X



日々雑記 in哲学板 その4

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0842考える名無しさん
垢版 |
2024/01/27(土) 11:28:16.370
「こひ(戀/孤悲)」が募り、「いき(息/生)の『〜を(緒)が乱れる』ことは、みづから(身づ柄/自ら)が「心身に不調をきたす」ことになる。
ところで、では、「心身に不調をきたす」ことの逆は、どのようなことであり、それは「ことば」として、どのように表現されるだろうか。
現代の日本語でそのまま素直に考えてみるなら、それは、「心身の調子が整ふこと/調整がうまくとれること」、「身と心が協調してうまく働くこと」、「心身の働きに協調性が生じること」であり、それを一言で表現するなら「心身が『すこやか』になる」ことだろう。
そのように考へた場合、この「心身が『すこやか』になる」という感覚に、万葉集の歌に見られる「ま・すら・を(大丈夫)」という表現や、本居宣長が注目した、古事記の「なほび(直毘)」という表現が対応していることを見ることは難しくない。
このような対応関係を手がかりにして、ことばの表現を探っていくと、いたるところに途方もない奸計が仕掛けられていることに気づくことになり、それは、日本語の表現の解釈の問題に限定されないことに気づく。
実際、そのような奸計の「途方もなさ」は、それを正当化するための解釈が「常軌を逸している」ため、それを仕掛けている側がそのことを、「うまく説明がつかないこと」として、それが「常軌を逸している」ことをあらかじめ認めなければならないほどである。
0843考える名無しさん
垢版 |
2024/01/27(土) 13:38:24.230
>この「心身が『すこやか』になる」という感覚に、万葉集の歌に見られる「ま・すら・を(大丈夫)」という表現や、本居宣長が注目した、古事記の「なほび(直毘)」という表現が対応している

現代の日本語でも、「心が『しっかり』していること」を表現するのに「気丈」という言葉が使はれることがある。
「しっかり」という言葉が伝へる感覚は、古語の「もと(根/元)な(無)」という言葉が伝へる感覚とは逆だろう。
0844考える名無しさん
垢版 |
2024/01/27(土) 13:42:57.300
ところで、何かを相手に伝へるとき、その伝へた内容の根拠が「しっかり」している/「た・しか(確)か」であるとき、その「しっかり」/「た・しか(確)か」を表現するのに用ゐられる言葉は、"certain"である。
もう、私が何を指摘しようとしているのか分かっただろうか。
0845考える名無しさん
垢版 |
2024/01/27(土) 13:46:06.900
>concert (n.)
1660s, "agreement of two or more in design or plan; accord, harmony," from French concert (16c.), from Italian concerto "concert, harmony," from concertare "bring into agreement," apparently from Latin concertare "to contend with zealously, contest, dispute, debate" from assimilated form of com "with" (see con-) + certare "to contend, strive," frequentative of certus, variant past participle of cernere "separate, distinguish, decide" (from PIE root *krei- "to sieve," thus "discriminate, distinguish").

The proposed sense evolution between Latin ("to contend with") and medieval Italian ("bring into agreement") seems extreme and is difficult to explain.
(出典 www.etymonline.com/search?q=concert)
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況