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日々雑記 in哲学板 その4

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0350バベル二世
垢版 |
2024/01/08(月) 08:21:57.320
私は、"to congeal"、"to conform"、"to confess"などの直接、または間接的にラテン語から英語に取り込まれた表現について、その"co(n)-"の表現上の用法についてメタ言語的に記述するために、"co(n)-"は、"to be one in 〜ingを、つまり、「一つにまとまるように〜する」様態を伝へるように用ゐられていると説明した。
このように見ると、この"co(n)-"の「こゑ(声)」のつか(使/仕/遣)ひ方は、日本語の「こ(凝)る」、「こころ(心)」、「ここ(此処)」といったような表現に見られる(おそらく、「こゑ(声)」の「こ」も含めて)、つまり、極めて一般的に見られる「こ」の「こゑ(声)」の用法と共通していることに気づく。
物象化されて流通するようになった多種多様なことばの表現は、それが流通する集団に依り、相互の折り合ひの付け方が著しく互ひに異なるように分岐して複雑化するため、表面的には、同様のことを表現するのにまったく異なる「こゑ(声)」のつか(使/仕/遣)ひ方をしているという印象を受けるが、それらの表現を解釈するために反物象化してみれば、つまり、「こゑ(声)」がどのような様態を伝へる効果をもたらすように用ゐられているかに注目してみれば、当初の印象とは逆に、思っていたよりはるかに多くの共通性が見出されることになる。
0351考える名無しさん
垢版 |
2024/01/08(月) 08:46:21.100
しかし、例えば、"co(n)-"は、"to be one in 〜ingを、つまり、「一つにまとまるように〜する」様態を伝へるように用ゐられていることにおいて、日本語の「こ(凝)る」の「こ」と「こゑ(声)」の用法が共通していることが「事実」として認められたとしても、それは、「様態」を伝へるための「こゑ(声)」の使ひ方の共通性に過ぎないので、言語系統論において言語が同系統であることを証明するのに何の役にも立たず、言語の研究において「そのようなことに注目しても意味がない」として、その事実は、無視されることになる。

確かに、別々の言語のに「こゑ(声)」の用法に共通性が見られることは、それらの言語が同系統であることを証明する証拠にはならない。
しかし、ことばについてより深くし(知/領)ろうとするなら、言語の系統を確立する目的で意味がないから、そのようなことに注目することには「ことばの研究」として意味がないとするのは、奇妙な論理のすり替へであり、さらには、言語系統論が本来的に抱え込んでいるダブル・スタンダードを見て見ないふりをするダブルスタンダードの隠蔽である。
0352考える名無しさん
垢版 |
2024/01/08(月) 09:08:59.870
なぜそれがダブルスタンダードの隠蔽となるのか。
言語系統論は、別々の言語において同様の意味で用ゐられている認められる単語を数多く選び出し、それらの単語の発音に規則的な変化によると推定できる明確な対応関係が見出されるか否かに基づいている。しかし、ひとたび、その判定において、言語が同系統であると判定されると、今度は、単語の語源研究においては、様態を伝へるように用ゐられる「こゑ(声)」の類似性から、単語の表現としての意味解釈が施されることになるからである。

様態を伝へるように用ゐられる「こゑ(声)」が、言語が同系統であるか否かにかかわらず、別々の言語において類似した使はれ方をすることが頻繁に見られるなら(だからこそ、比較言語学は、そのような類似性を無視する)、同系統であると判定された別々の言語の間でも、その「こゑ(声)」の使はれ方が、それらの言語が同系統であるという歴史的な要因によるものか、それともそうでなくても類似した使はれ方をされるものなのか区別することはできないはずだろう。しかし、同系統に属すると判定された言語間では、規則的な対応関係など問題にすることの不可能な、何らかの様態を伝へる単音節のレベルで、その発音に使はれ方の類似性が、「系統論的に」説明されることになる。
このダブルスタンダードの適用のされ方に注目して見るとはっきりしてくるのは、印欧諸語の研究者は、中国語を、印欧諸語の「他者」と見て、自己規定をしていることである。だから、いくら中国語と印欧諸語の間で「こゑ(声)」の使はれ方に共通性が多く見られても、そのことをほぼ完全に無視するか、それを借用に由来するものとして説明するのである。
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