何故誰もが意識や心について難しく考えてしまうのか
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確かに意識や心はある程度の「特徴」を持っているが、それらを幾ら挙げ連ねてもそれらが他の万物万象と異なる何かである証拠にはならない。
脳が未解明且つ意識が直接目に見えないのをいいことに本質的には宗教と変わらない考えが哲学として幅を利かせている。
牛を神聖な動物として扱うのと、意識がモノならざる、物理ならざる超常のナニカとして扱うのは変わらない。
しかも、反論こそあれ、誰もそのことに突っ込まない
「こころ」という言葉の神秘性によってバイアスがかかり、騙されている。
本当は大したことない、その辺の動植物や現象と同じただのモノなのに何故そんなに大仰に語ってしまうのか?
全人類は目を覚ますべきだろう。 2元論で考えれば簡単だけどね
もう一つの次元については何も言えないとしてしまえば 物体ではなく状態として捉えてしまえばそれで終わりだと思うんだが >>3
心がモノとは別の次元にあると考えるのがおかしい
11次元が云々、という文脈で別次元にある可能性は考えられても、物理領域を超越したものではない。
心を「わざわざ」切り離すのであれば、根拠が必要だ。根拠なき区別は妄想でしかない。
>>5
モノ=物体ではない。これは説明しないまま使った私が悪い。申し訳ない。
個人的には状態よりも現象というのが適切だ。地球や宇宙の物質的存在が作用し(例えば、太陽が熱を放つ)、風が吹くという現象が起きるように、脳の様々な物質的構造が作用して心が起こる。それだけのことだ。 >>6
状態って言ってるのもそういう意味だぞ
エンティティではなくイベントもしくはステートってことだな
まあこれも発生論みたいな名前で既にある立場なんだろうが もっと簡単に考えようぜ
要するに、「死ねば世界が消えて、自分が残る」
これが真実 【何もしない人=年がら年中授業中寝るか漫画を読んだりして遊び呆ける事しか能がなく
肝心のテストの時等は全て人に尻拭いさせても平気な人間のクズ
筆記用具すら持ってこない小学生レベルの学力の分際で"自称一生芸大志望"(笑)とぬかす
自分のケツもろくに拭けない所詮は口先だけの身の程知らずの出来損ないwwwwwwwwww
けんまするのは大歓迎!!www鎌倉由比ヶ浜在住『大場雄太』ほど批評家になる】
自分がバカにされないことに意識を集中する。
これが劣等意識がもたらす「引き下げの心理」なのです。
部下の行動、妻の言動、何かのコラムに批評することで
「自分の方が偉いんだ!凄いんだ!」と自分で確認しなければ、気がおさまらない。
だから、良いところより、批判することにのみ、すぐに意識が向く。
なぜ、人を誉めること、よい所を認めることにこれほど、ある人は抵抗感を持つのか。
誉めないまでも、一つの考え方としてとらえる事ができないのでしょう。
演劇や舞台の批評文ばかりを見て、あの舞台はキャスティングミスさ、
台本の流れが問題さと、退屈と苛立ちにアグラをかいて、人を批判するより、
一生懸命作っている演出家や出演者の方が人生を楽しんでいるし、心からの友達も多いはず。
何もしない人ほど批判精神ばかりを育てて、人生を孤独にする傾向があるのです。
批判ばかりがクセになると、自分の小さな行動に対しても「くだらない」「意味がない」
と自分にも批判精神は向いてしまい、自分の前向きなエネルギーまでもが枯渇します♥ >>10
簡単にしか考えられない自分が残るなんて
哀れだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています