カール・マルクス 16
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確かに、生まれたときと場所が違えば、精神の病気を発症した事例として隔離施設に
強制収容されていたかもしれませんね。 ヘーゲルの話すり替えか
止揚?否定?保存?
ではなく現状「廃棄」の問題以外どうでもよい タカタとマルクスに何の関係があるのだろう
これもロバート・キヨサキが背後で糸を引いてるのかな? 私有と市場経済を維持する見せ掛けを保ちながら、実質的に制度の運用を
完全に恣意的に上からコントロール可能にして、私有の概念を空洞化させる。 私有財産なんて幻想、あらゆる財産および組織は公的存在である
犬や猫でも自分のものだからと食べてしまえばそれを愛護している社会が許さない
個人企業問わず、私的自由とは一般意思に認可された範囲で任されている裁量に過ぎないのだ 所有すら曖昧なのに
Web上のある相対的な場にいかなるタイポグラフしたつもりだろうがWebはWeb
建前は崩壊しない
それ以外の身振りを所有していない者たちはに限ってだが
いずれにせよ《order‐体制(注文可能性)》の罠?について思考する気あんの?
マルクスは文化人類学が欠けてるという批判もあるが、逆に人類学がマルクスの仕事に追い付いてないと俺は思う。 一般意志とは同調圧力のこと
良し悪しは別として統治権力は一般意志を体現しない >>276
日本語の勉強をしてからか、病気を治してから書き込んでもらえるとありがたい。 >>277
一般意志の定義にもよるが、一般的には一般意志と同調圧力は関係がない。
これも定義によるが、統治権力は一般意志を体現しているから権力となることができる。 見せ掛けだけの真実をもとに繰り広げられる
建前に過ぎない本音と身も蓋もない偽善の終わりなき対立 https://www.youtube.com/watch?v=FhC5Rg_WfMg
再生時間4:12で並んではためいているのは、左から順にそれぞれ
Joyson Safety Systems、中国、ブラジル、米国、サンパウロ州の旗ですね。 内田学派まだいたのか
さて、何の問題も挙げないこのスレの存続意義について 統治権力は一般意志を体現していると自称しているだけ
北朝鮮は常に支持率100% 外化(疎外)された商品とはローガンポールである
ホリエモンを公的存在へと解放するのが現代人の歴史的使命なのだ 公って言ってもどこからどこまでなのかわからないよね 人望(人脈?)とお金があれば疎外されてると言えるのか? タカタ問題とか小さなことだけど、だからこそ試金石の役割をするんだよ。
この程度の問題にういて誰に、何に忖度をしているのか知らないが、
事実関係をまったく追求することができず、沈黙するか、誤魔化すような
誘導情報しか流すことのできないメディアや「知識人」が、もっと重要
で危険な問題について真実を追求してるなんてことが到底あり得ない
ことは明白。信用する価値がない。 >>289
彼らの意識は己が寄生する社会の外側にある。利用はするが、責任は負わない
自国外の観光地で悪戯する韓国人のような意識を、己が属する社会に対して持つ
トロツキーのニーチェ論を参照せよ >>284
権力を維持するためには、独裁者といえどもその集団の一般意志を体現しないといけない。
一人で周辺の人物すべてを葬り去ることはできないのだから。
北朝鮮であろうがマフィアであろうが暴力団であろうが、はたまた安倍であろうが、それは同じこと。 >>291
やられてる観光地の住人も旅行者に対して立場上あまり変わらんというニュアンスも言ってる
俺に参照先を指定するな殺すぞてめえ >>293
その集団の一般意志とやらをどう体現する?
そもそも一人で戦おうとしていない
代表だよ >>295
代表というのは、その集合(集団)の一般意志の体現者のこと。 >>297
どう体現するかではなく、体現(利益を代表)してる人間が、代表に選ばれる、あるいは独裁者として振舞える。
見返りが多いとかいう現実的な利益であれ、自分の理念に近いという精神的な利益であれ、その利益を与える人間だと認められるから、代表なり独裁者なりになる。 荒らしが次から次へと現れるね
政治板や経済板でやったほうが相手してもらえるだろうに ははw 結果的に権力を握ればそれは一般意志の体現者なんだってさ
頭の中が北朝鮮だとそうなる
キムマンセイ将軍は世界の一般意志! 言ってる本人ですら意味がわかってないであろう抽象論によく噛みついていけるな ガチャピン「ムック今日は何曜日だい?」
ムック「ムック曜日!」 同類相憐れむという情動を最大限に活用して自己裁量の権限を大幅に拡大強化することが危急の課題です 佐々木 隆治 著『カール・マルクス』ちくま新書にさらりと、
《後にエンゲルスから厳しく批判されることになる左派の経済学者、オイゲン・
デューリングも、リービッヒの理論に注目し、「意識的な物質分配の規制」を訴えた。》
と書いてある。これはある意味衝撃的だ。
デューリングはマルクス、エンゲルスよりも先にリービッヒに言及していたことになるが、
基本的にマルクスもエンゲルスもデューリングのリービッヒへの着目は無視しているからだ。
彼らがリービッヒのプルードンへの賞賛を意図的に無視しているのと同じパターンだ。
デューリングのリービッヒへの言及は斎藤幸平の以下の研究に詳しい。
Karl Marx’s Ecosocialism: Capital, Nature, and the Unfinished Critique of Political Economy Kindle版
Kohei Saito (著)2017 https://www.amazon.co.jp/dp/B06VSFFLDR/
斎藤は『マルクスとエコロジー』に関連論考を書いているが上の邦訳はない。
書評
http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/13158/1/84-3ozawa.pdf
エンゲルスもマルクスも後年デューリングを読んで批判しているが、プルードンに対してと同じく
晩年に至るまでデューリングの功績やそこからの自分達への影響は無視するようにしている。
デューリングはケアリ(1793-1879)のアソシエーション論(タウンシップ論)とリービッヒの
土壌疲弊理論を比喩的につなげている。後の持続可能性議論の嚆矢だ。
デューリング原論考は以下のリンクから飛べる。
http://www.hetwebsite.net/het/profiles/duhring.htm Carey's…1865
https://books.google.co.jp/books?id=zkEVAAAAYAAJ&pg=PR1&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false
[ケアリーの経済学と社会科学の革命 未邦訳]
『反デューリング論』以外にクーゲルマン宛のマルクスの書簡(大月全集32,442頁)等も参照。
斎藤幸平が邦語文献で触れているフラースについては大月全集32,45頁を参照。
フラース(Fraas,1847)の発見もフーリエの方が早いことがこのマルクスの手紙でわかる。 人文学における記述の重要性を理解していないか、意図的に無視しているのだろう。 哲学者は世界を解釈する。
共産主義者は世界を変える。 現生人類も生物として見れば、他の動植物とたいして変わらないわけです。
所与の或る環境で他の生物の集団や個体はあまり見られないのに、ある特定
の集団の生物が繁殖している、またはいくらかの個体が生存しているとする。
その所与の環境が、その特定の集団またはその特定のいくらかの個体に
比較的に有利であるかどうかは、他の集団または個体はそうではないのに、
その集団は繁殖している、またはそれらの個体は生存しているという事実
自体によって示される。人がその様子を観察しても、その集団やそれらの
個体が、「不利な状況にもかかわらず」他の集団や個体よりも「いっそう
努力したから成功している」などとは微塵も思わない。ところが、
同じようなシナリオを自ら、または自らも属する集団に当てはめた場合、
自分、または自分たちは、他の人々とは比べものにならないほど「特別に
努力したから成功しているのだ」と主張することが当たり前のように
行われる。ここには明らかにダブル・スタンダードがある。しかし、
重要なのは、ダブル・スタンダードを拒絶して、記述をノッペラボー
なものにすることではなく、むしろ、そのようなダブル・スタンダード
がどのように相互に利用されて社会が組織され、動いているのかを
適確に記述することだ。 人文学はアンチ・サイコパスとしてある、というよりむしろ、
アンチ・サイコパスの役割をしないものは真の意味での人文学ではない。 >>311
なんとか読んであげた。
スタンダードというものが、自分の外にあると思っているところが、哲学的だな。 自分の外と内を区別するスタンダードはどこからもってきたの? 「(読んで)あげた/(読ませて)もらった」を区別するスタンダードもどこから来たのか不明ですよ? サイコパスは、ダブル・スダンダードを無視するわけではない。
ノッペラボーな記述から見て、ダブル・スタンダードを巧みに利用するのである。
サイコパスではない一般的な人々にとってダブル・スタンダードは恥ずべき
ものであり、隠されるべきものであるので、それを用いていることを
認知したくない/されたくないという意識が働く。
サイコパスにはそのような意識が働かず、厚顔無恥にダブル・スタンダード
を利用することができ、そのことが他の人々と比べて自らに優位をもたらす
ことをよく知っている。人文学がダブル・スタンダードを意識的に記述しよう
とするのは、それを廃棄するためではなく、アンチ・サイコパスとしての
機能を果たすためである。 人文学がアンチ・サイコパスであることをやめ、サイコパスの僕(しもべ)
として振る舞うなら、社会全体がサイコパス化することは避けられないであろう。 人文学は、普通の人々が暗黙に読んでいる空気が読めないから、不都合な
事実に執拗に言及して、それを人々に認めさせようとしているのではない。
人々が当たり前のように暗黙に空気を読んでいることがもたらす結果の
危険性を察知しているから、その危険性を人々があらかじめ認識し、
それを受け入れることを承認しているのかどうか、人々に確認する
ことを求めているのである。 社会のサイコパス化は、サイコパスと卑怯者と馬鹿が協力し合うことがなければ成功しない。 >>314
それは自分に聞いてよw
>>315
あげたとかもらったというのは言葉の規範。
スタンダードという価値観ではないよw >それは自分に聞いてよw
だから聞いてるんじゃない。 >>324
自分に聞いて、というのは、あなたがあなた自身に確認して、という意味の慣用句。
日本語が不自由な人? >自分に聞いて、というのは、あなたがあなた自身に
だから、あなたがあなたにという場合の内と外の区別はどこからきているのか
聞いているのですよ? >>326
私の場合ではなく、あなたの言ってるスタンダードというのが自分の外に設定されていると指摘してる。
あなたの場合は、まず日本語の勉強をしないといけない。 まったくのイミフですね
他人を説得できるように日本語の能力を磨きましょう タカタのエアバッグ工場、日本時間の昨日付けでもまだ作業員募集してるんだが?
Locuri de muncă Sibiu
www.sibiu.anofm.ro/descarc/Locuri.xls
1 日前 - 54, 52, TAKATA SIBIU SRL, 16666758, Strada Florian Reiger 3, Bl. -, Sc. -, Et. -, Ap. -, Cod postal ______, Loc. SIBIU, Jud. SIBIU, CONFECTIONER-ASAMBLOR ARTICOLE DIN TEXTILE, 821908, 0269203820, 30, 31-05-2018 マルクス主義の神髄は二刀流の哲学
理想が現実を、現実が理想を鍛える!! ドイツ観念論は「真・美・善」を追及し、神学に代わる「近代の神話」の創出を哲学の目標とする
その集大成としてマルクス主義は人生の目的を明らかにし、フォイエルバッハと共に物自体(不思議パワー)の終焉を宣告した 21世紀はニーチェの時代だという。ニーチェは人生に目的も意味も不要と断じる
時は来た、マルクス主義はニーチェ主義と対決せよ >>329
日本語の理解に難がある人を日本語で説得するのは無理だよ。 >>299
それだと親族体系という集団内の何らかの利害交渉においては代表かもしれないが
一般意志とは言い難いんじゃないかな?
いずれにせよこの糞スレに合わせて言えば代表とされたのは自分の皮以外に売る物を持たぬ赤貧のプロレタリアートにされた者であった(これをやったのはレーニンであろう)
この時、「人間」なるものは「廃棄」されている。 >>335
それぞれの利益集合にそれぞれの一般意志がある。
共同体であるとか国家であるとか階級であるとか、それぞれの視点によって概念化する。
一つの利害集合である国家という幻想の共同体(「ドイツ・イデオロギー」)のなかでは、階級による直接的な利害の対立を解消することはできない。
それが、どちらの側からであっても、階級闘争が直接的には国家の中での闘争という形をとる原因だ。 北朝鮮は一般意志100%と主張するスターリニストであった >>338
日本語の読解力をつけてから書きこんでよw
バカコテに、マルクスは無理だから。 >>340
日本で最もやさしく(そして正確に)弁証法の説明ができる哲学者。 トロツキーはスターリンが権力を掌握した理由を"ロシアの民衆の程度が低いから"と断言している
程度の低い民衆の一般意志がスターリンを担いだのであり、彼個人の資質は全く関係ないという
同様に北朝鮮の体制は程度の低い朝鮮民族の一般意志の体現であるとスターリニストは吠えるのだが、
実際には反対者を弾圧してイエスマンを並べれば思い付きで何を述べようとそれは一般意志なのである
一般意志が権力を作るように、権力が一般意志を作る! あらゆる事物は矛盾によって成長し、洗練され、時に第三極へと飛躍(止揚)する
ジョブスはスマホによってモバイル機器を止揚したが、それが洗練され、人々が使い慣れるまでに混乱もきたした
つまり止揚しまくれば良いというわけではないのだ
プルードンは政治システムの止揚による根本的な解決を望まない
彼は矛盾の内で矛盾が洗練されることを目指した 生まれたばかりの事物は不安定であり、また世を不安定にする
資本主義が忌まわしかった(過去形)のは、資本主義が未熟だったからだ マフィア=パーリア資本主義=キリスト的ねずみ講ネットワーク=
マルクス主義=独占主義=マキャベリズムだよ
これは組織の進化の法則でもあるし、根っこが同根の同じ組織だということでもある
ロバートキヨサキと副島隆彦とバックミンスターフラーと北一輝をついに俺は超えたようだ
俺より鋭い奴ここにいるか?
全員かかってこい >>349
我が壮大かつ深淵なる智慧の恩恵を授けよう
ヨーロッパは白人社会の気質として右も左も古代より、ずっとマキャベリズムである
マキャベリズムではないフーリエの空想的(思いやりの気持ち)社会主義は笑いものに終わった
フーリエの失敗から学んだマルクスは「嗚呼、やっぱりマキャベリズムだけが現実的なんだな」と白人の野蛮性に回帰し、
民衆は飴と鞭で動かすと息巻いていたレーニンはネトウヨが理想とする核ミサイル恫喝外交と本質はたいして変わらない
だが古代中国の思想より影響を受け、仁義を重んじる我々東洋人が白人の鬼畜な所業を真似るは必要はないのだ マルクス主義は、彼の先輩たちの社会主義と比べて現実的であることを強調する
現実的であるとは何か? 人を信じず、力関係が全てーーすなわちマキャベリズムである! 「スターリニズム」とか言ってる時点でもうね。
このスレを出ていってくれないかな。 私の哲学は現実的かつ実践的だ
下らない概念を括弧で強調するだけの宗教家には都合が悪いかも知れんな 頭の悪い人たちはノッペラボーだ人文学云々と空虚な寝言による名も無き宗教でシコってなさい 国連に降ったのにジュネーブもペルーもアルゼンチンで何があったかも分からないんだから使い道無いよね
彼らも廃棄物なので次に行かないと マキャヴェリズムの理解が大きく間違っていないか?
マキャヴェッリの著作の重要性は、統治権力と人々の間に既に対等な
関係が実現しているかのような幻想に基づいてではなく、統治権力によって
支配されている関係を認めたうえで、支配されている臣民の側が、
統治がどう行われるべきかを提言し、その実現を求めることだろう。
既にすべての人々の間に対等な関係が既に実現しているなら、
そもそも統治権力のあり方について論じる意味はない。いわゆる
リベラルが胡散臭いのは、あたかも人々の平等という理想が標準として
実現していて、政治経済の現状において、例外的な逸脱が生じている
かのように正義を主張するからだ。服従させられている側が理想の実現
のために現状の改善を求めることと、現実には服従しているのに、
あたかも統治権力を握っているかのように正義を実現しようとする
のでは大きく異なる。後者は、必然的に偽善にしかならず、しかも、
服従している事実を隠ぺいすることで、暗黙に権力に阿り、
統治権力の権限を強化することにんしかならない。 人文学の重要性とは、自らと権力の関係を反省することにあり、それを、
単に対象をどのように制御すべきかという工学的な技術の問題として扱う
ことはできない。 マキャベリの言ったような状態がどこにあるんだ?
皆が自己保存‐機械でしかないこの場に 現実の支配の関係についての反省を欠くなら、結局のところ、クライエンタリズム
の政治において、用いられる言説な左翼的なイデオロギーに基づいていようと、
右翼的なイデオロギーに基づいていようと大きな違いはない。 人文学は、目的合理的に導く/導かれる関係にあることについて反省する
能力を磨くことを目的としているのだから、カリキュラムを組んで教師
から学生に一方向的に教え込むことが不可能なのは当たり前のことだろうw
しかし、そのことが、人文学が大学の教科に存在すべきでないことを
意味するわけではない。民主主義という理想を求めるのであれば、
大学という場においてであれ、他の場においてであれ、そのような
能力を磨く機会は、抵抗によって確保されなければならないという
だけの話である。 >>364
つまり空虚な思弁、それがロバートキヨサキの限界か? ロバートキヨサキとか知らんがな
マキャヴェッリでも読んだらどうだ? こういうのをドイツ語で読むとか
https://www.staff.uni-giessen.de/~g31130/PDF/marx/judenfrage ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています