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意識のハードプロブレムの答え15
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0002考える名無しさん
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2021/12/21(火) 09:43:25.850
ぺゃ
0003時計 ◆Mjk4PcAe16
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2021/12/21(火) 11:58:42.750
>>前スレ1000
わろうた。:)
0004時計 ◆Mjk4PcAe16
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2021/12/21(火) 13:05:10.040
前スレの幻想に関して。
私は存在を幻想と呼ぶかは表現の問題のように思います。
科学的知識に関しても、トーマス・クーンのパラダイムシフトは、
古い幻想が新しい幻想に置き換わることと言えなくもないかなと思います。
0005でこすけ
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2021/12/21(火) 13:35:45.880
>>4
世間一般に、つまり哲学に関心を持たない人も含めて
「幻想」という表現にどのようなイメージを持っているのか、
たぶん個人差があるのだろうとは思ったわけですけど
私の場合は栗本慎一郎派ですから『幻想としての経済』とか言って
「貨幣」「交換」「労働」「権力」といったものを「幻想」と表現することに
ことさらな違和感がなかったということがひとつあるかもしれません。
私としては「仮想」「虚像」「仮の姿」「ニセモノ」なんでもいいわけで
ウィトゲンシュタインが「写真」と表現したのももちろんアリです。
むしろぴったり当てはまる言葉はない気さえするくらいで、
そもそもは単に私の性格ですが、ある程度アバウトでいいと思っています。
新しい言葉をつくるのは、それはそれでややこしい気がするのです。
多少のブレは気にしないでテキトーにやるか、
面倒でもキッチリやるか、
それぞれの人間性のような気がします。
0006でこすけ
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2021/12/21(火) 13:52:48.050
私の感性では「夢」は「幻想」と言い得るものです。
夢の中でリンゴをかじったとき、それは「本当のこと」ではありませんが
そのとき感じた甘さは「現実」です。
そして私はいわゆる「うつつ」もそれと同じ構造を持っているのではないか
と考えます。
日常体験は「幻想」ではあるけれども「現実」でもあるだろう
という考え方です。
0007でこすけ
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2021/12/21(火) 14:02:37.950
>>6
では何故「うつつ」を幻想的なものだと考えるのかというと
たとえば冷蔵庫の中身ですが、
私は、ある意味で、本当に何も無いのではないかと考えるためです。
あるいはどこかで「冷蔵庫の中には何かが存在する」と表現したことは
あったかもしれませんが、だとすればそれは間違いです。
冷蔵庫の中にあるのは存在的なものではなく
仕掛け的なものだと考えています。
「冷蔵庫の中には何かがある」以上のことは言えないことになります。
0008考える名無しさん
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2021/12/21(火) 14:09:43.110
>>4
「われわれがそう思うからそこにあるように見えるというのではなく、われわれと離れて別に、客観的に存在するもの。」この実在と存在の関係で正解だと思います。もともと正しい認識がないのは問題ですが、われわれと離れて別に、客観的に存在する物体を幻想と表現するのは、たんなる表現の問題ではないと思いますがいかがでしょう?
0009でこすけ
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2021/12/21(火) 14:16:42.980
>>7
たとえば目の前にリンゴを認識できるとき可能性は二つあるはずです。
実際にリンゴがそこにあるということと、
リンゴを認識する仕掛けがあるだけ(たとえばVRで実現されているように)
(ただしこのリンゴはみんなが認識できるのがミソです)ということと、
私にはとりあえず二つ思い浮かびます。
前者は意識のハードプロブレムのような矛盾を生みます。
後者は具体的な構造がよくわかりません。
このとき私には後者の方が可能性が高いように思えます。
むしろ前者は無い気がします。
少なくとも後者は反証されていなければ可能性はあるはずです。
0010でこすけ
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2021/12/21(火) 14:37:31.610
>>9
ちなみに私が「戸棚」とか「押入れ」とかではなく
「冷蔵庫」にこだわるのは、
冷蔵庫の扉を開けると電気がつくという仕掛けがあるためです。
「存在」は認識されて初めて存在できるのだろうと考えます。
「存在」は意識の外ではなく中にあるとも言い得るように思えます。
前スレで「扉云々」という指摘がありましたが
私はわかりやすいだろうと思ってやっているだけです。
たとえば東京タワーとスカイツリーの真ん中にいるとしましょう。
東京タワーが見えているときはスカイツリーが見えていません。
このときじつはスカイツリーは存在していないということができます。
振り返った瞬間そこにスカイツリーが現れるのです。
東京タワーは視界から消えた瞬間存在しなくなるのです。
ただしこれは考え方の基本にすぎないものです。
結論だけ言うとこの宇宙に誰もいない森なんていうものはありません。
そこで木が倒れたとき私たちは音を聞いてはいるのですが
何しろ音が小さすぎて意識にのぼらないだけです。
本当は扉が閉まっている冷蔵庫の中にも牛乳は存在します。
ただ冷蔵庫の中というのも意識の外ではなく
意識の中にあるものだというのがわかりにくいところです。
0011でこすけ
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2021/12/21(火) 15:02:09.200
>>10
唯心論が弱いのは、えてしてそこで想定されている「心」が
人間限定になっているためだと思います。
それに対して私が想定している「心」はもっと普遍的なものです。
人間の心のような複雑な構造のものが僅か数百万年前に突然生じたとは思えず
もっと単純なものから徐々に進化したと考えるのが妥当に思えるのです。
これは生物以前にさかのぼるはずです。
そうなるともはや「心」とは言えなくなるかもしれませんが、
私としては主体性がないものは存在できない気がします。
哲学的ゾンビな素粒子はあり得ない気がするのです。
仮に世界に一個しか素粒子が存在していないとすると
自分からも誰からも認識されないものというのは
どのようにして存在しているのか、不可解な気がします
(素粒子というよりも量子かもしれません)。
ちなみに私がいう共同幻想(三次元時空など)とは
そのような多くの意識的な何か(生物以前にさかのぼるもの)
等によって成り立っているもののことです。
0012でこすけ
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2021/12/21(火) 15:16:29.950
>>8
「われわれと離れて別に、客観的に存在するもの」
このようなものにかかわらず何かが存在すると主張するとき、
普通はそれが存在することを証明する必要があるように思います。
これは漠然とした印象ではなく、具体的な現物などの確かな証拠のことです。
じつは私はけっこう探したつもりなんですけど未だにみつかりません。
何かありましたら是非お願いしたいです。
これは私見ながらひょっとすると意識のハードプロブレムを解明するより
すごいことです。
0013時計 ◆Mjk4PcAe16
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2021/12/21(火) 15:19:21.960
>>8
前スレの872で挙げたメイヤスーの唯物論はそのような感じですね。
私は、有るということは必ず思考の内側に有ると考えます。
「われわれと離れて別に」とは考えません。
0014でこすけ
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2021/12/21(火) 15:42:24.010
共同幻想は必然性のあるものではなく、たまたまだと思います。
たとえばもっとも原始的な共同幻想のひとつは「意識の外部」です。
私たちは日常の中でこの世界に自分が体験できない世界がある
ということを学習しますが、
そのようなものが本当に存在するということは証明できないので
それはある種の幻想といいうるものだと思います。
しかし想定しておいて矛盾が生じることはないようです。
実際にそれがあるということと、それを想定することは別のことだ
という考え方です。
では如何にしてみんなが外部を認識するようになったのかというと
そこに必然性をもたらすメカニズムが働いているのではなく
ようはたまたまだと思うのです。
ただし共同幻想への参加は全体の中の一部のグループに限られると思います。
私の印象ではダークマターといわれるものでさえも
この世界に存在する全部の中のほんの一部にすぎない気がするのです。
0015でこすけ
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2021/12/21(火) 16:04:33.090
ちなみに私が思う「単純な構造の意識」についてです。
そのようなものはなんだか小さい物のような気がしますが
私が勝手に思い込んでいるものはたとえば人間もアメーバも
持っている規模は同じということになっています。
それを情報量が同じと言えるのかどうかは微妙な気がしますけど
たとえば持っているサイコロの数は同じというかんじです。 
アメーバはほとんどランダムであるのに対して
人間は規則性を持って配列させているのが特徴で、
しかしロイヤルストレートフラッシュが5枚のカードのバリエーションのひとつ
にすぎないように、それは特殊であっても特別ではない気がします。
じつは私は超球面さんの「情報量保存」というのがどういうことなのかが
よくわかっていないんですけど、
私で言ったらそのあたりになるのかなというかんじです。
ちなみにその規模はどれほど小さく見積もっても事象の地平面の内側です。
意識はあらゆるもの影響を受け、
その痕跡は確実に記録されている気がするためです。
私たちの表層意識は本当に表層というイメージです。
0016でこすけ
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2021/12/21(火) 16:13:45.560
>>13
おそれいります私はメイヤスーを舐めていたかもしれません。

ただ、今日まとめて投稿させてもらったのは
言わば「絵」に対する解釈であって「カンバス」についてではありません。
「カンバス」というのはつまり「形而上」のことだと思うのですが
それはそれでまた別に存在すると私は考えています。
ただし答えは超球面さん的に言って
既にみんな知っているのが特徴だと思います。
0017考える名無しさん
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2021/12/21(火) 16:24:40.800
>>6
おまえまえのスレではその味も幻想と言ってたなw
糖質だよなw
0018考える名無しさん
垢版 |
2021/12/21(火) 16:35:03.420
こいつのセンサーは目だけで後ろで屁をこいても屁の存在に気づかないなw
0019考える名無しさん
垢版 |
2021/12/21(火) 16:40:14.600
つか全然前に進んでないし進みそうもないなw
かといってヒントを出す気にもならんなw
時計はバカだしw
0020時計 ◆Mjk4PcAe16
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2021/12/21(火) 16:55:14.640
>>19
お前に勝つくらいなら、バカでいいや。
0021時計 ◆Mjk4PcAe16
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2021/12/21(火) 17:00:05.200
>>16
メイヤスーは唯物論者ですが面白いですよ。
私は主観主義者ですが、反唯物論のチャーマーズより面白かったです。
0022考える名無しさん
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2021/12/21(火) 17:26:05.670
>>12
「われわれがそう思うからそこにあるように見えるというのではなく、われわれと離れて別に、客観的に存在するもの。」これは実在の意味を辞書から引用したもので、単に「われわれと離れて別に、客観的に存在するもの」だけでは実在の意味ではないんですね。
「われわれがそう思うからそこにあるようにみえるというのではなく」という部分も含めてようやく実在を意味(認識に足る)するのです。
私が思うに、われわれがそう思うから、そこにりんごがあるように見える場合、そのりんごは単なる存在で、われわれがそう思うからそこにあるようにみえる存在ではなく、われわれと離れて別に客観的に存在するものしか実在ではないですよという認識になります。
この実在を否定するには否定できるだけの存在を論証する必要があるというだけだと思います。
0023考える名無しさん
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2021/12/21(火) 17:49:38.960
>>8
> 私は、有るということは必ず思考の内側に有ると考えます。「われわれと離れて別に」とは考えません。

有るというだけならそうですが、実在する存在か、しない存在かの話ですから、実在の存在はわれわれの思考と離れて、テーブルの上(という所に在る、所在)にある、実在するリンゴという存在ですし、思考の中にしかないりんごとしての存在は実在するリンゴの存在ではない、そのように区別して考えないこと自体論理的に問題だとは考えませんか?
0024考える名無しさん
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2021/12/21(火) 17:56:29.990
>>23>>13へです。
0025時計 ◆Mjk4PcAe16
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2021/12/21(火) 18:21:10.020
>>23
私は実在は有るということの1つのモードだと考えます。
実在も必ず思考に内側に実在すると考えます。
0026考える名無しさん
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2021/12/21(火) 18:38:56.960
>>25
うーん、実在は有るということのモードなのもわかるし
実在が思考に内側に実在しないるわけじゃないのも表現的にはわかるのですが
そういう話ではないんですよねぇ・・・主観主義的には問題にならないのでしょう。
0027考える名無しさん
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2021/12/21(火) 18:50:52.580
>>10

基本的に面白いこと言ってるなーと思います。
考え方としては面白いし好きですね。
冷蔵庫を使う事は何となく納得できました。

全体は大きくて複雑な考えなので全体にレスをつけるのは正直考えがまとまりません。
なので一部でちょっと思った事を書きます。

正直変な考えなので笑いとばすつもりでお読みください。
私は意識は単純な物であると思ってます。
存在は意識の中にあるのではなく意識が存在に向くのだと思います。
もっと言うと思考も意識の中にありません。
判断も意識の中にありません。
じゃー意識ってなんだよって言うと何にでもアクセスできるただ感じるものなんじゃないのって思ってます。(あと感情の発動体でもあるかと)

例えば生命にとって呼吸は大事な物ですが私はその大事な呼吸をしてる事を忘れている事がよくあります。
意識は何か一つにしか向けられないというのが私の仮説です。雑然と色々な感覚を感じてるような気がしていても集中してないだけではっきり向けられるのは一つと感じます。
そして、何かが存在するというのは意識の中に存在があるのではなく、存在するという結論を意識が受け取って「感じる」のだと。

では意識に主体性は無いのかと言うとそんな事はなく主体となっているものは意識です。
命題を持つのも感覚を感じるのも主体となるのは全て意識です。思考や判断は意識が発動元ですが意識が思考するのではなく思考の結論を意識が受け取る。私はそう考えます。
めっさ適当ですが意識は脳の根っこ付近の中枢神経系、思考や判断や記憶は脳にあるみたいに思ってます。
0028時計 ◆Mjk4PcAe16
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2021/12/21(火) 19:34:44.970
>>26
え? 実在は思考の内側に実在していると考えますよ。:)
0029時計 ◆Mjk4PcAe16
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2021/12/21(火) 19:40:01.790
>>26
私の考える主観主義的には、それは実在の問題ではないかもしれません。
それは未知とは何かという問題ではないでしょうか。
全くの未知=カオスは私達の日常にはほとんどなく、
ある程度のことは予測できることばかりです。
そういうことに関して実在と言いたいのかもしれないなと思いました。
冷蔵庫の中の牛乳も同じようなことですよね。
ある程度のことは予想できる。
0030時計 ◆Mjk4PcAe16
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2021/12/21(火) 19:46:50.550
>>26,28
「しているわけじゃない」と読みましたが、
「しないるわけじゃない」と書いてありますね。
0031時計 ◆Mjk4PcAe16
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2021/12/21(火) 20:01:10.300
>>29
主観主義において、実在という言葉は使えなくても、
私は使えると考えますが、
同様のことを表現する方法はあると私は考えます。
0032非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
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2021/12/21(火) 20:57:37.240
主観主義であっても、「実在」は、いっさいの主観が無い状態/状況でも存在しなければなりません。
これを解決するには、
「主観主義的実在」、といってしまえばよいのですw
「主観」は「認識主体」のものではない。
主観主義が、客観は主観に従属するという立場であれば、
認識主体から独立した客観(=実在)であっても主観に従属しますw
というわけで、「認識主体」と「主観」を切り離してしまえばよいのですw

その切り離された「主観」が、存在確率半径1の超球面なのです。
「認識主体」から切り離されちゃったので「主観」=「実在」ですw
ってことは、「超球面」が「実在」ですね。
あ!?「思弁的実在」とつながった気がする...思弁的球面...
なんかとんでもないことになったような気がする。とりあえずアルコール。
0033非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
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2021/12/21(火) 21:15:19.370
とりあえず「認識主体」から切り離します。
客観=実在=主観=超球面
(主観と客観が同じものになってしまいますが、そこは先送り)
そうなると、「認識主体」は、「実在」によってつくられていることになりますw
「主観」自体は「客観」の側にあるのです。
主観主義=唯物論という図式が...
「認識主体」を切り離したら、とんでもない世界がみえてきた。
「認識主体」こそが「幻想」そのものだったのですな。一件落着。
0034非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2021/12/21(火) 21:23:25.440
われ思うゆえにわれあり、
ではなく、
あるゆえに思うわれ。
実在が思う我をつくりだすのであって、それは実在ではないのだから幻想である。
幻想たるわれわれが実在によって存在させられる...超唯物論とでも呼んでおこう。
0035時計 ◆Mjk4PcAe16
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2021/12/21(火) 21:24:44.140
>>32
私としては、いっさいの主観が無い状態/状況ということも
主体の内側にある考えであると言いたいように思います……
よく考えたいところです。
0036考える名無しさん
垢版 |
2021/12/22(水) 00:46:19.650
私には、エマソンのロマン主義思想自体はどうでもいいのだが
(ニーチェがそれをどのように評価し、踏み越えているかを
見るの興味深いが)、エマソンは、この引用箇所につづけて
(この引用だけ読んでも伝わらない)とても良いことを言っている。

“A man's power to connect his thought with its proper symbol,
and so to utter it, depends on the simplicity of his character,
that is, upon his love of truth, and his desire to communicate
it without loss.”
― Ralph Waldo Emerson, Nature
0037考える名無しさん
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2021/12/22(水) 11:25:46.800
エマソンの散文も詩もほとんど読んだことがないのだが、一方で英国の
詩の伝統や欧州の思想哲学の流れを引き、他方で後継の世代において
米国のプラグマティズムにつながるとともに、ニーチェや現象学にも
つながり、詩と思想哲学を結び付けているエマソンの歴史的な位置付け
はとても興味深い。エマソンは、ニーチェがそれを踏襲しているとおり、
「自然」を「意」/"will"から切り離せないものとして、「意」/"will"
に中心的な重要性を見出しているが、「自然」を「コスモスとしての美」
として性格付け、「『人』と『自然』」という対比をその理想において
永続的に保持しようとしてしまう点で、ニーチェと比べていかにも
「意」/"will"の扱いが不徹底であるように見える。

エマソンの言説から見ると、結局、欧米の思想哲学は、「『意』/"will"を
介した象徴と自然の『対応関係』/"correspondence"」の失われた
(「意」/"will"そのものが蔑ろにされて、「言葉」が空虚とされ、
「事物」が単に存在すると信じられるようになる場合を含む)「調和」
を取り戻そうとする取り組みの悲喜劇として展開されているという
印象を受ける。

「意」/"will"が忘れられるのは、一方で言語表現が「名詞化」され、
言語表現によって伝えられる現象が「物象化」されることによってで
あるが、欧米の思想哲学の言語実践そのものが、その「名詞化」と
「物象化」を免れることがいかに困難であるかは、エマソン自らも、
物事はその適切な「名前」で呼ばれなければならない、つまり、
適切に「名詞化」されて呼ばれなければならないと考えていること
からも分かる。それに対して、日本語では、『意』/"will"によって
伝えられる「対応関係」/"correspondence"は、まさしくそのまま、
呼びかけの「を」と応えの「を」の「呼応関係」/"correspondence"
であり、『意』/"will"に先立って「対象」が「言葉」と対応させられ
るべく「物象化」して存立することはないのである(「自然の意」/
「神意」が顕現するのも効験としてあらたかとなること、すなわち、
事後的に露見することによってでしかない)。
0038考える名無しさん
垢版 |
2021/12/22(水) 11:34:38.110
>「意」/"will"によって伝えられる「対応関係」/"correspondence"は、
まさしくそのまま、呼びかけの「を」と応えの「を」の「呼応関係」/
"correspondence"であり<

このことからも、「物象化」に対するアンチテーゼとして唱えられている
ように見える「現象学」も、表現の実践を離れて、「意」/"will"によって伝え
られる「呼応関係」/"correspondence"だけを純粋に取り出して記述する
ことを目指すなら、何をやろうとしているのか不明な空疎な形式化に陥る
だけだろうと指摘することができる。
0039考える名無しさん
垢版 |
2021/12/22(水) 11:40:31.630
「」内の「」を『』にして用いている。コピペで「」とすべきところが
『』となってしまっている箇所があるが、「」内にある場合にそのことを
示す以外に「」と『』を区別する意図はない。
0040時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/22(水) 12:55:36.590
>>36
何故それを引用しない。

>>37
普通「〜の意」は「意味」を意味すると思うが。
0041考える名無しさん
垢版 |
2021/12/22(水) 13:17:09.960
該当箇所を検索しても、Googleブックのページのイメージがヒットする
だけで、コピペすることができず、自分でタイプ入力する手間が面倒
だからだよ。関心があるなら、ここに引用した文を検索するだけで
すぐに該当箇所が見つかる。
0042考える名無しさん
垢版 |
2021/12/22(水) 13:20:03.450
「〜の意」は、「〜の心(こころ)」を意味すると思いますよ。
0043考える名無しさん
垢版 |
2021/12/22(水) 13:53:44.620

身づ柄さん私に興味あるんかな?
斜め読みしただけなんでよー分からんけど。

身づ柄さんが興味あるのは言語(海外言語含む、日本語は古語主体)をベースにした人間社会学みたいなもんで私が興味あるのは単語(現代日本語のみ)をベースにした人間構造学みたいなもんだから興味範囲重ならんと思うけど。

まあでも大体意識についちゃ書きたい事書いたんでせっせと書くのはこの辺で終わりかなーとか思います。
ちなみに意識が思考から結論を受け取るってのは結構はしょった書き方で思考と意識の分別はかなり難しいです。
以前、考えるって行為をざっくり分解した事があるんですけどそれからすると意識の比率はもっと高い感じがします。(2割とか3割とかかなー? 論理判断する時の「感じ」ってのが分かんない)
でもって思考は言語の論理構造に従うって考えててそこは身づ柄さんと多分同じなんだけど意味がよく分からん部分が多すぎだしアプローチが違いすぎてて参考にもならないんですよね。(最後のとこ、私がそう思うって事は身づ柄さんも多分そうだと思う)
0044考える名無しさん
垢版 |
2021/12/22(水) 13:56:43.540
あと誰もいない森の話と存在の話はこんな風に考えてます。

認識下において見えてなく、かつ意識を向けていない部分にある物は存在しないとは考えません。意識を向けられないので分かりませんが私という情報記録体にはその部分の認識や記憶があるためほぼ間違いなく存在すると思います。
(私をなさしめている物の存在可能性は非常に高いと思ってます。記憶は私をなさしめているものの一つです)

意識を向けた時点で私は観測者となりうると考えます。これは数学的に正しいとか分からんです。仮に違うと言われてもそう信じてます。(そうでないと生きてて困るので。宇宙の果てとか地球の中心とかのようなトンデモ領域は無視します)
0045時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/22(水) 15:20:55.350
>>41
親切にどうも。今晩にでも調べてみます。

>>42
例えばどういう使い方でしょうか。
0047時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/22(水) 15:34:14.730
ああ……
0048時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/22(水) 17:34:56.890
>>46
「その心は」の「心」は「真意」という感じはします。
0049時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/22(水) 17:39:36.760
>>45
少し長いのんあった。
特に共感はなかったです。
0051考える名無しさん
垢版 |
2021/12/22(水) 18:22:13.740
>特に共感はなかったです

それはそれで良かったのではないでしょうか。エマソン自身も
共感については、必ずしも肯定的にばかり評価している
わけではないようですから。

>We sink as easily as we rise, through sympathy. So many men
whom I know are degraded by their sympathies, their native aims
being high enough, but their relation all too tender to
the gross people about them. Men cannot afford to live together
by their merits, and they adjust themselves by their demerits,
—by their love of gossip, or by sheer tolerance and animal
good-nature. They untune and dissipate the brave aspirant. <
Ralph Waldo Emerson, "Solitude and Society"
0052時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/22(水) 19:32:05.890
>>50
無職、いいですね。自由市民。

>>51
それも共感しないと言うべきなのかな。
0053非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2021/12/22(水) 22:31:57.900
認識主体のほうが幻想であり、
実在する客体が、幻想としての主体をつくりだしている。
われわれは、客体によってつくりだされている幻想としての認識主体である。

このようなシナリオもありうる。
認識主体は実在しない。きわめて魅力的なシナリオだ。
430のシーンだけが存在したとすれば...
それが「映画」というもの。
認識主体の主観世界が430のシーンによってつくられる。去年マリエンバートで。
0054非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2021/12/22(水) 23:07:33.250
客体同士は、おなじ世界にある以上、つながっているといえる。
客体ネットワーク。
そのネットワーク内に、認識主体が形成される。
それが生命であり思考であり、身体も脳も客体ネットワークの一部である。
0055考える名無しさん
垢版 |
2021/12/22(水) 23:39:04.670
>"No coração não se manda."

ここにこそ心身問題がある。
0056anonymouse ◆Iow/mouse.
垢版 |
2021/12/22(水) 23:59:52.190
仮想通貨とか、仮想マシンとか、
プログラミング界隈で”仮想”という言葉が多く用いられているが、
仮想とはなんだろうな
0057anonymouse ◆Iow/mouse.
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2021/12/23(木) 00:10:45.480
例えば、
サイン波があって、それにノイズが乗ってる場合を考えると、
仮に実世界がサイン波だとして、そこに乗っているノイズに意味を見出すのが、仮想ということなんだろうか?

そもそも、ノイズと思っていたものが、地デジの映像と音声の情報で、
サイン波(ここでは電波だが)に乗っている情報が、テレビという世界(というか画面)と対応していたとしても、
それはテレビ以上の何者でもでしかないわけで。

つまり何が言いたいのかというと、
仮想とは、二階建てというか、実世界の上に作られた副次的な
(より高次なといっていいが、高次だからといって高尚というわけではない。オッカムの剃刀。)
機能や世界のことをいうのだろう。
ソフトの上にソフトを作る?
それか、
ハードの上に作られたソフトの上にハードを作って、
それが元の世界のハードに対応する。
0058anonymouse ◆Iow/mouse.
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2021/12/23(木) 00:17:24.150
何で言えばいいのかわからんが、
この実世界(ハード)の上に、
我々の幻想、あるいは仮想(ソフト)がある
という構図は間違っていないと思うが、
物理学は、その幻想、あるいは仮想(ソフト)が、
実世界(ハード)に対応しているわけで、
その辺のループが何を意味するのかっていうのが、
あんまり自分の中では、はっきりしていない
0059考える名無しさん
垢版 |
2021/12/23(木) 01:06:03.720
ハードは、固体で、ソフトは、固体と液体の中間という理解でおk?
0060考える名無しさん
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2021/12/23(木) 01:14:24.450
思弁的実在論の運動のひとつで、グレアム・ハーマンの
オブジェクト指向存在論というのがあるけど、どうでしょう
積読候補で内容は不明です

感覚的対象、感覚的性質、実在的対象、実在的性質というキーワード
フッサールの現象学からの、オブジェクトの自立性はハイデッガーの
道具の概念とか、、、
0061考える名無しさん
垢版 |
2021/12/23(木) 06:57:56.300
私は神のようなものである。
他人もまた神のようなものである。

私という神(のようなもの)は他人という神(のもうなもの)を直接知覚できないが情報を通じて相互に繋がっている。
そしてこうしてネットワークで繋がっている事により、私という存在の存在確率は上がる。


何となくポエムっぽくそう思いました。
0062考える名無しさん
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2021/12/23(木) 07:02:30.570
誤字がw

(のもうなもの)→(のようなもの)

のもうなものって何だよwww
0063考える名無しさん
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2021/12/23(木) 08:49:31.680
>>56
仮想通貨は「実体がなく、又一般的に流通していなく独自の価値基準を持つ」ような複合的な意味合いでの仮想、仮想マシンは単に実体がないという解釈で問題ないと思う。
仮想通貨に関して、あくまで複合的な意味合いの為、価値基準が一般化されている通貨を電子化した電子マネーはこれに該当しない。
仮想マシンに関して、その実は単なるソフトウェアな為、1台のPC上で複数OSやCloudベースでの量子コンピュータの利用が可能と言ったレベルのお話。

哲学的に見ると「実体はないが、ある機能として実在する領域」という部分は共通しており、そういう意味では「意識」も「仮想」に当たるのではないかと逆説的に推察できるような気もするし、単なる言葉遊びのような気もする。
0064考える名無しさん
垢版 |
2021/12/23(木) 09:12:27.800
ニーチェが生物学から借りてきた「種」という概念に拘泥しないなら、
『喜ばしき知恵』でニーチェが意識の起源について簡潔にまとめて
書いていることを踏まえることが、やはり議論の基礎として
とても役立つだろうと思うよ。というか、ほかに議論の基礎として
役立つような意識についての議論を見かけたことがない。
0065でこすけ
垢版 |
2021/12/23(木) 10:40:54.890
>>17
私は始めから「現実」は「仮想」だということを言ってきたつもりでいましたが
あるいはそのように読める表現をしたことがあったかもしれません。
「私たちの現実」はそのまま「客観的な現実(真実)」ではないということです。
0066でこすけ
垢版 |
2021/12/23(木) 10:58:45.980
>>21
「面白い」というのは「正しい」ということよりも重要だと思います。
歴史を動かすのは「正しいこと」ではなく「面白いこと」だと思うのです。

>>22
>この実在を否定するには否定できるだけの存在を論証する必要がある
私は「(物心二元論で精神に対する実体としての)物質」の存在に懐疑的ですが
そこで「物質は存在する」と主張する人に
「物質が存在するとする根拠を示してほしい」とお願いをするとえてして
「まず存在しないとする根拠を示すのがスジだ」というような返事が帰ってきます。
私としてはスジにかかわらずパッと「物質が存在する根拠」を示してしまえば
それで済むと思うのですが、いかがですか?
0067でこすけ
垢版 |
2021/12/23(木) 11:16:21.070
>>27
何かを感じるとき、認識上では感覚器官を通じて知覚されています。
そして認識上では視覚も聴覚も味覚もなんたら覚もかんたら覚も
たいていは一旦電気信号か何かに変換されて
そして認識上ではその信号を脳がそれぞれの感覚に変換されているようです。
はたしてこの変換は「再生」なのか「創造」なのか、
このときそういった信号の発信源はどのようなものなのか
(扉が閉まっている冷蔵庫の中は実際にはどうなっているのか)
という疑問を持ちます。
そして私が考えるその構造は一択ではないように私には認識されます。

ちなみに私は意識(精神)は実体ではないと考えています。
つまり私は唯心論でもありません。
ところがそのあたりを語る能力と時間がないのです。
今、電話がかかってきて出勤時間が早くなってしまったという具合です。
申し訳ない。
0068でこすけ
垢版 |
2021/12/23(木) 11:23:55.250
>>67
>視覚も聴覚も味覚もなんたら覚もかんたら覚も
→視覚も聴覚も味覚もなんたら覚もかんたら覚も、すべて
(この文章はそもそも日本語としておかしい気もしますが
 それは気にしないことにします)
0069考える名無しさん
垢版 |
2021/12/23(木) 11:32:55.870
まあ、基本的に、触覚は接触の直接作用によるものであり、
聴覚や視覚は遠隔作用によるものであるという「思いなし」が
まずあって、聴覚や視覚の遠隔作用によって幻覚に誘われる
けれども、触覚における直接作用(特に痛み)によって現実に
連れ戻されるという「思い込み」があるんだよね。
0070でこすけ
垢版 |
2021/12/23(木) 11:33:39.700
>>58
なるほど、ハードとソフトという表現はアホにもわかりやすかったです。
つまり形而上がハード、形而下がソフトというのがわたしのイメージです。

ただコンピューターと違うのは
コンピューターだとソフトが無くてもハードだけで存在できるのに対し
世界の場合はハードだけでは存在できない気がするのです。
形而上と形而下とは表裏の関係のように思えます。
何故そう思うのかというと、じつはこれはただのチョッカンです。
0071でこすけ
垢版 |
2021/12/23(木) 11:38:00.350
>>64
貴重なご指摘ありがとうございます。
さっそくチェックさせていただきたく存じます。
0072考える名無しさん
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2021/12/23(木) 11:38:35.750
だから、聴覚や視覚の効果によってソフトな幻想に浸って「上の空」に
なっているところを、触覚によってハードな現実に連れ戻されるという
構図が想定される。でもまあ、バタンとか、パーンとかの衝撃を伝える
音や、強い光とかで急に目を覚まさせられることがあるから、そういう
ハードな聴覚や視覚は、接触のように直接作用に準じるものと見なされる
わけだ。
0073でこすけ
垢版 |
2021/12/23(木) 11:40:58.690
>>70
形而上には必ず形而下が伴う、
ただしこれは認識上であり
つまり解釈にすぎないものです。

「記憶」「忘却」…
なかなか到達しなくて申し訳ない
0074考える名無しさん
垢版 |
2021/12/23(木) 11:42:42.660
>>66
あなたが物質が存在すると想定できていることが
あなたの精神にあなたのいう物質が実在している証拠です。
0075考える名無しさん
垢版 |
2021/12/23(木) 11:44:33.780
>>73
あなたが死んで形而下の身体がなくなったら
形而上の解釈もできませんよね、認識媒体がなくなるのだから
0076時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/23(木) 13:01:52.660
>>64,71
図書館の貸し出し予約をしました。
タイトルが『愉しい学問』だったり『悦ばしき知恵』だったり
しますから、要注意です。
『愉しい学問』が比較的新しいみたいです。
0077考える名無しさん
垢版 |
2021/12/23(木) 14:13:21.850
>>76
『愉しい学問』のあとがきに書かれているけど、ほぼ同時並行だよ。
一方で分かりやすく訳されている箇所が他方では分かりにくくなって
いる場合が、いずれの側の翻訳にも見られるので、どちらの方が
良いとは一概には言い難い。全体としては『喜ばしい知恵』の方が
読みやすいように感じられたが、いずれにしてもニーチェの原文と
照合しながら自分で解釈することが求められる。
0078anonymouse ◆Iow/mouse.
垢版 |
2021/12/23(木) 15:34:50.610
ハードは剛、ソフトは柔
って感じかな
対立した概念だから、物質の相とは違うと思う
0079anonymouse ◆Iow/mouse.
垢版 |
2021/12/23(木) 15:50:57.460
>>59
つまりなんだろう、
ハードとソフトを連続量と見ることは、
自己捕食的な誤謬があるように思う
凸レンズに凸レンズを重ねるみたいな、

じゃあ逆に、(ハードとソフトを考えるときに、)
凸レンズに凹レンズを重ねればいいのか?というとそれも違って、
どちらも空間の概念だから、
凸レンズの対立概念は、時間で逆転したものを、
空間で裏返さないといけないかもしれない。
(順番があっているかわからない、ようは対偶。)

ようするに、ハードとソフトが水と油という例えとも違うと思ってる
0080考える名無しさん
垢版 |
2021/12/23(木) 17:12:43.770
仮想通貨も現実だから死ぬアホもいるだろw
仮想というのは言葉遊びで一つでも現実との猿真似があれば人はそれを仮想と呼ぶだけだw
0081時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/23(木) 19:58:24.440
>>77
「悦ばしい」と「喜ばしい」の違いもややこしいですね……
『喜ばしい知恵』の方が読みやすかったですか。
私は、『愉しい学問』の方をもう予約してしまいました。
タイトルが解りやすいですから。
0082考える名無しさん
垢版 |
2021/12/23(木) 23:48:59.880
私はどちらも図書館で借りてきて目を通したので、どちらかを
選んだということではなく、読みやすかったというのも
原文との参照関係がとりやすかったという程度の意味でしか
ありません。
0083時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/24(金) 04:52:06.280
>>82
なるほど。どちらも良いところ、悪いところがあるのかな。
0085でこすけ
垢版 |
2021/12/24(金) 09:02:27.830
>>79
この問題は形而上と形而下がどのようにして相互作用しているのかという
言わば「世界(?)のハードプロブレム」といったところでしょうか、
ちなみに私は「形而上」や「形而下」といった概念が
哲学に関心のある人達の間でどのように理解されているのかはよく知りません。

私はやっぱりたとえばanonymouseさんにも私と同じような意識はある、
つまり私がいる世界には私に体験できない部分があって、
そして私の意識はその部分を下部構造としていると考えますが、
ただしその部分は感覚ではとらえることができない領域だという印象を持っています。
するとその部分は言葉で表現するしかない気がします。
たとえばつまり「感覚ではとらえることができない」とか
「個体でも液体でも気体でもない」とか「絶え間なく変化するもの」とか
そういったかんじです。
すると形而上と形而下との相互作用についてもざっくり言葉で表現する
しかないもののようなかんじがします。
なお答えは「真理」というよりも「矛盾のない解釈」くらいにおさまるしかない
というのが私の印象です。

私が理解する「形而下」というのはつまり私が認識する世界のことですが
これはたとえば「夢」もそのひとつです。
「夢」の中に出てくるリンゴは実際に存在しているわけではないという意味では
「映画」の中に出てくるリンゴに似ていますけど、
では「夢」は「映画」のようにまず「スクリーン」があって
そしてそこに映し出されているようなものでしょうか。
「映画」は上映を取りやめても「スクリーン」は残りますが
私は「夢」の方はそれを取り除くと「スクリーン」にあたるものが
残る気がしないのです。
その根拠ははなはだ曖昧なんですけど、
なんだかそのような仕組みは闇雲に不自然な気がするためです。
0086でこすけ
垢版 |
2021/12/24(金) 09:35:03.400
「記憶」についてですけど
伏線を引こうとするとわけがわからなくなるのでさっさと結論だけ言うと
もちろんそれは「幻想」です。
「記憶」は過去の出来事か何かを「再生」というイメージがありますが
私はその都度つくられているものだと考えます。
私は時間はデジタルだと考えますが
「今」は「ひとつ前」から移行したものであり
「ふたつ前」以前は「ひとつ前」に痕跡を残すものの
基本的には消えて無くなったものだと理解できると思います。
「記憶」は「ひとつ前」の情報から新たに創発されたものであり
一般に思われているようなものではないと思います。
「万物は流転する」「“知”は開放系である」
などは私の世界に対する解釈の基本です。
0087でこすけ
垢版 |
2021/12/24(金) 10:49:20.730
私は「ナゾに終わりはあるのだろうか」と考えることがあります。
やっぱりナゾの最後は気になるわけです。
たとえば『聖書』では世界の始まりは創造主による「光あれ」
から始まったとされているそうですが、
そもそも創造主がどこから出てきたのかがよくわかりません。
一方で『古事記』によると、はじめは海にクラゲのようなものが
プカプカ浮かんでいただけだったとのことですけど、
そのクラゲ的なものがどこから来たのかもよくわかりません。
そうは言ってももっとさかのぼれる気がするわけです。

ところで現代物理学によると、宇宙は「ビッグバン」と呼ばれる現象
から始まったとされています。
じつは最初にできたのは光(光子)だったと私は聞いたのですが
ここで多くの人は科学雑誌のイラストのように
光子を球体でイメージする気がします。
これ以上分割されないとされる物質が球体として想定され、
そして文脈的にはここからがポイントなんですが、
そのことについては私は多くの人が古代人のように疑問を持たない傾向
をかんじるのです(もちろん科学的には否定されていることですが
「疑問を持たない」というのがポイントです)。
そもそもビッグバンという現象によって何故空間や時間が生じるのか
そのことについて研究している学者も中にはいるでしょうけど
私としてはマイナーな分野という印象をもちます。
つまり私としてはもっと関心が持たれてもいい気がするのです。
そもそもアプローチの仕方がわからないにしても
意識のハードプロブレムくらいには話題に登っていい気がします。

ただ、じつは私としても始めから「無」があったということになっています。
「無」はそれ以上さかのぼれない気がする便利な概念ですけど
何やら疑問が残る気もするのです。
のみならず私は並行宇宙を想定して「何も無いことは一度も無かった」
とか言っていますけど、ちょっと我ながら無責任な気もしてはいたのでした。
0088でこすけ
垢版 |
2021/12/24(金) 11:03:32.940
>>87
このはなしはどこにつながるのかというと、
最近私に反論をして下さっている方々の印象です。
反論していただけるのは大歓迎というか
むしろ私は反論してくれ反論してくれの反論乞食ですけど、
そういった方々は「意識が存在する前に世界は存在した」
という世界観をお持ちのような気がします。
ではその「世界」はどのようにして生じたのか、
私としては「語ることは無くなった」みたいなことは言わずに
そのイメージはそのままでもとにかく徹底的に詰めていただきたいのです。
あるいはその部分が知性に理解不能な領域であったとしても
何故それが理解不能なのか、
あるいはそうして私は「意識のハードプロブレム」にも答えが出る
ような気がするのです。
0089でこすけ
垢版 |
2021/12/24(金) 11:15:15.010
>>87
>これ以上分割されないとされる物質が球体
0090でこすけ
垢版 |
2021/12/24(金) 11:17:30.450
>>88
>これ以上分割されないとされる物質が球体
→初めて生成されたとされる物質が球体
0091考える名無しさん
垢版 |
2021/12/24(金) 11:43:31.460
何かが存在するが、その形を判断する材料がない場合、
その何かにはまだ形がないということが、「球体」なのではないかな。
だから、形あるものは、いろいろな条件の効果にさらされて、
形を失っていくと「球体」に近づく。
009327
垢版 |
2021/12/24(金) 11:57:49.230
>>88
私に対して当てて書いてるような感があるのでレスします。
私は考える事自体好きなのでいくらでも考えられますよ。考える対象もいくらでも出ます。

ただ私の場合、考えるのに時間食うので本気で考え始めると仕事が手につかなくなってヤバいのです。
なのでほどほどに考えてほどほどに投稿しよーかなくらいに思ってます。
009427
垢版 |
2021/12/24(金) 12:05:05.330
なので超遅レスとか普通にやりそーなのでそうなったら呆れずお付き合いください。
0095非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2021/12/24(金) 12:07:18.520
一次元球面から一点抜いたものが一次元球体です。
二次元球面から一点抜いたものが二次元球体です。
球体には同じ次元でのエッジがあります。
球面には同じ次元でのエッジはありません。
0096考える名無しさん
垢版 |
2021/12/24(金) 12:49:39.180
形の喪失が球でしょう。言い換えるなら、求心性の物象化ですよ。
0097時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/24(金) 12:57:11.530
>>95
球体と言うと中が詰まっている印象はありますが違いますか?
0098考える名無しさん
垢版 |
2021/12/24(金) 14:17:00.650
>>90
物質は存在しないんじゃなかったのか?
0099考える名無しさん
垢版 |
2021/12/24(金) 15:18:42.030
求心性の物象化としての球と遠心性の具象化としての光
0100非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2021/12/24(金) 17:34:24.000
球体は中が詰まっていますが、
n次元球体 < n次元球面
です。(< は濫用かもしれませんw)

0次元球面は2つの点であり、
点をひとつ取り除くと、0次元球体(=ひとつの点)になります。
0101時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/24(金) 19:18:34.370
>>100
確かに、「<」は謎ですね……
二次元球面から一点を抜くとはどういう操作でしょうか。
0102非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2021/12/24(金) 20:31:25.250
二次元球面とは、中が空気のゴムボールのようなものですね。
これに穴を1つ開けて(1点を抜いて)広げると、
餃子の皮のようになります。これが二次元球体です。
一般的なイメージの球体は三次元球体です。中がつまっているボールです。
中がすかすかのボールは二次元球面です。
三次元球体の表面が二次元球面です。
二次元球体は餃子の皮ですw
0103非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2021/12/24(金) 22:41:57.610
解析接続と超対称性変換。
なにやらおかしな関係がありそうな気配。
情報が保存されているのだ、と考えるとスッキリする。
でも、その情報はどこから来たのか?
対生成したのならば反情報がどこかにあるはず。
0104時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/25(土) 03:29:22.230
>>102
なるほど。穴を開けて広げるんですね。
そうすると確かに二次元球面は二次元球体になりなすね。
球体とか球面とかいう言葉は不思議ですけど。
010527
垢版 |
2021/12/25(土) 06:33:54.140
>>67
状況に応じて意識が脳内の記憶(情報)を引っ張り出したり書き込むと想像します。
あと「感じ」の発生元は意識だと思ってます。(意識は「感じ」の発生元であり中枢神経系に存在する仮説です。メカニズムを考えても想像にしかならんので、まー宗教です。ただ、この仮説は別の考えと整合が取れて都合が良いのです)

意識内では「感じ」が発生し、また記憶(感覚記憶や概念記憶)から「感じ」や「概念」を想起すると考えます。

そして概念と感じは紐ついてると思うんですよね。
例えば何かを記憶する時、「感じ」をインデックスにしてる感があります。廊下の思考実験の話だと廊下を記憶するのに廊下を歩いた「カツカツ」という硬質感のある歩いた足の感じで覚え、それで思い出すみたいな。(この例では「廊下(という場所)」と歩く「感じ」の紐付けが行われていると思います。他の例も全てそうか、概念全てがそうかは宿題事項です)

ちなみに私は意識が物質だろうが魂だろうがなんでも良い派です。
意識と称される何かが存在し、それを意識と呼ぶのが都合が良いから使っているだけです。
意識とは物質的な何かな気がしますが最終的に霊的な魂かもしれません。

そうそう、あと27以外に43,44,61,62,93,94も私です。(前スレでは901,904,964,977も私でした。見落としは多分無いと思います)
010627
垢版 |
2021/12/25(土) 06:40:11.680
誰もいない森の話は結構好きな話で暇があるとついつい考えてしまう話です。
私は誰もいなかろうが物が存在していて欲しいと思っているため論理の組み立てが「ある」方に寄ってますね。

もう一つ、すごく考える話に認識世界内の知覚補完されている部分(記憶や概念による知覚補完)は本当に存在するか?というものがあるんですが、それからすると「ある」方が都合が良いのです。
概念による知覚補完とは生まれて初めて見る木の裏側が分かる、というものです。なぜ分かるのかと言えば木という物を経験上たくさん見ており(丸太の状態や木の切り株とかも)木という物はこういうものであると概念があるためです。
そして無数に木を見た経験から初めて見る木でも幹の裏側に幹があると信じられるし納得できます。

問題は建物(特に一戸建てのような小さくも大きくもない物)です。
私の概念上、建物とは屋根があり、4方向に壁なりドアなり窓なりがあるものとして考えられ、それに従い知覚補完されていると言えるのですが一戸建ては小さくも大きくもない事から私が4方向から確認できたと確実に言える物が少なすぎるのです。(20年とか今の場所に住んでますが3軒隣の家とかで確認できてないです。その先とか住宅の中に埋もれると壊滅的です)

見た事ないのに「ある」、わざわざ確認しに行こうとも思いません。なぜ「ある」と言えるんだろう?とか考えるわけです。
そりゃー錯覚だと言われればそうかもしれないんですが錯覚だと生きてて困るんですね。
なので私という観測者を立ててそこは知覚内にあるの「だろう」としてる訳です。
(とは言え、実際に見るまでは確定しませんが)

ようは私は納得したいのです。そしてほんの数軒先の建物の裏側が「ある」と言えない事(「見える」ではない)が納得できないのです。
(見えない事で100%あるとは言えないため一生悩みそうですww これからすると記憶による知覚補完とかんなもん100%存在するわ(とは言い切れんのだが)って気が抜けてます)

神という概念の誕生必然性の一つがこれの保証でないかと考えてます。(もう一つは人間が人間を観測するのに都合が良いというものです。その二つを併せ、神という概念には存在必然性があるとしています)
010727
垢版 |
2021/12/25(土) 06:40:55.130
私は日本神道における神がいて欲しいと思ってますが上の「神という概念」の話は言語上の話のようなものだとお考えください。
0108非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2021/12/25(土) 08:16:25.970
「神」とは、すなわち「体系外」の「公理」であって、
体系内の「矛盾・パラドックス」を解消するものです。
体系外のものなので、役に立たなくなれば追放されます。
体系内にいる「神」は、矛盾を孕むことになるのでニセモノです。
010927
垢版 |
2021/12/25(土) 08:31:08.800
>>108
意図した通りに読み取れているか分からんけど言葉内にあるものはどうやっても言葉内にあって記号じゃん的に思いました。

で、神の名前を呼ぶなって宗教は記号化したら神ではないとの考えによるものかもしれんなーとか連想しました。
011027
垢版 |
2021/12/25(土) 08:36:18.480
ヤバいw

今から仕事なんすわ。
考え初めて仕事が手につかなそう。

ちょっと見るの中断して頭冷やします。
0111でこすけ
垢版 |
2021/12/25(土) 09:20:16.320
>>93
私はコロナ休暇をもらったので投稿をはじめたのですが
今はそれが終わって以前のようには気軽にできなくなってしまいました。
返信できてないものも多く、申し訳ないことになっています。
とりあえず何か考えたことがあればみんなで意見を寄せていければいいな
というお話です。
ちなみに私も出勤なので、今はこれだけになってしまいます。
0112考える名無しさん
垢版 |
2021/12/25(土) 10:04:43.450
求心性の働きの物象化が「球(たま)」であり、
遠心性の働きが具象化が「光(ひかり)」の「かかや(輝)き」である。

「かか・(輝)やき」の「かか」の「か」自体は、反射作用
を想起させるように用いられた発音であり、その繰り返しは、
その作用の継続性を伝えるように用いられるが、「〜やく」
の「や」は、「矢(や)」、「槍(やり)」、「遣(や)り」の
「や」からも想起されるとおり、その継続的な作用が
「はな(放/離)たれる」方向に働くことを伝えるので、
そのように方向性が示されることによって、「かか」に
よって表される継続的な反射作用が、遠心性の働きを表現
するように用いられることになるのである。

「光(ひかり)」の「かかや(輝)き」は、その遠心性の作用に
よって、遠く離れたところにいる人々をも「化(おもぶけ)る」
効果を発揮し、そのことによって「光(ひかり)」の
「かかや(輝)き」が届く人々の各々において「向心力」と
なるのである。この反射作用と遠心性の働きの組合せに
よってもたらされることになる「向心力」の効果をもつ
存在が、「統治権力の中心」とされ、「や」の代わりに
「あ」を用いて遠くの方向性を示すことにより、その
ような複合的な効果を端的に表現している名称が
「あすか(飛鳥/明日香)」や「あしかが(足利)」なのである。
0113考える名無しさん
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2021/12/25(土) 10:48:50.710
しかし、ここでさらに留意しなければならないのは、「向心力」の
効果を発揮して各々に向き直らせることが、単純な対向性をもたらしては
ならないことである。さもなければ、対向性は、対称性として認識されて、
対抗につながる危険性がある。だからこそ、中心として「向心力」の
効果を発揮しようとするなら、相手を向き直らせると同時に、相手が
正面から向き合うことを恐れ入るようにするように相手を絶えず
「は(端/恥)づかしめ」る必要がある。
0114考える名無しさん
垢版 |
2021/12/25(土) 10:51:51.220
「魂(たまし・ひ)」とは、「ひ(日/火)の球体化」である。
0115考える名無しさん
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2021/12/25(土) 10:56:27.420
>>113
だからこそ、自律性を大切にしようとするニーチェは、相手をはづかし(辱)めよう
とする者を最も憎んだのである。フィヒテも、人の晴れやかで快活な面持ちを教会が
いかに嫌うかを指摘している。
0116考える名無しさん
垢版 |
2021/12/25(土) 10:59:06.690
「相手を向き直らせて、その向き直らせた相手を辱めること」、
その行為の繰り返しの実践を奪ったなら、統治権力に何が残るだろうか。
0117考える名無しさん
垢版 |
2021/12/25(土) 12:08:42.170
誤:遠心性の働きが具象化が
正:遠心性の働きの具象化が
0118考える名無しさん
垢版 |
2021/12/25(土) 14:16:31.260
一寸の虫にも五分の魂(たましひ≒『球体化したひ(日/火)』」
0119考える名無しさん
垢版 |
2021/12/25(土) 14:21:10.770
誤:(たましひ≒『球体化したひ(日/火)』」
正:(たましひ≒『球体化したひ(日/火)』)
0121考える名無しさん
垢版 |
2021/12/25(土) 15:09:05.180
疊々と漢字で書き直してみれば、イメージがよく分かる。
012427
垢版 |
2021/12/26(日) 06:20:54.120
ハードはソフトがなければ動かないからソフトが主人であるとも言える。


あんまりしっかり考えてないんだけど私は神の存在必然性は分かるんだけど神を信じられてないつー事なんだよな。
だから書き方自体が微妙な論理構造になっててそれは引っかかって当然だよなーってオモタ。

超球面さんが体系外の公理を神として表現したのがよく分からなかったんだけど、公理とは自分の外側にあって自分と断絶があるというシニカルな視点があるのだろうかと改めて見て気になりました。

あと112から123って全部身づ柄さんですか?
他の人が混ざってるのか分からなくてちょっと迷ってます。
(ちょい興味を引かれる話をしてる感があるんだけど他の人が混ざってると解釈が全然変わって現時点の解釈が「結構謎」→「めちゃくちゃ謎」になる)
012527
垢版 |
2021/12/26(日) 06:37:17.810
よく分からない事は神にぶん投げちゃえよってのは解法の一つでその解法があるのも分かるしそもそも最初から無条件に信じる人とかいるのも分かるんだけど、もっともっと考えて探究したら矛盾が矛盾でなくなり、神に頼らない矛盾の解消ができるのかもしれない。
考えて考えぬいた先に「なるほどこれは神を信じるべきなのだ」と分かったら素直に神を信じられるような気がします。

私はきっと我儘なんです。w
0126考える名無しさん
垢版 |
2021/12/26(日) 07:27:06.620
ソフトな豆腐も冷凍乾燥させればハードになる
0127考える名無しさん
垢版 |
2021/12/26(日) 07:28:47.540
>>123は無関係
0128考える名無しさん
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2021/12/26(日) 07:30:02.150
>>120も無関係
>>121-122はレス
0130でこすけ
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2021/12/26(日) 08:58:57.130
>>106
「認識世界内の知覚補完」というのは私は初めて聞きましたけど
そのたぐいは私も好物でございます。
ちなみにそこから私が連想したのは「言葉の習得」です。
私たちは日常の中では必ずしも「正しい日本語」を
話しているわけではありません。
それは子供が常に正しい日本語を聞いて育つというわけではない
ということです。
にもかかわらず私たちは本当は「正しい日本語」なるものがある
ということを認識します。
私に言わせれば例によってそれも「幻想(共同幻想)」になりますが
そのようなものがどのような過程で成立するのかは興味深い問題だと思います。

私は「意識のハードプロブレム」は「世界の構造」を解明することでもある
と考えますが、
その際にはそのような問題をもフォローしなければならないと考えます。
さらに個人的なイメージ的としては「直感」や「本能」から
「適応」とか「擬態」などまですべてつながる気がするのですが、
なお鍵になるのは「意識」の正体だと思っています。
0131考える名無しさん
垢版 |
2021/12/26(日) 09:13:51.940
ハード/ソフトという区別は、まず何よりも歯が立つ/歯が立たないという違いだろう。
0132でこすけ
垢版 |
2021/12/26(日) 09:13:55.750
>>130
イメージ的としては→イメージとしては

ちなみに何故すべてつながるのではないかと考えるのかというと
世の中にはそうそう色々なことがある気がしないためです。
何かひとつのことがあって、それが様々な現れ方をする
というふうに考えておくのが妥当のようにチョッカンします。
もちろん根拠はありません。


ところで冷蔵庫を引っ張りますけど、先日は一番重要なことを忘れた気がします。
冷蔵庫の話のポイントは扉を閉めても中の電気がついているような錯覚をする
ということです。
「錯覚」はもちろん意味があってそういうことがある(放置されている)
と思うのですが、
だからこそとりあえずの日常が成立するのだろうと思います。
0133でこすけ
垢版 |
2021/12/26(日) 09:58:53.010
>>132
私たちは「客観的世界」なるものが有ると錯覚している
というお話です。
0134考える名無しさん
垢版 |
2021/12/26(日) 10:16:25.510
現(うつし)世(よ)には、「うつ(映/写)し」と「うつ(移)ろひ」が
あるだけで、すべてが「はかな(儚)い」という思ひもあると思いますが?
0135非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2021/12/26(日) 11:18:02.230
体系を自分とすれば、自分の内では証明できないものが公理です。
これを体系外におけば矛盾しませんが不完全です。
しかし、矛盾と矛盾の解消が動的世界を形成していると考えられます。
となると、体系外に置くのも「幻想」ですw

意識のハードプロブレムは「脳」の問題ですから、
客観から攻めて行くべきだと思います。
主観的客観ではなく、客観的主観。認識主体こそが「幻想」の産物であるとw
0136考える名無しさん
垢版 |
2021/12/26(日) 12:27:28.220
すべてがうつ(移)ろひゆくこの世の中で永続するものなど、
新型コロナ・ウイルスとその類のものしかないだろう。
人類が、ウイルス感染も細菌感染も克服した暁には、
人は皆、レーニンのように、息を引き取った後でさえ、
その遺体が腐敗することもなくなるのだろう。
0137時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/26(日) 12:50:52.490
私は実在は予測可能な存在だと思う。
根底から揺さぶりをかけるなら、それを幻想と言ってもいい。
物質は操作可能な存在だと思う。
操作可能性は、ある種の予測可能性だと思う。
行為に関しての予測可能性だ。
水などはコップに入れないと操作可能ではないかもしれないが、
それも含めて物質だと思う。
冷蔵庫の中は、予測可能だから、そういう意味では実在だ。
0138考える名無しさん
垢版 |
2021/12/26(日) 13:17:54.730
>112考える名無しさん2021/12/25(土) 10:04:43.450
求心性の働きの物象化が「球(たま)」であり、
遠心性の働きの具象化が「光(ひかり)」の「かかや(輝)き」である。

>114考える名無しさん2021/12/25(土) 10:51:51.220
「魂(たまし・ひ)」とは、「ひ(日/火)の球体化」である。

「光(ひかり)」の「かかや(輝)き」と「魂(たまし・ひ)」≒「ひ(日/火)の球体化」
の対比は、波としての光と粒子としての光の対比に対応しているように見えて面白い。
0139考える名無しさん
垢版 |
2021/12/26(日) 13:20:07.350
アイスはハードで、ソフトクリームはソフト
0140時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/26(日) 14:04:01.120
>>137
あるいはこう言ってもいいと思う。
予測可能性は予測不可能性でもあって、
そこに着目するならば、実在は幻想だ。
0141非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2021/12/26(日) 16:10:18.200
こう言ってもよいだろう。
実在側からみれば認識主体は幻想である。

幻想たる認識主体が幻想としての実在をみている。
幻想が幻想する。
このような幻想をつくりだしてしまう客体(実在)ネットーワークの罪なのかもしれない。
0142考える名無しさん
垢版 |
2021/12/26(日) 17:51:20.340
幻想で実在は掴めない
014327
垢版 |
2021/12/26(日) 18:01:48.530
>>140

解釈が間違ってるかもしれないので質問。
予測可能性を例えば99%としたとき予測不可能性は1%となる、この解釈で良いですか?
0144時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/26(日) 18:32:05.400
>>143
>>137で言った「根底からの揺さぶり」が真意です。
その確率は0ではない不確定値です。
予測可能性を仮に99%だとすると予測不可能性は1%に
なることはその通りだと思います。
014527
垢版 |
2021/12/26(日) 18:35:16.860
予測可能性は予測不可能性でもあるってのが10分程度、分からなかったので。

予測可能性の立場に立つか、予測不可能性の立場に立つかって話と解釈しました。
それなら面白いしスマートだと思います。
0146時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/26(日) 19:04:21.320
>>145
それは私の書き方が悪かったかもしれません。
予測可能性は予測不可能性を含意するということです。
014727
垢版 |
2021/12/26(日) 19:06:51.490
>>146
いえいえw

逆にそう書かれたおかげで「色即是空、空即是色」の証明みたいに感じました。w
0148時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/26(日) 19:10:59.880
>>147
それなら良かったです。:)
あり得るということは無いということもあり得るということですね。
0149非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2021/12/26(日) 21:04:43.890
「無秩序」には、おそらく、「正則性」が無い。
これを特異点の集まりと考えてみる。
集まりといっても複数と限らないし空集合かもしれないw
正則性といってもいろいろなものがあるのだが、
ここは単純に「ルール」と考える。「ルール」が無いのである。
完全に「ルール」がなければ、「無秩序」とすら呼ぶことはできない。
たったひとつの「ルール」。それが「保存則」だ。
「無秩序」といえども「保存則」だけは満たす。
公理的集合論に「保存則」は無い。「変化」というものの定義が無いからだ。
と、ここまで考えてみて、気づいた。
公理的集合論は、集合というものの「存在」の定義集である。
これは全体が「変化」の定義だ。
「脳」が「(公理的)集合論装置」であれば、集合論という粘土を捏ねるものだろうw
粘土は保存則を満たす。そして集合論を満たしたまま変化する。
保存則を満たすのはわかるが、集合論を満たす理由はなんなのか。それが問題だ。
015027
垢版 |
2021/12/27(月) 01:43:31.680
>>130

言語学習は難しいので何か思いついたら書きます。

意識について考えている事は27で書きましたが、私が思う意識の本質はずばり「知覚を継続して行うための仕組み」ですね。
意識の機能としては「感じ」を発生させる事であるとか色々なものにアクセスするなどの機能が色々あるんだろうと思いますが、その本質は仕組みそのものではないかと。

でこすけさんが挙げられたもので私が意識に付随していると思うものは「本能」かなと思います。
「直感」はありえるのですがよく分かりません。「適応」「擬態」は語句の意味がちょっと掴めません。
何となくですがでこすけさんが探しているものは「私という存在」の中にあるのではないかと推察します。私は「意識」を「私という存在」をなさしめるものの一つと捉えています。
「意識」は「私という存在」の一部であり「私という存在」そのものではないと考えます。「私の意識」とか言いますよね? 言葉遊びに思えるかもしれませんが意識が私であるなら言葉を分ける必要は無い気がします。意識と呼ぶところを私と言ってしまえばいい。
では「私という存在」とは何か?
私は「認識世界」に似た概念の複合体ではないかと思います。記憶に大半がありそうですが独自の専用領域があってもおかしくないと思います。(意識は単純な気がするけど「私という存在」は恐ろしく複雑な気がします)
簡易な自己認識は意識にあるかもしれませんがそれを超え、「私という存在」は外界(主に人間社会)を通じて形成されていくように感じます。
015127
垢版 |
2021/12/27(月) 02:12:17.200
>>149
無から有が脳の中でどう発生するかという話と読みました。(違ってたらすみません)

生まれてすぐの赤ちゃんはものがうまく見えてないそうです。
https://192abc.com/36971

私は画像認識のアルゴリズムに詳しくないので憶測ですが、一番最初脳は「同じ」か「同じでないか」というパターンの同定作業をしているような気がします。(次に細かいパターンの認識でしょうか)
違いを探す、同じを見つけるというのが最初にある大原則みたいなものかなー、とかつらつら考えました。

私は「ある」というのは知覚が継続した状態であるみたいに思ってますが一番最初の概念は光が「ある」という概念なのかもしれない。


聖書の創世記は「光あれ」の一説から始まっていますが案外本質を表しているのかもしれんなーとか思います。
015227
垢版 |
2021/12/27(月) 02:31:41.900
>>150
今ちょっと電撃的に思ったけど、そもそも思考には視点の無依存性があるって思ってるんだけどひょっとして世界と私を視点を切り替えて使ってるのか?

思考における視点の無依存性ってのは、思考の際、視点を変えてシミュレーションをやり直せるよねって奴。
人間は思考する際、視点移動できるって思ってて不思議だなあとか思ってるんだけど世界という視点があるのか?

言葉で言うと成立するけど、すごい事を思いついた気がする。

じゃーまさに梵我一如じゃん。
015327
垢版 |
2021/12/27(月) 03:02:11.260
いや自分で言っててわけわからんくなったww

認識世界の中に自己認識が入ってるってのが妥当ですね。
失礼しましたw
0154考える名無しさん
垢版 |
2021/12/27(月) 03:42:25.570
「aならば aである 」
「aである、または、aでない 」
トートロジー それ自身、もしくはベン図自体
aもベン図も粘土?
015527
垢版 |
2021/12/27(月) 05:02:08.470
何かよく分からんくなってるw
頭冷やしますw

あーでもぼんやり思うのは極端に走るとどっかで変なもんに突き当るって感じかなー
0156時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/27(月) 05:48:31.730
>>149
保存則とはどういうものでしょうか。
力学のエネルギー保存則くらいしか思い付きません。:)
これでさえすぐには思い出せません。
1時間くらいあれば導出できるかな。
あと、熱力学にも保存則はありましたね。
もっと思い出せません。
0157時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/27(月) 06:18:26.320
>>156
力が一次元(高校物理)の場合、力を位置で積分すると、
運動エネルギーの差になりますね。
これはすぐ出来ました。
0159時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/27(月) 07:54:11.240
>>158
>>149では物理量とは具体的に何でしょうか?
0160考える名無しさん
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2021/12/27(月) 10:24:19.560
>112考える名無しさん2021/12/25(土) 10:04:43.450
求心性の働きの物象化が「球(たま)」であり、
遠心性の働きの具象化が「光(ひかり)」の「かかや(輝)き」である。 <

ここでは「遠心性」という表現を用いたが、これを「放射性」と言い換えて、
「光」は「求心性」において捉えられるときには「粒子」として現れ、
「放射性」において捉えられるときには「波動」として現れる、
と表現してみると、より疑似科学ポエムらしくなるのかもしれない。
私は、物理学自体については何も知らないが。
0161考える名無しさん
垢版 |
2021/12/27(月) 10:26:21.210
ただし、表現/認識上の対比としては、求心性/遠心性の方が都合が良いんだよね。
物理では、「遠心」という表現が直ちに「遠心力」という表現に結び付けられて
イメージされてしまう憾みがあるが。
0163時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/27(月) 12:53:42.620
>>162
確率の総和は1であり保存されるということでしょうか。
0164考える名無しさん
垢版 |
2021/12/27(月) 15:26:10.480
今はもう動かないその時計w
0165時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/27(月) 15:43:10.990
百年休まずにチクタクチクタク :)
0166時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/27(月) 19:23:59.350
おじいさんと一緒にチクタクチクタク
0167考える名無しさん
垢版 |
2021/12/27(月) 20:39:56.730
>>88
かなり遅レスだが。

>意識が存在する前に世界は存在した
ここでの意識が神とか宇宙意識といったものならそれもありかもしれないけど、
人間や動物個体などの意識だとただの人間中心主義と変わらないし、
そもそもそういう意識は起源は何でどのように生じたかという
話にもつながるかと思う。
0168考える名無しさん
垢版 |
2021/12/27(月) 23:34:03.430
自分の生活では壁時計は不要
時計がいつも目に入って時刻を意識させられるのは望ましくない
気になったときに時刻を確認できればそれでいい
無駄に時刻を意識しないというたったそれだけのことでも
別のことに意識を向けられる余地が大きくなる
0169時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/28(火) 01:16:22.900
>>168
私も壁時計とか大きな古時計とか不要だと思う。:)
私の部屋には無い。
0170考える名無しさん
垢版 |
2021/12/28(火) 03:20:22.08O
宇宙船飛ばすやつは地球のエネルギーを減らしてる不届き者と心得よ
0171でこすけ
垢版 |
2021/12/28(火) 08:24:07.090
>>17
同じことの繰り返しで申し訳ありませんが、
言葉の意味というのは文脈によって変わるのです。
是非ともご理解いただきたく存じます。

>>98
同じことの繰り返しで申し訳ありませんが、
言葉の意味というのは文脈によって変わるのです。
是非ともご理解いただきたく存じます。

大事なことなので2回繰り返させていただきました。
なお、何故言葉の意味が文脈によって変わるのか、
これもまた存在論的には解明しておきたいナゾだ
ということの問題提起もさせていただきたく存ずる次第でございます。
0172でこすけ
垢版 |
2021/12/28(火) 09:54:32.640
>>91
はなしによると、この宇宙には完全な「平面」は存在しないらしいのですが、
完全な「球体」というのは存在し得るのでしょうか、
いずれにしても私としては「素粒子」が空間的な部分を持たない
という説を指示しています。
そもそも「空間」というものがア・プリオリとは思えないためです。

私は>91から「いろいろな条件の効果」というのが無条件にある
かのごとき印象を受けましたけど、
私としてはそのような仕組みがどのようにして成立したのかに疑問を持ちます。
察するに一番安定しているのが「球体」という考え方が前提にある
ということだと思うのですが、
一番安定しているのは「無」のような気がします。
私が着目してみたいのは「球体」ではなく
それを「安定したもの」にする構造の成立過程です。
あるいはこの世界には何故「力」があるのか、何故「形」があるのか、
などの疑問です。
0173でこすけ
垢版 |
2021/12/28(火) 09:59:16.770
>>172
そこで私は物質の定義を「物理学的空間に依存して存在するもの」
としてきました。
「空間的な広がりを持って存在するもの」とは言いたくても言えない
気がします。
0174考える名無しさん
垢版 |
2021/12/28(火) 10:35:40.340
「空間的な広がり」は、意のままに(つまり、自由に)使ふことの
できる可能性を感じらせる「空虚」/"vacuity"(≒呼びかけの「を」)である。
0175考える名無しさん
垢版 |
2021/12/28(火) 10:39:17.580
誤:感じらせる
正:感じさせる
0176考える名無しさん
垢版 |
2021/12/28(火) 10:50:11.160
>Even a high dome, and the expansive interior of a cathedral,
have a sensible effect on manners. I have heard that stiff people
lose something of their awkwardness under high ceilings and in
spacious halls.<

"The Selected Wrintings of Ralph Waldo Emerson", p.733
0177でこすけ
垢版 |
2021/12/28(火) 10:56:32.400
>>134
「誰もいない森の中で木が倒れても音はしない」と言ったのは西洋人ですが
東洋にも同じようなことはあったと思いました。
「あの鳥はどこで鳴いているのか、あそこではなくてここ(頭の中)だ」
みたいな禅問答をネット上で見た記憶があります
(ちょっと探してみましたが、とりあえず出てきませんでした)。

私はアジアやアフリカやアマゾンなどに住んでいる人々が
どのような世界観を持っているのかまでは知りませんが、
こっち系がマジョリティの可能性もワンチャンある気がします。
むしろ近代的な「理性」や「論理」などを重視する習慣は
ヨーロッパ発祥のマイナーな習俗に過ぎない、
と認識しています。
ひょっとすると「近代的思考」なるものが間違いのもとになった
という可能性さえある気がしています。
0178でこすけ
垢版 |
2021/12/28(火) 12:24:14.970
>>137
私はあまり「実在」と「存在」との区別について考えたことはありません。
ちなみに私は「実在」という言葉は「実存」との対比で理解しています。
前者は「客観的存在」後者は「主観的存在」です。

私のかんじだと日常で体験する「リンゴ」は「実在」ではありません。
印象として「日常で体験するリンゴ」は「夢の中で体験するリンゴ」と同様に
何らかの情報をクオリアに変換したもです。
そのものが認識する通りに存在するわけではない(情報でしかない)
故に「客観的存在」とは言えないものになります。
ただしたとえば映画などで「実在の人物とは関係ありません」
みたいな意味での「実在」はそれはそれで成立するとは思います。

なお、せっかくなので私が想定する「実在するもの」ですが
ズバリ「他者の意識のようなもの」です。
ここで歯切れが悪いのは、私が「自我」を「存在」とは考えないためです。
「何かが考えている、故に何かが存在する」というやつです。
つまり私(でこすけ)が実在するものとして想定するのは
他者の中にある「何か」ということになります。
その存在は証明できないながらも想定が裏切られることもありません。
むしろ「何か」の振る舞いにパターンが見出だせれば
それは予測可能にさえなると思うのです。
0179時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/28(火) 12:52:29.210
>>178
実在的世界はあるいは唯一の本当の世界と言えるかもしれません。
私が否定したいのは、中心に客観的世界があって、
各主観的世界がそれに接続しているというモデルです。
私は、中心と全体は私の主観的世界だと考えます。
もしかしたらそれは実存と言えるかもしれません。

実在的世界と夢の世界の異なりは、
実在的世界ではこれは夢ではないと思うことかなと思います。
難しいですね。
夢の世界では、夢の世界が実在しているとも言えるわけで、
二重性があるように思います。

私は、他者の意識は存在しないと考えます。
存在しないものは実在もしません。
実とは、仕組みを明らかにすることと言えるかもしれません。
仕組みが明らかになれば、予測も可能になるでしょう。
0180でこすけ
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2021/12/28(火) 12:53:53.850
>>150
私が想定していた「適応」は「生物の進化」とも言い得るもののことで、
これは説明不足だったと思います。
私は生物の進化には意識的な現象がかかわっているのではないか
と空想します。
サカナに足が生えたりトカゲに羽が着いたりするのが
突然変異とか言ってただの偶然のようには思えません。
生物の進化が偶然だけであれば自然界には生存すらままならない奇種が
もっとたくさんあるはずだと思うのです。
歩きたいから歩いた、飛びたいから飛んだ、
つまり私たちが職場環境などに適応しようとするときと同じように
望むからこそ実現できる気がするのです。

「擬態」にいたっては個体が他者の意識の存在を想定しているはずです。
これは動物だけでなく植物にも見受ける現象というのが興味深いところです。
擬態する生物は形態形成の過程で自分の容姿をコントロールしていることになります。
これが偶然だけであるならば、もっとバラエティがありそうな気がします。
少なくとも何らかの未知の構造があることを示しているように思えます。
0181でこすけ
垢版 |
2021/12/28(火) 13:01:52.000
>>180
ただし望んでいるのは深層意識です。
表層意識でxxを大きくしたいと思っても
普通は大きくなりません。
このとき深層意識というのは
進化が種を単位として起こることを想定すれば
つまり一匹だけで進化するということがないとすれば
個で完結するものではないかもしれません。
0182考える名無しさん
垢版 |
2021/12/28(火) 13:19:20.350
「空間的な広がり」も、実際に「空虚」/"vacuity"(≒呼びかけの「を」)
として、つまり、満たされる可能性として実現されて、現実に存在するの
ではないでしょうか。
0183でこすけ
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2021/12/28(火) 13:26:17.730
>>179
日常世界と夢の世界との違いについてですが
もちろん当てずっぽうです。
前者は共同幻想、後者はある程度で個人的な幻想
というのが私の印象です。
にしても何故夢を見るのかはわかりません。

「存在」についてはじつは時計さんと私とで微妙に意味が違っているわけですが
時計さんにとっての「存在」が時計さんの意識との関わりで成立するものであるのに対して
私の場合はもっと漠然としたイメージです。
何しろチョッカン主義ですからチョッカン的に有ると思ったら有る、
無いと思ったら無い、理屈はあとからついてくる…かもしれない、
という甚だアバウトなレベルです。
それでも地球外知的生命体は実在し得る、ウルトラマンは実在し得ない、
チョッカンはある程度信じられるものだというのが前提です。
0184でこすけ
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2021/12/28(火) 13:37:49.940
>>183
私は子供の頃は普通に聖徳太子を実在した人物だと思っていました。
しかし最近は懐疑派です。
一方で私はスサノオやオオクニヌシやヤマトタケルを架空と思っていますが
あるいは中にはトロイの木馬のように実在した人物もいるかもしれません。
そして真相はわかりません。
いずれにしても「存在」はイメージを抜けられないところがあると思うのです。
じつは「真理」とは関係ないかもしれないとさえ思うところです。
0185考える名無しさん
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2021/12/28(火) 13:43:39.190
「空虚」/"vacuity"(≒呼びかけの「を」)に応へること(≒応への「を」
となる行為で応じること)ができる可能性を我が身のものとして感じる
ことが「ゆかし」であり、この「ゆ」は、抑制が解かれることを表現
しており、「自由」の「由(ゆ)」でもある。

呼びかけの「を」は、自らがその「呼びかけ」を感じることにおいては、
アピール/魅力であり、「をかし」という感覚だが、自らの「呼びかけ」
に応へがないことにおいては、喪失の「空虚」/"vacuity"を感じさせる
「を(惜)し」であり、呼びかけの「を」に応への「を」を対応させて、
呼応関係を成立させる意識的な行為としては、「を(治)す」(≒「を」
の呼応関係を生じさせる)である。
0186でこすけ
垢版 |
2021/12/28(火) 14:06:47.530
>>182
私は映像的な奥行きについては何度かステレオグラムを引用して
実際に奥行きがなくても認識されること
つまり日常で感じる奥行きが錯覚であり得ることを述べてきましたが、
しかしもちろんそれだけでは空間が虚構だということにはなりません。
しかし注意しておきたいのは、私たちが物理学的空間を認識するとき
その認識する仕組みは「実際に物理学的空間がある」の一択とは限らない
少なくともその可能性がある、ということです。

むしろ、これは私だけかもしれませんけど、
物理学的空間は不可解な気がします。
物理学的物体の運動を統制するのが空間ですが
そのようなものはどのようにして可能になるのか、
空間的連続性はどのようにして実現されるのか、
空間が有限というのはどういうことなのか、
無限に膨張し得るというのはどういうことなのか、
意識が物理学的空間の中には無い気がするのは何故なのか。

私は意識的なもののネットワークさえあれば
私たちが日常的に認識している世界と全く同じものが可能なのではないか
と推測します(少なくとも可能性はあるはずです)。
その場合、あらためて物理学的空間が存在する必要は無いと思うのです。
普通はオッカムの剃刀で削ぎ落としておくのが妥当のはずです。
0187でこすけ
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2021/12/28(火) 14:15:19.110
>>184
私が今実在していると思っている人物の中には
架空の人物も混ざっているかもしれません。

ちなみに最有力候補はスレ主です。
0188でこすけ
垢版 |
2021/12/28(火) 14:32:40.230
>>135
私の感性だと意識のハードプロブレムは「客観から攻める」
というよりも「客体から攻める」という方がしっくりきます。
世界というのは主体と客体とのつながりで構成されているものであり
私のかんじでは「客観」というのはその世界の外側になります。
そしてそのようなものは無いも同然というのが基本です
(並行宇宙はありそうな気がするので)。

主体は客体がなければ存在できない、
いわばコインの表裏のようなものだと考えるのですが、
ただし表裏というのは私に言わせると例によって「幻想」です。
人間が勝手に騒いでいるだけのものです。
スレ的には騒いだもん勝ちなので
おおいに騒いでおきたいところです。
0189時計 ◆Mjk4PcAe16
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2021/12/28(火) 14:37:49.570
>>183
夢に関しては精神科学は参考になりそうですが、
あまり知識はありません。また、図書館で探してみます。
ところで、カタカナのチョッカンは
漢字の直観や直感とどう違うのでしょうか?

>>184
イメージは有りますよね。
彼らが実在したか私も解りません。

>>187
私は寧ろ「架空」でありたいと思います。
0190でこすけ
垢版 |
2021/12/28(火) 14:52:17.040
>>167
このレスで想定されている「意識」はいわゆる「表層意識」の印象ですが
私が想定しているのは深層的かつ原始的なものです。
そのようなものがどのようにして生じたのかというと
私としてはむしろ実存性の無いものは存在できない気がするのです。
量子論によれば存在は観測と関わります。
観測されていないところで量子はどのようにして存在しているのか、
ちょっとイメージしにくいところです。
原始的な意識には言葉はもちろん感情や感覚も無く
ただひたすらボーッとしているだけのものだったとは思うのですが
それでも哲学的ゾンビとは絶対に違うものだと考えます。
0191でこすけ
垢版 |
2021/12/28(火) 15:05:16.250
>>189
私が「チョッカン」という表現をするのは
単に「直観」と「直感」とがどう違うのか
当初よくわからなかったためです。
また「直観主義」というのはもともとあったようですが
それとの差別化でもあったつもりです。
今は「直観主義」でいいと思っています。
しかし軽いノリを大切にしたい気持ちもあります。

>私は寧ろ「架空」でありたいと思います
どのような表現で実在を主張するのかと思っていたのですが
逆にリアリティがありますね。
失礼しました。
0192でこすけ
垢版 |
2021/12/28(火) 15:25:57.640
>>186
「空間」については以前に引っかかっていたことがあります。
何故多くの生物には目がふたつ以上ついているのかということです。
それは「空間」を前提にしているに決まっていて
やっぱりそれはあるのではないかとも思っていたわけです。
目がふたつあるということは物理学的空間がなければ絶対にあり得ない
ということでしょうか。
他の可能性はあり得ないのでしょうか。

ただし今は解決しました。空間が無くても目がふたつ以上になることはある
と考えています。
ただしその詳細を説明する時間と能力がありません。
それでもざっくり言うとカンブリア爆発以前にすでに「空間」という共同幻想は
あったということです。

私は物質の存在に懐疑的ですが、
けっこう意外なところに「物質が存在する証拠」はある気もするのです。
さて、いかがでしょうか。
0194考える名無しさん
垢版 |
2021/12/28(火) 17:15:03.520
まとまってないのに長文を書こうとするから適当にあげあしをとられてるんだろw
0195時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/28(火) 17:20:40.170
>>191
なるほど。基本的には直観なんですね。
カタカナの軽い漢字もいいですね。

「架空」という言葉が好きで。:)
私は実在するかという問題は正直なところ棚上げです。
0196時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/28(火) 17:21:09.600
>>195
正:感じ
誤:漢字
0198時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/28(火) 17:43:10.350
>>197
それを止めるわけにも行かないでしょう。:)
0199時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/28(火) 17:44:11.800
>>193-194
まともな書き込みより、革命的な書き込みの方が
価値はあるという考え方はあるかなと思います。
0200時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/28(火) 17:44:56.540
>>199
革命的は言い過ぎたかな。革新的かな。
020227
垢版 |
2021/12/28(火) 18:34:02.540
分かりそうな話に思えたのでついつられて書き込みしましたが。
なるほど分からんw

こりゃー失礼しました。ROMに戻ります。
0203考える名無しさん
垢版 |
2021/12/28(火) 18:40:06.140
日本語で「架空」と言えば、虹が空に架かるイメージだろうか。
でも、中国語の「架空」の場合、「架空住居」と言えば、
「高床式住居」のことになるようだね。
要するに、支柱によって宙に浮いているイメージ。
0204考える名無しさん
垢版 |
2021/12/28(火) 18:42:40.540
この中国語の「架空」のイメージは、日本語の古語の「あし」が想起させる
イメージに近いのだろうと思う。
0206時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/28(火) 18:50:04.710
>>201
ディスっていませんよ。:)

>>202
色々な言説があることはいいことだと思います。
また、気が向いたら書き込んで下さい。

>>203
空に橋が架かるイメージでした。
中国語だと何か残念ですね。:)

>>204
そうなんですか。
「あし」というと「悪し」を連想します。
0207時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/28(火) 18:51:29.940
>>205
すれ違いました。
確かに「架空」という感じはしないでもないです。
0208考える名無しさん
垢版 |
2021/12/28(火) 18:54:14.980
これにより、意味不詳とされる歌の枕詞の「あしひきの」という表現の
イメージも明確になるわけだ。このようにして人(ひと)の意識の共通性
が見出されることにこそ、意識について語ることの本当の面白さがある。
0209時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/28(火) 19:05:26.690
>>208
「山」などにかかるらしいですね。
少し距離のあるイメージかなと思いました。
0210時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/28(火) 19:08:20.610
>>209
引いて見るの「ひく」ですね。
多分違うと思いますが。
0211考える名無しさん
垢版 |
2021/12/28(火) 19:08:33.190
中国語の「架空」の場合には、本体が宙に浮いているにしても、木によって
支えられているわけだが、その支柱としての木が不明になると、単に宙に
浮いていて、どこにも支えがないように見える。そのような議論が、
「宙に浮いた話」、日本語の通常の用法における「架空の議論」ということになる。
0212時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/28(火) 19:09:59.360
>>210
正解はあるのかな。
0213時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/28(火) 19:11:04.350
>>211
なるほど。中国語とも繋がりはあるんですね。
0214167
垢版 |
2021/12/28(火) 20:45:16.660
>>167でミスあり。すまん。

誤:ここでの意識が神とか宇宙意識といったものならそれもあり、
→正:ここでの意識が神とか宇宙意識とかならそうと言えないかもしれないが

つまり、意識=宇宙意識などなら、
「意識が存在する前に世界は存在した」を批判しても良いが
意識=人間・動物個体意識なら、
「意識が存在する前に世界は存在した」は前提としたい
ということかな。
0215でこすけ
垢版 |
2021/12/28(火) 20:47:52.290
>>197
話が通じていなければならないというのは幻想です。
そもそも世界というのはひとつひとつのシーンが連続しているかのように
起こっているだけです。
今、ちょうどそのことを話題にしているところです。


日本語で「今夜は冷えるね」は「一杯やりませんか?」
という意味を持つことがありますが、
そういったことを日本人はだんだん理解できなくなってきている
という話を聞いたことがあります。
「今夜は冷えるね」が「一杯やりませんか?」につながらない
ということです。
この能力は訓練をして身につくことではないそうですが、
昔はできていたことが今何故できなくなってしまったのかは
よくわからないとのことです。
ちなみに一応なんですけど、「一杯」というのはお酒のことです。
0216でこすけ
垢版 |
2021/12/28(火) 21:16:42.760
>>214
「いわゆる生物が存在する前から世界は存在した」
という意味であるならば私としても異論はありません。
たとえば私はビッグバンは一度だけのはずはない、
つまり並行宇宙は存在すると考えるのが妥当だと考えますが、
そのような宇宙には生物が存在していない可能性もあり得ると思います。

ところで言いはぐったのでここで私が物質の存在に懐疑的である理由を
くっつけさせていただきますが、
それは基本的な実体が二種類あるということに違和感を感じるためです。
物理学者が相互作用に四種類あることを不可解に思ったように
あるいは基本的な素粒子が二十種類以上あることを不可解に思ったように
私にはそのような違和感は自然なことのように思えます。
ところで「精神」は「思う、ゆえに有る」と言えますが、
一方の「物質」は何ゆえ「有る」と言い得るのでしょうか。
たとえば「認識される、故に有る」ということであるならば
認識者がいない世界では存在できないことになってしまいます。
もともと私は存在しない派ですから余計な心配ではありますけれども。
0217でこすけ
垢版 |
2021/12/28(火) 21:29:47.210
>>216
「ビッグバン」は「開闢」に訂正させていただきたい気持ちがあります。
私としては「宇宙」と「世界」とを使い分けておきたい気持ちがあって
前者は物質だけの精神を含まないもの
それに対して後者は精神も含めた森羅万象すべてのことです。
ここで「ビッグバン」は前者に、「開闢」は後者に対応します
(意識の無い世界に物質という幻想がある気がしません)。
どうでもいいことですけど。
0218考える名無しさん
垢版 |
2021/12/28(火) 21:35:22.890
美少女スパイえりに、股裂きの刑および足裏くすぐり拷問責めからスタート!!
両脇くすぐり、おっぱいもみもみの刑に、えりも限界寸前!
くすぐりを逃れる為に、えりの体が、セクシーにくねくね動きます。

おっぱいもみもみも、おっぱいが柔らかくもまれるたびに、
セクシーに感じてる、えりに注目!!
0220考える名無しさん
垢版 |
2021/12/28(火) 22:28:15.690
甘いものが食べたい日、辛いものが食べたい日、酸っぱいものが食べたい日、ただひたすら食べたい日、全然食べたくない日、それぞれあるのは何故だと思うのだと追加で聞いてみてくれw
答えは単純だw
0223でこすけ
垢版 |
2021/12/28(火) 23:20:26.050
>>219
アイデンティティを維持するためです。

逆にうかがいたいのですが、
あなたが想定する「飯」とはどのようなものでしょうか?
「息」「肉体」「生理現象」などもうかがってみたいところですが、
願わくばその前に「物質」の定義を示していただきたく存じます。

また、おそらく>>220は別の方だと思うのですが
220さんの「物質」についてのお考えもうかがってみたく存じます。

いかがでしょうか?
0224考える名無しさん
垢版 |
2021/12/29(水) 00:42:23.590
死んでもアイデンティティがあるなら飯を食う必要はないなw
0225考える名無しさん
垢版 |
2021/12/29(水) 00:46:24.160
いるよなw
わけのわからないことばかり言って煽ると急に真理を求めるやつw
まずはてめえが汗をかけw
0226でこすけ
垢版 |
2021/12/29(水) 01:28:14.950
>>224
私が死んだら「でこすけ」としてのアイデンティティは失われるので
飯を食う必要も無くなります。
それ以前に食えなくなりますがw

>>225
私は貴方が「物質を抜いた答え」と言うので
「物質とは何ですか?」と聞いたまでです。
貴方は以前からこのスレッドをお読みになっているようですから
ご存知であることを期待したいのですが、
私が疑念を持っているのはあくまでも私が示したところの「物質」であって
あるいは貴方が想定しているものについて私には異論が無いかもしれません。
ちなみに私が想定しているものは「物理学的空間に依存して存在するもの」
です。
0228考える名無しさん
垢版 |
2021/12/29(水) 09:06:30.730
たとえばスレ主は「他者の意識は存在しない」
としています。
私としては普通に「有る」と思っているので
それがどのようなことか尋ねます。
すると彼が想定している「存在」が
私が想定しているものと微妙に違うことがわかります。
そして確かに彼が言う意味では「他者の意識は存在しない」
といえる、ということになります。

私が「存在しない」としている「物質」は
あくまでも私が想定しているものにすぎません。
貴方が想定する「物質」に例えばクオリアが含まれるのならば
あるいはそれもアリかもしれません。
ただ、示していただかなければどうすることもできない
ということです。

さて、私はなるべくわかりやすい表現を心がけているつもりですが
それでも伝わっていないことを日々実感します。
以上の表現でわからないことがあればお尋ねいただきたいのです。
いかがでしょうか?
0229でこすけ
垢版 |
2021/12/29(水) 09:08:58.210
>>228はでこすけでした
0230考える名無しさん
垢版 |
2021/12/29(水) 13:20:27.180
>>226
横ですが、物理学的空間と言うときの、物理学と物理学的空間の理解というか
認識は具体的にどういった考えなのでしょうか?
つまり、物質が物理学的空間にどうやって依存していると理解上で
定義したかという意味です。
0231考える名無しさん
垢版 |
2021/12/29(水) 13:21:19.880
理解した上で ○
理解上     ×
0232考える名無しさん
垢版 |
2021/12/29(水) 14:14:01.350
認識される時空間というとき、やはり、求心性において捉えられた粒子としての
光と、遠心性/放射性において捉えられた波動としての光が問題となるような
気がするのですが、どうなのでしょう(私には、物理学のことは分かりません)。
0233考える名無しさん
垢版 |
2021/12/29(水) 16:21:04.550
答え
腹が減ってぐうぐうなるから飯を食うw
わかりやすいだろw
0234考える名無しさん
垢版 |
2021/12/29(水) 16:57:36.050
飯(めし)が余計だと思うが、それはどこから来るのかな?
飯(めし)は、召(め)し上がるものであることから分かるとおり、
お「召(め)し(になるもの)」だ。
0235考える名無しさん
垢版 |
2021/12/29(水) 17:01:20.830
腹が減って飯を食う、
そのような直接であるような関係にさえたちまちに
召しつかふ関係性が入り込んでしまう。
そこに見られるのは、忘れられた意識の働きだろう。
0236考える名無しさん
垢版 |
2021/12/29(水) 17:02:22.240
誤:直接であるような関係
正:直接であるように感じられる関係
0237考える名無しさん
垢版 |
2021/12/29(水) 17:19:41.180
寝ながら屁をこくアホは屁をこいたことがないというw
そこにリンゴがないというアホと同じw
0238考える名無しさん
垢版 |
2021/12/29(水) 17:28:30.510
本が好きな割には読解力がないよなw
0239考える名無しさん
垢版 |
2021/12/29(水) 17:33:59.230
飯(めし)が「め(召)されるもの」であることによって、
召しつかふ関係性だけでなく、「飯(めし)が「め(召)されるもの」
である以上、それが単に「食うもの」として食い物であるだけでなく、
毒になるものではないことが確かめられているという責任問題まで
既に入り込んでしまっている。そこに、忘れられた意識の働きが
隠れている。
0241考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 07:54:49.860
>>216
>「物質」は何ゆえ「有る」と言い得る

「物質」の定義にもよるが、認識云々よりも、
ある部分(精神など含む)の何らかの状態が成り立つことにより、
「有る」とみなすという意味で妥当ではないかと思う。
0242考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 08:21:34.880
擬態に惹かれ、魅せられることこそが、「十全に意に沿ふ可能性/潜在性」
としての理想であり、美の具現化である。
0243考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 08:27:23.710
「『飯(めし)』が食いたい」といったようなことにさえ、複雑な関係性
を理想化して端的に伝へる美意識が現れている。
0244考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 08:30:56.760
「『飯(めし)』が食いたい」とは、単に「食いたい」ということではなく、
「『おめ(召)し』になるもの」として認識されるものを「食いたい」という
ことである。
0245考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 08:34:09.270
したがって、「『飯(めし)』が食いたい」というのは、単に現状で
「栄養分が不足している」とか、「栄養分を補給したい」ということを
伝へているのではない。
0246でこすけ
垢版 |
2021/12/30(木) 09:35:10.750
>>230
私としては「物理学的空間」というのは普通の人が普通にイメージする「空間」
のつもりです。
ただ、ここは哲学板なので一応の配慮として「物理学的」をくっつけています。
というのは、じつは高等教育を受けていない私にはよくわからんのですけど、
学問的には「空間」は多様な意味を持っている印象があるためです。
たとえば「数学的空間」みたいなものもあった気がします。
そこでそれとの区別をつけておきたかったわけです。
また、じつは私はざっくり唯心論-汎心論ですけど、
意識的なものが複数あってそれらが相互作用しているとするとき、
そこにはネットワークを想定できるわけですが、
たぶんこのネットワークは「数学的空間」と言い得るもののような気がします。
そこで一応お断りしておいた方がいいのではと考えたのです。

「物理学的空間に依存するもの」というのは
物理学的空間が無ければ存在できないものという、ただそれだけの意味です。
つまりどのような仕組みで関わりを持つのかまでは想定していません。
唯心論的には想定する必要があるとも思っていません。
ちなみに「意識」は物理学的空間が無くても存在し得る印象が
私にはあります。
230さんはいかがでしょうか。
0247でこすけ
垢版 |
2021/12/30(木) 09:48:18.960
>>233
「腹が減る」というのはどのようなことでしょうか?
この際哲学者らしく徹底的に考えてみたく存じます。
0248考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 10:26:04.990
極めて簡略に表現するなら、
「意識」とは、「"void"としての0を互いに伝へること」である
と表現することができるのではないでしょうか。
0249考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 10:30:26.500
すると、「「"void"としての0」を十全に満たすことになると想定される
ものが「理想」であることになるでしょう。
0250考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 10:31:53.470
誤:「「"void"としての0」
正:「"void"としての0」
0251考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 10:33:22.330
ここで、「"void"としての0」は、「何もない」ことを伝へるのではなく、
「(何らかの)不在」を伝へるものであることに留意することが重要です。
0252考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 10:36:43.000
意識について、ここまで簡潔に明確に表現したのは、哲学史上でも
「考える名無しさん」である私くらいのものではないでしょうか?w
0253考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 10:50:46.720
これは、チャレンジであると見なしてもらって構いません。
哲学史上、意識について、これより簡潔に明確に表現していると考えられる
実例があれば、その表現を具体的にここに引用して提示してみせてください。
0254時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/30(木) 11:55:50.660
>>248-253
すみませんが、私には不明確です。:)
不在を伝えるとは?
0255時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/30(木) 11:57:26.400
>>254
不明確なのは私だけかもしれませんから、
そう思われるのであればそれでいいです。
0256考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 11:58:45.520
「"void"としての0」が分からない人には、「不在」を伝へることも無理でしょう。
0257時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/30(木) 11:59:49.510
>>256
「"void"としての0」とは何でしょうか?
0258時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/30(木) 12:02:59.580
>>257
よく解りませんが、0というより、違和感を伝えるということも
意識にはあるのではないでしょうか。
0259時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/30(木) 12:20:50.070
voidとしての0、不在を伝えるねえ。
不明確だと思いますが……
0260時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/30(木) 12:28:31.940
意識とは何かという問いは心とは何かという問いと同じで、
私は、今のところは、○としかいいようがないかな。
Xでもいいです。:)
0261時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/30(木) 12:37:22.850
>>260
敢えて言えば、意識とは世界のこと。
世界は存在しないというマルクス・ガブリエルの考えも
解らないでもないが。
0262考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 12:50:35.640
>>259
不明確であると思うなら、明確であると考える表現を具体的に
提示すればいいだけですよ?
で、意識について、より簡潔に、より明確に表現しているのが
>意識とは世界のこと。
ですか。
意識を世界と言い換えることで何が伝わることになるのでしょう?
0263考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 12:53:03.860
言い換えると、意識を世界と言い換えることによって、
一般に意識について考えられていることの何がどのように
より容易に説明されることになるのですか?
0264時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/30(木) 12:59:31.290
>>262-263
有ると思うが。
0265時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/30(木) 13:04:30.820
>>264
私は、宇宙、世界、意識、心、どこから語るか、
恣意的だと思うが。
0267時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/30(木) 13:16:57.490
>>266
そうだな…… 世界と意識を結び付けることで、例えば、
ウィトゲンシュタインとヘーゲルの繋がりを考察できたりするかな。
0268考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 13:39:30.300
>「意識」とは、「"void"としての0を互いに伝へること」である

ここで、「"void"としての0」を何らかの"unfulfillment"/「不満」と
言い換えると、分かりやすくなるかもしれません。
0269考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 13:48:53.710
そのように考えると、「美意識」というのも説明しやすくなるのではないでしょうか。
「美意識」も何かが美しいと感じられる限りにおいて「意識」であり、それは
何からの"unfulfillment"/「不満」な現状を指し示すわけですが、それが擬態に
おいて架空で十全に満たされる可能性が感じられる、それが意のままの理想の
現出としての美意識なのでしょう。
0270時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/30(木) 14:29:10.770
>>268-269
なるほど。個人的には0というより差異だと思いますが。
確かに、意識は不満かもしれません。
ただ、満足もある種の意識ではないかという当然の批判をどうするか。
美意識は、美しさの基準のことだと思いますが、不満か……
0271考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 14:46:39.990
意のままである自由というのは、その本性からして「ゆめ(夢)」
として現れるのである。
0272考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 15:09:00.530
>満足もある種の意識ではないか

具体的に意識されるのは、満足そのものというより、
満ち足りて「溢れ出す」ことの懸念でしょうね。
0273時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/30(木) 16:09:52.920
>>271
不自由な夢、ありませんか?

>>272
満たされることは、必ずしも溢れ出すかもしれないこと
ではないと思います。
0274考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 16:28:58.240
>不自由な夢、ありませんか?

"dream"と"nightmare"は、違うのです。
"I have a dream"と言うとき、それは"nightmare"ではあり得ません。
0275時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/30(木) 16:32:11.780
>>274
なるほどね……
0276考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 16:33:47.480
>>273
そうやって不自然な難癖をつけることばかりに終始していると、
いつまで経っても、意識の働きをうまく記述することはできませんよ。
0277考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 17:18:35.760
意識の働きをうまく記述することができないのは>>253さん自身にも当て嵌まってるんじゃない

248 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2021/12/30(木) 10:26:04.99 0
極めて簡略に表現するなら、
「意識」とは、「"void"としての0を互いに伝へること」である
と表現することができるのではないでしょうか。

表現だと自分で言っているように、主観的な意識の認識を
そのように表現することで、意識の働きを記述したことになりません。

252 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2021/12/30(木) 10:36:43.00 0
意識について、ここまで簡潔に明確に表現したのは、哲学史上でも
「考える名無しさん」である私くらいのものではないでしょうか?w

と自分では思えるのでしょうけど傍からすると
主観している意識について、ここまでシンプルに暗黙に表現したのは
考える名無しさんであるあなたくらいのものでしょうw
ということになります。
0278考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 17:23:13.460
おまえら今日も無駄飯喰らったなw
0279時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/30(木) 17:34:42.570
>>275
英語にするとですが。

>>276
難癖ではなく議論と見て頂ければ。
正しいことが解れば、他力でも自力でも構いません。:)
0280考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 17:40:28.210
意のままである自由が、その本性からして「ゆめ(夢)」として
現れることと、悪夢を見ることがあることの間には、
何の矛盾もありませんよ?
0281時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/30(木) 17:45:44.810
>>280
不自由な夢。
0282考える名無しさん
垢版 |
2021/12/30(木) 17:50:46.480
意味不明ですが?
自分の意味不明な発言の解説を他人に求められても困りますw
0283非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2021/12/30(木) 18:32:40.240
voidとしての0。
すなわち、axiom of empty set(空集合の公理)。
これは、体系外に公理として存在しなければならない。
体系内では語れないのだw
公理を神々とすれば、voidは神のひとり/ひとつである。(日下部某ではない)
0284時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/30(木) 21:29:35.860
>>273,282
不自由な夢は、あるかなと。
0285時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/30(木) 21:38:23.730
>>278
貴方の飯は美味そうだ。:)
0286時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/30(木) 21:41:19.440
>>284
もう少し解説すると、夢は様々ではないかということです。
0287時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/30(木) 21:49:22.800
>>286
自由意志的な夢とか、天啓的な夢とか、グロテスクな夢とか、不条理な夢とか。
0288時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/30(木) 22:13:29.590
>>287
勿論、不自由な夢はあるかと。
0289考える名無しさん
垢版 |
2021/12/31(金) 00:44:07.010
意識について、より簡潔に明確に表現している実例の提示はいまだにないようですね
0290考える名無しさん
垢版 |
2021/12/31(金) 00:47:07.610
これまでに知られている、意識とは何かについて語っている哲学書その他は、
数限りなく存在するのだから、一件くらいは具体的な事例の提示があっても
よさそうなものですがw
0292考える名無しさん
垢版 |
2021/12/31(金) 07:46:57.860
>○としかいいようがないかな。Xでもいいです。

>意識とは世界のこと。

そのように言い換えることで、人が意識について発言する様々なこと
について、よりうまく互いに関連するように説明することが容易に
ならないなら、それは、意識について明確に表現しているとは言えない
でしょう。

>○としかいいようがないかな。Xでもいいです。

これでは、〇が▲であっても、XがYであっても同じで
何も言っていることになりません。

>意識とは世界のこと。

これは、「意識とはすべてのこと。」と言い換えても
同じようなものではないでしょうか。「すべて」であるなら、
何も明確にはならない。
0293時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/31(金) 08:19:14.410
>>292
そうですね。
だから、○としか言いようがないのですが。
0294時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/31(金) 08:22:03.870
>>293
意識には意識を語る言葉群が、世界には世界を語る言葉群があります。
それらを繋げてみてはどうかという考えですね。
0295非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2021/12/31(金) 10:06:08.310
「意識」とは「反応(reaction/response)」の一種ですね。
日本語だとreaction/responseの両方の意味があるので便利です。

この(外部的)反応の’(内部的)反応が「学習」です。
「脳」という「学習システム」が、内部反応としての「意識」をうみだしています。
だいたい、学習V相当のシステムからが、一般的な「意識」だと思います。
そのようなわけで
ゼロ学習=ゼロ意識(これも意識のランク)
学習T=意識T
学習U=意識U
...
のように考えています。
0296考える名無しさん
垢版 |
2021/12/31(金) 10:26:43.050
化学反応とは - コトバンク

>化学変化と同義語であるが、とくにその過程に
注目するときに化学反応という。<
0297考える名無しさん
垢版 |
2021/12/31(金) 10:29:30.210
>「意識」とは「反応(reaction/response)」の一種ですね。

それは、化学反応との類比で考えるなら、
「意識」とは「変化」の一種であるということですか?
「変化」に特に「注目すること」が「反応」とされるなら、
その「注目すること」はどこから来るのでしょうね?
0298考える名無しさん
垢版 |
2021/12/31(金) 11:03:07.740
まずは、何かについて簡潔に明確に表現するとは、
どのようなことなのかを考えてみることが役に立つかもしれません。
例えば、E=MC^2。私は物理の勉強は放棄していたので、
自分でこの式の意味について理解しているわけではありませんが、
これが、何かについての簡潔で明確な表現であるとするなら、
それは、"E"、"M"、"C"、ならびに"="、"^"、"2"がそれぞれ
どのようなことを表現しているのか、"E=MC^2"のように
並べることがどのようなことを表現することになるのか、
他の多くの人々によって用いられている表現の慣行により、
明確に理解されていることを前提としており、それまでの
他の多くの人々の表現に支えられていることになる。
そのような支えとの関係をとてもうまくまとめている表現が、
「簡潔で明確な表現」ということになるでしょう。
0300考える名無しさん
垢版 |
2021/12/31(金) 13:32:01.650
意識について語るのにこれまで私が用いてきた「を」/"want"/《manque》
などの表現は、言うまでもなく、すべて、「(何らかの)"void"を示す」
ことを意味するわけですが、意識について簡潔に明確に表現するのに
"void"という言葉を用いることがとても好都合に思えるのは、"void"
という表現の一般的に広く通用している用法による。

まずなによりも、"void"は、それに該当する何かが欠けていることを
示す"placeholder"/「空欄」として用いられる。例えば、複数の製品
の機能を比較する一覧表では、或る製品に関して、別の製品に備わって
いる機能が、その製品には「欠落」している場合、その「欠落」は
"void"である"placeholder"/「空欄」によって示される。では、
その製品に関して、"void"として示される「欠落」は最初から、
「欠落が『ある』」ことなのか、つまり、その"void"は本来的に
存在するのかと問うなら、そうではないでしょう。それは、それに
該当する機能を備えている別製品との比較において初めて、「"void"
が存在する」ものとして(「『を(惜)』しまれること」と表現する
こともできるでしょう)示されることが可能となる。また逆に、
"void"が示されているだけでは、存在するとされる「欠落」が
どのようなものであるかは不明であり、記入用紙において「空欄」
が示される場合に、それがどのように埋められるべきなのかが
伝えられなければならないように、"void"を示すことは、それが
どのような"void"であるのかを伝える必要性を伴っている。
0301考える名無しさん
垢版 |
2021/12/31(金) 13:38:25.170
表現の適切さというのは、このように実際にその操作性を確かめながら
磨いていくものなのです。「これが正しい公認された定義であり、すべては
そこから派生させられなければならない」というような態度では、
哲学をすることは到底できません。
0302時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/31(金) 13:45:19.960
>>298
>何かについて簡潔に明確に表現するとは、
>どのようなことなのかを考えてみることが役に立つかもしれません。
考えるまでもないでしょう。

>.>300
全く簡潔ではありませんね。
0303時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/31(金) 13:45:55.830
>>301
同意します。
0304考える名無しさん
垢版 |
2021/12/31(金) 13:54:21.530
>全く簡潔ではありませんね。

その全く簡潔でないことを、「"void"としての0を互いに伝へること」と
まとめることができるから、簡潔なのですよ。
0305時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2021/12/31(金) 14:11:37.320
>>304
簡潔にすると不明確というジレンマがあるかなと思います。
0307考える名無しさん
垢版 |
2022/01/01(土) 01:32:54.980
void は歴史的に言うと、機嫌もとい起原は
どうのようであるのでしょう
0308非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2022/01/01(土) 01:51:02.300
主体は存在せず、ただ客体のみが存在する。
客観は存在せず、ただ主観のみが存在する。
主体と客観は幻想であり、それは主観による誤読である。
(ただし、それが正解であっても、たまたまであり、あくまでも幻想である)

主体・客観の世界と、客体・主観の世界は交換可能であり、表裏をなす。
これを主体・客体と主観・客観の「もつれ」と考えてみる。
そこには様相論理を拡張できそうな気配がある。
0309時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/01(土) 02:34:21.190
>>302
正:>>
誤:>.>
……
0310時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/01(土) 02:56:34.460
>>308
主体という概念は必要なのかなと思うことはあります。
0311時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/01(土) 03:04:09.030
最近、気が付いたのですが、歩きながらスマホを見ていると、
画面は揺れずに安定していますよね。
逆に、スマホの方を揺らすと、よく見えません。
0312時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/01(土) 03:26:10.610
>>311
頭を振りながらスマホを見ると、
私の言いたいことがより伝わるかもしれません。
0313時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/01(土) 05:20:58.670
>>312
ここで、眼球が調整されているのか、
脳の視覚像が調整されているのか、気に掛かる。
後者だと面白いが。
0314考える名無しさん
垢版 |
2022/01/01(土) 08:40:26.790
>>307
語源の説明は、それが実際に歴史的な資料によって実証されるものか
どうかにかかわらず(歴史的な資料によって示される事実との矛盾が
明らかになる場合でさえ)、その表現の「解釈」にどのような意識が
働いているものと理解されているのかを知る手がかりとなる。

https://www.etymonline.com/search?q=void
void (adj.)
c. 1300, "unoccupied, vacant," from Anglo-French and Old French
voide, viude "empty, vast, wide, hollow, waste, uncultivated,
fallow," as a noun, "opening, hole; loss," from Latin vocivos
"unoccupied, vacant," related to vacare "be empty," from PIE
*wak-, extended form of root *eue- "to leave, abandon, give out."
Meaning "lacking or wanting" (something) is recorded from
early 15c. Meaning "legally invalid, without legal efficacy"
is attested from mid-15c.

ここで私が意識について語るのに、"void"がとても好都合であると
感じられる理由には、"void"の発音そのものが日本語の「を」に
類似したものであるとともに、英語の"want"を直ちに想起させる
ものであり、のみならず、 *eue- "to leave, abandon, give out."
と関係付けられて解釈される場合、そこで想定される"*eue-"は、
その発音と、それが想起させるものとされるイメージにおいて、
日本語の「ゆ(由)」とも重なっていることがある。
0315時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/01(土) 09:11:47.760
チャーマーズの『意識の諸相』を読むと、
二元論は避けては通れないことのように思えるが、
実際にはチャーマーズは、唯物論には否定的だが、
唯心論には否定的でも肯定的でもない。
つまり唯心論とチャーマーズの議論は両立する。
0316時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/01(土) 09:21:54.840
隣人愛について。あまり関係はない。:)
近所付き合いは希薄だが、見知らぬ人に親切である人はいると思う。
そう考えると、大切なのはただの愛じゃないかと思う。
0317時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/01(土) 09:34:49.140
>>316
自らの国家や民族を愛するように異国人を愛しなさい
という方がインパクトはあったような気はしないでもない。
0318考える名無しさん
垢版 |
2022/01/01(土) 09:49:28.560
>>299
>この場合の「注目」とは、
反応の反応[の反応...]、となる2つ目以降の反応でしょうね。<

対話は、いろいろなところから始めることができます。
>「意識」とは「反応(reaction/response)」の一種ですね。
という書込みに対して、私は、化学反応との類比で考えるなら、
「反応」とは変化の一種であり、何らかの変化に特に注目される
場合に「反応」と呼ばれている、という一般に通用している理解を
引用したわけです。それに対して、
>「注目」とは、反応の反応
であると考えることができるというレスが再びあったわけですが、
すると、反応とは、「変化に対する変化に注目すること」であることになり、
「注目する」とは、注意を向ける行為を目を向けることに代表する
メトニミー的な表現であると理解できるわけですから、結局、
「反応」とは、「変化に対する変化に『注意する』こと」となり、
何かに注意していることがその何かを「意識している」ことであると
するなら、そのように表現してみることは、単に「意識」について
表現することを先送りしているだけのようにも見える。それでも、
このような言い換えも、私には無駄ではないように思えます。
0320非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2022/01/01(土) 10:19:22.990
化学反応の場合、注目している主体は化学反応自身ではありませんね。
意識の場合は、なんらかの反応において、その反応を修正する反応主体が
その反応に注目して修正する、すなわち学習Uレベル以上のものだと考えます。
学習Tのレベルでは修正できませんから、自然淘汰による進化論的な種としての学習になるでしょう。
学習Tは種としての「意識」ですねw
とすれば、学習Uが個としての「意識」。
ならば、ゼロ学習は世界としての「意識」w
0321考える名無しさん
垢版 |
2022/01/01(土) 10:27:39.780
例えば、私が自宅でキッチンの空間を利用するとき、私はそこに
テーブルがあることを意識している。もし、私がそこにテーブルがある
ことを意識していなかったとしたら、キッチンの空間で動き回るときに、
私は「不意に」テーブルにぶつかってしまうことになるでしょう。
それはちょうど、道を歩いていて、そこにあることを意識して
いなかった石につまづいてしまうようなものです。したがって、
私がキッチンの入って、「ただそこにテーブルがある(ように見える)」
ことそのものが、そのテーブルが意識されてあることになり、
その「在り方」をハイデガー的に表現するなら、"vorhanden sein"
/「目の前にある」("-handen"は「手」にかかわるので、訳語
の表現とはうまく対応していないのですが)ということになるでしょう。
0322非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2022/01/01(土) 10:34:57.720
学習Vを、個を個として認識したものとするならば、
これが、やっと一般的な人としての意識でしょうね。
工業規格におけるロボット(三軸)に相当します。
これを自由度3とするならば、最低でも三次元+変化という世界が必要なのだということになります。
0323考える名無しさん
垢版 |
2022/01/01(土) 10:56:31.450
>>321
ところで、ここで私が自宅のキッチンの空間にあるテーブルについて
述べたのと同様のことは、あらゆる事物について該当すると言うことが
できるでしょう。すると、まずなによりも、世界そのものが事物として
「目の前にある」/"vorhanden sein"、言い換えるなら、世界は「意識
されたもの」としてあるのでしょうか。そのような問ひに、「意識の
問題」としてというより、存在論としてアプローチしたのが、ハイデガー
であったと言うことができるでしょう。
0324考える名無しさん
垢版 |
2022/01/01(土) 11:23:50.480
まずなによりも、世界そのものが事物として「目の前にある」/"vorhanden sein"
のかという問ひに対して、ハイデガーは、否定的な見解を示しています。
事物は「目の前にある」/"vorhanden sein"よりもまず先に、「手頃にある」/
"zuhanden sein"というのが、ハイデガーの存在論の根幹でしょう。

私はここで、ハイデガーの存在論を解説するつもりも、それに寄り添った議論
をするつもりもないのですが、ハイデガーの存在論の表現を、「意識」について
語る観点から読みかえることは、意識についてより明確に表現するのに役立つ
ように思えます。その読み換えは、ハイデガーが、「手頃にある」/"zuhanden sein"
という存在の様態をどのような説明によって明らかにしようとしているかに
注目することにより、ただちに可能となるでしょう。
0325考える名無しさん
垢版 |
2022/01/01(土) 11:48:45.490
「手頃にある」/"zuhanden sein"という存在の様態はそのものとして、
テーブルが「目の前にある」/"vorhanden sein" ように、ただそこに
ある(ように見える)こととして、意識されてあることではない。そうではなく、
むしろ、その存在の様態は、普段は、「な(慣)れ」や「ここち(心地)」
として別段、「意識されていない」と言わざるを得ない。では、どのような
ときにそれが現れるのかと言えば、それは、「手頃にある」/"zuhanden sein"
ことに「反して」、「扱いにくい」/"unzuhanden sein"こととされる
「な(慣)れない」変化や、「ここち(心地)悪い」変化が生じた場合
であり、そのことによって明らかとなる「不(本)意」(その事態によって
示される"void"/「欠損」)により、逆に「手頃にある」/"zuhanden sein"という
在り方が知られることになる。
0326考える名無しさん
垢版 |
2022/01/01(土) 12:08:22.140
言い換えるなら、「扱いにくい」/"unzuhanden sein"ことによって
明らかとなる「不(本)意」は、呼びかけの「を」となり、"void"/「欠損」
を示すと言うことができる。したがって、その"void"/「欠損」が
埋められたなら、「不(本)意」は、解消され、「手頃にある」/
"zuhanden sein"という存在の様態が回復されて、その回復された
状態は、「な(慣)れ」や「ここち(心地)」 としてやはり、別段、
「意識されない」こととなる。その一方で、繰り返し"void"/「欠損」
が生じて、それが再び埋められることが繰り返されるなら、その
ように"void"/「欠損」を埋めることは、「代替物」と見なされ、
そのようなものとしてあることが「意識される」ようになるだろう。
それが、「目の前にある」/"vorhanden sein"という在り方である
と言うことができる。言い換えるなら、物事がただそこにある
(ように見える)、すなわち、意識されたものとしてあるというのは、
「"void"/『欠損』を埋める『代替物』としてある」ということでもある。
0327考える名無しさん
垢版 |
2022/01/01(土) 12:11:43.690
それは、世界の「物象化」でもある。
0329考える名無しさん
垢版 |
2022/01/01(土) 13:07:17.190
>意識されたものとしてあるというのは、「"void"/『欠損』を埋める
『代替物』としてある」ということでもある。<

この世界の物象化のプロセスは、単に「"void"/『欠損』が埋められる
ことの反復」ということではない。そうではなく、何らかの事象が
生じるなら、それは「"void"/『欠損』を埋めるように生じている
はずである」、つまり、「その事象は、何らかの呼びかけの「を」に
応えて生じたものだ」という呼応関係を「ひっくり返した見方」と
しての反復でもあるだろう。
0330時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/01(土) 13:16:56.380
とりあえず、ハイデガーに関する興味は失せた。:)
0331時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/01(土) 13:19:40.690
>>330
まあ、もし「手頃にある」ということを執拗に語っているならだが。
0332考える名無しさん
垢版 |
2022/01/01(土) 13:30:09.890
まあ、こういう一般的な表現から考えてもよさそうな気がするが

Gewohnheit(ドイツ語)の日本語訳 - コトバンク
https://kotobank.jp › dejaword › Gewohnheit
ポケットプログレッシブ独和・和独辞典(独和の部) - [ゲヴォーンハイト] [女] (―/―en) ([英] habit)(個人の)習慣, 癖, 習性;
0333非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2022/01/01(土) 23:48:12.600
注目する主体が反応の外部にいるとき、ゼロ反応(ゼロ学習)であろう。
この注目する主体(認識主体)が、反応の側にいなければ「意識」と呼べるものには
ならないのだが、
集合ではなくクラスを考えると、ゼロ反応・ゼロ学習・ゼロ意識である。
空集合ではなく、空クラス(このような用語があるのかどうか知らんw)になる。
空集合は「区別」できないので「ひとつ」しかないが、
空クラスは「区別」できるので複数ありうる。
0334時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 05:09:30.300
>>333
ゼロ学習は出力一定ですよね。
そのような学習があるのかどうかよく解りません。
学習Vはキャラクターの変化ということでいいのかな。
家と職場ではキャラクターが異なるというような。
0335時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 05:18:43.030
>>334
ゼロ学習が解ればゼロ意識も解るのかなと思いますが、
それほど単純ではないのかな。
0336時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 05:19:53.540
>>335
目的は、飽くまでゼロ意識を理解することです。
0337時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 06:36:43.330
意識とはあまり関係ないが、いじめについて。
私は、いじめる者は法に触れたくはないが殺意を持っていると思う。
そういう二律背反的な状況にあると想像する。
いじめられた者が自殺したりするのは、
その殺意に屈することになる。
だから、生きることは最大限のリベンジなのだろう。
私は、あまりいじめに関わったことはないのだが、ふと思った。
0338時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 06:39:11.650
>>337
いじめる側もいじめられる側もダブルバインド的状況なのかもしれない。
0339時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 07:11:59.090
>>338
いじめる者の悲哀に共感しないこと。
周囲の人間にはこれは求められると思う。
0340考える名無しさん
垢版 |
2022/01/02(日) 07:43:21.990
>>333
人の言葉遣いをそのまま借りていると、本当は考える必要のあることを
前提としてしまって、他人に誘導されるままとなってしまうことが
よくあります。「主体」はなぜ「『主』体」なのでしょう?
「主体」/「従体」として「主体」であるのなら、自らの意に沿ふ
ようにさせる側が「主体」で、そうさせられる側が「従体」ですよね?
「主体」/「〇(?)体」として、「主体」と対比される側を、
「主体」が自らの意に沿ふようにさせることのできる可能性が不明なら、
「〇(?)体」は、「従体」ではなく、「物体」ということになるの
でしょう。これに対して、「主体」/「客体」というのは、
「主」として「ふるまふ」側が「客」を「もてなす」ということ
になると思います。

「意識」についてより明確に語ろうとするなら、まずはそのような
用法の区別を丁寧に言葉によって記述していく必要あるでしょう。
0341考える名無しさん
垢版 |
2022/01/02(日) 07:50:40.060
Twitterで「神学は『自然言語』ではない言語で書かれて」いるという
発言を目にしましたが、確かに神学は他人の言葉遣いを規制して
誘導することを意図する「不自然な言語」で書かれているのではないか
という気がします。
0342考える名無しさん
垢版 |
2022/01/02(日) 07:53:17.470
だからこそ、神学の縛りを離れて、哲学をしようとするなら、
神学の言葉遣いそのものを哲学の営みにおける言葉遣いの反省によって、
日常言語において考え直すことができるように解体していく必要が
あるのでしょう。
0343時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 07:59:09.330
>>340
それがハードプロブレムじゃないんだよね。
解っているならいいが。
0344時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 08:00:31.090
>>343
基本的には発話者の自由に任せています。
0345考える名無しさん
垢版 |
2022/01/02(日) 08:04:51.730
ハードプロブレムといえば、歯が立たない一般に難しい問題と理解されます。
ソフトであるなら、いろいろやりようがあるということでしょう。
0346考える名無しさん
垢版 |
2022/01/02(日) 08:05:42.120
歯が立たない一般に難しい × 
一般に、歯の立たない難しい 〇
0347考える名無しさん
垢版 |
2022/01/02(日) 08:07:40.550
>>343
似非神学的な言葉遣いの規制は、哲学には無用です。
0348時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 08:08:06.850
>>345
ハードプロブレムの拡大解釈ですね。
それも一興かと思いますよ。
ソフトから攻めるのもまた。
0349時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 08:09:07.290
>>347
個人的には神学は大アリなんですよね……
人それぞれということで。
0350考える名無しさん
垢版 |
2022/01/02(日) 08:12:56.680
>ハードプロブレムの拡大解釈ですね。

違いますよ。「ハードプロブレム」の一般的な理解です。
「ハードプロブレム」というのは、英語のカタカナ表記であり、
日本語として一般に通用しているわけではありません。
では、英語を母語とする人々に向かって"That is a hard problem."
と発言したらどのように理解されるでしょうか。それはそのまま、
「それは難しい問題だ」に相当する意味で理解されるでしょう。
0351考える名無しさん
垢版 |
2022/01/02(日) 08:16:48.250
ですから、その「a hard problem」という表現の一般的な理解を制限して、
何らかの規制に他人を従わせるように議論を進めたいなら、そのように
他人に求める側に、それがどのような規制なのかを明確に理解できるように
説明することと、他人がその規制に従うことの有用性を示すことが求められる
わけです。
0352時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 08:17:01.500
>>350
意識の難問とは、ある難問を指しているわけで。
0353時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 08:17:50.840
>>351
それはそうですね。Wikipediaなどにもありますよ。
0354考える名無しさん
垢版 |
2022/01/02(日) 08:21:02.820
「ある難問」の「ある」は「或る人」と同様に、発言者が、「対象を
特定することは避ける」という意図を聞き手に知らせる表現なのですよ?
0355考える名無しさん
垢版 |
2022/01/02(日) 08:26:14.820
それに>>1に記載される
>脳神経系は机の上の本のようにある客体である。
というようなことを問題としているのなら、
>>321からつづけて書き込んだ説明で十分に言葉を尽くしていると思いますが?
0356時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 08:35:47.700
>>354
the hard problemの方が誤解はなかったかな。

>>355
脳神経系は客体であるということに力点はあります。
0357考える名無しさん
垢版 |
2022/01/02(日) 09:18:13.280
神学的な言葉遣いで議論をしても不毛な「神学論争」になるだけで、
その論争を解決する手段は、宗教戦争による勢力争いしかなく、
その結果としてもたらされる安定した覇権の確立が「解決」となる。
大抵の場合、すべてを覆い尽くす覇権を確立することは難しい
ので、その「解決」は、"agree to disagree"、つまり、
「同意しないことに互いに同意する」という並立関係を生んで、
決着を見る。「神学論争」の不毛さと「宗教戦争」のもたらす
悲惨さが人々の生活を圧迫するようになったことが、神学を離れた
哲学が求められるようになった大きな要因でしょう。
それなのに、哲学的な議論をするのに、わざわざその必要もないのに
神学的な言葉遣いで自らを縛ろうとするのは愚かなのですよ。
0358時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 09:24:00.980
>>357
日本語で国家神道という言葉がありますが、
国家キリスト教が問題なのではないでしょうか。
そういう意味では、宗教戦争を解決したのは、
哲学というより政教分離の原則だったのかなと思います。
0359考える名無しさん
垢版 |
2022/01/02(日) 09:26:04.450
>哲学というより政教分離の原則だったのかなと思います。

政教分離によって、制度として神学から切り離された哲学が
それなりの地位を確立することができたのではないですか?
0360時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 09:29:26.100
>>358
聞いた話では、ハイデガーはナチズムに関与していたらしいですし、
政治に関する哲学の功罪はあると思います。
ヘーゲルの哲学に全体主義の萌芽を見る人もいるそうです。
0361時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 09:31:29.770
>>359
政教分離によって神学と政治が分離したと
考えられるのではないでしょうか。
0362考える名無しさん
垢版 |
2022/01/02(日) 09:32:40.300
131考える名無しさん2021/01/28(木) 14:00:15.760
>しかし地上における神のみわざは啓示されなかった。神は、ご自身の
みわざの代行者がいかなる行動によって、いやそれどころかいかに人々
を導いて、この世の用件に介入すべきかを、啓示なさらなかった。
キリストの受肉により神の恩寵が法に取って替わって以後、神が
告げられたのは、キリストの再臨までの短い期間、苦しみながらも
世の支配者たちに従うべしということだけだった。地上における神の
みわざは、この世の正しい秩序であり、人間の争いの対象である。
この争いが深刻になればなるほど、争いの当事者たちは神のみこころ
についてその都度自分の解釈をますます堅く信じて疑わなくなる。
この争いは、自分の信念こそが神のみこころであると述べ立てるために、
聖書の註釈を利用する。< 
エーリヒ・アウエルバッハ、『中世の言語と読者』、pp.314-315
0363時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 09:41:43.110
>>362
その方は近代の人らしいですが、何か問題はありますか。
0364時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 13:23:54.860
この年末年始で、ヘーゲルの『精神現象学』を読んでいます。
難しいですが、面白いです。
意識という言葉も度々出てきますが、
意識のハードプロブレムに関するものではないようです。
あと、ガロア理論の本を読んで、出てくる定理を1日1つずつ
理解するということを始めました。
目標は5次方程式の解の公式の存在しないことを理解することです。
ゆくゆくは圏論を理解したいですが、いつになることやら。

意識のハードプロブレムに関しては、この私の脳と、
あの他者の脳とは、何が異なるのかということに着目しています。
この問題は、唯物論では解けないように思います。
そこで、唯心論あるいは主観主義に移るわけですが、
私は物質は実在すると考えていますから、
当初の問題も無内容ではありません。
私の脳が私の脳であることは、偶然的、そう言えるかもしれません。
0365考える名無しさん
垢版 |
2022/01/02(日) 15:43:16.180
>この私の脳と、あの他者の脳とは、

それなら、「この私」と「あの他者」がどう区別されているのかを
考える方が先では?
0366時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 16:02:49.320
>>365
確かに。この私とあの他者の異なりを
この私の脳とあの他者の脳に置き換えていると言えますね。
0367時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 16:03:20.660
>>366
正:この私の脳とあの他者の脳の異なり
誤:この私の脳とあの他者の脳
0368時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 16:07:16.830
>>366-367
私は物質は実在すると考えますから、それは自然な推論だと考えます。
0369時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 16:09:26.410
>>368
しかし、私は他者の脳、それも写真等でしか知りません。
0370時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 16:15:22.350
>>369
写真という言葉が出てきましたが、
私は脳の働きを近似的に便宜的にカメラによる撮影のように考えています。
だから、この私のカメラとあの他者のカメラの異なりと
比喩的に表現することもできると思います。
0371時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 16:16:09.440
>>370
正:脳の感覚の働き
誤:脳の働き
0373時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 16:19:56.180
>>371
また間違えました。:)
正:脳の視覚の働き
誤:脳の感覚の働き
0374考える名無しさん
垢版 |
2022/01/02(日) 17:55:41.530
>この私のカメラとあの他者のカメラの異なり

カメラだったら、それが私のものか、他人のものかは、単に所有権の違いでは?
例えば、同じ監視カメラの映像を見ていても、その監視カメラの所有権を
譲り渡したら、権利譲渡前は、自分のカメラで映像を見ていたのに、
権利譲渡後は、他人のカメラで映像を見ていることになるよね?
0375時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/02(日) 18:02:08.880
>>374
所有権と異なることの1つは、
他者に譲り渡すことができないことだと思います。
0376「をなり神」が「世界」である
垢版 |
2022/01/03(月) 08:46:59.320
https://ja.wikisource.org/伝道の書(口語訳)
>伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。

このような「をし(教)へ」に対して、
「よかろう、『空虚』/"void"を指し示す『を』の呼応関係/"correspondence"
の成立、『を・な(成)り神』/『意の成就』こそが現に世界としてあるのだ」
というのがニーチェ的な読みかえなのです。

ニーチェがそれを乗り越えるべきものとしたロマン主義としてであれ、やはり、
「『を』の呼応関係/"correspondence"」を表現しているのが、エマソンの
"prayers/the will of the Supreme Being"であると見ることができる。

> His prayers, in a certain sense, are like the will of the Supreme Being:

His word leaps forth to its effect at once,
He calls for things that are not, and they come.

His prayers are granted; all prayers are granted.
Unceasing endeavors always attend true prayers, and,
by the law of the Universe, unceasing endeavors do not fail of their end.<

― "Ralph Waldo Emerson: Selected Essays, Lectures and Poems", p.64
0377時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/03(月) 08:57:05.820
>>376
何度言われても、私は「〜を」は対象を示すと思うが。:)
0378考える名無しさん
垢版 |
2022/01/03(月) 09:02:48.410
では、ここで"prayers"は、行為としてそれをすることが何を示すのですか?
0379考える名無しさん
垢版 |
2022/01/03(月) 09:06:59.190
>私は「〜を」は対象を示すと思うが

そもそも、私は、「〜を」が対象を示さないなどと主張したことは一度も
ありませんよ。むしろ、ハイデガー的な文脈で読むなら、「を」の呼応関係
の成立として、「目の前にある」/"vorhanden sein"ように「対象」として
現れている(ように見える)のが世界であると表現することもできる。
0380時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/03(月) 09:34:10.820
>>378
英文の方ですよね。
存在しないがやって来るものを必要とするとありますが。

>>379
私は呼応関係は省略という文法的事項だと思います。
例として、「太郎!」等。
0381考える名無しさん
垢版 |
2022/01/03(月) 10:19:41.690
>例として、「太郎!」等。

「太郎!」と言挙げするのは、「〜は?」という問いかけでしょう。
さらに、「太郎」を呼んでいるのであれば、「〜は『を(居)』るか?」
ということになりますね。
0382時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/03(月) 11:03:50.630
>>381
「〜だ」とか「〜よ}とか色々と考えられますね。
0383時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/03(月) 11:04:36.730
>>382
「〜を」もあり得ます。
0384時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/03(月) 11:05:53.820
>>383
助詞無しですから、さらに色々なケースが考えられると思います。
0386考える名無しさん
垢版 |
2022/01/03(月) 11:50:04.350
>思ひ出づる折りたく柴の夕煙むせぶもうれし忘れ形見に(新古今和歌集巻第八『哀傷歌』)

「を(折)りたくしば(柴)」とは何でしょうね?
0387時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/03(月) 12:56:43.250
>>385
「〜だ」の省略は、確かに呼び掛けではないケースかな。
「〜よ」の省略は、呼び掛けでは?

>>386
「折って焚いた柴」と、ウェブにありました。
0388時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/03(月) 12:57:24.780
>>382
正:「〜よ」
誤:「〜よ}
0389時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/03(月) 13:18:10.600
>>387
あと、「太郎!」は省略ではないという考えも正しいかもしれません。
0390考える名無しさん
垢版 |
2022/01/03(月) 14:19:37.800
「〜を」がどのようにして対象を示すのか、どのような機能的な求めに
応じて使われているのかに先立って、「対象を示す文法機能を担う助詞
として「〜を」が存在する」とする見方そのものが、「目の前にある」/
"vorhanden sein"ことの方を、「手頃にある」/"zuhanden sein"に
優先させる、つまり、物象化を呼応関係の成立に先立たせることに
なる存在論的な転倒なのですよ。
0391時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/03(月) 14:45:18.910
>>390
どのようにして対象を示すのかに関しては、
一般的に対象を示すのが「〜を」だと考えています。
0393時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/03(月) 15:15:48.780
>>392
そうですか…… 疑問が一般的過ぎて答えようがありませんが。:)
0394考える名無しさん
垢版 |
2022/01/03(月) 16:37:59.880
アイデンティティが維持されとらんなw
消化されないものでも食べとるのかw
0395考える名無しさん
垢版 |
2022/01/03(月) 17:48:52.540
「〜を」でなにか哲学的な事を言っているんだろうけど、正直意味わからないな
0396考える名無しさん
垢版 |
2022/01/03(月) 19:04:52.280
https://manyoshu-japan.com/10306/
第13巻 3272番

うちはへて 思ひし小野は 遠からぬ
その里人の 標結ふと 聞きてし日より
立てらくの たづきも知らず 居らくの 奥処も知らず にきびにし
我が家すらを 草枕 旅寝のごとく 思ふそら
苦しきものを 嘆くそら 過ぐしえぬものを
天雲の ゆくらゆくらに 葦垣の 思ひ乱れて
乱れ麻の をけをなみと 我が恋ふる
千重の一重も 人知れず もとなや恋ひむ 息の緒にして
0397時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/03(月) 19:10:31.900
>>376,395
ニーチェ的読みかえは、「よかろう」だとか、
何で教えてもらっているのに偉そうなの、って感じ。:)

まあ、冗談はさておき、
「言う」の助詞は「を」ではなくて「と」ではないかな。
仮に「を」だとして、そして、
「をなり神」が現に世界にあるとして、何なのか。
教えてもらって、意が成就して、良かったんじゃないかな。
あと、文章がよく解らない理由は、
受動と能動がややこしいことにあると思う。
0398考える名無しさん
垢版 |
2022/01/03(月) 19:43:39.630
またまたご冗談を
0399考える名無しさん
垢版 |
2022/01/03(月) 19:46:01.260
ところで、「言え」というのは命令ですよね、ふつう
では、「バカを言え!」というのは命令なのでしょうか?w
0400考える名無しさん
垢版 |
2022/01/03(月) 22:49:00.630
「馬鹿も休み休み言え!」とう命令ですよw
0402考える名無しさん
垢版 |
2022/01/04(火) 00:36:54.450
いつまでも嘘を言えという命令w
0403考える名無しさん
垢版 |
2022/01/04(火) 01:47:10.590
反出生主義思想とは、一種の【暴力装置】である
ということもまた同時に理解しないといけないね2022年
0404時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/04(火) 03:46:31.440
>>398
またまたはそちらこそ。:)

>>399
弟子たる者、師の言ったことの中から、大切なことを
自ら探すのではないかな。
プラトン然り、儒学然り。

>>399-401
否定の「いえ」と呼応しているのかもね。
0405時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/04(火) 03:51:43.180
>>403
自由だと思うが。
私は将来的には国家が出生の管理を担うべきだと思うけど。
0406時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/04(火) 03:57:21.970
>>397
「と」だと「となり」で平和的でいいんじゃない。
0408時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/04(火) 04:25:13.320
>>407
いや、違った。:)
正:>>399-402
誤:>>400-402
なんかややこしいね。
0409時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/04(火) 04:26:36.920
>>406
師と弟子の関係は「となり」である。
0410時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/04(火) 04:27:07.540
>>409
あるいはそれを超えて、人々の関係は。
0411時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/04(火) 05:47:17.520
>>409-410
これこそ冗談か。:)
0412ディオニュソス的ペシミズムとは
垢版 |
2022/01/04(火) 07:51:05.130
「男(を)の神(かみ)」とは、その本来性において「『〜を』の神(かみ)」
であり、物象化が、「『〜を(の呼応関係)』の実現」を「»Das Man«の現実」
に変えるのである。言い換えるなら、「目の前にある」/»vorhanden sein«
という在り方で表れているように見える「現実」が既に、「〜を(の呼応関係」
が実現されていることの物象化としてあり、そのことには、何か意に沿はない
こと、つまり、»unzuhanden sein«であることが生じて初めて、「あらためて
気づかされる」のである。その「『あらたかな』気づき」こそが
「もののあはれ」であり、「うた(歌/詩)」を詠むことは、その「もののあはれ」
を言葉として表現しようとする、その都度の「こころ(心/試)み」に他ならない。
0414考える名無しさん
垢版 |
2022/01/04(火) 08:23:06.850
Twitterは、その「『あらたかな』気づき」を「»Das Man«の現実」に
引き戻すための装置として仕組まれている。
0415考える名無しさん
垢版 |
2022/01/04(火) 08:26:18.640
Twitterの書込みの言葉の表現において、その仕掛けに自覚的でない利用者は、
表向きに掲げている思想がどのようなものであれ、「»Das Man«の現実」
を維持することに貢献するように働いているのである。
0417時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/04(火) 08:59:35.260
>>412-416
このスレッドがあらかたな気づきに繋がるといいなと思います。
物象化に否定的な意味が込められているように思いますが、
どうなんだろうな、私は中立的だと思います。
あと「目の前にある」というのは視覚中心的な感覚だと思いますが、
それは聴覚等他の感覚にも一般化できるのでしょうか。

412さん(多分、身づ柄さん)は、うたを読んだりするのでしょうか。
私はあまりしません。:)

414さん(繰り返すが、多分身づ柄さん)はDas Manではないのでしょうか。
人は習慣的なところ、つまりDas Man的なところがあるように思います。
ちなみに、ハイデガーは読んでいません。

Twitterはフォロワーに追い付くのにやっとという感じがして、
私もあまり好みません。
0418時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/04(火) 09:11:22.080
>>417
フォロワーじゃなくてフォロイーか。ややこしいな。:)
0419時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/04(火) 09:19:53.800
>>417
Das Manに関しては、Wikipediaでさらっと見ました。
0420考える名無しさん
垢版 |
2022/01/04(火) 09:27:32.410
>物象化に否定的な意味が込められているように思いますが、

そのように物象化を一方向的に否定的に捉えることが神学的なロマン主義に
陥ることにつながるのではないかと思います。人はなにもしていないつもり
でも、自然に物事を物象化して捉えているのです。だからこそ、
その無自覚な捉え方について自省を迫られる状況に直面する。
しかし、それでも、自省を迫られることは面倒なので、そのような
状況が生じていること自体を無視して、物象化された現実の方に
しがみつこうとする動機が働き、その動機が「»Das Man«の現実」を
安定的に維持することになる。これは、所謂、正常性バイアスでしょう。
0421考える名無しさん
垢版 |
2022/01/04(火) 09:35:16.870
>あと「目の前にある」というのは視覚中心的な感覚だと思いますが

「目の前にある」というのは、ハイデガーの表現を日本語として意図が
伝わるようにするための変換によるもので、元のドイツ語の表現は、
»vorhanden sein«ですから、「手」、つまり、触覚に関係する表現
であることになりますが、何かに触れているという感覚から、
ハイデガーがこの表現によって伝えようとした意図を日本語にする
ことは難しい。「手前にある」と表現することはできますが、
分かりにくいでしょう。むしろ、日本語では単純に「ある」と
表現されるのが普通ではないかと思います。「ある」に対して
「を(居)る」というのは、»vorhanden sein«ではありません。
「を(居)る」は、動く可能性のあるものがそこに留まるように
していることを表現しています。
0422考える名無しさん
垢版 |
2022/01/04(火) 09:45:27.230
そこで重要になるのが、以前に指摘した"the patronizing we"の生成ではないか
と思います。

115考える名無しさん2021/12/29(水) 08:34:11.460
「現存在」&「呼応」というキーワードで検索してヒットしたハイデガー
からの引用で、論文自体は読んでいないが、このようなハイデガーの表現
を見ても、いかに日本語が哲学をするのに有利な言語であるかがよく
分かるはずである。

https://koara.lib.keio.ac.jp › xoonips › download.php
PDF
Title ハイデガーにおける現存在の「身体性」の問題性格 ...

>ただし ハイデガーが次のようにボスに告げていることにも注意してお
きたい 「しかし 現存在として実存する 人間は その世界の開けから
自分に語りかけてくるものへと それを聞き取るという仕方で本質的に関
係づけられていることにおいて この語りかけてくるものに向かってそれ
に対する自らのふるまい (Verhalten) でもって呼応するように つまり応
える (antworten) ように要請されているのです それも 出会ってくる
ものを自分の保護下におき その本質が展開するよう可能な限りそれを助
けるという仕方で応えることを要請されているのです」 [ZS, S. 292] <

116考える名無しさん2021/12/29(水) 08:50:58.650
>>104
>「己(な)を汝(な)として主(あるじ)する」ことによる「な(己/汝)」
の関係性、英語で表現するなら、"The patronizing we"の生成である<
0423考える名無しさん
垢版 |
2022/01/04(火) 09:57:02.410
>その「『あらたかな』気づき」こそが「もののあはれ」であり、
「うた(歌/詩)」を詠むことは、その「もののあはれ」を言葉として
表現しようとする、その都度の「こころ(心/試)み」に他ならない。<

ニーチェにとっても、ディオニュソスとアポロの対比が問題となる
のは、ここにおいてだろうと私は思います。だから、ニーチェ自身、
「うた(歌/詩)」をパロディとして試みる。
0424考える名無しさん
垢版 |
2022/01/04(火) 10:04:40.870
哲学の営みとしての試行錯誤というのは、その歩みそのものが大切
なのであって、数学のように、検証された手続きを自動化して、
入力に対する出力結果だけ利用できればいいというようなもの
ではないのです。
0425時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/04(火) 10:57:14.750
>>420
ということは、物象化の日々を過ごしつつ、
時にそのことを自覚することが大切だということでしょうか。
瞑想等の物象化とは対極的であると思われる行為によって。

>>421
触覚を基本に据えているのですね。何だか腑に落ちた気はします。
「手元にある」という日本語もありますね。
本質的に「ある」と同じだということは、
「有る」と「在る」のような細かなニュアンスの違いでしょうか。

>>422
よく解りませんでしたが、
相手のことを「己」ということ関係するということでしょうか。

>>423
ニーチェに関しては、明日図書館から借りてきます。
『愉しい学問』です。楽しみにしています。

>>424
数学に於いても過程は大切だと思いますよ。
確かに、ショートカットは効きますが。
過程を知っていると、未知の問題を解くのに使えたりすると思います。
0426考える名無しさん
垢版 |
2022/01/04(火) 11:19:11.290
数学であれば、検証された数学の定式を、その手順を自らが
構成することができない人が機械的に利用しても、手順に
正しく従っているなら、自動的に正しい計算結果が
もたらされますが、哲学をそのように「応用する」ことは
できない、ということです。
0427考える名無しさん
垢版 |
2022/01/04(火) 11:31:44.020
>「手元にある」という日本語もありますね。

»vorhanden sein«を「手元にある」と翻訳することの不都合は、
ドイツ語そのものも含め欧米の主要な言語では、「手元にある」は、
「手頃にある」という意味合いで用いられ、»vorhanden sein«と
対比される»zuhanden sein«の方に対応していることにあります。
»zuhanden«は、「手に『つく』」というイメージを表現して
いると思いますが、それが「手に馴染む」ことであり、「手頃である」
ことでもあるのです。このため、»vorhanden sein«という表現は、
»-handen«という要素が含まれているにはせよ、「手の接触」を
想起させるイメージから日本語に訳すことは適切ではないと私は
考えます。
0428時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/04(火) 11:48:04.990
>>426
それは数学観の問題ですね。
公式に当て嵌めて計算することを数学と言うのか。
数学と言ってもいいかもしれませんが、本質ではないと思います。

>>427
なるほど。難しそうな問題ですね。
居るはどうですか。検索したら引っかかったので。
0429時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/04(火) 13:19:59.570
知は善か。
悪しき考えは、推論により、矛盾に至る。
そう思われる。
したがって、知は善である。
0430時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/04(火) 13:23:41.520
>>429
矛盾を露呈すると言うべし。
0431考える名無しさん
垢版 |
2022/01/04(火) 13:28:36.670
知恵を善意に活用するか悪知恵に利用するか、知は扱う人間の品性によって善にも悪にもなり得る。
0432時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/04(火) 15:31:36.690
>>431
勧善懲悪の世間なり。
0433考える名無しさん
垢版 |
2022/01/04(火) 15:38:49.990
世間の大人が皆、罰を与えられる前に自律的な振る舞いをする人間になれば理想的なんですけどね
0434考える名無しさん
垢版 |
2022/01/04(火) 16:01:03.550
矛盾に気づきそれが処理できなければこじれていく一方であるw
0435考える名無しさん
垢版 |
2022/01/04(火) 16:06:12.720
ビンゴげーむの哲学
0436考える名無しさん
垢版 |
2022/01/04(火) 16:25:58.360
当人の意識に矛盾として認識されない限り処理する必要性に迫られないからこじれようがないのである
0437時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/04(火) 18:19:23.680
>>433
悪を為して反省すればまだいいが。

>>434
こじれるのはあんまり見たくないな。:)

>>435
どういう意味ですか? :)

>>436
それでは悪から善への移行が起きない。
0442非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2022/01/04(火) 22:06:15.840
矛盾許容論理こそ正統派でしょうw
ちなみに、「矛盾」を「許容」する、とは、
「矛盾」をみとめないとか「矛盾」をみとめるとか、
ではなくて、
「矛盾」を「回避」する「論理」です。(そうでない矛盾許容論理もありますけどね)
「公理系」などというものも、「矛盾許容論理」の一種であると考えるべきです。
0444anonymouse ◆Iow/mouse.
垢版 |
2022/01/04(火) 22:23:09.610
魔というのはカオスで、
対義語はコスモス(真とか神とか呼べばいいんかね、)
自然数すべてに固有の真偽値があるとすれば、
自然数上で生じたカオスは、矛盾を拡張した概念と言えそう
0445Wille zur Macht
垢版 |
2022/01/04(火) 22:47:53.140
"true gratidude is to do what you can."
― "Ralph Waldo Emerson: Selected Essays, Lectures and Poems", p.74
0446Wille zur Macht
垢版 |
2022/01/04(火) 22:50:24.540
"true gratitude is to do what you can."
― "Ralph Waldo Emerson: Selected Essays, Lectures and Poems", p.74

ミスタイプ訂正
0447時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/05(水) 04:50:15.690
>>439
それは社会の習慣が間違えている場合だと考えます。

>>440-441
社会の習慣等、外部的な矛盾を悪と見る見方はあると思います。
しかし、内部的な矛盾こそ、真の悪だと私は思います。

>>442-443
回避はいいですね。矛盾許容論理、いつか学びたいです。

>>444
確かに、魔やカオスと言ってもいいかもしれません。
自然数に固有の真偽値があるとはどういうことでしょうか。

>>446
gratitudeは大切な感情ですね。
0448時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/05(水) 05:21:04.620
>>447
社会の習慣が間違えている場合というのは、
要するに、悪というものは何よりも自己矛盾だということです。
0449考える名無しさん
垢版 |
2022/01/05(水) 07:03:40.990
くだらん理論も回避しろよw
0450考える名無しさん
垢版 |
2022/01/05(水) 07:43:43.470
悪ではない、つまり、偽善ではない道徳とは、不特定の人にとって
有効となる自己正当化の根拠である。そのような根拠は、つねに
各々によって試行錯誤によって追求されるものであり、誰にとっても
(すなわち、統治する者にとっても)あらかじめ定められたものとしては
存在し得ない。
0451考える名無しさん
垢版 |
2022/01/05(水) 08:08:55.810
>To believe your own thought, to believe that what is true for you
in your private heart is true for all men, ー that is genius. [...]
Yet this principle, in practical life as arduous as in the intellectual,
may serve for the whole distinction betwixt men. It is the harder
because you will always find those who think they know what is
your duty better than you know it yourself. It is easy in the world
to live after the world’s opinion. it is easy in solitude to live after
our own. But the great man is he who in the midst of the crowd
keeps with perfect sweetness the independence of solitude.<

― "Ralph Waldo Emerson: Selected Essays, Lectures and Poems", p.78
0452考える名無しさん
垢版 |
2022/01/05(水) 08:18:34.600
"in practical life as arduous as in the intellectual"という箇所の構文が
少し分かりにくいが、
"[which is] as arduous in practical life as in the intellectual [life]"
と読みかえれば、理解しやすくなるだろう。
0453Das Man
垢版 |
2022/01/05(水) 08:22:41.090
さて、"those who think they know what is your duty better than
you know it yourself"とは誰のことでしょう?w
0454考える名無しさん
垢版 |
2022/01/05(水) 08:40:51.500
この問いに対する正しい答えを知らないオイディプス的な悲劇の
主人公を彷彿とさせる人々を見かけることは、ソーシャル・ネットワーク
での発言を眺めているだけでも、そう珍しいことではないでしょう。
0456考える名無しさん
垢版 |
2022/01/05(水) 09:32:28.950
>天地(あめつちの分かれし時ゆ神(かむ)さびて
高く貴き駿河(するが)なる富士の高嶺(たかね)を

出典万葉集 三一七
0457する=なる
垢版 |
2022/01/05(水) 09:36:57.450
»Wille zur Macht«/"to do what you can"/「駿河なる富士の高嶺を」
0458考える名無しさん
垢版 |
2022/01/05(水) 11:44:03.580
日本語において「を」の発音は、本来的に、それに何かが応へる
ことを求める呼びかけの声そのものを想起させるものとして
用いられ、呼びかけの「〜を」とそれに応じる「を」の呼応関係
を成立させる行為の遂行において、「意に沿ふ」ようにすること
を表現し、「意に沿ふようにさせる」ことを表現する行為としての
「を(長/治/食)す」を派生させるとともに、その行為を具現化する
者としての「長(をさ)」、「をさ(治/収)む」、「をさ(治/収)める」
などの表現において用いられる。さらに、「意に沿ふようになる」
ことを具現化させる、すなわち、そのように効験をもたらす潜在的な
力を表象する「をなり神(かみ)」としてうやま(敬)はれる一方で、
「〜をの神(かみ)」は、物神化されて「〜男の神(かみ)」となる。
ここで、「〜男の神(かみ)」が「〜をの神(かみ)」の物神化である
ことに注目するなら、「男(を)」という名詞化そのものが、
「意/『を(の呼応関係)』/»Wille zur Macht«の実現」の物象化であり、
»Das Man«の生成であると言うことができる。
0459考える名無しさん
垢版 |
2022/01/05(水) 11:58:44.460
>「『みづから(身づ柄/自ら)』/《soi-même》を『もてなす』」こと/
「(その時々に訪れる)みづから(身づ柄/自ら)をあるじ(主/ホスト)する」
ことにおいて、「な(己/汝)」の関係性を生成しつづけ、己(おのれ)を
乗り越える。<

106考える名無しさん2021/12/23(木) 09:17:16.440
「できることをしようとする」ことが、自然と、
「『みづから(身づ柄/自ら)』/《soi-même》を『もてなす』」こと/
「(その時々に訪れる)みづから(身づ柄/自ら)をあるじ(主/ホスト)する」
ことになる。

107天のめぐ(恵)みとは2021/12/23(木) 10:36:52.520
みづから(身づ柄/自ら)に「できることをしようとする」ことにより、自然と
《La plénitude sans aucun manque de ce qui est à venir à travers soi-même》
がもたらされる。

109考える名無しさん2021/12/23(木) 10:41:28.900
ここで、《manque》は、日本語の呼びかけの「〜を」に対応することに
留意しよう。つまり、ここで、《sans aucun manque》とは、「を(惜)しみ」
を生じることがないことを表現している。

これらのことを忘れたなら、自己の統治を含む統治(「をさむ」こと)そのもの
が自然に»Das Man«を生成することにより各々を、物神化された統治への
自発的隷属に導くことになる。
0460考える名無しさん
垢版 |
2022/01/05(水) 12:26:36.920
「できること『を』しようとする」ことが、すなわち、
「みづから(身づ柄/自ら)『を』もてなす」ことになるのとは
対照的に、「○○は〜『を』すべきである」と考えることは、
その意見が自分自身に向けれたものである場合も含めて、
»Das Man«の生成を強化することにしかならない。
なぜなら、「○○は〜『を』すべきである」とは、
言い換えるなら、「○○は〜『を』することを怠っている」
ということであり、「〜『を』するのが〇〇の本来、ある
べき在り方だ」という「○○の在り方の物象化」をもたらし、
強化するからである。
0461時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/05(水) 12:46:28.580
>>460
人は勝利すべきである等は?
0462時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/05(水) 12:51:02.260
>>458
日本語において、「〜を」は一般的に対象を示す為に使われると思うよ。
0463時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/05(水) 12:58:14.860
>>453
Das Manじゃない。
0464anonymouse ◆Iow/mouse.
垢版 |
2022/01/05(水) 13:47:50.600
>>447
自然数、たとえば1や2や3には、固有の特性がある
仮に温度のような量として数を扱えば、それは(任意に置いた0を基準とする)を相対的なものになるが、
そもそも、1はいくつ掛けても同じ数になるし、足すと次の自然数になる特別な数だし、
2は偶数における最小の数、3は三角形の性質から三角関数を与えるとか、
探したらもっといっぱい出てくるかもしれんけど、それぞれが意味を持っているわけだ
その性質を持ってして、自然数個の対応する真偽値を与えられたなら、
自然数は自然数個の真偽値を持つ多値論理と言えるのではないかと
0467時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/05(水) 18:11:36.500
>>464
そのようなことは考えたことはなかったです。
面白いかもしれません。
ブール代数は0、1だから美しいのかなと思いますが。

>>465
その「〜を」ですか。
それは対象というよりは、「男」ですよね。
現代の女性に「〜子」を付けるような習慣的なものではないでしょうか。
0468考える名無しさん
垢版 |
2022/01/06(木) 09:29:34.620
「名を呼ぶことがその名によって指し示される物事を呼び寄せて
現実化することになると信じる『ことだま(言霊)思想』」などという
ものを持ち出すまでもなく、名づけるという行為自体が、
呼びかけであり、»Wille zur Macht«の行使なのだ。

したがって、例えば、「あしはらのしこを(葦原醜男)」の「を(男)」
とは何か、と問ふその問ひの形式そのものが、名づけを名詞として
扱い、既に沈着物のように堆積した物象化を前提としていることになる。
0469考える名無しさん
垢版 |
2022/01/06(木) 10:09:25.630
同様のことが、「ニーチェの表現における»Übermensch«/「超人」とは
何か」という問ひについても言える。多くの人々が「»Übermensch«/
『超人』とは何か」という問ひに応えようと様々な説明を繰り返して
きたが、ほとんどだれもそれにうまく応える端的な説明をすることに
成功していないだろう。それは、そもそも、そのような形式の問ひに
応えようとすることが、物象化の罠にはまることになるからだ。
しかし、ここで、「男(を)」について、その物象化のプロセスを
逆転させて、
>「男(を)」という名詞化そのものが、
「意/『を(の呼応関係)』/»Wille zur Macht«の実現」の物象化であり、
»Das Man«の生成であると言うことができる<
とするならば、»Übermensch«/「超人」について簡略に説明することも
そう難しいことではないだろう。なぜなら、»Übermensch«/「超人」
とは、»Wille zur Macht«を顕現させる者、言い換えるなら、
「を(≒»Wille«)な(成)り(»Wille zur Macht«)神(かみ)」の呼び名であり、
その命名に他ならないと考えることができるからだ。

すると、端的に言って、»Übermensch«/「超人」とは、「物象(/神)化
された»Das Man«/『男(を)』」の裏返しであると見ることができるだろう。
では、その物象(/神)化を裏返す作用はどのように生じるのか。
それは、「»Das Man«/『男(を)』」に触れて「あは(哀)れ」を感じる
ことによってである。しかし、その「あは(哀)れ」が、「あは(憐)れみ」
の方向に向かうなら、みづから(身づ柄/自ら)を含めた「»Das Man«/『男(を)』」
の生の惨めさに対する「同情」にしかならない。その「同情」こそ、
ニーチェが拒絶したものに他ならない。
0470考える名無しさん
垢版 |
2022/01/06(木) 10:32:40.340
では、みづから(身づ柄/自ら)を含めた「»Das Man«/『男(を)』」に触れて
「あは(哀)れ」を感じるにもかかわらず、そこから「あは(哀)れみ」に向かって、
「同情する」ことを拒絶するとどうなるだろうか。ここで留意しなければ
ならないのは、それによって「あは(哀)れ」を感じることがなくなるわけでも、
「生の惨めさ」が否認されて、消えてなくなるわけでもないことだ。
そうではなく、その「あは(哀)れさ」は、「同情」の拒絶によりそのまま、
「生の惨めさ」に対する»Verachtung«/「さげすみ」となるのである。
しかし、ここで、この»Verachtung«/「さげすみ」を「他者に対する侮蔑」
などと混同してはならない。

むしろ、この、「生の惨めさ」に対する»Verachtung«/「さげすみ」は、
それが»Übermensch«/「超人」/「を(≒»Wille«)な(成)り(»Wille zur Macht«)
神(かみ)」にみづから(身づ柄/自ら)を向かはせる限りにおいて、それが
裏返ってそのまま「もののあはれ(≒"*ahtu")」として立ち現れて新たな創造に
向かはせることになるのである。

https://en.wiktionary.org/wiki/Reconstruction:Proto-West_Germanic/ahtu
0471考える名無しさん
垢版 |
2022/01/06(木) 10:34:42.430
誤:「を(≒»Wille«)な(成)り(»Wille zur Macht«)神(かみ)」
正:「を(≒»Wille«)な(成)り(≒»zur Macht«)神(かみ)」
0472考える名無しさん
垢版 |
2022/01/06(木) 10:42:47.040
複数言語を用いると書き方が複雑になるうえに、直接に入力できない
文字や記号が増えて、なおかつ旧仮名遣いは自動的に変換してくれないから、
あちこちに誤記の可能性が生じて、それにより意味が通らなくなるから
本当に面倒くさい。でも、複数言語を同時に運用しようとすると、
その問題は避けられないんだよね。それを避けようとして表現の方を
簡略化しようとすると、伝えようとすることそのものが表現できなくなる。
0473考える名無しさん
垢版 |
2022/01/06(木) 10:49:20.730
>この»Verachtung«/「さげすみ」を「他者に対する侮蔑」などと混同しては
ならない<

この»Verachtung«/「さげすみ」においては、自らを含む「»Das Man«/
『男(を)』」の各々が、《un pauvre con》に見えることになるだろう。
0474考える名無しさん
垢版 |
2022/01/06(木) 10:56:46.140
>この、「生の惨めさ」に対する»Verachtung«/「さげすみ」は、
それが»Übermensch«/「超人」/「を(≒»Wille«)な(成)り(≒»zur Macht«)
神(かみ)」にみづから(身づ柄/自ら)を向かはせる限りにおいて、それが
裏返ってそのまま「もののあはれ(≒"*ahtu")」として立ち現れて新たな創造に
向かはせることになるのである。<

ディオニュソス的とアポロ的の対比が問題とされるのは、そのように創造に
向かふ時点においてである。したがって、ディオニュソス的/アポロ的という
概念の場合も、そこに至るまでの歩みを飛ばして、いきなり、「ディオニュソス的」
とは何か、「アポロ的」とは何かという形式の問ひに応えることは、そもそもが
不可能なのである。
0475考える名無しさん
垢版 |
2022/01/06(木) 11:24:39.510
ながながと不可能である告白、ご苦労様です
0476でこすけ
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2022/01/06(木) 11:28:53.570
>>251 いわゆる遅レスになりますけど、せっかくなので私の印象を述べさせていただきます。

まず私の世界観の宣伝からになりますが、
私の印象としてこの世界は認識されている部分(形而下(?))と
そのようなものを成立させる部分(形而上(?))から成る
という感覚があります。
このときじつは私にとっては形而上(仮名)が実在するかどうかは
最終的に確定できるものではありませんけど、
とりあえず想定しておいても差し支えは無さげなので
形而上の実在を「真実」とは言えませんけど「妥当な解釈」とすることはできる
というのを基本的なスタンスにさせてもらっています。

さて、このことを踏まえての>251付近ですが
私のかんじでは、それはあくまでも形而下でのこと
というのが率直な印象です。
さらに私の感覚では「意識」は「不在を伝えるもの(能動)」ではなく
「(自動的に)不在を埋めるもの(受動)」というイメージです。
どちらかというと「伝える」というよりも「伝わる」というニュアンスです。
また、駿河さん(私の中では身づ柄さんではなく駿河さんで登録されています)
が「意識」をどのようなものとして理解されているのかが不明瞭でありながら、
とりあえず「不在を伝えるもの」では「クオリア」を説明できない
というのが個人的にはひっかかります。
人それぞれの考え方があるだろうとは思いますが
私は「意識」を語る上で「クオリア」は必須派です。
そして「クオリア」を語るためには「形而上」を考察しなくてはならなくなる
という印象を持っています。

ちなみに私は哲学界で「意識」との関わりから「クオリア」が
どのように位置づけられているのか、
「クオリア」は「意識」そのものなのか、あるいは媒体にすぎないのか、
そのあたりでどのような共通理解があるのかについては存じないレベルです。
恐縮です。
0477でこすけ
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2022/01/06(木) 13:03:21.480
>>425
私は『悦ばしき知識(筑摩書房)』昨年の暮にさっさと買っちゃいました。
本屋でその部分だけをぱっと立ち読みするつもりだったのですが、
目次が役に立たない上、分厚く、一応は価格的な躊躇がありつつも
お年玉をもらえる予定があったので決断しました。

その帰途、とりあえず目についたのが「11(73ページ)」ですけど
私としてははなはだ残念です。
私の考えとは違う、それ以前にニーチェには人間に対する「愛」を感じます。
そうは言っても「愛」は目を曇らせます(笑)
私は「自然」はもっとドライなものだと思っているのです。
0478時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/06(木) 13:56:12.010
ニーチェへのとりあえずの批判。
連帯する善が勝利することはルサンチマンなのでしょうか。
それもまた力なのではないでしょうか。
また、著作に触れてみます。

>>469-470
哀れみは同情とは異なると思いますよ。
同情しない哀れみはあると思います。
私はさげずまれるのは嫌だな。:)
0479時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/06(木) 13:59:27.010
>>477
私の借りたのは『愉しい学問』というタイトルですが、
どちらの訳が適切なのでしょうね……
あと、マイケル・ポランニーの『暗黙知の次元』も借りました。
0480でこすけ
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2022/01/06(木) 16:27:24.320
>>478
私は若い頃はお金を持っていなかったので
そのときの恨みを晴らすかの如くにステーキを頬張り寿司を頬張りしています。
それでも若い頃に比べて食える量が減ったので
「若い頃に食いたかった」などと恨みごとをのたまいます。
人間の本質が「善」も含めて「怨恨」というのはわかる気がするし、
また、「そういう奴は如何なものか」という感覚もわかる気がします。
ただ、私も私なりに歳を重ねたので、
人間が残酷で浅ましく恥知らずの救い難い生き物であったとしても
それを徹底的に糾弾する元気やあるいはそもそも感情はありません。
むしろ「ニーチェ君は若いなあ」という感覚です
(実際若干40代で崩壊してしまったそうですが)。
「善の連帯」の本質が「怨恨」ということを指摘しているのであれば
それは率直に鋭いツッコミだと思います。
それに対して「まあまあまあw」というのが
でこすけのでこすけたる所以だと思います。

>>479
私としてはどちらの訳が適切なのか以前に冒頭の
「相似したことを体験した者でないなら、(中略)
 この本の体験に近づけるものではない」
というのが重たくのしかかります。
実際に私にはほとんどちんぷんかんぷんです。
そもそも「彼は何が言いたかったのか」以前に
「何がやりたかったのか」全く理解できないのです。
0481でこすけ
垢版 |
2022/01/06(木) 17:07:01.560
>>476
では何故「不在」が生じるのかというと、
それはつまり開闢以前は何も無いのが当たり前だったものが
ある時点から「無い」ということが問題になるということですが、
私的にはこれは階層論として理解できると考えます。
「不在」はどこに生じているのかというと、下位に生じています。
上位は下位要素に依拠しながら成立しますが、
一度上位が成立すると何かの事情で下位に欠損が生じたとしても
許容範囲であればただちに上位が失われることにはなりません
(たとえば「スル○ナル○○」
 音節(下位)の50%近くが欠損していても意味(上位)が成立し得ます)。
そしてこの欠損(不在)を埋めるのが意識の作用だと考えるわけです
(ちなみにその作用は「創発」と名付けられているようです)。
そうは言っても欠損を放置したままでは全体のアイデンティティ(上位)に
崩壊のリスクを背負わせ続けることになってしまいます。
0482考える名無しさん
垢版 |
2022/01/06(木) 17:10:52.840
ニーチェの最もよく知られた著作である"Also sprach Zarathustra"の
冒頭には、»Ein Buch für Alle und Keinen«、つまり、「すべての者の
ための、誰のためのものでもない本」という断り書きが掲げられています。
こではどのような意味でしょう。これまでに様々な解釈が提示されてきた
ようですが、単純に素直に読めば、「この本が自分のためになるかどうか
は自らが決めよ」と読者に求めているように私には思へます。
0483時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/06(木) 18:36:21.790
>>480
私は連帯する善に関しては、どちらかと言えば受け身で、
脅威を感じることはあります。
それもまた力なのかなと思いました。

ニーチェと相似した体験ですか……
ニーチェもどちらかと言えば連帯される側だと思いますから、
そういう意味では類似点はあるかもしれません。
とりあえず、愉しい学問ができればいいなと思います。:)

>>481
私は意識は下位的であり得るように思います。
「スル○ナル○○」もそういう意識というか。

>>482
すべての者=私という比喩的表現かなと思いました。
0484でこすけ
垢版 |
2022/01/06(木) 19:53:32.050
>>482
せっかくなので当てずっぽうながら私の印象ですけど
「すべての人が読者の対象ではあるけれども、誰の役にも立たない本」
というかんじでしょうか、
私はドイツ語(ましてそのニュアンス)はまったくわかりませんけど
確かその本は超人思想をぶち上げたやつで、
そのあたりから察すれば短絡的ながらそういうことになる気がします。
あるいは「すべての人が超人になる権利はあるけれども、現実的には不可能」
というかんじです。
私は今「超人」と聞いてとりあえず思うのは、
ニーチェは具体的に誰かを想定していたのか、
「超人」はニーチェのまわりのどこかに実在したのか、ということです。
私としては、カエルのツラにションベン的な猛者程度ならあり得る
かもしれませんけど完全な超人は無理のような気がするのです。
そしてそのことはニーチェ自身も薄々(?)感づいていた気がしています。

さて、ニーチェは何を思って「超人」とか言ったのでしょうか、
たぶんそこまでは既に分析されているでしょうけど、
とりあえず私としては「進化論」の方にリアリティを感じます。
ダーウィンによると生き残るのは「強い者」でもなく「賢い者」でもなく
「変化できる者」とのことです。
ニーチェの「超人」というのが「変化できる者」なのかどうかは存じませんけど
自然選択には多分の偶発性が含まれ
超人といえども淘汰されない保証はない気がするのです。
歴史は理屈ではない、というかんじです。
0486でこすけ
垢版 |
2022/01/06(木) 21:11:43.650
>>483
>愉しい学問ができればいいなと思います
私は「本当に知りたいこと」というのは「知って後悔すること」
あるいは「恐ろしいこと」だと思っています。
これは私自身の経験に基づくものです。
しかし答えを知りたい気持ちは止みません。
とりあえず「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」を思い出します。

>意識は下位的であり得る
栗本的に言うと上位に当たるのが「暗黙知」です
(ちなみに『暗黙知の次元』ではこのことはよくわかりません)。
私としても「暗黙知」とか「神」とかにはちょっと違う感がありますが、
何かがあるはずだというチョッカンはあったりします。
むしろ上位があることによって下位が安定するというおはなしのつもりです。
0487考える名無しさん
垢版 |
2022/01/07(金) 01:28:31.640
>この»Verachtung«/「さげすみ」においては、自らを含む「»Das Man«/
『男(を)』」の各々が、《un pauvre con》に見えることになるだろう。 <

相手からそのように《un pauvre con》として見えるものとしての
みづから(身づ柄/自ら)が「我(われ)」である。
0488考える名無しさん
垢版 |
2022/01/07(金) 01:36:10.630
したがって、みづから(身づ柄/自ら)が「我(われ)」であるという自覚は、
すなわち、「もののあはれ」を覚えることでもある。
0489時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/07(金) 03:02:57.620
>>485
駿河さんでしょうか。別人かな。
>>478で触れていますよ。

>>486
私は数学は好きですし、それはないかなと思います。
でこすけさんは、例えば、どういうことを知って後悔しましたか?

『暗黙知の次元』には創発のことは書いていないのかな。
だとしたら、残念です。
そこは、期待していました。

>>487-488
身近なところに「もののあはれ」はあるんですね。
0490でこすけ
垢版 |
2022/01/07(金) 09:36:23.600
>>489
>どういうことを知って後悔しましたか?
結果的にどういう感じになっちゃうのかというと
なんだかすべてがバカバカしくなっちゃったりするんだと思います。
誰でもうっすら経験したことがあるのではないかとも思いますけど
見切ってしまうとそれがどうでもよくなるというか、
やる気が無くなるというか、
ただしそのきっかけになる知識はいろいろのようです。
たとえば政治家とか実業家とかが世の中の仕組みをわかってしまうととか、
精神科医が世の中の人々の精神構造を見切ってしまうととか、
風俗嬢が人間の裏側を見てしまうととか、
何やら「限界を知る」ということでしょうか、
あるいは私も投稿を始めた当初は凄いことを言いふらしたい気持ちでしたけど
だんだんどうでもよくなってきてしまいました。
今後の展開が見えてしまったかんじです。
かと言って後戻りもできません。
なんだかすごく残念なことになった気がするんですが、
しかしよく考えてみれば後悔だけでなく
もっとポジティブな思いもあることはある気はします。
0491考える名無しさん
垢版 |
2022/01/07(金) 09:44:06.390
>423考える名無しさん2022/01/04(火) 09:57:02.410>>425
その「『あらたかな』気づき」こそが「もののあはれ」であり<

>474考える名無しさん2022/01/06(木) 10:56:46.140
この、「生の惨めさ」に対する»Verachtung«/「さげすみ」は、
[...]それが裏返ってそのまま「もののあはれ(≒"*ahtu")」として
立ち現れて新たな創造に
向かはせることになるのである。<

ここで、»Verachtung«/「さげすみ」から「もののあはれ(≒"*ahtu")」への
転換が生じるのは、»Ver・achtung«という表現の語源とされる»Acht«/
「気づき」を軸とすることによってであることに注目しよう。»Acht«/
「気づき」とは、パウル・ツェランの言葉を借りるなら、"Atemwende"、
すなわち、「いき(息/生)の休止点/転換点」である。
0493考える名無しさん
垢版 |
2022/01/07(金) 10:01:06.440
>相手からそのように《un pauvre con》として見えるものとしての
みづから(身づ柄/自ら)が「我(われ)」である。<

>したがって、みづから(身づ柄/自ら)が「我(われ)」であるという自覚は、
すなわち、「もののあはれ」を覚えることでもある。<

であるとするなら、自らを含む、各々が《pauvre con》である»Das Man«
に対する»Verachtung«/「さげすみ」から「もののあはれ(≒"*ahtu")」への
転換は、日常的に生じてよさそうなものだろう。しかし、人々の相互性
によって構成される世間は、その転換を未然に防ぐように作用する。
それは、暗黙裡の、というより制度化された»Verachtung«/「さげすみ」
の相互化によってである。その相互化によって、各々が《pauvre con》
である»Das Man«の在り方が、《pauvre con》/「惨めで哀れな者」同士
の暗黙の連帯として維持されるのだ。その連帯を維持しようとする意識こそ、
ニーチェが「賤民意識」、「畜群道徳」などと呼んで拒絶しようとした
ものであると考えることができる。
0494考える名無しさん
垢版 |
2022/01/07(金) 10:09:19.100
>>453
"those who think they know what is your duty better than
you know it yourself"こそが、《pauvre con》/「惨めで哀れな者」同士
の暗黙の連帯として維持される»Das Man«である。
0495考える名無しさん
垢版 |
2022/01/07(金) 10:48:33.710
日本語において、「我(われ)」は、それが「主(ぬし)」である相手に対する
自称であることからも分かるとおり、自己卑下である(「僕(ぼく)」に
ついても同様である。ただし、「私(わ・たくし)」については、「託し」に
おける権限の委託がかかわるので、ここでは措いておく)。このみづから
(身づ柄/自ら)を「我(われ)」として指し示す自己卑下において表現される
「卑下」の意識が、すなわち、»Verachtung«/「さげすみ」である。
このことは、例えば、フランス語で《Oui monsieur》と応えること、
スペイン語で"Sí Señor"と応えることが、主(ぬし)と僕(ぼく)の関係
を表現し、その関係が»Verachtung«/「さげすみ」を伴うのと同様である。

では、なぜ日本語において、自らの「我(われ)」として指し示すたびに
その都度、その»Verachtung«/「さげすみ」を意識させられずに済むか
といえば、それは、「主(ぬし)」と「我(われ)」の呼称が、相手と自分
の間で交替可能に使われるからである。その交替によって互いの等しさ
が確認されるように見えるため、その交替の一般化によって全体の
平等がもたらされるかのように思える。しかし、この相互的な「自己卑下」
によって実際に生じるのは、「卑下」の相互的な取消し/キャンセル
ではなく、暗黙裡に互いに貶め合ふ「お前もな」という「なあなあ」の
抑制的な関係の強制であり、この相互的な「お前もな」の「な」が表現
するのは、下僕としての連帯感だろう。したがって、この「なあなあ」
の関係は、「己(な)を汝(な)として主(あるじ)する」ことによって
「な(己/汝)」の関係性を生じさせること、すなわち、みづから(身づ柄/
自ら)を"the patronizing we"として生成することを阻止するのである。
0496「我(われ)」を自覚する/「もののあはれ」を知るとは
垢版 |
2022/01/07(金) 10:53:43.420
>It is easy in the world to live after the world’s opinion. It is easy
in solitude to live after our own. But the great man is he who in
the midst of the crowd keeps with perfect sweetness the independence
of solitude.<

― "Ralph Waldo Emerson: Selected Essays, Lectures and Poems", p.78
0497考える名無しさん
垢版 |
2022/01/07(金) 11:41:08.390
>>490
むしろ、展開が見えたつもりでいて、実際には語りえぬ現実のほうに馬鹿馬鹿しくなったのでは?
0501時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/07(金) 15:35:37.690
>>490
諦観という概念には個人的にはポジティブです。
全てがバカバカしくなったことはないですね。
世界はいつも驚きに満ちていると思います。
0502考える名無しさん
垢版 |
2022/01/07(金) 16:23:59.760
>>499
確かにあなたには、いくら「私(わたくし)にお任せください」と
求められても、何も安心して委託することはできませんね。
0503時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/07(金) 19:35:36.340
>>502
「和足し」の方がまだ納得できるかな。
「和託し」はちょっと……
0504時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/07(金) 19:48:17.880
>>503
「和足し」や「和託し」が語源かどうか解らないけれども、
そういうニュアンスがあるのは確かだろうね。
0505時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/07(金) 19:50:12.460
>>504
そういうニュアンスを持ち得ることと言うべきか。
0506時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/07(金) 19:52:27.460
>>502
ちなみにその問いにはYesでありNoでもある。
内容による。
0507時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/07(金) 19:54:56.030
>>506
また変な言い方になったな。
YesとNoどちらもあり得る。
0508時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/07(金) 20:05:49.410
>>495
「我」が自己卑下だとすると、「なあなあ」の関係になることは、
確かに正しいかなと思います。
しかし、『我」が自己卑下かどうか私には解りません。
0509なめとんかワレ
垢版 |
2022/01/08(土) 00:59:52.630
>白水社 中国語辞典
吾辈
ピンインwúbèi
((文語文[昔の書き言葉])) 私ども.≦我们.<

『吾辈(わがはい)は猫である』=「私どもは猫である」
0510考える名無しさん
垢版 |
2022/01/08(土) 01:33:10.440
>>508
分からないときには、手がかりが得られるように問ひを発するのが
哲学というものです。
0511考える名無しさん
垢版 |
2022/01/08(土) 01:44:38.350
「なめとんかワレ」は、明らかに相手に対する»Verachtung«/「さげすみ」
を表現しているでしょう。では、その»Verachtung«/「さげすみ」は
どのように表現されているのか。»Verachtung«というドイツ語が
「さげすみ」を表現するとすれば、»Verachtung«の»Ver-«はどのような
役割を果たしているのか。ドイツ語で「わす(忘)れる」ことを、
»vergessen«と言うが、この場合、日本語とドイツ語は表現上どのように
対応していると考えることができるのか。分かるように手がかりが得られる
まで問ひを発しつづけることが大切です。
0512時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 01:48:59.490
>>510
そう言われてもね……
思い浮かぶのは「これ」、「あれ」、「それ」などの
代名詞に使われる「れ」と、
「わが」などの「わ」がくっついたものということかな。
「れ」は中性的だし、「わ」も特に自己卑下しているとは
思わないけれども。
0513時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 01:50:53.380
>>511
行き違いになりました。
「なめとんのか自分」もいいますね。
しかし、自分はさげすみではないですよね。
我もそうではないかな。
0514時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 01:52:09.120
>>513
正:「自分」
誤:自分
0515考える名無しさん
垢版 |
2022/01/08(土) 01:55:48.620
>自分はさげすみではないですよね。

自分は、「わきま(弁)へ」ですよね。
「手前」はどうでしょうか。相手を「手前」と呼ぶことはどのような
関係性を示そうとすることになるでしょう。
0516考える名無しさん
垢版 |
2022/01/08(土) 02:00:47.130
「よくも貴様(きさま)!」というときは、相手が「つけあがっている」
と感じているのではないでしょうか。
0517考える名無しさん
垢版 |
2022/01/08(土) 02:02:36.570
「自分」は、分際(ぶんざい)でしょう。
すべて混ぜ合わせて論じようとしてばかりいては、哲学的に考えることができません。
0518時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 02:03:05.380
>>515
わきまえですか…… うーん。
さげずみよりは、あるかな。
「手前」は「てめえ」と読むのかな。
「お前」みたいな高圧的な態度かなと思います。
「お前」も不思議ですよね。敬語ですし。
0519時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 02:05:45.000
>>516
貴様も逆に丁寧ですよね。
貴方様とは言わない。
これを言うと自分が小者だと言っているようなものかな。

>>517
分けて考えるといいかもしれませんね。
0520考える名無しさん
垢版 |
2022/01/08(土) 02:08:50.500
>>518
少しは自分で考えてみてはどうですか。
「お前」は、誰を指し、誰の「前」なのか。
0521時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 02:09:48.350
>>520
私自身の考えは>>512に書きましたけど。
0522考える名無しさん
垢版 |
2022/01/08(土) 02:11:45.500
>>511で応えています。水飲み場まで連れて行くことはできますが、
水を飲むかどうかは本人次第です。
0523時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 02:14:45.380
>>522
まあ、私の考えは>>512にあるように中性的かな。
0524時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 02:24:15.750
>>522
もっと美味しい水を飲みます。:)
0525時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 02:35:20.030
>>518
「手前」や「お前」が高圧的なのは、
自己中心的だからと言えるかな。
0526時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 02:36:52.870
>>525
「お前さん」が丁寧だったり、文脈には依りますね。
0527時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 02:38:31.630
>>526
寧ろ、「貴様」が偉そうなのは面白いです。:)
0528考える名無しさん
垢版 |
2022/01/08(土) 07:27:46.420
「貴様(きさま)と俺(おれ)」は、互いに遠慮することのない関係の
ことですよね。相手は自分に対して遠慮なく振る舞っているので、
自分も相手に対して遠慮する必要がまったくない。その意味で
相手を「貴様(きさま)」と呼ぶことが対等の関係性を表現している。
0529考える名無しさん
垢版 |
2022/01/08(土) 07:46:03.610
>>495
誤:自らの「我(われ)」として指し示す
正:自らを「我(われ)」として指し示す
0530考える名無しさん
垢版 |
2022/01/08(土) 09:37:16.360
無礼講が上下関係を無視するように「貴様(きさま)、何様のつもりだ」
という無礼な振舞いをする相手が「貴様(きさま)」として指し示され、
互いにそのように振る舞うものと認め合う間柄が「対等な関係」である
と認識されていることになる。
0531でこすけ
垢版 |
2022/01/08(土) 09:43:24.220
>>497
匿名掲示板であっても「言いにくいこと」というのはあるものです。
投稿の内容だけでなく投稿された動機などを模索することをお薦めさせて
いただきます。

ちなみに>>468付近についての私の意見ですが
つまり一連の投稿の動機とか文脈とかがいまいち私にはつかめていないため
なんともコメントのしようがない、というのが率直なところです。
それは私の中で辻褄が合わない(あくまでも私の側で)
ということです。
0532考える名無しさん
垢版 |
2022/01/08(土) 09:50:50.830
「言いにくいこと」があるのは、恥ぢらいによるのでしょうか、
それとも畏れによるのでしょうか?
0533時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 09:51:45.530
>>528
私は「俺」は日常的によく使いますが、「貴様」は殆ど使いません。
「お前」も結構つかいますよ。あんまりいい言葉ではないですが。
『僕」は卑下というか猫を被っているみたいなところはあると思います。
僕派の方の意見はまた異なるのだとは思いますけれども。
0534時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 09:55:14.680
>>530
私の感覚では、「俺」と「お前」ですね。呼応するのは。
0535時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 09:55:56.970
>>534
でも、「お前」は何か偉そうですから、あんまり使いません。
0536時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 10:10:28.080
>>533
正;「僕」
誤:『僕」
0537考える名無しさん
垢版 |
2022/01/08(土) 10:24:25.690
>私は「俺」は日常的によく使いますが

業務上、電話口でよく使われるようですね
0538時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 10:44:10.490
>>537
え? 友人に対してですよ。
0539時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 10:45:32.980
>>538
特に古い友人には「俺」かな。子供の頃は「俺」と言っていたし。
0540時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 10:58:09.790
>>533
正:使いますよ
誤:つかいますよ
間違いではないが……
0541考える名無しさん
垢版 |
2022/01/08(土) 11:44:35.790
>>531
書き込み動機は書き込む人の心理的なものですから、書き込みを見る側にとっては
書き込まれた内容しか関心が向きません。
書き手の動機を模索するほど書き手に関心があればべつでしょうけれど・・・
0542考える名無しさん
垢版 |
2022/01/08(土) 16:44:16.050
革命や独立とされる政変イベントが、社会における人々の関係が
自由で平等なものに向かうという夢/幻想を抱かせるとすれば、
それは、そのイベントが続く限定された期間が「無礼講」として
機能するからである。「無礼講」は、人々の間で定められた
礼節/"civility"を蔑ろにする行為の実践であり、その実践が、
人々の間でそれまで定められていた上下関係などによる規制を
無視して、自由に振舞うことができるという夢/幻想を一時的に
もたらすのである。では、その「無礼講」の「混乱状態」から、
自由と平等と博愛に基づく新たな礼節/"civility"を構築する
ことは可能なのだろうか。一見、誰にでも受け入れられるよう
に見える、「互いを尊重するように各自に礼節/"civility"を
守らせる」ことを目的として掲げる全体的なシステムを
構築しようとすることそのものが、必然的に、「圧政の下
で暮らしている」、「固定化された上下関係に縛られている」、
「自らの自由と平等の実現の可能性が奪われている」と人々に
感じさせる恒常的な状況を生むことになるのではないか。
0543時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 16:54:56.720
ノブレス・オブリージュを身に付けないと。
日本人も西洋人ノブレス・オブリージュを期待しているようでは、
真の先進国民とは言えないだろう。
0544時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 16:55:28.770
>>543
正:西洋人の
誤:西洋人
0545時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 16:56:55.750
ノブレス・オブリージュという言葉が適当だと思うなら、
世界に優しくすることと言ってもいい、と思う。
0546考える名無しさん
垢版 |
2022/01/08(土) 17:03:16.650
「我々はまだまだ続く長い文明化の過程の途上にあるのだ」という楽観的な
見通しを示そうとしたのが、ノルベルト・エリアスの『文明化の過程』だろう。
しかし、人々の関係が「誰もが互いを尊重する礼節/"civility"の完成」に
向かうというような進歩主義的な思想は、そもそも、どのようにか哲学的に
根拠づけられるものなのだろうか。むしろ、哲学は、そのような根拠づけ
を掘り崩してしまうのではないか。
0547考える名無しさん
垢版 |
2022/01/08(土) 17:06:55.360
人々の関係が「誰もが互いを尊重する礼節/"civility"の完成」に
向かうというような理想は、人々のそれぞれの母語が尊重されながら、
統一に向かって世界の共通言語が母語となる世界が到来すると
考えるのと同じように荒唐無稽なのではないか。無論、世界の
共通言語化は可能だろう。しかし、それは、それぞれが現在、
母語としている言語を尊重することの延長としては実現され得ない。
0548考える名無しさん
垢版 |
2022/01/08(土) 17:37:02.830
>>546
誰もが互いを智恵あるものとして尊重する礼節は、哲学的存在としては根拠付けるというか理念になってるんじゃない
0549考える名無しさん
垢版 |
2022/01/08(土) 17:54:25.660
現状として常に力関係があり、妥協しながら生きているのです。
礼節もそれに沿うように保たれる。
0550考える名無しさん
垢版 |
2022/01/08(土) 17:56:25.320
従わせようとするなら、いくら礼節を失していると各自に感じられても、
そんなことは一切省みられないのだと思い知らせることが有効となる。
つまりは、尊重されるべき礼節は、暗黙の力関係によって規定される。
0551考える名無しさん
垢版 |
2022/01/08(土) 18:09:39.030
そのためにわざわざ、とんでもなく礼節を失していると憤慨させる
状況を作り出す挑発を繰り返すことになる。それに憤慨して不平
不満を強く訴えたところで無視される。その一方で、それに反発
して礼節を失した振舞いをしたなら、たちまち糾弾され、
つるし上げられて、責任をとらされる。それを繰り返していると、
無気力に従順な「礼節を尊重する人格」が出来上がるというわけ。
0552時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 19:58:19.140
>>551
礼節のある人間と無い人間、どちらと友人になりたいですか?
私は自明だと思います。
0553時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 20:00:05.480
>>552
礼節というと形だけの礼節を思い浮かべることはありませんから、
それが原因かもしれませんね。
>>552の礼節は、そういう礼節ではなく、真の礼節です。
0554時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 20:00:30.240
>>553
正:ありますから
誤:ありませんから
:)
0555時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 20:01:59.030
>>554
全く逆でした……
まあ、形だけの礼節も、あっていい場合はあると思いますよ。
0556時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 20:03:41.460
>>555
礼節がなくてそれなりに上手く行くのは名無しさんだからでないかな。
0557時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 20:05:02.140
>>556
礼と礼節の違いもありますね。私は前者の方が好きです。
0558時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 20:29:25.960
>>557
礼節はなくてもいいか……
0559時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/08(土) 23:34:06.180
>>558
礼があれば礼節はなくてもいいですね。
0560考える名無しさん
垢版 |
2022/01/09(日) 00:25:49.150
私はわざわざ「礼節」/"civility"と書いて、「礼節」を"civility"に
対応する表現として用いていることを明示しているわけですが、
本当に、「礼があれば『礼節』/"civility"はなくてもいい」と
お考えなのでしょうか。
0561考える名無しさん
垢版 |
2022/01/09(日) 00:57:02.040
不平等感を解消することなど、そもそも原理的に不可能なのですよ。
なぜなら、「うらや(羨)み」が生じることに際限がなく、
無際限に「うらや(羨)み」を解消するすべ(術)などあるはずもない
のだから、決して対等になることができないという「うら(憾)み」
が不平等感を抱え続ける「うら(恨)み」に変わる。

>268考える名無しさん2021/12/30(木) 13:39:30.300
>「意識」とは、「"void"としての0を互いに伝へること」である

ここで、「"void"としての0」を何らかの"unfulfillment"/「不満」と
言い換えると、分かりやすくなるかもしれません。<

以前のレスでこのように指摘したうえで、さらに、
>「"void"が存在する」ものとして(「『を(惜)』しまれること」と
表現することもできるでしょう)示されること<
は、その"void"/「欠落」が本来的にあらかじめ存在することを
意味するわけではなく、比較によって初めて意識されるもの
であることも説明した。このことは、「うらや(羨)む」という
表現の古くからの用法を見てもはっきりと知ることができる。

>人の世となりて、素盞嗚尊よりぞ、三十文字あまり一文字は詠みける。
かくてぞ花をめで、鳥をうらやみ、霞をあはれび、露を悲しぶ心・言葉多く、
さまざまになりにける。<
古今和歌集「仮名序」
0563考える名無しさん
垢版 |
2022/01/09(日) 01:07:16.240
>鳥をうらやみ

いくら人が鳥を「うらや(羨)む」としても、仮に人が鳥の姿に生まれつき、
鳥が人の姿に生まれついていたとすれば、鳥の姿をした人は、自由に
手足を操ることのできる人間の姿をした鳥を「うらや(羨)む」ことに
なったでしょう。
0564考える名無しさん
垢版 |
2022/01/09(日) 02:41:08.940
不平等感を持たなければいいだけの話だろw
下等には無理だがw
0565◆P1F.MDbmTg
垢版 |
2022/01/09(日) 02:44:10.190
人人心持ってくるな
0566考える名無しさん
垢版 |
2022/01/09(日) 02:59:58.520
まあ、うらやんだあとのアクションが問われる話だなw
下等には無理だがw
0567考える名無しさん
垢版 |
2022/01/09(日) 03:47:13.280
huhugaiji
0568時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/09(日) 04:27:44.370
>>560
礼は礼節を包摂する概念だと思います。

>>561
>>564
私もあんまり羨まないタイプです。

>>566
仮に羨んだとしても、向上心を持つか、蹴落とそうとするか、
その辺りのことは大切かもしれませんね。
0570考える名無しさん
垢版 |
2022/01/09(日) 08:49:16.120
空飛ぶ鳥も落とす(読み)そらとぶとりもおとす
精選版 日本国語大辞典「空飛ぶ鳥も落とす」の解説

空を飛んでいる鳥さえも落とす力をもっている。不可能なことはないほど権勢を誇っているたとえ。飛ぶ鳥を落とす。
0571でこすけ
垢版 |
2022/01/09(日) 09:58:03.230
>>532
もちろん「恥ぢらひ」とか「畏れ」とかもあるでしょうし、
あるいは「まったくスレ違になってしまって申し訳ない」とか
「水を指してしまって申し訳ない」とか
そういうこともある気がします。

>>541
「動機」という表現はちょっと違ったかもしれませんが
投稿者の「意図」とか「立場」とかについては
私はむしろ意識しておく必要がある気がします。
言葉は文脈の中で理解されるものだからです。
ましてどのようにでも解釈できるものについてはそれは必須だと考えます。
もっとも私のどのような投稿でもまずそちらに関心が向くという傾向は
単に私の癖に過ぎないものなのかもしれません。
たとえばその部分でいうと
何故時計さんは「おそろしいこと」ではなくて「後悔したこと」に
関心が向かったのか、
そういうことから考えたりするのです。
0572時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/09(日) 12:28:12.330
>>571
それは難しい問題ですね。
「恐ろしいこと」は自明のようで宗教的でもありますし、
簡単には行かないと直感したのかもしれません。
0573考える名無しさん
垢版 |
2022/01/09(日) 13:28:56.480
>>571
動機も意図も立場も、言葉の意味と文脈において的確に表現されなければ
意識しておく必要があるという意識とは裏腹に、共有できないとおもいます。
動機と意図と立場は、意味がまるで違います
使う単語を間違えれば、動機も意図も立場も理解されません。

因みに、恐ろしいと感じる対象は人によってまちまちで、
ようは共感できるかできないかでしかありませんが、
知ったら後悔するほどの「本当に知りたいこと」が本当なら
それは一体なにか?関心を持つのが普通かなと思います。
0574時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/09(日) 15:49:17.560
>>571
因みに、恐ろしいこととは例えばどのようなことでしょうか。
0576時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/10(月) 16:43:19.360
実在は確かに存在することである。
それゆえに幻想ではないし、必然ではないという
意味に於いては、幻想である。
確かに存在することには、両方の側面がある。
0577時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/10(月) 17:30:52.630
脳も実在であるから、その存在確率は1ではない。
さらに、私は小さくない確率で、今知られている脳の他に、
意識の座は実在すると考えている。
魂を実体化させると、それと似たようなものかもしれない。
魂は人間の身体の内側に存在すると考えられることは多いだろうが、
私は意識の座は人間の身体の内側に限定されないと考えている。
0578時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/11(火) 12:55:31.060
ニーチェの『愉しい学問』、戦争と奴隷制を賛美しているところがあり退く。:)
0579考える名無しさん
垢版 |
2022/01/11(火) 13:27:33.070
まぁ完璧な人間は存在しませんね、哲学者さりとて・・・・
0580時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/11(火) 13:33:50.990
「自分の欲することを、相手にする」ことと
「自分の嫌なことを、相手にしない」こととではどちらが大切だろうか。
0581時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/11(火) 13:36:16.900
>>579
そうですね。ニーチェは政治家には向いていないということで。適材適所。
0582考える名無しさん
垢版 |
2022/01/11(火) 14:56:09.590
>>580
なんにせよ、大切さは優先順位で自ずと決まりそう
0583時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/11(火) 15:23:39.730
>>582
まあ、ケースバイケースかな。:)
0584考える名無しさん
垢版 |
2022/01/11(火) 15:35:59.710
ケースバイケースって優先順位とおなじでしょ
0585時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/11(火) 15:52:55.230
>>584
そうですね。そういうつもりで言ったんですよ。
0586時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/11(火) 15:53:56.900
>>585
「まあ、ケースバイケースか」ということです。
こちらの方が解りやすかったかな。
0587考える名無しさん
垢版 |
2022/01/11(火) 18:24:50.880
おまえらは完ぺきな人間なんだがw
0588時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/11(火) 18:38:43.570
ニーチェの『愉しい学問』を読みましたが、
私は弱者を助けることは社会の平和に繋がると考えますから、
どうも基本的なところでニーチェとは合わないようです。
0589考える名無しさん
垢版 |
2022/01/12(水) 00:12:18.360
では、「病める畜群の予定された救済者、牧者、弁護人」となることを目指しましょう
0590考える名無しさん
垢版 |
2022/01/12(水) 00:38:45.720
弱者がいつまでも弱者でなければ無理だなw
0591時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/12(水) 01:08:29.540
>>589
うーん、嫌な二者択一ですね。第三の道を探ります。
弱者の尊厳を大切にするとか。
0592考える名無しさん
垢版 |
2022/01/12(水) 01:38:56.360
弱者にとっての尊厳が弱者にとって迷惑だとしたら?
0593時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/12(水) 03:57:19.730
>>592
私は人はほとんど皆、尊厳を求めると思いますが。
0594考える名無しさん
垢版 |
2022/01/12(水) 09:34:37.980
>「病める畜群の予定された救済者、牧者、弁護人」

ここで「予定された」という言葉の意味がお解かりでしょうか。
「予定された」とは、予めそのような役割をするように定められている
ということ。つまり、裏を返せば、仕組みとして「病める畜群」が
生まれることが予定されているということでもあります。
0596考える名無しさん
垢版 |
2022/01/12(水) 10:14:55.540
まあ、尊厳をもてとか他人から命令されたらウザいわな
0597お前もな
垢版 |
2022/01/12(水) 10:16:47.640
そのための「馴合いの相互強制/矯正」≒「畜群倫理」でしょう
0598まあ酒でも飲め
垢版 |
2022/01/12(水) 10:25:46.590
結局は、正常性バイアスが働くように互いに強制力を働かせる
ことにより、さもなければ、それに気づいて意識せざるを得ない
不快な不調和に自らの感性が働くことを麻痺させたいということ。
0599考える名無しさん
垢版 |
2022/01/12(水) 10:37:36.630
なにごとも心の趣くままであるなら、呼応関係の「心地よさ」/"accord"が
保たれて、本来的に違和感の識別として働く「意識」が生じることは
ないのです。呼応関係の「心地よさ」/"accord"に対する不調和が、
互除法の操作において「残差」の反転が繰り返されるように、意識され、
「かむ(神)・か(交)へ/考へ」られるべきものとなる。
0600考える名無しさん
垢版 |
2022/01/12(水) 10:50:38.500
おもしろいことに、ポルトガル語では、"acordar"の方が、「意識が戻る」
ことや「気がつく」ことを意味するように用いられるという反転が生じて
いるんだよね。
0601考える名無しさん
垢版 |
2022/01/12(水) 11:05:11.850
https://www.etymonline.com/search?q=accord
accord (v.)
Origin and meaning of accord
early 12c., "come into agreement," also "agree, be in harmony,"
from Old French acorder "agree, be in harmony" (12c.), from
Vulgar Latin *accordare "make agree," literally "be of one heart,
bring heart to heart," from Latin ad "to" (see ad-) + cor
(genitive cordis) "heart" (used figuratively for "soul, mind"),
from PIE root *kerd- "heart."
0603考える名無しさん
垢版 |
2022/01/12(水) 11:12:33.800
493考える名無しさん2022/01/10(月) 10:19:53.800
1.0=(x^α)/(x^α)=x^0=1
分母と分子のx^αの間の「原始」の呼応関係は、
不特定の同一性を表す1によって代表させても、
変化がみられないことを表す指数の0によって代表させてもよい。
食べ物を何も味わっていないときの舌も、味覚が麻痺しているわけではない。
味覚について特定の変化を意識させない不特定の同一性の状態(心地)に
保たれているだけである。
0604塩なめくじ
垢版 |
2022/01/12(水) 12:06:06.38ID:dM8c2MU40
分母の因数にxを持ってくるときはx≠0を明記してくださいね。
0605時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/12(水) 12:45:06.010
>>594
私は、「病める畜群」という表現はどうかと思いますが。
面と向かって言えますか?
だから、ニーチェは政治家には向いていないと思います。
0606時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/12(水) 12:53:29.960
>>594
「予定された」は「救済者」等にかかると読んでいました。
0607時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/12(水) 12:58:49.450
>>596
相手に敬意を払うこと、暗黙知に敬意を払うことかもしれません。
0608考える名無しさん
垢版 |
2022/01/12(水) 13:22:56.940
https://ja.wikipedia.org/wiki/判断力批判
>本書の主要概念である「趣味判断」(または「美的判断」)とは、
人間が物事の美醜を判断する際、その判断の基準は個人の趣味
(ドイツ語: Geschmack ; 英語: taste)であるということを意味する。<

カントに依拠するまでもなく、「よし/あし」の区別は、その最も基本に
おいて、何らかの感覚の変化が「心地よき」/"agreeable"方に向かふもの
であるか、「心地あしき」/"diagreeable"方に向かふものであるかの
区別でしょう。最終的に完全に呼応関係の「心地よさ」/"accord"が
もたらされて、「心地あしき」ものである不調和が解消されたなら、
満足がもたらされ、物事を知覚し、認識するするものとしての意識の
働きは「わす(忘)れ」られる。
0609考える名無しさん
垢版 |
2022/01/12(水) 13:34:03.060
ここで留意しなければならないのは、意識の働きが「わす(忘)れ」られる
ことは、「意」が消滅することを意味しているわけではないということです。
そうではなく、「意」は「やすらふ」のです。

>446Wille zur Macht2022/01/04(火) 22:50:24.540
"true gratitude is to do what you can."
― "Ralph Waldo Emerson: Selected Essays, Lectures and Poems", p.74

457する=なる2022/01/05(水) 09:36:57.450
»Wille zur Macht«/"to do what you can"/「駿河なる富士の高嶺を」<

https://www.etymonline.com/search?q=agree
agree (v.)
late 14c., "to give consent, assent," from Old French agreer "to please,
satisfy; to receive with favor, take pleasure in" (12c.), a contraction
of phrase a gré "favorably, of good will," literally "to (one's) liking"
(or a like contraction in Medieval Latin) from a, from Latin ad "to"
(see ad-) + Old French gre, gret "that which pleases," from Latin
gratum, neuter of gratus "pleasing, welcome, agreeable"
(from suffixed form of PIE root *gwere- (2) "to favor").
0610考える名無しさん
垢版 |
2022/01/12(水) 13:46:14.390
これは、ここに引用する語源辞典の記載とも異なる私自身の異端的な解釈
ですが、私は、フランス語の《regret》に見られる"gret"も、《regretter》
という表現が日本語の「を(惜)しむ」にきれいに対応して「意に反する現状」
を指し示すように用いられることから、"agree"について記載される解釈と
同様に、>Old French gre, gret "that which pleases," from Latin gratum,
neuter of gratus<に対応するものと考えています。また、そのように
考えると、エマソンの>true gratitude is to do what you can.<という
表現も、十全に理解できるのではないでしょうか。
0612考える名無しさん
垢版 |
2022/01/12(水) 13:53:25.160
>「予定された」は「救済者」等にかかると読んでいました。

もちろん「救済者」にかかるでしょう。「救済者」の役割が予定されたもの
であるなら、「救済されるべき病んだ畜群」が生じることも、その仕組み
において同様に予定されていることになります。これにかんしては、
『善悪の彼岸・道徳の系譜』の方を参照してください。
0613考える名無しさん
垢版 |
2022/01/12(水) 14:51:25.180
>だから、ニーチェは政治家には向いていないと思います。

ニーチェは、政治指導者などになろうとしてはいない。
そのことは、ニーチェ本人が明言している。
ニーチェが何かの政治思想を訴えることで人々を導こうとしている
と考えることは、ニーチェの著作を根本的に読み違えていることになるだろう。
0614時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/12(水) 15:19:25.820
>>613
まあ、それはそうですが。
0615時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/12(水) 15:22:01.250
>>612
その予定には運命論的なものを感じます。畜群が畜群であるのも運命なのか……
0616時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/12(水) 17:28:05.840
>>614
なりたいなりたくないじゃなくて向いていないということですね。
0617時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/12(水) 17:34:24.760
>>612
しかし、病んだ畜群という言葉はどうにかなりませんかね……
0618考える名無しさん
垢版 |
2022/01/12(水) 18:15:29.210
私には「病める畜群」というのは、適切な表現であるように思えます。
「病気」のことを古語では「なやみ」と表現しました。
「なや・む」の「なや」は、ヤ行の活用から推察されるとおり、
「あしなえ(蹇・跛)」の「なえ」や「な(萎)え」と共通であり、
「な・ゆ」を活用して派生させたものであると考えられます。
「な・ゆ」は、支える力が抜けていくようなイメージで捉えることが
できると思います。力が失せていくと自らを支えられない。
支えられないなら、支えようとしている活動の方を縮小してゆけばいい。
それが禁欲主義であり、そのように導くのが「病める畜群の予定された
救済者」の役割です。だから、普通、そのような「救済者」の役割を
自認する者は、我が身の血となり肉となると考えられる肉食を断つのです。
0619時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/12(水) 21:18:15.210
>>618
「病める」は語源を出すまでもないでしょう。
「病にある」ということだと思います。
現代の平均的市民は結構健康的だと思いますが。
あと、「畜群」という表現はどうなのか。
0621考える名無しさん
垢版 |
2022/01/12(水) 23:09:42.580
ようやく訪れた»Genesung«の時を「直毘神(なほびのかみ)」の来訪として言祝ぐ
0623時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/13(木) 06:22:04.450
>>622
618さんは救われることは侮蔑的だと感じそうですね。
私は救われるものなら救われたいですが。:)
0624時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/13(木) 06:27:22.860
>>623
救いというか、真面目に考えると、
禁欲主義者は快楽主義者をアホだと思うし、
快楽主義者は禁欲主義者を「萎え」だと思うし、
ここを超えて行くことは大事なのかもしれませんね。
0626時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/13(木) 08:06:36.010
>>625
禁欲主義に導くのが欲だとすると目も当てられませんね。:)
0627考える名無しさん
垢版 |
2022/01/13(木) 08:19:08.180
ニーチェは、意欲を肯定しているのですよ。
良心の呼び声/悪の誘惑という対比について考えてみましょう。
良心の呼び声と悪の誘惑はどこがどう違うのか。

悪の誘惑とは、自らの欲を満たしてくれるものに誘われるままに
行動することが、一時的な快楽をもたらして我を忘れさせると
しても、最終的には意に反する「心地あしき」/"diagreeable"
結果につながる、そのような働きをする誘いかけ/呼び声のことでしょう。

それに対して、良心の呼び声とは、それに応じて行動することが、
自らが欲しない痛みや苦しみが生じることを一時的に、または
恒常的に伴ふとしても、最終的には、それを耐え忍ぶに十分に値し、
支払われる犠牲を上回る報酬として、意に沿ふ「心地よき」/
"agreeable"結果につながる、そのような働きをする誘いかけ/呼び声
のことであると考えられます。

すると、良心の呼び声/悪の誘惑の対比は、結局のところ、それに
応じることが、意に沿ふ「心地よき」/"agreeable"結果をもたらす
(自分の命を犠牲にしてでも自分が大切にするものを守るという場合も
含め)か、それとも意に反する「心地あしき」/"diagreeable"結果
をもたらすかという判定基準に基づいていることになる。
0628考える名無しさん
垢版 |
2022/01/13(木) 08:26:23.960
>禁欲主義に導くのが欲だとすると目も当てられませんね。:)

ニーチェは、禁欲主義は、「欲」を満足させる可能性を見失った「病める畜群」
の「欲」を救う方策であると指摘しているのです。

>人間は何も欲しないよりは、いっそむしろ虚無を欲する...
『善悪の彼岸・道徳の系譜』、ちくま学芸文庫、p.584
0629考える名無しさん
垢版 |
2022/01/13(木) 08:39:53.640
>いっそむしろ虚無を欲する

虚無を欲しても無論、何も得られないが、
「欲すること」だけは救われる、「欲することはできる」というわけです。
0630時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/13(木) 08:47:57.860
>>627
意欲は大切ですね。
良心の「呼び声」ということがポイントでしょうか。
宗教的なものを感じます。
近視眼的な善は良くないですね。
私の良心の呼び声はしっかりしているといいのですが。

>>628
消極的禁欲主義と積極的禁欲主義がありそうですね。
0631時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/13(木) 08:50:01.720
>>629
虚無を欲すという言い方はややこしいですね。
寧ろ、無いから欲するわけで。
0632考える名無しさん
垢版 |
2022/01/13(木) 10:14:24.760
ニーチェの言っていることは、日本語で考えるならとても簡単なのです。
それを分かりにくくしているのが、西欧哲学の言語使用の実践であり、
西洋哲学の言説を、日本語で考え直すことをせずに、そのまま日本語
の表現で置き換えようとする翻訳です。

最初から日本語で考えるなら、「水を!」というのが水を「欲する」
ことでしょう。ここで、「〜を!」は、「〜」を求める呼びかけです。
しかし、いくら「水を!」と呼びかけても、誰も/何ももそれに応へて
くれないならその呼びかけは無駄に終わり、「むな(虚)しさ」だけが
心に残る。すると、「水を!」と呼びかけることそのものを諦めて
しまう。それが日本語の古語の表現をそのまま用いるなら、
「いき(息)の『を(緒)』」、「たま(魂)の『を(緒)』」が
「た(絶)へ」るということであり、現代の一般的な日本語にするなら、
「生きる意欲」が失われるということです。「生きる意欲」を失った
人々は、生きることには苦痛でしかないと感じるようになり、
死ぬまで終わりのない耐えがたい苦難に直面していると感じるなら、
自ら命を断ってしまうことになる。そのような人々が「病める畜群」
です。その「病める畜群」の救済者として予定されているのが、
禁欲主義的僧侶であり、禁欲主義的僧侶は、自らが模範を示して、
人々が現世における何らかの対象を欲する代わりに、つまり、
「〜を!」の「〜」に現世的な事物を代入する代わりに「無」を
代入するように人々を導くのです。呼びかけが「無を!」であれば、
それに応へるものとして何も手に入らなくても呼びかけが無駄に
終わることはない。つまりは、生きる意欲である「〜を!」そのもの
が救われることになる。
0633考える名無しさん
垢版 |
2022/01/13(木) 10:15:00.890
しかし、ニーチェは、そのような禁欲主義的僧侶の導きが、形式的に
「〜を!」=意欲を救うとしても、それが「無を!」という呼びかけ
に従うように人々を誘い込むものである以上、結局は、「病める畜群」
の病状を恒常化させ、深刻化させることにしかならないと批判して
いる。そこで、ニーチェが。やまひ(病)を癒へるために必要である
としているのが、「〜を!」の「〜」に「無」を代入することを
拒絶し、その「無」を「できること」、すなわち、»Macht«で置き換える
ことです。それがまさしく、ニーチェの»Wille zur Macht«/「できることを!」
という表現の意味に他ならず、これはエマソンの次の表現をそのまま
受け継ぐものであるものと見ることもできる。

"true gratitude is to do what you can."
― "Ralph Waldo Emerson: Selected Essays, Lectures and Poems", p.74

さらにここから、

>457する=なる2022/01/05(水) 09:36:57.450
»Wille zur Macht«/"to do what you can"/「駿河なる富士の高嶺を」<

という関係を導くこともできる。
0634考える名無しさん
垢版 |
2022/01/13(木) 10:16:53.180
誤:西欧哲学の言語使用の実践
正:西洋哲学の言語使用の実践
0635考える名無しさん
垢版 |
2022/01/13(木) 10:18:36.290
誤:やまひ(病)を癒へる
正:やまひ(病)が癒へる
0636考える名無しさん
垢版 |
2022/01/13(木) 10:24:41.260
このように見ると、»Wille zur Macht«を「権力への意志」などと訳す
ことが、本当は容易に理解できるはずのニーチェの言説を解釈することを
いかに無用に困難にしているか分かるでしょう。また、日本語の古語と
ニーチェの表現の対応関係を見るなら、日本語は哲学をするのに向かない
言語であるなどという、日本語の哲学研究者によってさえしばしば
なされる主張がいかに馬鹿げたものであるかも明白となるはずです。
0638でこすけ
垢版 |
2022/01/13(木) 12:19:09.410
>>573
>知ったら後悔するほどの「本当に知りたいこと」が本当なら
>それは一体なにか?関心を持つのが普通かなと思います
今更ながら私の言葉が足りなかったようで申し訳ありませんになりますけど、
「知ったら後悔すること」について、
あの時点では哲学的知識に限らず、もっと一般的なことを想定していました。
一般的に言って「クビを突っ込まなければよかった」というのは哲学者に限らず
誰にでもあり得ることだと思います。

ところで私としては「知ったら後悔すること」よりも 「知ったら怖くなること」
の方に関心があるので、 ご指摘のことについては貴重な意見として受け止めさ
せていただいているつもりです。
私(でこすけ)に限らず誰にでも普通とのズレがあるとは思いますが、
私にも自分ではけっこう自分の感性が普通だと思っている傾向はあるので
そのような視点は大変興味深いところです。恐縮です。
0639時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/13(木) 12:27:40.780
>>632
息の緒が絶へるや魂の緒が絶へるより、
生きる意欲が失われるの方が私には解りやすいです。:)
生きる意欲……ご飯が美味しいというだけで
楽しく生きる人もいるとは思いますが。
ニーチェは何故病める人々に畜群とキツく当たるのか不可解です。
生きる意欲のない人々は、「生きる意欲を!」と
日々心懸けていればいいのではないでしょうか。
私は似たような言葉として、「克己心」という言葉は好きです。
また、キリスト教的な、聖霊が導いてくれるという考えを
毅然と否定する必要性もよく解りません。
0640考える名無しさん
垢版 |
2022/01/13(木) 13:07:26.830
>誤:やまひ(病)を癒へる
>正:やまひ(病)が癒へる

病を「癒(いや)す」という表現から考えて、「癒へる」ではなく、
「や行」の活用(「ゆ」の活用)で「癒える」とすべきでした。
訂正します。
0641考える名無しさん
垢版 |
2022/01/13(木) 13:12:28.340
>ニーチェは何故病める人々に畜群とキツく当たるのか不可解です。

予定された救済者におとなしく従順に誘導され、同じように誘導されない
者に憎悪を向けるからですよ。
0642でこすけ
垢版 |
2022/01/13(木) 13:16:49.470
>>574
これまた例によって栗本慎一郎なんですけど、
確か彼が一躍世間に名前を売った『パンツをはいたサル』だったと思います。
彼によると執筆の動機は「怖いことを自分の中にだけしまっておくことに
耐えられなくなった」みたいなかんじのはなしでした。
それがどこまで本当なのかはともかく私がクリモトから学んだ最も重要なことは
「真理というのは怖いことだ」ということだと考えることにしています。
実際に私もクリモトの本を読んで怖くなったのです
(中毒症状もあったわけです)。
0643考える名無しさん
垢版 |
2022/01/13(木) 13:17:10.510
ただしこの「コワい」という感覚も「真理」とは本質的には関係ないものだ
という認識はあるつもりです。
私がたまたま知っているのは物理学者のラザフォード先生のエピソードです。
ラザフォード先生は原子核を発見した人で
それはつまり原子の構造を解明したということになるようです。
当初は原子の中に電子などがどのようにして収まっているのかが
もちろんわからなかったわけですけど、彼がその問題に決着をつけたわけです。
そして、そのことは優秀な物理学者が大勢輩出された時代であり
研究の成果は早いものがちのような風潮がある中だったので、
つまり競争に勝ったみたいなところもあったようで、
後にお弟子さんが「原子核を発見したときは嬉しかったでしょ?」
と聞いてみたという話があります。
物理学者もやはり人の子で、そういうことにも関心はあるようです。
ところがラザフォード先生は「むしろコワくなった」と答えたというのです。
「世界に隠されていた真理を知ってしまった!」
という感じでしょうか、このことは私には大変興味深いことのように思えます。
もちろん今の科学的認識からすればいろいろなことがあるかもしれません。
しかしこのことから言えるのは「知識は人間にとって脅威になり得る」
ということだと思います。

さて、個人的にはここで気になることがあります。
この「畏怖」は偶然なのか必然なのか、
つまり何らかのシステムが私達から真理を遠ざけるためにそのように設定した
のか否かです。
私達が地震だの雷だのをコワいと感じるのはそのように設定されたからだと思う
のですが、真理も同様にヤバいものとして登録されているということでしょうか?
意識の構造が気になってくるところです。
0644考える名無しさん
垢版 |
2022/01/13(木) 13:17:53.460
呼びかけの「〜を!」は、フランス語の《vouloir》に相当するわけですが、
私自身の以前の書込みを引用しましょう。

851考える名無しさん2021/05/30(日) 07:25:39.320
>>788
>「後悔」を表現する《s'en vouloir》の関係を考察してみるなら

ここでは、辞書の記載そのままに、《s'en vouloir》が「後悔」を表現する
としたが、文章表現において実際に訳語をどう当てるにせよ、その表現の論理と
しては、フランス語が再帰表現なのだから、その対応関係を意識すべきであり、
《en vouloir à qn》が、「(人)を恨む」ことを表現するのに対応して、
《s'en vouloir de 〜》は、「自分を恨む」ことを表現しているとまずは解釈
した方がよい。
したがって、
《Je m’en veux d’avoir fait cela.》は、「それをした自分をうら(恨)む。」であり、
《Il s'en voulut de sa stupidité.》は、「彼は自らの愚かさをうら(恨)んだ。」である。
0645考える名無しさん
垢版 |
2022/01/13(木) 13:18:45.900
852考える名無しさん2021/05/30(日) 08:53:04.170
したがって、ニーチェが、禁欲主義的な僧侶の「をし(教)へ」に従うことを
畜群倫理として批判するとき、ニーチェは、人々が「恨みを抱く」ことを
単純に批判しているのではない。そうではなく、ニーチェがまず指摘して
いるのは、その「をし(教)へ」が導こうとしているのが、苦悩している人々
の抱く恨みの方向転換、すなわち、苦悩していて、そのことに対して
恨みを抱くなら、「自分自身を恨め」という方向転換であることである。

しかし単に、苦悩している人々に「それは自業自得だ」と説いてもすんなりと
受け入れられるはずはない。では、その方向転換は、どのように動機づけられる
のか。それは、苦悩している人々に対して、「その苦悩は、あなた自身の
せいだ(罪/負債によるものだ)」と呼びかけるのではなく、「その苦悩は、
あなた自身を含む、あらゆる人々のせいだ(罪/負債によるものだ)」と諭す
ことによってである。そのような呼びかけによって、苦悩する人々にとって、
「決して返済することのできない『罪/負債』」が、自らを含め、あらゆる
人にあると率先して認めようとすることが、自らに有利に働くように見える
「負い目の遠近法」が与えられるのである。そのような「をし(教)へ」が
人々によって受け入れられることによって確立されるのが、「罪/負債」
の一方向化であり、苦悩する人々が、「自分自身を恨め」という恨みの
方向転換に、「負い目の遠近法」を利用してあらゆる人々を巻き込もうと
することの正当化である。
0646考える名無しさん
垢版 |
2022/01/13(木) 13:21:12.130
852考える名無しさん2021/05/30(日) 08:53:04.170
しかし、そのような「をし(教)へ」による導きには、解消され得ない
根本的な矛盾がある。というのも、「決して返済することのできない
『罪/負債』」があらゆる人々にあるとしても、その「罪/負債」の
方向性は、まさにそのことによって誰にも定めることができないはず
だからである。「をし(教)へ」が、そのような「罪/負債」の一方向性
をあらゆる人々が認めさせようとするなら、その導きは、「罪/負債」
の方向性を定めることができる「神の代弁者」、ニーチェの表現を
借りるなら、「神の腹話術師」(それが制度宗教を離れた脈絡では、
「科学者」、「専門家」と呼ばれるとしても)を必要とするのである。
0647考える名無しさん
垢版 |
2022/01/13(木) 13:22:07.750
825考える名無しさん2021/05/29(土) 09:25:26.330
さらに、このような負い目の遠近法は、自発的従属による全体主義的な便乗
の暴力崇拝と極めて親和性の高いものなのではないか。
0648でこすけ
垢版 |
2022/01/13(木) 13:22:52.280
>>643
これはでこすけでした。

ちなみに「恐怖」は脳の中でも「脳幹」と呼ばれる
もっとも原始的な部位で感じるということを聞いたことがあった気がします。
「恐怖」は人類が誕生するずっと前からあった可能性があるということです。
0649考える名無しさん
垢版 |
2022/01/13(木) 13:28:12.130
「絶へる」の方も「絶やす」から考えるなら、「絶える」ですね。
訂正します。

日常の地の文で旧仮名遣いを使うことを習慣としていないので、
他のことに気をとられて書いていると、どうしても混乱してしまいます。
0650考える名無しさん
垢版 |
2022/01/13(木) 13:39:40.710
「負い目の遠近法」を不特定多数の人々に押し付けようと日々活動
しているのは、どのような社会的立場にある人たちでしょうか?
0651時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/13(木) 18:56:13.920
>>641
私の知っているクリスチャンは憎悪しませんよ。

>>642-643
怖くなった事は、例えばどのようなことでしょうか。
ラザフォードの場合は、科学史に名前が残ることへの畏怖ではないでしょうか。
知識自体に畏怖はあるのかな。
0652でこすけ
垢版 |
2022/01/13(木) 21:22:08.240
>>651
たとえば私たちが「見えざる手」のコントロールを受けているかもしれない
というのは怖いことではありませんか?
自由意志で選択したつもりでいてもじつは暗黙のうちに選ばされていたりする、
ひょっとすると何者かによるステマに影響を受けていたりなんかするのは
とてもヤバいことのような気がします。
クリモトで印象に残っているのは「都市」についてです。
都市の造りには人間の深層意識が反映している、
たとえば世界中で人間には「聖なる空間」を作り出す習性があるとか、
これは京都でも東京でもそういう傾向があることが地図からでもわかりますし
私が生まれ育った町でもそうなっていたというのは
(そして実際にそこに行ってみると確かに独特の雰囲気があったりします)
何者かによるコントロールを受けているようで
なんだか怖いことのような気がしたものです。
ちなみにそういったことを抽象的に表現すると
ズバリ「自分の正体」になると思います。
「世界」は自分の鏡像かもしれませんからそういう意味でも真実は怖いもの
ということになります。
ただし「自分の正体」は「楽しい知識」でもあり得るものです。
自分について知りたいと思う、
このスレを見ているような人はつうしんぼとか楽しみだったクチではないか
と思うのですが、いかがでしょうか。
なんとも微妙なお話です。
0653でこすけ
垢版 |
2022/01/13(木) 21:48:39.360
原子の構造について、私たちは学校で教わったりするわけですけど
たぶん「へえ、そうなんだ」くらいのものだと思います。
しかし人類史上で初めてそのことを突きとめた人にとっては
何か取り返しのつかないことをしてしまったかもしれない
という感覚があっても不思議でないと私には思えます。
神の存在を信じていない人であっても
天罰が降るような「コワさ」を感じることはある気がします。
あるいは宗教などでもある種の知識をタブーにすることがあるようですが
「知識」というよりも「知ろうとすること」がヤバいのかもしれません。
0654考える名無しさん
垢版 |
2022/01/14(金) 01:08:01.980
対象として目の前にあるように見える事物は、「目の前にある」/
»vorhanden sein«という在り方をするよりも先にまず、「呼びかけの『を』」
に呼応する「こた(応)への『を』」として現れる。その現れ方を説明するための
アプローチとして、特に「て(手)ごた(応)へ」を利用したのが、ハイデガーの
「手頃にある」/»zuhanden sein«という表現であると考えることができるが、
日本語では、作用を働かせる対象物は「〜を」として示されるので、日本語の
表現の用法そのものにより、ハイデガーの説明よりもさらに一般的なレベルで
既に哲学的な解決が示されてしまっているとも言える。
0655時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/14(金) 01:21:30.760
>>652-623
見えざる手に関しては、私は運命論者ですから、
あまり怖くないかもしれません。
都市に聖なる場所のあることは、まあ文明かなと思います。
「自分の世界」という考えは、面白いですね。
あまり怖くないかもしれません。

神に、「それで正解だ」と言われたら畏れ多い、
そういうようなことかもしれませんね。
私は神や聖霊の存在は信じていますから、
そういうようなことがあっても不思議ではありません。
0656考える名無しさん
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2022/01/14(金) 04:50:07.170
>>653
ガキの頃からそうか?
違うならただのトラウマだw
0657考える名無しさん
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2022/01/14(金) 09:19:09.480
>>653
宗教が「知識」と呼ぶのはただの嘘だからな
それに対して科学上の知識に対して恐れる必要はないし、恐れるような人はいないんじゃないか
原子の構造が分かったくらいでなぜビビるのか分からん
0658考える名無しさん
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2022/01/14(金) 09:44:07.250
畏れも怒りもともに解消されるべきものであって、それを抱えつづける
ことが正しい畏れ、正しい怒りなどというものはないのです。

「怒っている」/"angry"相手が「恐ろしい」/"fearful"であるように、
怒りと畏れは表裏の関係にある。
「怒り」とは、「心地あしき」/"diagreeable"さは(障)りをもたらす
ものを委縮させて無化しようとするように振る舞ふことであり、
同様に、「畏れ」も「心地あしき」/"diagreeable"さは(障)りを
無化しようとすることですが、「怒り」とは逆に、みづから(身づ柄/自ら)
が委縮することによって、さは(障)りが生じるのを回避しようとする
ように振る舞ふことなのです。その回避がうまくいかないところで
「ねぎ(禰宜)」/"appeasement"(「ねが(願)ひ」はその再帰形)が
執り行われる。
0659考える名無しさん
垢版 |
2022/01/14(金) 09:47:14.560
誤:"diagreeable"
正:"disagreeable"

誤りをコピペしていたので、気づかないまま、ずっと誤記を複製しつづけてしまいました。
0660でこすけ
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2022/01/14(金) 10:51:28.480
>>657
その昔『羊たちの沈黙』というサイコホラー映画がありまして、
私は淀川長治氏の解説のテレビ番組で見たんですけど
その解説が大変印象に残っています。
物語はいわゆるシリアルキラーを扱ったものでしたが
解説によると本当に怖いのはそのような人たちではなくて
むしろそのような人たちに対して「沈黙している羊たち」だというのです。
いつ56されるかもわからないのにまったく危機感ゼロというのは
淀川氏が言う通りコワイコワイおはなしのように私には思えます。

ただ、このコワさが多くの人にとってわかりにくいものかもしれない
というのはわかるような気がします。
ことさらな危機感を持たなくても生きていける、
豊かな社会というのはそういうもののようです。
0661でこすけ
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2022/01/14(金) 11:04:10.040
>>658
>正しい畏れ、正しい怒りなどというものはない
私も以前だったらそう考えたかもしれませんけど
最近考え方を改めました。
世界は善によって治められるべきだと思っていたのですが、
あるいは最後には善が勝つと思っていたのですが、
どうやら善と悪とでバランスをとっていくのが正解のように思えてきたのです。
これは善と悪というよりもライトサイドとダークサイドというニュアンス
かもしれません。
いずれにしても行ったり来たりすることに意義がある気がするのです。
どうやら『スター・ウオーズ』の影響のようです。
0662考える名無しさん
垢版 |
2022/01/14(金) 11:08:02.100
>>661
「悪のあるべきかたち」などは有るわけが無いけれども
「善のあるべきかたち」というようなものも無い、
ということでしょうか。
0663考える名無しさん
垢版 |
2022/01/14(金) 11:40:35.540
「神の怒りに触れる」というのも、「人々が何か神によって定められた
特定の決まりごとに違反する行為をした」ということではなく、
何か恐ろしい("fearful")出来事が生じて、その恐ろしい出来事を
「畏れる」ことにより、それが何かの「さは(障)り」によって
もたらされたものと解釈され、いずれの神にとって、またどのように
して「心地あしき」/"disagreeable"さは(障)りが生じたのかが
探られるのです。それをうまく探り出すことができる者が優れた
「かむ(神)なぎ/巫」とされる。
0664考える名無しさん
垢版 |
2022/01/14(金) 11:49:30.800
>>663
このように考えると、欧米の思想哲学の言説が、いかに神学を脱しようと
する試みをずっと続けてきたにしても、いまだに制度化された一神教の
神学の重力圏をうまく脱することができていないことが見えてくるでしょう。
そのことは、最近のコロナ禍や環境問題に対する欧米の思想哲学の言説にも
典型的に見てとることができるのではないでしょうか。
0665考える名無しさん
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2022/01/14(金) 14:58:01.600
>>638
なぜに一般的なことを想定して、「知ったら後悔するほどの本当こと」
云々と書き込んだのかわかりませんが、ようするに
知ったら後悔するほどの本当に知りたいことを、実際に体験して
知ってしまった話がもとネタになってたわけじゃないんですね
科学史に名前が残るほどの事を発見したラザフォードと
重ね合わせたかのような表現に見えて、盛大に誤解してしまいましたw
まぁ、実際発見していないうちから想像してもしょうがないんじゃないですか
0666考える名無しさん
垢版 |
2022/01/14(金) 19:35:16.730
>At this moment, the desponding patriot says, the present is
full of fear; but in all ages the present is full of fear.<

Ralph Waldo Emerson, "Selected Essays, Lectures and Poems", p.81
0667考える名無しさん
垢版 |
2022/01/14(金) 22:21:45.970
いちばんおまえらが恐れなければいけない現実は人はいずれ死ぬということだけどなw
0668考える名無しさん
垢版 |
2022/01/14(金) 22:39:47.730
いずれ死ぬにしても人は自分の死を意識できない、従って生きている間から死を恐れるでない不毛すぎる
0669考える名無しさん
垢版 |
2022/01/15(土) 04:19:01.890
自分だけは死なないと思ってるのかこのパイパンはw
0670考える名無しさん
垢版 |
2022/01/15(土) 08:47:17.010
少なくとも宗教教義が真理=知識と思っているアホには哲学はできないw
0671考える名無しさん
垢版 |
2022/01/15(土) 09:19:36.540
より重要なのは、宗教(神学を含む)であれ、哲学であれ、科学全般を
含むその他の学であれ、制度化するとはどのようなことなのかを
しっかりと省察することだろう。制度化は統治形態と直結している。
0672時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/15(土) 09:47:29.600
>>671
宗教に関しては、当事者に任せるしかないかもしれない。
その結果、カルトのようなものが現れるとしても、
自由はそれよりも尊いだということだろう。
伝統的宗教の他はカルトだというのは言い過ぎかもしれないが、
長い年月の間、存続してきたことには価値はあると思う。
0673考える名無しさん
垢版 |
2022/01/15(土) 10:34:15.660
>Anger's my meat. I sup upon myself,
And so shall starve with feeding.<

William Shakespeare
1608 Volumnia. Coriolanus, act 4, sc.2, l.53-4.
0674学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士
垢版 |
2022/01/15(土) 10:38:03.700
青白き震える焔。
0675学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士
垢版 |
2022/01/15(土) 10:52:59.520
殺陣とホコ天
0676学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士
垢版 |
2022/01/15(土) 10:53:33.660
ゼノンのパラドクスは練り不足。
0677学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士
垢版 |
2022/01/15(土) 10:55:57.410
青いヒノカクグチ 合体銃ブラフマーストラ。
0678学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士
垢版 |
2022/01/15(土) 10:57:15.740
聖呪殺 ハンマムド みたいな魔術もあるで。攻撃回数〜6
0679学術@死廃神酔天魔法狂廃遊舞鬼神龍騎禅軍呪妖幻術医師悪魔召喚居士
垢版 |
2022/01/15(土) 10:57:37.980
みたいにハープレすればいいじゃん。
0680でこすけ
垢版 |
2022/01/15(土) 13:00:05.650
>>671
私としても、たぶん、そういうことなのだろうと思います。

すると率直にうかがってみたくなるわけですけど、
671さんは制度とはどのようなことだとお考えになりますか?

ちなみに私の考えですけど、一番大枠のざっくりになりますが、
それはアイデンティティを維持するための“手段”だと思います。
「統治」にからませて言うと、「統治」というのは統治する側以上に
統治される側のアイデンティティを確保するシステムというかんじです。
この考え方は「世界」を「意味の階層」として解釈することを前提にしたものです。
私にはこの前提がとりあえずしっくりくる気がします。
0681悔い改めよ
垢版 |
2022/01/15(土) 13:15:13.960
>>673
「後悔」や「悔恨」というのは、みづから(身づ柄/自ら)に
「悔い」/"remorse"/»Gewissensbisse«を生じること「=(く(食)ゆ)」
であって、それは、みづから(身づ柄/自ら)に向かふように
方向転換された怒りでもあるのですよ。
0682でこすけ
垢版 |
2022/01/15(土) 14:04:36.450
「意味の階層」の付近について

私は、私が認識する世界は意識の外側がまんま反映されているものではなく、
認識する側が意味を与えているものだ、という考え方の方を支持します。
たとえば目の前にセザンヌのリンゴの絵があるとしましょう。
しかし私たちは「リンゴ」というものを知らなければ
そこに「リンゴ」と「その背景」との境界を見出すことはできないでしょう。
私には「リンゴ」というのは客観的な「存在」ではなく
主体によって意味を与えられた「意味」にすぎないもののように思えます。
これは「リンゴ」という物体は存在していないという意味です。
それが実際に存在しているかのような気がするのは
それが共同幻想であるためだと考えます。

私としてはそれが実際に存在しているかのような気がする理由にはもうひとつある
と考えます。
それは「色(映像)」というものは意識が無くてもある気がするということです。
私が漠然と思うに、「色」というものも「リンゴ」と同様に
それが「色」というものであることを知らなければ「色」は成立しない気がするのです。
「主体」は誕生した瞬間、周囲の雑多な情報をとりあえず的に受け止めるだけのもので、
つまり初めは「色」も「音」も「感触」も区別がつかない状態のような気がします。
もはや全く情報が混沌としている状態です。
しかしやがて「色」を「色」として「音」を「音」として区別できるようになります。
これはそれぞれの感覚にそれぞれの意味を与えるということだと思います。
たとえば舌に感じる「痛み」は場合によっては「辛さ」として認識されます。
感覚は客観的要素のみで生じるものではなく、主体がかかわるということです。
0683でこすけ
垢版 |
2022/01/15(土) 14:07:29.110
>>682のつづき
さて、それでも意識の外部には主体が存在するしないにかかわらず
「色」や「音」はある気がします。
生まれたばかりの「主体」はそれを知らないだけというかんじです。
しかしもうちょっと考えたとき、これは本当にそういうことなのだろうか
という疑問を持ちます。
私たちが認識する「世界」は私たちが存在していなくても成立しているのか、
あるいはそれは私たちが「外側」を解釈したものに過ぎないのか、
私にはそれは私たちの心の中でしか成立していないもの(共同幻想)
のように思えるという、要は私個人の印象です。

私が認識している「世界」は、先ず私が居て、それから私以外のものがあるのではなく、
先ず私以外の何かが存在していて、その流れで私も存在しているように思えるのです。
ただし「私以外の何か」というのは普通イメージされているものとは全く違うもの
というのが私の印象です。
「人間がいなくても認識されている通りの世界は存在する」という考え方には
じつは先ず人間が存在していることが暗黙の前提になっているように思えます。
ややこしいですけど。
0684でこすけ
垢版 |
2022/01/15(土) 16:27:52.830
>>546
私は人間の社会が必ず良い方向に向かっていくとは思いませんけど
しかしある程度で意図的にそちらへ向かわせることは可能であろうとは考えます。
鍵になるのは経済的な豊かさ、つまり「衣食足りて礼節を知る」というやつです。

たとえば縄文時代の列島社会はたいへん治安(?)がよかったのだろう
と考えられているようです。
縄文時代の遺構から人を56せる威力が発揮できる道具が発掘されていないため
そのように解釈されているとのことですが
(海外ではそのようなものが普通に出てくるそうです)、
とにかく列島は自然が豊かだったでしょうから金持ちけんかせず状態だった
というのもうなずける気がするところです。
ただ、貧困と貧乏は違うという考え方もあるようですから、
たとえば幕末だか明治だかに来た西洋人が当時の農村を見て
貧しいけれどもみんながニコニコしていたみたいな記録を残したりしていて、
物質的な豊かさだけが全部ではない気もしますけど、
しかしやっぱり貧すれば鈍する可能性は高くなる気もします。
これまたややこしいところです。

ただまあ単純に、誰かがひもじい思いをする世の中は是正されるべきだ
という、ありきたりな結論があってもいい気はします。
0685非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2022/01/15(土) 16:50:20.790
「意味の階層」
モダリティ関連かな、とも思う。
「階層意味論」などというものもある。
モダリティは「主観性」でもあるのだが、それはsubjective modalityであり、
objective modalityも考えられる。
「可能性」のようなものは、objective modalityだとされているが、
客観性があるものなのかどうか、ということは、疑問だ。
「可能性」であっても、「主観性」で捉えて/捕らえて/囚えてwしまってもかまわない。
0686でこすけ
垢版 |
2022/01/15(土) 16:50:28.890
>>684
私はここでもっぱらマルクスを引っ張ってきます。唯物史観です。
ただ、マルクスがみんなで働いてみんなで分け合うことを理想としたことに
若干のいちゃもんをつけたい気持ちがあります。
私は普通の人の理想はぶっちゃけ土鈴経済だと思うのです。
もちろん自分は主人になるのであって土鈴になりたいわけはありません。
しかし土鈴はまんまだとAIに引っかかるかもしれないヤバいものですから、
ところがここでAIが登場するわけです。
土鈴経済ならぬAI経済です。
AIが富を生み出し人間がそれを消費する社会、ベーシックインカム万歳、
シンギュラリティはネガティブなイメージですけど、私はむしろ良くなる気がします。
もちろんそうなったらそうなったで何かの社会問題が生じるでしょうけど
その時代にはその時代に相応の天才たちが現れるでしょう
(私たちはその天才たちの先駆者になれたらいいと思います)。
私ははなはだ楽観的なのです。
0687でこすけ
垢版 |
2022/01/15(土) 17:08:31.200
>>685
なるほど「可能性」は確かに不可解です。
たとえば世界の始まり以前がどうだったのかがよくわかりません。

パクらせていただきたく存じます。
0688考える名無しさん
垢版 |
2022/01/15(土) 17:26:37.320
世界の始まり?
脳が悪魔に支配されているカルト信者に哲学は無理だろう
諦めろ
哲学は自由な精神の者のためにある
奴隷の学問ではないのだ
0689非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2022/01/15(土) 17:37:23.130
そう考えるなら、モダリティを含めて、
「意味」とは「主観性」である。
客観的意味は「誤読と幻想」であるw
「主観主義」における「(主観的)客観」は「誤読と幻想」にすぎない。
「誤読と幻想」を、単に「主観」とするならば、
「主観主義」における「客観」は「主観」であり、
「客観主義?」における「主観」は「客観」である。
0690非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2022/01/15(土) 21:40:18.040
「可能性は客観か?」
表裏の区別のつくコインがあるとする。
とりあえず、そのコインそのもの客観性は先送りして、表裏だけは客観とする。
コイントスによって表か裏が出る(それ以外は無いのだと、理想化する)。
表裏どちらが出るのかは(現実を無視して理想化して)確率1/2と(推定)する。
これは「可能性」である。
表裏が「客観」だとしても「可能性」も「客観」なのか?

「観察」あるいは「認識」によって「確認」されたものなら「客観」であるが、
まだ、コイントスをしていない。

「主体」から独立した「客体」としての「事物」であれば「客観」である。
これは「実在」である。
でも、まだコイントスをしていない。
「結果」は(「現在」において)「実在」していない。

「可能性」は「客観」ではなく、「主観」であるw
「主体」から独立して「存在」するものではない。
0691非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2022/01/15(土) 22:07:59.070
「本当に『可能性』は『客観』ではないのか」

「主観」から独立した「実在」としての「客観」ではない。
だが、それだけが「客観」なのか、と考えてみる。
「主観」から独立していない「客観」。
完全に、「主観」に取り込まれているのならば「主観的客観」である。
ここで考えたいのは、「主観」から独立しきれていない―中途半端な―「客観」。
これは「共同幻想」であり、それは「上部構造」である。
「階層」だ!
0692考える名無しさん
垢版 |
2022/01/16(日) 00:39:46.670
いまさらながらだけど、ドイツ語の»Lockvogel«って、
»Lock(を≒呼び寄せる)vogel(鳥)«⇒「囮(を・とり)」だから、
日本語と表現の構成がまったく同じだよな。
0694考える名無しさん
垢版 |
2022/01/16(日) 04:05:29.960
「主観」はアート(自己幻想)で、「客観」はサイエンス(共同幻想)かも
「可能性」はGood Times Bad Times (© Led Zeppelin)ごた混ぜの対幻想か
0695考える名無しさん
垢版 |
2022/01/16(日) 04:11:02.170
アブジェクシオン(abjection):おぞましさ

廃人の歌 吉本隆明
ぼくが真実を口にすると ほとんど全世
界を凍らせるだろうという妄想によって
ぼくは廃人であるそうだ
0696でこすけ
垢版 |
2022/01/16(日) 04:47:09.690
>>688
私にはとりあえず「時間」には始まりが「有る」のか「無い」のか
ふたつにひとつのように思えます。
「有ると同時に無い」というのは無い気がします。
これは私にはいずれかを確定できる能力はないけれども
とにかく答えはどちらかであろうということです。

そこで漠然と思うわけですけど
「始まりは無い」というのはあり得ない気がしますが、
つまり「今日」には必ず「昨日」あるとすると無限に遡ることになるので
「昨日」が何故あるのかを体系内で説明できなくなってしまいますが、
しかし「時間に始まりは有る」というのは、
何故始まったのかがわからなかったとしても、
そのようなことがあってもいい気がします。
「時間の始まり」はそれ以前が無いということですから
論理的にはその原因は無いことになりますが、
しかし「因果律」は予めあったものではない、
私には「因果律」は主体があとからつくったもの(幻想)のように思えるので、
個人的には原因が無いことはことさらに不自然なことではない気がします。
実際に「ビッグバン」と言われる現象があったとされていますし、
量子の世界では原因のない現象が起こるともされているので、
とりあえず目下の観測事実とも整合します。

しかし確かニーチェは世界に始まりは無い派だったと思います。
「昨日が無いということが有るわけが無い」みたいなことを言っているのを
どこかで読んだ気がします。
私にはどうしてもそれはそれで不自然な気がするのですが、
印象には個人差があるということなのでしょう。
あるいは世界には始まりが有ると同時に無いということさえも
あり得るのかもしれない、とか思ったりします。
0697でこすけ
垢版 |
2022/01/16(日) 05:01:07.610
>>696
「今日には必ず昨日が有る」ということを主張するためには、
最終的には、つまり論理的には辻褄のあう説明ができたとしてもそれ以前に、
観測事実が必要になると思います。
これは「時間には始まりが有る」でも同じことではありますけど、
「始まりは無い」には問題の先送り感があって、
オッカム先生のチェックが入りそうな気がします。





苦しいかな
0698でこすけ
垢版 |
2022/01/16(日) 05:31:09.560
>>690
>コインそのもの客観性は先送り
私はここで先送りをせずに、徹底的に詰めることが望ましいように思えます
(超球面さんはカードを隠し持っていそうな気がしますけど)。
「コインとは何なのか」そのようなものが認識される仕組み
(存在する仕組み以前に認識される仕組み)です。
そのレベルでの「可能性」を模索しなければ本当の意味が無い気がするのです。

そういうわけで私は「因果律」にははなはだ懐疑的で
それに変わって「確率」に目星をつけていました。
ところが今回超球面先生からそいつにも待ったをかけられたわけです
(これはひょっとすると量子論に対する挑戦状ではありませんか?)。
真犯人は誰なのか、「CDT」なのか「誤読」なのか「幻想」なのか、
あるいは新展開でしょうか、
また名前が長くなるのか気になるところです。
0699でこすけ
垢版 |
2022/01/16(日) 07:19:38.580
>>698
科学の黎明期の科学者は自然法則を「神が決めたルール」として理解していた
というふうに聞いています。
ところがやがて「神とは関係なくてもよくね?」という風潮が蔓延したようです。
神が存在しなくても自然法則は成立し得る気がするわけです。

同様と言えるのかどうかはわかりませんけど、
私には「認識」の構造を充分に分析すると
「存在」という概念がことさら必要では無くなる気がするのです。
「ドラえもん」が実在しなくてもテレビ画面に映ることがあるように
「リンゴ」は存在しなくても認識されることはあり得ると思うわけです。
それは見える物に香りがあって、触れば手触りがあって、噛じれば味がして、
そしてそのような体験を複数の主観が共有するということです。

ただ一方では「我思う故に我あり」と言ったりします。
私には存在していると言い得るのは私の主観だけであり、
間主観も多分存在しているとは思うんだけれども、
しかし主観が認識している対象が存在していると言うためには
何かの証拠が必要になる気がするのです。
0700でこすけ
垢版 |
2022/01/16(日) 09:06:49.230
>>699
しかし私の主張でネックになるのは「どのようにして共同幻想が成立するのか」
です。
これはぱっと見たいへん困難な印象を受けるため
いきおい唯心論的なものには懐疑的にならざるを得ないというのもわかるところです。
そこで漠然としたものではありますが、そのイメージです。

たとえばたぶん私たちの多くは幼いころ誰から教えられたわけでもなく、ふと
「この世界にいるのは本当は自分だけなのではないか」
というなから衝動を体験していて、
そしてのちに「唯我論」という言葉を覚えるのではないかと思います。
何故私たちはそのような体験を共有するのか、
私にはそれはただの偶然のように思えます。
たとえば何らかの「力」が働いて必然的に誘導されているわけではない気がするのです。
たとえばすべての子供がそのような衝動を体験する必然性はない気がするのです。
共同幻想はたまたま成立することもあるということです。
0701でこすけ
垢版 |
2022/01/16(日) 09:12:24.910
>>700つづき
主観的なものは誕生した瞬間、その内部の様相はひたすらランダムであろうと察するのですが、
そこで絶え間なく流転する混沌にもある瞬間、つまり偶然意味が生じることは
あり得る気がします。
たとえば無限の営みの中ではたまたま配られた5枚のカードが
たまたまロイヤルストレートフラッシュということも、
むしろそれが無限の営みであればもはや何度も起こる気さえするわけです。
私は以前、最も原始的な共同幻想の候補として「外部」をあげましたが
そのくらいであれば偶然でも充分な可能性はある気がします。
個々がバラバラに「外部」に気付くのです。
ただ、問題はずっとあとになってからです。
「リンゴ」でも「コイン」でも、それが共同幻想だというのであれば
それらも偶然だろうか、個人的な幻覚がたまたま同じだっただけだろうか、
普通は偶然とは思えないわけです。
もし偶然だとすればそれはものすごいあり得ない偶然のように感じます。

そこで私はどこからかドライブがかかるのだろうと推測します。
生命と同様で、初期条件は偶然でもどこからか必然になるというイメージです。
たとえば「唯心論」という幻想も、私たちはそれを知らない人にシェアして
あげることができたりします。
現実世界ではむしろ幻想の流布さえ行われていたりするわけです。
そしてこれはたぶん「ボイドを埋める」というシステムの確立が絡むのであろう
というところまでは最近にわかに考えました。
0702非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2022/01/16(日) 10:43:55.350
「『客観』とは、ひとつ、ふたつ、たくさん、(の世界)である」

ひとつ:主観的客観
ふたつ:対幻想としての客観
たくさん:共同幻想(上部構造)としての客観

◎(内側の○が客観)(主観主義/主観的客観)
○○(対等)(??主義/真のモダリティ?/様相主義?)
◎(外側の○が上部構造としての客観)(客観主義?/客観的主観/唯物論)
0703時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/16(日) 10:55:54.390
>>700
他者の意識は存在しないということと他者は存在しない
ということは異なります。念の為。
0704時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/16(日) 11:00:40.440
>>701
ところで、共同幻想とは、吉本隆明の言う共同幻想でしょうか。
それごも、偶然同じ言葉になったのでしょうか。
0705非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2022/01/16(日) 11:09:28.680
ま、吉本の「共同幻想」や「対幻想」ですけど、
吉本自身が(彼)自分の言葉を正しく理解しているとは思っていませんw
彼は詩人であり、共同幻想というワードも詩ですからね。
吉本は、たまたま、(東工大ではないあるところの)わたしの先輩に当たりますw
0706考える名無しさん
垢版 |
2022/01/16(日) 11:11:29.670
>489考える名無しさん2022/01/09(日) 14:55:37.420
あらゆる存在にも、不在にも、呼応関係が先立つのである。
それは、より具体的には、「て(手)ごた(応)へ」という
呼応関係であってもいい<

>493考える名無しさん2022/01/10(月) 10:19:53.800
1.0=(x^α)/(x^α)=x^0=1
分母と分子のx^αの間の「原始」の呼応関係は、
不特定の同一性を表す1によって代表させても、
変化がみられないことを表す指数の0によって代表させてもよい。<

>609考える名無しさん2022/01/12(水) 13:34:03.060
ここで留意しなければならないのは、意識の働きが「わす(忘)れ」られる
ことは、「意」が消滅することを意味しているわけではないということです。
そうではなく、「意」は「やすらふ」のです。<

何かがどのようにか存在することの基底である「意」の「やすらひ」
/"ease"は、意識でも、無意識でもなく、天秤の平衡のように保たれた
呼応関係の「調和」/"accord"であり、それが、どのようにか感性が
働くときの「地」/"ground"でもある。その「意のやすらひ/"ease」
をスピノザであれば、「実体」と呼んだのかも知れないが(私自身は、
スピノザの著作についてはほとんど知らない)、西洋哲学の「実体」
についての議論は、一神教の神学と結び付いた存在論と哲学との関係
により著しく錯綜して、無用に複雑化しているように見える。
0707時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/16(日) 11:20:05.460
>>705
超球面さんは吉本隆明を意識していそうだいう風に思いましたが、
でこすけさんはどうなのかなと思いまして。
でこすけさんも吉本隆明に言及しているのであれば読んでみようかな。

先輩ですか……高校かな。:)
0708考える名無しさん
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2022/01/16(日) 11:20:37.790
この掲示板に日本語の表現について書込み始めたかなり初期に、「やすらふ」
の「やす」と共通する「やす(休)む」の「やす」について、次のような書込み
をしている。今となっては、これらの書込みについてもより明確に意識的に
メタ言語により記述することができる。

687 :考える名無しさん:2016/02/29(月) 09:32:32.47 0
>外国語を読んでいても、私には見るたびに日本語を想起させて、日本語
を読んでいるような奇妙な感覚に陥る語がある。それは、農地を「休ませる」
意味で使われるフランス語の「jachère」という表現や、同じ語源を有する、
「横たわる」という意味で使われるスペイン語の「yacer」などの語である。
https://en.wiktionary.org/wiki/iaceo#Latin
むろん、これは、「やすむ」の「やす」とラテン語の「iaceo」に何らかの
つながりがあると主張したいわけではなく、発音の近さと、意味の重なり
から、私にはそのような連想が自動的に生じてしまうというだけの話で
ある。だからこそ、仮説のネットワークの構築による検証は怠ってはならない
のである。<

688 :考える名無しさん:2016/02/29(月) 12:26:13.45 0
ところで、英語の「ease」自体、「 "to relax one's efforts" is from 1863」
http://www.etymonline.com/index.php?allowed_in_frame=0&;search=ease
ということで、日本語の「緩める」に近い用法は、派生的でかなり新しいらしく、
仏語の「aise」に由来するものの、語源自体は不明らしい。意味的に見れば、
ラテン語の「iaceo」から派生していてもおかしくはないが、
そのような関係が主張されていないのは、音韻変化の点でそのような関係が
確認できないからだろう。単独で単に音と意味が似ているというだけで、
関係を主張しても、場当たり的な当て推量の域を出ない。<
0709考える名無しさん
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2022/01/16(日) 11:24:50.370
692 :考える名無しさん:2016/02/29(月) 16:59:37.08 0
>>687 >>690
逆方向で考えてみて、ラテン語の「iaceo」に由来し、墓碑銘において用い
られる フランス語の「gesir(「Ci-git 〜」)」、スペイン語の「yacer
(「Aqui yace」)」が日本語でどのように表現されるかを考察すると、
辞書では、「gesir」は、「@横たわる」、「A(隠れて)存在する」、
「...ここに永眠する」(クラウン 仏和辞典)と説明され、「yacer」も
同様に、「1.横たわっている」、「2.(死体が)埋葬されている、
葬られている」、「(ある場所に)ある、存在する」と説明されているが、
少なくとも墓碑銘に関する限り、「やすらふ」という表現のイメージが
最も適合しているように私には感じられる。
0710考える名無しさん
垢版 |
2022/01/16(日) 12:05:56.930
「やすらふ」は、「自らのいきほ(勢)いが解かれたままにする」ことを
イメージさせる表現であると理解することができる。そのように理解する
ことは、何ら特殊な前提による解釈を必要とするものではなく、自然に
導かれるものだ。「や」は、「矢(や)」、「や(遣)る」、「や(焼)く」、
「やぶ(破)る」などに見られるとおり、「いきほ(勢)いが解かれる」
ことをイメージさせ、「や行」の活用として「ゆ(由)」(つまりは、
中国語の表現の流用)≒»losgehen«に関連し、云はば、方向性を
帯びた「ゆ(由)」である。したがって、「やすらふ」の「や」も
そのように解釈するなら、「や」は、"eject"、"project"、"subject"
など、英語の語根として用いられる"-ject"(つまりは、ラテン語の
ラテン語の「iaceo」) と発音の上でも、それが想起させるイメージに
おいてもよく似ていると言える。「や・す」の「す」は、"to let"
に相当し、「やすらふ」の「ら」は「〜る」の活用であり、その
表現が活動であることを示して動詞として用いられることを伝える
ものであり、「〜ふ」は、その作用/動作が再帰的に働く様態を
表現する。したがって、「やすらふ」が、休耕地がそうであるように
「自らのいきほ(勢)いが解かれたままにする」状態を想起させる
表現であるという解釈が無理なく導かれる。
0711時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/16(日) 12:15:56.200
>>710
そう言えば、「やすらふ」ってあまり使いませんね。
「安らぐ」はよく聞きますが。
0712時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/16(日) 12:17:56.360
>>711
特に「安らぎ」という形で。
0713考える名無しさん
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2022/01/16(日) 12:24:10.830
やすらか→やすらぎ
0714時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/16(日) 12:53:49.740
>>713
なるほど。
華やか→華やぐ、かな。
静か→静ぐ、ではないし、絶対ではなさそう。
0715考える名無しさん
垢版 |
2022/01/16(日) 14:43:30.170
>その「意のやすらひ/"ease"」をスピノザであれば、「実体」と呼んだ
のかも知れないが<

しかし、ここで、仮に「意のやすらひ/"ease"」を、それがどのように
性格づけられるにせよ、「実体」/"substance"と呼んだなら、たちまち
「やすらひ」が「やすらふ」ものから"*sta-"に、つまりは、「た(立)つ」
ことに変わってしまうことに留意する必要があるだろう。
https://www.etymonline.com/word/*sta-?ref=etymonline_crossreference
>*stā-, Proto-Indo-European root meaning "to stand, set down,
make or be firm," with derivatives meaning "place or thing
that is standing."<
0717考える名無しさん
垢版 |
2022/01/16(日) 16:17:51.570
それにしても他者の意識は存在しないという自己中心的な思想を
本気で思っている人も未だにいるようだね。
ま、自己中心的でも良いと思っているのなら何も言うことはないけどね。
ただ、自己中心が良くないなら、他者の意識、意識外部の世界の存在などは
前提にすべきとしか言いようがないだけのことかな。

>>702
余談だが、唯心論でも三つ目の上部構造としての客観を肯定する世界観というのもあり得たりする。
例えば主観に当たる個体意識の上位の集合意識が客観に当たるものとか。
0719非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2022/01/16(日) 17:01:44.770
遍計所執性を主観的客観
依他起性を様相的客観
円成実性を客観的客観?
とすれば、なんとなく収まる。
これは三性なわけだが、三つの相でもあり、3つの段階とみてもよい。
だが、どれが優れているとか考えてないほうよい。三つの相を持つのだw
0720時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/17(月) 02:15:18.510
>>717
未だにというか、いつでもいるように思います。
自己中心的というのは、ある意味では当然のような。
他者の意識は存在しないという考えを共有する。
その可能性はあると私は考えます。
0721時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/17(月) 02:20:11.990
>>720
他者の意識は存在しないということは、
職業哲学者には言い辛いだけのことではないかと思ったりします。
私は仏教に明るくはないですが、超球面さんの仰るように
仏教ではあり得る考えのようですし。
0722時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/17(月) 02:27:15.560
>>720
自己中心的という言葉は、
当然のことを当然のことではないように言う言葉かな。
0723時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/17(月) 03:19:23.240
>>721
客観は主観であり、同時に全ての事物は客観化可能であり、
それもまた主観であるということかな。
0724時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/17(月) 03:19:48.050
>>723
もう少し考えます。:)
0725時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/17(月) 03:31:10.960
主観と客観について。
例えば、地図を見て自転車でどこかに行くことを計画するとします。
その地図上での移動の軌跡は客観的だと思います。
そして、ある目印のところで角を曲がることを想像する時、
それは主観的だと思います。
この例のように、人が物事を考える時、主観と客観は、
入り交じるように思います。
その上で、私は、客観はある種の主観だと考えます。
0726考える名無しさん
垢版 |
2022/01/17(月) 09:21:24.190
じわじわ来るは主観ですか?
0728考える名無しさん
垢版 |
2022/01/17(月) 10:09:40.270
>>654考える名無しさん2022/01/14(金) 01:08:01.980
>対象として目の前にあるように見える事物は、「目の前にある」/
»vorhanden sein«という在り方をするよりも先にまず、「呼びかけの『を』」
に呼応する「こた(応)への『を』」として現れる。<

フェルスター、『哲学の25年』を読んでいると、カントが「知的直観」に
ついて述べた、「だがそれはわれわれのものではない。われわれはまた
その可能性についてさえ、洞察することができないのだ」という言葉を
引用したうえで、さらに注釈でカントが「知的直観」と表現したのが
どのようなものであるのか詳しく説明している。
0729考える名無しさん
垢版 |
2022/01/17(月) 10:25:49.130
>われわれ自身にもこうした直観が可能なのだとする見解が、古代では広く
行き渡っていた。古代に主流だったのは、知覚の送信理論(Sendetherorie)
である。それによれば、目から出た視線は、対象を一定の仕方で探る
[abtasten/触って探る]。視覚はしたがって、その正規の用法においては、
われわれにあるがままのものを直接提供するのであって、現象を提供する
のでは断じてない。[...] この視覚理論が広く行き渡っていたことは明らか
である。プラトンとエウクレイデス[...]さらにはピンダロス、ソフォクレス
といった詩人たちにも、同じ理論が見出される。今日のわれわれにはこの
理論はもはや正しいものと思えないが、これは視覚論をめぐる根本的な
変化によるものである。< フェルスター、『哲学の25年』、p245

まだこの本を読み終えていないので、私が論述の意図を誤解している可能性
はあるが、そうではないとすれば、著者が、ハイデガーの存在論や
プラグマティズムを知らないはずはないのだから、ここに表明されている
(ように私には見える)見解は、その解釈からして、私には恐ろしいまでに
浅いと感じられる。
0730考える名無しさん
垢版 |
2022/01/17(月) 10:36:27.960
>知覚の送信理論(Sendetherorie)である。それによれば、目から出た視線は、
対象を一定の仕方で探る[abtasten/触って探る]<

何かが「目に触れる」。例えば、視線の先にあるテーブルの上にあるリンゴが
「目に触れる」。これは現代でも普通の日本語の表現だろう。では、そのように
リンゴが視線の先にあり「目に触れる」ことは、「知覚の送信理論(Sendetherorie)」
に基づくのだろうか。確かに、現代の日本でも、そのことを、視線が目から光線の
ように送られて、それがリンゴに触れて探るというような理論によって理解して
いる人はまずいないだろう。では、現在ではもはやそうではないとしても、
何かが「目に触れる」という表現は、元々は広く行き渡って信じられていた
そのような「知覚の送信理論(Sendetherorie)」の化石的な名残りなのだろうか。
私には、そのように考えなければならない必然性は、さらさらないように
思われる。
0731時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/17(月) 10:51:18.940
>>726
主観でも客観でもあり得ると考えます。
あらゆる事物は客観化可能ですから。
0732考える名無しさん
垢版 |
2022/01/17(月) 10:51:28.290
視線の先のテーブルの上にリンゴがあれば、そのリンゴが「目に触れて」、
「リンゴが見える」。「見える」は、古語で言い換えるなら「見ゆ」
であり、「〜ゆ」は自発的に生じることを表現するのだから、
「リンゴ見ゆ」であれば、「リンゴの見(≒視覚的作用)が自ずと生じる」
ということであり、「リンゴが見える」の「が」は、「我(が)」を
流用して発話行為的に同一性を確立する表現なのだから、
「リンゴが見える」とは、「『リンゴ』=「自ずと生じる視覚的作用」」
であり、フランス語を用いるなら、《C'est une pomme qui se voit.》
ということになるだろう。
0733考える名無しさん
垢版 |
2022/01/17(月) 11:06:06.950
つまりは、「リンゴが見える」/「リンゴ見ゆ」/《C'est une pomme qui se voit.》
というのが、視線の先のテーブルの上にリンゴに「目が触れる」ことによって
もたらされた結果であることになる。この結果、プラグマティズム的な言い方を
するなら、「リンゴに『目を向けた/目が向けられた』」行為の「効果」/"effect"
であり、ハイデガーの存在論における"zuhanden sein"を「て(手)ごた(応)へ」
として理解して、それを「目を向ける」行為に応用するなら、
「リンゴが見える」/「リンゴ見ゆ」/《C'est une pomme qui se voit.》という
「効果」/"effect"は、リンゴの「み(見)ごた(応)へ」に他ならないだろう。
リンゴに「目を向けて」、それに「目が触れる」と、リンゴの視覚的な
「効果」/"effect"/「み(見)ごた(応)へ」、すなわち、「リンゴ見ゆ」/
「リンゴが見える」という結果がもたらされる。これは、
「知覚の送信理論(Sendetherorie)」と呼ばれるような、もはや誰も信じなく
なった何か特殊な古代の理論に依拠しなければ説明できないような捉え方
なのだろうか。
0734時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/17(月) 11:13:55.240
>>733
「知覚の送信理論」は必要ないと思いますよ。:)
0735時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/17(月) 11:22:36.120
>>734
敢えて言えば、網膜から外界は単射だが、
外界から網膜は写像ではいから、絵を描く時等は、
前者の考え方にも一理あるとは言えるかもしれない。
0736考える名無しさん
垢版 |
2022/01/17(月) 11:23:34.660
>>733
「〜に目が触れて」、「〜が見える/見ゆ」ことの説明として、
「知覚の送信理論(Sendetherorie)」が不要であるとすれば、古代の人々の
間には、「〜目を向ける」ことによって、「〜に目が触れて」、「〜
に視覚に触れる感覚」に依拠して「〜を探り」、「〜の視覚的効果」が
詳しく知られるという、今でもごく自然と思われる物事の捉え方が
行き渡っていただけということになりませんか。
0737考える名無しさん
垢版 |
2022/01/17(月) 11:24:27.590
誤:「〜に視覚に触れる感覚」
正:「〜が視覚に触れる感覚」
0738時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/17(月) 11:28:29.480
>>735
正:写像ではないから
誤:写像ではいから
0739時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/17(月) 11:30:39.510
>>736
視線という言葉もありますね。
しかし、物理的な因果は逆だと考えた古代人は多かったと予想します。
0740考える名無しさん
垢版 |
2022/01/17(月) 11:32:17.740
著者は、明らかに哲学書を研究することに膨大な時間と労力を注いできた
学者であるわけですよ。それに対して私は哲学を専門に研究したことのない
完全な素人であるわけで、そのような素人でもすぐに気づくような奇妙
な論述をされると、私の方がとんでもない読み違いをしているのかと不安
になるわけですが、その一方で、哲学を研究すると、このようなことに
すら気づけなくなってしまうほど本当にバカ(「感性が働かなくなる」という
意味で)になってしまうのかという疑念も浮かんで来るのです。
0741時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/17(月) 11:39:31.250
>>740
「視線」という言葉から日本人の視覚理論は「知覚の送信理論」だと
言われても困りますよね……
古代人に関しても然りで。
例えば、夜、灯りをつけると物のよく見えることは当然で、
殆どの古代人は、視覚の受動性を認めていたのではないでしょうか。
哲学者には常識は大切かもしれませんね。:)
0742考える名無しさん
垢版 |
2022/01/17(月) 11:45:23.860
「視線」というより、より日常的な表現では、「目をやる」でしょうね。
0743時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/17(月) 12:15:19.800
>>742
「目をやる」も使いますね。
0744考える名無しさん
垢版 |
2022/01/17(月) 12:42:40.060
「視線を送る」ことによって何かを見ることがが「知覚の送信理論
(Sendetherorie)」と呼ばれるとすれば、ボードレールの詩は、
「知覚の受信理論」を表現していることになるのだろうか。
しかし、フェルスターが古代の「知覚の送信理論(Sendetherorie)」
と呼ぶものにせよ、ボードレールの詩にせよ、そのような捉え方に
よって本当に伝へられているのは、この詩の題名にもなっているとおり、
「呼応関係」/《correspondances》だろう。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Correspondances_(sonnet)
CORRESPONDANCES

La Nature est un temple où de vivants piliers
Laissent parfois sortir de confuses paroles ;
L'homme y passe à travers des forêts de symboles
Qui l'observent avec des regards familiers.
0745考える名無しさん
垢版 |
2022/01/17(月) 14:35:16.880
>>733
誤:この結果、プラグマティズム的な言い方をするなら
正:この結果は、プラグマティズム的な言い方をするなら
0746考える名無しさん
垢版 |
2022/01/18(火) 08:10:30.090
>621考える名無しさん2022/01/12(水) 23:09:42.580
ようやく訪れた»Genesung«の時を「直毘神(なほびのかみ)」の来訪として言祝ぐ

>727考える名無しさん2022/01/17(月) 09:56:47.690
>>710
「やす・む」ことによって英気を「やし・なふ/養ふ」。

ニーチェがよく用いる»Genesung«という表現に対して、私はすぐに
本居宣長が用いた「直毘神(なほびのかみ)」の「なほび」を想起するのだが、
»Genesung«/「なほび」に対応するラテン語は《restitutio》だろう。

ここでさらに「やす・む」ことと「やしなふ」ことの関係について考えて
みると、それが英語の"rest"と"restitution"の関係と類似した関係にある
ように見えて面白い("restaurant"/「レストラン」について考えてみる
といい)。
0747考える名無しさん
垢版 |
2022/01/18(火) 08:10:48.770
https://www.etymonline.com/search?q=rest
rest (v.1)
[to repose; to cease from action] Middle English resten, from Old
English ræstan, restan "take repose by lying down; lie in death or
in the grave; cease from motion, work, or performance; be still or
motionless; be undisturbed, be free from what disquiets; stand or
lie as upon a support or basis," from Proto-Germanic *rastejanan

rest (v.2)
[be left, remain] mid-15c., "remain, continue in existence," from
Old French rester "to remain, stay" (12c.), from Latin restare "stand back,
be left," from re- "back" (see re-) + stare "to stand" (from PIE root *sta-
"to stand, make or be firm").

It has been largely confused and partly merged with rest (v.1), which,
however, is Germanic.

https://www.etymonline.com/search?q=resutitution
[...] noun of action from past-participle stem of restituere "set up again,
restore, rebuild, replace, revive, reinstate, re-establish," from re- "again,
to a former state" (see re-) + statuere "to set up" (from PIE root *sta-
"to stand, make or be firm").
0748考える名無しさん
垢版 |
2022/01/18(火) 08:17:51.820
>>715
>仮に「意のやすらひ/"ease"」を、それがどのように
性格づけられるにせよ、「実体」/"substance"と呼んだなら、たちまち
「やすらひ」が「やすらふ」ものから"*sta-"に、つまりは、「た(立)つ」
ものに変わってしまう<

「ねぎ(禰宜)」/"appeasement"とは、まずなによりも、「やすらふ」
状態をそのまま保ってもらうために執り行われるのである。
0749考える名無しさん
垢版 |
2022/01/18(火) 08:21:15.260
https://kotobank.jp/word/意富多多泥古-1281374

意富多多泥古(読み)おおたたねこ
世界大百科事典内の意富多多泥古の言及
【神主】より
…神官,神職とも同義に使われることもある。初見は,崇神天皇のときに
大物主(おおものぬし)命がたたり疫病蔓延したおり,神孫の意富多多泥古
(おおたたねこ)を神主としてまつらしめたところ,天下の平安を得たという
(《古事記》)
0750考える名無しさん
垢版 |
2022/01/18(火) 08:26:26.780
意富多多泥古(おほ・たた・ねこ)の「たた」は、「たた(祟)り」の「たた」、
「たた(畳)む」の「たた」でもあるのだろうが、これらの表現に用いられる
「たた」の発音そのものが、「起き立ちつづける」イメージを想起させた
可能性も考えられるだろう。
0751考える名無しさん
垢版 |
2022/01/18(火) 08:35:53.370
説明として妥当なのかどうかは知らないが、このような説もあり、
なぜ「ねこ」なのか考えることは興味深いだろう。

http://jinbun.cc.kochi-u.ac.jp/keizai-gakkai/kochironso/100/HTML/index17.html
折口信夫は「大倭根子天皇と云ふ枕詞とも言ふべき成語は,単に,
讃名ではなかつた……ある地方の,神人の最高位に居る者の意味であつた。
大和の神人の,最高の人となるが故に,天子の稜威は生じるのであつた。」
「外蕃に対しての関心を持たない時代の詔詞は,大倭根子天皇なる御資格を以て,
大儀礼を宣せられたのだ。其で大倭根子……天皇と謂つた御諡を持たれた
御方々がおありになる訣だ。詔詞の始めに据ゑた御資格が,御生涯を掩ふ
御称号となつたのである。」
0752時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/18(火) 08:37:06.630
>>746-750
よく解りませんが、意志の強さは感じます。:)
0753考える名無しさん
垢版 |
2022/01/18(火) 09:18:37.370
歴史はつねに浄化を繰り返すことを必要とする。
したがって、歴史学にとって本当に課題とされているのは、
「歴史修正主義」を克服することなどではなく、
「歴史修正主義」を案山子として用いながら、
どのように歴史を浄化するかである。
0754時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/18(火) 09:26:14.470
>>753
倭国から和国とか、清いよね。
0755考える名無しさん
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2022/01/18(火) 10:02:39.510
現状浄められるべき穢れがいくらあったとしても、
穢れた自国というのは存在せず、
原理原則からして自国はつねに清らなのです。
なぜなら穢れた自国というのは存立し得ないからです。
0756考える名無しさん
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2022/01/18(火) 10:03:26.880
誤:現状浄められるべき
正:現状で浄められるべき
0757考える名無しさん
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2022/01/18(火) 10:08:08.920
これは、穢れた田畑では作物が育たず、その土地はもはや田畑ですらない
のと同じことです。
0759考える名無しさん
垢版 |
2022/01/18(火) 10:15:32.330
古語では、病気のことを「なやみ」と表現しました。
「なや・む」の「む」は累加する様態を表現し、「なや・む」の「なや」
は、「なゆ」の活用形であり、「な(萎)え」はその名詞化です。
0760時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/18(火) 10:17:03.830
>>756
現状、清らでも、蔑称はあり得るということですね。
0761時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/18(火) 10:19:58.940
>>759
「む」は否定的なニュアンスは感じます。
同時に、編むとか産むとか否定=運動のイメージもあります。
私は、言語に関して、原理主義者ではありませんが。
0762時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/18(火) 10:21:18.520
>>761
「M」の現イメージは「間」ですね。
0763考える名無しさん
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2022/01/18(火) 10:23:09.690
人々の集団を指す名称の場合でも、他称は蔑称であり、集団はそちらの蔑称の
方で一般に知られることになるものの、その集団内の人々は、自分たちを
単に「人々」を表すに過ぎないような名称で指し示すような事例がよく見られます。
0764時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/18(火) 10:31:44.580
>>761
言語は詩的に美しいのであれば、それに越したことはありませんが、
現実として、各語は緩く繋がっている、そういうイメージです。

>>763
「ドイツ」も「ローマ的でない人々」が語源だとウェブにありました。
0765時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/18(火) 10:38:14.300
>>764
編みと網とかね。
0766考える名無しさん
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2022/01/18(火) 13:04:19.530
>>755
この原理原則を無視して、国民としてどのようにすることが清く正しいのか
などということを論じても、自己欺瞞にしかならない。
0767時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/18(火) 15:20:40.980
>>762
正:原イメージ
語:現イメージ
0768でこすけ
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2022/01/18(火) 19:27:27.490
>>704
私はよく考えてみると吉本隆明がどのような意味合い(文脈)で「共同幻想」
という言葉を使っているのかを知りません。
私はとにかくアバウトです。
「共同幻想」という言葉を使ったのは(「仮想現実」もですけど)
誤解を生んだよようなのでちょっと後悔しています。

私は『共同幻想論』はとにかく今よりもはるかに頭が悪い頃に読んだので
理解もできていなかったし記憶にもほとんど残っていません。
私に関心があったのは「共同幻想」なるものの成立が
どのようなプロセスなりメカニズムなりを持っているのかであったのに対し
その本の内容は「あれも共同幻想、これも共同幻想」というかんじだったので
退屈をした記憶があります。
私が聞きかじった話では、吉本がウケたのは学生運動とのかかわりで、
「唯物史観も共同幻想」と言ったのがハマったとか(実態は未確認です)、
つまり今読む価値があるのかどうかはよくわかりません。
私としてはあの時代のものであれば柄谷行人の『日本近代文学の起源』の方が
意識のハードプロブレムにはうっすらながら関わる気がします。
私には「意識がどのようにして成長するのか」を分析しているように思えます。
ただ、私は折りに触れ読み返しますが、
じつは未だにいまいちピンときていません。
0769でこすけ
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2022/01/18(火) 19:56:36.020
>>768
『日本近代文学の起源』に関連して、
たとえばその本に「内面の発見」というテーマがあります。
私はサルにも目がついているのであれば彼らにも何らかの映像が見えている、
つまり何らかの主観というか精神というかが内在すると推測するわけですが、
しかし彼らには自分に意識的なものがあることを自覚する能力までは
あるような気がしません。
少なくともトカゲなりサカナなりまでにさかのぼれば間違いないはずです。
しかし私たちに自分には意識があることを自覚できるとき
それは人間まで進化してきた過程のどこかの時点でそれが発見された
ということだと考えます。
それはたとえばクオリアも同様のはずです。
これはたとえば原始的な生物が熱を嫌がって逃げようとするとき、
その時点で「熱」が発見されているということだと考えます。
ではどのようにして発見されたのか、
これには前スレ947の「球の内部の何か」的なものが関わるのだろう
と思われます。
0770時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/19(水) 03:02:38.190
>>768-769
確かに、あれもこれも共同幻想ですよね……
『共同幻想論』、読んでみようかな。
『日本近代文学の起源』も面白そうですね。
前スレ947はもしかしてでこすけさんでしたか。
0771でこすけ
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2022/01/19(水) 07:49:03.750
私には「意識」というのは、混沌としたものとして誕生し、
やがてその中に秩序が生じるもののように思えます。
始めから無条件に秩序があったわけではない気がするのです。
たとえば昔の日本人は「グリーン」と「ブルー」とを「あお」として、
私にとって「紺」と「水色」とが同じ「青」に感じるようにして、
同じカテゴリーに含めていました。
つまり私たちはそれ等を区別できるようになったということです
(やがて「紺」と「水色」ともまったく違う色に感じるように
 なるのかもしれません)。
一方では昔の日本人は「お」の発音と「を」の発音とを区別していたようですが
私たちがそれらを区別しなくなったのは単なる単純化ではなく、
むしろ同じ音を文脈によって区別することができるようになった
という複雑化のような気がします。
私にはそういったことは意識の成長のように感じられるわけです。

また私にも自分が生まれたころの記憶はないわけですけど
これは意識が無かったわけではなく、
単に記憶力が無かったということのような気がしています。
そこで久々の意識のハードプロブレムです。
記憶力はいわゆる「脳」の成長に由来するのでしょうか、
それとも意識の内部で、たとえば連想記憶術のような「脳」とは関係無さそうな
(たとえば「西暦794年平安京遷都」は数字が曖昧になりそうですけど
 「鳴くよウグイス平安京」はしっかり覚えられる気がします
 このような覚え方は「脳」とは関係ない気がするのです)
つまり意識の中だけで完結できるものなのでしょうか、
この問題はそもそも「脳」とは何なのかという問題を解決する必要にせまられ
ますけど(私は「脳」とは何らかの精神現象のネットワークだと考えるので)
いずれにしても微妙な問題のように思えます。
0772時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/19(水) 08:29:45.350
私も意識のハードプロブレムに対して一言。
私は意識のハードプロブレムは、私の脳と私の意識の関係は何か
ということだと考えています。
私の脳であって、他者の脳ではないところは、主観主義のポイントです。
現時点での私の答えは、私の脳を含む私の客体は、
私の主観的意識の精緻な表現だということです。
0773考える名無しさん
垢版 |
2022/01/19(水) 09:28:10.240
ゆく年くる年、
「ゆく」(»losgehenden«)年を送り、「くる」(»kommenden«)を迎えると、
1月/»Januar«になる。ヤーヌス/《Iānus》は、「双方向(⇔)」神であり、
語源的には" Proto-Indo-European *yeh₂- (“to go, go in, travel”)"に
由来するものと想定されている。その一方で、英語の"-ject"が由来する
とされるラテン語の《iacere》("to throw")も、語源的には、
"Proto-Indo-European yeh₁-, Hyeh₁- (“to throw, let go”)"が想定され、
想定される発音からは、事実上、区別がつかない。これに対して、
同じくラテン語の《iaceo》は、>Stative counterpart of iaciō (“to throw”). The meaning must have
shifted from “I am thrown down” to “I lie”.<
と解釈されており、想定されるこれらの発音と解釈を日本語の「や」の用法と
比較すると、印欧祖語の「yeh」と日本語の「や」は、ほぼ完全に同じものではない
かと思えてくる。さて、この互いに区別しがたいほどの類似性は、何に由(ゆ)来する
と考えるのが妥当だろうか。
0774考える名無しさん
垢版 |
2022/01/19(水) 09:35:40.050
"yeh₁- (“to throw, let go”)"と「や(八)」を比較すると、「八」の末広がりが
"yeh₁-"の"h"に対応しているようなイメージが浮かぶ。
0775考える名無しさん
垢版 |
2022/01/19(水) 10:24:14.990
フェルスター、『哲学の25年』を読んでいると、多くの哲学者がそれぞれの
哲学的な論述の違いを超えて、スピノザ回帰に向かっているような印象を
受ける。だが、これは、結局のところ、キリスト教が前提とする一神教
の神学を「理知的」に批判して、そこから距離をとろうとしながら哲学
の言説を展開し、なお一神教の哲学とその批判としての理知的な言説の
行き詰まりの両方を乗り越えようとすることによって導かれる「お決まり」
とも言えるような道筋なのではないか。キリスト教の神学と、それとの
かかわりにおいて哲学そのものをも批判したニーチェが、これらの
いずれの言説にも覆われない古代ギリシアを重視して、スピノザ回帰
には我関せずという姿勢を示していることは、他の近現代の哲学者との
対比において注目に値するだろう。
0776考える名無しさん
垢版 |
2022/01/19(水) 10:25:52.640
誤:なお一神教の哲学とその批判
正:なお一神教の神学とその批判
0777考える名無しさん
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2022/01/19(水) 10:56:29.330
誤:「くる」(»kommenden«)を迎えると
正:「くる」(»kommenden«)年を迎えると
0778考える名無しさん
垢版 |
2022/01/19(水) 11:21:15.590
『哲学の25年』におけるフェルスターによる、カントをはじめとする
様々な哲学者の論述の説明も、それぞれが理念に基づいて構築されて
いるかのような装いで展開されているが、実際のところ、その展開
を導いているのは、表立っては示されない日常言語的な表現による
物事の理解であるように見える。理念に基づいて最終的にどのような
哲学的な言説を構築してみせたところで、最終的に、そこで用いられて
いる理念と日常言語表現の対応関係が不明なら、その哲学的な言説
は誰にも理解可能なものとはならないだろう。なおかつ、明示される
理念に基づく哲学的な言説の構築が、陰で日常言語表現に導かれて
いるとするなら、明示される理念の方が日常言語表現において暗黙
に伝へられる「心(こころ)」より一般性が高いとは言えないはず
だろう。
0779考える名無しさん
垢版 |
2022/01/19(水) 11:32:36.270
>想定されるこれらの発音と解釈を日本語の「や」の用法と比較すると、
印欧祖語の「yeh」と日本語の「や」は、ほぼ完全に同じものではない
かと思えてくる。さて、この互いに区別しがたいほどの類似性は、
何に由(ゆ)来すると考えるのが妥当だろうか。<

ニーチェの言説がとても具体的でありながら、一般性を感じさせるのは、
ニーチェの表現が、このようなレベルでの類似性を徹底的に活用しようと
しているからである。逆に言えば、ニーチェが自らの表現において活用しよう
として、それに導かれているようなレベルの類似性を無視するなら、
ニーチェが何を言おうとしているのか極めて分かりにくくなり、ニーチェの
言説を何らかの固定された「思想」に沿って解釈しようとする誤りに陥る。
0780考える名無しさん
垢版 |
2022/01/19(水) 11:36:53.260
日常言語表現において哲学をしようとするとは、そういうことだ。
0781時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/19(水) 12:46:35.830
>>771
紺と水色、全然違わないですか?:)
0782時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/20(木) 08:20:40.690
>>781
私は色の差異は名前以前的な問題だと思います。
赤色と朱色は近いですが、赤色と青色は遠いです。
0783考える名無しさん
垢版 |
2022/01/20(木) 10:08:03.340
>>773-774
@世代を超えて言語において用いられる発音の相互関係が体系的に
継承されることが、言語系統論として扱われる。その一方で、
A発話における発音は、表現としてつねに自らの身体性において
どのようにかイメージを想起させるものとして、イメージに
関連づけられて用いられることになり、発音の体系的にも
影響を及ぼして変化を促しつづける。Bその結果、互いに系統
が異なるとされる言語の間で類似した発音が類似した作用の
様態を表現するように用いられることは、それが歴史的な
接触による相互作用によるものか、発音が想起させる身体的な
イメージの共通性によるものか明確に判別することは極めて
困難になるだろう。C言語学は、@の事実を重視するが、
Aの働きについては、言語学は、結果としての発音の歴史的な
変化としては扱うが、言葉で表現することに絶えず働いている
機能として重視して、研究対象とすることはなかった。
Dその結果、互いに異なるとされる言語の間で類似した発音が
類似した作用の様態を表現するのに用いられることがしばしば
観察されるという現象ついて、言語学は、それを「擬音語/
擬態語」と見なして、単なる「偶然の合致」として、あたかも
それが単なる場当たり的な語呂合わせであるかのようにその
類似性を学問的に軽視するように促すこととなっている。
0784でこすけ
垢版 |
2022/01/20(木) 10:09:00.830
私は「“意識があるもの”はどこまで分解できるのか」という疑問をもっていますが
この疑問はわかりにくい気もするので勝手に解説させていただきます。
これは「どこまで観測できるのか」という問いでもあります。

たとえば唯心論者の私でも普通には腹話術の人形に意識があるとは思いません。
しかし腹話術師の方には普通に意識がある気がしています。
ここで腹話術師を見ているということは「“意識があるもの”を観測している」
ということだと考えることにします。
次に、腹話術師のへその上と下とでどちら側に意識があるのか、
首から上と下とでどちら側に意識があるのか、
脳と脳以外とでどちら側に意識があるのか、
そうやってどんどん分割して行ったとき最後はどうなっちゃうのかという問題です。
何かこれ以上分解できない1個の素粒子に到達するのか、
あるいは何処かの段階でどちらでもないという状態になってしまうのか、
この問題は私個人どころか科学的にも検証はできない気がするので
言いたい放題な気がするわけです。
0785でこすけ
垢版 |
2022/01/20(木) 10:12:30.290
>>784
この問題では私は1個の素粒子派です。
これは意識は観測上は素粒子として現れるのではないかという勝手な推測ですが、
しかし一方の「どちらでもない」ということはあり得ない気がするのです。
そのようにしてどんどん分割して行って遂に「いくつかの素粒子のグループ」
に到達したとき(実際には膨大かもしれませんが)、
それ以上の分割ができないとなると、そのグループと意識とはどのようにして
相互作用をしているのか、はなはだハードなプロブレムのように感じられます。
さりとてじつは1個の素粒子派もあまり状況はかわりません。
その素粒子をカチ割るか何かしても、その意識の中身が出てくる気がしないのです。
これがハードプロブレムといわれたる所以なのでしょう。

とりあえず私としては、7つのドラゴンボールが集まると神龍が現れるかの如く
いくつかの素粒子が集まると意識が起こるというのは無い気がします。
1個の素粒子に1つの精神(原意識)が対応しているという方が、
もちろん実際がどうかはわかりませんけど、
とにかくその方がわかりやすいように思えます。
グループ派は「相互作用の謎」と「発生の謎」とのふたつの問題を抱えてしまう
ということでしょうか、

ちなみに私は「仮想現実」という言葉を使ってきましたが
それではそれを体験している私たちの正体とはどのようなものなのか、
これは外見のことですけど、私はそれは「水槽脳」のようなものではなく
少なくとも五感では認識できないものだと考えます。
何らかの計測機には反応するだろうとは思いますけど
実際にそのような機器をつくるのは困難な気もします。
にしてもちょっとモダンホラーでしょうか、SFかもしれません。
0786でこすけ
垢版 |
2022/01/20(木) 11:16:56.200
>740
私は知能が高い人というのは数千年前からいたと思うのです。
私の見立てでは(つまりアテにはなりませんけど)
人類が東アジアに到達している4万年前には既に
環境さえ整えば現代の最先端科学でさえ理解できる知能はあった気がします。
たとえば古代文明が精密な天体観測をしていたりするのは
全員ではないにしても、中にはそういう人もいたということだろうと思うのです。

ただ、知能というのはあくまでも記憶とか計算とかであって
つまり思考ではないと私は認識しています。
コンピューターでいえば計算速度とか記憶容量とかハードの性能のことであって
それだけのプログラムが無いものだと簡単な足し算すらできないわけです。
となると不完全なアプリケーションがインストールされているコンピューターは
どれほど性能が高くてもまともな結論は導けないということになります。
そこで人間の場合、思い込みがまともな思考の邪魔をすることがあるようです。
「地面が何も無いところに浮かんでいるわけはない」とか
「ヒトがサルから進化したものであるはずはない」とか、
にしても思い込みを払拭するのは知能指数の高さとは関係ない気もしたりします。
しかしやっぱり箸にも棒にもかからないタイプよりは有利な気もするので
この投稿がきっかけになればと思って遅レスしてみました。
重要なのはアルゴリズムという、陳腐なオチのような気もします。
0787考える名無しさん
垢版 |
2022/01/20(木) 11:25:36.370
因果の逆立ちといふw
0788でこすけ
垢版 |
2022/01/20(木) 12:51:09.620
>>782
昔の人は「緑」を「あお」と言っていたようですけど(じつは私も言います)、
一方では「藍色」「紺色」「群青色」とか細かいことも言っていますから
「緑」を識別できなかったわけではないと思います。
ただ、カテゴリーみたいなものがあって、たぶんざっくり「あか」と「あお」でしょう。
昔、私の叔父が黄色いミカンを「赤いやつ」と表現したことがあって
「暖色」と「寒色」というかんじだと思います。
昔の「青」は今の「青」とは微妙にニュアンスが違うのかもしれません。

ちなみに私のかんじだと色の基本的なカテゴリーは「赤」「黄」「緑」「青」
「紫」の5種類です。
「水色」なら「青」の一種のような気がしますが
「紫」は「青紫」であっても「青」ではない気がするのです。
ただし微妙なところもあります。「肌色」ならかろうじて「赤」な気がしますが
「茶色」は「赤」とは言いづらい気がします。
「黄土色」も「黄色」とは言い切れない気がします。
私にはいわゆる「オレンジ色」は「赤」だと感じます。
信号機にオレンジ色があれば「赤」として認識する気がします。
しかし場合によっては「注意」の意味のような気もします、微妙です。

私は『ゴレンジャー』のモモレンジャーは色のチョイスに釈然としなくて
色分けするならムラサキレンジャーであるべきだと思っていました。
ましてミドリが抜けてクロになるのはあり得ません(せめてモモだろう)。
しかし今回の時計さんからの指摘を受けて、私の個人的な思い込みだったの
かもしれないと思っているところです。

いや、「カテゴリー」て何だろう?というおはなしのようです。
0790考える名無しさん
垢版 |
2022/01/20(木) 13:21:32.140
633考える名無しさん2022/01/13(木) 10:15:00.890
[…]
"true gratitude is to do what you can."
― "Ralph Waldo Emerson: Selected Essays, Lectures and Poems", p.74

さらにここから、
>457する=なる2022/01/05(水) 09:36:57.450
»Wille zur Macht«/"to do what you can"/「駿河なる富士の高嶺を」<
という関係を導くこともできる。

>Verweile nicht, und sei dir selbst ein Traum,
Und wie du reisest, danke jedem Raum,
Bequeme dich dem Heißen wie dem Kalten;
Dir wird die Welt, du wirst ihr nie veralten.

— Johann Wolfgang Goethe
0791時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/20(木) 15:12:35.690
人々の畜群化は人間の闘争心の現れである。
0792時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/20(木) 15:18:46.430
>>788
青のことを「みどり」と言っていたという話も聞いたことはあります。
翠や碧など、様々な綴り方はありますよね。
シロレンジャーとかいないですよね。何故でしょうか。
月光仮面は白いですが。:)
0793時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/20(木) 15:22:59.510
>>784-785
私の答えは、実在的世界の全てです。
全ては一つだと考えます。
その中でも脳神経系は注目に値すると思います。
それゆえの意識のハードプロブレムだと思います。
0794考える名無しさん
垢版 |
2022/01/20(木) 15:23:09.850
みどり/身獲り
嬰(みどり)児(ご)
0795考える名無しさん
垢版 |
2022/01/20(木) 22:36:15.470
西洋哲学の伝統には、言説を哲学として成立させるには、「かむ・か(交)へ/
考へ」を名詞化された概念によって明確に表現して伝へなければならない
という根強い偏見がある。みづから(身づ柄/自ら)の哲学的言説によって
表明する「かむ・か(交)へ/考へ」がその偏見を徹底して批判しようとする
ニーチェやハイデガーの場合においてさえ、その規範に沿った言語使用の
実践そのものが、明示的に表明している本人の批判的な意図を裏切って
しまうのである。このことは、ニーチェやハイデガーさえ、その哲学の最も
中心となる「かむ・か(交)へ/考へ方」を名詞化された概念として提示し、
まさにそれらが名詞化されることによって、どれほどそれらの
「かむ・か(交)へ/考へ方」が伝はりにくく、誤解を生じやすいものと
なっているかを見れば分かるはずである。例えば、「力への意志」と
「できることを」では、既に示したとおり、表現上の連鎖においても、
その操作性についても雲泥の差がある。「道具的存在」と「手頃に在る様」
でも、その分かりやすいさや応用性において、比べ物にならないほどの
違いが生じる。しかし、西洋哲学の言説においては、優先されるのは
常に名詞化された概念の方なのであり、そのこと自体が、
「かむ・か(交)へ/考へ」をまずなによりも「目の前にある」/
»vorhanden sein«様態で提示することになり、ハイデガー本人が
いくら言葉を尽くして「手頃にある」/»zuhanden sein«様態の
本来性を説いたところで、みづから(身づ柄/自ら)の言語使用の実践
における「表現形式」がそれを裏切ってしまうのだから、皮肉と
言う他ないだろう。
0796考える名無しさん
垢版 |
2022/01/20(木) 23:20:02.040
これに対して、日本語の場合、表現を名詞化された概念として提示することは、
伝へようとする「かむ・か(交)へ/考へ」を直接的に明確に示そうとする行為
とはならず、借り物(漢語やカタカナ語など)か、あるいは仮の表象(イメージの
想起と強く結びついた音節の組合せによる和語)をその様態において活用して
いることになるだろう。このことは、西洋哲学の伝統に沿ふことが哲学を
成立させる絶対的な要件であると考えるなら、日本語は哲学をするのには
著しく不利な言語であるという判断を導くことになる。ところが、ニーチェ
やハイデガーの哲学の企図に照らすなら、日本語は、より高い一般性の
レベルで「かむ・か(交)へ/考へ」を巡らせるのに、西洋の主要な言語より
もむしろはるかに有利であるとさえ言えるだろう。
0797でこすけ
垢版 |
2022/01/20(木) 23:51:35.540
私は駿河さんがときどき取り上げる「日本語は哲学に適しているのか否か」
という問題に対し、そもそも「哲学」というのが幻想という立場ですけど、
そうは言っても「言葉」について考えると、私はそれはどこか「DNA」
とイメージが重なります。
それはどういう意味においてかというと、
以前は「DNA」は生物の設計図みたいに推測されていたわけですが、
実際に調べてみるとそうでもなかった、むしろ意味の無い情報が多いように
思われる、しかしその情報が遺伝に関わるのは間違いなく、
おそらく光ディスクにプリントされている情報のような単体では意味の無い、
つまり再生装置とセットで初めて意味をもつものであろうと、
そして「DNA」もまたそれをコントロールするシステムとセットで初めて意味を
もつもの、というのはじつは当てずっぽうな推測に過ぎないものですけど、
「言葉」もまたある意味では一般にその用途とされる「伝達」や「表現」とは
本質的には関係ないもののような気がする、というお話です。
たぶんどこかで誰かが言っている、のみならずけっこう知る人ぞ知る的なもの
のような気もしますけど私個人は>>795から触発されたはなしです。(つづく)
0798でこすけ
垢版 |
2022/01/21(金) 00:00:32.000
>>797
たとえば私(でこすけ)は、日常では状況に応じて「私」「僕」「俺」を
使い分けています。のみならず相応のキャラを演じます。
しかしどれも私(でこすけ)にはちょっと違う感があって
かと言って他をあたっても自分のキャラにいい感じにハマる一人称は日本語には
無い気がします。
日本語には一人称がたくさんありますが、
それはご先祖さまが自分にしっくりくるものを探し求めた結果のように思えます。
私がとりあえず妥協して「私」とか言うとき
それは私(でこすけ)のキャラを言い表している「表現」ではなく
どちらかといえば私のキャラをつくる「鋳型」のような気がするわけです。

本当かどうかは私はアホなので知りませんけど
たとえば英語では一律「I」になるようです。
彼らは自分を「I」だと思っているのだろうか、不満は無いのだろうか、
とも思ったりするわけですけど、根本的に感覚が違うという説を聞いたことがあります。
彼らにとってはそれは「表現」ではなく、「形式」というか「手続き」というか
つまりどうでもいいことだというのです。
日本人は自分を持っていないと言ったりしますが、
けっこう自分に対して関心は持っている気がしたりするわけです。
にしても何故彼らがそれを「手続き」にしてしまったのか、私にはナゾです。

あるいは私の職場のおばちゃん同士の会話を聞いていると
ときどき会話が噛み合っていないことがあります。
ていうか自分が言いたいことを言っているだけの様子です。
しかしそれでいて当事者たちは妙に楽しげに盛り上がっていたりします。
人間が言葉を話すその本質は「伝達」などの背後にあるもの
のような気がしてくるわけです。
0799でこすけ
垢版 |
2022/01/21(金) 00:40:58.910
以前、日本人でまともな形而上学者と言えるのは大森荘蔵と廣松渉だけだという
話を聞いたことがありました。
日本人はたくさん文章を書き残した民族のみならず最先端の学問を学べるのは
英語とフランス語と日本語との三つだけらしいのですが、
その分野では大きく遅れをとっているというのです。
私は漠然とそれはたぶん日本人にとって形而上なんてどうでもいいことだから
ではないかと思っていたのですが、
しかし昨今書店に行ってみると日本人によるそのような本がけっこう置いてある
印象があります。
なぜだかちょっと戸惑ったりします(私の希少価値が無くなる)。
しかし私にはそれは大森荘蔵と廣松渉云々と言った人が見誤ったのではなく、
以前と状況が変わったのではないかという気がしています。
みんながそういうことに関心を持ち始めたということだと思うのです。
(ただし以下の考察は例によって当てずっぽうなはなしです)
確かネット上に流通しているすべての言語の中で日本語の量的な比率は
日本の人口からすれば不自然に多めだった気がしました
(ネット上というよりも特定のプラットフォームだったかもしれません)。
日本人は比較的文章を書くのが好きな民族だということです。
では一体何を書いてきたのか、ここで当てずっぽうな空想になるわけですけど、
たぶん何らかの「記録」ではないかという気がします。
ざっくり「日記」とか「ルポルタージュ」とか、そういう系統です。
つまり日本人はたぶん日常に関心をもってきたのではないかと思うのです。
それに対し一般的に言って形而上学は明後日の方向に関心を寄せる学問ですけど、
それではこの方向転換の背景には一体何があるのか、
私は明言できませんけど、あまりいいことではない気がするという締めくくりです。
0800でこすけ
垢版 |
2022/01/21(金) 02:40:54.710
>>792
せっかくなので「みどり」の語源をググったら
もともとは「新芽」や「若枝」のこととありました。
つまり「みどり」は色のことではなく
言葉のつくりとしては「藤色」とか「鴇色」とかの
系統のようです。
それを思えば確かに「身獲り」はどこか通じる気もします。
「青」を「みどり」と言っていたことがあったのだとすれば
語源を忘れてからのことではないかという気がします。
あるいは知らなかったのは私だけでしょうか。

>>793
私はたぶん鏡を使って自分の顔を見るようにして
何らかの科学技術を駆使して私の脳の中の私の意識の本体を検出できるのだろう
0801時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/21(金) 03:26:41.940
>>800
あおはあおを中心としてみどりを含むもの、
みどりはみどりを中心としてあおを含むものだったのかなと思います。

既に脳の視覚情報をデコードする研究はあるみたいですね。
まだまだ不鮮明のようですが。
0802でこすけ
垢版 |
2022/01/21(金) 07:48:13.740
>>793
私は私の意識は認識上では脳の中に検出されるだろうと推測しますが
意識が実際に存在するのは認識している世界の中では無いと考えます。
意識は三次元空間(物質宇宙)の中には無いということです。
たとえば私は幽体離脱という現象は実際にあり得ると信じていますけど、
これは味を本当は脳で感じていながら舌で感じているような感覚を持つことの
応用のような気がします。
幽体離脱は視覚を感じるのが身体の外側でありながら
脳以外に視点を置くということでは目で見ているかんじがあるのと同じことだ
ということです。
>>772
>脳を含む私の客体は、私の主観的意識の精緻な表現
私はこれについては全く同意なんですが、私としてはその構造に興味があります。
また、それを示さなくては意識のハードプロブレムに答えを出せたことには
ならない気がします。
この構造は「リンゴ」という一個の仮象に「色」「香り」「感触」「味」
などを重ね合わせる仕組みに通じると思います。
0803考える名無しさん
垢版 |
2022/01/21(金) 07:50:04.010
あお(青)ずむ
0804考える名無しさん
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2022/01/21(金) 07:56:39.030
くろ(黒)ずむ、あお(青)ずむとは言うが、あか(赤)らむ、あか(赤)む、
き(黄)ばむとは言っても、あか(赤)ずむとかき(黄)ずむとは言わない。
0805考える名無しさん
垢版 |
2022/01/21(金) 09:20:08.650
想念の名詞化の提示として»Wille zur Macht«という表現と
「いき(息)のを(緒)」という表現の対比を考えてみるといい。
前者の表現の提示が促すのは、「»Wille zur Macht«とは何か」という問ひ
だろう。それに対して後者の表現の提示が促すのは「『いき(息)のを(緒)』
とはどのようなことか」という問ひである。

「»Wille zur Macht«とは何か」という問ひに応えるものとして一般に
広まった解釈が「»Wille zur Macht«とは『権力への意志』である」
というものであり、すると、「権力への意志」が「ニーチェの哲学を
規定する根本的な思想」であると理解されることになる。しかし、
そのように導かれる理解は、パロディと言ってもいいほどの(この場合、
ニーチェが好んで用いるパロディの作用を逆転してしまう)倒錯ではない
だろうか。

哲学することを促すのは、「»Wille zur Macht«とは何か」という問ひに
応えようとすることよりもむしろ、「『いき(息)のを(緒)』とはどのよう
なことか」という問ひに忠実に適切に応えるような記述を試みることの
方であり、実際、そのような試みをつづけることの方が、ニーチェが
»Wille zur Macht«によって表現しようとしている考へにはるかに
よく沿った理解に導かれることになるだろうと私は思う。
0806考える名無しさん
垢版 |
2022/01/21(金) 10:18:20.580
結局のところ、西洋哲学の伝統には、「どのようであるか」という
記述は、「何であるか」という確定的な指し示しよりも知的に劣って
いると見なす偏見が強く働いているのである。
0807考える名無しさん
垢版 |
2022/01/21(金) 10:31:17.720
その一方で、日本語の表現においては、想念を名詞化して提示する場合
でさえ、「それが何であるか」を明確に指し示すことよりも、
「それがどのようであるか」を忠実に適切に伝へることができる
ことの方が尊ばれるのだ。逆に「〜が」という発話行為による同一性
の確立は、「この○○が!」という表現がそのまま罵りとなる
ことからも分かるとおり(「が」は、「我(が)」をフランス語の
《même》に相当するように流用したものである)、適切に「評価」
/"appreciation"しようとする行為ではなく、「見限り」であり、
「見下し」/"depreciation"である。
0808考える名無しさん
垢版 |
2022/01/21(金) 10:52:09.780
ここで、主題を提示するために用いられる「〜は」は、英語の
"as for 〜"や"what about 〜"に対応するような表現であり、
「〜が」とは異なり、同一性を確立しようとするものではない
ことに留意しよう。
0809時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/21(金) 12:31:56.650
>>802
私は主観主義者ですが、主客一致は正しそうに思っています。
幽体離脱に関する観点は面白いですね。

自由意志も重要な問題ですね。

>>805
私的には息の緒とは言いません。:)

>>807
それはどうでしょうか。
0810考える名無しさん
垢版 |
2022/01/21(金) 14:36:14.660
どうであるかを示しているのに、
どうでしょうかと言われても、
どうどうめぐりですね
0811時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/21(金) 15:50:49.260
>>810
日本は、科学や数学や論理学において、
西洋に遅れを取っていただけではありませんか?
それを何か勘違いしているように思います。
0812考える名無しさん
垢版 |
2022/01/21(金) 16:16:58.730
そのような単純な進歩主義は思想としては通用しても、
哲学としては通用しないでしょう。
0813時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/21(金) 16:17:54.780
>>811
私は、日本の文化は好きですよ。
しかし、曖昧さの美学のようなものは信じません。:)
0814時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/21(金) 16:19:35.740
>>812
うーん、西洋と比較したら、他のどこの国々も
曖昧さを大切にしているように見えそうです。
0815時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/21(金) 16:23:30.510
>>814
まあ、私は曖昧さは日本の特性だとは思わないということです。
0816考える名無しさん
垢版 |
2022/01/21(金) 17:15:50.880
「曖昧さの美学のようなもの」とか、「曖昧さは日本の特性だ」とか、
そのようなことは、私はどこにも書いていないし、私の書込みに
そのような主張が含まれているとはまったく考えていませんが。
それは、私の書込みとは無関係に、どこかから仕入れた先入観を
披露しているだけでしょう。
0817時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/21(金) 19:30:01.850
>>816
ん? ようなものって言っていませんでしたか?
0818時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/21(金) 19:30:55.730
>>817
「どのようであるか」でしたね。
0819時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/21(金) 19:32:02.680
>>806
>結局のところ、西洋哲学の伝統には、「どのようであるか」という
>記述は、「何であるか」という確定的な指し示しよりも知的に劣って
>いると見なす偏見が強く働いているのである。
これとかですね。
0820時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/21(金) 19:33:02.950
>>819
西洋哲学は「確定的」だとかも言っていますね。
0821時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/21(金) 19:33:50.050
>>807
>「それが何であるか」を明確に指し示すことよりも、
>「それがどのようであるか」を忠実に適切に伝へることができる
>ことの方が尊ばれるのだ。
これもそうですね。
0822時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/21(金) 19:40:09.220
典型的な、曖昧主義者に見えました。:)
0823時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/21(金) 19:41:05.570
>>822
まあ、先入観で決め付けていた側面はありますね。
0824時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/21(金) 19:46:51.090
>>823
便所の壁の落書きと思っている限り、適当に返信します。:)
人違いだったら、御免。
0825時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/21(金) 20:05:37.800
>>824
適当に返信するかも適当で。:)
0826時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/21(金) 20:22:32.480
正直なところ、落書きは止めて欲しいです。
0827時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/21(金) 20:23:19.800
>>826
稀にであればいいのですが……
0828考える名無しさん
垢版 |
2022/01/21(金) 20:26:47.450
波平ジエンスレ?
0829時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/21(金) 20:33:51.660
>>828
多分違うよ。:)
0830時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/21(金) 20:51:57.000
>>828
身づ柄さんかな。
0831時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/21(金) 20:53:57.150
布団の中でスマホで見ています。:)
0832考える名無しさん
垢版 |
2022/01/21(金) 22:05:10.570
ネトフリ見てくる
0833考える名無しさん
垢版 |
2022/01/21(金) 22:05:49.490
>>829
了解👌
0834時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/22(土) 00:30:01.310
>>833
39秒て……
0835時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/22(土) 00:36:24.740
>>832
いいですね。私はもう1回寝るかな。
0836時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/22(土) 04:20:09.330
>>826
落書きというか、便所の壁だと思っての落書きですね。
0837時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/22(土) 04:29:11.180
>>832-833
身づ柄さんでしょうか。
少し眠い……
0838時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/22(土) 04:32:42.580
まあ、とりあえず、身づ柄さんは便所の壁の落書き発言を
取り消してください。でないと、表層的な対話しかできないです。
0839時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/22(土) 08:02:34.550
>>838
発言の取り消しというか態度の改めですね。
0840でこすけ
垢版 |
2022/01/22(土) 09:07:40.530
>>809
「幽体離脱」はおおいに誤解をまねきそうなので
ちょっと解説させていただきます。ややこしいです。
私が想定している「幽体離脱」は霊魂が体から抜けてそこら辺を歩き回るような
超常現象ではありません。私はオバケ的なものは信じません。
ただ、そのような体験をすることは実際にあり得て、
しかしその仕組みはある程度科学的に分析できるものであろうということです。

結論的に言うとたぶんある種の夢だと思うのですが、
つまり脳がつくったある種の幻覚だと思うのですが、
ただし夢が記憶をもとにつくられたものであるのに対して
幽体離脱はリアルタイムの感覚に基づいているものだと思います。
(ここはちょっとオカルトっぽくなります)
もともとヒトは動物の中では比較的感覚が鈍っている方のような印象があります。
肉食動物がかなり遠くから獲物を見つけたり、ナマズが予め地震を察知したり、
ヒトでも修行僧なんかが修行中に感覚が研ぎ澄まされて
周囲の状況にすごく敏感になることがあるようです。
このような感覚は私たちが完全に失ったものではなく、
おそらく表層意識にのぼらなくなっただけではないかというのが私の考えです。

幽体離脱が起こるには、霊魂的なものをあらかじめ知っておく必要があると思います。
たぶん幽体離脱はヒトにしか起こらない現象です。
無意識がそのような体験を作り出すのだと思います。
なお「幻肢」の仕組みもたぶんそれと同じだと思います。
じつは意識が有る脳ではなく、そこから離れた舌の上に味を感じるという現象も
それと同じ仕組みを持っている気がします。
ちなみに私はときどき耳の中が痒くなって耳かきでそこを掻こうとすると
そこに身が無かったりすることがあります。
0841でこすけ
垢版 |
2022/01/22(土) 10:01:52.350
>>840
ストラットン的に言って、そもそも「舌」はそこには無い
ということを付け加えさせていただきたく存じます。
0842考える名無しさん
垢版 |
2022/01/22(土) 10:19:39.630
ただの夢遊病だろw
0843する=なる
垢版 |
2022/01/22(土) 10:50:44.620
>むしろ絶対者はただ結果としてのみ存在しうるのだ。
「理念の本性とは本質的に、自らを発展させ、発展によって自らを把握し、
そして理念がそうであるものになるということである」
(TW18:39/一巻五〇頁)[ヘーゲル]<
エッカート・フェルスター、『哲学の25年』、p.478

456考える名無しさん2022/01/05(水) 09:32:28.950
>天地(あめつちの分かれし時ゆ神(かむ)さびて
高く貴き駿河(するが)なる富士の高嶺(たかね)を
出典万葉集 三一七

457する=なる2022/01/05(水) 09:36:57.450
»Wille zur Macht«/"to do what you can"/「駿河なる富士の高嶺を」
0844考える名無しさん
垢版 |
2022/01/22(土) 10:53:14.070
日本語は哲学には向かない、日本語で哲学をすることはできない
と主張する人々は、単に、日本語で反省する能力が自らに欠如している
ことを告白しているだけではないのか。
0845時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/22(土) 10:54:13.880
>>840
舌に関しては、脳神経系の範囲内だと私は思います。
魂の存在は、実は私は結構信じています。
しかしそれは、人間の身体の内側にあるとは限りませんし、
幽体離脱に関わるかどうかは解りません。
幽体離脱はあると思う方が愉しいですね。:)
0846時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/22(土) 10:57:04.980
>>843
相変わらず理由の解らないコピペですね。:)

>>844
誰もそんなこと言っていませんよ。
どこかから仕入れてきた先入観ではありませんか。
0847考える名無しさん
垢版 |
2022/01/22(土) 11:08:51.370
「この時計『が』!」というのは、「時計の分際で〜」という見限りですよね。
「時計」が「時計の分際」であることがどうして見下しとなり得るのでしょう。
ちなみに「〜が」の用法に見下しのニュアンスが伴うことは、私見による
特殊な主張ではなく、岩波古語辞典にも記載される一般的に通用している見解です。
0848時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/22(土) 11:11:46.010
>>847
紛らわしい例は止めてもらえますか? :)
0849時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/22(土) 11:14:02.210
>>848
全く身づ柄さんは…… :)
0850考える名無しさん
垢版 |
2022/01/22(土) 11:18:23.220
https://www.iwanami.co.jp/files/tachiyomi/pdfs/0291370.pdf
>二一世紀の中国の地で、デリダがとある現代中国の知識人と対談していたとき、
デリダの何気ない一言によって、それまで穏やかに進んでいた対談の空気が
一変したのである。それは、「中国には哲学がなく、思想しかない」という
デリダの発言であった。<
0851時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/22(土) 11:18:36.040
>>849
最近、フッサールを読んでいますが、
他者は現象学的還元をしても、意識はない、
というアクロバティックな読み方をしています。:)
どこまでそれで読めるか実験です。
0852時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/22(土) 11:19:31.170
>>851
ああ、引用、間違えました。
引用なしで読んで下さい。
0853時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/22(土) 11:21:08.040
>>850
あんまり詳しくありませんが、老荘思想などは、
中国の哲学と言えるのかなと思っていました。
0854時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/22(土) 11:23:35.670
>>853
あんまり詳しくないなら立ち入らない方が良かったかもしれませんね。
言われる前に言っておこう。:)
0855考える名無しさん
垢版 |
2022/01/22(土) 11:24:26.660
>全く身づ柄さんは…… :)

私は「考える名無しさん」ですが、その「全く○○は」という語法は、
「○○は完全に〜だ」と過不足なく言い換えることができ、つまり、
この場合、「全く○○は」とは、You are/○○ is "nothing other than 〜"
ということで、この場合も、発話遂行的な同一性の確立が非難として
用いられていることになりませんか?
0856時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/22(土) 11:28:02.520
>>855
名無しさんだと全体になってしまいますから、仕方がないのです。
私見では、「見限り」になるのは、
断定を避けたいという思いからだと思います。
0857時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/22(土) 11:37:44.470
>>856
ネガティブなワードは言うのも憚られるというか、
言霊的なというか。
0858非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2022/01/22(土) 21:02:19.460
コインの表裏はともかくとして、コインそのものは客観的実在なのか。

その客観性あるいは実在性を確認あるいは証明できるのだろうか。
客観性には他者が必要である。
とりあえず他者は先送りするw
この場合、実在性を自己だけで確認できるのかどうかということになる。
証明は他者との客観的検証が必要となるだろうが、そこはおいといて、
確認とは証明であるということにする。実在の証明。

表裏の可能性のために、そもそものコインの実在証明を自己だけで行う。
「わたし」がいなくても(みていなくても)、そのコインは「存在」するか。
0859非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2022/01/22(土) 21:56:36.930
きわめて難問なので、夢の中としてみる。
この場合、(夢の中の)コインは実在しない。
夢の中で、その(夢の中の)コインが実在しないことを証明できるだろうか。
夢の中の「わたし」が、夢であることに気づければ証明いらずだが、
あくまでも証明可能かどうかを考える。
0860考える名無しさん
垢版 |
2022/01/22(土) 22:12:14.230
『哲学の25年』を一応、最後まで読み終えた。
>>858みたいな言葉遣いで問題を考える人には役に立つんじゃないかな。
最後の章は、一応、著者の全体的な考え方が示されていてそれなりに参考になった
(私にはかなり「我田引水」の論述に感じられたが)。ヘーゲルの議論を説明した
その直前の章があまりにも退屈だったから、途中で読むのを止めようかと
思ったが、最後まで読んでよかった。まあでも、これを読んだからといって、
カント、シェリング、ヘーゲル、スピノザあたりの著作に自分でまともに
取り組もうという気にはならないが。フィヒテは、別枠というか、別の
意味で関心があるので、暇ができたらまた少しは読むだろうけど。
0861時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/23(日) 02:00:45.570
>>858-859
極めて難問だと思います。
私としては、0.99の可能性が夢であり得ることを考慮すると、
Xの可能性に転化するように思います。
実在は、常にその根底に揺さぶりの掛かるものだと考えます。
しかし一方で、これは夢ではないという感覚は
一応、信頼に足るようにも思います。
この感覚は何なのでしょうか。
0862時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/23(日) 02:15:58.660
>>861
Xの可能性は、これは夢ではないと判断すると、
0.99の可能性に回帰するけれども、
それは、そういう夢だと考えた途端、Xの可能性にまた戻る。
そういうものなのかなと思います。
0863時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/23(日) 02:17:27.530
>>862
突き詰めると、私は日常では、これは夢ではないという直観を
信じているのに過ぎないのかなと思います。
0864時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/23(日) 02:38:31.460
>>863
連続性は現実の特徴かもしれません。
名無しさんは連続性はありませんね。:)
0865時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/23(日) 03:11:04.480
>>864
結構、考えましたが、やはりこれは夢ではないという
直観を信じるしかないかな。
0866時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/23(日) 03:37:30.680
>>865
現実の痕跡というものがあるかもしれない。
0867時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/23(日) 05:55:43.270
>>866
今、この机の上にある本は昨日も机の上にあった。
その本は去年ある本屋で購入した。
その本の著者はまた別の本を読んで知った。
そういうようなことは現実の痕跡になるかもしれない。
0868時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/23(日) 05:56:41.990
>>867
正:昨日もその机の上にあった
誤:昨日も机の上にあった
0869非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
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2022/01/23(日) 11:49:12.890
夢の中をVR(Virtual Reality)、主観的な現実をAR(Augmented Reality)またはMR(Mixed Reality)
とするなら、夢の中のコインは実在しない。
他者なしには確かさ/確からしさも得られない。
しかし、コインそのものも(人格は持っていないかもしれないが)他者である。
わからない/予想不能な部分があればよいのかもしれない。
では、夢の中のコインのすべてを知っているのかというと、そうでもない。
知っている情報だけで構成されているわけだが、知らない部分も知らない部分として知っているw
予測不能な部分も無意識が補ってくれている。
数学的には区別することが可能だとしても...(ちょっと思いついたので中断)
0870考える名無しさん
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2022/01/23(日) 11:59:25.590
現在は昔なのに存在するなんてないw
存在しただろw
0871非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
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2022/01/23(日) 12:09:25.850
昨夜の電脳コイルとか、いまみているBSフジの番組とか、
なぜかAR/MRに関する番組が続いている。

夢の中(VR)でのコインの実在性は無意識によるものである。
無意識が実在性をシミュレーションしてくれている。

現実における実在性も、主観的であるかぎり無意識による直観的なものである。
そういうわけで、主観的存在+無意識による「主観的実在」(≒直観)を提唱するw
0872時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/23(日) 18:01:01.750
最近フッサールを読んでいたのだが、
よくこんなに考えたなと思う。
闘争的と言うか。
ニーチェは明らかにそうだけど。
これが西洋哲学の特徴なのかな。
何が彼らを駆り立てるのだろう。
日本人は徒然なるままにじゃないけど
適当だよね。
0873時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/23(日) 18:06:04.710
>>871
夢に関しては、哲学より脳科学の方が真理に接近しているかもしれませんね。
多分、回路が現実モードになって、視覚とかがはっきりして、
それが夢ではないという直観を生むんじゃないかなと思います。
0874時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/23(日) 18:13:17.890
>>873
そんな研究があるかどうかは知りません。適当です。:)
0875非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
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2022/01/23(日) 18:43:54.680
主観的実在とは、ようするに思弁的実在論的なものですね。
マルガブの新実在論という方向性もあります。

実在とは「公理」であり、体系内に持ってくると矛盾をもたらします。
公理的集合論かえみれば、あまり語られることのない、「集合の存在公理」に相当します。
0876時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/23(日) 19:25:17.980
>>875
マルクス・ガブリエルは2冊、図書館で予約しましたが、まだ貸出中です。
メイヤスーは去年読みましたが、面白かったです。
思弁的実在論は、確かに主観的実在論とは相性良さそうですね。

集合の存在公理ですか。考えたことともなかったです。
矛盾をもたらすというのはどういうことでしょうか。
0877時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/23(日) 19:33:44.220
>>876
要するに、実在は○より多いということかな。
0878非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
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2022/01/23(日) 23:00:48.070
主観という体系内で、実在を定義すると矛盾する。
タルスキの定義不可能性定理を援用します。
なんて小難しいことを語らなくても、
実在は主観からはなれて存在するというものですから、主観内で定義するのは無意味ですw
これは(主観からはなれた)「客観」すらも無意味だということになります。
主観という体系内で定義可能なのは主観的客観であり、
それゆえに主観的実在のみが実在として定義可能です。
主観を思弁とすれば、思弁的実在論そのものですね。
0879非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
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2022/01/23(日) 23:06:07.920
というわけで、コインの「実在」は「公理」です。
「公理」だからといって「絶対」だということではなく、
「公理」は常に更新(否定とは微妙に異なる)される可能性を持っています。
コインについて語るとき、コインの実在性は公理として語りの外側にあるわけです。
やっと、先送りしていたコインの実在性問題を回収できたと思います。
0880考える名無しさん
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2022/01/23(日) 23:45:37.490
時は止まらないのに今はないよなw
0881時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/24(月) 03:37:12.970
>>876
正:考えたことも
誤:考えたこととも

>>878
なるほど。私は実在は主観的実在だと考えていますから、
矛盾は回避できているのかな。

>>879
語りの外側にあるというと背理を感じますが……
0883考える名無しさん
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2022/01/24(月) 08:36:12.210
それでも先はやってきてるぞハゲw
0884考える名無しさん
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2022/01/24(月) 11:01:38.580
おまえらの目の前のものと記憶の中のものは毎時違うからなw
0885考える名無しさん
垢版 |
2022/01/24(月) 11:15:06.920
意識しないと不都合が生じる違いだけが、その都度、意識されるんだよ。
0886時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/24(月) 12:13:46.630
>>884
まま、穏便に。
そういう主観なわけです。
0887時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/24(月) 12:35:31.080
>>885
スマホを見る意識に何か不都合はありますか?
0888考える名無しさん
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2022/01/24(月) 13:23:10.320
スマホ見ないと着信した連絡に気づかずに私生活でも仕事上でも
支障が生じるからスマホを所持しているのでは。私はスマホなんて
持ちたくもないけど。
0889考える名無しさん
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2022/01/24(月) 13:27:42.910
衣服の流行とかについて考えてみるといい。
万年、同じ衣服を見つけていても、擦り切れたのを廃棄したり、
寒暖の変化に合わせて重ね着したり、薄着にしたりしている
だけで、衣服の身体保護機能には何の問題もないはず。
でも、周囲が違うスタイルの衣服を着用しだす。すると、
違いに気づいて、別に新しいスタイルの方が機能性が
優れているというわけでなくても、今までのスタイルの
衣服はもう場違いであるという意識が生じる。
そうやって、機能性の関係なくファッションが変化する。
0890考える名無しさん
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2022/01/24(月) 13:32:07.060
どういう衣服が場違いなのかに注意を払っていないと、
自分ではそのことを意識していなくても、周囲の人々が、
そのように場違いな衣服を身に付けていることに注意を向ける。
周囲の人々は、そのように場違いな恰好をしていることには、
特別な理由があるか、特別の意図があるに違いないと判断し、
その判断に基づいて、その場違いな恰好をした相手に
対して振る舞うようになる。そのことが、大きな不都合を生じる
ので、流行など気にしたくなくても、普通は周囲に合わせて
身に付けるもののスタイルを変える。
0892考える名無しさん
垢版 |
2022/01/24(月) 13:38:42.790
>>890
そういう意味で老人が財を使わず貯め込む行為は正しいね
流行に疎いから無形財や食事に散財するならまだしも一生物にホイホイ使うと流行遅れのモノに金をドブに捨てることになる。孫にも相続してもらえない。
0893考える名無しさん
垢版 |
2022/01/24(月) 13:38:49.140
「勇み足」というのは出した足の置き場が不都合だから、
そのことを「意識しろ」という指摘ですよねw
0894考える名無しさん
垢版 |
2022/01/24(月) 13:40:36.850
何もしなければ勇み足は生じない
0895考える名無しさん
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2022/01/24(月) 13:53:12.320
周囲がみな一歩踏み出しているのに、なにもしなければ、
頑固に足を出すことに抵抗していると見なされ、
非難の対象となる。
0896時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/24(月) 14:03:32.620
>>888
スマホは連絡酒庵としても使えるが、
電車や布団の中で使えるのも個人的には大きい。
電子書籍も読める。
0897時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/24(月) 14:29:28.130
>>896
正:手段
誤:酒庵
0900非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
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2022/01/24(月) 22:35:54.720
主観という集合の外側に非主観的客観(≒実在)がある。
この集合を裏返せば、客観という集合の外側に主観という公理がある公理系を構築できる。
それでいて全体(集合+反集合)は存在確率半径1の超球面である。
主観側も客観側も(存在確率の)曲率を持った集合となる。
この曲率を重力のようなものと考えるとおもしろい。とてもおもしろい。
いま考えているのがピタゴラス音律から超対称性による並進対称性を得ること。
超球面は「波」だ/のはずだ。
公理系にも対称性があり、公理系とその反公理系がつながっていて超球面になっている。
とりあえず公理的集合論と対称性をもっている反公理的集合を考えてみるw

>>885
まさしくその通りであって、なにかしら問題(矛盾)があるから「意識」が必要とされる。
問題がなければ「意識」など必要とされない。
0901考える名無しさん
垢版 |
2022/01/25(火) 00:56:29.490
lim x→∞ (sin(π/x))/(π/x)=1
なのだから、
lim x→∞ π/x≠0
でしょう。
0902考える名無しさん
垢版 |
2022/01/25(火) 00:59:25.560
というか、πは定数ではなく、数えることに応じて精度が高まるように
算出される値なのだから、lim x→∞で先回りして無限に達した状態を
想定することはできないということでは。
0903塩なめくじ
垢版 |
2022/01/25(火) 03:17:36.72ID:ybXdxiar0
>>901
なーに言ってんだおめえ。だったら
lim[x→0]{x / x} = 1
だから
lim[x→0]{x} ≠ 0
なのか?そう言ってるのと同じで、論理が破綻してるっぺよ。徒に数式使うんでねぇ。
0904塩なめくじ
垢版 |
2022/01/25(火) 03:28:47.26ID:ybXdxiar0
lim[x→0]{π/x}
が存在しないのは
lim[x→0]{1/x}
が存在しない理由と同じでπは関係ないっぺよ。
0905考える名無しさん
垢版 |
2022/01/25(火) 04:43:53.710
微分もできない馬鹿は哲学をやるな
哲学は優秀者のための学問だ
詩文か? 屁理屈はいかなる意味でも学問ではない!
0906考える名無しさん
垢版 |
2022/01/25(火) 06:40:31.760
>>885
おまえのそういうところがいろんなことを見落としてるんだろなw
誰かに似ているがそういうところやぞw
0907考える名無しさん
垢版 |
2022/01/25(火) 07:42:22.220
>>903-904
何を言っているのか私には分からないな。
πは、既存の数値として存在するものではなく、数を数えるのに応じて
その精度が上げるように整数比として近似されて算出される値なので、
lim [x→∞] π/x
もxが大きくなるにつれて算出される値であると考えるなら、
いくらxを大きくすることができても、その極限として、つまり、
先回りしてlim [x→∞] π/x=0
と考えることは、存在論的に整合性がないだろうと言っている。
存在論的な説明を数式に代用させることはできないだろう。
0908考える名無しさん
垢版 |
2022/01/25(火) 07:50:14.910
>>904
私は数を無限に数えることと円周率の計算が表裏一体だと言っているのだから、
どう関係がないのか、言葉で説明してもらわないと不明ですよ。
lim[x→0] 1/xで同じ大きさを無限に分割するという問題の対応から
考えているのだから、数を数えることと、円周率と、連続性の問題の
関係を哲学的に言葉で説明してもらえなければ、私にとっては、
何も示されたことにはならない。
0909考える名無しさん
垢版 |
2022/01/25(火) 07:52:36.040
存在論について数学の方が、既に説明がついていると考える前提そのものが
どこに根拠があるのか不明。
0910考える名無しさん
垢版 |
2022/01/25(火) 09:29:55.020
誤:存在論的な説明を数式に代用させること
正:存在論的な説明に数式を代用すること
0911でこすけ
垢版 |
2022/01/25(火) 12:44:12.300
>>860
>>872
私はヨーロッパ人を象徴するのは「自伝」だと思います。
「自伝」を書くようにして「哲学書」を書いている気がするのです
特別な感性をもっているのだろうという気がしたりするわけです。

かく言う私も「本当の世界をタヒぬまでには知りたい」とか思っています。
その時点でちょっと人間としてオカシイわけですけど、
ただ、それは「覚えること」ではなくて「わかること」であろうと考えるので
「言葉」ではなく「きっかけ」を探しています。
にしても彼らの情熱というのか執念というのかまではよくわかりません。
もっと別の動機なり要因なりがある気がするのです。
たとえば日常的に肉を食っているとそうなっちゃうのかな
という気がしたりします。
0912でこすけ
垢版 |
2022/01/25(火) 14:27:06.810
>>858
「存在」の根拠についてですけど、とりあえず有名なものが「我思う」です。
私は「意識」の発生は生命以前の単純なものにさかのぼると考えますが、
つまりそのようなものはまだ言葉はもちろん感情や感覚も無い
おそらく私たちの潜在意識レベルのものに過ぎず
まして「考察」なんか絶対にあり得ないような気がしますけど、
しかしそれでも存在できている気はします。
少なくともこの世界には感覚さえ持たない潜在意識的なものだけの意識が存在
している可能性はある気がします。たとえば生まれる前の私たちです。
それでもそれは、一応いわゆる「実存(主観的存在)」です。

では、「実在(客観的存在)」とは何を持って「存在の根拠」にできるのか、
実存として存在しているもの(観測者)が存在していない世界では
物体はどのようにして存在しているのか、
あるいは先走って言うと「(空間的)ひろがりを持つ」というのはどういうことなのか、
「ちからを及ぼし合う」というのはどういうことなのか、
「存在を保つ」というのはどういうことなのか、
そしてそういったことなどは如何にして可能になるのかという問題です。
もちろん「世界は観測者(実存)がなくても成立するのか」につながります。


ところで私はビッグバンで宇宙空間ができたというのには飛躍をかんじます。
複数の物体の運動原理を統一するシステムは如何にして可能なのか、
「物理学的空間」というのはシンプルではない複雑な構造体のような気がするのです。
たとえると電話が発明された最初の電話がいきなりスマホだったかんじです。
そこまで行くためにはいくつかの段階を踏む気がします。
「物理学的空間」はア・プリオリに与えられるものではない気がするのです。
0913考える名無しさん
垢版 |
2022/01/25(火) 14:32:33.200
言葉として伝わるように矛盾なく記述して表現することは大切だ
さもなければ、まやかしばかりが横行することになる
0914塩なめくじ
垢版 |
2022/01/25(火) 14:36:34.87ID:Mp27Fk4Y0
lim [x→∞]{π/x} ≠ 0

という間違っている式を提示している時点で取り合う必要がない話だし、
これ以上意図を汲み取ろうとするとグダグダになりそうだからやめるが、

極限値の厳密性の話なら、「無限」を避けるためにδε論法があるのだし、
無限回の試行や無理数を認めないなら直観主義論理というものがある。
0916考える名無しさん
垢版 |
2022/01/25(火) 14:48:50.890
ナメクジは知の塩に触れると干からびてしまうから、避けて通ろうとするほかない
0917塩なめくじ
垢版 |
2022/01/25(火) 14:50:17.07ID:Mp27Fk4Y0
>>907
「既存の数値として存在するものではなく、数を数えるのに応じて
その精度が上げるように整数比として近似されて算出される値」
→それは極限値という。「極限値としてしか存在しない数」のことなら
それは(多分)「代数的数でない複素数」=超越数となるが、
超越数は円周率だけでなくネイピア数など他にも存在する。

>>908
「私は数を無限に数えることと円周率の計算が表裏一体だ」
表裏一体ではなく、円周率の計算は無限に数えることの内の一部でしかない。

哺乳類には首の長いキリンが含まれるが、首の長さが哺乳類の性質とは関係がないように、
極限によって円周率が求められるとしても、その一部である円周率の性質と極限とは関係がない。

とまあ、こういうことになるだろう。
0918塩なめくじ
垢版 |
2022/01/25(火) 14:53:24.31ID:Mp27Fk4Y0
「極限値としてのみ存在する数」が「代数的数でない複素数」=超越数となるかどうかは自明ではないが、
そこの非自明性については身づ殻氏にとってはどうでもよいことなのであろう。
0919考える名無しさん
垢版 |
2022/01/25(火) 14:55:53.730
>超越数は円周率だけでなくネイピア数など他にも存在する。

数学では、このような「数の存在」を前提とする表現や、
数学記号の用法によって、存在論の問題が隠蔽されているが、
そこで行われている数学操作を言葉で記述しようとすると、
そのままそこにどのような存在論の問題があるのかが
明らかとなってしまう。
0920考える名無しさん
垢版 |
2022/01/25(火) 14:58:05.950
円周率に極限はないのだから、「極限値としてのみ存在する数」ではないだろう。
0921塩なめくじ
垢版 |
2022/01/25(火) 15:04:58.47ID:Mp27Fk4Y0
微分可能性の定義は、
lim[h→0]{(f(a+h)-f(a))/h}
が存在するとき
f(x)はx = aで微分可能。

連続性の定義は、
lim[x→a]{f(x)}
が存在して、その値がf(a)に等しいとき
f(x)はx = aで連続。

一般的に微分可能ならば連続であるということになっているが、
lim[x→a]{f(x)}が存在してもf(a)が存在しないまたは定義しないことがある。
その場合は微分可能かつ連続でないのではないから
0922でこすけ
垢版 |
2022/01/25(火) 15:08:07.400
>>845
微妙にはなしがズレますが、先日ちょっとおもしろい話を聞きました。
私たちはえてして「精霊」というとマユツバだと決めてかかったりしますけど、
じつは「命」も似たようなものなのではないか、
数千年後の人類にとって「命」は迷信になるのではないかというのです。
「生命とは何か」実際にそれは定義すら厄介なものです。
その昔ポルノの定義で「見ればわかる」というのがあったそうですけど、
生命も「見ればわかる」
あながち間違ってはいない気もしてきたのでした。
0923塩なめくじ
垢版 |
2022/01/25(火) 15:12:38.34ID:Mp27Fk4Y0
ではないか?

>>920
円周率は最も古い式で
Σ[n=0,∞]{((-1)^n/(2n-1)}
という無限級数で表される。この無限級数というのが極限に他ならない。
0924塩なめくじ
垢版 |
2022/01/25(火) 15:13:32.35ID:Mp27Fk4Y0
Σ[n=0,∞]{((-1)^n/(2n-1)} = π/4
の間違い。円周率ではなく円周率の1/4。
0925考える名無しさん
垢版 |
2022/01/25(火) 15:19:55.470
>この無限級数というのが極限に他ならない。

これが存在論的に間違った表現。「極限」は存在しない。
無数えることに応じて、無限に精度を高めるように比として
表現できるという「操作を記述している」に過ぎない。
0927塩なめくじ
垢版 |
2022/01/25(火) 15:50:19.62ID:ybXdxiar0
>>925
それって
0.999999... ≠ 1
っていうありきたりな話とはどこが違うの?
0928考える名無しさん
垢版 |
2022/01/25(火) 15:57:06.650
さすがナメクジだけあって、円周率の数値を任意の精度で計算することと、
小数点で同じ数字が続くことの間の区別がつかないようだねw
0929塩なめくじ
垢版 |
2022/01/25(火) 16:08:56.88ID:ybXdxiar0
区別が付いてないのは煽りで誤魔化さざるを得なくなっている方だろう。
だから「無限の操作(≒極限)でしか表現できない数」として
超越数という助け舟を出したのだが意にかけなかったようだ。
0930塩なめくじ
垢版 |
2022/01/25(火) 16:12:57.63ID:ybXdxiar0
まあ好意的に解釈するなら、身づ殻氏が構えているのは直観主義論理と同じであろう。
直観主義論理のコンセプトは排中律を認めないことだが、
そこから無限や無限回の操作の禁止といったことが導かれる。
全然詳しくないが極限も認められていないのではないか。
0931塩なめくじ
垢版 |
2022/01/25(火) 16:24:47.89ID:ybXdxiar0
無限を認めないというか、「無限にそれに近づくことはできるが、
永遠に辿り着くことはできないもの、を存在として認めない」ということかな。
そんなのは蜃気楼とか馬ニンジンみたいなものだと。
0932考える名無しさん
垢版 |
2022/01/25(火) 16:40:08.530
行為を哲学的にしっかりと考えて忠実に表現することができないようだね。
だから、「無限や無限回の操作の禁止」の操作の禁止とか、どこにも
主張されていないことを、あたかも相手の主張であるかのように捏造
せざるを得ない。否定されているのは、任意に無限に操作することの
可能性などではない。その無限の操作が完了しているかのように
思いなして、それによって得られたとする存在者が目の前にあるもの
とする存在論だ。
0933考える名無しさん
垢版 |
2022/01/25(火) 16:40:51.610
「無限や無限回の操作の禁止」の操作の禁止とか ×
「無限や無限回の操作の禁止」とか 〇
0934塩なめくじ
垢版 |
2022/01/25(火) 16:47:04.35ID:ybXdxiar0
>>932
同じことを別な言葉で言ってるだけだ。自分の領分から出ず汲み取ってもらう側の分際で
イチイチ解釈にケチをつける度量の狭さには敬服せざるを得ない。
0935塩なめくじ
垢版 |
2022/01/25(火) 16:54:42.94ID:ybXdxiar0
自分の領分を出ない、というのは「私はこう思う」とか「私にとっては何も示されたことにならない」とか
あくまで「私」が思う限りにおいて自由であり、誰からも非難を受ける謂れはない
という無謬性の領域から出ないというこも。
0936考える名無しさん
垢版 |
2022/01/25(火) 17:07:47.110
無限の操作と、その操作が完了されたとすれば得られるものの存在
を混同していながら、その混同に気づくことすらできないから、
哲学にならないのですよ。
0937塩なめくじ
垢版 |
2022/01/25(火) 17:27:28.52ID:BnNPgh4e0
無限が「その操作が完了されたとすれば得られるものの存在」の最たるものなのだから
無限も無限回の操作もそれを含意しているに決まっているだろう。
0939時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/25(火) 17:45:10.850
>>922
久しぶりに酒が入っています。
生命とは何なのか。科学的には細胞から構成されていることでしょうか。
そうするとウィルスなどはどうなるのかという話になりそうですが、
詳しいことは私は知りません。:)
見れば解る生命というものは、ある程度の大きさがありますよね。

>>911
最近、ショーパンハウアーの『意志と表象としての世界』を読みましたが、
2回は読めと、あとがきみたいなところに書いてあり、
どこからその自信はやってくるのかと思いました。
しかし、そのことには本人も自覚的みたいで色々と書いてありましたが、
しばらくは再読することはなさそうです。:)

本当の世界はどこにあるんでしょうね。
最近キリスト教に入信しようかなと結構真剣に考えています。
キリスト教、仏教、哲学と2足ならぬ3足のわらじが認められるなら、
ありかなと思っていますが、どうなることやら。
私は狂信的なタイプではありませんし……
とりあえず当たって砕けろというか、
やってみようかなという感じはしています。

私は神に関心があります。
神は死んだだとかいう哲学者はキライです。:)
話は聞きますけどね。
0940時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/25(火) 20:59:20.350
>>938など
無理数は存在すると考えていました。
πはπということで。
n進数で表現することは無理ということで。
直観主義論理でも無理数は存在するのでは?
しないのかな。
何にせよ考え違いを人格の否定のように言うのは止めましょうよ。
0942でこすけ
垢版 |
2022/01/25(火) 23:16:51.920
>>939
たとえば「生物」と「生命」との違いについて、
私はことさら区別をしてきたわけではありませんけど、
しかし個人的な印象としては(これはまったく個人的な印象でしょうけど)、
「生物」は細胞でできていて何らかの活動をしている物体であるのに対し、
「生命」と言うとたとえば宇宙の彼方にいるかもしれない非炭素系の生物や
極端に進化したロボットなどまでをも含み得る気がします。
あるいは貝殻のような残骸ですらざっくり「生命」のような気がします。
さらには伝統文化や古典芸能などでも若い人が新しい感性を注ぎ込んだものには
「焼き物は生きている」とか「歌舞伎は生きている」とか
そういう気持ちになることがあります。
はなはだいい加減な気がするわけです。

>本当の世界はどこにあるんでしょう
私はけっこう目の前にある気がしています。
本当の世界は見方を変えることによって見えるようになる気がするのです。
ところでせっかくなのでショーペンハウアーについてですけど、
これは私にとってはカントでもニーチェでもそうなんですが、
おおかた書いてあるのは当たり前のことのような気がするので
私には読む気が起こりません。
私としてはむしろ時計さんが面白いと言っていたメイヤスーの方が
気になります。
私の世界観は断然カント、ショーペンハウアー、ニーチェだろうと思いますが
(メイヤスーやマルクス・ガブリエルではなくて)
一方では「面白くなければ哲学じゃない」という気持ちがあるのです。
ただ、ショーペンハウアーが「2回読め」というのはわかる気がします。
哲学というのは覚えるものではなく理解するものだ(見方を変えるものだ)
という考え方が背景にあるのではないかと察するのです、
「訓練しろ」と言っているのではないでしょうか、知らんけど。
0943考える名無しさん
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2022/01/25(火) 23:43:10.190
難しいことは考えずに、πの近似値として計算された数値、
例えば、π=3.14であれば、与えられた円の円周を1/314に分割し、
π=3.14159であれば、1/314,159に分割し、π=3.14159 26535
であれば、1/31,415,926,535に分割して、その1/nを単位として
円周長を測る/単位数を数えるものとイメージすればよいのでは?
すると、単位として用いられる1/nは、どんどん細かくなって、
次第に点と見間違えるほどになり、測定の精度は高まるけれども、
その大きさは、円周長が分割されている元の円の直径の1/nの
直径の微小な円の円周長となるのでは。
0944でこすけ
垢版 |
2022/01/25(火) 23:54:02.350
>>939
それから余計なお世話ですけど、
私は宗教が悪いとは思いませんけど
ただ、宗教団体にはあまり良い印象がありません。
信頼できる宗教家なり信者さんなりと交流するだけであればいいと思いますが、
たとえばビーガンやフェミニズムがそれ自体悪いことではないにもかかわらず
しかしえてしてヤバい方向に陥りがちであるように、
信仰は組織化されると良くない方向に向く可能性が低くないもの
のような印象があります。
具体的に言ってしまうと、カネが絡むことがあって、
そしてDVを受ける女性のように、それでも従順になってしまう傾向があるようです。
これは「自分は大丈夫」と思っている人ほど云々と言ったりします。
察するにじつは時計さんの中では結論が出ている気もするのですが
それでも私はあえて慎重であることをおすすめします。
失礼致しました。
0945考える名無しさん
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2022/01/26(水) 05:01:46.840
無理数なんて打ち消しあって1になればそれでしまいだアホw
0946考える名無しさん
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2022/01/26(水) 05:15:08.650
πが定数ではないとか言ってる時点でスレ主はアホ確
こういうのがいるからソーカル事件みたいのが起こるw
どうせフリーメイソンやろ、ろくなやっちゃない
お前らごとき馬鹿どもが世界征服できるか、アホぬかせw
0947時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/26(水) 05:30:54.260
>>942
「生命」ですか…… 難しいですね。
人工生命とかもありますね。

何でも面白い方がいいですね。
ショーパンハウアーは暗い気持ちになりますよ。:)
メイヤスーは明るい感じはすると思います。
2回読むのは、まあ、おいおいですね。

>>944
キリスト教は、「(キリストの)弟子を増やせ」と
聖書に書いてありますから、布教に熱心なのだと思います。
日本ではそれほど勢いはありませんが。
カルト的な要素はないか、話は聞いてみたいと思います。
カネに関しては、大丈夫じゃないかな。
普通のキリスト教だと思いますよ。
0948時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/26(水) 05:33:08.700
>>946
定数ではないとか、言っていませんが……
0949時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/26(水) 05:39:04.970
>>946
あと、世界征服とは? :)
0950時計 ◆Mjk4PcAe16
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2022/01/26(水) 05:40:41.250
>>949
哲学的な世界であれば、征服かどうかは解りませんが、
この手に掴みたいと思います。
0951考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 06:38:48.730
数学において求められる「極限」は、「(大きさのない)点」、すなわち、
「存在しないもの」として理念化されているのだから、「極限が
存在する」と言語表現して、それを真に受ければ、矛盾が生じるのは当然である。
この場合も、主要な西洋言語における言語使用の実践と比べて、
日本語の表現法の方が「合理的」である。数学上、極限はいかなる
場合にも「存在する」ことはなく、「求まる」場合と、「求まらない」
場合があるだけである。
0952考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 06:52:00.130
しかし極限が存在しないならアキレスは亀を追い越せないのでは?
0953考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 07:00:35.120
「極限」としての「点」が「存在しなく」ても、円周率は求められるし、
時計の針が回転することも可能ですが?
0954考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 07:10:53.780
極限値が有限値になることもあるんだから極限は当然存在するだろう
0955考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 07:18:45.460
円周率の値が極限の点として確定しなければ、回転が不可能であるというのなら、
アキレスは亀の想定では、アキレスが亀に決して追いつくことができないように、
時計の針が回ることもできない。しかし、円周率として「求まる」値は、
円周上の「点」として「存在する」わけではなく、任意の精度で無限に「求まる」
円周上の微小な単位として示され得るのである。その単位は、円周率の値が
「求まる」のに応じて、求まる精度の桁まで元の円の直径を1/nに分割する微小な
円の円周長に対応し、その微小な円は、元の円の直径上に並べられれば、その直径
を1/nに分割するのだから、求まる円周率の精度に応じてnが任意に無限に大きく
なり、1/nの大きさは次々に0に近づくものの、その大きさが極限として0となる
ことは決してない。
0956考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 07:23:52.410
数学は言語表現を誤魔化しているから、言葉で説明しようとすると矛盾が
生じて、数式による表記で説明がついたことして逃げるしかなくなる。
しかし、哲学的な問題は、そのように数学の表記によって示されたことが、
「言語表現として」どのようなことに対応しているのかを明確に忠実に
示すことだ。
0957考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 07:28:38.330
無理数も、小数点以下が無限に続いて書き終わらないから「存在しない」ってこと?
うーん、よくわからん
有理数までしか認めない立場?
0958塩なめくじ
垢版 |
2022/01/26(水) 08:21:24.21ID:hHRXsbBe0
>しかし、哲学的な問題は、そのように数学の表記によって示されたことが、
>「言語表現として」どのようなことに対応しているのかを明確に忠実に
>示すことだ。
この、哲学的な問題が身づ殻氏の関心事なのだろう。だからこそ数学的な問題を疎かにしており、
言語表現としてどのようなことに対応しているかを明確に忠実に示せないでいる。例えば、

>数学において求められる「極限」は、「(大きさのない)点」、すなわち、
>「存在しないもの」として理念化されているのだから、
↑極限は「(大きさのない)点」ではないし、「(大きさののない)点」は「存在しないもの」ではない。
剰え理念化されてなどいない。例えば数直線上の1や2/7も点であるし、それを存在しないと言うのは狂人だけだ。

>「極限が存在する」と言語表現して、それを真に受ければ、矛盾が生じるのは当然である。
矛盾も生じていなければ、混乱も生じていない。「極限が存在しない」とする立場であっても、
どんな前提によって「極限が存在しない」とするかは数学的に明確であり、存在するか、しないかが紛れることはない。
0959考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 08:22:13.570
有理数による無限の近似が可能であることを認める立場だが?
0960考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 08:23:45.550
>例えば数直線上の1や2/7も点であるし

存在するのは、「点」ではなくて、「比」だが?
0961塩なめくじ
垢版 |
2022/01/26(水) 08:27:02.61ID:hHRXsbBe0
>>960
数学ではそんな議論は通用しない。ならばなぜ比は存在するのか?などと、数学で通用しない議論に立ち入るつもりもない。
0962考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 08:28:33.210
哲学的に比は、比べる行為として存在する
0963塩なめくじ
垢版 |
2022/01/26(水) 08:29:34.83ID:hHRXsbBe0
もう一度いうが、数学的な問題を忠実に捉えなければ、それを正確な言語表現に移すことはできない。
0964考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 08:32:32.740
言語表現として説明することのできない数学が、数学者にも意味不明となる
ことは、宇宙際タイヒミュラー理論、およびそれによるABC予想の証明の
評価がまったく定まる方向に向かって動く気配すらないことが如実に示している
だろう。
0965塩なめくじ
垢版 |
2022/01/26(水) 08:38:51.11ID:hHRXsbBe0
そんな先鋭的な話ではなく、一般的な公理系において「極限が存在しない」とは言われていない。
「極限が存在しない」と唱えるのは、ただ単に数学に明るくないひとだけです。

いつものように言葉遊びをしていればいいものを、
数学の成果を横取りしようとして数式を使い始めるからいけないのです。
0966考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 08:42:42.780
そもそも、哲学的に見ても、数学的に見ても、
「塩なめくじ」/《sale limace》=1
である蓋然性が高いと考えられ、便所の落書きにおいてさえ
相手にするに及ばないものと思われて当然
0967考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 08:46:50.600
「点が存在する」、「極限が存在する」は、数式でも、数学記号による表記でもなく、
数学の説明に頻繁に用いられる「日常的な言語表現の横領」であり、「濫用」だが?
0968考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 08:56:21.020
« Sale limace, arrête de baver sur mes excréments! »
0969塩なめくじ
垢版 |
2022/01/26(水) 08:59:01.62ID:hHRXsbBe0
日常で存在するなどとは言わない。あるとすれば「哲学的な言語表現との干渉」だろう。
それすら幾何学や解析学の素養があれば起きようのない、低次元なもの。
その次元に問題を引きずり降ろそうとすることは、偉人たちが積み上げた成果に対する侮辱に等しい。
0970考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 09:12:53.010
>あるとすれば「哲学的な言語表現との干渉」だろう。
>それすら幾何学や解析学の素養があれば起きようのない、低次元なもの

であるとするなら、「幾何学や解析学の素養がある」数学者や哲学者は、
干渉の起きない言語表現で数学を説明できるはずだが、哲学と数学が
今でも乖離しているのはなぜですか。乖離がないのなら、数学者は、
哲学者の存在についての表現を数式として表現できるはずであり、
哲学者は、数式による証明を哲学の言語表現にそのまま移すことが
できるはずでは。ところが、実際には、「宇宙際タイヒミュラー理論」
の例に見られるとおり、数学者の間ですら数学の言葉も通じない。
0971塩なめくじ
垢版 |
2022/01/26(水) 09:23:27.56ID:hHRXsbBe0
>>970
>であるとするなら、「幾何学や解析学の素養がある」数学者や哲学者は、
>干渉の起きない言語表現で数学を説明できるはずだが、
↑読み取ることと表現することを同一視した飛躍。
専門領域は専門用語で語るのが誤解が少ない。

>哲学と数学が
今でも乖離しているのはなぜですか。
↑乖離していない。

>乖離がないのなら、数学者は、
哲学者の存在についての表現を数式として表現できるはずであり、
>哲学者は、数式による証明を哲学の言語表現にそのまま移すことが
できるはずでは。
↑読み取ることと表現することを同一視した飛躍。以下略。

>ところが、実際には、「宇宙際タイヒミュラー理論」
>の例に見られるとおり、数学者の間ですら数学の言葉も通じない。
↑そんな先鋭的の話はしていない。最先鋭的な領域で揺らぎがあるのは当たり前。
極限は300年間も踏み固められ共有されてきた概念で全く異なる。
0972塩なめくじ
垢版 |
2022/01/26(水) 09:28:18.01ID:hHRXsbBe0
スマホで打ちにくいから引用記号がぐちゃぐちゃになったけど諸賢の読解能力ならば読み取れると期待している!
0973考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 09:55:05.250
>最先鋭的な領域で

局所的に理解されない部分があるというのではなく、全体として
その記述の言語が数学者の間で通じていないのが現状だろう。
でなければ、少なくともどこに不明な点があるのか、
一般の数学者の間で共通の理解が可能となる。そのような詰めすら
不可能な状態にあるということ。
0974考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 12:06:36.180
まぁ、形式論理で表現され得る存在が数学の価値、論理で表現され得る存在が哲学の価値といったところではないですか
0975時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/26(水) 12:57:24.040
新スレッド、立てました。

意識のハードプロブレムの答え16
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1643169286/

順番に混乱のないよう古いスレッドから使用して下さい。宜しくお願いいたします。
0976考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 13:21:32.930
>>943と同様のことを逆方向から、つまり、円周長からではなく、
直径から示すことを示唆しているのが、フェルスター、『哲学の25年』のp.507に
図示される数概念もしくは単位概念についてヘーゲル的な捉え方の説明だろう。

その図は、数を数えるのに、既定の長さの直線を、数えられる数nに応じて
1/nに等分することを示している。数は無限に数えることができるので、
それに応じてnは任意にいくらでも無限に大きくなり、1/nの長さは無限に
小さくなるが、その総和、つまり、n/n=1は元の直線全体の既定の長さ
なのだから、1/nの長さが0になることは決してない。有が無になることは
ないということで、当たり前のことである。元の既定の長さの直線を円の
直径と見なすなら、極小の1/nは、元の円の円周長πを1/nに分割する
円周長π/nを有する円の直径ということになるだろう。
0978考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 13:45:13.460
数学の技法を駆使するようになると、算数が分からなくなる、
つまり、証明済みであるものとして利用する手続きが、
算術として何をどのように計算していることになっている
のか説明ができなくなるということが、一般的によくある。
0979考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 13:47:01.820
数学として証明済みである手続きを組み合わせてうまく使える
ようになる技能を身に付けることは、哲学をすることには
役に立たない。
0980時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/26(水) 18:28:27.290
>>978
数学を学ぶと算数の理解も深まると思うが。
0981考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 18:33:25.410
和差算は方程式よりも算数の方が解きやすいと思う
0982考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 19:29:45.900
円周率が無限に単位を数えることの裏である、つまり、単位とされる
1の裏であるという関係は、次のように考えれば、容易にイメージできる
のではないか。

>>976の場合と同様に既定の長さの直線を、数えられる数nに応じて
1/nに等分することを想定して、その既定の長さの直線を与えられた
円の直径であると見なす。ただし、この場合、その与えられた円の
円周長と単位として定義して1とする。すると、任意に無限に1/n
等分されることになる直径である元の既定の長さは、1/πである
ことになる。1から無限に数を数えることに応じてその直径を1/n
等分していけば、1/nは任意にいくらでも小さくなるが、その長さが
0になることは決してなく、1/(nπ)として微小の円の直径となり、
無限の数の微小の円の円周長を総計すれば、元の円の円周長と
等しい1となる。つまり、その微小の円の円周長によって元の円の
円周長1もやはり1/n等分される。ここで、nは、数を1から無限に
数えつづけることに対応するのだから、元の円周上の任意の無限に
小さく限定され得る位置が、その任意に無限に数えられるnとの
関係で示されることになる。そのような任意の位置は、通常、
円周上の点としてイメージされるものだが、論理的に考えるなら、
その点としてイメージされて特定される位置は、無限小の円の
円周長に対応していることになるだろう。
0983考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 19:35:19.840
ヘーゲルの哲学が奇妙に見える、したがって、ヘーゲルを受け継ぐ
マルクスの思想が奇妙に見える点もそのことに関連している。
あたかも円周長が単位で数え切れた状態を想定して、そこから
理性によって現実を統制できるかのように夢想しているような
言説を展開しているという印象を受けるのである。
0984考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 19:38:54.530
誤:円周長と単位として定義して
正:円周長を単位として定義して
0985時計 ◆Mjk4PcAe16
垢版 |
2022/01/26(水) 20:59:34.120
有理数は稠密だが連続ではない。
実数は稠密であり連続である。
この辺りから無理数の存在は言えるのかなと思います。
ただ、私はあまり詳しくはありません。
間違えていたら御免。
0986考える名無しさん
垢版 |
2022/01/26(水) 21:16:36.710
ヘーゲルとマルクスの間にフォイエルバッハを挿入すればわかる。
宗教の問題が横たわっている。
0987非標準超球面論理Nexus/CDT(誤読と幻想) ◆KhxAJHUIl6
垢版 |
2022/01/26(水) 22:38:55.860
点を集めても線にはならないが、
線は点の集まりである。
点の集合を考えた時、外延ではだめだが内包ならなんとか線になれる。
ドコに違いがあるのかといえば、無限性である。
あくまでも飼いならされた無限性であって、野生の無限性や野良無限を扱うのは難しいw
0988考える名無しさん
垢版 |
2022/01/27(木) 07:11:14.460
>>982
このように数えることに応じて任意に無限に等しく分割される直径と、
その分割された直径の長さをその都度、直径とする円、ならびに
そのより小さい円の円周長に対応するものとなる、全体としての
円の円周上の単位の関係を、ヘーゲルの哲学やそれを受け継ぐ
マルクスの思想の論理の隠喩として用いるなら、全体的な理性の
側から自らのひと(等/一/人)しさ(すなわち、単位としての性質)を
規定しようとすることが、欺瞞とならざるを得ないだろうことが
見えてくる。
0989考える名無しさん
垢版 |
2022/01/27(木) 07:39:52.370
つまり、それは、任意の行為とそれによってもたらされる結果の関係を
逆立ちさせてしまうことになるのだ。

「できることにおいて自らであろうとする」(全体の直径を任意に1/nに
分割して、1/(nπ)を直径とする小さい円を形成しようとすることに喩え
られる)から、全体の円においても、その円周上で単位としての地位、
すなわち、自らのひと(等/一/人)しさが確保されるのであって、
全体の円の円周上で既に単位としての等しさが規定されているものと
するなら、任意にnを数えることは不可能となり、小さい円の直径で
ある1/(nπ)もあらかじめ決められたものとなる。したがって、任意に
数えることが「できることにおいて自らであろうとする」ことも
あらかじめ阻止され、自らが生きようとすることそのものが許され
なくなり、生かしておいてもらうだけの状態に陥ることになる。
0990考える名無しさん
垢版 |
2022/01/27(木) 07:57:29.240
ところで、日本語の「いき(息/生)る」とは、その発音から、
「方向性を有する『ゆ(由)』の作用」/「い/yi」が
「求心的」/「き」に「働く」/「る」ことを想起させる表現だろう。
0991考える名無しさん
垢版 |
2022/01/27(木) 09:17:51.380
"true gratitude is to do what you can."
― "Ralph Waldo Emerson: Selected Essays, Lectures and Poems", p.74

自らが十全に生きることは、心ゆくままに自らにできることをすることある。
したがって、自らが数ならぬ者に過ぎないことをわきま(弁)へてわ(和/環)を
尊ぶというのは、一見、謙虚で倫理的な態度であるように思えるものの、
各々が「できることにおいて自らであろうとする」ことを忘れるなら、
たちまち、禁欲主義を掲げることによって自らの優位を確保するように
他者を抑圧しようとする傲慢な全体主義に陥るだろう。
0992考える名無しさん
垢版 |
2022/01/27(木) 11:52:08.420
誤:心ゆくままに自らにできることをすることある
正:心ゆくままに自らにできることをすることにある
0993考える名無しさん
垢版 |
2022/01/27(木) 14:03:40.960
マルクスは微分に関心を持っていたし、
フォイエルバッハは自然科学に関心を持っていた。
0994考える名無しさん
垢版 |
2022/01/27(木) 15:37:02.940
11 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2022/01/27(木) 12:20:30.06 0
生物も物質の集合体だから実は集団意識の様なものなのさ
0995考える名無しさん
垢版 |
2022/01/27(木) 16:20:26.040
それなら、集団意識のようなものではなく、意識の寄せ集めのようなものでは?
そもそも、多細胞生物の個体もその起源からして、相反する利害の調整を
必要とする複合生命体であるわけだし。
0996考える名無しさん
垢版 |
2022/01/27(木) 16:23:15.730
相反する利害を調整する統制理念として「理性としての主体」を
仮定することが要請されるのでは?
0997でこすけ
垢版 |
2022/01/27(木) 23:36:24.760
>>947
織田信長が比叡山の焼き討ちをやっていますけど、
それは仏教が気に食わなかったのではなくて、
信長が接した宣教師たちに比べると日本の坊さんは滅茶苦茶に感じた
ということらしいです。
その一方では誰だったか忘れましたけど、
ナントカっていうヨーロッパ人が東アジアに来たとき、
大陸の坊さんはいかがわしいやつばかりだったけど
日本の坊さんはいい人ばかりだった、という記録を残していたと思います。
私は時計さんが接しておられる方々がどういう人々かを知らないわけですから
>>944は一般的に言って失礼に当たったと思いますが、
私自身と私の周りの人とのかんじということで
「ご参考までに」というふうにご理解いただければと存じます。
おそれいります。

と言いながら重ねて失礼なんですけど、
私は時計さんがお考えの神は、スピノザ的な神だと思っていました。
つまり少なくとも当時は異端だったものです。
であれば時計さんの方に違和感がありそうな気がしていたんですけど、
信仰の話はもちろんデリケートなものですから
お気にさわったら申し訳ありませんけど
えてして哲学は非情ですから
そういったあたりが意識のハードプロブレム的に言ってどうなのか気になる
というのが私個人の率直なかんじです。
0998でこすけ
垢版 |
2022/01/28(金) 00:26:52.260
せっかくなので、私も円周率でひとことふたこと(以前の繰り返しですけど)、
この宇宙では何故十進法で計算するとその値は3.14…になるのか、
私はそれは「たまたま」だったと思います。
つまり何らかのメカニズムによって調整されたものではないということです。
そもそも「円周率」は自然のものではない、人間が勝手に言っているだけのもの
それどころか「長さ」というのがある種の「妄想」というのが私の印象です。
「長さ」という概念は「自然」にあらかじめあったものではない気がするのです。
まして円周が直径で割り切れないのが何か釈然としないことについて
それは「自然」の知ったことではないと察するのです。

私にしてみれば一本の線の長さを無理数で設定することに無理がある
というか(日常感覚では)ややこしいだけのような気がします。
しかも円周と直径とで、どちらかを有理数にするともう片方が無理数になる
というのは支離滅裂な気さえします。
ただ、しかしじつはそれは非日常(仮想現実)としてならあり得る気がします。
となると数学という仮想空間では虚数さえアリになります。
そしてそのような仮想空間を想定することによって暮らしが豊かになった
ということがあるのであれば文句をつけても仕方がない気がするのです。

しかし私がこのスレッド的に問題にしてみたいのはそこではありません。
もちろん問題は「自然」の方です。
私たちが想定している「自然」が仮想ではない
それを想定しておけばメリットがある以上のリアルなのだとすれば
それはどのような根拠に基づくのか、
私には絶対の根拠がありえない気がするので
もしそのようなものがあるのだとすれば
それを是非うかがってみたいのです。
0999でこすけ
垢版 |
2022/01/28(金) 01:09:03.800
近代哲学はカントから始まったと聞いています。
それからショーペンハウアーやニーチェ、フッサール、ハイデッガー、メルロ・ポンティ…
私はどれも入門で見た程度ですけど
ざっくり同じ世界像を提起している気がしています。
そして私はそれに共鳴します。
私がマルクス・ガブリエルやメイヤスーを知ったのはじつはこのスレッドに
投稿を始めてからですが(つまりここで知りました)、
このスレッドの読者もどちらかというとマルガブ派のような気がします。
そういうわけでこの流れは私にとってははなはだ意外です。
しかしマルガブ派の言い分もわからないわけではないつもりです。
確かに何故みんなが同じ体験をするのか、
あるいは世界が緻密に秩序立っているのは全てが幻想だとすれば謎です。
このとき、私はどちらかではなくて、
ありきたりながら止揚するのがいい気がします。
ただし根拠は直観的なものです。
1000塩なめくじ
垢版 |
2022/01/28(金) 01:12:47.57ID:wbKMPvaT0
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