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意味の論理構造の哲学
0648考える名無しさん
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2022/06/05(日) 16:23:07.610
>>645
最近は、リンクを貼ると、すぐに規制で書き込めなくなるので、
興味のある人は、以下のサイトを自分で検索して、
槍の「しほくび(潮頸・塩首・入首)」がどのような仕組みであるのか
を確認してみるといい。

>刀剣・日本刀の専門サイト 刀剣ワールド 刀の種類「矛とは」
>柄への固定方法
槍と矛は、柄へ固定する際にも違いが見られます。槍は、
茎(なかご:刀身の中でも柄に収める部分)を柄の内部へ差し、
蔓などを巻いて固定。

>あさひ刀剣
>さて、Cを見てください。C-1は柄の先端部で、ここに口金(くちがね)が
嵌め込まれて、槍の塩首(けらくび)の下部が入ります。
また、C-2は柄を切り落した切断面です。そこに槍の中心を入れた後に
A-1・B-1・C-3・C-4として写っている割箸状の一つの木片が
嵌め(埋め)込まれる構造です。
0649考える名無しさん
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2022/06/05(日) 17:24:22.920
>>646
誤:多大な労力は日々費やしている
正:多大な労力を日々費やしている
0650考える名無しさん
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2022/06/05(日) 17:43:02.870
本来であれば、多くの人が容易に気づくことになるはずの日本語について
の基本的な事実について、誰も気づかないことが正常であるように思わせる
ように保っている専門家の個々人および集団の命がけの血の滲むような
日々の取り組みには、大いに同情にあたひするものがある(とは、私は
これっぽっちも思ってはいない)。なぜなら、それらの人々の多くは、
事実上の「人生の達人」であり、そのような自認がない場合でも、少なくとも
そのような取組みに協力することによって、それに協力することを拒む
愚か者に対して自分たちが社会的に優位に立っていることをはっきりと
自覚しているからだ。確かにそれらの人々は、「公的善」
(M.メルロ=ポンティ、『ヒューマニズムとテロル』、p.31)
のために自らの骨身を削っているのかもしれないが、それは私に
言わせれば、本人の勝手であり、私としては、モンテーニュに倣って、
「そういう任務は、もっと従順で、柔軟な人々にお任せしよう
ではないか」と言う他ない。
0652考える名無しさん
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2022/06/06(月) 16:28:30.900
「しほ(潮・塩・入)」≒《s'infiltrant》

気づかないふりをする方が難しい。
0653考える名無しさん
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2022/06/06(月) 16:33:45.480
エビデンスがどうのと言ったところで、所詮、世の中の「専門家」が
やっていることも、自覚的な「錯乱坊のチェリー・ピッキング」に過ぎない。
0654考える名無しさん
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2022/06/06(月) 17:04:37.430
こういう発言を誰に気兼ねすることもなく書き込めるようになったことは、
感慨も「ひとしほ(一入)」≒《d'autant plus s'infiltrant》である。
0655考える名無しさん
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2022/06/07(火) 00:26:45.240
>手塩にかけて育て上げた花や樹木たち

花や樹木に「塩」をかけたら枯れてしまいますが、「てしほにかける」とは、
「『手入れ』が行き届いているようにする」ことでしょう。

>手入れ(読み)テイレ
デジタル大辞泉「手入れ」の解説
て‐いれ【手入れ】
[名](スル)
1 よい状態を保つために、整備・補修などをすること。
「手入れが行き届く」「よく手入れされた庭木」
0656考える名無しさん
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2022/06/07(火) 00:33:38.580
>手が込む(読み)てがこむ
精選版 日本国語大辞典「手が込む」の解説
て【手】 が 込(こ)む
細工、技巧などが緻密である。また、物事が、こみいっている。複雑である。
※虎寛本狂言・鬼瓦(室町末‐近世初)「あの欄間の彫物などは、
殊之外手のこうだ事じゃなあ」
0657考える名無しさん
垢版 |
2022/06/07(火) 13:37:10.350
汐留(しほどめ)&地名&由来 Google検索

>「汐留」の名は、江戸城外堀に潮の干満が及ばないよう海と堀とを
仕切る堰があったため、この地域が潮溜りとなっていたことに由来する。
汐留 - Wikipedia

「汐留」の地名の由来
>汐留川に由来し、「汐留川が土橋で堀止まりとなるので潮汐の干満が
外堀に通じず、汐が止まる」ため汐留と呼ばれるようになった。

東京都港区 「汐留」の由来
>この「汐留」の地名の由来は、江戸幕府の祖となった徳川家康が
天下普請を行なった際に江戸城の堀に潮の干満が影響しないように
堰を設けたのが元だそう
0658考える名無しさん
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2022/06/07(火) 13:46:26.720
「ひとしほ(一入)」とは、思ひが「『し』み・『じ』み」と「身に『し』みる」こと。
さて、食用に使はれる「塩(しほ)」は、もともと、どのようなものとして認識されたのか。
0659塩なめくじ
垢版 |
2022/06/07(火) 13:53:27.65ID:1mrOKtbn0
呼んだ?
0660考える名無しさん
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2022/06/07(火) 14:00:23.200
浸透圧は?
0661考える名無しさん
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2022/06/07(火) 14:06:49.670
切身(きりみ)に塩(しほ)
精選版 日本国語大辞典「切身に塩」の解説

※浄瑠璃・加賀見山旧錦絵(1782)二「されば其事、
私も切身(キリミ)に塩(シホ)が染(し)み、思ひ当った今日此頃」
0662the elephant in the room
垢版 |
2022/06/07(火) 14:14:00.320
さてね、日本語を長年、専門に研究してきた言語学や国語学の専門家
とされる人々は、本当に「しほ(入/塩/汐/潮)」がどのような表現である
のかについて気づくことなく、またこのように明示的に指摘されて
さえも気づかないのか?「エビデンス」とは何か?w
0663塩なめくじ
垢版 |
2022/06/07(火) 14:33:36.80ID:1mrOKtbn0
呼んだ?
0664塩なめくじ
垢版 |
2022/06/07(火) 14:39:27.38ID:1mrOKtbn0
浸透圧は溶液と溶液の間に発生する力であって
溶液単体を指して「浸透圧が高い(低い)」と
言うことはできないと思ってたけど、間違ってたっぽい。
0665エビデンスであるとは、どのようなことか
垢版 |
2022/06/08(水) 07:27:08.120
さて、「塩(しほ)」が「『塩(しほ)』に見える」とはどのようなことか。
現代の日本語にも語源的な「しほ(入/塩/汐/潮)」の用法が慣用句となって
そのまま引き継がれて示されている表現がある。その表現とは、
「しほ(入/塩/汐/潮)らし(い)」である。

精選版 日本国語大辞典「しおらしい」の解説
@ 上品で優美な様子である。
※禅鳳雑談(1513頃)上「謡はすげなく候ては悪しく候。匂ひの候て、
しほら敷、ぼけやかなるがよく候」
A ひかえめで従順な様子である。
※応永本論語抄(1420)雍也第六「祝はしをらしき者にて、弁舌あり」
B かわいらしい。可憐(かれん)である。〔日葡辞書(1603‐04)〕
※虎明本狂言・枕物狂(室町末‐近世初)「ゑくぼが、両のほに、
七八十百ばかりいって、ようあらしほらしやと思ふて」
C けなげな様子である。感心である。殊勝である。
相手を見くびっていうこともある。
※浄瑠璃・国性爺合戦(1715)二「ヤアがきも人数、しほらしい事ほざいたり」
0666エビデンスであるとは、どのようなことか
垢版 |
2022/06/08(水) 07:40:06.030
ここで、「しほ(入/塩/汐/潮)らし」を、フランス語をメタ言語として
用いて説明するなら、それが表現しているのは、
《〜 semble être s'infiltrant》である(ただし、これは、フランス語
をメタ言語として用いた記述であって、このような表現がフランス語訳
として通用するという意味ではないので、誤解のないよう)。
C'est l'évidence même.
0667浸透圧/血は水よりも濃し
垢版 |
2022/06/08(水) 08:46:06.660
さて、「塩(しほ)には、自ずと浸透する作用がある」と述べたとき、
いったい何を言ったことになるのだろうか。

「水臭(みづくさ)い」とは、どのようなことか。
0668証拠隠滅とは、どのようなことか
垢版 |
2022/06/08(水) 08:58:39.300
さて、旧仮名遣ひの廃止/新仮名遣いの規範化は、日本語をつか(使/仕)ふ
人々に何をもたらし、またもたらしつづけているのか。
0669熱き血潮(ちしほ)
垢版 |
2022/06/08(水) 10:36:55.780
血のつながり、あるひは浸透圧としての人情

ち(血)しほ(入/塩/汐/潮)に染まる⇒手(て)しほ(入/塩/汐/潮)にかける

※歌舞伎・心謎解色糸(1810)
大切「他人の手汐(テシホ)に育てられ、二親恋しと尋ねるを」
出典 精選版 日本国語大辞典
0670考える名無しさん
垢版 |
2022/06/08(水) 10:43:03.960
冷血漢の体に流れているのは、血潮(ちしほ)ではなく、血塩(ちしお)でしょうね。
0671考える名無しさん
垢版 |
2022/06/08(水) 15:58:53.620
「エビデンス主義」とは、提示するエビデンスの有効性を否定される側に、
それが否定される根拠を考えさせて、否定されるべき正当な理由を
自己責任で案出させるようにあらかじめ意図的に仕組まれた罰ゲームである。
0672Exception that proves the rule
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2022/06/10(金) 09:13:12.020
>>668証拠隠滅とは、どのようなことか2022/06/08(水) 08:58:39.300
>さて、旧仮名遣ひの廃止/新仮名遣いの規範化は、日本語をつか(使/仕)ふ
人々に何をもたらし、またもたらしつづけているのか。<

興味深いことに、表現の表記に旧仮名遣ひが意識的に用いられている例外もある。
その表現とは、国語学の規範によれば、「撓」という漢字が当てられるべきもの
とされる「しをり」である。しかし、ここで注目すべきことは、
この「しをり(撓)」という表記が、この表現を後世に残すことに寄与した
人々の用いた、今では旧仮名遣ひとされる表記を保存するものではなく、
それを「た『わ』(撓)める」ものであることだ。ここで「た『わ』(撓)める」
という表現を使ふとき、私には、これに対応する英語の表現として
"to pervert"( (from PIE root *wer- (2) "to turn, bend"),
Online Etymology Dictionar参照)という動詞が思ひ浮かぶ。

しをり(読み)しおり
日本大百科全書(ニッポニカ)「しをり」の解説
芭蕉(ばしょう)俳諧(はいかい)の美的理念。「さび」の類縁美の一つ。
芭蕉、および芭蕉の弟子たちは、「しほり」と表記した。「あはれ」が、
「あはれ」などの感情表現語を用いずに「姿」として一句に具象され、
そこに余情として「あはれ」を感得できるような句が、
「しほり」のある句といえる。

世界大百科事典 第2版「しをり」の解説
〈萎(しを)る〉の連用形というのが通説であるが,近年〈湿(しほ)る〉
の意に解すべきだという説がある。蕉門俳論では〈しほり〉と表記するのが
一般的。去来は〈しほり〉は〈一句の句がら〉〈一句の姿〉〈一句の余情〉
にあるという。また《俳諧問答》では〈しほりと憐れなる句は別なり。
ただ内に根ざして外にあらはるゝものなり〉とも言っている。
0673考える名無しさん
垢版 |
2022/06/10(金) 09:59:16.870
「しほり」と表記されてきたものを、わざわざ「しをり」と書き換へる
のだから、その行為は明らかに意図的であり、その表記が規範として
示される以上、その意図は、明示されるか否かにかかわらず、もとの
「しほり」という表記は、訂正されるべき誤りであるという判断を
示していることになる。

なせこの書き換へが、もとの表現を「た『わ』(撓)める」/"to pervert"
ものであるのかは、もはやさらなる説明を要さないだろう。なぜなら、
既に示したとおり、「しほ(潮・塩・入)」≒《s'infiltrant》である
と考えるなら、この「しほり」も、「自ずとし(浸)み入る」作用を
示す名詞化に過ぎないからである。上の引用では、「近年〈湿(しほ)る〉
の意に解すべきだという説がある」と記載されているが、重要なのは、
「湿っているか否か」ではない。そうではなく、「湿(しほ)る」という
表現に関連付けるなら、重要なのは、《s'infiltrant》と表裏の関係
において「自ずと生じる"absorption(吸収)"」の作用である。

>閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声)
松尾芭蕉、『奥の細道』
0674考える名無しさん
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2022/06/10(金) 10:12:09.090
>本来であれば、多くの人が容易に気づくことになるはずの日本語について
の基本的な事実について、誰も気づかないことが正常であるように思わせる
ように保っている専門家の個々人および集団の命がけの血の滲むような
日々の取り組み<

私は、そのような取組みが、個々人および集団としてどれほど大変な労力
を要しているのかを否定する気はさらならない。しかし、それは、私に
とっては、少しも有り難くないものなのだ。というのも、いくらそれら
の人々が「公的善」のために身を切るような犠牲を支払ひつづけている
自負しているとしても、それに私が敬意を表して、おとなしく従わ
なければならないとすれば、私は、「容易に分かるはずのことを、
分からないことにしなければならない正当な理由を自己責任で案出し
つづける」という終わることのない罰ゲームに自発的に参加することを
余儀なくされるからである。
0675考える名無しさん
垢版 |
2022/06/10(金) 10:26:48.370
その根底において「いくらつべこべ言ったところで、
あなたも上から承認/評価してもらえなければ不都合でしょう」
という脅しに支えられているだけで、なぜどのような理由で
その罰ゲームに自発的に参加して競い合はなければならないのか、
私にとっては意味不明なのです。
0676考える名無しさん
垢版 |
2022/06/10(金) 10:33:10.420
誤:支払ひつづけている自負しているとしても
正:支払ひつづけていると自負しているとしても
0677考える名無しさん
垢版 |
2022/06/10(金) 10:44:42.880
この罰ゲームに自発的に参加すると、最も重要なのは、理屈などではなく、
既に与えられているものとして機能している人脈と、承認/評価する
権限を付与されている個人にとっての自分の有用性を示すことが
できる具体的な人脈づくりであることになる。
0678考える名無しさん
垢版 |
2022/06/10(金) 11:09:36.200
>»ins Enge zu bringen«⇔「ち」という対応関係を想定

「ちか(近)し」、「ちぢ(縮)む」の場合の「ち」はどうだろうか。
「ちか(近)し」は、ドイツ語をメタ言語として利用して記述するなら(翻訳ではなく)、
»ins Enge zu bringen lassend«という表現として解釈できるのではないか。
また、「ちぢ(縮)む」の「ちぢ」は、「ち」≒»ins Enge zu bringen«の
反復であり、日本語において同一の発音の反復は、「見す・見す」のように
一般に「継続性」を表現するための手法であり、「む」は、「累加性」を示す
ように用いられるのだから、「ちぢ(縮)む」という表現は、
「ち」≒»ins Enge zu bringen«の作用が継続的に累加することを表現して
いると解釈できるのではないか。
0679考える名無しさん
垢版 |
2022/06/10(金) 11:22:11.240
岩波古語辞典から「ちか(近)し」の項目で列挙される例文を抜粋してみよう。

@「妹が家路近くありせば」(万三六三五)
A「君に別れむ日近くなりぬ」(万四二四七)
B「山川を中に隔(へな)りて遠くとも心を近く思はせ吾妹」(万二七六四)
C「これなむその人のちかきゆかりなるを」(源氏 夢浮橋)
D「卯の花の垣根近う覚えて」(枕二二二)
E「中将なりける人の...七十近き親二人を持たるに」(枕二四四)
0680考える名無しさん
垢版 |
2022/06/10(金) 11:40:38.650
私が、日本語の表現をその構成において解釈可能となる記述するのに
英語、フランス語、ドイツ語などの日本語以外の言語をメタ言語と
して活用するのは、別にそれらの言語の方が哲学的な言語として
優れているからというわけではない。いずれの言語における表現
であれ、その言語の境界として規定される範囲内の表現をメタ言語
として用いて適切に記述することは、本来的に困難なのである。

Auch meinem Freunde Behrisch hatte ich manchmal zugesetzt,
er solle mir deutlich machen, was Erfahrung sei? Weil er aber
voller Torheiten steckte, so vertröstete er mich von einem Tage
zum andern und eröffnete mir zuletzt, nach großen Vorbereitungen:
die wahre Erfahrung sei ganz eigentlich, wenn man erfahre, wie ein Erfahrner die Erfahrung erfahrend erfahren müsse. Wenn wir ihn
nun hierüber äußerst ausschalten und zur Rede setzten,
so versicherte er, hinter diesen Worten stecke ein großes Geheimnis,
das wir alsdann erst begreifen würden, wenn wir erfahren hätten,
– und immer so weiter: denn es kostete ihm nichts,
viertelstundenlang so fortzusprechen; da denn das Erfahren immer
erfahrner und zuletzt zur wahrhaften Erfahrung werden würde.
Wollten wir über solche Possen verzweifeln, so beteuerte er,
daß er diese Art, sich deutlich und eindrücklich zu machen,
von den neusten und größten Schriftstellern gelernt, welche uns
aufmerksam gemacht, wie man eine ruhige Ruhe ruhen und wie die
Stille im Stillen immer stiller werden könnte.

Johann Wolfgang von Goethe, "Dichtung und Wahrheit"
0681考える名無しさん
垢版 |
2022/06/11(土) 08:53:20.080
>「湿(しほ)る」という表現に関連付けるなら、重要なのは、《s'infiltrant》
と表裏の関係において「自ずと生じる"absorption(吸収)"」の作用である。

ここで私が、別に何か私という個人に特有の感性による特殊な関係性の
捉え方を示そうとしているわけではないことは、例えば、湿気や臭いを
吸い取るように使はれる「備長炭」がどのような働きをしているのかを
考えてみれば、容易にイメージすることができるはずである。また、
そのような捉え方が、それを表現する発音との関係を含めて、別に
日本語に特有というわけでもないことは、「しほり」という表現が、
英語をメタ言語として利用するなら、「自ずと生じる"seep in"
(し(沁/染/凍/浸/滲)みる)の作用」の名詞化に過ぎないことからも
確認できる。
0682考える名無しさん
垢版 |
2022/06/11(土) 09:53:49.890
>閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声
松尾芭蕉、『奥の細道』

Stillness – ah! / seeps into rocks / cicada's voice
(translation in Hiraga and Ross 2013, 26)

Such Stillness … The Cries of the cicadas / Sink into the rocks.
(Donald Keene)

"So still: into rocks it pierces̶ the locust-shrill"
(Harold Henderson)

The utter silence … cutting through the very stone / a cicada's rasp
(by Tim Chilcott)

the stillness … the voice of a cicada / seeping into the crags
(L.P. Lovee)

Ah, tranquility! / Penetrating the very rock, / a cicada's voice.
(Helen Craig Mccullough)

※順不同
0683考える名無しさん
垢版 |
2022/06/11(土) 10:24:39.270
これらは、一番上に引用した芭蕉の句の英訳を適当に拾ってきて並べた
だけで、特に何らかの基準に沿って選別して貼り付けているわけではない。

見比べてみると、他の訳と比べて、最初の"Stillness – ah! ..."はなるべく
直訳を心がけていることを見てとることができる。しかし、「声(こゑ)」
という表現に"voice"を「素直に」割り当てていることにはあまり感心
しない。「声(こゑ)」が、一般に、発音や発声による何らかの表明である
と理解されることを前提にしても、「蝉の声」が直ちに人々に想起させる
のは、それが何らかの表明であることよりも、聴き慣れた具体的な
何らかの種類の「蝉の声」である。他の多くの訳において、「しみ入る」
に、"sink into"、"pierces"、"cutting through"、"penetrating"などの
表現が当てられ、英語の表現上の慣習が優先されて、元の日本語の表現
の意味合いがまったく伝わらなくなってしまっているのに対して、
それを忠実に反映させるように"seeps into"と訳されていることは、
私にはとても好ましく感じられる。
0684考える名無しさん
垢版 |
2022/06/11(土) 10:41:03.650
私は、自分にとって「詩的」であると感じられる表現をとても好ましく感じるが、
それは、私が表現を反省的にメタ言語によって捉えることの助けとなるから
であって、自分で詩作をするわけでも、特に「詩の形式」で書かれたものを
好んで読むわけではない。むしろ、私にとても「詩的」であると強く感じ
られるのは、多くの場合、「散文の形式」で書かれたものであって、例えば、
私は、ペソアの散文の表現は興味深いと感じるが、その詩の表現にはあまり
関心がない。ニーチェ、プルースト、フローベールなどの著作において
私を惹きつけるのは、やはり散文において「詩的」であると感じられる表現
であって、詩人の表現に私が関心をもつのも、それが散文に応用できる場合
に限られる。
0685考える名無しさん
垢版 |
2022/06/11(土) 10:48:34.040
したがって、私は、引用した芭蕉の句をどのように英訳するのが適切である
かを自分で考えてみたとしても、その訳が「(英語の)詩の形式」において
優れたものとなるかどうかには関心がない。これは、私の関心の持ち方で
あって、他の誰かが、芭蕉の句に触発されて、それに対応させるような
形で優れた英語の詩を書こうとする取り組みの価値を否定しようとして
言っているわけではない。以上のことを踏まえたうえで、私が、英語を
メタ言語として利用するなら、この芭蕉の句をどのように理解するのか
を示してみることにしよう。
0686考える名無しさん
垢版 |
2022/06/11(土) 11:13:07.000
まず最初に「閑(しずか)さや」であるが、「や」が何らかの心の動きを
示す感嘆の声であることは間違いなく、貼り付けた英訳でも、
"the stillness …"として、それが「余白として」示されている事例を
以外では、それぞれ、"Stillness – ah!"、"Such Stillness …"、"So still:"、
"The utter silence …"、"Ah, tranquility!"としてそのことが明示されて
いる。それでも、私自身は、「閑(しずか)さや」という表現について、
そのような「読み方」はしない。私はこの句を詠んだ本人ではないので、
その「閑(しずか)さ」によって本人にどのような心の動きが生じたので
あれ、感嘆の声である「や」も、私には、それがどのような心の動きで
あるのかを探る必要があることを示す「問ひ」として作用するに過ぎない。
したがって、この時点ではまだ、私自身には、「閑(しずか)さ」によって
どのような心の動きが伝はることになるのか、判断を保留する他ない。
0687考える名無しさん
垢版 |
2022/06/11(土) 11:41:57.720
次に、「岩にしみ入る」であるが、「しみ入る」という日本語の表現の
意味合ひをそのまま反映させて、それを、引用した事例にも見られるとおり、
"seeps into"や"seeping into"と訳すことが私に好ましく感じられることは、
上に述べたとおりである。Donald Keeneの"Sink into"という表現は、
日本語としては「しず(沈/静/鎮)む」に対応する表現であり、もとの
表現が、"Stillness"/「閑(しずか)さ」に単刀直入に合致するものに
変えられてしまっているので、「しみ入る」によって想起される
イメージを削ぎ落してしまうことになる。それ以外の事例に見られる
"pierces"、"cutting through"、"penetrating"という表現は、日本語
「岩(いは)」の場合でもそうであるように"rock"や"stone"という硬い
物体には、「つらぬ(貫)く」、「き(切)る」、「つ(突)きぬ(貫)く」
というような仕方でしかその内部に入り込むことができないという
常識的なイメージに合わせることを前提としているので、「しみ入る」
によって想起されるイメージを「台無し」にしてしまっていると言える。
0688考える名無しさん
垢版 |
2022/06/11(土) 12:04:24.510
また、L.P. Loveeによる"seeping into the crags"という訳は、「しみ入る」
については日本語の表現に忠実でありながら、(英語においてあまり無理が
感じられないようにするためだろう、)「岩(いは)」を"rock"や"stone"と
訳すことを避けて、"crag"という表現を用いているが、"crag"を辞書で
調べてみると、
>a steep, rugged rock; rough, broken, projecting rock, especially
a sea-cliff," early 14c. < Online Etymology Dictionary
>1. a steep rugged rock or cliff,
2. archaic : a sharp detached fragment of rock< Merriam-Webster
ということで、「岩(いは)」というより「崖」のイメージで、これなら
「入り込む隙間」はいくらでもありそうなので、全体として訳を見れば、
妥協の産物であるように感じられる。
0689考える名無しさん
垢版 |
2022/06/11(土) 13:39:44.500
「岩(いは)」は、"stone"と訳すことも、"rock"と訳することもできるが、
「蝉の声」が「しみ入る」のは、あくまでもその"stone/rock"の内部で
あって、「断崖」のような石や岩が層状に集積しているところに
「しみ入る」わけではないので、「岩(いは)」を単数の"the stone/rock"
とするか、"the stones/rocks"とするかは、それほど大きな問題である
とは私には思えない。ただし、"the stones/rocks"とすれば、明確に
複数性が意識されるので、「岩(いは)」/"stone/rock"に「しみ入る」
作用のイメージも複数に分散されたものとなり、そのことが私には
好ましくないと感じられる。
0690考える名無しさん
垢版 |
2022/06/11(土) 13:59:37.540
最後に「蝉の声(こゑ)」であるが、引用した事例では、それぞれ、
"cicada's voice"、"The Cries of the cicadas"、"the locust-shrill"、
"a cicada's rasp"、"the voice of a cicada"、"a cicada's voice"
と訳されていて、「声(こゑ)」に対する訳語としては、"voice"が
最も多く見られる。しかし、既に述べたとおり、ここにおいて
「蝉の声(こゑ)」が想起させるのは、「岩にしみ入る」効果を感じ
させる「声(こゑ)」の具体的な性質であって、一般に、何らかの
意を表明するものとして理解される「声(こゑ)」/"voice"ではない。
また、英語の"voice"という表現は、私には呼びかけとしての日本語の
「を」の発声を想起させるものであり、「『蝉』が『を!』と呼び
かける」イメージは、私には著しく奇異で不適合なものに感じられる。
0691考える名無しさん
垢版 |
2022/06/11(土) 14:19:50.440
"The Cries"は、一般的には、日本語の「叫び」として理解され、語源的には、
フランス語の"crier"の用法に見ることができるとおり、「きしみ」などの
音も表現するが、この場合に適合しているとは思えない。"the locust-shrill"
については、昆虫そのものを変えてしまっていることが論外だが、"shrill"
は、「金切り声」と訳されることもあるように、この英訳では、"岩"を
「つらぬ(貫)く」ような鋭さがイメージされているのだろう。訳として
適合するものではないが、「蝉の声(こゑ)」をどのようにイメージすべき
かを考えるヒントにはなる。"rasp"は、やすりをかけるときの摩擦音など
表すのに用いられる表現であり、「『岩にしみ入る』効果を感じさせる」
こととは無関係に、一般的に「蝉の声(こゑ)」のイメージを伝えるのに
かなりよく合っていると言うことはできるだろう。ただし、「やすりを
かけるときの摩擦音」にある程度は近いと言うことができても、
そのような「声(こゑ)」が、どのようにして「『岩にしみ入る』効果を
感じさせる」のかを考える必要がある。
0692考える名無しさん
垢版 |
2022/06/11(土) 14:33:08.030
この芭蕉の句をWikipediaで参照すると、鳴いていた「蝉」が「アブラゼミ」
であったのか、「ニイニイゼミ」であったのかが論争の対象とされたことが
記載されている。確かに蝉の鳴き声は、種類ごとに特徴があり、異なるので、
「蝉の声(こゑ)」の蝉がどの種類であったのかを考えることには意味がある
だろう。それでも、この句において表現として重要なのは、その「声(こゑ)」
が「『岩にしみ入る』効果を感じさせる」ことであって、蝉の種類を特定
することでも、その蝉が単数であったか、複数であったかを特定すること
でもない。英訳では、単複のいずれかを選択することが要求されるので、
この句にまつわるエピソードに基づいて、蝉の数を単数として特定する
ことは、可能な選択ではあるが、私には、そのような表現解釈の手法は、
好ましいものとは思えない。例えば、梅とウグイスが詠まれた歌では、
実際に梅の花が咲く時期と、ウグイスが訪れる時期はずれるのだから、
そのような表現解釈の手法では、鳥の種類の認識が間違っている、
または歌が荒唐無稽であるといったような解釈が導き出されるが、
そのような歌の解釈の仕方が有益であるとは私には思えない。
0693考える名無しさん
垢版 |
2022/09/19(月) 16:01:50.850
生物学的視点に基づくオブジェクト指向生体機能シミュレーション
https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=200902277633713182

解剖学や生理学でもチンコの話になるとぐっと理解しやすくなるのはなんでなんだろ!
https://tottokotokoroten.hatenadiary.com/entry/20130516/1368716650

ところで「チンポがシコシコする」という日本語表現は、学術的に正しいと言えるのか?

チンポ「を」シコシコするのではなくて、チンポ「が」シコシコする。この場合、「チンポ」は主語となる。

オブジェクト指向で言う「集約」は2種類あって、全体(俺)と部分(チンポ)が繋がっている場合と、
全体(俺)と部分(チンポ)が別々になっている場合とが考えられる。けれども「チンポ」はそれ自体
が独立した生き物であり、所有者の意思とは無関係に、自ら勃起して「シコシコする」。
例えば寝てる時にエロい夢みて朝起きてみたらチンコが勃起して射精してたとか。

違うか?

「胸がドキドキする」は良いが、「チンポがシコシコする」はダメな理由を、50字以内で述べろ!
0694考える名無しさん
垢版 |
2022/09/22(木) 17:36:24.130
しこしこ手でしごいてないチンポがシコシコするは誤りだからだめ
                                             
0697考える名無しさん
垢版 |
2023/11/11(土) 08:33:02.800
押忍
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