時間とは何か 26
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スレッド24が上手く入らない。誰か書き込むか。自分で探して貰うか。 存在の不思議 ミカンとは何か、を、紀州ミカンとは何か、にする。その問いがさほど熱気を帯びない理由は我々はそれが分かっている、分かったつもりでいるからである。 フェイクミカンと、ミカンのなかに仕掛けられた小型爆弾の話しをする、それはそのミカンが決して完全には分かってない事情を示す為である。 世界は、決して分からない。その中で絶えず新しい事件が勃発する。ガブリエルが世界は存在しないと言うのは一つにはその把握が困難であるからである。 >>4 > 平日ですよ > > 無職 > > おじさんたち 自己紹介ですか? 意味の場 存在するものは、意味の場に存在する、ガブリエルです。世界はその存在する場がない、だから世界は存在しない。 世界が何であるのか、世界とは何か、その意味の場が明らかで無い事物者を、考察する時に有効であるのが現象学である。物理学的な知見も現象の研究からなっている。 事件が生起する場所が世界である。これは現象学的な言明です。その様な考察により世界とは何かに迫ろうとします。 物理学もまた現象を研究の対象としますから、現象学によって全ての学問を統一的に捉えられるのでは無いか。フッサールはそう考えていたのだと思われる。 時間現象 存在とは何かの問いも、その意味の場が明らかで無いからその研究は、現象学でしか出来ない。ハイデガーの洞察だったのです。 時間も明らかにその意味の場はありません。現象学によってしかその現象に、事態に迫り得ません。 時間とは何かは、つまり時間現象にどのようにして迫り得るかなのです。 (ジジェクが事件、EVENTと言う本を書いています) 物理学的な時間 また、時間の現象学的な説明は物理学における時間、それは実質的には時間の計測に他なりません。現象学による説明は、その物理学的な時間と言う事態をも説明するでしょう。 物理学的な時間の説明、言及は一つの事態です。我々の現存在の在り方とそれは深く関係しています。 物理学的に言えば、ハミルトニアンに対する推進演算子による 正準変換を考えるとき、そのテイラー展開表示に出てくる係数を 時間と解釈できる 正準変換と正準変換との合成は再び正準変換 になるということで、時々刻々と時は流れていくというわけだ ハミルトニアンは状態を推進させるのだから時の流れは一方向 最後の一行とその前の行の間があまりにも飛躍しすぎじゃね? 問題は、そもそもハミルトニアンとは何か、 なぜそんなものが存在するのか、ということ 前4スレで、三次元が死体でうんぬんという理解があった。 三次元は運動しない、静止としてだし、四次元が三次元の無限集合ならばそうなる 運動する自然をその否定である静止で理解しなければならない 数はそのようなものとしてあり、自然に実在しない 月の裏側のトナカイ 月の裏側のトナカイは存在する、と言う言説を説明する理論、または月の裏側のトナカイの言説の存在理由を説明する理論、が物理学的な方法とその知を説明できるなら、それが認識論となるでしょう。 ところが、物理学的な知が何であるかを説明する理論が、月の裏側のトナカイの存在理由を説明できはしません。 そもそも、物理学は自身の説明がどの様な説明なのかについては言及しようとしません。 月のトナカイが存在するとは、何の話なのかを考究しなければならない理由です。 さっぱり意味が分からん 何で月の裏のトナカイを考えないといけないのか? 何故?そんなあり得そうもないことをかんがえるのか? サンタクロース イギリスで、月の裏側のトナカイは存在するかどうかのアンケートを取る。どれほどかの人が存在すると答える。 さて月のトナカイが存在しないとすると、その結果を説明出来ない。さらにそのトナカイはサンタの橇を引くトナカイである。そのトナカイがいないなら何処にトナカイはいるのか。 さらにサンタはいるのか、いないとするとではたとえ偽物であるとしても何故、サンタの格好をした人物が現れるのか。 つまり、サンタの理念と言ったような存在が存在するのである。だからその橇を引く月のトナカイも存在する。 このサンタの理念は、毎年現れる偽のサンタを説明するのである。つまり現れるサンタの意味である。 >>20 イギリス人はユーモアのセンスがある、が答えだろ いや実際そうだね 「時間とはなんだろう」読んだか? あれに書いてあるのは結局、 「時間の目盛りと方向はどうやって決めればよいのか」を巡る諸々であって 時制についてはスルーだからな >>23 理解に必要だから時間は実在するということですか? >>28 「理解に必要だから○○は実在する」などとは考えない また、実在するものの全てが理解可能だとも思わない そこでは単に、「物理学で時間を考える」ことの不完全さを言っただけ 物理現象としての時間であれば物理で考えてよい。 1ビット時空間だけを考えるならば、状態は2つあり、状態の変化は時間でもあり移動でもある。 過去と未来と移動は区別されない。そのうえに状態遷移すらも区別できない。 つまりなにも変わらないw 物理の世界で光速に近づくほど時間が縮むということを考えると大きさや長さが存在するように 時間も変数として存在しなきゃおかいしよな ただ時間というのは不可逆運動だから時間を遡ったり飛び越えたりするタイムマシンは不可能だし マンガみたいに時間を止めるってのはない >>31 縮むのではなく、伸びるのではなかったのでは? ほぼ光速で進むものは時間がほぼ止まっているらしい。 外から見る者にとっては時間がほぼ止まっているように見えるが、 光速近くで進んでいるもの自身には普通に進んでいる。 同じ世界に別々の時間の流れが存在することになる。 それはおかしいと思うのだが… GPSの時間補正に相対性理論は使われてる 日常の感覚で言えば変かもしれないが、GPSの位置情報が正確なのも相対性理論のおかげ 認めるしかないだろう >>33 運動量大の系は伸びる→ゆっくり、かな? 俺は五十、双子のもう一人は四十とか? >>35 もう一人は光速度近くの系 俺は遅い系 でオーケー? そもそも完全さや証明を求めるのが誤りへの道 そんなのもともと無理なんだから 確からしいくらいで満足して進まないと進めない 物理学だって全部正しいか分からないよ 後から訂正されることもある GPSが正確になるという日常生活で恩恵を受けているのに? 完全性と暫定性 完全性の問題がある。我々は少なくてもある程の完全性を求めている。それによって行動しようとしているからである。 しかし、ある程の完全性と言う表現に既に、謎がある。完全性とは完全性であり、ある程のとは相容れない。 我々の在り方はむしろ常にある暫定性のなかにある。(我々の人間存在の)世界認識は常に暫定的である。 すくむ 未来的事件がある。これから起こるであろうと予想、予測される事件である。それらの事件に適切に、ある種、安心出来る用意が無ければ、我々、現存在はすくむ。これは、すくむと言う在り方の存在論的定義である。 我々は、現在、さまざまにすくんである。 未来的事件 未来的事件の予測は、科学的にやって来る。つまり科学が未来的事件を創り出したのである。 勇気 さまざまのすくみを超えて行く者が勇気である。当然、その勇気にはある程の危険が伴う。勇気の存在論的定義である。 無謀 無謀とは、十分な見通しが無く将来に入って行く行為である。十分な見通しや、用意なしに飛び込む者が無謀と呼ばれる。 パニック 襲って来る事件の姿が見えない時、現存在は不安にある。不安とすくみと、きれぎれの勇気のなかに個々の現存在はある。そして不安を紛らわせる為に集団の中に居ようとする、藁のような安心の為である。 皆が右に行くなら自身もその方向へ行く。皆が止まるなら自身も止まる。 集団が止まれ無くなって、乱れる時、パニックである。パニックは集団の体験である。パニックの実体は、個人的体験では無い。 >>44 この人の言ってることが理解できない トンデモなく勘違いしてるとしか思えない 例えば時計の誤差が一定の場合、地球と衛星の距離によって、測定誤差が違うと書いてるが、それは誤解だろ 単純に時計の誤差分が測定距離の誤差になるだけ そんなところを読んで信じるより 九州大学理学部の解説を読んだ方がよくないか? http://maya.phys.kyushu-u.ac.jp/ ~knomura/museum/GPS/ イジメ 集団から疎外されると言う一見個人的なパニックがある。その実体は、つまり集団への安心の希望である。集団と言うなんとは無い安心が奪われたと思われてしまう危機であり、その唯々で集団的なものである。 この疎外がいわゆるイジメの実体である。、 >>51 一連の解説は時間とどういう関係があるのかな? 謀を予備にめぐらさない戦い方が無謀だよ。確かに無謀はきついぞ。 予備的分析 不安、すくみ、勇気などは現存在の在り方であり、つまり時間の意味なのである。フィロソファアによる時間の解説は、存在論的になる。それはそのまま現存在の在り方からの解説になる。 ハイデガーが言っていた現存在の予備的分析の予備の意味がこれである。現存在の分析の実行は困難を伴う。その困難は実存の困難であるので予備的な分析抜きには実行出来ない。 現存在の分析 現存在のあり方からのたとへば時間の説明は、現存在に関する予備的な解説抜きには実行困難であり、また伝達表現困難である。 現存在の分析は、多くの事実を連れて来る。むしろ多すぎる事実や、予見を連れて来る。よってそれらの予めの地ならしを必要とする。 解明とその効果 時間とは何かの説明、ないし何らかの回答があるとすると、その言説はその者の世界観を変えるだろう。人生観も変えるだろう。 その様な言説は、その他の現存在のさまざまの事柄、あり方と深く関係してあるのである。現存在のあり方と共にあるのである。 未来時間 未来、未来時間と言った概念は、物理学的には取り出せません。存在論的、実存論的に取り出せます。その取り出しには、現存在のそれに対する意味、つまり不安が出てくる。 ハイデガーは不安しか言及しませんでした。それは将来の事件として、現存在のすくみとなる。すくみは既に現存在の身構えを含んでいる。その身構えには、既にいくばくかの勇気がある。つまり将来とはきれぎれの勇気である。未来の認識には既にいくばくかの勇気がある。 (それを知る事が出来ないのはその勇気がないからだとは、言われていますが、これがその構造です。自身の未だ知らない物事を知る事には未来性が含まれている。未来性には未知が含まれている) 実存的、実存論的 こう言った現存在のあり方は、実存であり、実存的ですが、それはまた実存論的です。現存在の実存は、実存論的、実存的にあります。 冒険、退屈 きれぎれの勇気の間隙、そこの飛び越えが勇気ではありません。既に未来の認識に勇気があったからです。 勇気の間隙を杞憂と呼びます。この杞憂を飛び越える者が冒険です。冒険家とは杞憂を飛び越える者であり、その飛び越えの研究をしている者を指します。 冒険の匂いの無くなった状態が退屈です。 現存在の未来 こうして未来とは、勇気と冒険によって現存在にやって来ると(その構造は存在論的に実存論的に示されたのですが)示されました。または、その勇気と冒険心の整わないうちにやって来るものが未来です。 哲学で時間を語るとは 「オレのポエムを聞け」ということか 映画とか絵とかそう言った作品って、理解する事が面白さや良さを感じることと言われてる気がするけど そもそも理解出来なきゃ本当に面白くないんだろうか??? >>62 理解できると面白いというのがあるが 理解できなくても面白い 歌の歌詞など意味のないものがかなりある 「歌詞に意味があったらカッコ悪い」という考えもあるみたい >>64 ポエムが嫌なら、プリンストンで超ひも理論をやることだな。 「時間」は「現象」なのか? 「時間」という「現象」はあるのか? 「概念」という「存在」として、「時間」はある/「自己同一性」を持つ。 しかし、「時間」は、「現象」としての「自己同一性」を持つのか? 「時間」は「現象」なのか? 「時間」を屏風から追い出して「現象」しなければどうしようもない。 しかし、「時間」を「現象」させても「今」しかない。 これでは屏風の中にある「時間」と変わらない。 「リアル」という意味場において「時間」は「存在」しないのだろうか? 公理的集合論で考えるならば、「時間」は「リアル」という集合の「元(要素)」なのか、ということになる。 (世代によって「元」か「要素」か、習ったときの用語は異なると思うので混乱しないことw) カテゴリ分けという動的運動 カテゴリ分けされた静的知識 直列処理(ノイマン型コンピュータ)と 並列処理(量子コンピュータ) 膨大なカテゴリ分けの各末端での行き詰まり感と努力 人類の知性の限界の拡張の閉塞感と希望 全くカテゴリ分けしていない何かへの回帰 全くカテゴリ分けしていない何かを全くカテゴリ分けせずに 理解する方法論とは 時間は極めて量的なもの、いわば数字なのであって、 数字から現在や過去という名前を関連付けようとするから混乱する思うの。 定義付けすらまともにしないから、議論が混乱する。 「カテゴリ」とは「秩序」であり、自発的な「破れ」によって、より小さな「対称性」に変化する。 まず、「理解」などというものは捨て去ってしまい、自然、すなわちここでは「秩序」あるいは「対称性」そのものと同化することが重要かもしれない。 (以前、メソッド哲学として提起したw) 時間現象 勇気とか冒険心とか用意と備えの整わないうちにやって来るものが明日であり、未来です。この現象がつまり時間現象です。 この世界で何故、時間現象が生起するかは説明可能でしょう。 時計を見れば分るのでは? 時間の経過した量を計ってるんだから、 何を計ってるのか定義してなければ時計が造れないでしょ 世界は持続している。どうやら、その様な性質がある。 更に世界は変化する。そして、変化には秩序がある。 だから、変化の量を計れば持続の量が割り出せる。 まぁ、そんな所かな? 何故、世界は持続し、変化するのか? これはもう、元々その様な性質があると考えるしかないね。 時間経験 世界内で主体とは別にいわゆる時間が進むように思えるのは何故なのかは説明可能でしょう。 それが時間現象に他なりません。 つまり、問題は時間現象が規則的に進む事ではなくて、いわゆる客観的とされる時間現象と主体的な時間経験との関係なのであり、その違いなのです。 John McTaggart Ellis McTaggart の The Unreality of Time をベースに時間は現象なのかどうかを考えてみる。 eventは現象である。時間はeventの過去・現在・未来と前と後にみいだせる。 The first question which we must consider is whether it is essential to the reality of time that its events should form an A series as well as a B series. このAシリーズとBシリーズは時間のリアリティに不可欠かどうかというと、その次の文に主観的なものかもしれない、とある。 eventという現象の連なりとしての時間を、主観的でない立場から得られるのならば、時間は現象かもしれないが、それはもはや「時間」と呼ぶべきものではないのかもしれない。 気になったのが、この論文は「特殊相対性理論」よりあとであり、「一般相対性理論」もマクタガートが生きているうちに発表されているということ。 マクタガートが相対性理論を理解できたとは思わないが、それなりにおもしろい議論があったのではないかと予想される。 超弦理論の一般向けの本を読んだ それによると重力や空間とは幻想であるらしい そして時間もあるいは幻想なのかも知れないということだ 例えば普段の日常で上下の方向があると思って暮らしてるけど、宇宙には上下という方向はない 私たちの認識では空間があるあるように思えるけど、それは錯覚に過ぎない...ようだよ うんうん。だからこそ、この正月は現象学を幻想学に書き直して遊ぼうと思ってたのに、 図書館いって資料集めてくるの忘れたw マクタガートもTVみながら書いたらぐだぐだだったしw そもそも、意味場としてリアルを使ってしまうと、それは時間を継承したクラスなので、 「時間」は「存在」しないことになってしまう。 そのような構成を考えたとき、「現象」ではなく「幻想」とはなんなのか。 自発性というものを「破れ」だけに求めるならば、「幻想」も「破れ」によって作られる対称性である。 「現象」と「幻想」の違いは、現象学のパロディとしての幻想学を考えることであらわになる、と考えたのだが。 自発性を始まりと考えるならば、 そこから過去と未来へ自発性が起こすWAVEが伝播する。 そして、どこかで消失するが、発生点と消失点は同じかもしれない。 というか理論的には同じというつまらない結論を出せるかもw 非時間的自発性しか考えてなかったので、「始まり」といわれてやっと気付いた。 とすると、その中にいるもの(粒子)にとって光速が「世界」の大きさである。 光速で閉じた世界。ちょいとなりたつかどうか考え中。 人間中心で時間を考えるやり方が分からん 人間が地球上に存在しない100万年前より前には時間は存在しないのか? 主観と客観 此処での議論も、主観と客観との問題です。主観から世界を説明し、時間も説明するか。もしくは、客観的な考えで世界をとらえ、時間を説明するか。 現象と言っても、現象学による現象は主体が捉えている現象であり、物理学などは客観的な現象を言っています。 主体が捉えている現象は、言葉で表現され、意味的なかたちをしています。物理学などは客観的に存在する存在の現象を言っていますから、捉えられていない現象をも現象としています。 とすると生物の進化は現象学では認めないということかな? 自分からは現象学は馬鹿馬鹿しい気がするけどなあ タイムマシン 相対性理論はタイムマシンが可能であるかの様な数式を持っているらしいですが。 それはあり得る話で、結論めいた話をするなら、その数式の解釈は全ての過去と未来が現在の事物からわかる、以外ではありえないでしょう。 つまり、数式上は、全ての過去と未来が現在から把握出来る。は、タイムマシンが出来る、と同じです。 相対性理論の効果は日常生活の中ではごく小さい それを拡大解釈するのは問題あると思う われわれ、そしてすべての存在は、「自己同一性」という「タイムマシン」にのって時空を航行している。 時間について知りたいとすると、近道は今のところ超弦理論を勉強するしかないようだ とりあえず東大か京大に入学して理論物理のコースに進むのがいい その後はアメリカの大学、カルテクとかバークレーとかで研究する プリンストンとかハーバードもいいらしいよ それじゃ標準的な研究力学力しか身につかんよ。血統歴史的に見て、それを選ばざるを得ないならそうしろよ。 時間は空間で表現するものじゃない 時間を空間とか延長とか広がりとか図形とか物で表現する感覚を捨てよう 時間は先ず、で表現するようなものだ 確かにここに書き込んでるやつには暇な時間があるんだな 時間の謎を解く鍵はやはり、時間が始まったところ すなわちこの宇宙が始まった時点だろ 今のマイクロ波の観測だと宇宙が腫れ上がった開始30万年後の宇宙しか観測できない 重力波やニュートリノの観測で宇宙の開始直後の様子が観測できるようになる そうした情報が集まらないと時間の問題は解決しないだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる