フロイト、マルクス、ニーチェ
>>2
資本主義っていうか自由主義とか民主主義だろ精神分裂にかかってるのは >>8
自由主義や民主主義は、資本主義ほど欲望を刺激するものではない 1972年に書かれた、ドゥルーズとガタリの共著『資本主義と分裂症?アンチオイディプス』を読むと、彼らの主張はまだ古くないという印象を受けた。
例えば、続巻の『千のプラトー』に出てくるリゾーム(無秩序な地下茎)の概念などは、現代のインターネット文化のあり方にぴったりである。 ドゥルーズとガタリによれば、パラノイアは専制君主の産物で、分裂病は資本主義の産物である。
パラノイアの典型は、前近代的家庭によくいる権威主義的な父親である。
「アンチオイディプス」という表題は、権威主義的な父親(ファルス)から逃走するスキゾキッズの精神を表している。
「選択が行われるのは、パラノイア的な逆逃走と分裂症的な逃走の二極の間でしかないのだ。
前者は順応主義的、反動的、ファシズム的な諸備給に活気を与え、後者は革命的な備給に変換可能である」
(『アンチオイディプス』第四章)。
パラノイア型の人間は、会社や家庭や国家など特定の土地に妄想的に執着するのに対して、
スキゾフレニー型の人間は、ネットサーフィンをするように、あちらこちら気がかわって、どんどんどこへでも動いていく遊牧民族型の人間である。 浅田彰は80年代に「逃走論〜スキゾキッズの大冒険」を書いたが、その後は文章を書くことがメッキリ減った
話芸に特化したようだ パラノイアは専制君主による産物であり、分裂病は資本主義の産物である。
千のプラトーですか? 近代的な家庭像における権威主体である父親像。
アンチオイディプスでは、そういった権威主義的な父親であるファルスから
闘争(心理学用語なので逃走)する群集の姿、精神分析学で言うところの
スキゾイド精神性を表題に掲げているということでは。
スキゾイドというのは、現代語に訳すと精神病的な(精神病質)という意味だが。 バラノ型・・・偏執狂タイプ
スキゾ型・・・分裂症タイプ
という風に捉えていたが違うのか 前者は順応的でありながらも反動的、要するにファシスト的備給に対して活気を受ける類で、
後者は革命的な備給に変換可能な類である。具体的には、前者は、会社、地域、家庭などの
土地柄に固執する人物であるのに対し、後者は、移り気で、ひょうひょうと世間を渡り歩く
流浪の人物であるとされる。 具体的には、前者は、会社、地域、家庭などの土地柄に固執する人物であり、
後者は、移り気で、ひょうひょうと世間を渡り歩く 流浪の人物である。 ずっと会社一筋の社畜はパラノ型
ずっと家にいる引きこもりもパラノ型
あちこち放浪するのはスキゾ型 スキゾイドは革命的な備給に変換可能な類という事なのであろう。 ドゥルーズ本人は引きこもりで有名
「自分の部屋にいながらにして世界中を放浪できる」
ネットを使ってたらどうなってたか… まあ、哲学者ってのはそういうもんだわな
カントも生涯を通じてケーニヒスベルクからほとんど離れなかったが、それでいて世界各国の情報に驚くほど通暁しているので誰もが驚いたという 「現代思想の3大源泉」とも称される3人だが、思想的な影響はおもにマルクスとフロイトによるもの
ニーチェは思想的な影響というより、独特の言い回しがよく引用される マルクスの古い経済理論だけでは不足するようになった
フロイトの精神分析が必要だった >>28
同時代人として、この三人に社会学者マックス・ヴェーバーを入れるべきだね。 マックス・ウェーバーも現代思想への影響が大きいのか? マルクス
ニーチェ
フロイト
マックス・ヴェーバー
この四人を1848年問題という。 1848年といえば、マルクス=エンゲルスの「共産党宣言」だな 1848年はマルクスの「共産党宣言」が出されて、西洋社会にニヒリスムが蔓延して、その中で四人が同時代人として生きていた。 マックス・ヴェーバー(Max Weber、1864年4月21日 - 1920年6月14日) 当時のヨーロッパ社会には厭世的な雰囲気が蔓延していた。4歳といえどもその空気の中にいたことには変わりない。 ウェーバー「転生前なんだがいっちょ噛みいいですか?」 フロイト(1856年5月6日 – 1939年9月23日)「……48?」 まあ、それはともかく、欧州史で「1848年」が特別な年なのは確かだ
ベルリンの壁が崩壊して、東側陣営が総崩れになった「1989年」に匹敵するインパクト フランスでは二月革命が起こり、ユーグ・カペー以来850年続いた王政が最終的に終わった
オーストリア帝国では独裁者メッテルニヒが妥当されて亡命し、東欧バルカン諸国の独立運動が活発になった
ドイツやイタリアでも大動乱が起きた >>40
わからんぞ
4歳で日本軍の慰安婦にされた朝鮮人の婆さんだっているくらいだ >>47
>フランスでは二月革命が起こり、ユーグ・カペー以来850年続いた王政が最終的に終わった
>
>オーストリア帝国では独裁者メッテルニヒが妥当されて亡命し、東欧バルカン諸国の独立運動が活発になった
>
>ドイツやイタリアでも大動乱が起きた
フランスも絶対王政の時代が終焉して、
他国民も、共和政に向かうヨーロッパの空気に酔いしれていた時期だな。
同時に、ヨーロッパ的な厭世が蔓延していた。ヨーロッパ的な価値が崩壊していったデカダンスの時代だ。
パン=スラヴ主義の運動も活発になり、反動でパン=ゲルマンの動きも出てきた。 google trendsとか見たら年末年始はネットを使う人が少ないということがわかる。 確かに昔ならネットなんか見なかったもんな。
今はブログやってるから開くけどな どうしてもマルクスの話になりやすい
フロイトをもっと語るべし 日本人がどうして心を失ってきたのかについては、日本文化が宗教を殺したという側面から語ってきたが、一歩進んで、生活レベルで語ると、恐らく親子の関係が良くないんでないかな。
それは結構な割合で良くない気がする。文化は親から子に伝わるものだが、戦後生まれの親の世代は、価値がないところに基盤を創ったんじゃなかろうか。
子供は自分たちの国土に根付いている慣習を親から教えられてない。親とは仮に1945〜1990年生まれの76歳〜31歳としておく。 西洋の親たちは文化・伝統・風習を自覚的に子供に伝えているのではないか。その証拠にヨーロッパのキリスト教者の割合が多い。日本人のほとんどは無宗教。
それも自覚的な無宗教ではなく、無自覚的な無宗教。
自分たちの価値は風土に縛られている。
そして宗教に縛られている。
日本人は物事付くとヒョイと共通した価値のない場所に放り出されている。自分たちの価値がよくわからないので、個人がそれぞれガラパゴス的に価値を自分で見出す。
それも殆どが高校ではバンド、バイク、 それが共通の価値かというと風土に根付いていない価値なので心から繋がらない。話していて何だが虚しい。小グループの気の合う仲間だけと価値提供する。 これについて証拠やデータを出せと言われると、各国の幸福度ランキングから浮かび上がることがある。 アメリカでも中国でも、人類史上かつてないほど貧富の格差が広がっている
いまこそ、マルクス哲学の出番だ 【5金スペシャルPart1】コロナでいよいよ露わになったコモンを破壊する資本主義の正体
https://youtu.be/deqSOD1OA-o ;
【5金スペシャルPart2】コロナでいよいよ露わになったコモンを破壊する資本主義の正体
https://youtu.be/mbKb8mKdpq0 フロイトを抜きにしてマルクスを語るのは無理になった フッサールの攻撃機制登場。現代思想の冒険者たちナツカシイねえ。
精神分裂病も資本主義の賞品モノ信仰からいい予後になるよ。
共産主義体制も迷惑防止に動員されるだろう。 蛮族を蛮族から引きあげるし蛮族じゃないものみんなを蛮族とみる偏見をなくすこと。 ダンサー哲学もいいんじゃないの。お祓いもできるし、商品飛ぶように売れる。 解説すると踊るときは悪霊がいないし、体つき敷居高くすると悪霊が減るし、ディスコクラブ
に行くとセクハラ覗きたかり癒して処罰くれる皆がいるし、ファッションなど景気がいい。
現実世界にも適応できる。 ソクラテスでは人生学べない古典現代バレエダンサーの肉づき、精神の様な異能力
など、哲学はオタクすぎる。ローザスっていうバレエ団が天下取れてる。 出口:父の考え方に反抗し神に救いを求めた、繊細な長男キルケゴール。
父を尊敬しその理念をもっと科学的に推し進めようとした、次男マルクス。
そして父の絶対精神を認めず神とも絶縁して、一人で生きぬいた三男ニーチェ。
この3人をヘーゲルの子どもという観点から、また近代の最後の哲学者として見ていくと、ここに現代の精神の大枠が用意されているようにも思われます。
歴史は進歩していくという考え方と、進歩しないという考え方。歴史は進歩すると考えれば、頼るべきものは不要です。それとも世界は進歩しないと考えて、宗教のような絶対者に頼るか。または、神に罰せられても、自分自身の力への意志で生きぬくのか。僕たちが現代をどう生きるか、を考えようとすれば、こうした大枠の中で考えることになりそうです。
この3人をヘーゲルの子どもにたとえるなど、「なんと乱暴な」と怒られるかもしれませんが、一つの仮説としてご容赦いただければと思います。 ヘーゲルはインフラ的だからしかもカントを継承してもよかったのかもわからない。許可得てカントなど読んだけど。その浅い掘り下げでは各分野追及できないから売れてないだろうな。 つまり上級国民に搾取されてる現実から目を逸らして、外国を叩くことで貧乏人のくせに上級国民のごとく振る舞うネトウヨのことな
「それぞれの文化は他の文化をみずからよりも劣ったものと評価する権利があると考えるようになるのである。
このように文化の理想は、さまざまな文化圏のあいだに対立と敵対を生むきっかけとなるのである」
「(上級国民に)抑圧された(労働者)階級が(他文化を攻撃することによって)情緒の面で搾取する(上級国民)階級と結びつけられ、本来敵対関係にあるにもかかわらず、支配階級のうちにみずからの理想をみいだしたりすることもあるのである」
フロイト【幻想の未来】 >>78
フロイトのこの意見は元はショーペンハウアーから来ている。
ネトウヨは、己らの個性が空っぽなのでその空っぽの空間に「民族」の当てはめる。
これが、「愛国心」とか呼ばれうる。 >>78
つけ加えると個性がない輩は、「空っぽ」の個性に、「愛国」とかいう「またも空っぽの概念」で己をみたす。己に「何もないので」国家、民族で「己」にを埋める・。
ネトウヨの特徴であろう。 >>80
付け加えるとネトウヨをチョンに、
愛国心を反ネトウヨ的愛国心に入れ替えるとそのままお前に当て嵌まるね