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日々雑記 in哲学板 その4

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0418考える名無しさん
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2024/01/11(木) 10:02:13.200
哲学する者とは、と(訪/問)ひつづけることをやめようとしないしふね(執念)き「幽霊」/《revenant》である。

>haunt (n.)

1300年頃、「頻繁に訪れる場所」として使用され、「習慣、慣習」としても使われていた(14世紀初頭)中英語の語源は、フランス語の「hant(頻繁な訪問; 頻繁に訪れる場所)」であり、それは「hanter(訪問する)」に由来しています( haunt (動詞)を参照してください)。 「場所に棲む精霊、幽霊」という意味は1843年に初めて登場し、最初はステレオタイプ的なアフリカ系アメリカ人の方言で、その後の動詞の意味から派生しています。
(出典 www.etymonline.com/jp/word/haunt#etymonline_v_6214)
0419考える名無しさん
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2024/01/11(木) 13:12:46.320
真面目に中国語を学習しようという気はないのだが、図書館で借りてきたまだ中国語文法の参考書を読み終わっていない。
説明が簡潔で分かりやすいが、日本語の訳文との対応関係を見ていると、私には、むしろ、日本語の謎解きを読んでいるような感じがしてくる。

例えば、中国語の「都」の用法だ。これは、そのこゑ(声)も含めて、日本語に取り入れられて、「『と』はいへ『ど』(雖)も」という表現に見られるように「と/ど」のこゑ(声)の用法に流用されているだろうと私は思ふ。
どういうことか説明しよう。
0420考える名無しさん
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2024/01/11(木) 13:25:22.830
日本語の古語の「と」には、その「こゑ(声)」に甲類と乙類の区別があり、別々の用法があることは確かなのだが、それらの混交と交錯も生じている。
その用法の交錯の一つは、「継続的な接触」を想起させる「つ」の活用形としての「と」と、「手足が触れるような接触の感覚」を表現する「た(手)」の活用形としての「と」の交錯が見られるような印象を私は受けるが、これは、今のところ、そういう「印象を受ける」というだけで、詳しく検証したわけではない。
0421考える名無しさん
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2024/01/11(木) 13:27:04.420
いずれにしても、万葉仮名としての「都」は、甲類の「と」を表記するのに用ゐられているが、中国語としての「都」の用法は、以下のとおりである。

>都
all; both (used to indicate that the statement is true for every subject or object); or the entirety of something
我都知道了。 I know everything. [ambiguous; may also mean “Even I know”.]
他比任何人都好。He is better than anyone else.
(出典 en.wiktionary.org/wiki/都)
0422考える名無しさん
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2024/01/11(木) 13:38:25.930
英語の"all; both"に対応させられているこの中国語の「都」は、日本語の「『と』・『とも』に」の「と」もすぐに想起させるだろう。
私は、朝鮮語も勉強しているわけではないので、それについて特に知識があるわけではないのだが、以前は韓国のTVドラマを観ることもよくあった。
その会話の中で使はれる表現で、耳に良く残っているのが、日本語では「それでも」と訳すことができる「그래도(クレド)」という表現である。
私には、この「그래도(クレド)」の「도(ト/ド)」も中国語の「都」の用法をそのまま借用しているように見える(そうではないという確実な根拠があるのであれば、それを示してもらえることを私は歓迎する)。
0423考える名無しさん
垢版 |
2024/01/11(木) 13:54:41.770
では、この「と」の「こゑ(声)」は、どのような様態を表現するように用ゐられているかをメタ言語的に記述しようとするなら、例えば、メタ言語としてフランス語を利用するなら、《autant de 〜》(〜と同数[同量]の/〜と同じくらいの)に対応させることになるだろう。

すると、結局、この中国語の「都」/日本語の「と/ど」/朝鮮語の「도(ト/ド)」は、ラテン語の"tot"とほぼ同等の「こゑ(声)」のつか(使/仕/遣)ひ方をしていることになるだろう。
>tot: Adjectif
Autant de, tant de.

tot civitatum conjuratio
la conjuration de tant de cités.

quot homines, tot sententiae
autant d'hommes, autant d'avis.

quot pugnas Alexander commisit, tot victorias tulit
autant Alexandre a engagé de batailles, autant il a remporté de victoires.

tot plagas acceperat ut movere se non posset
il avait reçu tant de coups qu'il ne pouvait se mouvoir.
(出典 fr.wiktionary.org/wiki/tot#la)
0424考える名無しさん
垢版 |
2024/01/11(木) 14:05:37.240
>日本語に取り入れられて、「『と』はいへ『ど』(雖)も」という表現に見られるように「と/ど」のこゑ(声)の用法に流用されているだろうと私は思ふ。

ただし、日本語としては、「都」は、甲類の「と」の「こゑ(声)」を表記するのに用ゐられているのに対して、「『と』はいへ『ど』(雖)も」の「ど」は、乙類の「と」を表記するのに用ゐられる「等」その他の漢字が当てられている。
0425考える名無しさん
垢版 |
2024/01/11(木) 14:14:28.530
>万葉集 第18巻 4037番
乎敷乃佐吉 許藝多母等保里 比祢毛須尓 美等母安久倍伎 宇良尓安良奈久尓[一云 伎美我等波須母]
乎布の崎漕ぎた廻りひねもすに見とも飽くべき浦にあらなくに [一云 君が問はすも]
をふのさき こぎたもとほり ひねもすに みともあくべき うらにあらなくに [きみがとはすも]
(出典 万葉集ナビ)

それは「『と』もかく」、フランス語の《autant》、ラテン語の"tot"に対応する様態を表現する漢字としては、「等」の方が「都」よりも合っているという感じはする。
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