>馬 Short for 馬祖/马祖 (Mǎzǔ, “Matsu”). >馬祖 After 媽祖. >媽祖 媽祖 • (Maso) Mazu (a sea goddess in East and SE Asia) 0799考える名無しさん2023/10/31(火) 13:01:23.390 誤:「馬」の発音にも 正:「馬」の発音も 0800考える名無しさん2023/10/31(火) 15:22:53.990 感性の働きは、どのようにしてうしな(失)はれる/忘れ去られるのだろうか。 それは、「みどり」を識別されて分類された色であるとし、「身(み)」を「体(からだ)」や「肉(にく)」と同一視し、「みづ」を「水(みず)」と互換であり、それを「化学式 H2O で表される、水素と酸素の化合物」と基本的に変わらないものと規定し、 「うま(馬)」を「ウマ」として分類された動物種としてしか認識しないような「物象化された物事の見方に拘る」ことによってである。 すると、言葉の表現が互いに違う「色」を指し示していれば、違う色について語られているのだから、そこで表現により伝へられていることは、直ちに互いに無関係であると判断されることになる。
>LYSANDER: How now, my love! Why is your cheek so pale? How chance the roses there do fade so fast?
HERMIA: Belike for want of rain, which I could well Beteem them from the tempest of mine eyes.
(J. Bate & E. Rasmussen (eds.), "RSC William Shakespeare Complete Works 2nd edition", p. 365) 0801考える名無しさん2023/10/31(火) 17:57:09.780 模倣の表示感覚に流される人は「向き」が無い
従って「哲学」にも向いていないし、できない 0802考える名無しさん2023/10/31(火) 18:06:47.840>>791 「ソクラテスは人間である、人間は死ぬ、ゆえにソクラテスは死ぬ」は三段論法ではなく、モーダス・ポネンスの変形である、という主張のようですね 三段論法 (A→B)⋀(B→C)→(A→C) モーダス・ポネンス (A→B)⋀ A → B 変形 B ⋀ B→C → C
A performance of lines 192-219 by Helena in Act 3, Scene 2 of myShakespeare's A Midsummer Night's Dream. 0817考える名無しさん2023/11/02(木) 12:24:10.000 分析哲学を書いても分らない人がいるね 0818考える名無しさん2023/11/02(木) 12:52:45.560 では、どのレスが分析哲学を書いていて、どのレスがそうでないか、このスレで具体的に分類作業をして、提示してみせたらどうですか? 0819考える名無しさん2023/11/02(木) 15:24:51.420 考えるのが哲学の態度ですよ 0820考える名無しさん2023/11/02(木) 15:45:11.680 バーグルエン哲学・文化賞受賞を取った分析哲学者はいるの? 0821考える名無しさん2023/11/02(木) 16:31:38.180 柄谷行人 0822考える名無しさん2023/11/02(木) 18:36:04.150 バートランド・ラッセルが 1950年にノーベル文学賞とってますよ 0823考える名無しさん2023/11/02(木) 20:18:51.110 スレの勢いが落ちてきているぞ。つまらん❗ 見ていて暇潰しにならないじゃないか。もっと頑張れよ❗ 0824考える名無しさん2023/11/02(木) 20:33:04.750 誰かさんが大コケして高飛びしたからでしょう 0825考える名無しさん2023/11/02(木) 20:49:46.350 向きがあ(在/有/或)る」ことが意識されるのである。 したがって、この場合も臨在としての「意向」が忘れられることにより、存在としての「向き」が現れると説明することができるだろう。 0826考える名無しさん2023/11/02(木) 22:25:56.690 臨在がなくなり存在が現れるのではないだろう 臨在より存在が先ですね 0827考える名無しさん2023/11/02(木) 23:41:50.410 偶には自力で何か面白いことを論じて見たら? 0828考える名無しさん2023/11/03(金) 08:36:23.740>>826 一方で「『かた(片)』は(傍)らにゐる」ことを置き、他方に「『かた(肩)』がある」/「『かた(肩)』をも(持)つ」/「『かた(肩)』い(入)れする」ことを置いた場合、どちらの方が先だと思ひますか? 0829考える名無しさん2023/11/03(金) 09:43:18.360 だから文学ならば、どちらが先かとはヤボな話だが ここは哲学なのでな
哲学ならば、その「かた」が方なのか肩なのか形なのか傍なのか〜〜〜を主張者が明示する必要がある それが分析哲学の基本です 0830考える名無しさん2023/11/03(金) 10:38:47.570 では、英語で尋ねましょう。 "to stand by someone"の"by"と"to stand shoulder to shoulder with someone"の"shoulder"は、どちらが先なのか。"to stand by 〜"として「『かた(片)』は(傍)らにゐる」ことよりも、「『かた(肩)』」という「身体の一部分」の方が先に「あ(在/有/或)る」/「存在する」と考へるのでしょうか。 0831考える名無しさん2023/11/03(金) 10:40:37.770 誤:「『かた(肩)』」という 正:"a shoulder"/「『かた(肩)』」という 0832考える名無しさん2023/11/03(金) 10:44:20.820 >バートランド・ラッセルが 1950年にノーベル文学賞とってますよ
言葉が話せなくても「ママ」という声を発することは、できるでしょう。 ヒトの言葉を話せない鳥類でもヒトの話し声をそっくりに真似ることはできるのですから。 幼児が「ママ」と発する声が、言葉であると認められるかどうかは、それがどのように使はれていると認められるかに依存するでしょう。 0850考える名無しさん2023/11/03(金) 13:02:59.410 私が尋ねているのは、幼児が発する「ママ」という声、その声をより正確に文字に移そうとするなら、"mamma"となるような声が、 名詞または名詞句のように使はれて「存在者」(それは、「母親」であっても、「乳房」であっても、「母乳」であっても構わない)を指し示すことが先なのか、 それとも、「乳を与へられることによって得られる満足感を求める」声として幼児の「意向」を伝へることが先なのかということです。 0851考える名無しさん2023/11/03(金) 13:38:41.320 「仕事がなくては『お(御)まんま(飯)』の食い上げだ」といったような言い回しがあります。 この「おまんま」も、幼児語の"mamma"/「マ(ン)マ」と表現として共通するものでしょう。 別にそれが「乳房」や「母乳」を指すと限定しなくても、"mamma"/「マ(ン)マ」をより抽象的な「意味」を表現する名詞もしくは名詞句として捉へることは難しくない。 それを英語を用ひてメタ言語的に記述するなら、"mamma"/「マ(ン)マ」≒"satisfaction with plenitude"とでもすればいい。 すると、"mamma"/「マ(ン)マ」は、「母親」、「乳房」、「母乳」、「御飯」といったように別々に識別される対象としてではなく、「『まんま』と(/『うまうま』と)罠にひっかかりやがったな」と表現するような場合も含む(したがって、「『うま(旨)』し」まで含む)ような形で"satisfaction with plenitude"という抽象的な「存在者」を指し示す名詞句として扱ふことができることになる。 しかし、問題は、幼児が"mamma"/「マ(ン)マ」という声を発するときにその具体的な用例が示されると考へたとき、その発声はまず最初に、そのような名詞句として「存在者」を、つまり、"a being satisfied with plenitude"を指し示すようにつか(使/仕/遣)はれているとすることが妥当なのか、それともその声は、"to be satisfied with plenitude"という「意向」を伝へるように用ゐられることの方が先で、存在者を指し示す名詞的なの用法は後であるとする方が妥当なのかです。 0852考える名無しさん2023/11/03(金) 13:57:47.950 誤:名詞的なの用法 正:名詞的な用法 0853考える名無しさん2023/11/03(金) 15:09:11.730 スレが活気を取り戻してきたな。 やればできるじゃないか。 飯を食べながらここを見物するのは良い暇潰しになるから、この調子で皆ずっと頑張れ。 0854考える名無しさん2023/11/03(金) 15:21:52.060>>849 あなたはこういったのですよね >「乳房」という身体の一部分ではなく、「乳を与へられることによって得られる満足感を求めて」声を出しているのではないですか?
これはオウムが「ママ」というのとは違いますよね そういうママは、オッパイという存在がなければ発しないですよね オッパイという存在が先だと分るはずです 0855考える名無しさん2023/11/03(金) 16:33:51.740 >Der Verkehr fließt zügig dank der Kreisverkehre und der zahlreichen Parktaschen.
つまり、ウィトのいうこれ↓は間違いを訂正しなければならない ・世界は相互に連結された諸々の原子的事実の総体からなっており ↓訂正 ・世界は相互に連結された諸々の(原子的)事実と虚構の総体からなっており ・ 0892考える名無しさん2023/11/16(木) 10:16:11.620 Wittは The limits of my language mean the limits of my world と言ってるでしょう。 だから、虚像が先なんだよ。 0893考える名無しさん2023/11/16(木) 10:34:10.320 「世界は相互に連結された諸々の原子的事実の総体からなっており」という虚構からstartしよう 0894考える名無しさん2023/11/16(木) 12:44:30.720 適当なポエムでごまかさないでくださいねw
>>892 The limits of my language ということと虚構はまったく別のことです ウィトの言語の限界は語彙が足りないだけじゃないかなw