柄谷行人を解体する54
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2017/1/27 柄谷行人を解体する53 [無断転載禁止]©2ch.net https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1485523668/ 2019 柄谷行人「力と交換様式」 イエール大学 2018 柄谷行人『思うわ、ゆえに、あるわ』 2018/7/1 『大江健三郎柄谷行人全対話 世界と日本と日本人』 講談社 2018/4/12 柄谷行人『内省と遡行』 講談社文芸文庫 2017/10/11 柄谷行人『坂口安吾論』 インスクリプト 2016/4/20 柄谷行人『憲法の無意識』 岩波新書 2015/1/16 柄谷行人『世界史の構造』 岩波現代文庫 2014/7/24 柄谷行人『帝国の構造 中心・周辺・亜周辺』 青土社 2014/1/20 柄谷行人『遊動論 柳田国男と山人』 文春新書 2012/11/16 柄谷行人『哲学の起源』 岩波書店 吉永剛志 @take4luckylong 2h 公開しました。NAM(New Associationist Movement)年譜 https://t.co/1VlUZ9iXdu 吉永剛志 @take4luckylong 「NAM傷痍軍人(兵隊?)」クソださい。そろそろ年月もたったし、 10数年前に作ってあるNAMの詳細年譜(実名つき)ブログで公開しようかな。 外山恒一「全共闘以後」の名前の出し方は勉強となった。 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:b73a9cd27f0065c395082e3925dacf01) 柄谷が可能なるコミュニズムとかNAMの方向に唐突に転向した時柄谷読者の大半も転向したのは驚きだったな。自分はちょっとついていけない感じで離れた。過去の探究T・Uは今も素晴らしい仕事だと思ってますが。 あん時は浅田彰さんだけ渋々付き合ってる感じだったねw 資本主義にたいしてマクロの視点から歴史的・認識論的に解剖し、対抗運動を企てるのが 柄谷氏の発想だし彼の理論はそういうものだったとおもうけど。 しかし我々の日常の中では、主体がひたすらに強者を目指し、力を志向し、それが日常でも 政治世界でもそう。だからその力への意志をどう克服できるのかが重要で。結局ニーチェが 最後に到達し、彼自身がその結論を超えられなかった力への意志によって、国家も企業も、 労働者も、いまだに捉えられている。力への意志こそが我々の時代の哲学であり、 それをまた越えられない。それが現実というふうに視える。 柄谷氏が分析している諸々よりも、もっと緊急な課題が、力への意志をどう越えるか、だと 思います。 で、資本主義の問題も、力への意志の克服と連関させて論じる必要がある。経済学的に 論ずるだけでは資本主義の問題は解けない。財の増殖、搾取、これらも亦 力の手段・根底なわけで、力の志向の一種ですよね。 亦、柄谷氏は資本主義への対抗運動を論じるけども、柄谷氏自身が、力の志向者でしょう。 かつて吉本に的外れな批判を繰り返していた当時からそうでしたよね。自分が始めたNAM の終末期にNAM自身に攻撃し始めたのも、自分のリーダーシップが保て無くなったことからに 今は視えますね。 ‘ヘゲモニー’という言葉を一部で流行らせたのは絓秀実だ思いますが、アレをやたら気に するのが柄谷です。で、ヘゲモニーを気にするのは力への意志の表れだと私は思います。 中谷礼仁NorihitoNAKATANI @rhenin 10月27日 本日の柄谷行人氏はジャレド ダイアモンドの実験史学と柳田の方法論の近似性を紹介しつつ、その例に従って柳田国男を読解してしまうという離れ業だった。 批評家、思想家とは剣岳の尾根を落ちずに渡りきるものだが、柄谷氏はそれにも増して力業で山自体を持ってくる。そこが予測不能で素晴らしい。 中谷礼仁NorihitoNAKATANI @rhenin 10月27日 今日の柄谷行人氏の講話は柳田国男、島崎藤村の違いを介して、霊と日本国憲法の関係を問うものでした。とはいえ現場にいないと全くその脈絡がわからないと思いますが、切れ味が素晴らしかった。新書で出るみたい。 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) 岩波『図書』連載、柄谷行人「思想の散策」17 、2017/1 《『夜明け前』の主人公、青山半蔵が王政復古を渇望したのは、山林を古代のように共有地とすることを実現する ためであった。彼は森林の使用を制限する尾張藩を批判し、明治維新に希望を抱いた。しかし、維新後に彼が見た のは、近代西洋化(文明開化)であり、山林の国有化によって一切の伐採を禁じるという仕打にであった。… 村上[重良『日本史の中の天皇』]によれば、明治初期に「ごく小規模の資産しかなかった皇室は、明治維新から わずか七十数年のうちに、世界有数の富豪といわれるまでに資産を拡大した」のである。明治維新のころ、国学者 も農民も、王政復古によって尾張藩時代からあった山林問題が解決されるだろうと期待した。が、復古した「王政」 は、古代を復古させるどころではなかった。近年まで存在した「古代」の痕跡である共同所有を一掃したのである。 このことで私が想起するのは、若いマルクスが学者の道を断念して「ライン新聞」の記者となったときに書い た論説(一八四二年)である。彼は当時ライン州で頻発した「木材窃盗」事件をとりあげた。窃盗といっても、 貧しい人々が森で木材や枯れ枝を集める慣習的行為が、私有財産制の発達の下で、窃盗として取り締まられる ようになっただけである。マルクスはむろん農民を擁護しようとしたのだが、この問題をたんに法律的に考えた ため、有効な結論を出せなかった。しかし、後に彼自身が述べているように、この事件が、彼の視点を経済学の 分野に向ける一契機となった。つまり、これは貨幣経済の一般的浸透によって生じた事件なのである。 したがって、このような事件は、別にドイツに限定されない。日本でも、明治以後、各地で「入会地」にかか わる紛争が起こった。今でも続いているところがある。『夜明け前』のケースでは、森林は国有化された。が、 国有は私有財産制に反するのではなく、逆に、後者の一形態なのだ。私有・国有の反対概念は、共同所有であ る。島崎藤村の父にとって、この共同所有をとり戻すことが、「復古」であり平田神道の道であった。 一方、柳田国男は農政学者として最初から、「協同組合」に取り組んだ。…》 ただし、柳田は報徳社を無意味に攻撃することで江戸から連続する協同組合の芽を摘んでしまった 柳田は明治官僚の枠を出られなかった ちなみに木材窃盗事件は映画マルクス=エンゲルスの冒頭で描かれる 入会権とか物権って難しいんだよな。 法律学者の中尾英俊とか加藤雅信が面白い仕事を残してるっぽいけど。 柄谷行人が昔「文学は若い人のものか」みたいなことを言っていたが、 文学は若い人のものだよ。人生カウントダウンに入った人間が、 こんな箸にも棒にもかからないものに限られた時間を費やすとか ミゼラブルにもほどがある。 安原顯が晩年に、誰だったか若手作家を、 重鎮な文芸評論家がよいしょしているのを指して、 「こんなみじめな仕事があるだろうか」みたいなことを言っていたのが 最近しみじみしますな。 文芸時評で、 三田誠広、という若い作家を お約束ギャグのように毎回コケにしているのが面白い 実は年齢は 柄谷とあまり変わらないのかもしれないが 所詮は「文学の優位性」「〇〇〇 その可能性の中心」の人だから 毒にも薬にもならない優等生作家の星野智幸には かつて朝倉少年祖母殺害事件が起きたときに記者の 「少年は筒井さんの小説を読んで殺したのでは?」という質問に 「私の小説を読んで殺したんでしょう。文学っていうのはそういうものなんです」 と答えた筒井康隆先生の振る舞いを見習ってもらいたい。 >>250 ん〜、ちょっと迷ったけど書きます。 マンガやアニメであればその作品と作者は許されないよね? それが「文学の優位性」? >>250 あれは殺人事件ではあるが、極めて特殊な事情を抱えた事件。 筒井さんが影響をはっきり認めたのは、あの事件だったからじゃないかな? 柳美里@yu_miri_0622 事実と異なります。 25年前。 私が殴った文芸評論家は1人だけ。?秀実氏。 新宿風花のカウンターで呑んでいたら、?氏が隣に座り、 「顔が割といいから、ヘアヌード写真集出せよ」と言い、頭と顔を触ってきたから、殴った。 触られたから、反射的に手が出た。 目撃者は、西部邁さんと福田和也さん。 https://twitter.com/yu_miri_0622/status/1060129191352397826 触られなかったら、殴りませんでしたね。 ?秀実氏とは、その時が初対面で、二度と会いませんでした。 https://twitter.com/yu_miri_0622/status/1060130097741520896 https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>256 柳美里も結局、知識人と一般人の「セクハラ」を 同一視することしか出来なかったという事でしょうか。 こんな社会じゃ渡部さんを救えない。 それよりスガのセクハラをちゃんと見詰めろよ 今じゃあれはセクハラ偽善者だぞw >>258 ですから......セクハラとされる言動や行動に対し 一般人ならともかく、文学者にまで社会的裁きが 及ぶ事に対する日本社会の是非を論じるべきでは ないのですか?実際文学者の中にもそういう論調で 先の大学での出来事を擁護してたじゃないですか。 かつてはセクハラ常習で明らかに有名だった輩が 今ではセクハラを何か目の敵のようにして語れるという そのギャップに耐えられないだけだよw 要するに時代のモラルコードのトレンドの中でただ流されてるだけでしょ おまえらセクハラ一般を悪だというなら、 もう二度とマルキ・ド・サドとか言及するなよなwww >>260 つまり貴方は、文学者にも一般人同様モラルを求める という立場なのですか? 現実社会において罪を働いて捕まったら相応の罰を受けるに決まってんだろそんなのwww 空想の中で書いてる限り文学者は捕まらない。 しかし現実にやれば相応に罪に問われる。 そこに一般人と文学者の区別も糞もない。 捕まったときは文学者気取りは肝念するしかない。 それだけのことだろうwww 時代の法的コードの枠組みの問題であって、 そこに内面的な罪の意識を求めるもへったくれもないよ。 それを「内面的な罪の問題」だといって追求することが要するに「PC」と呼ばれている。 しかしそんなものはいつの時代にもあった茶番に決まってんだろう。 >>263 刑事罰がある所謂犯罪ではなく、極度の迷惑行為と認識されるものや民事で 訴訟を起こされる可能性のある、または告発される可能性のある行為について。 被害を訴える者は、「加害者」にあたる人間が一般人か文学者やアーティストか で、訴訟や告発を思いとどまるべきか否か。それに関しても様々な意見があるでしょう。 一般社会と文学・アート界では、人間の質も違いますし。 被害を訴える人間が一般人だった場合一般人には一般人なりの 倫理観があるでしょうから、一般に対する尊重は必要ですが。 >>257 救う必要もないだろ。 セクハラは社会的行為だから社会的な制裁は受ける。 その人が優れた文芸評論家であるなら、作品の評価に影響するわけでもはない。 それにしても、文学の関係者にはセクハラの噂が多いなw >>266 文学者にとっては生活を支えるのも生活が破綻するのも、作品の評価だよ? それが責任、だろ? 責任を取らないのは、自民党の政治家だろ? 文学で生計を支えているのはほんの一握りのレアケース。 残りのほとんどは生計とは無縁の部分で文学やってる。 ☆ @void3108 15h Replying to @suga94491396 ニャン助は浅田彰による渡部直己の件に対する口止めメールは受け取っていたのかな? セクハラごときの凡庸な事やっといて、何が一般人と文学者の質的差異だよ もっと三島由紀夫みたいに斜めから上のこと、命かけてやれよ セクハラなんかそのへんのバーのオッサンでもやってるだろ ほんと左翼は全員死ね パワハラ、セクハラ、左翼や文学者が批判するところの力関係つかってるじゃねえか やるなら、自分のテリトリーの外部の人間にやれ そして、捕まれ それでサド気取ってろ ていうか、社会のコードが厳しくなったらやめるんだったら、文学者じゃないよな サドは、命をかけて、あの時代にテキストとリアルの両面で表現を拡張していったんだからな 渡部も、他の文学者も死ぬまで反省すんなよ アラーキー、テリー・リチャードソン、ハービー・ワインシュタイン 着実に、卑近なエロスにより芸術とわたくしの垣根を壊すような素人表現は、歴史的な使命を終えつつあるけでな 作家の生から切り離されたテキストの力だな、けっきょくは 素人表現に逃げる輩は、歴史には残りません まあ、歴史に残るような人間は、自分が生きてる間が楽しければどうとでも良いと思ってる畜生とは、そもそも、「質」が違うんでしょうけども カスは、一部の人間の命をかけた頑張りにより価値が保たれる文学の遺産を食いつぶす、いうなれば、フリーライダーだな アートの世界は、この手の、一般人より「下」のフリーライダーが、多すぎる 蓮実と柄谷の悪い部分のハイブリッドがセクハラという行為だったが もちろん全て計算尽くである 早稲田大学教授という肩書き失冠ごときで動じる直己ではない マルクスにフリーライドする。マルクスを素人みたいに改変して。 改変しすぎて、もうフリーライドかどうかわからないくらいに。 それを「解体と再構築」と呼ぶ。 もはや哲学なんかじゃない、フリーライド文学の可能性の中心がそこにある。 加害者が文学者なら被害者は泣き寝入りせよ?あるいは まさか「有り難く思え」?冗談じゃないぞ。 中上健次『奇跡』の生原稿コピーを額に入れ飾っていた渡辺直己がいなくなり、 村上春樹が自分の資料を研究のためと早稲田大学に寄贈する、 新聞に大きく出るというのは、人智をこえたハチュウ人類かなんかの陰謀に違いない。 一方、柳田国男は農政学者として最初から、「協同組合」に取り組んだ。 ケインズは一次産品の価格安定のために国際緩衝在庫案(1942年)を出した。 柳田國男が着目した三倉(義倉・社倉・常平倉)の国際版ようなものだ(特に常平倉。参考:柄谷行人『遊動論』他)。 超国家通貨案バンコールはこれでわかりやすい実体を持つようになる。 (『危機の中でケインズから学ぶ』2011年・平井論考より) 協同組合というと小さすぎて軽視されるかもしれないが、国際社会でも結局同じ原理が応用できる。 参考: 平井俊顕ブログ https://blogs.yahoo.co.jp/olympass/49302436.html 似たアイデアを先に出したウォーレス副大統領は実際に中国の常平倉("The Ever-Normal Granary")からアイデアを得たようだ。これは柳田の研究対象と同じ。 いやでも成城石井で100g500円する牛肉を買って家で調理したら消費税8%、 松屋で牛めしを食べたら消費税10%ってどう考えても納得いかないだろ、 松屋で牛めしを食べてる男の背中を見たことがあるのか? お前は松屋で牛めしを食べてる人間から消費税10%取れるのかって聞いてんだよ! >>285 背中を見ただけでその人間の人生を把握したような 物言いだな。 文芸の感想文みたいなのを書いただけで哲学を語れるような 物言いする人もいますから。 メキシコで2018年12月から発足するロペスオブラドール政権、 その数十年ぶりの左派政権に原住民が始めた協同組合から閣僚が選ばれたという。 トセパン協同組合(トセパンは力を合わせて闘うと言った意味)は単一農法ではない形で コーヒーを作り輸出もしている。(単一農法ではなく)森林農法という多様性を重視した 農法なので主食となる穀物も同時に取れるのだ。 メンバーの一人がコーヒー輸入元のウィンドファーム社長中村隆市氏と講演活動を (2018年11月13日現在)している。 11/13(火)「森を守るコーヒー」を飲みながら学ぶメキシコの森林農法(アグロフォレストリー) 〜パトリシア・モゲルさんを招いて https://facebook.com/events/503537830161840/ 参考: 中村隆市ブログ 「風の便り」 - 森と共存する農法を紹介する動画 「コーヒーを育てる恵みの森」 https://www.windfarm.co.jp/blog/blog_kaze/post-19543 コーヒーを育てる恵みの森 〜メキシコ〜 https://youtu.be/XvoZX5mHNwc 0:00 モリゾー:さー出発じゃー! キッコロ:ヒャッフー! 0:05(ナレーター:竹下景子) 命あふれる地球。大切なこの星を守るために、何ができるんでしょう。 モリゾーとキッコロが、その答えを探しに世界中を旅します。さあ、私たちも出かけましょう! トセパン協同組合 http://www.tosepan.com/ >>289 以下ではメキシコ史上初の左派政権とある。 (毎日新聞) https://mainichi.jp/articles/20180702/k00/00e/030/261000c 2大政党以外の政権がおよそ90年ぶりということらしい。 (日本経済新聞) https://www.nikkei.com/article/DGXKZO32581690T00C18A7EA1000/ エイゼンシュテインの映画の題名ではないが「メキシコ万歳!」である。 ツイッターでは早速大統領へのネガキャン(大統領専用機を使え!とか)が流れている… 協同組合について参考: http://www.as yura2.com/0411/dispute20/msg/1033.html マルクス 『個々の問題についての暫定中央評議会代議員への指示』1867より 五 協同組合運動(労働) 国際労働者協会の任務は、労働者階級の自然発生的な運動を結合し、普遍化することであって、なんであろうと、 空論的な学説を運動に指示したり押しつけたりすることではない。したがって、大会は特殊な協同組合制度を唱道 すべきではなく、若干の一般原理を明らかにするだけにとどめるべきである。 … 以下柄谷行人『世界史の構造』より マルクスが協同組合の限界を指摘したことと、協同組合に社会主義のを見出したこととは 背馳するものではない。たとえば、マルクスはプルードン派が主流であった「国際労働者 協会」(第一インターナショナル)の「設立宣言」において、協同組合工場について、つぎの ように書いた。《これらの偉大な社会的実験の価値は、いくら大きく評価しても評価しすぎる ことはない(11)》。マルクスにとって、社会主義とは協同組合的なアソシエーションにほかならな いのである。 … 国家によって協同組合を育成するのではなく、協同組合のアソシエーションが国家にとって かわるべきだ、とマルクスはいうのだ。 (11)マルクス「国際労働者協会設立宣言」一八六四年九月、『マルクス=エンゲルス全集』第一六巻、三頁。 日中戦争が起きるかもしれないと言ってるけどマジなのですか? misty @misty882311 すごい人 of すごい人 of すごい人……の頂点にあるのがたとえばそれこそハイデガー (20世紀哲学)やトーマス・マン(小説)、デリダ(現代思想)といった固有名詞に加えて、柄谷行人、そして東浩紀にはその頂点性を感じる。知のゲームというか。そして今東はその席で一人孤独の中に居る。 1:08 - 2018年11月14日 単なる言葉遊び文芸……の頂点にあるのがたとえばそれこそハイデガー ポモといった固有名詞に加えて、柄谷行人、そして東浩紀にはその頂点性を感じる。 知の欺瞞ゲームというか そう言えばNAM創設第一回の講演会に行った事あるが、その時柄谷行人は 「私のファンや文学がどうこうとか言う輩は要りません。 それなら大型トラックの免許を持ってる方々に来てもらいたい」と演説した。 私は即座に「お呼びでない」と思いNAMには当然参加しなかった。 その後の顛末までは読めなかったが。 文学がどうこうとか言ってるのは柄谷さんご自身なのに 東大は文学科がないし、文学は後発血統世代だから、文学にカラタニをはじめセクハラ残りで関わらしちゃいけない。 「はやい、やすい、きたない。悪徳業者の柄谷工務店」 ちょっと信用調査せなあかんな。 あれは反社かもしれへん。 柄谷行人『トランスクリティーク』で、ロールズ『正義論』フランス語版序文が言及されていましたが(定本478頁)、 現在入手困難なので主要箇所を引用します。講談社のシリーズ(現代思想の冒険者たち)でも引用されていた部分ですが、 こちらも既に入手困難のようです。 以下、ロールズ、『正義論』フランス語版序文より 「この場合、はじめから少数者にではなく市民全員の手に生産手段が委ねられ、それによって市民が社会生活の ためにじゅうぶんな協力体制を組めるように、諸制度を整備しなければならなくなる。強調されるべきは、ある期間 を通じて資本および資源の所有が偏りなく分散され、しかもそうした所有の分散が、相続と譲渡に関する法律、 機会の公正な均等を求める法律(それに基づいて教育や育成のための諸方策が認可される)、さらに政治的自由の 公正な価値を守るための諸制度に関する法律によって、実現されるということである。」 川本隆史・米谷園江訳「みすず」No.385より(1993.4)、原典ロールズ『正義論』フランス語版(1987) こうした考え方はマルクスよりガンジーに近い。協同組合の理念的基礎でもある。 「生産を各地で分散して行って初めて、分配は平等に行えるようになります。つまり、生産と同時に分配が行われる ようにならない限り意味がありません。自分たちの商品を売るために外部の市場を開拓しようと思っている限り、 分配が平等に行われることはありえません。」 『ガンジー自立の思想』田畑健他訳地湧社88頁より 現在のベーシックインカムについての議論にはこうした洞察が欠けている。 柄谷行人絶対「みんなと違う俺かっこいい」って思ってる。 つまり、嫌われ者のぼっち陰キャ童貞。 すがさんスレッドでもついつい言ってしまったが、貴殿方、柄谷行人を何だと思ってる? 戦後日本の中でも最高の思想家の一人として 海外でも有名なのは知ってるだろ?それを何故 からかうような書き込みをするんだ? アンチへの釣りや皮肉ならいいんだけど、本気でやってるなら戒めるべき。 いくら匿名掲示板でも、優れた人物には 最低限の敬意を払って欲しい。 尊敬ってのはね 人に言わされるもんじゃない 初対面・知らない人間に対して敬意は誰にでも払うべきではあるがね 優れているから払うもんじゃない 恐れろというなら恐るがね 著名であるという事はそれだけで影響力があり敵意向けられたら手酷く虐められる それとも権威・権力に対しての批判を否定するのか 俺は思った事を言うし辞める気はない >>304 左翼の学者が「権威や権力者」か... 確かにその通りだね。何とも皮肉だよな。 マルクスを自分の都合に合わせて自由に改変改質してるんだから、 つまり嘘を広めてるんだから、そりゃ手厳しく批判されるわな 日本語版とこのフランス語版には索引はないので索引のある英語版を薦める https://www.amazon.co.jp/Structure-de-lhistoire-du-monde/dp/2271114195/ Structure de l'histoire du monde 31 mai 2018 de Kojin Karatani (Auteur), Makoto Asari (Traduction), Isabelle Flandrois (Traduction) 交換様式: B略取と再分配|A互酬 (支配と保護)|(贈与と返礼) _______|_____ C商品交換 |D X (貨幣と商品)| | Modes-of-Exchange Matrix B:Plunder and redistribution A:Reciprocity (Domination and protection) (Gift and countergift) + C:Commodity Exchange D: X (Money and commodities) Modes d'exchange B Pillage et redistribvtion A Reciprocite (Domination et protection) (Don et contre-don) + C Echange de marchandises D X (Monnaie et marchandise) 近代の社会構成体: B |A 国家 |ネーション ___|_____ C |D 資本 | X | The Modern-sociam-Formation Matrix B: State A: Nation + C: Capital D: X Formations sociales contemporaines B Etat A Nation + C Capital D X >>316 こりゃまた注があると朝日新聞版とは印象が全然違うな さすがに浅田彰だわ http://gigazine.net/news/20181210-thomas-piketty-group-plan/ 2018年12月10日 14時22分メモ 経済学者トマ・ピケティのグループが「より公平なヨーロッパ」を目指して予算100兆円規模の税制マニフェストを提案 By Fronteiras do Pensamento 2015年頃に日本でも注目を集めたフランスの経済学者トマ・ピケティ氏が率いるグループが、崩壊の危機に 近づきつつあるといわれるEUを「より公平にするため」に、多国籍企業や富裕層から徴税する総額8000億 ユーロ(約100兆円)規模の税制案を中心とするマニフェストを発表しました。 Group led by Thomas Piketty presents plan for ‘a fairer Europe’ | World news | The Guardian https://www.theguardian.com/world/2018/dec/09/eu-brexit-piketty-tax-google-facebook-apple-manifesto 柄谷「ピケティはピカチュー」 みんなPayPay使ってるけどまだ「Q」(柄谷行人の考案した電子決済用地域通貨) 使ってるの俺だけか > フランス人は柄谷行人の120年周期説を知らないらしい 当たり前だ。そんなオカルトwww 120年周期説の元祖はイブン=ハルドゥーン https://www.y-history.net/appendix/wh0504-014_1.html ハルドゥーンが言うには、イスラーム世界には、文明の進んだ都市(ハダル)と、 そうでない砂漠(バドウ)とがあり、砂漠に暮らす人々が強い連帯感(アサビーヤ)を 持って勃興し、都市を征服し強力な国家を建設するが、やがて都市生活の中で連帯感を失い、 新たな集団に征服されるということを繰り返しているというのである。 またその交替は3代120年で起こると言っている それじゃあ尚更、 120年という数値に、 近代資本主義社会との対応点は全くないということじゃないかwwww つまり更にオカルト的な数ということ。 数にオカルト的な意味を見出すのはピタゴラス学派の特徴 時代が進むにつれて、社会の変化も速くなっている感覚がある。 一方で、時代を遡るごとに、社会の支配者である王の就任期間は短くなるという。 支配者と社会の変化は無関係ということかな。 文藝別冊の中上健次のムックを柄谷行人目当てで手に取ったら 金井美恵子がエッセイを寄せていて、なんとなく読み進めるうちにイライラしてきた。 なぜこの人はいつもいい年をして生意気盛りの中学生のような書き方をするのか。 ビックカメラで6万5千円で売ってたデジカメが、 paypayキャンペーン終了と同時に5万3千円に落ちたの爆笑するw >>327 まー地域通貨の現実というのも、しょせんそんな程度のものに終わるだろうなw 川越敏司「行動マルク経済学の可能性」(『されどマルクス』2018所収)はマルクスの可能性を 開くもので興味深い。川越はマルクス『経済学批判』を引用している、 《「 貴金属の高い価値比重、恒久力をもち、相対的意味では破壊されず、空気にふれても酸化しない という性質、…こうした一切の自然的属性が、貴金属を貨幣蓄蔵の自然的材料たらしめている。だからチョ コレートが非常に好きであったらしいペテル・マルティルは、メキシコの貨幣の一種であった 袋入りのココアについて、つぎのように述べている。『おお、いみじくもよき貨幣よ、おまえは 人類に甘美にして滋養のある飲物をあたえ、その罪のない所有者を、貪欲という業病から まもってくれる。なぜならば、おまえは、地中に埋蔵されることも、長く保蔵されることもでき ないのだから。』」[『新世界について』《アルカラ、一五三〇年、第五編、第四章》] (マルクス1956[岩波文庫『経済学批判』]、第5章4節、202~203ページ)》 これについて川越はこう述べる。 《つまり、メキシコではココアのような耐久性のない財が貨幣として用いられており、それが 貨幣蓄蔵という貪欲さへの抑止力となっていたことが指摘されている。実験においても、非耐久財が 貨幣になる可能性があることが示されている(川越2003☆ ; Kawagoe 2009)。》『されどマルクス』94頁 ☆ 『現代の金融と地域経済 下平尾勲退官記念論集』所収 「非耐久財は貨幣となりうるか?実験研究によるアプローチ」川越敏司 >>256 ひでえw 絓秀実とか渡部直己とか 柄谷界隈の文芸評論家ろくなのいないねw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる