柄谷行人を解体する54
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2017/1/27 柄谷行人を解体する53 [無断転載禁止]©2ch.net
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1485523668/
2019 柄谷行人「力と交換様式」 イエール大学
2018 柄谷行人『思うわ、ゆえに、あるわ』
2018/7/1 『大江健三郎柄谷行人全対話 世界と日本と日本人』 講談社
2018/4/12 柄谷行人『内省と遡行』 講談社文芸文庫
2017/10/11 柄谷行人『坂口安吾論』 インスクリプト
2016/4/20 柄谷行人『憲法の無意識』 岩波新書
2015/1/16 柄谷行人『世界史の構造』 岩波現代文庫
2014/7/24 柄谷行人『帝国の構造 中心・周辺・亜周辺』 青土社
2014/1/20 柄谷行人『遊動論 柳田国男と山人』 文春新書
2012/11/16 柄谷行人『哲学の起源』 岩波書店 ちなみに「NAMの出版事業」なるものをやっているのも関本洋司です。 つまるところ、柄谷行人の思想の到達点なるものは、
又吉イエスが数十年前に到達していた点に漸く
追いついたということでしかない。
それは嘗て烈海王が近代空手の到達点なるものは中国拳法が
遥か昔に到達していた通過点に過ぎぬと喝破し、愚地克巳を
震撼させたことに似ている。
そこで愚地克己が取った行動は自身のプライドを捨て、
遥か先を行く中国拳法を積極的に学び、近代空手を真の完成へ
と導くというものであったが、柄谷行人は愚地克巳のその潔さに習い、
遥か先を行っていた又吉イエスの思想を積極的に学ぶべきである。
しかし、遺憾なのは、又吉イエスは既に故人であるということだ。
柄谷行人が又吉イエスの水準に追いつくのが遅すぎたというほか
あるまい。 イエスの方舟は今…
https://www.dailymotion.com/video/x59ueqd
2017年1月放送
イエスの方舟は奥さんが継いだらしい
NAMも柄谷の奥さんが…
NAMは共同体なき共同性だから性格が違うが Kentaro_SUZUKI @suzuken2002
7m
このような自衛隊への礼賛、
江戸時代という「先行形態」における武士に遡行して自衛隊を讃美する柄谷行人と
何も変わらないのみならず、「自衛隊を憲法に明記する」という安倍改憲案とも同じ感覚
である。自衛隊が江戸の侍と似ている面はあるだろう。
そして、江戸幕府とは軍事独裁政権以外ではなかった。
猫飛ニャン助 @suga94491396
Replying to @hahaha8201
いや、そういう「税金ドロボー」が国の守りですよ。
私ももう少し若ければ入隊すべきだったと、妹の連れ合いを見ても思っている次第です。 >>191
10年前のラルク論法思い出した
お前ラルクか? 素朴な疑問ですが、柄谷さんといえば海外でもその名を知られた文芸批評家・思想家ですよね。そのような人をこのスレで批判したり思想を否定したりするあなた方は何者ですか?
そもそも柄谷さんに批判するところなどあるのでしょうか。 マヌケな人と馬鹿な人とは新生NAMに入ってください >>198
実際松本哉の持ってる認識というのもこの程度のものじゃないの? /:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:U:.:',
i:.:.:.:.:.:.:.:..ハ:.:.:.i:.:.:.:|
|::.从 U ノリ ― リ::l
|:リ -・‐ -・- Y
,i l l_ ` ..ノ
: i ´ ‥ `'ノ
、 ー-―´ ル マヌケは普遍的ですか?
/⌒人 ` ̄´人⌒ヽ
/ ィ ,ー` '- , )`ヽ
..ノ ,,,ノ Y´ )
( < | ! /
ヽ、__ヽ.ー @ ノ ソ⌒
〈J .〉ヾ、.::;;;;;::.ノ | -´ _____
/"" ;ミシミッ | /壱/ /万/|
レ .イミ i i ミ リ .___ |三三|__|三三|彡|_____
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QはLETS(通帳式)で原資担保型ではなかった
ゲゼルに関してはドラクリ脚注で批判的に言及されている いずれにせよ、社会学の覇権はイギリスに限った話ではない。ドイツを代表する知識人
のハバーマスも、哲学者というより社会学者といったほうがいいだろう。市場をはじめとする
「システム」と、社会的コミュニケーションの織りなす「生活世界」を対比させ、前者による
後者の植民地化を批判するその理論は、ある意味で「第三の道」にもつながる面をもつ。
フランスでも、有名な哲学者が次々に世を去るなか、知的な覇権を獲得したのは、
社会学者のブルデューだった。もっとも、知と権力のつながりを批判的に研究してきた
ブルデューが自ら知識人としての権力を手にするというのは、いささか皮肉な話ではある。
このように、現代は、経済学でも哲学でもなく、社会学の時代であるらしい。考えて
みれば、「選択の自由」を謳う市場万能主義は、極端に突き詰めると、アナーキズムに
近い個人主義に帰着する。さらに言えば、それを突き抜けたところに、個人の同一性
(アイデンティティ)という近代個人主義の原則さえ桎梏とみなし、それを多様な差異の束
へと解放しようとする、ポストモダン哲学のある種の流れを、やや強引に位置づけることも
できるだろう。その両者がともに70年代から80年代にかけて一世を風靡したのは、
けっして偶然ではない。だが、そのような自己の/自己からの解放の運動は、家族や
共同体の崩壊をもたらすことになるだろう。そこで、そのような運動が失速するとき、
それに対する反動が前面に出てくることになる。そもそも、デュルケムが近代社会学を
生み出したのも、そういう無秩序――アノミーへの反動としてだったのだ。
それを社会学イデオロギーと呼ぶこともできるだろう。いま起きているのは、まさにそうした
社会学イデオロギーの復権なのである。
だが、社会学イデオロギーは市場万能主義という経済学イデオロギーの対立的補完物
にすぎない。それが示す「第三の道」は本当に市場万能主義への反動以上のものに
なりうるのだろうか。 柄谷行人と浅田彰の外国語で発表された未邦訳著作でめぼしいものってある?
浅田の長文インタビュー"A Left Within the Place of Nothingness"は読んだことあるけど、それ以外知らないので 高円寺の再開発計画に反対する柄谷行人と、
「金閣寺なんて空襲で燃えてしまって何ら構わない」と言っていた
坂口安吾の考え方とは、明らかに違わないかい? >>214
なぜ坂口安吾と同じでなければならない? 坂口安吾論で称賛してるからだよ。
単に矛盾してるだけでしょw あとそれから、坂口安吾が「超自我」を認めたという話も、どうやら疑わしい。 堕落というのは、超自我を踏み越えるから、堕落なんだよ。 トランスクリティークもフランスでは出してもらえなかったのに
先に世界史の構造を出すなんて、なんておこがましいw 竹中直人さんはこう語る。
「裕也さんと麻布から渋谷に抜けるときに渋滞につかまってね。
それで、裕也さんがさ、我慢できなくなったのか、ガードレールのところで、ほら、
用を足すわけ」と。それでさ、そこからが衝撃なんだけど、
「おーい、竹中、竹中」って呼ばれて窓から外を観たら、
ご自身のその黄金の水をすくって飲んでるんだって。
「最高だぜ」って。ねぇ、これってロックなの? よくわかんない。
けど、すごくない? っていうか、やばくない? トランスクリティークは最初の移動を強調したところは「あーなるほど」と思ったんだけど
その後のカント解釈とかは知ってるというかカント読んでて考えたことがあった事柄だったんでがっかりした思い出 ライブをやるかやらないかは個人の自由(イソノミア)
やはりモジャチンゲより宇宙少女じゃよ!
リーダーExyのオマンコもソンソに負けず劣らず
ちょっとだけ筋肉質でプキッとしていて
香りはほぼ毎日大いにおしっこ臭い
そこが堪らなく魅力的なんじゃよ〜
..____
.. /... .....\
../ .. ヽ
蛙邊矧憎魔璽斐螺禰佐都簑菟匙簾邊獅
.... | ..│
f''|: .◞≼☉≽◟ii◞≼ⓞ≽◟ | T
. ト  ̄ i  ̄ | ノ
. | ;; \ ^-^丶 / l
| ;; / 米 \ ... :ノ
ヽ │ヽ__ノ│/
\,,,__,,,,/
クラフトワークにもまして、海栗飼ってるぼんぼんには
その真価が理解しにくいものなんじゃよ
浅田彰「トランプから/トランプへ(3)マクルーハンとトランプ、あるいはマス・メディア都市に対するトランプ村」
http://realkyoto.jp/blog/asada_akira_181020/
>>216の長文版 吉永剛志 @take4luckylong 2h
公開しました。NAM(New Associationist Movement)年譜
https://t.co/1VlUZ9iXdu
吉永剛志 @take4luckylong
「NAM傷痍軍人(兵隊?)」クソださい。そろそろ年月もたったし、
10数年前に作ってあるNAMの詳細年譜(実名つき)ブログで公開しようかな。
外山恒一「全共闘以後」の名前の出し方は勉強となった。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:b73a9cd27f0065c395082e3925dacf01) 柄谷が可能なるコミュニズムとかNAMの方向に唐突に転向した時柄谷読者の大半も転向したのは驚きだったな。自分はちょっとついていけない感じで離れた。過去の探究T・Uは今も素晴らしい仕事だと思ってますが。
あん時は浅田彰さんだけ渋々付き合ってる感じだったねw 資本主義にたいしてマクロの視点から歴史的・認識論的に解剖し、対抗運動を企てるのが
柄谷氏の発想だし彼の理論はそういうものだったとおもうけど。
しかし我々の日常の中では、主体がひたすらに強者を目指し、力を志向し、それが日常でも
政治世界でもそう。だからその力への意志をどう克服できるのかが重要で。結局ニーチェが
最後に到達し、彼自身がその結論を超えられなかった力への意志によって、国家も企業も、
労働者も、いまだに捉えられている。力への意志こそが我々の時代の哲学であり、
それをまた越えられない。それが現実というふうに視える。
柄谷氏が分析している諸々よりも、もっと緊急な課題が、力への意志をどう越えるか、だと
思います。 で、資本主義の問題も、力への意志の克服と連関させて論じる必要がある。経済学的に
論ずるだけでは資本主義の問題は解けない。財の増殖、搾取、これらも亦
力の手段・根底なわけで、力の志向の一種ですよね。
亦、柄谷氏は資本主義への対抗運動を論じるけども、柄谷氏自身が、力の志向者でしょう。
かつて吉本に的外れな批判を繰り返していた当時からそうでしたよね。自分が始めたNAM
の終末期にNAM自身に攻撃し始めたのも、自分のリーダーシップが保て無くなったことからに
今は視えますね。
‘ヘゲモニー’という言葉を一部で流行らせたのは絓秀実だ思いますが、アレをやたら気に
するのが柄谷です。で、ヘゲモニーを気にするのは力への意志の表れだと私は思います。 中谷礼仁NorihitoNAKATANI @rhenin 10月27日
本日の柄谷行人氏はジャレド ダイアモンドの実験史学と柳田の方法論の近似性を紹介しつつ、その例に従って柳田国男を読解してしまうという離れ業だった。
批評家、思想家とは剣岳の尾根を落ちずに渡りきるものだが、柄谷氏はそれにも増して力業で山自体を持ってくる。そこが予測不能で素晴らしい。
中谷礼仁NorihitoNAKATANI @rhenin 10月27日
今日の柄谷行人氏の講話は柳田国男、島崎藤村の違いを介して、霊と日本国憲法の関係を問うものでした。とはいえ現場にいないと全くその脈絡がわからないと思いますが、切れ味が素晴らしかった。新書で出るみたい。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) 岩波『図書』連載、柄谷行人「思想の散策」17 、2017/1
《『夜明け前』の主人公、青山半蔵が王政復古を渇望したのは、山林を古代のように共有地とすることを実現する
ためであった。彼は森林の使用を制限する尾張藩を批判し、明治維新に希望を抱いた。しかし、維新後に彼が見た
のは、近代西洋化(文明開化)であり、山林の国有化によって一切の伐採を禁じるという仕打にであった。…
村上[重良『日本史の中の天皇』]によれば、明治初期に「ごく小規模の資産しかなかった皇室は、明治維新から
わずか七十数年のうちに、世界有数の富豪といわれるまでに資産を拡大した」のである。明治維新のころ、国学者
も農民も、王政復古によって尾張藩時代からあった山林問題が解決されるだろうと期待した。が、復古した「王政」
は、古代を復古させるどころではなかった。近年まで存在した「古代」の痕跡である共同所有を一掃したのである。
このことで私が想起するのは、若いマルクスが学者の道を断念して「ライン新聞」の記者となったときに書い
た論説(一八四二年)である。彼は当時ライン州で頻発した「木材窃盗」事件をとりあげた。窃盗といっても、
貧しい人々が森で木材や枯れ枝を集める慣習的行為が、私有財産制の発達の下で、窃盗として取り締まられる
ようになっただけである。マルクスはむろん農民を擁護しようとしたのだが、この問題をたんに法律的に考えた
ため、有効な結論を出せなかった。しかし、後に彼自身が述べているように、この事件が、彼の視点を経済学の
分野に向ける一契機となった。つまり、これは貨幣経済の一般的浸透によって生じた事件なのである。
したがって、このような事件は、別にドイツに限定されない。日本でも、明治以後、各地で「入会地」にかか
わる紛争が起こった。今でも続いているところがある。『夜明け前』のケースでは、森林は国有化された。が、
国有は私有財産制に反するのではなく、逆に、後者の一形態なのだ。私有・国有の反対概念は、共同所有であ
る。島崎藤村の父にとって、この共同所有をとり戻すことが、「復古」であり平田神道の道であった。
一方、柳田国男は農政学者として最初から、「協同組合」に取り組んだ。…》 ただし、柳田は報徳社を無意味に攻撃することで江戸から連続する協同組合の芽を摘んでしまった
柳田は明治官僚の枠を出られなかった
ちなみに木材窃盗事件は映画マルクス=エンゲルスの冒頭で描かれる 入会権とか物権って難しいんだよな。
法律学者の中尾英俊とか加藤雅信が面白い仕事を残してるっぽいけど。 柄谷行人が昔「文学は若い人のものか」みたいなことを言っていたが、
文学は若い人のものだよ。人生カウントダウンに入った人間が、
こんな箸にも棒にもかからないものに限られた時間を費やすとか
ミゼラブルにもほどがある。 安原顯が晩年に、誰だったか若手作家を、
重鎮な文芸評論家がよいしょしているのを指して、
「こんなみじめな仕事があるだろうか」みたいなことを言っていたのが
最近しみじみしますな。 文芸時評で、
三田誠広、という若い作家を
お約束ギャグのように毎回コケにしているのが面白い
実は年齢は
柄谷とあまり変わらないのかもしれないが 所詮は「文学の優位性」「〇〇〇 その可能性の中心」の人だから 毒にも薬にもならない優等生作家の星野智幸には
かつて朝倉少年祖母殺害事件が起きたときに記者の
「少年は筒井さんの小説を読んで殺したのでは?」という質問に
「私の小説を読んで殺したんでしょう。文学っていうのはそういうものなんです」
と答えた筒井康隆先生の振る舞いを見習ってもらいたい。 >>250
ん〜、ちょっと迷ったけど書きます。
マンガやアニメであればその作品と作者は許されないよね?
それが「文学の優位性」? >>250
あれは殺人事件ではあるが、極めて特殊な事情を抱えた事件。
筒井さんが影響をはっきり認めたのは、あの事件だったからじゃないかな? 柳美里@yu_miri_0622
事実と異なります。
25年前。
私が殴った文芸評論家は1人だけ。?秀実氏。
新宿風花のカウンターで呑んでいたら、?氏が隣に座り、
「顔が割といいから、ヘアヌード写真集出せよ」と言い、頭と顔を触ってきたから、殴った。
触られたから、反射的に手が出た。
目撃者は、西部邁さんと福田和也さん。
https://twitter.com/yu_miri_0622/status/1060129191352397826
触られなかったら、殴りませんでしたね。
?秀実氏とは、その時が初対面で、二度と会いませんでした。
https://twitter.com/yu_miri_0622/status/1060130097741520896
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>256
柳美里も結局、知識人と一般人の「セクハラ」を
同一視することしか出来なかったという事でしょうか。
こんな社会じゃ渡部さんを救えない。 それよりスガのセクハラをちゃんと見詰めろよ
今じゃあれはセクハラ偽善者だぞw >>258
ですから......セクハラとされる言動や行動に対し
一般人ならともかく、文学者にまで社会的裁きが
及ぶ事に対する日本社会の是非を論じるべきでは
ないのですか?実際文学者の中にもそういう論調で
先の大学での出来事を擁護してたじゃないですか。 かつてはセクハラ常習で明らかに有名だった輩が
今ではセクハラを何か目の敵のようにして語れるという
そのギャップに耐えられないだけだよw
要するに時代のモラルコードのトレンドの中でただ流されてるだけでしょ おまえらセクハラ一般を悪だというなら、
もう二度とマルキ・ド・サドとか言及するなよなwww >>260
つまり貴方は、文学者にも一般人同様モラルを求める
という立場なのですか? 現実社会において罪を働いて捕まったら相応の罰を受けるに決まってんだろそんなのwww
空想の中で書いてる限り文学者は捕まらない。
しかし現実にやれば相応に罪に問われる。
そこに一般人と文学者の区別も糞もない。
捕まったときは文学者気取りは肝念するしかない。
それだけのことだろうwww
時代の法的コードの枠組みの問題であって、
そこに内面的な罪の意識を求めるもへったくれもないよ。
それを「内面的な罪の問題」だといって追求することが要するに「PC」と呼ばれている。
しかしそんなものはいつの時代にもあった茶番に決まってんだろう。 >>263
刑事罰がある所謂犯罪ではなく、極度の迷惑行為と認識されるものや民事で
訴訟を起こされる可能性のある、または告発される可能性のある行為について。
被害を訴える者は、「加害者」にあたる人間が一般人か文学者やアーティストか
で、訴訟や告発を思いとどまるべきか否か。それに関しても様々な意見があるでしょう。
一般社会と文学・アート界では、人間の質も違いますし。
被害を訴える人間が一般人だった場合一般人には一般人なりの
倫理観があるでしょうから、一般に対する尊重は必要ですが。 >>257
救う必要もないだろ。
セクハラは社会的行為だから社会的な制裁は受ける。
その人が優れた文芸評論家であるなら、作品の評価に影響するわけでもはない。
それにしても、文学の関係者にはセクハラの噂が多いなw >>266
文学者にとっては生活を支えるのも生活が破綻するのも、作品の評価だよ?
それが責任、だろ?
責任を取らないのは、自民党の政治家だろ? 文学で生計を支えているのはほんの一握りのレアケース。
残りのほとんどは生計とは無縁の部分で文学やってる。 ☆ @void3108
15h
Replying to @suga94491396
ニャン助は浅田彰による渡部直己の件に対する口止めメールは受け取っていたのかな? セクハラごときの凡庸な事やっといて、何が一般人と文学者の質的差異だよ
もっと三島由紀夫みたいに斜めから上のこと、命かけてやれよ
セクハラなんかそのへんのバーのオッサンでもやってるだろ
ほんと左翼は全員死ね
パワハラ、セクハラ、左翼や文学者が批判するところの力関係つかってるじゃねえか
やるなら、自分のテリトリーの外部の人間にやれ
そして、捕まれ
それでサド気取ってろ ていうか、社会のコードが厳しくなったらやめるんだったら、文学者じゃないよな
サドは、命をかけて、あの時代にテキストとリアルの両面で表現を拡張していったんだからな
渡部も、他の文学者も死ぬまで反省すんなよ
アラーキー、テリー・リチャードソン、ハービー・ワインシュタイン
着実に、卑近なエロスにより芸術とわたくしの垣根を壊すような素人表現は、歴史的な使命を終えつつあるけでな 作家の生から切り離されたテキストの力だな、けっきょくは
素人表現に逃げる輩は、歴史には残りません
まあ、歴史に残るような人間は、自分が生きてる間が楽しければどうとでも良いと思ってる畜生とは、そもそも、「質」が違うんでしょうけども
カスは、一部の人間の命をかけた頑張りにより価値が保たれる文学の遺産を食いつぶす、いうなれば、フリーライダーだな
アートの世界は、この手の、一般人より「下」のフリーライダーが、多すぎる 蓮実と柄谷の悪い部分のハイブリッドがセクハラという行為だったが
もちろん全て計算尽くである
早稲田大学教授という肩書き失冠ごときで動じる直己ではない マルクスにフリーライドする。マルクスを素人みたいに改変して。
改変しすぎて、もうフリーライドかどうかわからないくらいに。
それを「解体と再構築」と呼ぶ。
もはや哲学なんかじゃない、フリーライド文学の可能性の中心がそこにある。 加害者が文学者なら被害者は泣き寝入りせよ?あるいは
まさか「有り難く思え」?冗談じゃないぞ。 中上健次『奇跡』の生原稿コピーを額に入れ飾っていた渡辺直己がいなくなり、
村上春樹が自分の資料を研究のためと早稲田大学に寄贈する、
新聞に大きく出るというのは、人智をこえたハチュウ人類かなんかの陰謀に違いない。 一方、柳田国男は農政学者として最初から、「協同組合」に取り組んだ。 ケインズは一次産品の価格安定のために国際緩衝在庫案(1942年)を出した。
柳田國男が着目した三倉(義倉・社倉・常平倉)の国際版ようなものだ(特に常平倉。参考:柄谷行人『遊動論』他)。
超国家通貨案バンコールはこれでわかりやすい実体を持つようになる。
(『危機の中でケインズから学ぶ』2011年・平井論考より)
協同組合というと小さすぎて軽視されるかもしれないが、国際社会でも結局同じ原理が応用できる。
参考:
平井俊顕ブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/olympass/49302436.html
似たアイデアを先に出したウォーレス副大統領は実際に中国の常平倉("The Ever-Normal
Granary")からアイデアを得たようだ。これは柳田の研究対象と同じ。 いやでも成城石井で100g500円する牛肉を買って家で調理したら消費税8%、
松屋で牛めしを食べたら消費税10%ってどう考えても納得いかないだろ、
松屋で牛めしを食べてる男の背中を見たことがあるのか?
お前は松屋で牛めしを食べてる人間から消費税10%取れるのかって聞いてんだよ! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています