確かに意識や心はある程度の「特徴」を持っているが、それらを幾ら挙げ連ねてもそれらが他の万物万象と異なる何かである証拠にはならない。
脳が未解明且つ意識が直接目に見えないのをいいことに本質的には宗教と変わらない考えが哲学として幅を利かせている。
牛を神聖な動物として扱うのと、意識がモノならざる、物理ならざる超常のナニカとして扱うのは変わらない。
しかも、反論こそあれ、誰もそのことに突っ込まない
「こころ」という言葉の神秘性によってバイアスがかかり、騙されている。
本当は大したことない、その辺の動植物や現象と同じただのモノなのに何故そんなに大仰に語ってしまうのか?
全人類は目を覚ますべきだろう。