ポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義2
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『現代詩手帖』 2018年3月号
◎【特集】詩と哲学――新たなヴィジョンへ
◎対談 星野太+佐藤雄一
◎論考 細見和之、山内功一郎、小笠原鳥類
◎作品 野村喜和夫、千葉雅也
ほか グレアム・ハーマンの最近
・「オブジェクトへの道」
『現代思想 2018年1月号 特集=現代思想の総展望2018』
・「大陸系実在論の未来――ハイデガーの四方界」
『現代思想 2018年2月臨時増刊号 特集=ハイデガー-黒ノート・存在と時間・技術への問い-』
・「現象学のホラーについて――ラヴクラフトとフッサール」
『ユリイカ 2018年2月号 特集=クトゥルー神話の世界 -ラヴクラフト、TRGP、恐怖の哲学-』 “四方界こそハイデガーの最高の発見” ― ハーマン
クライン管にも例えられるハイデガーの存在論と、
ハーマンの四方界分析を組み合わせると、
立体マンダラのような話になる。 マルクス・ガブリエル 『なぜ世界は存在しないのか』 (2018/1/13) 『宗教哲学入門』 量義治、講談社学術文庫 (2008)
井筒がやっていた様なこと。
仏教、キリスト教、イスラム教から宗教批判まで、
統一された哲学用語で相対化して通観する一冊。 >>37
欧州人ならハックとは言わないで“ピュシス(=自然神)と言うのかな。 強いて言うなら、アレーテイア(真理)では。
アレテイアは認識の問題であり、その先にある真理。 宗教は神を求めるものであったのが、
いつからか、その中心で真理を求めるようになった。 美しいことだな。神を求めるまでがね。きっと手に入らないだろう。 “わたしは、哲学の唯一の任務とは怪奇実在論(weird realism)であると提案したい。
哲学は実在論的でなければならない。
というのも、その使命は世界そのものの構造を解き明かすことにあるからだ。
“カントが示すアクセス不可能な本体的(ヌーメナル)世界と、
ラヴクラフトが描く怪物たちの謎めいた透明性は、
完全に一致するように思われる。”
“ところが新の実在論は、事物があらゆる関係から切り離されているのだと考えることを要求する。
そこで唯一の解決策として、実在論の風景を、
具体的な対象と現象から切り替えることになってしまうのだ。
その結果、実体を欠いたアトラクターや位相不変量(topological invariant)といった、
さまざまな潜在的存在者が登場することになる。”
“[潜在的なものの哲学による]こうした一歩が見逃してしまうのは、
具体的な対象(実在的であれ現象的であれ)が有する忌まわしい怪奇さである。”
― グレアム・ハーマン「現象学のホラーについて――ラヴクラフトとフッサール」 井上円了(1853-1919)の妖怪学と近い。
> 円了は『妖怪学』『妖怪学講義』などでそれぞれの妖怪についての考察を深め、
> 当時の科学では解明できない妖怪を「真怪」、
> 自然現象によって実際に発生する妖怪を「仮怪」、
> 誤認や恐怖感など心理的要因によって生まれてくる妖怪を「誤怪」、
> 人が人為的に引き起こした妖怪を「偽怪」と分類し、
> 例えば仮怪を研究することは自然科学を解明することであると考え、
> 妖怪研究は人類の科学の発展に寄与するものという考えに至った。 ハーマンは色物に見られがちだが、
中世イスラム哲学の機会原因論から、
スコラ学〜ハイデガーまでの伝統を踏まえている。 >>65
ポストモダン→思弁的実在論の動向について、
本を読んでいるだけでは知り得ない話をしていたから面白かったね。
初心者にも分かりやすいし、
何冊か読むより、これを観た方が早いだろう。 ポストモダンの相対主義が実在論化されつつあることの懸念とか ・『人新世の哲学: 思弁的実在論以後の「人間の条件」』篠原雅武 (2018/1/22)
一万年に及んだ完新世が終わり、新たな時代が始まっている。
環境、物質、人間ならざるものたちとの共存とは何か。
メイヤスー、ハーマン、デランダ、モートン、チャクラバルティ、アーレントなどを手掛かりに探る壮大な試み。
・『現代思想 2017年12月号 人新世 ―地質年代が示す人類と地球の未来―』 (2017/11/27)
さまざまな場所で議論を巻き起こしている「人新世」。その可能性の中心に迫る。
ノーベル化学賞受賞者P・クルッツェンが提唱した「人新世」とは、
人間の活動による環境の変動によって新たな地質学的時代が始まったという仮説である。
地球という惑星のなかで人間はいかなる位置を占めているのか。
そして環境システムの全地球的・不可逆的転換という超巨視的なスケールの変化に
私たちはいかに向きあうことができるのか。
目次*
【論考/エッセイ】
中村桂子/水口憲哉/有賀暢迪/大村敬一/
奥野克巳/北野圭介+飯田麻結+依田富子/桑田学/斎藤幸平/
篠原雅武/林竜馬/原島大輔/C・イェンセン/
D・ハラウェイ/T・モートン/A・マルム+A・ホアンボー/B・ラトゥール… クリステヴァがブルガリア諜報機関に協力していた諜報員だったという疑惑
があるけど、それを言ったら、米国のクワインも元諜報員だし、英国の
ダメットも元諜報員で、常識として知られていることだけれど、郵便局の
職員とかじゃないのだから、一度諜報員になったら生涯諜報員でしょ。
ブルガリアはソ連が崩壊し、西側につくことになって体制転換したから、
(元)諜報員であったという疑惑が持ち上がるわけで、そもそも体制の転換が
ない西側諸国の諜報員やその協力者に関しては、「元」ということが
問題にならない。 で、諜報機関が同盟国に対してもスパイ行為を行うのが当たり前であることは、
近年の報道で大々的に暴露されたとおり。 私は、諜報員やその協力者でない人間の方が例外ではないかと思っている。
これは別に私が自己弁護しなければならない理由があって、そう言っている
わけではない。大抵の人間は、人付き合いがあり、それなりに組織に参加して
いるので、諜報機関には組織のメンバーとして、または協力者として利用する
価値があるが、私のように人付き合いもなく、組織にも属さず、ハッキング
のような特殊な技能があるわけでもない人間は、勝手に振る舞うので、
諜報機関の活動のためには邪魔でしかない。 が、無限と有限の世界なんてロマンチスト過ぎるから反省していたようですね。 ナルシストにも満たないオフサイド。ワンタッチ以下のほうが。 スパイク性のボレーも退屈な差異と反復ボケでしょうね。 無能であることには、少なくとも人に利用されにくいという利点がある 荒野といわば、許されざる者とか?荒らす企図がおかしい。 クリントヌ ウエスト チタン。治安治水下水が下界のノリより。 山家集とか金槐和歌集を手にいるる意味はないけどね。所詮集だものね。 学術って統失レベルで言ったら板トップだな
コーヒーも相当酷いが、まだ本人の発言だけを見れば
一応それなりの統一性がある
だがこの学術とかいうのはそれすらない
かなりの重症 まぁ、日常レベルでもこういう手合はちょくちょく見かけるからネットなら特段珍しくもないがな >>77
おもしろそう
まずはラヴクラフトから読んでみるか 術策 をふるう 法術とかね、隠してるわけ、
それでね、男は古典の綴り、詩学、字韻 とかが大事でしょ。
ま、重症なのは女性かな?三重苦も四日市とか、時代によって
変遷がありますよ。重役出勤、役員報酬のほうが言いわけじゃ?
症状 より賞金、ジイド贋金づくりじゃないけれど。 哄笑とか 企図が立てられないとか、わかるでしょ?
戦死の文学部哲学科的空間時間意識とか、
祖国のために、一国セリつぶしたジャンヌであれ、
カイエ のヴェイユであれ、死後だからタイプを希少に打てるわけじゃないか? 厄年でも日本じゃいられない
。でも、空の便も神戸はレアチーズよりいいしね
人事も、総合的判断も待ちだな。 震災復興も敷居が高いけど、外貨獲得には
賃金請求権というのがある。一番★ね。 エイジアンオールスターやら、ワンスター のスターマン性もいいけどさ。
クツだって、動物とか生物のためには、必要だろうね。
職工人気質の、階級が、マルクスを葬り去ったことも度々あるわな。 ダン・ブラウン
『オリジン』 (2018/2/28)
スペインが舞台で、AIと人類の起源がテーマ。「我々はどこから来たのか、どこへ行くのか」。 >>79
> 中世イスラム哲学の機会原因論
これはガザーリー。
>>126にも出てくる。
日本人にはピンとこないところ。 ジョルジョ・アガンベン
『バートルビー 偶然性について』 (2005)
ドゥルーズと偶然性。キリスト教神学とイスラム神学。1993年の本。 >>65
千葉雅也×東浩紀
「神は偶然にやって来る ― 思弁的実在論の展開について」 『ゲンロン2』 (2016)
メイヤスー『有限性の後で』の解説としては、一番丁寧で詳しかった。
さて、メイヤスーは保守か?革新か? 中沢新一×東浩紀
「原発事故のあと、哲学は可能か」 『新潮 2014年9月号』
"「アジア」の脱構築へ"。言語起源論から、アジア環太平洋哲学の未来像まで。 その時代にあって、程々に不便で不満でありつつ、程々の満足もある
ポストモダンの幻想を諦め気味のシラケ目線でありつつも、同時に希望も抱ける社会構造こそが幸せな時代でもある
要はバランスが重要ってことだな >>131
いや、違う
俺にはアデランスが重要
バランスなどよりも
お前達よ 糞つまらんバランス取りにはなるな 《おさらい》
・カンタン・メイヤスー 『有限性の後で:偶然性の必然性についての試論』 (2016/1/23)
・グレアム・ハーマン 『四方対象:オブジェクト指向存在論入門』 (2017/9/26)
・マルクス・ガブリエル 『なぜ世界は存在しないのか』 (2018/1/13)
これぐらいは読んでおくのがいい。 >>133
『有限性の後で』は、ドゥルーズ/デリダ/ハイデガーの様なジャーゴンがないから誰でも読み始められる。
最優先。 >>133
『四方対象』は新しい実在論や存在論の傾向をうまく整理している。
下敷きにしたハイデガーの「四方界」は、哲学史の重要な分岐点になった。
詳しくはハイデガースレでも。
マルティン・ハイデガー5
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1468060350/431- >>133
《マルクス・ガブリエルの新実在論》
アスリートさんがソレントにいて、ヴェズーヴィオ山を見ているちょうどそのときに、
わたしたち(この話をしているわたしと、それを読んでいるあなた)はナポリにいて、
同じヴェズーヴィオ山を見ているとします。
その時、存在しているものは以下。
(1)ヴェズーヴィオ山
(2)ソレントから見られているヴェズーヴィオ山(アストリートさんの視点)
(3)ナポリから見られているヴェズーヴィオ山(あなたの視点)
(4)ナポリから見られているヴェズーヴィオ山(わたしの視点)
形而上学の場合
・(1)のみが存在する
構築主義の場合
・(2)、(3)、(4)のみが存在する
・(1)は存在しないか不可知
新実在論の場合
・(1)も(2)も(3)も(4)も存在する
・(1)は不可知でない
〜『なぜ世界は存在しないのか』(2018)p13-17 >>137
半世紀もくすぶっていた難問に挑んだ「天才哲学者」驚きの論考
「実在論ブーム」を読み解く
千葉 雅也
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54371
> ガブリエルは、自然科学こそが唯一実在にアクセス可能だという(広く支持されている)立場に否を突きつける。
> そうした科学主義は、特定の「意味の場」を特権化しているからだ。
> 非科学的な実在性もあるし、ファンタジー的な実在性もある… >>138
相変わらず(?)、言葉に振り回されてるんだねw 「自然科学こそが唯一実在にアクセス可能だという立場」が「広く支持されている」かどうかは
大いに疑問の余地があるな。例えば経済学は「実在にアクセス」した研究分野なのであろうか。 >>140
実在という言葉の概念を問題にしているのに、実在を前提とした議論をするという、循環論法なんじゃない? 実在論の規制緩和だね。
「月の裏面に棲んでいる一角獣でさえ存在する」というのだから。 >>137
ガブリエルのロジックは、
「世界は存在しない」が、「世界以外のすべては存在する」というもの。
ここでの「世界」とは、人もリンゴも地球も宇宙も全てを包摂する対象領域のことで、
説明には、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の第一テーゼ「世界とは、成立していることがらの総体である」や、
ジジェクの『無以下』が参照されている。
Slavoj Žižek, Less Than Nothing: Hegel and the Shadow of Dialectical Materialism, 2012 乱暴な議論だなあ。ヴィトゲンシュタイン。世界の王になったつもりでも
失敗未遂。 >>147
そのことを『なぜ世界は存在しないのか』というタイトルにして、
本一冊使って、色々な角度から何度にも渡って説明しているのだけどね。
例えば、>>143にある様な、互いに連関をなして一個の全体を形づくっている「世界」というものを見たことがあるかな?
その端から端までを見渡せるかな? >>137
ウィトゲンシュタイン/ハイデガー/ガブリエル
・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』の「世界」(p52)
“1 世界とは、成立していることがらの総体である。
1.1 世界は事実の総体であって、物の総体ではない。”
・ハイデガーの「世界」(p69)
“世界とは、物の総体でも事実の総体でもなく、存在するすべての領域がそのなかに現れてくる領域のことです。
存在するすべての領域は、世界に含まれている。
マルティン・ハイデガーが適切に定式化したように、世界とは「すべての領域の領域」にほかなりません。”
・ガブリエルの「意味の場の存在論」(p292-293)
“いかなるものも、何らかの意味の場に現象するからこそ存在する。
そのさい、全てを包摂する意味の場(=世界)が存在しえない以上、限りになく数多くの意味の場が存在するほかない。” >>148
すべて言葉の定義の問題。
定義をせずに、実在だの存在だの世界だの意味だのと言っても、無意味だろ? ハーマンやガブリエルも読んでみると、メイヤスーはラディカルな分、硬いところがある。 表象と実在の関係
分離型
・カント(表象主義)
・ハイデガー(表象主義)
・メイヤスー(表象主義批判)
一致型
・仏教密教(表象と実在の一致)
・道元(一致させたものの反転)
・京都学派(現象即実在論)
・ハッラージュ(アナ・ル・ハック(われは真理なり))
棲み分け・共存型
・ハーマン
・ガブリエル
アクセス型
・ハイデガー(抹消記号、四方界)
・デリダ(痕跡)
・ドゥルーズ(リーニュ(線)) >>153
> 分離型
メイヤスーは、表象主義を批判。分離された実在に注目する一方、受け手は消去した。
> 一致型
密教は、表象と実在の分離を認めつつ、その両者の一致を行ってきた。
道元に至っては、「諸法は実相」を「実相は諸法」と反転させる。人々の求める真実とは、経験的世界の諸現象そのものに他ならないと。
> 棲み分け・共存型
ハーマンとガブリエルは、様々なレベルの実在や対象の棲み分け・共存を認める。
> アクセス型
これらは密教。 密教/絶対的一元論
“絶対的一元論の哲学的立場を実践的に把握するためには顕教的立場を超えて、密教的な修法が要求されるのである。
たとえぽギリシャにおいてもオルフェウス教の密儀や新プラトン派では哲学思想が神秘の秘儀にまで高められる。
中観派の般若思想が密教にまで進むのも、思想史の必然的な発展と見られる。”
『インド思想史から見た真言密教 (文部省科學研究費綜合研究成果特輯號二)』 (1957)
渡辺照宏
https://www.jstage.jst.go.jp/article/chisangakuho/6/0/6_KJ00009415323/_pdf/-char/ja グレアム・ハーマン(Graham Harman、1968年5月9日 - )
[和訳]岡嶋隆佑監訳、山下智弘、鈴木優花、石井雅巳訳『四方対象: オブジェクト指向存在論入門』人文書院、2017年。
クァンタン・メイヤスー(Quentin Meillassoux, 1967年 - )
[和訳]千葉雅也、大橋完太郎、星野太訳『有限性の後で』人文書院、2016年
カトリーヌ・マラブー(Catherine Malabou、1959年 - )
明日の前に
カトリーヌ マラブー (著), 平野 徹 (翻訳)
出版社: 人文書院 (2018/6/26) 表象主義の二面的構造は、真理の「隠れと顕れ」として以下のように辿ることができる。
ハイデガー → ソシュール → カント → ルター → キリスト教 → ギリシャ語の真理「アレーテイア」 ルター「ハイデルベルク討論」における解体/構築
<解説>
「ハイデルベルク討論」の終わりのところで「十字架の神学」が隠れたる神の逆説として展開する。
ルターによるとキリストにおいて自己を啓示する神、つまり顕れた神は、もっとも深く自身を隠している神である。
(略)キリストは苦難と十字架というローマの極刑に付けられた、見るかげもない哀れな姿において自己自身をあらわす。
<本文>
(19)神の「見えない本質が」「造られたものによって理解されると認める」者は、神学者と呼ばれるにふさわしくない[ローマ 1:20]。
(20)だが神の見える本質と神のうしろ[出エジプト 33:23]とが、受難と十字架によって認められると理解する者は、神学者と呼ばれるにふさわしい。
[独語] Die Heidelberger Disputation
http://www.reformatorischeschriften.de/Hddisp/hddisput.html
[英語] The Heidelberg Disputation
http://www.catchpenny.org/heidel.html
解説…『ルター神学討論集』 マルティン・ルター、金子晴勇 (2010)
本文…『ルター著作選集』 マルティン・ルター、徳善義和ほか (2012) ルターはギリシャ的スコラ神学を解体し、原始キリスト教的性格を洗い出した。 >>163
デリダの脱構築(déconstruction) → ハイデガーの解体(Destruktion) → ルターの解体(destructio)
の経緯については、以下が詳しい。
・宮ア裕助 「プロト脱構築について――ルター、ハイデガー、デリダ」
『現代思想 2018年2月臨時増刊号 総特集=ハイデガー -黒ノート・存在と時間・技術への問い-』
・茂牧人 「なぜ日本にキリスト教哲学が必要なのか」 (2009)
https://serve.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=49&block_id=42&item_id=1245&item_no=1
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