【今】マインドフルネス瞑想 【この瞬間】
●マインドフルネスとは意識の状態のこと
マインドフルネスとは、「“今ここ”に意図的に意識を向け、価値判断をせず、
ありのままに受け入れている状態」を指します。元々は仏教の教えに由来した思想ですが、近代になって宗教色が排除され、医療プログラム・ビジネススキル・自己啓発スキルとして広まっていきました。現在では、多くのトップビジネスマンが実践していることでも話題になり、メンタルコントロールメソッドとして大きな注目を集めています。
●“今、ここ”に意図的に意識を向ける…ってどういうこと?
誰しも、目の前で起きている出来事よりも、頭の中の思考に囚われてしまうことが
あります。思考がポジティブな内容ばかりであれば良いのですが、「なんであんなこと言ってしまったんだろう」「いつになったらコロナは終わるんだろう」「1年後、
ちゃんと仕事あるだろうか」などネガティブな内容ばかりが頭を占めていると、
実際は起きていないにもかかわらず不安や後悔・悲しみ・怒りなどを感じてしまいます。そこで、“今ここ”だけに意図的に意識を集め、今感じる必要のないストレスに心が濁されないようにするのです。
●価値判断をせずにありのままに受け入れる…ってどういうこと?
私たちは普段、目の前で起きた出来事に対して逐一「良い・悪い」「正しい・間違っている」
「意味がある・意味がない」などと主観に基づいた価値判断をしがちです。しかし
マインドフルネスの考えでは、目の前の出来事に対して価値判断をせずにありのままを観察し、事実だけにフォーカスするよう心がけます。そうすることで、物事を
客観的・俯瞰的に見る力・状況に応じた適切で冷静な対応をする力を養います。
https://eonet.jp/health/article/_4104670.html マインドフルネスの思想が世界的に広まった理由のひとつは、脳科学や心理学の
臨床研究によって体や脳への有効性が示されるようになったからです。以下の効果が報告されています。
【マインドフルネスの実践によって期待できる効果】
ストレスの軽減
学習力/記憶能力/集中力の向上
免疫システムの機能向上
慢性疼痛の改善
不安障害/不眠症/恐怖症/摂食障害/依存症の症状改善
うつ病の再発防止・軽度のうつ病の症状改善
感情コントロールの向上(共感力・おもいやり・適切な意思決定・幸福感など) マインドフルネスの状態(“今ここ”に意図的に意識を向け、価値判断をせず、
ありのままに受け入れる状態)をつくるためには、脳のトレーニングが必要。
その方法として最も一般的なのが瞑想です。
仏教では、2500年以上も前からマインドフルネスを実践するためのトレーニングとして
瞑想が行われていました。瞑想によって意識をコントロールし、「今ここ」の一点に
集中させるのです。
なお、誤解している方もいるかもしれませんが、マインドフルネス=瞑想というわけではありません。
瞑想はマインドフルネスの状態を作るための方法のひとつで、瞑想以外にもマインドフルネスの
状態をつくる方法はたくさんあります。 マインドフルネスとは、「『今、この瞬間』を大切にする生き方」を指します。
マインドフルネスの実践により、ストレス軽減や集中力の強化などの効果が得られる
とされることから、21世紀に入り世界中で大きな注目を集めています。
マインドフルネスが世界中に普及するきっかけとなったのは、マサチューセッツ大学
医学校名誉教授のジョン・カバットジン(Jon Kabat-Zinn)博士が、のちの章で
紹介する「マインドフルネス瞑想」を医療分野に最初に取り入れ、慢性の痛みとの
共存を目的としたプログラム「マインドフルネスストレス低減法」を開発したことです。
医療分野以外では、アップルやグーグル、フォードなどの大企業が社員研修の一環と
してマインドフルネス瞑想を導入したことでも知名度が高まりました。
マインドフルネスが世界中で受け入れられた理由は、マインドフルネス瞑想の体や
脳への効果や臨床治療としての有効性が、多くの研究により示されるようになって
きたことにあります。加えて、マインドフルネス瞑想は仏教の瞑想法を取り入れて
生まれたものですが、宗教色を一切廃しているため、誰でも抵抗なく実践できることです。 世界で一番、長生きする職業は僧侶
マインドフルネスだからね 「マインドフルネス」という言葉の意味
「マインドフルネス(mindfulness)」という言葉は、仏教の経典で使われている
古代インドの言語の「サティ(sati)」という言葉の英語訳としてあてられたもので、
「心をとどめておくこと」あるいは「気づき」などと訳されます。
英語には、「気づかう」「心配りをする」という意味の「マインドフル(mindful)」と
いう形容詞があります。マインドフルネスの概念では、マインドフルとは
「『良い・悪い』などの価値判断をすることなく、完全に『今この瞬間』に注意を
向けている心の状態」を指します。 マインドフルネスを構成する2つの重要な要素
マインドフルネスについては、多くの人がさまざまな定義を提唱しています。
しかしそれらには、共通する以下の2つの要素があるといわれています。
1 .判断をしない
自分の今の状態がどのようなものであっても、評価や判断を一切せず、完全に
受け入れる気持ちでその状態をありのままに観察します。
私たちは普段、自分の状態や出来事を「良い・悪い」または「好き・嫌い」などの
判断に基づいて評価しがちです。この結果、客観的な視点を持つことが難しくなり、
不安や偏見などの感情にかられて機械的に反応してしまうことも少なくありません。
自分の今の状態を判断せずに受け入れ、ありのままでいることができるようになると、
出来事や自分の状態をはっきりと見ることができるようになり、適切に対応できる
ようになると考えられています。 2.「今この瞬間」に意識を向ける
マインドフルネスの概念では、私たちは普段、身の周りの出来事などに対して
自動的に反応したり、過去や未来のことを考えたりして、多くの注意力を
浪費していると考えます。
「今この瞬間」に意識を向けると、外部の出来事に気をとられなくなるため
心が穏やかになり、洞察力が高まるとされます。また、浪費していた注意力を
集めて利用することにより、以前なら不安や恐怖に襲われていた状況においても、
より冷静に対処できるようになると考えられています。 https://snabi.jp/article/118
マインドフルネスストレス低減法(MBSR:Mindfulness-based stress reduction)
マインドフルネス認知療法(MBCT:Mindfulness-based cognitive therapy) 1979年
1983年
1984年←ドラえもんの「タレント」があった日 ホラー映画「らせん」その前の「リング」は作者の勘だ 俺がこの役割を若い頃に引き受けるまでに何人も死んだ。そして高校の途中から引き継がれた。
正直正気の沙汰とは思えんが。 俺がこれを習得するまでに時間が掛かったわけだ。相当な犠牲を払って。おまえらの彼氏からが何人も死んでる。 俺みてーのが役割なんか引き受けるべきじゃなかったんだ。それにより多くの人間が死んでしまうからな。適材適所。そういうものの命が奪われた 腹立つか?おれに??
役割はどんどんどんどん引き継がれていく。 首謀者は直に手を下してないから生き残っているがどうなると思う? 奥の奥にも人がいて、上には上がいると。そうなると弱い子供たちは上に従わざるを得ないよな 上も何人かどうかされてる。何故なら手をくだした人間のなかにも生きなければならない人間がいるからだ どうせ人間はどこまで行っても縁で繋がっている。どこまでも滅びるまで。俺は知りすぎただろ。だけど生き残れないと思うか? 俺は織田信長の年齢まできているんだぜ 織田信長は「本能寺の変」で自害したがそれは家臣という繋がりがあってのこと。周りにいた家臣に討ち取られた。身内を固めた徳川家康は生き残った。 おまえらの優しい人が死んでいるんだおまえらが他人につめたくなるのはあたりまえだ。悲観するな。 「今この瞬間」に意識を向ける
マインドフルネスの概念では、私たちは普段、身の周りの出来事などに対して
自動的に反応したり、過去や未来のことを考えたりして、多くの注意力を
浪費していると考えます。
「今この瞬間」に意識を向けると、外部の出来事に気をとられなくなるため
心が穏やかになり、洞察力が高まるとされます。また、浪費していた注意力を
集めて利用することにより、以前なら不安や恐怖に襲われていた状況においても、
より冷静に対処できるようになると考えられています。 マインドフルネスとは、「『今、この瞬間』を大切にする生き方」を指します。
マインドフルネスの実践により、ストレス軽減や集中力の強化などの効果が得られる
とされることから、21世紀に入り世界中で大きな注目を集めています。
マインドフルネスが世界中に普及するきっかけとなったのは、マサチューセッツ大学
医学校名誉教授のジョン・カバットジン(Jon Kabat-Zinn)博士が、のちの章で
紹介する「マインドフルネス瞑想」を医療分野に最初に取り入れ、慢性の痛みとの
共存を目的としたプログラム「マインドフルネスストレス低減法」を開発したことです。
医療分野以外では、アップルやグーグル、フォードなどの大企業が社員研修の一環と
してマインドフルネス瞑想を導入したことでも知名度が高まりました。
マインドフルネスが世界中で受け入れられた理由は、マインドフルネス瞑想の体や
脳への効果や臨床治療としての有効性が、多くの研究により示されるようになって
きたことにあります。加えて、マインドフルネス瞑想は仏教の瞑想法を取り入れて
生まれたものですが、宗教色を一切廃しているため、誰でも抵抗なく実践できることです。 マルチタスクが良くないとは、よく言われていること
メモリがオーバフローして、かえって非生産的になるからね おれは決して反資本主義ではないが、
このマインドフルネスとか瞑想も
「トップクラスのビジネスマン」の糧となって
明日の資本主義ゲームの原動力となっているってのが「なんともはや」って感じだね。 少し細かいことを言うと、ジョン・カバットジンの提唱したのは Mindfulness Based Stress Reduction(MBSR)。
この based が日本語では抜け落ちているために、「マインドフルネス」=「今この瞬間に注意を向けること」と捉えられている。
もちろん、今への注意もマインドフルネスの一部ではある。
だが、仏教本来のマインドフルネス(サティ)は、最終的にはダンマ(法)についても注意を向けることが求められる。
そう聞くとなんか小難しいが、もともとは、煩悩(の対象)からいかに注意をそらすかというのが意図するところだった。
自由自在に意識をそらせるようになること。
なお、これは悟りへの重要な通過点でもある。
さらに悟りに近づくには、そもそも煩悩が生じないような心を作っていくことになる。 >>37
ビジネスマンが瞑想できるわけないからそれは詭弁、詐欺の類だとわかる
原理的にビジネスマンは迷走できない >>43
雑念が無くなるんじゃなくてつねに自分を俯瞰することができて気にならなくなるってのが正しい
余計なことを考えること自体は不随意運動だから意識して止めることはできても辞めることはできない 原理的にとはどういうことだ?一時的にはできてもずっとは無理ってことだよ 瞑想なんてやっても時間の無駄だし
魔境や禅病、偏差、クンダリーニ症候群になって精神がおかしくなる
しかも瞑想をやりたがるような人ほど精神病になりやすい
精神なんて下手に触らないほうがいい
瞑想のリスクを甘く見すぎ
気功や禅、ヨガ、マインドフルネス、ヒーリングも同様
普通に横になって呼吸法程度で静かにリラックスするのがベスト
瞑想なんて普通の人がやるものではない
気功、瞑想、禅、ヨガ、マインドフルネス、ヒーリングなど自分でやったら
瞑想で魔境や禅病、偏差、クンダリーニ症候群になって精神がおかしくなるリスクがある
だから自分ではやらないほうがいい
かといって、どこかのセミナーなどに行ったら詐欺のターゲットになるだけ
いいカモにされて、洗脳され騙されてボロボロにされる
そもそも、こんなおかしなことをやってる奴を信じるほうがどうかしてる
気功、瞑想、気功、禅、ヨガ、マインドフルネス、ヒーリングは全て詐欺
結局は、気功や瞑想などには関わらないほうがいいという結論 アホ、身体動かせや労働しろ
楽することしか考えないやろーめが ソーシャルワーカーを馬鹿にするようなやつは正常な思考をもってないから端からダメ 最初は辛いけど何か月も続けてると快楽に変わってくる 強迫性障害なんだけど、瞑想ができない
考えてはいけない事を考えて否定してを永遠に繰り返してしまう おれがやってること
自律訓練法
瞑想
ぷるぷる気功
官足法ウォークマットU 呼吸に意識を集中するヴィパッサナー瞑想が継続できて効果てきめんだと
流行ってるそうだが自分には合わんかったな
呼吸に意識をむけるなんてそんな必然性のないことを続けるほうが
何も考えないよりもしんどいし、むしろ集中できない なにか教室に通わないといけないの?
本読んで自分でやりたいけど
やたらと本が多すぎてどれがいいのかわからない 俺はティク・ナット・ハンの「ブッダの気付きの瞑想」ってのと、ウ・ジョーティカの「自由への旅」読んだよ。
順番もそれでいいと思う。
自由への旅は洞察智を教えてくれる良書。 >>63
ありがとう
ブッダの気づきの瞑想、良さそうなので注文してみた >>65
できれば、もう少し詳しく教えて欲しいです 初心者ですがマインドフルネス全く集中できない。
何というか、日常生活を精一杯生きてる人の方がマインドフルネスを集中できると思う。
俺の場合、やりたく無いことや、逃げたいこと、がどんどん増幅されていく。
まずは現実から逃げずに立ちむかっていくところがスタートなのかな。
現実から逃げてる状態で瞑想しても全く効果がないと思った。
でもそれに気付けたのは凄い。つまり・・・人生で一番大事なのは勇気だな。
勇気があって初めて心に余裕が生まれる。そういう人が瞑想すると凄くいい相乗効果が
生まれる気がする。
現実から逃げてる限り、この苦しみと自分を責め続けるのは瞑想してもなくならない。
いっそのこと世捨て人になれば別だけど。と瞑想してたかだか1ヶ月の俺が言いました。
とにかく、自分が逃げたいと思ってることに立ち向かわないと平安は訪れない・・・ これは性差考えてあるけどシンガリ任されてもいいし、退却時、退席もスルーも
自由でいい女性は。強制はされえない性別的に、レズでないと。 現実逃避を肯定かぁ・・・なんだろ・・・瞑想中、心の奥から俺にとっては現実逃避の肯定こそ、嘘で
まやかしで逃げだ、とずっとささいてくる。
もしくは物凄く素直な心の持ち主じゃないと無理だ。俺ほど汚れた心じゃ肯定できないと。
こんなことしてる暇があったら今すぐ立ち上げれと囁いてくるけど、その気力もない。
そして結局瞑想とは別の形の現実逃避を繰り返している・・・・。
暗い内容の投稿ごめんなさい。 逃げて大差勝ちしたことある?人の心肺機能再起不能にして。
立場どりや態度の決定なんかで自分は変わらない。 >>67
物事には
・単なる事実
・頭の中の解釈
がある
この2つは何もしていないと区別できないが、瞑想していると分かるようになる可能性はある
単なる事実はただあるだけなので、心でどうしようとしても仕方ない、淡々と対処するだけ
それができないのは、単なる事実に対する頭の中の解釈が自分に都合が悪いから
解釈さえし直すことができれば、「なんだこんなことか」となる可能性もある >>67
なるほど。わかりやすい。ありがとうございます。
通常の出来事ならば多少はできそうだけど、
勇気を試されるまさにその瞬間に恐怖をを観察できるようになりたい。 悟るまでは完全なるマインドフルネスは無理ですよ
それまではいかに、これはマインドフルネスではないと気づくだけの作業です
淡々となりたくて淡々としようとすることも無理です
淡々ではない場合は、淡々ではないと気がつくだけであり、
淡々でないものを淡々と対処するのは不可能です
仮に淡々と対処できる場合は、もともと淡々と対処しているだけです。
繰り返しますが淡々としてないときは、淡々としてないと気づくだけです。そしてその時点で淡々と対処できなければできないでいいんです。
ひたすら苦しいだけですが観察とはそういうものです
それを続けていれば、次回の機会のとき淡々となったことに気がつくでしょう >>67
現実から逃げないということは、
世間的に上手く対処することではない。
やりたくないことから逃げたくなったり、逃げてしまった場合、自分はどうしてもやりたくなかったと正直に認めることが勇気だ。
実際にあなたが実はやらなくて良かったことをやらなくてはならないと思いこんでいたのかもしれない。ほぼ世間はそうだろう。もしもあなたが今、交通事故で重体になったら、対処ができるはずなどないのだから。誰かが世間的にやらなくてはならないことなんてほとんどない。
しかし、もしも勇気を出して逃げずにやってみるときは、誰かがそのことで辛い思いをせずにすむ、そのために自分が引き受けようと思えたなら、是非勇気を出して立ち向かってみてほしい。 心・意識の有り様を示すsati(念)と
それを獲得する方法のsatipatthana(念処)
どっちもマインドフルネスと言ってるからときどき混乱する マインドフルネスって何も考えないってことですか?
自分の力では変えられない現実に頭を悩ませるのは無駄ということでしょうか? >>79
いや、何も考えないというのとはちょっと違う
煩悩、今で言うストレスをストップさせるような意識の持ち方を指している
その初歩は「今ここ」に注意を向けること
何も考えないというより、余計なことは考えない
自分の力では変えられないことが確実ならば、それに思い悩むのはマインドフルネス的にも無駄です いや、たとえ変えられても、思い悩むのはよろしくないというべきでしたね なるほど、、難しそうですね
それが出来るようになったら生きるのが楽になりそうですが 違う違う
余計なことを考えないのではなく
余計なことを考えていると気づき受け入れること
そのようであれば余計なことを考えていたその考えは一つ消えるだろう
しかし、またしばらく後余計なことを考え始めるだろう
そのようであれば余計なことを考えていると気づき受け入れる、これをただひたすら繰り返す >>83
つまり余計なことは考えないということだねw 過去についての後悔、将来についての気がかり
こういったものは自分の思いに気づいて今に立ち返ることでわりと収まる
が、スピーチ前の緊張などは「私は今緊張している」と気づいてもなかなか解消されない
むしろ緊張が増すことすらある
なぜなら今こそが非常事態だから
観察する側の意識(今)が観察される側の意識(過去・未来)と同じだとうまくいかない
だからまずサマタ瞑想で観察する側の意識をつくらないといけない >>85
このあたりの表現というか思惑というか
ちょっと気になってしまいます
収まる 解消されない
元々は何かを上手く乗り越えたりやり過ごしたり
そういう目的は無いはずなんですが
テキストによってはそういうものもあるのでしょうか?
どちらかというとドキドキしている時に
そのドキドキをより詳細に 誤魔化さず
全身全霊で味わう方法といった方が正確かと
ですからラベリングなどで打ち消されない
強い感情などはより強く長く味わうことができるので
寧ろ好都合です
特に瞑想の中級者以上になると思考や感情がどんどん
静まってきてしまいますので
そういうチャンスは見逃さず存分に味わいます >>86
それも正しいと思います
特に禅においてはそのような姿勢で瞑想に取り組む人が多いと思います
ただし、仏教全般においては「苦を滅する」という目的があり
原初仏教では同じ意味で「解脱」を掲げています
何の目的も持たずただ味わうというのはこれに沿う方便の一つと見ることもできます(執著を一切なくすことが苦滅につながる)
心理学でマインドフルネスを扱うときはストレスを軽減したり生産性を上げるというような明確な目的があります
>>1の引用元はこの立場ですね >>85
マインドフルネスは禅定の足場無く日常で実践するものじゃなくて
田舎の山奥か東南アジアの静かな所で念を増大させるべく実践されるものなんだよ
「緊張しています、緊張しています」で(ラベリングの有無は措いておくとして)気付いたところで
その感情が消えるわけじゃないし、そもそも感情が無常・苦・無我であるとみる実践であって
感情コントロールのメソッドじゃないしね >>88
ということは>>1のリンク先にあるようなマインドフルネスの効果(感情コントロールの向上)は嘘ということ?
それとも、本格的な実践としてのマインドフルネスよりも、ストレス軽減法としてのマインドフルネスのほうが進化しているということだろうか?
あるいは、本来的なマインドフルネスでも効果はあるけどそれを意識していないだけ? >>89
嘘では無いんですが....
何かが感情をかき乱した時にそれを解消する方法は
色々考えられます
例えば自分に誇りを持てる昔の体験を思い出すとか
誰かに愛されているのを思い出すとか
何かに熱中するとか
思考や理屈によって軽減するとか
体験を繰り返して慣れるとか
これらは根本原因に手をつけない手軽な方法です
何かに熱中する=マインドフルネス瞑想の
パターンの人もいると思います
故にこの場合は自分の良い面を思い出して相殺する
方法とレベル的には大差ありません
一方で方法本来の目的に沿って一生懸命に瞑想した場合は
感情のコントロールどころか
希望や欲求まで場合によってかなり希薄になります
要は希望があるから落ち込んで
欲求があるから不満が募ります
原因を元から断ってしまおうという方法です
これはレベルが高くなりますが
一般の人は疑問や恐怖を感じると思います
一番良いのはこの中間になんですが
そんな神業みたいなことできるんだろうか?
現実的には中間よりはかなり
前者寄りのパターンが多いんじゃないかなって印象です
それでも効果がかなり高いのであれば良いんですが
本当はかなり瞑想に踏み込まないと楽にならない
っていうことを知っているので
うーん 難しいとこだな....って思います 瞑想は己の心身状態をモニタリング
する機械の計器類をイメージするといいだろう
スピードメーターを見れば、車のスピードの出しすぎにすぐに気付ける
自分の怒り、欲、嫉妬、不安もメーターのように計れば、適正レベルを越えているなら、適正レベルに調整していこうという気付きやフィードバックが得られる
瞑想的でないのは、このようなモニタリング能を欠いて、感情や衝動のまま動く状態。その極端な例が京アニ青葉 >>91
「サティを入れる」と言うときのサティは、おそらく思考への割り込みのことだと思うけど、それは本来サティではないんだよね
こういう誤りを広めた日本テーラワーダ仏教協会の罪は大きいと思うよ 瞑想に関して真面目に語ってるページがない
アホみたいなCHARAついたページばかり
しかもたぶんそれもどこかからの転載なんだと思う
ネットが使い物にならない >>95
もっと詳しく探せば実はあるんですが
確かに自分のフィーリングに合ったものに
たどり着くのはなかなか難しいかもしれません
一番の王道は大念処経です
ggれば日本語訳が出てきます
色んな指導者の教えがありますが
結局は大念処経に書いてあることと同じじゃん
最初からこれを教えてくれよ
となること多数です
息を吸うとか歩くとか今の自分の状況を確認するとか
その他にも全て書かれています
よく読めば非常に大事なコツも
さらっと書かれています
参考までに マインドフルネスって今を意識って意味で
別にそれは瞑想だけで実現するわけじゃないんだって?
考えすぎや情報過多やHSPや頭のいい人に瞑想はいいかもね
テレビ見たくないんだが家族が垂れ流してくる 瞑想中って暇だよね
どんな効果があるのかな
集中しきったあともずっと呼吸を見てるのが辛い 瞑想ってどこでもできるっていうけど
風通りがよく人がいなく適度な広さで落ち着いた場所がいい
ほんとだったら屋外でやるか歩き瞑想がいいのかも
歩き瞑想ができる場所はあまりないけど。朝方とか良さそうだ 瞑想にあるのは精神安定。イライラの軽減
体が鍛えられたりはない
一日何分くらいやればいいんだろうな メンヘラ板にも瞑想スレあるがあそこはダメだな
馬鹿の集まりでしかない 座禅スレとか気持ち悪い宗教的解釈や仏教的世界観ばかりで
科学的にとらえられる奴ってのがいないんだよね
非常に気持ち悪い 論理が2値では足りないからこういうことになるのです エゴイズムで自分の居場所を破壊した連中が
他の板までエサを漁りに来てるからな 瞑想は役に立たないとか言ってる
いや座禅が役に立たないか。じゃあなんでやるのかってかんじだよw
瞑想には一定の効果はあるはず 瞑想中は暗示にかかりやすくなると言う話があるが本当か? お前らみたいなオウム真理教徒は空中浮遊スレとでも題して麻原彰晃理論を展開していけばよかろうにw >>115
哲学板ってこういう根拠のない妄想に基づくお気持ち表明多いよな いいインスピレーションが沸くのは瞑想の効果かなぁ
思考が改善される感覚 瞑想スレないねぇ
俺の仮説だと瞑想には脳を作り替える効果がある
あるべき社会感覚(今の社会で正しいとされるもの)にチューンされる感じがする
瞑想には環境を変える効果はない 仏教の奴らは気持ち悪い
座禅にこだわって瞑想を見れない 脳科学が分かる人って世間にほとんどいないんだよな
スピリチュアル板とか馬鹿ばっか
科学が理解できないとああいう風になっちゃうんだよ 認知行動療法を受けてるんだがマインドフルネスのフェーズに入った
何も知らなかったのでこのタイミングで自分が好きなマインドフルネスを経験するとは思わなかった 「いまにとどまる」エクササイズをセラピストのもとでやってるが何が何だか
これでいいのか、できているのかイマイチわからない 瞑想が出来るようになってくるとクリティカルシンキングしなくなってアホになるというのはある >>133
こんな立派な本もあるんですね
とりあえず手軽に内容を知りたいなら
大念処経 マンガ原始仏典・ブッダの教え
とggればわかりやすいサイトが出てきました
他にもこんなのもあるんですね
http://media.dalailama.com/Japanese/texts/mahasatipatthana-sutta-JP.pdf
参考までに 瞑想で不安は無くなるのでしょうか?
瞑想してる途中も不安で集中できません 不安で集中できないのは当然のことだよ。
「だからダメだ」と否定的に捉える必要はない。
むしろ「普段意識できない不安と向き合うことができている」ということだから進歩してる。 >瞑想で不安は無くなるのでしょうか?
ある程度の時間長期的に瞑想に取り組めば間違いなく不安感は減るよ。
瞑想によって偏桃体が縮小することが分かっている。 少なくとも20分以上を1日2回。
1年間続けたら確実に変わると思う。
最初は20分なんてとても無理と思うから瞑想の前に自律訓練法からやるのがいい。
これだけでも不安がかなり軽減される。
これは1日5分を3回でいい。 自律訓練法は5分がきつかったら3分でもいい。
朝昼晩3回がきつかったら朝晩2回でも効果は感じられる。 自律訓練法は早くて2週間で効果を感じると思う。
不安感がきつすぎる場合はこっちの方がおすすめかな。 >>142
自律訓練法とボディスキャン瞑想は似てますね
ボディスキャンと呼吸はどちらが良いのでしょう? ボディスキャンはあまりやったことがないのですみませんが比較できません。
私が実践した範囲で言えばスマホアプリの「寝たまんまヨガ」はかなりオススメです。
様々な音声誘導のパターンがあり秀逸なアプリかと。 途中で眠ってる時があるけど、それでも効果があるのだろうか? >>145
体の自然な反応を否定してはいけない
抗えない眠気であればそれは今のあなたにとって必要な事
スピ的な話をちょっとすると浄化されてる際には強い眠気を生じやすい 瞑想中ってどんな感じになれば成功なんだろ?
科学的には脳波が変わるらしいけど測りようがないし マインドフルネスは瞑想という名のバカの迷走であることがこのスレッドでも証明されているな >>105
瞑想やってるキチガイが自分のこと特別とか勘違いしててきもw >>148
どうも各々が自分の考えを語っているだけで統一された見解はないな。
そういう基準を求める人は自律訓練法をやった方がいいな。
私の考えだとそっちの方が効果あるし安全。
瞑想はマニア向け。 何かとマインドフルネス、今に集中すると言われてるよね マインドフルネスで悪化する人もいるみたいだね
嫌な思考に集中してしまったのかな?