ルソーの文明批判の出発点「学問芸術論」を読む
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近代思想の源泉、源流ともいわれるルソー
そのルソーの処女作「学問芸術論」を読む。
わたしたちが自らの幸福を自分自身のうちにみいだすことができるのであれば、他人の意見のうちに自分の幸福を求めようとしても、いった何になるというのでしょうか。
学者のために作られた施設が多ければ多いほど、学者たちは学問の目的を見誤るようになり、才能のある人々がこうした間違った学問の研究に進むようなるだけのことでしょう。
ルソー「学問芸術論」より抜粋
ルソー「学問芸術論」読書会の開催
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1668581100/l50 感情の無制限の自由を訴えたラディカルな個人主義者でありながら、一方で個人を全体に委ねてしまう国家主義の創始者であるルソーの二面性。
どちらがルソーの本質かといえば実は最初から最後まで後者だったのでしょう。
ルソーが学問芸術論で訴えている要旨は
「バカは下手に勉強なんかしないで、賢いやつに任せとけばいい」です。金も学も身分もない浮浪者である出自の劣等感から孤独に肥大させた内心の傲慢さがルソー思想の本質です。 ディドロってルソーの友人だったのか。
しらなかった。 私もルソー大先生に習って
バカはバカらしく開き直って
スパルタ人っぽく先ずは真っ正直に行動しようと思います
バカがへたにかっこつけて勉強しても心が腐る
ルソーの言いたかったことってこれでしょ 訳の問題もあるのだけど
どうも「徳」というものがどういうものなのかわからん
あと「奢侈」
「徳」というとずいぶんと立派なものに思えるが
ルソーは学問や芸術をみにつけると「徳」が曇るみたいなことをいっている
素朴な魂?ということならわかるのだが
このことはプラトンの著作でもソクラテスを通じて同じように説かれていることなんだけどね 奢侈に関しては京大の田中秀夫門下がうるさそう。
日本の一部の研究者の間では、
近代西欧市民社会の豊かさ・優位性を誇る言葉になっている気がする。 ソクラテスやルソーの言いたかったこととは何なのか?
これは現代日本にも通じることだと思う
学つけなきゃまともな扱いされないじゃない今どきはさ
それで比べられる、人生の価値を値踏みされる
あなたはあなたのありのままでいい
そう伝えようとしているのなら
俺は賛同する
徳なんて偉そうなものは持ち合わせてはいないが 勤勉を弱い立場の人のために役立てず、
私利私欲に走っても大丈夫だ、
と思わせる考え方はいまいちだと思う。 >>12
それってルソーのことを言っているわけ?
違うでしょ
ルソーはとてもとても偏屈な人で
功名心はあったかもしれないけど
ポリシーに反するからと年金を辞退したりした。
>勤勉を弱い立場の人のために役立てず、
>私利私欲に走っても大丈夫だ、
これはアンチルソーの英米系の経済学のことじゃないの?
アダムスミスやら、新自由主義やら >>13
はい。書き方が不味かったです。
スコットランド啓蒙的なものに向けたものだと
書くべきでした。 基本、2chの哲学板というのは文系カテゴリーの一分野としての哲学が趣旨。
思想をどうのこうのと訴えるのは板の本旨からすると外れているとはいわないけど、端なんだよね
あくまで文学としての哲学を扱う板だということ
実際、学術的にも日本は哲学は文学部哲学科としてしか扱っていない
でも法学から哲学にくずれた私はそういうのはつまらんと思うのだ
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-62382-5
こういうルソーの人間性や生活が批判的な見地から赤裸々に記されている書物もある
そういうのもひっくるめて、変人だ、偉人でもなんでもない、否定、肯定と極端な受けつけ方するのではなくて
ちょっと離れた距離からいろいろと考える材料としてのルソーがある
非常に知能が高い人間が、生まれ育ちが泥臭いとこういう人間になります、思想を生み出しますという
歴史上、稀にみる見本だと思うのだ 以前に仕事の現場で48歳の大学講師の人とお話したことあるけど
アカポス得られない院生あがりが2chにはけっこう居そうだよね まあ、たしかに俺は修士課程を修了するだけに止めた人間だけど。 自分は法学中退でダラダラと生きていたら20年前に2chの哲学板で西洋哲学を知って以来
この板に張り付くようになったんだけど、哲学にはハマったね。異常にハマった。
法学はクソつまらんけど、じゃあそもそも法律ってなんだと考えると異常なぐらい面白くなる
つまり、近代、明治維新による西洋思想の流入とさかのぼって合理論と経験論の思想に違いにまで行き着く
法学も実は10年前に復学して学術的に勉強し直している。今度は哲学の下地があるから、よけいハマる。
哲廃人だな 巷のオフ会に幾度か参加して
自分なりに言いたいことは「倫理とは何か?」がメイン。
法律は国家の強制力がある、慣習、躾、作法、マナーも無言の圧力がある
力による行為の押しつけではなくして、また学校や親に教わることではなくして
自発的に自然にこうすべきとこうあるべきと醸成されていくものがある
環境や相手を思いやること、また環境や相手によって自己は存立されているのだと
感じ習得すること、倫理とはもっと自然に会得できているはずじゃないか、と
思うところをルソーの思想に見出したりする ルソーの言い分だと、日本はこのままだと
スパルタに征服されたアテナイのように
共産国の中国に占領されるな 倫理というのはエゴの押しつけ合いの事を指す
小学生の時分で習うような友達百人理論はルサンチマン的エゴの集大成 だったら法律も否定するよな?誰を傷つようと権利を侵害しようと自由のはず
そこに国家権力が介入することはない
エゴだろエゴ 倫理は内輪でしか成立たない
国民国家やナショナリズムは排外主義の集大成 倫理を考えるきっかけとして
最近つとに多くなった在日中国人のことがある
近所に引っ越してきた中国人家族なのだが日本人より立派な家を建てて
コロナの最中、庭でいきなりバーベキューをしだした
声をかけてきたが俺は無視して、警察に注意を促すように通報した
市の呼びかけでも自粛を促すアナウンスがあるので、連中も警察を通じて
知れればそれでいいと思ったのだ。
だが、連中は警察の注意に同意したように欺き、酒盛りを続け、隣家の俺に
塀越しに缶チューハイを突き出してきたのだ。
俺は激怒して「コロナのなか、おまえら酒盛りなんかしてんじゃねえ」と怒鳴った
すると、なにか法に触れることを俺たちはしたか?俺たちの私有地でなにをしようが俺の勝手だ
お前に関係あるかクソ野郎!と返してきた
連中の心根にある意識に法律より深いところにある連帯はないのだと、あらためて感じたのであったよ 揉めたことで再度、警察が来たのだが
あげくのはてに連中は「俺に酒盛りを断った」と警察に言いやがった
俺は「無視」しただけなんだけどね、俺が警察に通報したことを知らんから俺に酒をすすめた
おまえらが警察に中止への同意を欺いたことを警察との連絡で知っていたからなおさら怒ったのだ
現地の日本人を利用したいがための親睦が丸出しじゃねえか、とね 結局、在日中国人は中共人だから連中は共産党の管理下にいる
おそらく連中は共産党の支配を嫌って自由圏の日本にやってきている
それでも本国の共産ナショナリズムの配下にいることには変わらんのだ
華僑というのは外国にいても漢民族の連帯感のままに他国に文化を形成している
そういったものは連中なりの倫理観が優先されるだけなのだ 喧嘩をすれば当人同士だけのことでは済まないと日本人なら誰しも感じる
ご近所の関係なり、親族の関係であったり、巡って面倒くさいことになるなと
自覚できる、だから抑制する。警察や国家権力は法にもとづいていて、連中はこれをかわせば
あとは問題ないとまで考えているのなら、なんたる傲慢さだろうね あらたな観念のインストールのために脳の初期化をしようとも、価値観のブラッシュアップをしようとも
しきれないものがある。それは民族としての血流である。
これをまったく意識しなくさせれば、いつのまにやら中華人民共和国日本省の始まりである >>23
では無法地帯にいってもらいましょう
ソマリアとかスーダンあたり、今ならミャンマーもいいぞ
政府国家と武力衝突している状況があれば
どこでも大丈夫だ ある派遣の職場でのことなのだが、一人だけ若い在日中国人の同僚が居て、ほとほと扱いに困った。
勝手に100円ショップで購入した事務用品を用意してきて「これ使ってください」と言う。
「会社から用意されたものを使わないとダメだ。」
といっても「でも〜」と口答えばかりする。
これが現場なのだ。 その在日中国人の彼は仕事でのオフでのつきあいがないのが不満らしい。
派遣の人はそういうのが嫌で働いていることを理解できていない。
「釣りとかやりません?」と俺に聞くので
「いや、やらんけど、釣りをやるの?」
「いえ、僕の友達がやります」
「はあ?」
いやらしいんだよ、まったく。 法律は一日で理解して覚えられても、モラルや慣習は
基礎教育や体験といった長い時間がかかる。
倫理とは何か?
具体的にいえば、仕事で作業をしていたとして
自分のミスや怠慢が全体のミスに繋がって損害になる。
そのときに自分を恥じる気持ち、申し訳ない気持ちを
自然と持てるか?ということ。 倫理とは何か?
それは痛みや喜びの輪廻を自然に感じ共有すること。
講壇から一朝一夕に教われるものでもない。 >>35
日本人は基本的に友人であっても一定の礼儀とか距離をとる
だが外国人の連中は個人主義であるが、わいわいとやるわな
ベストアンサー
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shu********さん
2012/5/4 7:02(編集あり)
日本人は友達に負担を掛けない事を第一に考えます。
なので相手に考えを押し付けたりとか説教とかはあまりしないんです。
それに友達に毎日連絡されたらうざいです…
おせっかいもいいですけど、日本人は手助けをする、
ヒントを与えて自分で解決させるって事を考えると思います。
友達を大切にするのは日本人なら当たり前。
その中から何でも話が出来る友達を一人でも
人生の中で見付けられたらそれは日本人として
幸せな事だと言われています。
自分的には、韓国人は無理です。なれなれしいと言うか、友達になったら、
友達のモノは俺のものとかそういう考えがあります。
冷蔵庫とか勝手に開けますしジュース飲んじゃうし…
親しき仲にも礼儀ありって感覚は欠乏してるように見えます。
それとどっちが上でどっちが下かに拘ります。
どっちがいいかは人それぞれなので何もいわないですけどね…
まあこんな感じらしい これからの日本はいったん「壊す」時代にしていく
必要性があるのかもしれないね
与党も野党もどうしようない 様々な非正規といわれる労働現場で働いて、現在行政書士の私なのですが
総括して糾弾したいのは歪な雇用構造である。
親会社、子会社間の請負。そしてその請負のなかでの
多重派遣。少子高齢化による多数の管理職肩書と少数の部下。
もっと国が個々の労働者の資質をきちんと認定、管理して保障したうえで民間企業の雇用の流動化をすべき。 法律だの金だの観念や理屈ばっか言っている連中はバカすぎ
実際にその土地に住まわれたら
もう外国人のものだ
あとは力づくで取り返すしかなくなる ブレイクダウンで在日外国人は強制的に日本人にするしかない。
前科がある犯罪者であろうが貧困層であろうが、日本国籍にして管理する。
これしかない。
知性、経済力や素行で日本国籍に自発的に促すなんて言ってたら欺かれるぞ。 中国とドンパチ始まったら
在日中国人はみな殺しにしてくれるわい! このアンチ学問芸術論がアカデミーによって一等入選しなければ
ルソーはただの変人で終わってるのだけれど
そもそも、なんで当選したのだろうかね?よく読んでみればわかるけど
単なる逆張りではないのだ
ルソーはなにも学問芸術それ自体を否定してはいない
凡庸な人がへたに学をかじっても、悪影響しか及ぼさないと主張している
https://honto.jp/netstore/pd-review_0600277863.html
ここらへん書評も同じことを指摘している
2ちゃんねるもけっこう高学歴の学問くずれが常駐してまさに腐敗した魂からの汚言をまき散らしているわけだが(笑
半端に学をかじると(まあ俺もそうなんだけど)ろくなことにならねえよとルソーが批判しているなら
そこは素直に受け止めるべきかな 言葉のための言葉でしか言葉というものが働かないと
2ちゃんねるにしても、既存のSNSにしても空しいだけじゃないかなと
無駄に敵を増やしているだけのような気がする
ルソーも言ってるよね
観念だ、物理だ、善悪だ、動物、だといろいろと論争しあっているが
偉大な哲学者よ
こんな有り難い教えは、発表などせずに、自分の友達や子供たちだけに教えておいてくれたらよかったのです。
そうすれば、彼らはすぐにその報いを受けたでしょうし、わたしたちも彼らの考えの信奉者が身内にいるのではないかと心配することもなかったでしょう
とね
ただ互いに言葉をぶつけあうだけの存在に我々をしてしまったのは誰の責任か?
なんてルソーから諭されているような 以前にルソーの著作の翻訳者として知られる小林義彦とういう方のルソーについての講話を聞きに行ったことがあるのだが
「ルソーは乞食みたいな生活をしていたんですよ」「ルソーの肖像画は美化しすぎ」
「自然に還れ」なんて言ってないだのなんだの、ルソーの実像がどうのこうのと貶めてる話に終始していたのだが
そんなことはすでに知っていた俺は「だから何なんだろ?そういうクズ男がどうして思想の源泉になりえたかと考える材料にはできないのかね」と
思うわけであった。 べつに学術機関で学をつけずに独学で読書して放浪したりして
社会の観念に染まらなければ本来ある「徳」が保てるなんてルソーの詭弁をそそのまま受けとることは
ないのですが、学歴マウントであったり、ヒエラルキーを意識したりとした人間関係というのは
どうも精神的によくない。「徳」という訳がほんとに日本語の意味としてあってるかどうかもよくわからんのだけど、
つめこみ勉強しすぎて頭が凝り固まってしまうと心が腐るというのはよくわかる。
言葉や理解力や概念で繋がりあっても、自然に心や感性で繋がる機会がほとほとなくなっていく。
いったい誰にとって都合のよい世界なのだろうか いったん「壊す」しかないんじゃないですかね
壊すといっても「物理的」に壊すということじゃないですよ
それじゃ過去の全共闘世代の若者がやっていた暴力革命のことですから
ソクラテスやルソーが勧めたように「観念」を壊す ルソーの著作「学問芸術論」のなにが面白いかって
学もコネも金もないが知能はやたら高い浮浪者の男が
懸賞論文で「学問は心を腐らせる」と学界に主張して
一等入選してしまう出来事自体が面白過ぎるということ。
といってもこういう主張が学界に受け入れられることはそれほど不思議なことではない。
ルソーは「学問芸術論」の主張のなかでけっして
学問自体を否定していない。学界において学問における自由で相対的な言論のあり方を快く思わない人たちは居る。
「人それぞれの価値観や真理」をソクラテスのように剥きだし壊すことで「絶対的真理の権威者」でありたい人々にとっては迎え入れやすい。
「人間不平等起源論」「社会契約論」ルソーの思想は左翼ホイホイ。私はただただ
ルソーをいたずらに否定も肯定もせずに、思想の歴史的潮流における「初期化思想」の現出の必然性を探るだけ。 無一文、無学歴の人間が開き直って、「なにも持ってない裸の俺ってサイコー!無色透明サイコー!」
って思想どうなんかね? 結局、白だろうが黒だろうが七色だろうが「観念」は「観念」だしな
「みんな」とか「万民」とか「観念」でしかない
「無知の知」という「観念」だろ
そこに千差万別の「顔」はない 俺はねえ、ルソーのエミールに倣って人生を幼年から自分で教育し直そうと思ってるよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています