マルクーゼを読もうぜ!<Herbert Marcuse>
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アドルノやホルクハイマーは読まれているのに
マルクーゼはいまいち読まれていない。
俺は『初期マルクス研究』と『ユートピアの終焉』しか持ってないけど、
他の著作を持っている人がいたら是非! 昨今の事件を鑑みると、やはりマルクーゼはもっと読まれるべきではないかと
うっすら感じるようになった。 マルクーゼの「学生反乱の目標、形態、展望」をざっと読んだが、
ベンヤミンの神話的暴力(法維持的暴力)と神的暴力(法措定的暴力)に
影響を受けているんじゃないかしらと思われる箇所があった。
ベンヤミンの『暴力批判論』も再読しなきゃな。 啓蒙の弁証法読み直してるんだけど
構造主義や脱構築の萌芽みたいなものを読み取れるな 丸善の洋書コーナーでマルクーゼの本を置いてくれないかなあ。
絶対買うのに。
ガーダマーとかよりかは絶対売れるだろうに。 中公クラシックスに収められている
マルクーゼの聴衆との問答集、意外と読むのが難しい。 フロムは今でも人気だろ。
あんなに難しいのに、『自由からの逃走』は売れ続けている。 啓蒙の弁証法をちゃんと読んで批判するのは大変なことだと思う。 啓蒙批判、理性批判、近代化批判、
とにかく批判だけして終わった感じがする、
明るい未来像を提示できていない、
今、フランクフルト学派をマトモに研究してる人なんていないだろ?
それがオワコンの理由だよ 未来像を提示するあるいは提示しなければならない
この考え方自体が啓蒙や近代なのであって批判の対象なんだから当然だろ
まあハーバーマスは未来像のようなものを提示しようとしたが
ついでに言っとくとマトモに研究してる人なんていないというのは権威に訴える論証であって詭弁 ナチスの台頭でフランクフルト学派の多くは米国に亡命した、ほとんどユダヤ人だったからな
一時期、80年代90年代は、フランクフルト学派こそ最先端的な扱いを受けるも、
米国ではその後、リベラリズムやリバタリアニズムが出てきて、フランクフルト学派は過去の遺物と化してしまった >一時期、80年代90年代は、フランクフルト学派こそ最先端的な扱いを受けるも、
>米国ではその後、リベラリズムやリバタリアニズムが出てきて、フランクフルト学派は過去の遺物と化してしまった
なんかどうもおかしい気がするぞ。
アメリカでは行動科学的な政治学アプローチが戦後盛んだったが、
ジョン・ロールズが突如70年代に『正義論』を発表して
リベラリズム政治哲学が盛んになり、それが後に
サンデルらのコミュニタリアニズム政治哲学と論争を繰り広げるようになった
ってのが事実なんじゃないか。
フランクフルト学派はロールズ以前に
エーリッヒ・フロムがアイザイア・バーリンとかハンナ・アーレントのような全体主義批判
の文脈において正鵠を得ているということで人気を博したんじゃなかったっけか。 アーレントのエルサレムのアイヒマンの言説はいただけないな、
感情論で終わってる 結局啓蒙も近代も自分たちは間違っていないと主張することしかできなかった マルクーゼの中公クラシックス版は一種の左翼の歴史を知るためなら
役に立つかも。 フランクフルト学派はとにかく暗いんだよな
絶望的な気持ちになるわ フランクフルト学派はソ連の工作員が多数いたと言われてる、
ゾルゲもだ >>131
理性を批判してはいるが理性を否定してはいない
絶望してしまうのなら誤読している それ、他人のレスに対する批判になってないぞオバチャンw 理性に希望があるなら自己批判的理性だということなのわよ 理性の自己批判
岩波講座 政治哲学5 理性の両義性 フランクフルト学派−唯物論のアクチュアリティ
においても上野成利によって言われていたことだわな。 「文明以前の純粋で本来的な自然なるものが、もとより実在するわけではない。
にもかかわらず「望郷の想い」は文明史につねにつきまとい、文明のなかで
疲弊した人間を啓蒙の外部へと誘いつづける。とはいえ、この誘惑に搦めとられる
ことは、神話へと退行して「新たな野蛮」にいよいよ深く沈み込むことにしかならない
だろう。ここで必要なのはむしろ思惟を徹底的に行使することである。
「啓蒙の自己崩壊」という暗い真理を乗り越えるには、啓蒙の内在的批判、
つまり理性の自己批判の力をつうじて啓蒙のもつ可能性を救い出すよりほかに
道がない。これが『啓蒙の弁証法』で示された解放の見通しだった。」 >>132
の論文を今しがた読んだ。
技術批判が社会問題を技術問題へと矮小化することにつながる
という感じだった。
社会福祉の問題が、
ベーシックインカムをどうやって配ろうかみたいな議論になり、
生の中身が忘れ去られるという話と似ていると思った。 ハーバーマスの主張は次のとおり
技術そのもののがイデオロギーであるというマルクーゼの考えを否定した
目的合理性の不当な拡大が人々をテクノクラシー化してしまう
テクノクラシー化した人々はあらゆる問題を技術や効率性によって解決可能だと考えてしまう
流し読みだがこんなところだろう
フィーンバーグのとこは読んでない クラスター発生の場であるホストクラブも文化産業のうちに入るのかな? https://telling.asahi.com/article/13445589
この記事にあるようなキャバ嬢兼歌手のような活動の仕方は
文化産業に従事していると言っても良いのだろうか。 体を張った仕事の人の心に届くメッセージが
結果として政治的主題となるのだろうな。 ネット検索でしか調べていないが、
マルクーゼ研究が増えた気がする。
そして、マルクーゼをgoogle検索、yahoo検索するやつも最近増えていると思う。
時代状況がそうさせるのか。 Google検索より
マルクーゼに関連する検索キーワード
マルクーゼ 思想
マルクーゼの理論
マルクーゼ 抑圧的寛容
マルクーゼ 理性と革命
マルクーゼ 美的次元
フランクフルト学派
マンハイム フランクフルト学派
フリードリヒ ポロック 堀川さんの本で、マルクーゼ=イージーライダーというイメージが固定してしまって、それ以上掘り下げる気が失せてしまった。 美的次元とか初期マルクス研究とかは面白いんじゃないの 【盗聴盗撮犯罪者・色川高志がしつこく嫌がらせを継続】
色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)
●色川高志「ホワイトハウス高橋の息子の金属バット集団殴打撲殺を熱望します」
龍神連合五代目総長・ホワイトハウス高橋の息子(葛飾区青戸6−23−23)の挑発
●ホワイトハウス高橋の息子「糞関東連合文句があったらいつでも俺様を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 糞関東連合の見立・石元・伊藤リオンの糞野郎どもは
龍神連合五代目総長の俺様がぶちのめしてやるぜっ!! 賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状)
492盗聴盗撮犯罪者色川高志(青戸6−23−21ハイツニュー青戸1032021/02/03(水) 13:53:22.55ID:QtP78E4Z
●青戸六丁目被害者住民一同「盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父の逮捕を要請します」
色川高志(盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父を逮捕に追い込む会&被害者の会会長)住所=東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室
●盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父
高添沼田ハゲエロ老義父の住所=東京都葛飾区青戸6−26−6
【通報先】亀有警察署=東京都葛飾区新宿4ー22ー19 рO3ー3607ー0110
盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父の盗 『解放論の試み』って小野二郎が訳しているんだけれども、
『ウィリアム・モリス』の作者でもあるんだよな。
モリスとマルクーゼの関係や如何? 何やかんや言って、
マルクーゼを読むにもカント、ヘーゲル、マルクスをさらっと
知っとく必要があるんだろうな。 ヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse、1898年7月19日 - 1979年7月29日)は、アメリカの哲学者。ドイツ出身で出自はユダヤ系。 ハーバーマスの言いたいことは日本的に言えば「話せばわかる」だが、
哲学畑では関東の方面は「話せばわかる」を信じている感じだけれども、
関西の方面は「話してわかるとは限らない」という感じだと思う。 連綿と流れてくる現実への流れを切断するという感じの論理が
マルクーゼの『解放論の試み』の序で見受けられるが、
そういうところはある意味ではアルチュセールと似ているのかも。 考え方を変えるという点で「切断」するのはわかるけど、
現実の場面に切断を持ち込むのはやばい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています