日本語の思索/詩作においては、ついぞ「臨在」が忘れられたことはない。
「臨在」を忘れさせようとしているのは、むしろ、「存在忘却」のような意味不明な「専門用語」を多用して、日本語の表現は情緒的なので哲学的な思索には向かないなどということを人々に信じ込ませようとしている哲学学の方である。