成された無機質な機械などであっても、
それを「痛み」と言える、という考え方。
行動主義や同一説の問題点を踏まえた上で、それらのあとに続く考え方として、
1960年代に登場した。 機能主義ってのは、そういうものだ。
人間が痛みを感じるのは、「神経線維の発熱」とイコールの関係にある。
ヒラリー・パトナムによれば、それだけじゃないらしいんだが。 人間が痛みを感じるシステムを忠実に再現しさえすれば、ロボットも同じ痛みを共有できる。 脳なんて気にしても多分策略だよ。一番どうでもいい部分。 心脳問題を論じている現代英米哲学の人たちは、みんなヒュームの影響を受けているよ。 男性の多くは女性が男性に対して抱く恋愛感情を体験できない、つまり男性脳にはこの種のクオリアは生じていないのかも知れない
逆に女性は男性がなぜオッパイやお尻が好きなのか理解できないだろう
男女の脳の差異は今のところホルモンの働きで形成されていることになっているが、このときホルモンは脳に量的なものだけでなく質的な変化(異なるクオリアの発生)ももたらしているのか? 女性の8人に1人は四色型色覚である可能性があるという(個体による色覚型の違いはサルでよく研究されている)
専門家じゃないのでよく分からんが、合成できるタンパク質の違いで、電磁波のキャッチか伝達か認識の仕方に差が出るのだろう
認識のところで違いがあるのだとしら、これもクオリアの生成に違いが生じていることになる
タンパク質の種類は無数にあるので、クオリアの種類もものすごく多いのかも知れない 新しい色も見つかるさ 。永劫回帰の繰り返しの中で。 蝶は紫外線を見ている、蛇は赤外線を見ている
どんな見え方をしているのか、四次元以上の空間をイメージできないのと同じように分からない
四次元以上も計算するだけなら訳なくて、数学は見えている世界以上のことを勝手に進められることで物理学にたくさん貢献しているし、心の哲学とも似ている >蝶は紫外線を見ている
>どんな見え方をしているのか
花の真ん中あたりの、蜜が多いところの色が目立って見えるらしい。
研究者がコンピュータでシミュレーションした結果、それが判明した。 最近は、動物にとっての「見え方」の研究が進んでいる
↓
gigazine.net/news/20131120-animals-see-world/ よくは知らんが、コウモリは位置情報を主に音波から得ているんだと思うけど、センサーこそ耳でも、接続先は視覚野で、クオリア的には映像体験をしていたりするのかな?
エコー検査なんかと同じで音声情報を画像変換すること自体は難しくないはずだし、進化論的にもそういう処理機構を作った種が残りそうだし
深海や洞窟の中の目が無い生き物も、実は周囲が見えているのかもね >>1-134
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.⊥ .| 'ミ'´,.=、 , ,.=、`ツ 君たちも
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.⊥ .| 'ミ'´,.=、 , ,.=、`ツ やはりこれからは
(⌒`ヽ_| く●_) .、〈.く●_).{ 万万党の時代じゃよ?
| ヽく `ー一' .'、'ー‐' ',
| ヽく `ー一' .'、'ー‐' ',
| ヽく `ー一' .'、'ー‐' ',
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更に小さい世界見つかってるね
というかプランク定数は色んな定数の最大公約数みたいなもののようだが 物理学的には、最小が本当にプランク定数なのかがどうかは大きな問題ではなく、世界はアナログなのかデジタルなのかなんだろう
素粒子も何を根拠に「これ以上分割できない」と言い切ってるのだろうね 相対性理論によると慣性系毎に見え方が違うらしい
地球上では静止している机上の磁石も、太陽から見たら地球の自転や公転で運動していることになり、僕らが中学で教わる電磁誘導により、一方は電磁波を発せず他方は発していることになる?よく分からんけど
クオリアも見る立場によって変わっているのだろうか... 脳は経過時間に対する記憶をどのように処理しているのだろうか?
手続き記憶やエピソード記憶と違って一度書き込んだら終わりじゃなく、絶えず更新し続けていかないと
「あれからもうそんになるのかぁ…」とかはならないと思うんだよね
2014年11月の出来事を去年は「もう2年かぁ、早いなぁ」だったんだけど
今年は「3年か、確かにもう昔の話だ」と感じるようになってきた 時間ってのは同じ一時間でも楽しいことしてるときは短く感じるし逆だと長く感じるから相対的なもんだよな
カントが言うように時間や空間は人間の主観的な認識によって位置づけられているが
その向こう側に客観的な世界(物自体)が存在すると言うことは正直良くわからない そこは決められないね
(電磁波などによる)情報伝達に要している時間差を距離(空間)として認識しているのかもしれないし、
2つのエネルギー塊が空間中の同じ位置を同時に占められれない場合にこれらを粒子と認識しているのかもしれない
時間など存在せず事象の順序だけは実在していて、クオリアがそれを後追いで見ているだけなのかもしれない 顔写真から人種や混血具合をかなり正確に反対する簡易AIがあるんだが、そのAIが喋れたらどうやって判定してるのか教えてもらいたい 「赤」(赤ばかりではなく)という色から惹きされるわれわれのなんらかのある感覚のことをクオリア
というのなら、体験されるいろいろな事象に対してクオリアは存在していることになるおな。それを、
物理的(あるいは科学的)な計算式であらわすことが出来ないと、あらわすことが出来るのは、光のある
波長の長さがわれわれの網膜にとどけられてそれが「赤色」になるところまで、。そこから、「赤」から
感じる何ものかをクオリアを物理的には説明できず、まるで壁があるかのように物理的な思考が遮断され
てしまうということだおな。果たして科学で対象に出来るかどうかわからず、クオリアの存在も語ること
(科学的に)が出来るかわからないと、
だけど、クオリアはあるお。これはあるとしか言いようがないおな。 ・・科学者たちは、こうした自分たちの分野で扱うことが出来ない数式などであらわすこと
ができないもの(つまり五感によって直接感じることが出来ない)ものを軽視する傾向があ
ると思うけど、クオリアはあるとしか言いようがないおな。
逆転させたらいいとのではないかとクマモンは思うのだけど、つまり「赤色」はまずはわ
れの内側に存在している(フッサール、本質直観)、その存在の諸相、存在の青焼きがわれ
われの内側にあって、それを通して世界を見ているとしたら、「赤色」という存在がわれわ
れの内側にあって、これが「赤」これが「青」というのを外界の物理現象に対応させている
と考えることが出来るのなら、つまり方向を逆転させるわけだな、外からではなく内側から
クオリアが先立つと考えることも出来るわけよ・・これがクマモンの「唯心論」というわけ
だお。 どっちが先かを決める必要もないと思うけどね
電磁波は電子を励起させる、励起している電子は電磁波を発する
つーか物質とエネルギーは基本みんなそういう関係になってる
物質とクオリアの関係も同じなんだと思うよ ・・クオリアが物質(少なくともそうした観察の出来るもの)である、というところまで
いってない、というのが今現在のクオリアのひとつのこたえではないかお。だから、クオ
リアもこれから物質として明らかになるだろうと言いたいのだろうけど、、 ・・おまえそれは、あれだおイージー・プロブレムだお、いまは意識のハードプロブレムの
話をしているのだお。。 こうした、心の自然科学が対象としていく問題の物理学や科学の論証不可能性をもって、
批判することを「ゾンビ論法」というのだそうだね、だけど最近の科学者や哲学者の間
ではこの考えを逆手にとって、人間みなもつような内的な意識を持たない人間が哲学し
ているかもしれない、「哲学的ゾンビ」、そうみなが「哲学的ゾンビ」ではないか、と
いうような物言いがなされるようになっているとか。クモモン的には科学者らしい考え
方だなぁ、とおもうけどもね。 脳機能マッピングなどを用いて大脳の前頭前野が強く働いている場合は条件反射的に活動している訳ではなく
自律し思考ながら活動していると考えて差し支えないんじゃないか?
意志の働きが客観的に観測可能なら「哲学的ゾンビ」などというものの存在根拠は崩れ去り思考実験として成立しない 夢も同じだとは思うけど、
入眠前の半分寝てるような状態では、もう1つの人格みたいのが次々勝手に物語を考えていることがたまにある
芸術家がクスリによるトランス状態に頼りたくなるのは分かる そうだお。人のこころはちゃんとあるんだおなー。
人の喜びも、人の悲しみも、すべてちゃんとあるんだおね。。 ・・哲学も、これまでにいろいろな潮流があったとおもうのだけど、いろいろな哲学思想の
盛衰があって、今日に至っているとおもわれるおな。例えばカントの出現を待って、哲学
から超越者の存在(神)が去り、人間悟性がその中心に据えられるようになったけども、
これも哲学(自然科学も含め)における大きな転換点であったと言えるおな・・。つまり、
哲学もある進化のようものを経験して来たと言えるかもしれないのだお・・。だから、現代
に生きる我々は現代の新しい思想について、無頓着ではいられないとおもうのだす・・
勿論、どれほど過去の哲学者の思想でも古いが故に意味がなく価値がないなどと言うつもり
はないけど・・。 だおもクソも進化しとるよ
基本的にみんな時代の要請に駆られて先人の論と会話しながら哲学書書いてんだから
哲学は思想家がばらばらに勝手なこと考えてるんじゃなくて文明史をまたいだ長大な会話のキャッチボールだ
そういう意味で古い哲学は無駄ではないがほぼ使えん、数千年前の大学講義みたいなもんよ ・・いっけないんだーっ、そんなこと言っててて・・・て、
・・そおだおね、古いから使えないというか、跨いでしまっているというか、一発風穴を
あけられてしまっているというか、中心から外れてしまっているというか・・・そんな感
じ。
カント以降の哲学を含めてそれまでひとつの揺るぎない「真理」を求めてきた哲学が、
ジャック・ラカンの構造主義の哲学の出現を待って、いやこの世にあるのは「構造」の
みではないかと気づいて、哲学が求めてきた「真理」と言われる種類のもは存在しない
のではないか、となったおね、これもひとつの進化といえるべき前世紀の哲学の大きな
事件だったとおもうけど・・ ・・数千年前の哲学者(ソクラテスやプラトン、アリストテレス)の良さをはっきりと
認識出来ないのは哲学する者として、恥ずべきことだと思うけどね・・ とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
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7LXRE >>160
お前こそ何がいいのかちゃんと言葉に直せるのか? プラトン『国家』の「洞窟の比喩」などは、すでに構造主義がぶちあたった壁を予見している
気がする、鎖に繋がれた囚人が洞窟の壁に映る影ばかりに目がいってそればかりが認識の事実
だと思い込んでいるように、本来の認識とはなんなのかを比喩に託して語っていると、確かに
神秘主義的ではあるけど・・ ・・数学は詳しくはないのですが、コンピューターの出現によってその世界を視覚化(デジタル)
することができるようになったとき、この新たに生まれたデジタルの世界に「自然」に似た(そ
のものではないが)ものが現れて、さらには「人間」に似たものもその世界にシュミレーション
出来る可能性が生まれてきた、浅田彰先生は、20年以上も前から現在の心の哲学や科学哲学のひ
とつ隆盛を予見させることを述べておいでです。すごいですね。
「浅田彰 bP」
https://www.youtube.com/watch?v=CScihJCTY08 構造と意味が随伴であるとするならば、構造と意味が随伴であるということは真理である。
ええっと、ああそうか、これはスピンだ。
「随伴」は「随伴現象」のことではなく、adjunctionです。
量子脳理論に対してループ量子重力理論のようなアプローチが可能なんじゃなかろうか。 哲学板が完全に破壊されているせいで
ハードプロブレムについて考える機会もめっきり減ってしまった
こんなの話題にできるところも5ちゃんくらいしかないからな
ただ10月くらいになって季節性の鬱が始まると
また考える時間が増えると思う 意識というのはただの意識である
実体はなくて体とつながっている 「洞窟の壁に映る影」=「眼球の網膜に映るイメージ」ってことですか? 現象のクマモンがどんなに語ろうが理解しようが説明しようが、高尚になろうが、
円周率のπを数字で表して末尾はどこだと追いかけているだけである。
それも近似すらしていない見事にゆがんだものに多くのものが評価する、
そして本人がそれに反感する、ただそれだけのこと。
永遠に増えては減る情報を、永遠に言葉にしているだけ、
先に進みたいなら、まず自己を否定せよ、初心者すらできることは
自我自賛の人、俺正義の人には選べない、常に他者の評価が重要に感じてくる、
他者などどうでもいい。、 心の哲学は
物理生物の知識がある程度ないと中世のオカルトに陥るな 仮説を立てたら実験して確かめるという科学の手法や
物理法則性を数式化することは
人間にとって宇宙の姿をだいぶ分かりやすいものにしてくれたが
同時に思考の制限もかけてきた
マクロ世界に生きる動物である人間の思考回路はどうしてもマクロ向きにできてるから
素粒子なんか世界は直感的に分かりにくい
相対性理論も量子論も常識から一歩踏み出す必要があった訳だが
そういうときに普段から何でも疑ってかかり妄想ばかりしている哲学の出番になる
もちろん未開時代のオカルトに陥らないように最低限の科学的思考回路や知識は必要だけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています