未来も過去も幻
時間とか過去について、それが幻想であるとか、あるいは作られた概念に過ぎないとか
そのように信じる方々というのはつまり、『世界には物体であるとか物質とか、何か
無時間的つまり不変に存在している何ものかがある』という思考構造の中にあって
その前提の中で、時間というものは、意識の変化とか、それはつまりは世界の変化
とも言い換えることができると思いますが、そのような変化する何ものかを理解するために
人間が不可避的に定立してしまう道具のようなものだと、そういうことを考えておられるのかもしれません かく言うわたしも若いころは、といっても30過ぎまで、時間などというものは
変化とか運動から構成された副産物なんだろうなと思っていました
それで、なんとか物理現象から時間を作り出せないものだろうか、
もう少し正確に言えば、物理現象の何事かが時間を作り出していることに
してしまえないだろうかと、わりと必死に、延々考えたりしていました
そうしてしまうのが当然だと信じていましたし、厚かましくも自分には
それができてしまいそうな、そんな気もしていました
具体的に言えば、時間はエントロピーとかによって説明できるはずだし、
説明すべきだと
そして世間的にも専らそのような風潮であったわけです、2024年の今に至るまで
しかしそんなはずがなかったのです
そんな容易なことなら、とっくに誰かが解明しているはずだったのです 物体あるいは物質の運動によって人間の意識が虚構としての時間を作り出している・・
多くの科学者、そして科学にかぶれた哲学者崩れはそのように考えているようです
その中には大真面目にこう言う科学者もいます
『宇宙のすべての素粒子が逆向きに動き出したら時間は逆転する』と
仮にそうだとしましょう
しかし人間も素粒子の集合体ですから、人間の意識は素粒子の運動の所産であるはずです
もしそうだとすると、素粒子の動きが止まると時間は停止することになりますが、意識も
停止しますから、人間は時間が停止したことに気が付かない
SFやマンガ・アニメではそれがあたりまえのことのように理解されているため
そのことを前提とした描写がよく見られます
だとすれば、素粒子が逆に運動をし始めたとしたら、人間はそれに
気が付くことがありません
素粒子が逆向きに動き出しても、時間は逆転しないのです
そんなバカな
何がおかしいのでしょう
どこで間違えているのでしょう 独我論と時間不在説
【過去は幻】と考える人たちにとって、現在の世界は
どこまで実在しているのでしょうか
例によって、もう少し正確に言うならば
どこまで実在していることになっているのでしょうか
どこまで実在していることにすればその人たちは納得されるのでしょうか
隣に座っている人、近所の人、同じクラスで学ぶ人、アメリカに住むアメリカ人
それらは実在していると考えてよいのでしょうか
また、それらが実在していることの意味が
彼らが自分と同じように、生きて、意識を持ち、世界を認識していることである
そのようなことである、のでしょうか
それとも、彼らが実在していることは、そのようなこととは別の意味なのでしょうか
もし、現在を生きている人間が実在するとして、それが実在することの意味が
彼らが生きて、貴方と同じ世界を認識していることであるとするならば
そのことを認めながら、過去は幻だとしてしまうのはダブスタです
なぜなら、200年前にも生きて世界を認識していた人間がいたからです
ダブスタを避けたいのであれば、『自分以外の人間はすべて幻である』としなければ
ならないでしょう
おかしな話になってしまった
しかし重要なのは、何が正しいのかではなく、何が納得できないのか