私以外に誰もそれをはっきりと口に出すことのない不都合な事実を明言しよう。

哲学的に見れば、いつでも、学問こそが「ま(真)こと(如)」を明らかにするための正当/正統な手段/手法であるものとして提示される一方で、人々に学問の方法をし(教)へ、身につけさせると称する教育/指導は、つねに、人為的な実力行使の暴力を崇拝するように規律を身につけさせるしつけ(躾)/訓練を正当化/正統化する口実として用ゐられて、「ま(真)こと(如)」を探求しようとする試みを絶えず意図的に阻止し、阻害している。