カール・マルクス 12
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
>>801
だからさ、家族以上に大切なものってなに?
君個人にとってでいいからさ。 ちな家族が至高といっても
ある家族とある家族の摩擦や衝突を処理する
ためには個々の家族を超えた論理や仕組みが
必要になってくる
無数の家族が互いに殺しあう世界でないならば 家族のひとりがテロリストでだが
家族を深く愛していたらどうだろう
さっさと公権力の警察に突き出すのが文明人 警視庁 交戦派 警察庁 治安派。治水 政治一派。
突き出しを食べるだけでいいのに。警察女官を思慕して。 警察官 勝てば官兵は糧管理 警視総監賞 勝って当然金策工面。
性差あって、差が開く分だけ、行動の質が上がるから、
逮捕行動出るよる抑制より、行動力点数制度にでたほうが。
牢屋が悪魔のリビングスペースだったなら、
ホテルが魔性の生活圏。 家族の犯罪を見つけたとき、通報するか?
孔子はそれは孝に反するといった。 犯罪 狐学 の版本を読むべし。狐憑きとか、人間に完全に犯罪は不可能。
通報?電話機自体限界文明の産物で、ネット社会の方がよい面。
ネットで通報とは言わない。通記。静かなる面。
喧噪や騒動でうるさかった過去。 >>803
その知的レベルでは、家族に関するフロイトの分析を理解するのは難しそうだな。
家族を取り上げた理論では、ヘーゲルとフロイトが双璧。
つい幻想概念を提出した吉本隆明も、この二人から多くを得ている。 誰々ガーって名前の羅列するのは
自分が偉くなった気持ちになるんだろうねえ
反面教師だわ ヘーゲル弁証法とフロイトのエス・超自我・自我の関係はなんか似てない? もしもひとり世帯をひとつの家族と認めないとすると
家族原理主義の元では排除の対象となる
家族は至高でそれ以外の形態は唾棄すべき観念だからな
家族を持たない人間は劣った存在となる
つまり家族が全員死んでいって最後に残った老人は
何物にも属すことができない絶望の存在となる
じゃあそれを回避しようとすると大層人工的な、
公が承認した、緻密な家族制度が必要となる
個々の家族内で解決できない問題はいくらでもあるからな
アレレw 家族解体主義者が心配をせずとも、
単身世帯も増えてるし、籍をいれず事実婚みたいなことをしている人も結構いるし、
家族は解体されていってるよ。 家族解体心配してるんじゃなくて
国を完全否定したい方便で編み出した屁理屈
だからしゃーない >>819
俺は家族解体主義者ではないよ。
家族解体主義者に寄り添ってるだけさ。 >>812
無知を恥じる必要はない。
しかし、無知は威張ることではない。 家って、江戸時代に生まれて、
農業からリーマンに変化して、
高度成長期には核家族化して
次に、核家族を解体するほどの変革が起こっているか
リーマンが基本である限り、解体しないと思うけど
今のところ、解体する兆しはないね。
残念なら >>823
俺は家族に恵まれているからな。
>今のところ、解体する兆しはないね。
>残念なら
時の宰相が家族を再生産する気が無いなんて異例だと思うぞ。 安倍晋三は子無しじゃん。
それも長期政権。
子無しが安易に責められない時代になった気がする。 家族は財産承継のために存在している。
愛情次元の問題もある。 >>824
今ってフリーランスが増えてきているよ
企業も終身雇用よりフリーランスの専門職を使おうって傾向が強くなってきている >>829
それは、安上がりだからだよ。
経営者が派遣を使いたがるのと同じ。
まさに、マルクスの指摘している労働力の商品化そのものだね。 >>789
個人主義が(中間集団の衰退が)全体主義を生みやすい
という議論もあるのでそこらへんはちょっと複雑かも。 方法論的個人主義とか方法論的全体主義とか難しいよね。
個人主義でも文学に走って人格陶冶を求めるか、
徹底的な利己主義に走るかで全然違ってくる。 個人主義を哲学するのは難しい。
考えている途中のものを投稿すると、読む人によっては支離滅裂に見えるかもしれないのは
致し方無いね。 資本主義的産業革命以前の多くの家族は、農業なり漁業なりの
なんらかの「家業」を持っていた。
家と会社とははっきりと分離していなかった。家庭は同時に会社だった。
そういう家庭が少なくなく、家を中心単位として労働が営まれていた。
生活から労働が分離していなかったという言い方もできるかもしれない。
資本主義的産業革命がすべてを一変させた。
家から労働が離床して会社とか企業と呼ばれるようになったものが
社会の支配的な単位になるようになった。
そして「家業を継ぐ」から「就職する」へと労働も様変わりした。
プロレタリアートの誕生だ。
サラリーマンとも言うが、サラリーマンはどうやらホワイトカラーの
意味で用いられることがあるようでイコールではないらしい。 急激にここのレベルが落ちたのはなぜ?
どっかから人がはいってきた??? サラリーマンというよりかは賃労働者だわな。
フリーランスといえばかっこよく聞こえないこともないけど、
言い方を変えれば非正規雇用として増えているってことなんだろうな。 生活の中心でありかつ生計の中心でもあった家庭。
資本主義社会はそれに大きな変化をもたらした。
そしてしばらくして教育も家庭の中から離床して学校へと分離する。
家庭はもはや寝泊まりするだけの宿泊施設になってしまった。
ただの宿である。ラヴホテルも兼ねているが。
それだけの宿になってしまったのだ。 核家族化はリーマンに適した生活形態だった。
終身雇用の時代は会社は人生そのものを提供した。
生活費、住宅、結婚相手、レジャー、年金、老後の楽しみ
いま終身雇用が崩れた。
核家族化はいかなる形態に変化してるか。
一人生活? 日本の漫画が好きだというダニエル ピンクさんの
『フリーエージェント社会の到来』が
話題になったことがあったね。
でも、アメリカでも不安定な労働形態と言われている。
他方ヨーロッパでは同業種の間でのフリーが実現している。
そういえないこともない。
同業種内だったら比較的低いリスクで転社することができるらしいね。
日本にはそれがないのでアメリカに近い。
転社も転職もリスクが高いので、一生一社にしがみつくしか
安全な生活が望めず、福利厚生が期待できない。 >>840
村社会の中では家庭は教育の場でもあったからな。
産業革命で賃労働者が増大して、賃労働者は機械制大工業のもとで疲弊し、
家は寝るところと化してしまったと言えるかもしれないね。 >>834
それは失礼。
でも、それぞれが支離滅裂。 家が寝るところは、むしろ資本主義前ではないかな。
一日野良仕事で、帰って寝るだけ。
資本主義になって豊かになって、余暇が出てきて、家ですごす時間も増えて、楽しみ方も増えた。 冬に家族で内職している時が家庭っぽさを醸し出していたかもしれない。
今は長時間労働を減らそうと政府が頑張っているから、
>資本主義になって豊かになって、余暇が出てきて、家ですごす時間も増えて、楽しみ方も増>えた
とようやく言えるようになるのかもしれない。 >>760
戦前の右派はほとんど北一輝の国家社会主義と大川周明の反植民地理論のアジア主義で
神道派なんてごく一部
そもそも中身がないんだから実態もない
明治維新で欧米とキリスト教に担ぎ出されただけの勢力で政治としても宗教としての実態もない
キリスト教徒とマルクス主義者は日本の事なんか何も知らない欧米の猿の歴史観に洗脳されてるから
素っ頓狂な理解になる
おまえは日本が戦前に亡命ロシア人とユダヤを受け入れてたことすら知らんアホだろ? 楽しみ方は増えたけどその分家に籠る必要がなくなったんじゃないの 農業社会は電気も無かったし、
朝に畑に出て、日が落ちたら帰って家で寝ねの繰り返し。
家は寝るだけ。
資本主義社会では、電気もあるから家で遅くまで好きなことして過ごせる。
週休二日だし、娯楽も山ほどあるし、 資本主義で明かりもあるから外で遊べるんだと思うけど
インドア派の波平さんには縁のない世界って気はするけど
デートも映画館とかで旅行とかイベント見に行ったりBBQとかもしないでしょ? 歴史だけ学んで各国の地方料理も知らないのは間抜けだと思う。 >>847
ここでいうイエとはハウスのことじゃない。
家族共同体のことであり、家族構成員で作っている小社会のこと。
資本主義産業革命以前にはこの中に多くの機能があったが、
いまは宿泊施設としての機能くらいしか残っていない。
家族の機能はほとんど市場化されてすっからかんになってきている。
ある意味では家族は機能的にはもう空集合になっている。 >>849
明治神道というのは、天皇を宗主とし、歴代の天皇を神とする。
その範囲で、どのような社会体制でも「理念」的にはつながることができる。
北一輝にしろ大川周明にしろ、社会体制の「理念」を天皇親政を目指した。
しかし、その社会体制の「理念」を現実化しようとしたときには、死刑を宣告されるか行動を撤回するまで獄に繋がれる。
それが神道だ。
神道とは、政治なのだ。 資本主義産業革命以前には生活の中心はイエであって、
社会や経済の中心地だった。市場はあくまで貿易的な外部経済だった。
経済主体はイエであって企業とか会社というものではなかった。
生活を成り立たせているほとんどの機能が家族共同体の中にあり、
家族は個人の生活にとって大きな役割を担っていた。
資本主義産業革命をこれを一変させた。
プロレタリアート家族の出現は家族の中から経済機能を分離させた。
「家業を継ぐ」ことから「収束する」ことへの大転換が起こった。
個人の人生にとって不可欠なのは家族ではなく会社や企業に置き換わった。
ついで教育のアウトソーシングが義務化され、義務教育が誕生した。
こうして家族が担っていたものがどんどん外部化されて市場や国家の機能になった。 >>856
資本主義で新たに生まれたのが専業主婦。
それ以前は女性は重要な野良仕事要因。
年寄り子供が家事を労働をしていた。
専業主婦の仕事は家を豊かにすること、
子供を育て、家を寛ぎの場とする。
家の専門家。
家の専門家により、家は充実した。 つまり、家族の解体は資本主義経済発展がもたらしてきたある意味で必然性を持っている。
共産主義イデオロギーがどうかしようって問題じゃない。
マルクスが言うように、共産主義者が革命的なのではない、資本主義が革命的なのだ。 男のプロレタリアート化のほうが先に進んだが、女のプロレタリアート化も
遅ればせながら日本経済の現実になってきている。 個人の生活と人生を第一に成り立たせているのはもはや家族ではなく
企業(俗に会社)と呼ばれる組織だ。
だから個人の人生設計においての重要度はかつては家族がナンバーワン
だった可能性が高いが、現在では会社や市場に置き換わって
家族の価値的低落をもたらしている。
家族の経済を担っている専業主婦も、それに合わせて価値的に低級と
見なされている。だからそれを担ってきた女たちも、機会があれば男の
ように外で働きたいと当然のように望むインセンティブが働く。 専修免許持ってる?教職とか。
専業主婦って時間に無駄が多いな。しかも同じ時間や行動範囲を繰り返しがち。
だけでほんとうはちがうんだろう。 >>858
近代化に国家神道は不可欠だった。
いまでは分からないが、
近代化とは、技術とともに高いリベラルの倫理を求められた。
西洋で基本になったのがキリスト教の倫理で、それ変わるものとして考えられたのが、国家神道。
教育勅語でわかるように、国家神道は単なる天皇崇拝ではない。
儒教、武士道、仏教のエートスを集約して、
リベラルな倫理を作り出した。 >>862
専業主婦は近代に発明された。
現代では、家事が便利になり、半主婦化しているが、
本質的にその機能は変わらない。
家を豊かにすること。 プロレタリア革命というのはプロレタリアートが社会の支配的な階級になる
歴史的経済的な下部構造の条件が整ってはじめて成り立つもの。 核家族が資本主義のために作られたように、
資本主義が継続する以上、変わらず機能しつつける。
たとえば日本で未婚率が上がっているとしても、
世界的に貧しくても、非正規雇用でも、核家族は機能している。
たとえば離婚率が上がったとしても、
また再婚率が上がりだけだ。 >>866
資本主義に核家族が生まれたのは、
サラリーマンの登場だ。
賃労働システムと核家族化システムは、にこいちで発展した一つのシステムだと言える。
資本主義の賃労働システムが変わらない限り、
家庭の一番盤石だろう。 >>869
家族が家業を持っている時代、
あるいはそういう第一次産業に従事している家族の間では、
特に農業においてはお父さんもお母さんも子供達も
「家族企業の働き手」であって、プロレタリアート家族ほど
家庭内での男女の役割が明確化していたわけではないね。
畑仕事に参加しないお嫁さんがいたら、どこのお嬢様をもらったの
と噂になるほどだった。
専業主婦はプロレタリアート家族の最初の適応形態だったと思う。
ところが、家族がそれで安定するわけじゃない。資本主義市場は
家族の機能を徹底的に市場化する方向に進化してきている。 >>873
核家族は、資本主義に誕生した。
すなわち生産と消費のサイクルの重要な担い手として。
これは資本主義の存続のともに変わらないだろう。 プロレタリアート家族が担っている機能は唯一、
明日の労働力の素となる子供を作ること。
しかし個人の人生において家族は価値低落した。
家業が家族から分離したことは小さくなかった。
家業をもった家族は家族内労働力として子供を
たくさん作る必要があったが今はない。 すなわち
農業社会ではほとんどが非貨幣経済だった。
すなわち自給自足。
資本主義はその一部を大量生産により貨幣経済化して、
大量消費により、拡大していった。
現代では、非貨幣経済と貨幣経済は半々と言われる。
家はまさにそのあいだをつなぐ重要なパーツだ。
たとえば主婦は家の自給自足、すなわち非貨幣経済の担い手であり、
また消費の中心にいる。 核というとちょっとした話があるけど、体内に核があるという発想や、
爆弾の中に核が入っているという世論より、
核家族は機能しているんだな
。 それによって必然的にもたらされた少子化は、
またその必然として専業主婦のプロレタリアート化のインセンティブを要請する。
また、少子化は技術革新へのインセンティブも増大させる。
マルクスはこうした資本主義の運動法則を見出したにすぎない。 主流派経済学は市場の均衡と定性的な経済成長と景気のサイクルだけに関心を
集中させているが、マルクスが関心をもったのは資本主義経済が社会関係に
もたらすダイナミックな変動の長期波動。産業革命に代表される「長い革命」だ。
長い革命を引き起こす運動法則を資本主義はその内部に持っているとマルクスは見た。 資本主義市場経済は、このような構造的な地殻変動を起こす運動法則をもっている。
政治や社会はこれに適応していくことを強く要請される。
しかし政治や社会は基本的に保守的なので地殻変動との間で齟齬を引き起こす。
これが矛盾の蓄積になると、あるときに大地震が起こる。これが革命だ。 革命的に生きている女性達なんてしょっちゅう見かけるだろうが、一人が革命なのか、
革命は継がれるのかが、微妙なところ。 賃労働を男が行い、家事労働を女性が担う効率的な分業体制。
消費社会の発展は、家事労働を安価にしている。
お手伝いさんを雇うと高額な人件費が必要なので、主婦が担っていたが、
掃除機を買うコストで家事労働の人件費は大きく減る。 資本主義市場経済は、技術革新によって失われた雇用を新しい雇用の開拓で
常に補って成長していかなければならない自転車操業性をもっている。
雇用の未開発地を常に探し求めて、非市場経済・非貨幣経済をどんどん開発
して賃労働に変えていこうとしている。そうすることで持続可能なシステムだ。
非賃金労働が賃金労働に置き換わっていくのは資本主義のこの運動法則によって
必然的にもたらされると予測できる。その最後のフロンティアは核家族だ。 これを資本主義経済による「賃労働化帝国主義」と呼ぼう。
人類はプロレタリアートとブルジョワジーという二大階級に還元されてしまうのだ。 >>868
そういうのを結果論というのだよ。
封建社会から中央集権になるにしても、神が必要なわけではない。
事実、西欧の専制王は神でも救世主でもない。
ちなみに教育勅語というのは、天皇を崇拝させるための教育政策の主題のプラカードだ。
一度読んでごらん。
読まずに右翼系の右翼隠しに便乗しない方がいい。
右翼が、天皇崇拝という、君が代や教育勅語の右翼性を隠そうと必死になるのは、右翼の自己否定だ。
それは右翼を自称する人が、金儲けのための、非常に不純な理念の持ち主であるということを表明しちゃってるんじゃないかと思う。 正しいと言われたことをやることが正しいと信じて疑わない人々が多数いることに、
かつて、大きなカルチャー・ショックを受けたことはある。そういう人々は、
正しいことをしようとする人間が「間違っている」と感じるだけでなく、「不遜だ」
と心底感じているようだった。「力もないくせに何を偉そうに」ということなの
だろうが、力がないからこそ、言われたとおりに従って、後でその結果の責任を
押し付けられることが最初から目に見えている。責任を押し付けられることの
恐さを感じない人々の感覚が未だに私にはよく分らない。責任を押し付けられた
後になってから、「自分のせいではない、他の人たちが悪い」と独りで喚いて、
アルコールやドラッグなどに逃避する予定なのだろうか? 賃金労働者は原始女性だったのかもしれないし、まあよくわからないが、
賃金労働という疑似的な社会システムの中で、女性が借りをし、男性が
舵・鍛冶をするというのならわかるだ。 市場 貨幣は 古典ネエだから男子には頼りになるだろうが・・・・・。 共産主義者が革命的なのではない。資本主義それ自体が革命的なのだ。 >>887
>封建社会から中央集権になるにしても、神が必要なわけではない。
>事実、西欧の専制王は神でも救世主でもない。
資本主義は高い倫理を求めた。
それはキリスト教徒であること。
キリスト教徒であることで初めて資本主義は可能とされていた。
日本人はキリスト教徒になるわけにはいかない。
そこで、考え出されたのが国家神道だ。
たしかに日本人はキリスト教徒ではないが、変わらない高い倫理を持つと、主張することで、資本主義の導入が可能になった。
>ちなみに教育勅語というのは、天皇を崇拝させるための教育政策の主題のプラカードだ。
教育勅語は今も通用する道徳則だ。
これにより、日本人は近代人となった。
教育勅語 12の徳目
1. 親に孝養をつくしましょう(孝行)
2. 兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)
3. 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)
4. 友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)
5. 自分の言動をつつしみましょう(謙遜)
6. 広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)
7. 勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)
8. 知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
9. 人格の向上につとめましょう(徳器成就)
10. 広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)
11. 法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
12. 正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇) >事実、西欧の専制王は神でも救世主でもない。
西洋においてはすべての王はキリスト教徒だった。
キリスト教における高い地位を担い、民衆を掌握してきた。 現代では当たり前の道徳則である教育勅語だが、
明治初期では、当たり前ではなかった。
道徳則がなく野蛮だったと言うことではないが、
国民という基準がなく、全国的に統一された道徳則がなかった。
教育勅語を全国統一で学校教育することで、国民が誕生した。
国民の誕生は、質の良い労働力、軍事力となる、
近代の質が良いとは、互いに連動して力を発揮するという意味だ。
農業は個人を作業だ。
時間を合わせて連動する教育はない。 資本主義とは分業による効率化
連動がすべてである。 >>892
資本主義が高い倫理などを求めなかったのは、プロテスタントの登場が象徴している。
倫理ではなく、資本主義に適合した教義に変更することを求めた。
ましてイギリス国教会などは、王が自分の都合に合わせただけの倫理の完全否定からはじまり、資本主義になったからといって倫理に基づく教義に変更されたなどとも聞かない。
君は、相手に言い負かされたくない、という理由だけで、思い付きの単語を並べているように見える。
それはそれで楽しくないこともないが、論の趣旨からどんどん外れていったり、あまりにデタラメだったりすると、やっぱり醜くなる。
少しは資料や本を読んでみたらどうだろう? >>892
>教育勅語は今も通用する道徳則だ
教育勅語の原典を読んでごらん。
天皇を守れ、という目的が明確に書いてあるから。
右翼性を否定したがる右翼のブログなどを参考にしないほうがいい。 >>896
資本主義の成立の原動力にプロテスタントの勤勉が大きな役割を果たしたことは、
ウェーバーが示し、今では多くの人が認めている。
現にブルジョア層のほとんどがプロテスタントだし、
日本人へ指導にきたほとんどがプロテスタントだ。
彼らは、日本人が技能を学ぶと同じぐらいに高い倫理を求めた。
特には、プロテスタントは性倫理の厳しさで知られている。
それ以前は日本人には貞操の観念はなかった。
明治に、厳しい性倫理が公然わいせつ罪、不貞罪など、法を含めて導入される。
妻の貞淑、処女信仰、純愛信仰、現代にも続く性倫理は資本主義とともに導入された。 >>897
天皇は、西洋キリスト教のイエスのメタファーだ。
まさに西洋の教会のシステムがモデルにされている。
近代国家は国民を作る。
そのために西洋がモデルとされた。
それが天皇であり、国家神道であり、教育勅語だ。 >ましてイギリス国教会などは、王が自分の都合に合わせただけの倫理の完全否定からはじまり、資本主義になったからといって倫理に基づく教義に変更されたなどとも聞かない。
ヘンリー八世は、打算的にカトリックを抜けて、プロテスタントの系の国教会を作り、
またプロテスタントはカトリックへの対向からそれを指示する。
この中途半はな対応がその後のイギリスの対立を生む。
カトリックに戻したメアリー女王の虐殺や、
そして清教徒革命から名誉革命のプロテスタントの躍進 >>894-895
>全国的に統一された道徳
それが天皇崇拝だよ。
天皇=国家とすることで、国家主義=支配者の支配の貫徹を目指した。
ちなみに、農業が個人作業という話は、はじめて聞いた。
稲作などの農業には極めて高い集団性、大きな社会資本の集中が要求されるので、アジア的専制が生まれたというのが、定説だ。
定説を待つまでもなく、今日の日本でさえ、共同体への強い同調圧力が時々話題になる。
資本主義経済での分業に倫理はいらない。
ただ工場生産のシステムとして、人を配置すればいいのだ。
むしろ、人間を機械扱いすることに反対してストライキを起こすことの方が、倫理というべきだろう。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。