意識のハードプロブレムの答え9
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1の考え。
客観はある種の主観である。
意識は根源的であり、科学を説明する。
科学は意識を説明するというよりは、意識は意識自身を説明する。
そして、他者の意識に関しては、それは存在しない。
仮に存在すれば、それは主体の意識の内側である。
意識のハードプロブレムの答え8
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1613187558/ >>950
私は世界は意味に溢れているように思います。 >>951
辻褄が合わない物事に 現実的な整合性をとるつまり後ないかな >しかし、理想としては、整合性は先にあるのではないでしょうか。
先にあったと想定しても矛盾が生じないように辻褄を合せることが、
説明がつくようにすることであり、求められている"accountablity"である。 >>950
個人的には、そもそも生きることに価値はないけど意味は見出せるから価値を味わえるがしっくりくる、そういう微妙な質感のバリエーションがクオリアなのかも 整合性だと、合目的に納得するための理想輪レベルで使われている気がする
状況証拠でも許される次元 >先にあったと想定しても矛盾が生じないように辻褄を合せることが、
>説明がつくようにすることであり、求められている"accountablity"である。
だから、整合性ばかり気にしていると、考えが後ろ向きになるんですよ。
整合性なんて気にする前にまずは、自ずと「できること」を面白がった方がいい。
そうすると、「できないこと」との関係で、後からそれなりの整合性も見えてくる。 誤:"accountablity"
正:"accountability" 生きている限り、世の中は虚々実々の「ば(化)かしあひ」なのだから、
現実の合理性などというものは、後から事象の相互関係を整合的に
説明できるよう("accountable")にするために案出される後付けの
理屈に過ぎない。或る事物が何の連続性もなしに別の事物に突然
に「ば(化)ける」はずがない。「そんな『ばか』な!どのようにか
合理的な説明がつくはずだ」という驚きがあってこそ、整合性が
要請されることになる。 実のところ、何も夢も抱くことができないよりは、一時的な幻想にであれ、
「ば(化)かされ」たいと思っている人々が大半なのである。 >>959
整合性は始めにも終わりにも在るという考えはどうでしょうか。
>>961
私は、予定調和とか、始めに全てがあった、という思想が好きなのでしょうね。
整合性のコアは、空であることのように思います。
哲学としては、今後、もっと考えていきたいと思います。 少し早いですが、新スレッド立てました。
こちらの古いスレッドから先に使用して下さい。
よろしくお願いいたします。
意識のハードプロブレムの答え10
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1622714964/ >>961
私には、社会は人々の傾き合いという方がしっくり来るかなと思います。
同じようなことかもしれません。 「無」を(対象なき)「射」であるとすれば、それは必然的に「空」という「存在」になる。
この「空」を0次元球面から1点を除いたものと考えるのであれば、
2つの点は「空」と「反空」である。2点だけのリーマン球面?から無限遠点を取り除いたものである。
「空」と「反空」は直交する。
Lのように表すなら、2つの端が「空」と「反空」であり、角の点は中心点となるが、
このような空間的はひろがりを持っているわけではないので拡張されたイメージである。
(長さのようなものは補助線として外部から与えられたもの)
もしこの角度π/2をブロッホ球のように2倍にして表すのであれば、
ブロッホ球の2つの極が「空」と「反空」になるが、球面としてのひろがりはない。
「空」を・として表し、「反空」をその・のある空間とし、補助的にイメージしたものを取り去るなら、
{・}と表すのが適当だろう。
これは点としての「空」とその存在「空間」である「反空」である。
「空」は、それ自身で、点としての「空」と「空間」としての「反空」の重ね合わせである。
用語を改めたほうがよさそうだ。点としての「空」を「空点」とでも呼んでおこう。
どのみち「空」の中味は無いのだから点でいいw {・}と表してしまったが、「空」なのだから・をとりさって、集合論にあわせて
{}と表記してもよいだろう。
元(要素)のない(集合として)「空間」だけがある。
これが「空」であり、「空」は「意識」(さらには宇宙)の根源である。 ともかく、「無」をただひとつの(対象なき)「射」(Operator)であるとすれば、
「空間」のようなものまであらわれる。
あくまでも「空間」の種のようなものであり、「時間」のようなものがあらわれなければ、
一般的な(並進対称性としての)「空間」にはならない。
それは「空間」の種なのか、というと、「時間」の種でもあるので、区別をつけずに
「時空間」の種と考える
この種が2つあって、それが「時空間」になるためには...
最初に考えた「射」(Operator)がNOTであれば...
「空間」の種も「反空間」の種になり、それが重ね合わされる。
二重の量子状態。
次のステップは低次元微分トポロジー。ヒントは三体問題にあり?
しかし、そう考えてみると、最初の(対象なき)射は、タイヒミュラー空間が単独で存在するようなものとなる。
「無」はNOT Operatorなのか? いまのところそう考えるしかない。 大抵の人は、「ば(化)かされ」たいとは思っているが、「ばかにされたい」とは
思っていない。ところが、わざと相手から「ばかにされる」ように相手を意図的に
誘導することを芸とするのが「道化師」/"fool"であり、その芸としての技巧は、
「ばかにする」ようにうまく導かれていることにおいて、実は自分の方が
「ば(化)かされている」ことに相手に気づかせることにある。ただし、そのとき、
相手が自分自身のことを「ばかにする」ように導かれていると感じた場合、
相手には「ばかにされた」という思ひが生じて、相手の怒りを買うことになる。 >>939
私はこれははっきり言って時計さんの悪い癖だと思っているんですけど
(私もじつは人の事は言えませんが)、時計さんが使う言葉にはあまり一般的で
ないニュアンスが含まれていることがあります(しかも要所要所で)。
つまり>>934で「物質」という言葉を使っていますが、
(未確認ながら)これはおそらく普通の感覚とは微妙に違うものです。
時計さんは自らの意識の外側には何も存在しないとしているわけですが
(ちなみに「存在」も微妙なニュアンスを含んでいます)、
となると彼が言う「物質」は彼の意識の内側に有るもののことになります。
それに対して私が想定している物質は意識の外側にあるとされるもののことで
即ち意識が直接体験することのあり得ない実体です。
かんじ的には唯心論の私でさえも時計さんが言う意味においては
「物質は存在する」と言い得る気がするところです。
なお私としても細かく調べたわけではありませんが、
世間で「物質」と言えばどちらかというと私(でこすけ)系ではないのかなと勝手に思っています。
いかがでしょうか。 >>972
ところで「クオリア」についてです。クオリアは物質でしょうか精神でしょうか、
私にはけっこう意見が割れているイメージがあります。
唯物論者はクオリアを物質の側面的なものとして位置づけているようですが、
私にはそれは精神的要素のように感じられます。
私が勝手に決めた「物質」の定義は「物理学的空間に依存して存在するもの」ですが、
たとえば素粒子は空間的な部分を持たないとされつつも
物理学的空間が無ければ存在できないもののような気がするのに対し、
クオリアはむしろ脳(物体)の中に空間的に存在しているわけではない気がする、
つまりクオリアは物理学的空間が無くても存在できるような気がするので
少なくとも物質とは異なるもののように考え得るということになります。
もちろんこれは私の個人的なイメージに過ぎないものであり、
この点について他所様がどのようなイメージをお持ちなのかはなかなか興味がある
ところです。 >>946
>階層は自然にあることだと思います
ここで問題になるのは「自然」だと思います。
時計さんにしてみればそれは時計さんの意識の内側に収まっているもの
ということになりそうですが、
おそらく一般的にはもっと広いもののことです。
で、私はどう考えるかというと、じつはとりあえず考えがまとまりません。
すべての意識の内側に収まっているものの総計と言いたいところですが
必ずしもそうだとは言い切れない気もしています。
ただ一般的にイメージされているものよりはコジンンマリとまとまっている
気がします。
なお、少なくとも自然は私たちに対し常に意味として現れ、
そして意味は必ず意味媒体をともない、
つまり私には階層構造は必須のように考えられるということになります。 >>952
意味ではなく意義だったかもしれません。いかがでしょうか。
>>957
たとえば浜辺に落ちている普通の貝殻には普通は価値は無いけれども
流通貨幣としての意味を与えれば価値も生じる、というかんじでしょうか。
私としては貝殻を貨幣として採用することに本質的な意味は無いけれども
もはや価値を認めた人にとっては価値がある、というかんじです。
しかし確かに意味があるものにこそ価値を見い出すのが自然かもしれません。
人間の真実でしょうか。 >>944
「何にも存在しない」という状態自体を想像・考えることが困難なので、
仮説としての価値や意味は無いに等しいと思えるのです。
「完全な無から存在が生じる」こと自体も不合理であると個人的に思ってます。 >>974
階層構造に創発と呼ばれるような一般的な構造があるかどうかですね。
私は、それは勇み足の感はあるように思います。
>>975
物に意義があるというのは、少し、変かな。 >>971
「化(ば)ける」という表現が「化(ば)かす」という表現と直接に結び付いている
と指摘したところで、日本語を母語とする人ならほとんどが、何をそんな
当たり前のことを言っているのか、と思うだろう。にもかかわらず、名詞の
「ばか」の語源について問はれると、Wikipediaに記載されるとおり、
百花繚乱の民間語源説が唱えられる。https://ja.wikipedia.org/wiki/馬鹿
ところが、英語の"fool"は、名詞としては、「ばか」を意味し、動詞として
用いられる場合は、"Don't let 〜 fool you."(「〜に化かされないように。」)
のように「化(ば)かす」の意味で用いられるのだから、そのような日本語
と英語の表現上の直接の対応関係からみても、「ばか」が「化(ば)け」と
直接につながっていることは明白である。しかし、日本語について考える
ときでも、日本語という枠組みに囚われていると、この程度の簡単な事実に
さえ気づくことができなくなってしまうのである。 As a matter of fact, almost everyone prefers to live in
a fool's paradise so long as it is possible. 哲学的に見て"L'Éducation sentimentale"から読み取ることのできる最も
基本的な「をし(教)へ」とは、
「『ば(化)かされたままでいたいが、ばかにされたくはない』というのは、
両立させるのがとても難しい要求である」ということではないだろうか。
これは、恋愛関係だけでなく、友人関係、統治者と被統治者の関係、
知識人を含むメディアと公衆の関係、さらには自分自身との関係について
も当てはまる。
哲学をするのに必要とされるのは、「ば(化)かされない」ようにすること
でも、「ばかにされない」ようにすることでもなく、「ば(化)かされた
ままでいたいが、ばかにされたくはない」という要求を満たすことの
困難をつねに自覚していることだろう。 いつも相手に都合よく「ば(化)かされている」のにそのことに
気づかないなら、相手から「ばかにされ」て、「おろそ(疎)か」に
扱われるようになる。そのように「おろそ(疎)かに扱われやすい」
ことを、日本語の古語では、「ななづ(侮)らはし」と表現する。 Everyone loves to live a dream. 本当に間違異なら根拠ある否定で判断は正そうなものだけど 事実と判断は完全に一致する意味ですが馬鹿には区別できない 裏を返せば根拠を提示できない馬鹿に区別はできないかも 何も存在しない状態自体を想像するなら、誕生していない状態では?>>976 「無」をOperatorと考える。
単項Operatorと考えるなら、I(Identity)かNOTだ。
空間も時間もないミニマムな状況を考える。
そうすると、Iだけではらちがあかないので、NOTが必要だ。
ミニマムな状況であれば、NOT・NOT=Iということでよい。
Iはアイデンティティであり「存在」である。
細かいことはさておいて、
「無」という状況はNOTとIの重ね合わせ状態にある。
この状況を量子ゲートとみなすならCNOTゲートである。
量子論的な「無」とはCNOTゲートであるw
2in2outの量子ゲートなのだが、量子ゲートとしては扱わず、これをボソンと考えてみる。
このボソンはフェルミオンx2と重ね合わせの状態にある。
この状態を「意識」とするのであれば、もともとも「無」なのだから「無」=「意識」だw
この「意識」は「無意識」も含んでいる。
CNOTゲートとしての「宇宙」を「意識」と考えるなら、「脳」による(と思われている)「意識」は、
「宇宙意識」の模倣であろうw
どのように模倣されているか、といえば、量子ゲート型の量子コンピュータである。
(現在稼働している量子ゲート型コンピュータとは、理論は同じでもアーキテクチャは異なる)
1ビット時空間まではなんとかなった。今夜も酒飲みながら三体問題を読み込んでみよう。 >>973
クオリアは精神的な要素であり物質(神経)を介した感覚
つまり物質と精神は切っても切れないというのもあるんじゃない 【物質】(精神に対して)もの。
物理 空間に量・質を持って存する、実質的なもの。最近では場(ば)に対する相対的な概念と見られている。
哲学 時間的・空間的諸現象のもとである実体。
つまり精神と物質は相反せず、精神的要素(質感)の実態であり 、時間・空間的諸現象の実体である身体を場とする神経系の機能による働きなのです。 >>976
じつは私もこの三行にはまったく同意します。
ただ「私たちは何故“完全な無”を想定したのか」という問いが生じます。
そこに何かヒントがある気がするのですがいかがでしょうか。 生きることは、「ば(化)かし、ば(化)かされることの『相互性』」を
追求することによってしか「みづから(身づ柄/自ら)」が生きるに
「あた(能/価/値)ふ」ものとはならないだろう。 >>977
これもまたなかなかの塩対応ですね。
しかしじつは私は主観主義と階層論は相性がいいのではないか
と勝手に思っていたので時計さんの反発はとても興味深いです。
私のチョッカン的には何か重要なヒントが隠されている気がします。
しかしまだ時計さんの違和感の本質がよく見えていません。
もう少し具体的なことをうかがいたいところです。
たとえば時計さんは意識の基本構造をどのようなものだとお考えになりますか?
あえてどうにでも解釈できる抽象的な質問です。 あらかじめ全体として規定された保存すべき均衡は存在しない。 >>984
私はそれは結果論だと思います。
人間は正しいとか間違っているとかではない
もっと違うルールで動いている気がします。 >>995
階層理論は個別的に存在し、それを創発として
一般化することを批判しました。
その名称(概念)が気に掛かります。
一般階層理論とでも呼べば良いのではないでしょうか。
意識の基本構造に関しては、探求中です。:) >>998
そして、一般階層理論の存在を言うことは、勇み足だと批判したわけです。 >>999
しかし、階層の存在に関しては、私は肯定的です。 このスレッドは1000を超えました。
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