ことばをつか(使/仕/遣)ふことについて、抽象的に述べているばかりでは、何を言っているのか分かりづらいだろう。
例えば、私の表記法を見るといい。私は、現代の日本語の標準とされる表記法の規範に従っていない。
しかし、私が、旧仮名遣ひ交じりの表現を使ふのは、いはゆる「擬古文」を書きたいからではない。
そうではなく、現代の日本語の標準の仮名遣ひが、日本語で物事について考へる際に著しく非効率であり、思考のプロセスそのものの妨げとなっているからである。
「言語」は、あらかじめ語彙と文法に明確に分けられるのか。
であるとすると、「終える」、「誘く」、「惜しい」、「囮」、「緒」、「長」、「雄々しい」などは、互いに何の関係もない語彙として、分布規則に従って組み立てられる対象と見做されることになるだろう。
しかし、これらが、実は、旧仮名遣ひでは、「お」ではなく、「を」として表記されるものであり、「を」の「こゑ(声)」が伝へる作用の様態を共通で用ゐた表現であること、また、それだけでなく、英語やドイツ語などで、類似した「こゑ(声)」の使ひ方による対応する表現を見出すことができることも既に指摘したとおりである。
現代の日本語の「文法」では、「〜を」という用法以外では、「お」と「を」は区別されるものではなく、旧仮名遣ひの「を」は、「お」で表記されるものとすることが規範なのだから、私の表記法は、規範に逆らふもので、「非効率を生じる」ということになりそうだが、実際には、それにより顕著に効率化がもたらされる。