この世界が仮想現実だとしたら、哲学の意味は?
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この世が仮想現実だとしたら、哲学は無意味?意味がある? >>229
いや、そんなことはないぞ
むしろ、これほど人類を揺るがす大問題は他にないくらいだ 興奮してイキリ立つ奴が出てきても、不思議はないテーマだ 大学院もですけど〜仮想現実は〜生活費がかかるので〜 >>235
テクノブレイクで死ねば良かったのに。
言い訳ブサイクwww 学位ぐらい取得しろよクズwwwww
国に帰れwwwwww
今すぐ死ねwwwww まあ、そうカリカリしなさんな
こちらは、「この世は仮想現実だ」と言ってるだけ
べつに、「お前の人生には意味がない」とか、「お前には生きる価値がない」とか、そういうことが言いたいわけじゃないので >>232
あんれまぁ随分とイキってらっしゃるようで(笑)
そんなに癇に障ったんだね。
なんかゴメンね〜 それにしても、地球人類の大多数は、21世紀のいまも、相変わらず素朴実在論で生きている。
つまり、この世は実在の世界であり、物質は実在すると信じている。
信じているというより、疑うことを知らない。
疑ったことがない。
主としてキリスト教とイスラム教の影響により、あの世があると信じている人は多いが。
「この世は仮想現実である」という、明確な認識に至った人はまだ少数だ。 古代インドの瞑想哲人も、「この世は仮想現実である」ということを見抜いていた。
しかし、それは、世間の一般人にとっては信仰の領域。
「ブッダやシャンカラがそういうのなら、そつなのだろう」とか、
「ラマナ・マハルシがそういうのなら、そうだろう」という話だった。
ところが、現代になって、物理学者たちが、実験と観察、計算を繰り返した結果、
「物質というのは、われわれが思ってたようなものじゃなかった。
物質は素粒子でできているのだが、その素粒子の中身は空っぽだった」
という結論に至った。
こうして、地球人類は、「実は、われわれのいる宇宙は、実在していない。
これは、仮想現実だったのだ」ということに気づく段階を迎えた。 そう、素粒子というのは、中身が空っぽだったのだ。
それも、ピンポン玉みたいに、外側に殻があって、内側には空気が入っている・・・というわけではない。
素粒子には、外側の殻すらないのだ。
原子核はプラスの電荷を持ち、電子はマイナスの電荷を持つ。
プラスとマイナスは引っ張り合ってくっつこうとするが、プラス同士、マイナス同士は反発して離れようとする。
このプラスとマイナスをうまく並べることにより、素粒子と素粒子は、適度な距離を保っている。
これを人間が見ると、物体に見えるというわけだ。
中身は隙間だらけのスッカラカン、というより、何もない空虚なのだが、
うまく並べてあるおかげで、マクロな目で見ると物体に見える。
そういう、巧妙な仕掛けが続々と発見されてきた。
いまや、「どうやら、われわれのいる宇宙は、今まで考えられてたようなものじゃなかった。
ここは、仮想世界なのだ」ということに、地球人類は気づきつつある。 このプラスとマイナスの配列は、配列のしかたによっては、ガッチリと結合していたり、ゆるく連なっていたりする。
ガッチリと結合しているものは、人間には「硬い」と感じられる。
ゆるく連なっているものは、人間には「軟らかい」と感じられる。
本当は、それは電磁作用にすぎない。
われわれ自身の脳が、それを硬さとか軟らかさといった「触感」の情報に変換している。
要するに、われわれが日常、「物質」だと思っているものは、じつは「電磁作用」なのだ。
人間がコンピュータ内に構築する仮想空間のなかの、電磁信号でつくられた物体と、その本質はなんら変わるところがない。 宇宙がビッグバンして粒子がばら撒かれて、電子によってくっついたり離れたりしながら
人間の皮膚が出来上がるとか、どんな理屈か
誰か説明してもらえないでしょうか どのような作用というか理屈で、それぞれの物質が
そのものの形を形成したり、その形を保ったりするんですか >>245
アリストテレスの「形而上学」に、その答がある まず第一に現実社会とは帰属意識
ほかの世界の記憶や意識を持っているならここが仮想現実となる
それがないならこの世界がほかの世界シミュレーション世界であってもここが私たちの現実だ
ゲーム内のキャラはゲーム内でしか存在できない
つまり私たちはこの世界でしか存在できないのだからここが私たちの現実であり戦う場だ
この世界で負け犬だからと言って逃げ場はない
あきらめてこの世界のゲームのルールに則って負け犬から脱しなさい >>247
たとえ、この世界が、存在する唯一の世界だったとしても、これが仮想現実であることにかわりはない >>248
スピノザの「エチカ」などと同じく、読み始める人は多いが、最後まで読み通す人は極めて稀な本のひとつ この世界は、明らかに、本当は何も無いにもかかわらず、「物質が在る」とわれわれ人間に思わせるように出来ている
そこが、仮想現実たる所以
それと、「この世界の他にも、別の世界があるのだろうか?」というのは、また別問題 >>250
読み始めさえすれば読みきります、ありがとう >>249
そうなると君のは単なるトートロジーに過ぎないということになる
現実を仮想現実と言い換えているだけでは? >>249
存在する唯一の世界が「仮想現実」とはならないのではないでしょうか、他に本質の世界があった上で、仮想現実が成り立つのではないかな >>253
「コンピューターの中に作られた仮想的な世界を、あたかも現実のように体験させている」というのが、仮想現実の定義
この世界が仮想現実であるというのは、その内部の住人であっても、この世界をよく観察し、突き詰めて考えれば、見抜くことができる
べつに、「私は幽体離脱して、真実在の世界を見てまいりました」とか、そういう必要は一切ない 例えてみれば、現代の世界に、機械じかけのロボット宇宙人が住んでいたとする。
大勢の人が、それを本物の宇宙人だと信じていたとする。
大勢の人が信じてさえいれば、宇宙人が現実に存在すると言えるのか?
そうではない。
やはり、それはフェイクであることに変わりはない。
この場合、「地球外のどこかに、本物の宇宙人がいるかどうか?」は、特に関係ない。
本物がいようがいまいが、目の前の「宇宙人」がフェイクであることに変わりはない。
それと同じように、この世界がフェイクであることと、「どこかに本物の世界があるかどうか?」は別問題。
どちらにしても、この世界がフェイクであることに変わりはないからだ。 >>256
フェイクというのは模造品ということですよ
偽物
本物があるから偽物がある
本物があるから模造出来るのではないでしょうか
実在があって、仮想があるのでは なぜ、こういう話をするかというと、いつも、こういう流れになるからだ。
こちらが「この世は仮想現実だ」と言ってるのに対して、必ず、「どこかに本当の世界があるなどという、根拠のない話をするな」と言い出す人がいる。
こちらは、「この世は仮想現実だ」とは言ったが、「どこかに本当の世界がある」とは言っていない。
それとこれとは、別の問題だ。
「この世は仮想現実だ」というのは、哲学にとって重要なテーマだ。
でも、「どこかに本当の世界がある」というのは、哲学のテーマとはなり得ない。
それは、宗教もしくはオカルトの領域。 >>257
それなら、「フェイクのツチノコ」とか、「フェイクのイエティ」を考えてみればいい
たとえ、ツチノコやイエティが実在しないとしても、「本物そっくり」なフェイクを作ることは可能
「本物」は、あえて言えば、人間の意識の中にある観念
それを元にすれば、たとえ本物がいなくても、「本物そっくり」なフェイクのイエティを作れる >>259
本物は人間の意識の中にある観念
それこそが、どこかにあるイデア界(実在)なのではないでしょうか 古代インドの釈迦も、「この世は虚構の世界だ」と弟子たちに力説していた。
「では、あの世はどうなってるのですか?」と聞かれても、それに対しては答えない。
重要なのは、「この世はフェイクである」ということ。
ここは、あまりにもリアルな世界。一見すれば、本当に存在しているように見える。
でも、よく瞑想して、ジックリと観察し、突き詰めて考えれば、フェイクであることが見抜ける。
それと、「あの世はどうなってるのか?」は別問題。
そんなの、死んでみなけりゃ分からないだろう(笑)。
生きてる間にそれを考えたところで、どうせ答は出ないから時間のムダ。 人間の意識の中にある観念
それこそが真実在であり、物質世界がフェイクなのかもしれない
まさしく、逆転の発想 >>263
逆転の発想というか、釈迦の言う「この世は虚構の世界だ」ですよね
真理なのではないですか?
仮想現実が本物だと思って疑わない限り、この世が自分達にとって唯一の現実ですが
今ここにいる人達のように、この世が仮想現実ではないかと疑った自分で
この世は虚構、本質は別にある
になるのではないでしょうか >>255
だからその見抜くことができるという根拠はなんだね? 全てが仮想現実だと思わないこと。デイヴィジョンなどを想定。 虚構の世界は現実とつながっていて、虚構と現実は切っても切れない関係にあるのです。 我が身/実が現実としてあるのは、生きている間だけ
死んだら、そこにあるのは我が身/実ではなく、死体、骸、亡骸 仮想現実から逃げずに残っていたから、やっぱり、非は自分にあると納得してもらわないと >>264
実際のところ、普通は、目の前にある物体が本当の存在であり、意識の中の観念は実在しないとおもうところだけど、本当は逆なのかもしれない。
じつは、意識の中の観念こそが真実在であり、眼前に展開する物質世界はそれの模写であることも、十分に考えられる。 東西の聖人・賢人である釈迦もプラトンもそういう見方をしているのだから、かなりの説得力がある。 釈迦が言うには、この世は人間の五感で成り立っている。
人間の意識のなかの、視覚・聴覚・触覚・・・のおかげで、この世界がリアルに感じられる。
しかし、じつは、この世界はフェイクである。
量子力学もクオリア理論もなかった大昔に、よくそれを見抜けたものだ。
どうやって見抜いたのかは分からない。 >>264
ではなぜこの世が現実ではないと思うのか
その代わりとなる感覚は何処で得たのか
その記憶はあるのか
ということになる訳ですが
仮想現実で感じたリアルとの錯誤からこの世もひょっとして仮想現実ではないかという疑いはわかります
しかしそれ以上の実感や記憶がない以上は疑いでしかなく確証は得られない
得られているならそれを提示してくれればいい
それがないから戯言・妄想だと断じているんですが
仮に自分にしか感じられない実感の記憶があるというならそれは他者である僕にはわからないので「へー」と聞き流すしかありませんがね 仮想現実と現実が似ているからこの世も仮想現実だというからそれは逆だよねと皆さんは馬鹿な人達に諭しているわけですよ
現実を模して仮想現実を作っているんですから 僕はなたたちのお母さんや先生じゃないので残酷な真実を客観的に告げているだけです
多くの人たちが歯に衣着せて言う処を無視してお前たちは馬鹿だと教えてあげているんです
ありがたく思ってほしい
これでバカから卒業できるきっかけを得るんですから >この世界が仮想現実だとしたら、
仮想じゃないもんな
下層板ではあるけど >>274
>仮に自分にしか感じられない実感の記憶があるというならそれは他者である僕にはわからないので「へー」と聞き流すしかありませんがね
「へー」と聞き流してくれれば結構
当方には、何の不満もない(笑) >>274
こればっかりは自分で体験しなければ、理解出来ない事です
口頭で伝えるにはとても難しいのですが、上手く説明出来るように考えておきます
時間がかかるかもしれないですけど >>275
いや、そうじゃないんだよ。
アインシュタインが相対性理論を発見したのは、百年前のこと。
物体が加速して、光速に近づくにつれて、時間の進みかたが遅くなる。
当時の人々にとって、これは意味が理解できない謎の現象だった。
でも、その後、コンピュータが登場して、急速に発達した。
その結果、「コンピュータというのは、処理すべき情報量が急激に増えると、処理速度が遅くなるものだ」
ということが、経験的にわかった。
この、「物体が急激に加速すると、時間の進みかたが遅くなる」と、
「情報量が急激に増えると、コンピュータの処理速度が遅くなる」という、2つの事実。
一見、何の関係もない。
しかし、そこには奇妙な符合が感じられる。
「ひょっとして、相対性理論の原理も、そういうことなんじゃないの?」と思う人々が出てきたのは自然なことだ。 この「処理すべき情報量の制約」という考え方を導入すると、相対性理論のナゾも、量子力学のナゾも、妙にキレイに解けてくるんだな。
だから、シミュレーション仮説を支持する人には、コンピュータ技術者が多い。 この宇宙を見れば、莫大な情報量に思える。
これほどの情報量を処理できるコンピュータなど、あり得ないと思うかもしれない。
しかし、実際には、見た目ほどの情報量ではない可能性がある。
この宇宙がゲーム内の3D映像だとすると、緻密に描き込まれているのは、プレイヤーの周囲だけ。
あとは、ボヤけた手抜き映像だ。
背景は、ハリボテだ。
そこには色彩も音声もない。
プレイヤーが近づくと、そこはアクティブになり、離れると、スリーブ状態になる。 情報量が増えると処理速度が落ちるって当たり前やろ
負荷をかけて処理速度があがったらおかしいだろと 仮想現実だと緻密な処理結果もハリボテ
フェイク思うゆえにフェイクあり
見抜くことができるという根拠に答えないのはフェイクさんだから 処理すべき情報の量というけど、宇宙、その域外の広さをしては多少は無理するべきじゃないか? >>287
そりゃ、いくら節約するったって、それなりの情報量にはなるわなあ 緻密に描き込まれているのは、宇宙の中でも地球だけ
他は手抜き映像だ
地球といっても、地底や深海は手抜き
人間が潜っていったときだけ周囲がアクティブになり、高精細な映像になる 無数のパラレルワールドで、同時並行して多くの試行回数をこなしているという話もある
それが本当なら、そんな大量にシミュレーションして、宇宙はいったい何をしようとしているのか? 輪廻転生思想の人は、通常、「人間はこの世に生まれて、自由意思で選択しながら生きている」と思っている。
でも、そうとは限らない。
「この人物になりきって、体験ツアーをしてみよう」という話なのかもしれない。
つまり、自分の人生は、もともと最初から最後まで、すでに終わっている。
その自分の意識に憑依(?)するような形で、「なりきり体験ツアー」をやってるのかもしれない。
というのも、脳科学の専門家に言わせれば、たとえば、「左手を伸ばして、本棚あの本を取ろう」と思ったとする。
なんと、自分の心がそう思うより、ほんの少し前から、脳は、左手に指令を送るためのウォーミングアップを開始するというのだ。
「左手を伸ばそう」と思ってから、脳が動き出したのでは、とても間に合わないらしい。
じつは、脳は心の動きを事前に予測(?)し、ちょっと前から動き出す。
ひょっとしたら、われわれの人生は、何もかも脳が演出してる芝居なのかもしれない・・・という疑念すら抱かせる時事だ。 たとえば、スターウォーズの映画があったとして、「ルーク・スカイウォーカーを体験してみようか」と思い、その登場人物の立場を経験する。
血わき肉おどる、エキサイティングな体験だ。
その間は、自分の意思で動いてるつもりでいるが、じつはその人物になりきり体験をやっているだけ。
「ああ、面白かった。じゃあ、次はアナキン・スカイウォーカーを体験してみよう」ってな感じで、本当は自由意思なんか無いのかもしれない。 ワールドカップでオウンゴールした人が、「ああ、しまった。もうちょっと違う角度で足を出していれば・・・」と後悔する。
「なんで、俺はあんなバカなことをしてしまったんだろう」と悔やむ。
しかし、じつは、それは事前に決まっていたのかもしれない。
むしろ、「このワールドカップでオウンゴールする人の意識になってみて、どういう気持ちになるかを体験してみよう」というような、一種の体験ツアーをやってる可能性もある。
じつは、ゴール前で足を出すタイミングや角度は、脳が決めている。
本人の意識は、それを追体験しているだけなのかもしれない。 人がそれぞれの仮想現実を生きているとしても、地球の歴史は、今日も未来に向かって進んでいる マルクス・ガブリエルによれば、人はそれぞれの世界を生きているのであり、全体としての「世界」は存在しない 他人や他の動物になってみるのは誰しも無理なので分からないのだが、それぞれの認識には大きな差がある
それぞれが生きている世界は、実際には大きく異なっていることが推測される 「世界は数式でできている」というのは、数学や物理に詳しい人に特有の世界観であり、そうでない人には説明しようったって無理
言語の専門家は、「世界は言語でできている」と思うわけだから、同じことかもしれないが このとおりバカは抽象化された世界という意味を理解できずに勘違いしてしまう
悲しい結果がこのスレでした。
哀れなり
そして実に情けないバカどもだ…… 神さまが仮想現実の世界を作り出してるんなら、この世の仮想現実は、
実は自分たち人間のためにあるんじゃなくて、実は神様のためにあるのかも。 >>305
まあ、誰のためにあるかは別にして、「ボクの魂を鍛えるためにあるのだ」というのは、さすがに自分のことばかり考えすぎと思われる。
それよりは、地球生命系ひいては人類の進化を見ているのではないか。 地球生命系の進化や、地球文明の進歩をシミュレーションしている。
設定条件を変えては、何度でも試行している・・・
もしも創造主がいるのなら、そういう感じではないのかな。 地球生命系の進化や、地球文明の進歩をシミュレーションしている。
設定条件を変えては、何度でも試行している・・・
もしも創造主がいるのなら、そういう感じではないのかな。 多くの人の考えは、「これは私の人生の修行なのだ」という方向に行く。
確かにそういう面もあるだろう。
生物の進化にも、文明の進歩にも、意識進化が欠かせない。
この世は、個体の意識を進化させるシステムでもある。 人間の思うことや考えることは、脳の電気信号や化学反応だ。
われわれは、それを自分の意識だと思っている。
しかし、自分の意識というのも、じつは脳によって演出されている可能性が高い。
脳神経系に化学物質が分泌されることにより、心には喜びや怒りの感情が起きる。
どこまでが霊的な作用であり、どこからが脳の動きによるものなのかは分からないが、われわれが日常で感じるよりも、脳による影響が大きいと見るべきだろう。 ここで錯覚しやすいのは、物事が起きる時系列的な順序だ。
心に喜びや怒りの感情が起きて、その結果、脳内に化学物質が発生するというわけではない。それは順番が逆だ。
本当は、まず、脳内で電気信号や化学反応が起きる。
それによって、心に それによって、心に感情が起きるのだ。
この順番を間違えると、脳と心の関係を誤解することになる。
通常、日頃の日常生活において、押さえきれないほどの怒りがわいてきたとき、人は、「脳がこの感情を引き起こしているのだ」とは思わないであろう。
しかし、冷静かつ客観的に見れば、それが結論となる。 >>312それアドラー心理学の「目的論」ですね
「行動や感情は目的の為に作り出される」
初めに原因ではなく結果があり、結果の為に人間の感情や目的(原因)が起こる
風邪をひいたから学校を休んだのではなく
学校を休むために風邪をひいた的な話だったと思います >>305
初めから神が自分のために創造活動を永遠に繰り返しているだけだと思いますよ
そもそも人間の中身は意識で、意識は神ですから
神は創る、創る行動そのものが神
てゆーか人間のためだけの世界があると思っていること自体が烏滸がましいですね 神が自分全体の為にひたすら創り出す
創り出したものを体験するために、神が自分の一部を切り離して魂にする
細分化された自分の一部が、大元の神の元に戻るために自己浄化を繰り返す
神の意志と、切り離された方の意志が一致しない
世界ってこれなんじゃないかな、と最近思ってきました >>313
結果の為に原因(人間の感情や行動)が起こるでした
書き間違いすいません
要は原因と結果の法則が逆だってことですね 全人類、もしくは全生物、あるいは鉱物を含む存在する者すべての集合意識
それが神だと見ることもできる 物質は、リアルな立体映像にすぎない
壁は通り抜けられないし、布団はフカフカしているが、それらは電磁気力による結合だ
その背後にある意識こそが真実在 集合意識が、こんな世界を生み出したのだと考える人も多い
しかし、それには疑問も残る
この世界は、明らかに「物質が実在すると人間に錯覚させる」という巧妙な仕掛けが凝らされており、そこに何者かの作為が感じられるからだ
いくら「集合意識が生み出した」といっても、自然発生的に湧き出してきたにしては、うまくできすぎている それ以前に、「なぜ、何もないのではなく、意識が存在するのか?」というナゾが残る 意識だって特別なものではなく単なる物理現象だよ
なぜ物が存在するのかと問うのが正しい >>1
仮想現実を否定できないかぎり、それは哲学もどきであっても哲学ではない。
>>324
物理現象の模様は物理現象ではない。
模様とは「解釈する側によって生じる意味」であって、木目に黒い点が3点あれば顔に
見えてしまうという愚かな科学証明を顔の模様は物理現象だと言う非客観論にすぎない。
他者が反証できないそれを科学とか言い出すんだろ?どこぞの中2病だかしらんが、頭よわいな 頭強いやつがすぐに感情的になって発狂してくる訳か
面白い脳ミソしてるね 仮想現実を否定できないだろ!ってのはカラスが黒いことを証明しろってのと同じ
厨房並の知能 危険な状況になると、内分泌系がアドレナリンを発生させ、それをキャッチした脳神経系が「恐怖」という感情を引き起こす。
これも科学常識だが、この事実を先入観なしで見たならば、「心に感情を起こしているのは、脳だ」ということにならざるを得ない。
人は通常、心というものを、何か特別なものと思っている。
要するに、霊的な存在だと思っている人が多い。
そういう人々にとって、「感情を引き起こしているのは脳だ」というのは衝撃的な事実。
「自我」を演出しているのも、ほとんどが脳の働き。 脳こそは、この世での「人生」を演出するための装置といえる
この世界は仮想現実であり、人生は仮想体験にすぎない
それをリアルなものにするための仕掛けは、じつに手が込んでいる >>329
ちょっとわからないのですが、その
「脳」は仮想現実ではなくて
現実なのですか? >>330
仮想現実であったらということを思考実験としてやるならまだしも
何物でもない君らが仮想現実である可能性をいくら突き詰めても真実には辿り着けないよ
そんな誰にも分からないことを真面目に考えても意味がない >>330
脳も仮想現実だと思いますよ
思考を司っているのは脳ではありません
身体に命令を下すのは、脳と腸ですが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています