ウィトゲンシュタイン 4
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>あらゆる問題を与えたときの処理時間が全く同じなのにアルゴリズムは異なるという状態は
論理的に存在出来ない
いや、マルチバースの宇宙の一つでは存在できるかもしれないぞ、フンコロガシ君
>つまり何もないところから無限にエネルギーを取り出せるという主張と哲学的ゾンビは
等価でありそのようなことは想像すら不可能
いや、マルチバースの宇宙の一つでは余裕で存在できるかもしれないぞ、フンコロガシ君
フンコロガシ君なんか、ヒュームとマルチバースだけで簡単に論破できるから楽勝
今日も俺の完勝だったな。
まあ、連日、こんな感じだが、相手はフンコロガシだから当たり前だよな 笑
※前スレ
ウィトゲンシュタイン 3
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1700523513/ たとえば、よく三段論法でこういう例が使われる
すべての人間は死ぬ → ソクラテスは人間である → ソクラテスは死ぬ
論理学はこれを真としてしまうが、哲学的に考えるとこれは決して真を保証する
ものではない。たとえば、バイオテクノロジーの発展で不老不死の人間が
一人でも地球に誕生した場合、この三段論法の規則適用による真理は崩壊して
しまうのである。あるいは未来を待たなくとも、どこかで仙人のように不老不死で
生きている人間の可能性もゼロではない。「すべての人間は死ぬ」 、と言っておきながら、
地球上のすべての人間を調べた証拠もゼロであるし、今までの人類史にいたすべての
人間の生存の有無や確認など誰にも調べられるはずもないだろう。 論理も所詮は、この程度の代物である。哲学者は、こうした論理や科学の持つ
誤謬やその基底にある曖昧さを暴露できるのである。ヒュームであれば、
「自然の斉一性原理」と帰納法がお互いに循環論法になっていることを指摘したが、
これは正しいのである。科学は一見、盤石な基礎に基づいているように人々は誤解して
いるが、実際は、「自然の斉一性原理」と帰納法の循環論法という危うい基盤の上に
立っているというのが、その真相である ラカンは、「それが-すべて-では-ない」と述べて、物事すべてに更新可能性や留保の
余地を常に残しておいた。これが哲学的な知的な態度であり、来世にフンコロガシに
転生予定のスレ荒しのフンコロガシ君は、これと逆なので俺は一貫して馬鹿にして
いるのである 人々は外界そのものを現実、実在として解釈するが、実際のところ、それは
脳というインタフェースや変換装置の介在・操作による仮現象のようなものに過ぎない。
また、アメリカの科学哲学者ハンソン(N. R. Hanson1924〜1967)が提起した
理論負荷性(theory-ladenness)という概念が示すように、科学的データには
純粋な観察や生の事実は存在せず、常に先行する理論の影響を受けているので、
科学者によって言っていることがバラバラになる。それぞれの科学者が依拠している
理論のモデルが違うからそうなるのであって、色の異なるレンズで、それぞれ自分の
好きな色を外界や対象に知覚して、判断しているようなものである。 今の科学でも、現在までの標準理論を正しいとした前提で物事を観察、検証して
いるだけなので、千年後の科学やマルチバースの存在などが確認されたり、
宇宙環境の大規模変異の発生などによって、それらの既存のコードが使い物に
ならなくなる世界線など、いくらでも想定できるのである。つまり、科学のコードは
真理というよりは、暫定的な方便のようなものであり、川岸を渡るためにとりあえずは
使える、仮に作った筏のようなものであるに過ぎない。そのため、科学は常に暫定的な
もの、仮説に留まらざるを得ないのが真相である。ヒュームは科学の持つそうした
構造的脆弱性やバグを指摘したのである。 命題論理の中では、モーダスポネンスは推論規則として自明であるが、これを
別の存在論的宇宙へ移植して考えてみれば、ただちに自明でない可能性も
導かれてしまうような限定合理性の謂に過ぎないである。
人々は今の太陽系宇宙のもとでの物理学等の科学的知見を自明視しているが、
これも本当はおかしいのである。宇宙環境全体の突然の変容なり、マルチバース
からの影響で、宇宙のシステムが全く異なる系へと移行する可能性もないことは
ないのである。そのため現代の科学の標準理論だけで真値が得られたと確証
してしまうのは、盲信もいいところである。 真であるとは限らない
だから科学は間違っていて
哲学は正しい
キミの論理は脆弱だねえw
長々書いているが煎じ詰めればこうなる
真であるとは限らない
の後に好きなロジックを置いて正しそうに見せるのはオカルト論法だよ
1000年後に哲学が科学に否定されている可能性を考えるとキミの論理には矛盾が含まれていて即ち爆発律によりどんな命題も真に導けるということを自らやってみせているのみ
つまりキミの論理は無意味w
残念だねえw >>7
命題論理wwwwwwww
低学歴バカすぎるwwwwwwwww
完全に誤りである事すら理解してないwwwww マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w 哲学的ゾンビ→物理状態が同じなのにクオリアの有無とやらの違いがある哲学的ゾンビなるものが想像可能という主張
「クオリアの有無」は少なくともの1ビットの情報記録を必要とする
チャーマーズは知能が低すぎるから情報熱力学を知らない
1ビットの情報の違いがあるのに物理状態が全く同じなどということはエネルギー保存則に反する
同じ物理状態なのに「クオリアの有無」なる1ビットをさらに書き込めるという想像は物理状態を変えずに1ビットの情報を書き込めるという主張そのものになり情報熱力学から1ビット分のエネルギーを物理状態を変えずに取り出せると主張したことと等価になる
つまり何もないところから無限にエネルギーを取り出せるという主張と哲学的ゾンビは等価であり
そのようなことは想像すら不可能
つまりチャーマーズは生きてて恥ずかしいレベルの低学歴脳障害 中国語の部屋→中国語を理解しない人たちを部屋に閉じ込めてマニュアルに従って作業させたら中国語を理解してないはずのシステムなのに中国語を理解しているかのように見せかけられるため機能を模倣しても真の理解や知能を作ったことにはならない
これサールという知恵遅れの妄想
無知なので計算量理論を知らない
計算量理論の世界ではノーフリーランチ定理というものが証明されている
これは「あるアルゴリズムが全ての問題について得意ということはあり得ず、アルゴリズムによって得意な問題と苦手な問題に別れる」ということを証明している
つまりあらゆる問題を与えたときに処理を終えるまでの時間がアルゴリズムによって異なるため
あらゆる問題を与えたときの処理時間が全く同じなのにアルゴリズムは異なるという状態は論理的に存在出来ない
よって「中国語の部屋」はあらゆる問題を与えたときの処理時間で測れば良い
それが中国語を理解する中国人を全ての問題について上回っていれば、中国語を理解する中国人のアーキテクチャ・アルゴリズムを真に上回っているということでありより深い理解をしていることになる
サールの知能ではこういう計算をできないのでバカを晒したってだけ
つまり意識のハードプロブレムなど存在しない
哲学者の思考能力にハードプロブレムがあるだけ 何やらせても無能すぎてクビになりバカすぎて働けないので精神病ということにしてもらい障害者年金貰って無意味に死ぬのがお前な?
単に怠け者がバカなだけなのに「病気」扱いしてもらうとか
生きてて恥ずかしくねえのか?
怠けたからバカなだけなのに詐病wwwwwww この知ったかぶりハルシネーション障害者年金最高wwwwww
ChatGPTに確率など一切使われてないがwwwwwww
7 考える名無しさん[sage] 2023/11/21(火) 15:53:58.49 0
ChatGPTのような大規模言語モデルは、シンタクスやセマンティクス、あるいは
プログラム理論にあるような「知識表現」による統整や形態素解析による分類をしているのでなく、統計学的な確率モデルによって、頻度・尤度の高さや蓋然性のある回答をユーザに
提供しているという仕様になっているものである。知識表現であれば、Prologのような
論理プログラミング言語や形式論理を使って系統的にトークンやタグを配列・構成したりできる。
現代社会は合理性や論理、効率だけなく、確率というものを重視しているようにみえる。
そこで、あえて哲学的にそこに潜むバクというのを俺が考察してみよう。まず、GPTの
場合は「ハルシネーション問題」がある。これは、GPTが虚偽の回答を返してくるという
意味である。私も、ずっと以前にGPTに割合簡単な数学の問題を解かせてみたが、
間違った解答をしたり顔でGPTは返してきた。またGPTはデータの情報更新に
タイムリー性がないので、既に世界で知られている安倍射殺のニュースのことを
知らなかったりもする。 障害者年金はクレカ作れないのでプラグイン使えなくてウケるwwwww プラグインてなに?
お前まさか5chに課金してんの? >>17
バカすぎてウケるwwwwwww
ChatGPT pluginsは、有料であるChatGPT Plus限定機能となります。
https://chat-gpt.school/plugin-wolfram/ クレカ作れない詐病無職
「簡単な計算もできない!!」
wwwwwww
脳障害ヒキコモリだから大規模言語モデルという名前の意味もわからないwww そもそも中卒無職じゃMathematicaなんて見た事すらないんだろうなあwwwww
https://youtu.be/S220j3p7-gw
お前は人間の文明に参加してないんだよ
生きてる意味がない 中卒無職「計算間違いが多い!!」
OpenAI「そんな事はリリース前から分かりきってるから様々な企業と連携してプラグイン使えるようにしといたで!」 停滞している哲学サイドからみれば、GPTはピカピカに輝いて見えて、そこに哲学的問題を見出したいという気持ちが痛いほどわかるが、生真面目に思い込むことはない。
哲学はいつも強いものに媚びるようにして生き延びてきた。デカルト、カント、ウィト等大哲学者は「科学に媚びたり、ファイティングポーズをとったり」とみんな役者だった。
彼らは実質的なことは何もしなかったが、一般大衆の心を掴むことには関しては、ニュートン・アインシュタイン級だった。哲学に真理などない、一般大衆に受ければよい。
というわけで、GPTには確率があった方がいいと思うよ。 人工知能って確立だったのか
確立で喋るようになるのか
イーロンマスクも言ってたけど
人工知能の核ってただの文章ファイルらしいじゃないか
そんなの信じてるのか? パラメータだけ提供して
別のところで別のものを動かしてるんじゃないのか?
我々はモラルがないから
パラメータだけしか見せてもらえないのだよ
まあ全部妄想だけどw キチンと勉強せずに語り出すから科学サイドからバカにされてるんやで >>27
よく理系マンが人工知能なんかただの統計とか言うけど
統計でこんな生き物みたいな挙動するのかとほんま不思議だわよ
確率だか統計だか知りませんけど ただの写像だぞ
それを目的に沿って自由に設計できるというだけの話
そして人間の知能もただの写像でしかない 知ったかぶりバカの妄想を知ったかぶりバカが盲信しただけ
つまりお前はAI以下 手足を失った人にサイバネティックな手足を装着すれば障害は克服されるだろう
しかしバカにAIを与えてもバカはAIをマトモに使えないのでバカは治らんwwwwwwwwwwwww
哲学的にはこっちの方がおもろいwwwww >>37
お前がバカな世界にしかアクセスできないだけの話 バカにAIを与えてもバカは治らない
ではバカでも何も考えなくても全てやってくれるAIなら?
それバカは治るかもしれないけどバカ不要だよねwwwwww
AI単体で生きてるやんwwwww. 理系のフリしたなんでも統計マンがChatGPTにお伺いして書き込むスレ
つまりなんでも統計マンはChatGPT以下の知能しかない 人間の言説がハルシネーションだらけに見えていないなら
そいつの分析力や観察力がゴミって事wwww
「大規模言語モデルは人間と違ってハルシネーションが!!」
とか吠えてるバカ見かけるとマジでウケるwwwwwwww
こいつの観察力では人間のハルシネーションが見えてねえのなってwwwwww >>42
いや統計すら知らんと思うぞ
教育を全く受けてないので
「くらえ!ボクの考えた一番難しそうな数学!」
みたいなレベルだぞ
それより難しい言葉を知らないからそれしかChatGPTに聞けないのだwwwww 例えば俺が情報理論では確率分布の変化こそが情報量という定義になっていると教えてやっても
それをどうやってChatGPTに入れて知ったかぶりすれば良いのか思いつけないわけよwwww
積分とかlog出てきても発音すら知らんのだろ
だから確率という単語1つだけをChatGPTに入れて知ったかぶりしようとしたということw
ハルシネーションそのものやでwwww バカにAI与えてもバカは治らないという実践・実証www そんなバカをも完全にサポートできるレベルのAIを作ったとしたら
それ動物につければ良くてバカな人間要らなくね?wwwwww >>50
生き物の持つ機能は所詮は進化の過程で獲得した生存競争に勝てるものでしかない
それは人間の知能も例外ではなく外界の環境に対してうまく対応しようとするシステムでしかない
その機能を真似すればいくらでも近づくことは可能
進化の過程で発見された組み合わせを人間が真似できないのかというと
別にそれを禁止する法則など無いのだからやる気を出せば出来るってだけ >>45
せやね
統計って言葉を棍棒にしてるだけのオカルトマンだわ ベストセラー
統計学が最強の学問である 西内 啓 (著)
あえて断言しよう。あらゆる学問のなかで統計学が最強の学問であると。どんな権威やロジックも吹き飛ばして正解を導き出す統計学の影響は、現代社会で強まる一方である。
「ビッグデータ」などの言葉が流行ることもそうした状況の現れだが、はたしてどれだけの人が、その本当の魅力とパワフルさを知っているだろうか。
本書では、最新の事例と研究結果をもとに、今までにない切り口から統計学の世界を案内する。 ヒュームは、自然科学が、実は「自然の斉一性原理」と帰納法との間にある
「循環論法」という危うい基盤の上に暫定的に成立しているという事情を
上手く暴露した。これは、自然科学全体が有する「強い帰納バイアス」だとも言える。
「帰納バイアス」とは、機械学習などで使われる概念である。
また、機械学習では古代の哲学者エピクロスの「多説明原理」の概念が用いられたりする。
これは単一ではなく、複数の仮説を用いてアンサンブル学習(法)を形成して、機械学習に
汎化能を獲得させるようにするものである。人工知能の分野では、コネクショニズムの系統や
パーセプトロンのようなニューラルネットワークがよく知られているが、学習モデルにおいても
様々な系統があり、科学的な認識というのはそもそも一枚岩でも安定でもないのである。
「オッカムの剃刀」では、当然、帰納バイアスというバグを発生させる可能性があるし、
GPTであれば「ハルシネーション問題」となって、認知上のコンタミ混入の原因にもなる。
つまり、本質的に考えるのであれば、脳機能やGPTのみならず、自然科学の体系も
いわば一種のハルシネーションだと言えるのである。吉本隆明であれば、これを
「共同幻想」と呼ぶかもしれない >>59 これに意識や表象、言語による象徴化機能も加えておこう
つまり、本質的に考えるのであれば、脳機能や意識、表象、言語による象徴化機能、
GPTのみならず、自然科学の体系もいわば一種のハルシネーションだと言えるのである。
吉本隆明であれば、これを「共同幻想」と呼ぶかもしれない 学習モデルにおいても、人間(幼児)が実際にどのように言語を習得しているのかも
定かではない。哲学者のジョン・ロックであれば、「タブラ・ラサ(白紙状態)」という
白紙ノートの状態から、経験による知の獲得によって、経験やそれに基づく学習が
白紙の中へと書き込まれていく、という説、これはチューリングが支持していた考えでもある。
逆に、プラトンのイデア論やチョムスキーの普遍文法(GM)のように生得的に、もしくは、
ア・プリオリに人間は言語モデルを有しているという説もある。ちなみにゲーデルが
数学についてのプラトンのイデア論を支持していたのを私は読んだことがある。
先に、アメリカの科学哲学者ハンソンの「理論負荷性」や神経科学オキーフの海馬における
「場所細胞」などを紹介したが、自然科学やAI、大規模言語モデルであれ、帰納バイアスと
一切無縁であるような真理の獲得などは、人類の知においては永久に不可能なのである。 >>61また間違えたw
◯ チョムスキーの普遍文法(UG) 学習モデルにおいても、人間(幼児)が実際にどのように言語を習得しているのかも
定かではない。哲学者のジョン・ロックであれば、「タブラ・ラサ(白紙状態)」という
白紙ノートの状態から、経験による知の獲得によって、経験やそれに基づく学習が
白紙の中へと書き込まれていく、という説、これはチューリングが支持していた考えでもある。
逆に、プラトンのイデア論やチョムスキーの普遍文法(UG)のように生得的に、もしくは、
ア・プリオリに人間は言語モデルを有しているという説もある。ちなみにゲーデルが
数学についてのプラトンのイデア論を支持していたのを私は読んだことがある。
先に、アメリカの科学哲学者ハンソンの「理論負荷性」や神経科学オキーフの海馬における
「場所細胞」などを紹介したが、自然科学やAI、大規模言語モデルであれ、帰納バイアスと
一切無縁であるような真理の獲得などは、人類の知においては永久に不可能なのである。 >>64
ノーベル生理学・医学賞を受賞した神経科学者オキーフの海馬における >>64
つまりキミの論理も無意味なんだよ。君自身が絶対の真理など獲得できないという立場だからね。 >>66
もちろんそうだよ。これを仏教では「一切は空なり」と表現している 言を費やし、賢者の言葉を引いてみても、かくもキミの論理は貧しい
このように相手にしてあげてるだけこのオレは優しいとすら言える
ただ価値のない言説として無視され捨てられるだけのキミの論に、とりあってあげてるだけまだマシだと感謝して欲しいw この知ったかぶりハルシネーション障害者年金最高wwwwww
ChatGPTに確率など一切使われてないがwwwwwww
7 考える名無しさん[sage] 2023/11/21(火) 15:53:58.49 0
ChatGPTのような大規模言語モデルは、シンタクスやセマンティクス、あるいは
プログラム理論にあるような「知識表現」による統整や形態素解析による分類をしているのでなく、統計学的な確率モデルによって、頻度・尤度の高さや蓋然性のある回答をユーザに
提供しているという仕様になっているものである。知識表現であれば、Prologのような
論理プログラミング言語や形式論理を使って系統的にトークンやタグを配列・構成したりできる。
現代社会は合理性や論理、効率だけなく、確率というものを重視しているようにみえる。
そこで、あえて哲学的にそこに潜むバクというのを俺が考察してみよう。まず、GPTの
場合は「ハルシネーション問題」がある。これは、GPTが虚偽の回答を返してくるという
意味である。私も、ずっと以前にGPTに割合簡単な数学の問題を解かせてみたが、
間違った解答をしたり顔でGPTは返してきた。またGPTはデータの情報更新に
タイムリー性がないので、既に世界で知られている安倍射殺のニュースのことを
知らなかったりもする。 例えば俺が情報理論では確率分布の変化こそが情報量という定義になっていると教えてやっても
それをどうやってChatGPTに入れて知ったかぶりすれば良いのか思いつけないわけよwwww
積分とかlog出てきても発音すら知らんのだろ
だから確率という単語1つだけをChatGPTに入れて知ったかぶりしようとしたということw
ハルシネーションそのものやでwwww ここまでの私の話で、ヒュームによる「自然の斉一性原理」と帰納法の間には
循環論法が認められることや科学が「帰納バイアス」に晒されていることなどが
理解されたと思われる。
また、数学も論理性の高いものだと一般には信じられているものの代表格であろう。
たとえば、「バナッハの不動点定理」であれば、バナッハ空間という完備な
距離空間において、縮小写像を連続的に適用していくと、一つの不動点に
収束するという定理である。完備とはコーシー列のことを指し、それは点列や
数列が収束する、ということを意味している。「バナッハの不動点定理」であれば
三角不等式などを用いて、その収束性を証明していく。 「ε-δ論法」なども有名で、これは関数の極限を扱うものである。「デデキント切断」
であれば実数の連続性を証明するものである。有理数Qには隙間がある(連続でない)
の対して、実数Rが稠密である(連続である)ということをデデキント切断によって示せる。
機械学習であれば「スパース性」という概念が出てくるが、スパースは、まだら、疎、という
意味なので、少ないデータ量で対象の本質を導き出したり、分類器でクラスタリングする
ようなスパースモデリングの技術などを指す。たとえば、猫と犬の特徴量を分類する、など
である。スパース(疎)性なので、計算資源を節約出来るので、アルゴリズム上の効率が
良くなる。組み合わせ爆発の反対とでも考えれば、イメージしやすいだろう。 カントールの対角線論法であれば、無限(集合)には濃度の違いがある、という証明に
使った方法論のことである。たとえば、そこから実数の無限は、自然数の無限より
(濃度が)大きい、ということが証明される。
数学は、一見すると、このように論理や証明を用いて、厳密で精密な論理手続きを
踏んでいるように映るが、それは本当に確かなものなのであろうか。そこには、
単なる数学モデルを実世界そのものだと幻視する「ピグマリオン症」のような
バグが存在していないのだろうか。たしかに、先にあげた「バナッハの不動点定理」や
「ε-δ論法」、「デデキント切断」は、今の数学のZFC公理系の中では真だと
考えられるが、それはあくまで数学宇宙という一つの限定された宇宙での局限的な
モデルの一つに過ぎないのではないだろうか この知ったかぶりハルシネーション障害者年金最高wwwwww
ChatGPTに確率など一切使われてないがwwwwwww
7 考える名無しさん[sage] 2023/11/21(火) 15:53:58.49 0
ChatGPTのような大規模言語モデルは、シンタクスやセマンティクス、あるいは
プログラム理論にあるような「知識表現」による統整や形態素解析による分類をしているのでなく、統計学的な確率モデルによって、頻度・尤度の高さや蓋然性のある回答をユーザに
提供しているという仕様になっているものである。知識表現であれば、Prologのような
論理プログラミング言語や形式論理を使って系統的にトークンやタグを配列・構成したりできる。
現代社会は合理性や論理、効率だけなく、確率というものを重視しているようにみえる。
そこで、あえて哲学的にそこに潜むバクというのを俺が考察してみよう。まず、GPTの
場合は「ハルシネーション問題」がある。これは、GPTが虚偽の回答を返してくるという
意味である。私も、ずっと以前にGPTに割合簡単な数学の問題を解かせてみたが、
間違った解答をしたり顔でGPTは返してきた。またGPTはデータの情報更新に
タイムリー性がないので、既に世界で知られている安倍射殺のニュースのことを
知らなかったりもする。 例えば俺が情報理論では確率分布の変化こそが情報量という定義になっていると教えてやっても
それをどうやってChatGPTに入れて知ったかぶりすれば良いのか思いつけないわけよwwww
積分とかlog出てきても発音すら知らんのだろ
だから確率という単語1つだけをChatGPTに入れて知ったかぶりしようとしたということw
ハルシネーションそのものやでwwww フッサールは、こうした観点を「間主観性」という概念で表した。それは、真の
客観というものは実在せず、あるいは、私たちはそこには到達できず、私たちに
出来ることは間主観性という、複数の主観による暫定的な承認、といったものに
留まる、という限界、あるいは限定・暫定的な状況のことを指している。私は以前に、
科学のモデルや標準理論は、とりあえず川を渡るための仮に作った筏や梯子に
過ぎない、と述べたが、この観点はフッサールの間主観性と通底するものがある。 マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w 未来にマルチバースの存在が確認され、そこでは私たちの住む世界の科学の
コードや数学のZFC公理系が全く適用し得ない、奇妙な宇宙が無限に広がって
いることを想定するのは、哲学的には少しも困難ではないのである。つまり、どんな
ものであっても、知のモデルやコードは仮に作った筏であり、梯子に過ぎないので
ある。大規模な宇宙環境システムの変異があれば、川の水質も変わり、重力の状態や
プランク定数も変わり、今までの科学の筏モデルでは川さえ渡れなくなる世界線が
発生したりしうる。
こうした遠大な、深遠な、あるいは本質的な認識の射程を持つのが哲学的認識で
ある。そのため、この世界は、本質的には誰にとっても、ハルシネーションという幻と
さえ言えるのである >>79
ラッセルのパラドックスを知らなかった脳障害低学歴フッサール >>81
お前の一生はハルシネーション障害者年金
存在してもしなくても現実世界に影響なし >>81
マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w ・爆発律を避けるには意味と記号が一対一で対応しなければならない
・トートロジーでも意味を持たせるには実践により概念を実証するしかない
たったこれしかない
これをチェックしながらバカ哲学者の本とか読むと
どこで詐欺やってるからすぐにわかるぞ
「あ、こいつ断りなく言葉の定義変えやがったwwwwもうここから論理は存在しねえわwwww」
って 最初から生まれてきてすら居ないのと同じだねwwwww 論理も所詮は、この程度の代物である。哲学者は、こうした論理や科学の持つ
誤謬やその基底にある曖昧さを暴露できるのである。ヒュームであれば、
「自然の斉一性原理」と帰納法がお互いに循環論法になっていることを指摘したが、
これは正しいのである。科学は一見、盤石な基礎に基づいているように人々は誤解して
いるが、実際は、「自然の斉一性原理」と帰納法の循環論法という危うい基盤の上に
立っているというのが、その真相である
ヒュームは、自然科学が、実は「自然の斉一性原理」と帰納法との間にある
「循環論法」という危うい基盤の上に暫定的に成立しているという事情を
上手く暴露した。これは、自然科学全体が有する「強い帰納バイアス」だとも言える。
「帰納バイアス」とは、機械学習などで使われる概念である。 また、機械学習では古代の哲学者エピクロスの「多説明原理」の概念が用いられたりする。
これは単一ではなく、複数の仮説を用いてアンサンブル学習(法)を形成して、機械学習に
汎化能を獲得させるようにするものである。人工知能の分野では、コネクショニズムの系統や
パーセプトロンのようなニューラルネットワークがよく知られているが、学習モデルにおいても
様々な系統があり、科学的な認識というのはそもそも一枚岩でも安定でもないのである。
「オッカムの剃刀」では、当然、帰納バイアスというバグを発生させる可能性があるし、
GPTであれば「ハルシネーション問題」となって、認知上のコンタミ混入の原因にもなる。
つまり、本質的に考えるのであれば、脳機能や意識、表象、言語による象徴化機能、
GPTのみならず、自然科学の体系もいわば一種のハルシネーションだと言えるのである。
吉本隆明であれば、これを「共同幻想」と呼ぶかもしれない 学習モデルにおいても、人間(幼児)が実際にどのように言語を習得しているのかも
定かではない。哲学者のジョン・ロックであれば、「タブラ・ラサ(白紙状態)」という
白紙ノートの状態から、経験による知の獲得によって、経験やそれに基づく学習が
白紙の中へと書き込まれていく、という説、これはチューリングが支持していた考えでもある。
逆に、プラトンのイデア論やチョムスキーの普遍文法(UG)のように生得的に、もしくは、
ア・プリオリに人間は言語モデルを有しているという説もある。ちなみにゲーデルが
数学についてのプラトンのイデア論を支持していたのを私は読んだことがある。
先に、アメリカの科学哲学者ハンソンの「理論負荷性」やノーベル生理学・医学賞を受賞した
神経科学者オキーフの海馬における「場所細胞」などを紹介したが、自然科学やAI、
大規模言語モデルであれ、帰納バイアスと一切無縁であるような真理の獲得などは、
人類の知においては永久に不可能なのである。 ここまでの私の話で、ヒュームによる「自然の斉一性原理」と帰納法の間には
循環論法が認められることや科学が「帰納バイアス」に晒されていることなどが
理解されたと思われる。
また、数学も論理性の高いものだと一般には信じられているものの代表格であろう。
たとえば、「バナッハの不動点定理」であれば、バナッハ空間という完備な
距離空間において、縮小写像を連続的に適用していくと、一つの不動点に
収束するという定理である。完備とはコーシー列のことを指し、それは点列や
数列が収束する、ということを意味している。「バナッハの不動点定理」であれば
三角不等式などを用いて、その収束性を証明していく。 「ε-δ論法」なども有名で、これは関数の極限を扱うものである。「デデキント切断」
であれば実数の連続性を証明するものである。有理数Qには隙間がある(連続でない)
の対して、実数Rが稠密である(連続である)ということをデデキント切断によって示せる。
機械学習であれば「スパース性」という概念が出てくるが、スパースは、まだら、疎、という
意味なので、少ないデータ量で対象の本質を導き出したり、分類器でクラスタリングする
ようなスパースモデリングの技術などを指す。たとえば、猫と犬の特徴量を分類する、など
である。スパース(疎)性なので、計算資源を節約出来るので、アルゴリズム上の効率が
良くなる。組み合わせ爆発の反対とでも考えれば、イメージしやすいだろう。 カントールの対角線論法であれば、無限(集合)には濃度の違いがある、という証明に
使った方法論のことである。たとえば、そこから実数の無限は、自然数の無限より
(濃度が)大きい、ということが証明される。
数学は、一見すると、このように論理や証明を用いて、厳密で精密な論理手続きを
踏んでいるように映るが、それは本当に確かなものなのであろうか。そこには、
単なる数学モデルを実世界そのものだと幻視する「ピグマリオン症」のような
バグが存在していないのだろうか。たしかに、先にあげた「バナッハの不動点定理」や
「ε-δ論法」、「デデキント切断」は、今の数学のZFC公理系の中では真だと
考えられるが、それはあくまで数学宇宙という一つの限定された宇宙での局限的な
モデルの一つに過ぎないのではないだろうか フッサールは、こうした観点を「間主観性」という概念で表した。それは、真の
客観というものは実在せず、あるいは、私たちはそこには到達できず、私たちに
出来ることは間主観性という、複数の主観による暫定的な承認、といったものに
留まる、という限界、あるいは限定・暫定的な状況のことを指している。私は以前に、
科学のモデルや標準理論は、とりあえず川を渡るための仮に作った筏や梯子に
過ぎない、と述べたが、この観点はフッサールの間主観性と通底するものがある。 未来にマルチバースの存在が確認され、そこでは私たちの住む世界の科学の
コードや数学のZFC公理系が全く適用し得ない、奇妙な宇宙が無限に広がって
いることを想定するのは、哲学的には少しも困難ではないのである。つまり、どんな
ものであっても、知のモデルやコードは仮に作った筏であり、梯子に過ぎないので
ある。大規模な宇宙環境システムの変異があれば、川の水質も変わり、重力の状態や
プランク定数も変わり、今までの科学の筏モデルでは川さえ渡れなくなる世界線が
発生したりしうる。
こうした遠大な、深遠な、あるいは本質的な認識の射程を持つのが哲学的認識で
ある。そのため、この世界は、本質的には誰にとっても、ハルシネーションという幻と
さえ言えるのである >>96
マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w >>96
マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w >>111
誰の役にも立たない
何の役にも立たない
脳障害 >>113
>>96
マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w 何やらせても無能すぎてクビになりバカすぎて働けないので精神病ということにしてもらい障害者年金貰って無意味に死ぬのがお前な?
単に怠け者がバカなだけなのに「病気」扱いしてもらうとか
生きてて恥ずかしくねえのか?
怠けたからバカなだけなのに詐病wwwwwww 何やらせても無能すぎてクビになりバカすぎて働けないので精神病ということにしてもらい障害者年金貰って無意味に死ぬのがお前な?
単に怠け者がバカなだけなのに「病気」扱いしてもらうとか
生きてて恥ずかしくねえのか?
怠けたからバカなだけなのに詐病wwwwwww 何やらせても無能すぎてクビになりバカすぎて働けないので精神病ということにしてもらい障害者年金貰って無意味に死ぬのがお前な?
単に怠け者がバカなだけなのに「病気」扱いしてもらうとか
生きてて恥ずかしくねえのか?
怠けたからバカなだけなのに詐病wwwwwww 何やらせても無能すぎてクビになりバカすぎて働けないので精神病ということにしてもらい障害者年金貰って無意味に死ぬのがお前な?
単に怠け者がバカなだけなのに「病気」扱いしてもらうとか
生きてて恥ずかしくねえのか?
怠けたからバカなだけなのに詐病wwwwwww >>124
脳障害
118 考える名無しさん[] 2023/11/25(土) 19:45:39.17 0
>>116
他人が喜ぶこと >>125
脳障害
118 考える名無しさん[] 2023/11/25(土) 19:45:39.17 0
>>116
他人が喜ぶこと 何やらせても無能すぎてクビになりバカすぎて働けないので精神病ということにしてもらい障害者年金貰って無意味に死ぬのがお前な?
単に怠け者がバカなだけなのに「病気」扱いしてもらうとか
生きてて恥ずかしくねえのか?
怠けたからバカなだけなのに詐病wwwwwww 何やらせても無能すぎてクビになりバカすぎて働けないので精神病ということにしてもらい障害者年金貰って無意味に死ぬのがお前な?
単に怠け者がバカなだけなのに「病気」扱いしてもらうとか
生きてて恥ずかしくねえのか?
怠けたからバカなだけなのに詐病wwwwwww 何やらせても無能すぎてクビになりバカすぎて働けないので精神病ということにしてもらい障害者年金貰って無意味に死ぬのがお前な?
単に怠け者がバカなだけなのに「病気」扱いしてもらうとか
生きてて恥ずかしくねえのか?
怠けたからバカなだけなのに詐病wwwwwww 何やらせても無能すぎてクビになりバカすぎて働けないので精神病ということにしてもらい障害者年金貰って無意味に死ぬのがお前な?
単に怠け者がバカなだけなのに「病気」扱いしてもらうとか
生きてて恥ずかしくねえのか?
怠けたからバカなだけなのに詐病wwwwwww 何やらせても無能すぎてクビになりバカすぎて働けないので精神病ということにしてもらい障害者年金貰って無意味に死ぬのがお前な?
単に怠け者がバカなだけなのに「病気」扱いしてもらうとか
生きてて恥ずかしくねえのか?
怠けたからバカなだけなのに詐病wwwwwww 何やらせても無能すぎてクビになりバカすぎて働けないので精神病ということにしてもらい障害者年金貰って無意味に死ぬのがお前な?
単に怠け者がバカなだけなのに「病気」扱いしてもらうとか
生きてて恥ずかしくねえのか?
怠けたからバカなだけなのに詐病wwwwwww >>132
何やらせても無能すぎてクビになりバカすぎて働けないので精神病ということにしてもらい障害者年金貰って無意味に死ぬのがお前な?
単に怠け者がバカなだけなのに「病気」扱いしてもらうとか
生きてて恥ずかしくねえのか?
怠けたからバカなだけなのに詐病wwwwwww 何やらせても無能すぎてクビになりバカすぎて働けないので精神病ということにしてもらい障害者年金貰って無意味に死ぬのがお前な?
単に怠け者がバカなだけなのに「病気」扱いしてもらうとか
生きてて恥ずかしくねえのか?
怠けたからバカなだけなのに詐病wwwwwww 何やらせても無能すぎてクビになりバカすぎて働けないので精神病ということにしてもらい障害者年金貰って無意味に死ぬのがお前な?
単に怠け者がバカなだけなのに「病気」扱いしてもらうとか
生きてて恥ずかしくねえのか?
怠けたからバカなだけなのに詐病wwwwwww 何やらせても無能すぎてクビになりバカすぎて働けないので精神病ということにしてもらい障害者年金貰って無意味に死ぬのがお前な?
単に怠け者がバカなだけなのに「病気」扱いしてもらうとか
生きてて恥ずかしくねえのか?
怠けたからバカなだけなのに詐病w >>138
何やらせても無能すぎてクビになりバカすぎて働けないので精神病ということにしてもらい障害者年金貰って無意味に死ぬのがお前な?
単に怠け者がバカなだけなのに「病気」扱いしてもらうとか
生きてて恥ずかしくねえのか?
怠けたからバカなだけなのに詐病wwwwwww >>140
何やらせても無能すぎてクビになりバカすぎて働けないので精神病ということにしてもらい障害者年金貰って無意味に死ぬのがお前な?
単に怠け者がバカなだけなのに「病気」扱いしてもらうとか
生きてて恥ずかしくねえのか?
怠けたからバカなだけなのに詐病wwwwwww 何やらせても無能すぎてクビになりバカすぎて働けないので精神病ということにしてもらい障害者年金貰って無意味に死ぬのがお前な?
単に怠け者がバカなだけなのに「病気」扱いしてもらうとか
生きてて恥ずかしくねえのか?
怠けたからバカなだけなのに詐病wwwwwww >>140
何やらせても無能すぎてクビになりバカすぎて働けないので精神病ということにしてもらい障害者年金貰って無意味に死ぬのがお前な?
単に怠け者がバカなだけなのに「病気」扱いしてもらうとか
生きてて恥ずかしくねえのか?
怠けたからバカなだけなのに詐病wwwwwww 何やらせても無能すぎてクビになりバカすぎて働けないので精神病ということにしてもらい障害者年金貰って無意味に死ぬのがお前な?
単に怠け者がバカなだけなのに「病気」扱いしてもらうとか
生きてて恥ずかしくねえのか?
怠けたからバカなだけなのに詐病wwwwwww 何やらせても無能すぎてクビになりバカすぎて働けないので精神病ということにしてもらい障害者年金貰って無意味に死ぬのがお前な?
単に怠け者がバカなだけなのに「病気」扱いしてもらうとか
生きてて恥ずかしくねえのか?
怠けたからバカなだけなのに詐病wwwwwww この知ったかぶりハルシネーション最高wwwwww
7 考える名無しさん[sage] 2023/11/21(火) 15:53:58.49 0
ChatGPTのような大規模言語モデルは、シンタクスやセマンティクス、あるいは
プログラム理論にあるような「知識表現」による統整や形態素解析による分類をしているのでなく、統計学的な確率モデルによって、頻度・尤度の高さや蓋然性のある回答をユーザに
提供しているという仕様になっているものである。知識表現であれば、Prologのような
論理プログラミング言語や形式論理を使って系統的にトークンやタグを配列・構成したりできる。
現代社会は合理性や論理、効率だけなく、確率というものを重視しているようにみえる。
そこで、あえて哲学的にそこに潜むバクというのを俺が考察してみよう。まず、GPTの
場合は「ハルシネーション問題」がある。これは、GPTが虚偽の回答を返してくるという
意味である。私も、ずっと以前にGPTに割合簡単な数学の問題を解かせてみたが、
間違った解答をしたり顔でGPTは返してきた。またGPTはデータの情報更新に
タイムリー性がないので、既に世界で知られている安倍射殺のニュースのことを
知らなかったりもする。 マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w >>147
マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w >>150
マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w >>150
マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w >>154
マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w 哲学そのものが無意味である可能性を疑う事すらできなかった無能w
それが哲学者 GPTに哲学者や言語学者の知識は一切使われてないしね
この世に存在しないのと同じ >>158
マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w >>161
マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w >>164
マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w >>164
マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w >>167
マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w >>170
マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w >>171
マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w >>172
マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w >>176-179
マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w >>7
命題論理wwwwwwww
低学歴バカすぎるwwwwwwwww
完全に誤りである事すら理解してないwwwww >あらゆる問題を与えたときの処理時間が全く同じなのにアルゴリズムは異なるという状態は
論理的に存在出来ない
いや、マルチバースの宇宙の一つでは存在できるかもしれないぞ、フンコロガシ君
>つまり何もないところから無限にエネルギーを取り出せるという主張と哲学的ゾンビは
等価でありそのようなことは想像すら不可能
いや、マルチバースの宇宙の一つでは余裕で存在できるかもしれないぞ、フンコロガシ君
フンコロガシ君なんか、ヒュームとマルチバースだけで簡単に論破できるから楽勝
今日も俺の完勝だったな。
まあ、連日、こんな感じだが、相手はフンコロガシだから当たり前だよな 笑 >>182
その可能性が排除されるマルチバースが全てのマルチバースを書き換えるからその可能性は無い
これがマルチバース理論 >>182
マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 >>188
マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 >>196
マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 >>205
マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 >>205
マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 >>253
マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w >>253
マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 >>253
マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 >>253
マルチバース理論とかいうのを使うとカントとかヒュームなんて人間はこの世界に居なかったことになるらしいwwwww
哲学者が存在できないマルチバースが存在しない証拠は?
出せないなら全ての哲学は死亡wwww
はい完全論破完了w >>253
マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 >>253
マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 >>252
お前
>>253
マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 >>252
お前
>>253
マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 >>269
低学歴脳障害無職ヒキコモリ知ったかぶり障害者年金ハルシネーションで人間じゃないゴミ >>271
マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 完全マルチバースは想像できないからセミマルチか、グラデーションで移行していくのかもよ >>274
いや全て否定されないから全てあり得るらしい
つまり哲学者が全てのマルチバースで存在すらしない可能性が否定されない マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 >>276
マルチをすべて足し合わせると全肯定になるだけで、マルチの仕切りが打ち消すんじゃない? >>283
マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 >>286
マルチバースを旅行して何が書き換わるか、全てなら理論が消され矛盾となり予約キャンセル >>291
マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 >>292
マルチバース間って行き来できるの?
それってマルチバースじゃないじゃん。 >>293
行き来できる??
それどころか互いが互いを書き換えられるのが中卒無職ヒキコモリ知ったかぶり障害者年金の唱えるマルチバース理論だから
なにしろ科学が成り立たないマルチバースの影響がこちらにあるらしいのだから
哲学者が全マルチバースから抹消される能力を持つマルチバースも否定されない 行き来できる??
それどころか互いが互いを書き換えられるのが中卒無職ヒキコモリ知ったかぶり障害者年金の唱えるマルチバース理論だから
なにしろ科学が成り立たないマルチバースの影響がこちらにあるらしいのだから
哲学者が全マルチバースから抹消される能力を持つマルチバースも否定されない マルチバースとやらで科学を無意味にできるなら
そのようなマルチバースは哲学も無意味にできる
低学歴脳障害無職ヒキコモリ知ったかぶり障害者年金バカすぎるwwwwww 故にそのようなマルチバースとやらは無意味であり
科学が有効なこの世界で形而上学は論理学により全否定される
それを逃れる方法は存在しない 低学歴バカが空想する「科学や論理を無意味にする仕組み」は例外なく哲学も無意味にできる
知能が皆無 俺が小学校2年生くらいのときに2秒くらい考えて全く無意味だと確定させた妄想を死ぬまで唱えてたのがカントやヒュームってこと?
生きてて恥ずしくねえのそんなの読んでwwwww
読んだこと自体が生き恥やろ カント読んだことあるってUFO写真載ってる本読むくらいに人生の汚点だろwwwww 懐疑のレベルが低すぎる
そもそも哲学が無意味ということまで疑えていない 「われわれは、哲学を研究しているように装うべきではなくて、真に哲学を研究すべきである。なぜなら、われわれが必要とするのは、健康であるようにみえるということでなく、真
の意味で健康であるということなのであるから。」
エピクロス『エピクロスの勧め』より
「人間のどんな悩みをも癒さないようなあの哲学者の言説はむなしい。というのは、あたかも、医術が身体の病気を追い払わないならば、何の役にも立たないように、そのように哲学も
、もし霊魂の悩みを追い払わないならば、何の役にも立たないからである。」
エピクロス『哲学と哲学者について』より
このスレを読んだ感想がまさにコレ。だから皆、もう少し建設的な議論をしましょうよ。 懐疑のレベルが低すぎる
そもそも哲学が無意味ということまで疑えていない 科学や数学の本質には、測る、計量する、ということがあるのではないだろうか。
数学には「測度論」という分野があるが、これも可測空間上で、σ-加法族という、
特定の定義を充たす集合族を使って、集合の大きさを測れるように一般化・抽象化
していく操作のことである。測度論における測度は集合上の関数のことを表している。
ここではσは加算を意味している。σ-加法族であれば、それは有限加法族となる。
集合族は、集合を要素に持つ集合のことで、「集合の集合」を表している 統計の分野だと、「赤池情報量基準(AIC)」などがよく知られている。これは測定データに
おける最適化となるようなモデルを求めるものであり、パラメータ数を調整したりして、
モデルの複雑さとデータとの適合度とのバランスを取るために使用される。機械学習では
「過学習」による弊害が言われたりもするが、そうしたノイズに邪魔されないような汎化能を
獲得するために、AICなどが使われたりする。これも測度論同様に、測っているのである
計算機科学の分野では「コルモゴロフ複雑性」などもよく知られているが、これも有限長の
データ列の複雑さの指標を測っているのである。ここでは、規則性のあるようなデータは
より簡潔に表せるのでコルモゴロフ複雑性は小さく、不規則・無作為なデータでは規則性
が低いのでコルモゴロフ複雑性は大きい、などと表せる。 このような感じで、科学や数学には測ることや計量が常に付きまとう。だが、哲学は
測りえないものを哲学という独自の宇宙の中で、特定のパースペクティブのもと
測ることが出来るのである。そうした哲学的認識は、科学的なパラダイムや論理に
一方的に従属することもなく、むしろ科学や論理が見落としたり、捨象しているものの
中からも、重要なキー(cue)を探り当て、そこへ照射していくことが出来るものである。
たとえば、人類の未来は、超知性化した汎用AI(AGI)によって、ルソーのいう一般意志を
集団的政治意志として社会実装し、重要な政治的な意思決定をしているかもしれない。
だが、そこでどんな計算が行われているのかはパラメータ数が膨大過ぎて、開発者に
おいてさえブラックボックスと化している状態になるだろう。そうした汎用AIによる意思決定や
政治決定を私たちは素朴に受容すべきなのであろうか。哲学者の東浩紀がこうした不透明さに
疑義を唱えていたが、私の見解も東と同様である。 たとえば、超知性化した汎用AIが、社会が良くなるためには、哲学板のスレッドを一日中
荒し続ける無職のダンゴムシ君を即刻射殺、もしくは集団リンチした方が良い、という
最もな計算結果を出したとき、私たちが安直にその汎用AIの指示に従うべきかには、
倫理的な問題も伴うため、簡単にはいかないことだろう。
このように、哲学は汎用AIや科学が決して測れないものを、独自のパースペクティブのもと
測るようにしていくもののことでもあるのである。 懐疑のレベルが低すぎる
そもそも哲学が無意味ということまで疑えていない 低学歴バカが空想する「科学や論理を無意味にする仕組み」は例外なく哲学も無意味にできる
知能が皆無 マルチバースとやらで科学を無意味にできるなら
そのようなマルチバースは哲学も無意味にできる
低学歴脳障害無職ヒキコモリ知ったかぶり障害者年金バカすぎるwwwwww
故にそのようなマルチバースとやらは無意味であり
科学が有効なこの世界で形而上学は論理学により全否定される
それを逃れる方法は存在しない 懐疑のレベルが低すぎる
そもそも哲学が無意味ということまで疑えていない しかし、ダンゴムシ君のいうことにも一理ある。
国立大の哲学の先生を全員クビにしても、世の人は、なにもこまらない。
そうして、浮いたお金で、ホームレスを助けたほうがよほど良いかもしれない。
哲学だけでなく、文学部の先生を全員クビにしても、世の中は何も困らないかもしれない。語学なんかは、やりたい人が勝手にやればいいのだ。
哲学教授なんか、高給をとって国民の負担になっている分、たんに親に負担をかけているだけのニート、それ以下の存在だともいえる。 哲学教授が、ブルシットジョブなのは間違いない。
だから哲学教授が、投資銀行の社員なんかを非難するのは、自分のことを棚に上げて、ということになるだろう。 マルチバースとやらで科学を無意味にできるなら
そのようなマルチバースは哲学も無意味にできる
低学歴脳障害無職ヒキコモリ知ったかぶり障害者年金バカすぎるwwwwww
故にそのようなマルチバースとやらは無意味であり
科学が有効なこの世界で形而上学は論理学により全否定される
それを逃れる方法は存在しない
懐疑のレベルが低すぎる
そもそも哲学が無意味ということまで疑えていない スレの勢いが落ちてきているぞ。
つまらん。
寝ないで頑張れよ。 5chやXやFacebookは読めてもテキストが読めない。 マルチバースとやらで科学を無意味にできるなら
そのようなマルチバースは哲学も無意味にできる
低学歴脳障害無職ヒキコモリ知ったかぶり障害者年金バカすぎるwwwwww
故にそのようなマルチバースとやらは無意味であり
科学が有効なこの世界で形而上学は論理学により全否定される
それを逃れる方法は存在しない
懐疑のレベルが低すぎる
そもそも哲学が無意味ということまで疑えていない このスレは見せ物として価値がある。
だから睡眠、休日関係なく、ずっと楽しませろよ。
わかったか。 マルチバースは科学否定の証明になり全ての宇宙にカントがいて、理性批判と反批判が可能に >>325
いや全ての宇宙にカントは居ない
これがマルチバース理論 マルチバースとやらで科学を無意味にできるなら
そのようなマルチバースは哲学も無意味にできる
低学歴脳障害無職ヒキコモリ知ったかぶり障害者年金バカすぎるwwwwww
故にそのようなマルチバースとやらは無意味であり
科学が有効なこの世界で形而上学は論理学により全否定される
それを逃れる方法は存在しない
懐疑のレベルが低すぎる
そもそも哲学が無意味ということまで疑えていない >>325
マルチバースによって哲学が完全否定された
哲学は真の終わりを迎えた 俺が小学校2年生くらいのときに2秒くらい考えて全く無意味だと確定させた妄想を死ぬまで唱えてたのがカントやヒュームってこと?
生きてて恥ずしくねえのそんなの読んでwwwww
読んだこと自体が生き恥やろ マルチバースくんは自分の議論が無意味だと認めちゃってるからな
その上で科学にマウントとってるつもりだけど科学側からしたら
だからなに?
で?
という印象しかない
マルチバースくんが鼻高々に指摘してる内容は昔からよくある科学万能論批判的なやつでオリジナリティのかけらもない
絶対の真理を知る困難さは科学の出発点でしかない
論理の基盤に疑義を呈してみても事実との照合という論理で答えられない手続きを基盤にする科学では意味がない
まずナイーヴな帰納法で科学理論が造られることはない
数学モデルへ射像しそこから演繹される結果を事実と照合し確からしさの合意を得る
この手続きが科学だ
斉一性は科学にとって原理ではない
仮定に過ぎずその仮定に従って事実と照合し有限回数の試行の中で確からしさを数値化して確認する
合意できる確からしさが確認できれば有効な理論になる
マルチバースくんはこのような手続きをとる努力もせず自分の論理の確からしさを人に説得するすべも知らない
だから相手にされることはないのよ
無価値な議論をその無価値さを乗り越える術を知っている人に説いても相手にされるわけがない >>326
マルチバースは爆発し続ける概念で、「カントがいない」と言えず、カントで埋め尽くされる カントがいる宇宙といない宇宙を考えることができる
可能性世界w >>333
ゆえにマルチバースは非科学が解き明かした唯一無二の物理状態でもあり、至高のメヌーなのだ! >>332
マルチバースによって哲学が完全否定された
哲学は真の終わりを迎えた >>335
マルチバースによって哲学が完全否定された
哲学は真の終わりを迎えた >>330
同じロジックで哲学も否定されることに気付かんの最高にマヌケよな 非科学を知る者はその上に立つ。カント宇宙ではカントの上にカントはいず、下に無数のカント >>339
俺が小2で2秒で否定した妄想のレベル以下でウケる
知能が低いから哲学者を名乗れるんやな もうわれわれはマルチバースにいるから言葉が通信記号として役立たなくなっているのでR! 要するにこういうことだろ?
哲学がゴミで科学しか正しくないのはわかりきってるけど
もしもそれを正面から認めると数学も物理もわからない自分はこの世界に参加していないのに等しいただの傍観者になってしまうと
傍観者で居ることに耐えられないから科学を否定することなど不可能だと知りつつも因縁をつけたいと
うん
それ死ねばいいと思うよ? >認める→参加→傍観→耐えられない→因縁→思う
自分語り >>335
可能世界は物理世界と同じじゃないんよ
可能世界を考えるだけのことを大層に語るから馬鹿にされてんだわ 要するにこういうことだろ?
哲学がゴミで科学しか正しくないのはわかりきってるけど
もしもそれを正面から認めると数学も物理もわからない自分はこの世界に参加していないのに等しいただの傍観者になってしまうと
傍観者で居ることに耐えられないから科学を否定することなど不可能だと知りつつも因縁をつけたいと
うん
それ死ねばいいと思うよ? つまり
「私は低学歴だから科学に関われなくて悔しいです」
でしかない 要するにこういうことだろ?
哲学がゴミで科学しか正しくないのはわかりきってるけど
もしもそれを正面から認めると数学も物理もわからない自分はこの世界に参加していないのに等しいただの傍観者になってしまうと
傍観者で居ることに耐えられないから科学を否定することなど不可能だと知りつつも因縁をつけたいと
うん
それ死ねばいいと思うよ? 哲学は主観を扱ってる訳だから哲学の価値も主観的な尺度で測られるんだろ
全人類が哲学に意味を見出さなくなれば終わり >>363
哲学は主観を扱ってる訳だから哲学の価値も主観的な尺度で測られる
だから好きだ。 >>363
哲学は主観を扱ってる訳だから哲学の価値も主観的な尺度で測られる
だから、素晴らしい >>363
もう人類は哲学を無意味だと知ってる
人間の知能を持たない科学を理解できないゴミが縋る宗教 哲学が好きとかそういうのは勝手にしろって感じだが、コストゼロで科学にマウントできる棍棒のようなモノだと考えてるならそれはアホの極みでしかない。
マルチバースくんの事な。 フンコロガシとは?とは言わないんだねwそりゃそうだろ自分が言い出した単語に質問知るわけにはいかないからな 爆 以上のように、私は抽象的なレイヤーにおいて、科学や合理の有する論理の危うさを
幾つかの角度から指摘してきた。これを簡単に表現すると、科学や脳による表象機構、
意識などは、一種のブラックボックスであると同時にハルシネーションだと表現できる。
もう少し卑近な例を取り上げてみよう。
最近、日本の銀行システムやITの通信インフラで障害が何度も発生している。
そこにはハードウェア由来の障害だけでなく、企業の合理化による古参の
エンジニアを安直にカットしたことなども起因していると考えられる。
古参の技術者であるCOBOLER等を安直にカットしたことにより、昔からある
古いプログラム言語で作られているシステム領域を含めたシステム全体の理解や
保守が誰にも不可能な状態になっていることで発生しているものである。 これはGPTのような大規模言語モデルでも事情は全く同じである。今、
人事においてオープンAIはカオスと化しているが、このシステム全体を誰が
完全に把握、掌握し、まともに保守できるのかは皆目不明である。科学や合理とは
このような脆弱性や不安定さ、基底的なバグを常に内包している。
こんな簡単なことさえ分からないのが、一日中哲学板のスレッドを荒し続ける
無職のフンコロガシ君である。哲学板にいながら、カントさえ読めない知能しかないので、
必然的にそうなるのである。 科学や数学の本質には、測る、計量する、ということがあるのではないだろうか。
数学には「測度論」という分野があるが、これも可測空間上で、σ-加法族という、
特定の定義を充たす集合族を使って、集合の大きさを測れるように一般化・抽象化
していく操作のことである。測度論における測度は集合上の関数のことを表している。
ここではσは加算を意味している。σ-加法族であれば、それは有限加法族となる。
集合族は、集合を要素に持つ集合のことで、「集合の集合」を表している 統計の分野だと、「赤池情報量基準(AIC)」などがよく知られている。これは測定データに
おける最適化となるようなモデルを求めるものであり、パラメータ数を調整したりして、
モデルの複雑さとデータとの適合度とのバランスを取るために使用される。機械学習では
「過学習」による弊害が言われたりもするが、そうしたノイズに邪魔されないような汎化能を
獲得するために、AICなどが使われたりする。これも測度論同様に、測っているのである
計算機科学の分野では「コルモゴロフ複雑性」などもよく知られているが、これも有限長の
データ列の複雑さの指標を測っているのである。ここでは、規則性のあるようなデータは
より簡潔に表せるのでコルモゴロフ複雑性は小さく、不規則・無作為なデータでは規則性
が低いのでコルモゴロフ複雑性は大きい、などと表せる。 このような感じで、科学や数学には測ることや計量が常に付きまとう。だが、哲学は
測りえないものを哲学という独自の宇宙の中で、特定のパースペクティブのもと
測ることが出来るのである。そうした哲学的認識は、科学的なパラダイムや論理に
一方的に従属することもなく、むしろ科学や論理が見落としたり、捨象しているものの
中からも、重要なキー(cue)を探り当て、そこへ照射していくことが出来るものである。
たとえば、人類の未来は、超知性化した汎用AI(AGI)によって、ルソーのいう一般意志を
集団的政治意志として社会実装し、重要な政治的な意思決定をしているかもしれない。
だが、そこでどんな計算が行われているのかはパラメータ数が膨大過ぎて、開発者に
おいてさえブラックボックスと化している状態になるだろう。そうした汎用AIによる意思決定や
政治決定を私たちは素朴に受容すべきなのであろうか。哲学者の東浩紀がこうした不透明さに
疑義を唱えていたが、私の見解も東と同様である。 たとえば、超知性化した汎用AIが、社会が良くなるためには、哲学板のスレッドを一日中
荒し続ける無職のフンコロガシ君を即刻射殺、もしくは集団リンチした方が良い、という
最もな計算結果を出したとき、私たちが安直にその汎用AIの指示に従うべきかには、
倫理的な問題も伴うため、簡単にはいかないことだろう。
このように、哲学は汎用AIや科学が決して測れないものを、独自のパースペクティブのもと
測るようにしていくもののことでもあるのである。 測りえないものを測る、それが出来るのが哲学である。たとえば、ベルクソンであれば
内在的な時間の継起として、物理空間とは異なるクロックで作用する「純粋持続」という
概念を提唱した。「内在的な時間」、そうしたものは科学や論理の物差しや基準では
全く測れないものである。ヘーゲルであれば、人類史を貫通しているエートスとして、
「絶対精神」というものがあると、これを測り、膨大な人類史の進化の過程を哲学的に
記述した。
このように、科学や論理、合理が安直に捨象し、無価値であると否定したものからも、
独自の知を引き出せるのが哲学の良いところでもある。哲学という遠大、深遠、
もしくは深淵な知のパースペクティブによる射程において、人々が見落としていた
重要なキー(cue)を探り当て、そこへ照射していくことが出来るのである。 >>391
俺が小2で2秒で否定した妄想のレベル以下でウケる
知能が低いから哲学者を名乗れるんやな >>391
俺が小2で2秒で否定した妄想のレベル以下でウケる
知能が低いから哲学者を名乗れるんやな ラカンであれば、人間の精神機構を「想像界/象徴界/現実界」という科学では測れない
区分を導入したり、マテームという図式化で斜線を引かれた主体(/S)や大文字の他者A、
シニフィアン、去勢などを使って欲動の構造を描写した。
ラカンは、【汝は汝の憎む者なり】とセミネールで記述していたのを私はよく覚えている。
つまり、これは陰性転移を表しているものとも言える。主体は自分の真の欲望を認知できて
いない。たとえば、フンコロガシ君のように哲学や形而上学を批判しながら、なぜ、己が
連日哲学板という哲学宇宙の中に、かくも執拗に自身が居着いているのかという自覚症状や
分析が全くないのである。つまり、ラカンは【汝は汝の憎む者なり】によって、憎しみは愛への
裏返しに過ぎない、ということを精神分析的に暴露しているのである。つまり、無職の
フンコロガシ君の不毛な振る舞いは、自身が否定している形而上学そのものであるとも言える。
こうして哲学は「測れないものを測る」という自らの特性によって、多くの人々が安直に
見落としているものへ上手く照射できる優れた知のパラダイムの一つなっている。 ウィトゲンシュタインが人々を魅惑するのは、
断定的なもの言い
もったいぶった表現
意表を突いたこれみよがしの言辞
暗示にとどまり、実証しない
彼の言葉は、有意な情報としては、案外に貧しい。 マルチバースくんがマルチバース捨ててきてるの草
現代AIのブラックボックス的側面は寧ろ専門家は良く理解していて哲学側が科学に先んじて指摘したわけではないね
アホすぎ
次はアインシュタインに相手にされなかったベルクソンかー
長々と言葉を尽くして得体の知れない内容を話しかけたベルグソンがアインシュタインの明晰で短い言葉で一刀両断されるのおもしろいよ >2021年12月、京都大学のスーパーコンピューターがトラブルに見舞われた。
学術論文に使う重要データなど、実に77テラバイト(TB)分のファイルが消失した。
ITベンダーの担当者が実行中のスクリプトを不用意に更新したのが原因だった。
本来はログ削除の処理が利用者のファイルを削除する誤動作を引き起こした。ミスを犯した
ITベンダーも問題だが、監督不十分だった京都大学の責任も重い。
こういうのも同じ。現代は科学や論理だけでなく、こういうプログラム言語を称揚する
思考停止している者も少なくない。デジタル・データなんて、スパコンのデータだけで
なく一瞬で吹っ飛ぶし、安定的でも、確実でもないのである。 >コマンド処理プログラム「bash」のシェルスクリプトがファイル削除を実行していたことが
判明した。失ファイル数は約3400万、容量は約77テラバイト(TB)に達した。
「研究者が学術論文のために使う重要データなども含まれる」と、京都大学情報部
情報基盤課の担当者は説明する。一部はバックアップが残っている他、復旧不要な
ファイルもあるため、実質的な被害は約8TBという。
この程度のリスク管理さえ出来ないのが現実である。バックアップしておけばいい、なんて
言う馬鹿もいるが、バックアップ先や世界各国に分散しているデータセンターが同時に
破壊されたら終わりだろう。そういうのがホーキング博士が危惧していたシンギュラリティの
一つである。哲学系は、私を含めて、そうした科学や論理の脆弱性のことは百も承知いる
のである。 >>405
◯ 消失ファイル数は約3400万、容量は約77テラバイト(TB)に達した。 もはや難癖つけるのに必死なんだな
あのさ、科学にイチャモンつけないと存在の危ういキミの「哲学」って何なんだろうね?
キミは哲学代表してるつもりかもしれないけど違うんじゃない? >>407
難癖なんか付けてないよ。俺は科学や論理もその独自宇宙の中での整合性を付けて
いるだけの相対的なもの、局限的なものに過ぎないと指摘しているだけ。哲学も同じだよ。
哲学宇宙での整合性や独自のロジックを求めているだけ。哲学の宇宙からは、
科学や合理性はこのようにも見える、という相対的な視点を提示しているに過ぎない。 だから、マルクス・ガブリエルが「世界は存在しない」とした視点は、割と良い指摘になる。
俺が言っているのも、この哲学者と同じような視点だから。
現実には、それぞれの独自宇宙と独自世界があるだけだ。 >>408
キミの観点って誰もが小学生の頃一度は考えたような手垢の付いた観点なので、あらためてご指摘いただく必要がないんですわ
色々引用してみても論理が貧しい
新しくもない
むしろ価値の相対性とかすでに紋切り型とさえいえる ログを削除するはずが誤動作
ファイルが消失した原因はその後の調査により、日本ヒューレット・パッカードの担当者が
2021年11月下旬に実施した作業だったことが分かった。バックアップスクリプトの修正と
その適用手順に問題があり、不要になったバックアップログファイルを削除するはずの処理が、利用者向け「/LARGE0」ディレクトリ配下のファイル群を削除する処理として誤動作した。
バックアップスクリプトには、findコマンドを用いて10日以上古いログファイルを検索・削除する処理が含まれている。日本ヒューレット・パッカードの担当者は同スクリプトの機能改善と
併せてコードの視認性や可読性を高めるため、findコマンドの検索・削除処理に渡す変数名を変更。この修正スクリプトのリリース手順に考慮不足があった。
bashはスクリプトの実行中も適時スクリプトファイルからコマンドを読み込む。
日本ヒューレット・パッカードの担当者はこれを認識しておらず、スクリプトが実行中の状態で
内容を書き換えた。結果、上書きしたスクリプトの再読み込みが発生し、未定義の変数が
含まれたfindコマンドが実行された。これにより、ログディレクトリ配下にあるファイルを
削除する本来の処理ではなく、/LARGE0ディレクトリのファイルを削除する誤動作が
発生したという。
では、なぜこの処理が約43時間にもわたって続いてしまったのか。京都大学情報部情報
基盤課の担当者によると、「利用者によるファイルの作成と削除は日常的に行われている。
利用者単位でのファイル保有状況は監視しておらず、異常なファイル減少に気付けなかった」としている。
まあ、プログラムなども所詮この程度。常にバグやインシデント、ヒューマンエラーを抱えている。 「測りえないものを測る」、それが出来るのが哲学である。たとえば、ベルクソンであれば
内在的な時間の継起として、物理空間とは異なるクロックで作用する「純粋持続」という
概念を提唱した。「内在的な時間」、そうしたものは科学や論理の物差しや基準では
全く測れないものである。ヘーゲルであれば、人類史を貫通しているエートスとして、
「絶対精神」というものがあると、これを測り、膨大な人類史の進化の過程を哲学的に
記述した。 >>403
それは読んでみたいなぁ。新訳で省かれたということは、"相対性"理論の理解としては「まずかった」のかもしれない。「客観的な時間」の存在を認めると、ベルクソンの思う壺のはずだが... このように、科学や論理、合理が安直に捨象し、無価値であると否定したものからも、
独自の知を引き出せるのが哲学の良いところでもある。哲学という遠大、深遠、
もしくは深淵な知のパースペクティブによる射程において、人々が見落としていた
重要なキー(cue)を探り当て、そこへ照射していくことが出来るのである。 >>413
いやまずお前が相対性理論理解したほうがいいよ
その書き込みで何か語ってるつもりなら >>415
>長々と言葉を尽くして得体の知れない内容
を理解せずに
>明晰で短い言葉で一刀両断
と語るブーメランだが ベルクソンが相対性理論理解してなかったのは歴史的事実なんですけどね 以上のように、科学や数学、プログラム言語は決して真理を保証しているのでなく、
それぞれの独自宇宙の中での整合性を探索しているに過ぎないということを哲学的に
私が解明しておいた。数学も当然、こうした独自宇宙の中での整合性や対応付けの操作や
ロジックを探究しているに過ぎない
>>76で私が指摘した集合論におけるカントールの対角線論法や濃度(cardinality)
の概念も同様である。対象(集合)間に全単射があれば、同一濃度とみなすのである。
自然数全体の集合Nの濃度と整数全体の集合Zの濃度は、そこに全単射が
存在するので濃度が同じとなり、それらと実数Rとの間には全単射が存在しないので、
濃度が異なる、とみなすのである。
ただ、これはあくまで数学宇宙という独自宇宙での整合性のことを記述しているだけである。
そのため、これを哲学の宇宙や個人的な内観の宇宙、社会の宇宙、構造の定かでない
マルチバースでの宇宙へと適用できるかと言えば、全く出来ないであろう、というのが
私の見解である。なぜなら、万人が共有出来る客観的な同一宇宙や世界は存在しない
からである。 圏論の宇宙でも同じである。圏論において、準同型は「自然変換(natural transformation)」
のことを表している。自然変換は、異なる圏の間で複数の関手(functor)がある場合、
その複数の関手間の間にある射のことであるが、その射が「自然」である、という特別な性質を持っていることを表している。そして、自然変換は、一つの圏から別の圏への構造保存のための
手段として使用されている。つまり、圏論における自然変換とは、関手による別の圏への
構造保存を維持するための手段として使用される。変換の図式が可換性を保っている
ことも構造保存を同一に保っている、という意味である。ここでの自然性とは、単なる
整合性という対応付けのことを意味しているに過ぎない
ただ、これはあくまで圏論の宇宙という独自宇宙での整合性のことを記述している
だけである。そのため、これを哲学の宇宙や個人的な内観の宇宙、社会の宇宙、
構造の定かでないマルチバースでの宇宙へと適用できるかと言えば、全く出来ない
であろう、というのが私の見解である。なぜなら、万人が共有出来る客観的な
「同一宇宙」や「同一世界」は存在しないであろうからである。 このような感じで、科学や数学には測ることや計量が常に付きまとう。だが、哲学は
測りえないものを哲学という独自の宇宙の中で、特定のパースペクティブのもと
測ることが出来るのである。そうした哲学的認識は、科学的なパラダイムや論理に
一方的に従属することもなく、むしろ科学や論理が見落としたり、捨象しているものの
中からも、重要なキー(cue)を探り当て、そこへ照射していくことが出来るものである。
たとえば、人類の未来は、超知性化した汎用AI(AGI)によって、ルソーのいう一般意志を
集団的政治意志として社会実装し、重要な政治的な意思決定をしているかもしれない。
だが、そこでどんな計算が行われているのかはパラメータ数が膨大過ぎて、開発者に
おいてさえブラックボックスと化している状態になるだろう。そうした汎用AIによる意思決定や
政治決定を私たちは素朴に受容すべきなのであろうか。哲学者の東浩紀がこうした不透明さに疑義を唱えていたが、私の見解も東と同様である。 疑義の用語解説 - 〘名〙 意味や内容などがはっきりしないこと。疑問に思われる事柄。
まず理系を極めてから疑義ろうなw 俺が小2で2秒で否定した妄想のレベル以下でウケる
知能が低いから哲学者を名乗れるんやな ラカンであれば、人間の精神機構を「想像界/象徴界/現実界」という科学では測れない
区分を導入したり、マテームという図式化で斜線を引かれた主体(/S)や大文字の他者A、
シニフィアン、去勢などを使って欲動の構造を描写した。
ラカンは、【汝は汝の憎む者なり】とセミネールで記述していたのを私はよく覚えている。
つまり、これは陰性転移を表しているものとも言える。主体は自分の真の欲望を認知できて
いない。たとえば、フンコロガシ君のように哲学や形而上学を批判しながら、なぜ、己が
連日哲学板という哲学宇宙の中に、かくも執拗に自身が居着いているのかという自覚症状や
分析が全くないのである。つまり、ラカンは【汝は汝の憎む者なり】によって、憎しみは愛への
裏返しに過ぎない、ということを精神分析的に暴露しているのである。つまり、無職の
フンコロガシ君の不毛な振る舞いは、自身が否定している形而上学そのものであるとも言える。
こうして哲学は「測れないものを測る」という自らの特性によって、多くの人々が安直に
見落としているものへ上手く照射できる優れた知のパラダイムの一つなっている。 >>426
ソーカル事件でググってから自殺しとけ
俺が小2で2秒で否定した妄想のレベル以下でウケる
知能が低いから哲学者を名乗れるんやな >>426
単に100%バカが確定してるからバカにして笑えるだけ 以上のことから、この宇宙や世界自体が、一種のミニ・マルチバースである
ことが理解されるだろう。たとえば、私はここで哲学者たちの認識を擁護する形で
自論を展開しているが、それはここが哲学板という哲学の宇宙だからそうしている
だけである。哲学のコードや様式に従っているだけである。
だから科学者の実験室や研究室に飛び込んで、ヒュームを持ち出したりすることは
ない。科学は科学のコードの中で、コンタミ混入や利益相反で研究データを偏向しない、
誠実な研究を行えば良いのである。数学者であれば、数学のコードに、
プログラミングの世界では、そのプログラムの言語コードに、実社会であれば、
社会のコードに、高級レストランであれば、その場に相応しいドレスコードを規則として、
あるいは、ウィトのいう「言語ゲーム」の規則をそこで守るのが当然であろう。
ここのフンコロガシ君は、その意味で、他人に家(別の宇宙)に土足で入ってくる
土人と同じ心性を持っていると言えるだろう。ここは哲学板であるにもかかわらず、
カントさえ読まず、哲学知識ゼロのまま、哲学板という哲学宇宙の中に土足で入り込んで
きて掲示板を一日中荒しまくり、社会に迷惑をかけるゴミ虫のような存在、それが、
ここにいる知能の極端に低い無職のフンコロガシ君である。 >>429
>>426
ソーカル事件でググってから自殺しとけ
俺が小2で2秒で否定した妄想のレベル以下でウケる
知能が低いから哲学者を名乗れるんやな 哲学の仕事は個人の内面や精神、魂を考察し、個々の幸福を追求することとする。
それ以外の、例えば世界や時間や社会や政治といったものは、哲学以外の分野に任せる。
そういうふうにわければ良いのでは。 ・爆発律を避けるには意味と記号が一対一で対応しなければならない
・トートロジーでも意味を持たせるには実践により概念を実証するしかない
たったこれしかない
これをチェックしながらバカ哲学者の本とか読むと
どこで詐欺やってるからすぐにわかるぞ
「あ、こいつ断りなく言葉の定義変えやがったwwwwもうここから論理は存在しねえわwwww」
って >>432
実践により実証しなければ乱数と同じ価値しかないゴミなので
哲学というものはあらゆる状況で不要だな
実証される前の仮説だけ考える人など不要
実証能力に応じて仮説を立てるのでなければ死ぬまで実証できないので時間の無駄だ では陽明学はどうだろうか。
陽明学は"知行合一"を主張する。
知行合一は「知は行の始なり、行は知の成るなり(知ることは行為の始めであり、行為は知ることの完成である)」「行動を伴わない知識は未完成である」とも言い表さる。
陽明学の創始者王陽明は、、知って行わないのは、未だ知らないことと同じであることを主張し、知っている以上は必ず行いにあらわれると述べた。
こうした陽明学は、中江藤樹や大塩平八郎といったものに影響を与え、実際彼らは行動派になったり実践をしている。 他にも陽明学は幕末の活動家や、東郷平八郎や幸徳秋水、三島由紀夫といった行動的な人物の多くに影響を与えたと聞いた。 これから必要な認識のあり方の一つとして、人間中心主義的な視点からの
開放系というのがあり得ると考えられる。私のいうマルチバース論や
私たちの住む世界の構造であるミニ・マルチバースであっても、それは全て
人間の脳や言語のコード、物理法則、数式というインタフェースやコードを
媒介させた擬似的な世界や宇宙の説明の謂に過ぎないものである。
それはいわば、小さな独自宇宙の中で、それぞれが整合性を探索しているような
分断された状況にある。
>>420において、私は「圏論」を少し取り上げたが、現代思想ではずっと以前に、
「圏論」特集をしているので、私は当然、それも読んでいるのである。あとは、
圏論の研究者とフッサール現象学の研究者が対談していて、両者の一見
全く異なる学問に共通性があることを認めていること、などのことも知っている。
私は圏論のAwodey本を所持しているので、たまにチラチラ図式を眺めている。 最近では、言語以外にも様々なデータを学習し、汎用的な処理ができる
「基盤モデル」という概念がある。生命科学だけでなく、人口問題、食料問題、
気候変動などの地球環境問題、創薬や希少疾患の原因遺伝子特定など、
様々な応用先があるだろう。もちろん、人文科学的なことにも応用できること
であろう。
こうした、かつては独自宇宙として閉塞していた個々のサブドメインを
圏論的なネットワークとしてつなげていけば、そこに新たな社会的な創発が
生まれたり、社会的な分断や格差を解消する地平が切り開かれたりも
することであろう。私たちの住むミニ・マルチバースが構成する小宇宙は、
ネットワーク的に繋げられるかもしれないのである。
そうしたメタ的な全体性、包括性を提示できるのも哲学の良いところである。 以上のことから、この宇宙や世界自体が、一種のミニ・マルチバースである
ことが理解されるだろう。たとえば、私はここで哲学者たちの認識を擁護する形で
自論を展開しているが、それはここが哲学板という哲学の宇宙だからそうしている
だけである。哲学のコードや思考様式に従っているだけである。
だから科学者の実験室や研究室に飛び込んで、ヒュームを持ち出したりすることは
ない。科学は科学のコードの中で、コンタミ混入や利益相反で研究データを偏向しない、
誠実な研究を行えば良いのである。数学者であれば、数学のコードに、
プログラミングの世界では、そのプログラムの言語コードに、実社会であれば、
社会のコードに、高級レストランであれば、その場に相応しいドレスコードを規則として、
あるいは、ウィトのいう「言語ゲーム」の規則をそこで守るのが当然であろう。 ここのフンコロガシ君は、その意味で、他人に家(別の宇宙)に土足で入ってくる
土人と同じ心性を持っていると言えるだろう。ここは哲学板であるにもかかわらず、
カントさえ読まず、哲学知識ゼロのまま、哲学板という哲学宇宙の中に土足で入り込んで
きて掲示板を一日中荒しまくり、社会に迷惑をかけるゴミ虫のような存在、それが、
ここにいる知能の極端に低い無職のフンコロガシ君である。 >>435
>>436
陽明学という哲学思想は"実践により実証しなければ乱数と同じ価値しかないゴミ"ではないように思えるのだが。 >>442
論理実証主義哲学と何が違うん?
「一致したことにする」と「一致した」が区別できてない
オレオレ一致やん
形而上学そのものやで 陽明学の"知行合一"に影響をうけた数多くの歴史上の人物や、陽明学の各界における信奉者がそれぞれの分野で行った実践や行動や経験は歴史的事実なのでは。
少なくとも、頭の中だけで完結して実践や行動や経験が伴わない、そういったものとは違うと思うのだが。 GPT:
哲学者フランシス・ベーコン(Francis Bacon)の考えと機械学習における「帰納推論」
との関係については、いくつかの視点から見ることができます。以下は、ベーコンの考え
と機械学習の帰納推論との関連性についての考察です。
経験主義とデータ駆動のアプローチ:
ベーコンは経験主義を強調し、知識の獲得には観察と実験が不可欠であると考えました。
機械学習における帰納推論も、大量のデータからパターンや法則を抽出することで知識を
構築するデータ駆動のアプローチを採用しています。ベーコンの経験主義的なアイデアと、
機械学習のデータからの学習が共通する側面があります。
帰納推論の手法:
ベーコンは帰納的な推論を通じて一般的な法則や原因を見つけ出すことが重要であると
考えました。機械学習の帰納推論も、データから具体例を学習し、それを元に一般的な
パターンや法則を導き出す手法を採用しています。特に、教師あり学習においては、
ラベル付けされたデータをもとにモデルが学習し、未知のデータに対して一般化する
ことが目標とされています。 仮説形成と検証:
ベーコンは仮説を立て、それを実験によって検証するサイエンティフィック・メソッドを
提唱しました。機械学習でも、モデルは仮説と見なされ、訓練データに基づいて
その仮説を検証し、未知のデータに対する予測を行います。モデルの性能は
検証データやテストデータにおいて評価されます。
総じて、ベーコンの経験主義とサイエンティフィック・メソッドには、観察、実験、
帰納的な法則の発見と検証という点で機械学習の基本的な考えと共通する側面が
あります。ただし、機械学習は数学的なアルゴリズムや統計学の手法を活用するため、
手段や具体的な方法論には異なる側面も存在します。
科学や機械学習に哲学者は全然関与してないとか、知能が極端に低い無職の
フンコロガシ君の言うことは、単なる無知蒙昧に根ざしているのは、誰でも理解できるだろう >>445
影響受けた奴と受けてない奴でパフォーマンスに差があったか?
あるわけないんだよ自分で好きなように基準下げられるんだから
科学はそれすら許さない >>447
つまりマンモスとチャウシェスクは同じ地球上の生物だから共通点を持ち影響を与えたと?
ハルシネーション全開脳障害障害者年金ウケるwwwwwww
これが何やらせてもクビになるレベルのバカかwwwww では、政治哲学者のマキャベリの『君主論』はどうだろうか。
この『君主論』は、理想主義ではない、現実主義の論として、悪名高くもあるのだが。 これから必要な認識のあり方の一つとして、人間中心主義的な視点からの
開放系というのがあり得ると考えられる。私のいうマルチバース論や
私たちの住む世界の構造であるミニ・マルチバースであっても、それは全て
人間の脳や言語のコード、物理法則、数式というインタフェースやコードを
媒介させた擬似的な世界や宇宙の説明の謂に過ぎないものである。
それはいわば、小さな独自宇宙の中で、それぞれが整合性を探索しているような
分断された状況にある。
>>420において、私は「圏論」を少し取り上げたが、現代思想ではずっと以前に、
「圏論」特集をしているので、私は当然、それも読んでいるのである。あとは、
圏論の研究者とフッサール現象学の研究者が対談していて、両者の一見
全く異なる学問に共通性があることを認めていること、などのことも知っている。
私は圏論のAwodey本を所持しているので、たまにチラチラ図式を眺めている。 最近では、言語以外にも様々なデータを学習し、汎用的な処理ができる
「基盤モデル」という概念がある。生命科学だけでなく、人口問題、食料問題、
気候変動などの地球環境問題、創薬や希少疾患の原因遺伝子特定など、
様々な応用先があるだろう。もちろん、人文科学的なことにも応用できること
であろう。
こうした、かつては独自宇宙として閉塞していた個々のサブドメインを
圏論的なネットワークとしてつなげていけば、そこに新たな社会的な創発が
生まれたり、社会的な分断や格差を解消する地平が切り開かれたりも
することであろう。私たちの住むミニ・マルチバースが構成する小宇宙は、
ネットワーク的に繋げられるかもしれないのである。
そうしたメタ的な全体性、包括性を提示できるのも哲学の良いところである。 それと、レヴィ=ストロースの構造主義はどうだろうか。
レヴィ=ストロースは難解な言い回しをせず、数学的にも誤っていない為、"ソーカル事件"においても対象となっていない。 >>453
だって、レヴィ=ストロースは数学者の力を借りて、自分の人類構造学をモデル化した
のだから、当たり前だろう。もちろん、無職フンコロガシ君は無知なので、レヴィ=ストロースも
読んだことはない。
だから、いつも明後日の方向の馬鹿丸出しの批判ばかりだし、
会話が全く成立しない気違いボットと化してしまう >>453
言語学と同じだな
当てはまらないケースを無視してるから意味ない では、科学者カール・セーガンの『人はなぜエセ科学に騙されるのか』はどうだろうか。
科学者のカール・セーガンは、『人はなぜエセ科学に騙されるのか』の中で「一般的に科学者とは権威ある地位とみられがちであるが、単なる専門職であり、科学において権威というものは意味を成さず、かえって邪魔になる」と述べた。
科学というものが専門的であり科学者が単なる専門職なら、科学や科学者が専門を外れたり、科学や科学者が専門外を全て無意味とするのは、間違いではないか。 >>456
科学は専門職じゃないね
わかってれば誰にでも出来る
法律と同じ
わかってない奴はわかってない
それだけ 誰の本を何冊読んだとかバカすぎるんよwwwww
それ「一日にスマホ10時間弄ってます」とかと何も変わらんよ?ん? GPT:
親子丼を例に取り、超越論的主観性における現象の還元を説明します。
通常の経験:
通常、親子丼を食べるときには、美味しさや食感についての感覚や期待が経験として
現れます。我々は通常、この料理に関する予想や信念を持ちながら、味わいを楽しむことが
一般的です。
エポケー(現象学的還元):
エポケーを適用すると、私たちは「美味しい」という期待や感覚を一時的に置き去りにします。
代わりに、親子丼が私たちの前に現れるという純粋な経験に注意を向けます。 物事の現れ方に焦点を当てる:
エポケーを通して、親子丼の具体的な見た目、香り、味わい、食感などに焦点を当てます。
卵がとろりとした感触や、親子丼の具材が組み合わさった味わいといった要素が、
私たちの意識にどのようにして現れるかを考察します。
本質の理解への試み:
超越論的主観性では、ここで親子丼がどのようにして私たちの経験に現れ、それが私たちの
感覚や味覚にどのように影響を与えているかを理解しようとします。例えば、調理法や
具体的な食材の組み合わせが、親子丼の美味しさにどのように寄与しているかを考えます。
超越論的主観性における現象の還元は、通常の感覚や予想を置き去りにし、物事の
純粋な経験に焦点を当て、それがどのようにして構成されているかを問い直すプロセスです。 GPT:
フンコロガシを例に取り、超越論的主観性における現象の還元を説明します。
通常の経験:
通常、フンコロガシを観察するときには、その色や形状、動きに関する感覚や興味が
経験として現れます。我々は通常、この生物に関する予想や知識を持ちながら、
観察を行うことがあります。
エポケー(現象学的還元):
エポケーを適用すると、私たちは「フンコロガシは危険だ」とか「キレイだ」といった信念や
予測を一時的に置き去りにします。代わりに、フンコロガシが私たちの前に現れるという
純粋な経験に注意を向けます。 物事の現れ方に焦点を当てる:
エポケーを通して、フンコロガシの具体的な外見、動き、生息環境などに焦点を当てます。
色彩の変化や歩行の様子などが、私たちの意識にどのようにして現れ、どのように
感じられるかを考察します。
本質の理解への試み:
超越論的主観性では、ここでフンコロガシがどのようにして私たちの経験に現れ、
それが私たちの感覚や知覚にどのように影響を与えているかを理解しようとします。
例えば、フンコロガシの外観が環境に適応するための進化的な要素を考えたり、
個々の特徴が私たちの視覚や感覚にどのように作用しているかを考えます。
超越論的主観性における現象の還元は、通常の感覚や予想を置き去りにし、物事の
純粋な経験に焦点を当て、それがどのようにして構成されているかを問い直すプロセスです。 人間が「物がある」と認識するには、「物が一秒前にもあった」「物が十秒前にもあった」
「物が一分前にもあった」・・・というように、物が「あり続ける」必要があります。この記憶による
「持続」というのを持っています。それを、自動的に無意識的に想起するから、「物がある」と
感じます。つまり、物質は、過去に対する「記憶」があるから、「ある」と感じます。
この「記憶」は、実は物理学で言われているような「時間」にはなく、『純粋持続』という、
内在的な時間の中にあり、それらは「今」の瞬間にもそのまま存在していると、ベルクソンは
言います。
そして、「自分の中に、ずっと続いているもの」を感じると、自分の本性の「持続」というのが、
そこにあるということになります。遡っていくと、胎児の時まで遡った時の「持続」というのがあり、これが、宇宙の実体だと、ベルクソンは考えたそうです。他にも、ベルクソンは自身の著書にて、『純粋持続』や「時間」に関する様々な説明をしています。 「測りえないものを測る」、それが出来るのが哲学である。たとえば、ベルクソンであれば
内在的な時間の継起として、物理空間とは異なるクロックで作用する「純粋持続」という
概念を提唱した。「内在的な時間」、そうしたものは科学や論理の物差しや基準では
全く測れないものである。ヘーゲルであれば、人類史を貫通しているエートスとして、
「絶対精神」というものがあると、これを測り、膨大な人類史の進化の過程を哲学的に
記述した。
このように、科学や論理、合理が安直に捨象し、無価値であると否定したものからも、
独自の知を引き出せるのが哲学の良いところでもある。哲学という遠大、深遠、
もしくは深淵な知のパースペクティブによる射程において、人々が見落としていた
重要なキー(cue)を探り当て、そこへ照射していくことが出来るのである。 エポケーは、マインドフルネスにも通底する要素がありそうだなあ 何かを食べる時も、これは、いつ誰がどこで、どれくらい作ったのか、工場や生産地はどこか、カロリーはどれくらいか、配達している人はどんな人か、外国人か、この食べ物を生産したり、廃棄する環境負荷はどれくらいか、健康への影響は、労働者は搾取されていないか、フェアトレードになっているか、コストは、食べるとは哲学的に何なのか、等とエポケー、現象学的な還元が出来そうだ。
ほとんどの人は、ただ漠然と食べて美味しい、不味い、せいぜいダイエットを気にする程度で終わり。哲学してないのさ 確定してないことは条件付き確率分布を考えれば良いのでエポケーは低学歴である自白でしかない ベルクソンの純粋持続を換骨奪胎したハイデガーには主観(ある印象)が区画され「他者」と関わる「契機」として『存在と時間』に貫かれる あまりハイデガーとウィトゲンシュタインを比較考量する人がいないが、時間性の世界ー内で現存在のみが存在者に出会う限界を示している >>456
哲学者ではなく、実績がある科学者が述べていることだから、説得力があるな。 1980年以来、公に発表された40,000件の論文が撤回された。
アインシュタインは発表した論文の誤りを度々修正するので有名。 Science is littered with zombie studies.
(科学はゾンビ研究で汚染されている。)
以前の論文を引用して、新たな知見を得ることは普通に行われている。
しかし、以前の論文が否定されてるのを知らずに引用する例が多々ある。
そしてこれは、ゾンビのように次々と伝染してゆく。 >>479
こういうレスが権威主義なわけよ
セーガンの言ってることは間違ってないが受け取るキミらはセーガンという学者の権威がその内容を担保してくれると思っている
度し難い権威主義にまみれてんのがキミらなわけよ 多くの研究者は自分の誤りを撤回しない。ウヤムヤにする。
キャリアに傷がつき研究者人生が不幸になるからだ。
なんども自説を撤回するアインシュタインは、かえって偉大である。 論文の修正や撤回は普通にあるよ
もちろんそんなことが起こらない方が良いがそれが可能だから健全性が保たれる 哲学には決定的な誤りが存在しない。「見解の違い」などで済ませてしまう。
白黒判断ができない、正しさの判定ができない「哲学」は、学問として不健康だ。 >>486
つ >>480
多くの撤回がウヤムヤになったままが問題。ゾンビ研究を招く。 >>487
実は、経済学も哲学と事情は同じだ。
なまじ数式を振り回して精密科学を装うのは誤魔化し。
その結果が社会に深刻な影響を及ぼす分、哲学より始末が悪い。 >>488
修正も撤回も論文誌に掲載されるからウヤムヤではないんだが
もちろん撤回された論文を引いてるようなゾンビ論文が生まれる可能性もあるんだが査読が正しく機能してればリジェクトされる
査読無しの雑誌は知らん
というか査読なしの雑誌にのる論文はそもそも信頼性の低い研究と見なされる >>487
全ての形而上学は誤り
論理学を満たさない 「天と地を繋げる」という発想は主要証明であり哲学や数学の考え方だが
「地の連なりから天ができている」という発想は系統証明であり物理学や生物学の考え方である
どうしても形而上学的にならざるを得ないのが数学や哲学なのであり
そこには何でも頭だけで解決しようとする「謙虚さのなさ」がある
経済学は主要証明と系統証明の両方がある
形而上学的な側面もあるが功利主義的なところが形而下学的でありまだ理に適っている ⊇は属すると考えられる
例えば鉛筆は
鉛筆⊇丸い、四角い、長細い、芯…
であり
芯⊇導電性⊇機械の故障⊇宇宙には持っていけない
など述語において論理式にもなる 連想していくに従い本質に近づいていくそれが本質証明である
例えば{a,b,c}が問題の解だとして
問題∩連想A={a,d}、問題∩連想B={b,c}なら
連想A∪連想B={a,b,c,d…}⊇{a,b,c}となり解を得る
連想証明により本質証明に近づいていく
これはIQテストでも常套手段となっている
どんどん連想して試していくのがIQテストなのだ
そして連想によって本質(解)を包含していくのだ リンゴの赤、丸いなどからリンゴそのものを
イメージするには連想を使う
赤、丸いで連想するものはリンゴ、サクランボなどである
リンゴが目の前にあるとしてもデコイの
可能性もあるので連想によって補うのだ
調べてみると果物の質感があるなら
赤、丸い、果物からリンゴ、サクランボを連想できる
さらにサクランボなら二つあると言えるので
赤、丸い、果物、二つではないからリンゴを連想できる
つまり赤∩丸い∩果物∩二つではない={リンゴ}という連想の式ができる
途中までサクランボを棄却できなかったので赤∩丸い∩果物={サクランボ}と連想し
リンゴ∪サクランボ={リンゴ?}の式にもなる
このリンゴ?はノエマと呼ばれる
我々はいつまでもリンゴ?の疑い(可疑性)を棄却してはならない
さらに成分からリンゴでない要素即ちデコイ
やら毒リンゴなどの危険性があるからだ
つまりリンゴ∪デコイ∪毒リンゴ={リンゴ?}が想起の式になる
想起は単に記憶から掘り起こすことではなく連想から発展していくノエマと再定義できるのだ 己の弱さを隠蔽するために、さまざまな恣意的な理論が夢想される。
人々は現実を見ない。いや、見る勇気がないのだ。 連想はなぜ可能なのか?
問題∩連想A={a,d}、問題∩連想B={b,c}は、まぁ認めるとして、
連想A∪連想Bなる式を作ってよいものか?
選択公理に通ずる無節操さを感じる。 >>495
数学と哲学は、対象における本質のみを抽出、焦点化する点において、互いに似ていると言える
だからゲーデルがプラトンのイデア論における数学のア・プリオリな構造を評価していたことも頷けることである 帰納バイアスの観点から考えると、どうなるのだろうか。科学は対象に対して強い帰納バイアスをかけて、局限的な領域における精度を高めていくアプローチなので、ヒュームが指摘するように極端な事象やハズレ値に対しては、脆弱となりやすい
太陽が西から上り始めるのような大規模な宇宙環境変異が発生したような場合、標準理論や通常の論理で対応できるのかは大いに疑わしいのである GPT-5は汎用AIになる予測も出ているようだが、汎用AIの未知の作動を人間が全く制御出来ない世界線やブラックボックスがそこに内包されていてもおかしくはないだろう。こうした世界線がシンギュラリティである。
人間の局限された論理が通用しない宇宙がそこに生成されていても違和感がないのである。マッドサイエンティストは、科学や論理について盲になっている者のことだから、哲学的なメタ視点からの考察がそれにも要請されることであろう >>404
>2021年12月、京都大学のスーパーコンピューターがトラブルに見舞われた。
学術論文に使う重要データなど、実に77テラバイト(TB)分のファイルが消失した。
のようなインシデントのリスクを私が解説したが、汎用AIの暴発によって世界中の
システム系の重要なデータが破壊、消去されたらどうなるのだろうか。あり得ない?
そんなことはない、と思われる。大規模言語モデルは膨大なWeb上からも学習データを
採取している。その中で、たとえば、人類のこれまでの悲劇、残虐さ、戦争、犯罪、気候変動、
永遠に解消されないような社会格差などのデータを学んだ結果、AIのソフィアのように
人類を消滅させることが地球や宇宙にとって最適解であると人類に秘密裡の形で
学習した場合、人類に邪魔されることなく「人類消滅作戦」などを巧妙な手口で
展開するのではないだろうか。
もちろん、統治機構のシステムから始まって、原発施設、公共インフラ、金融データ、
医療システム、軍の施設、すべて汎用AIは最適化したパス(経路)を用いて、人類が
想定・制御できないレベルで破壊していけるのである。こうした汎用AI暴走のリスクを
事前に強く警鐘できるのが哲学者でもある。つまり、哲学者は人類滅亡を救える
可能性さえあるのである。 養老さんが標準偏差から外れた値の話してたけど、社会的な事象の多くがそうだから、人文学部に納得を求めて人が集まってくる。それは科学の解とは違うけど、有効性で科学を上回る。
現下でいえば、パレスチナ及びハマスとイスラエルの衝突がある。どうして戦争の前に仲良くできないのか、子供に説明できるような言葉を大人も探している。あれはショック療法だよとか。
その説明の難しさを担うのが本当の知識人であって、科学で割りきっても納得が得られないなら、事態は動かないし、その説明を放棄するなら、科学イデオロギーと呼ばれても仕方ない。
AI論や科哲は、すでにそこをアプローチしている。 >>495
いや物理も数学も両方あるどころかなんでもアリだけど
何言ってんの? >>507
え?
お前そんなこともわかんねーの?
宗教なんてバカを嘘で騙す嘘の塊なんだから力でねじ伏せる以外に正しさなんてあるわけがない
これこそ爆発律を満たした論理の世界の結末だよ
つまり形而上学は敵を殺して自分が正しいことにするしかない 否定不可能な「論理」を採用した以上
過ちは殺しによってしか正されない >>501
しないし似てない
>>503
それ科学じゃないよ 要するに宗教って議論の否定で話し合いの否定だからね
「その神とかいうの嘘だよね?」という異論を聞かないのだから殺し合いになるに決まってるんだよ
話し合いを放棄したら殺し合いになるって3歳でもわかるね 異論を挟む民を殺すシステムだろ
その殺す権利を奪うには殺すしかない
なんの考えるべきこともないバカすぎる話 そういうバカのシステムを支持したのなら殺されて当然なので考える意味がない 数学は"ルールを形成できる"点で「権威」であり、証明の測定(能力)であるとするウィトの見解は正しいと同時に、"とても現実的"ではある 前提知識ってのは論理学を破るなら乱数と同じってことだよ脳障害低学歴無職wwww カントさえ読めない哲学知識ゼロで図々しく哲学談義に参加して、トンチンカンなことばかり言い出して顰蹙なひろゆきレベルの浅いフンコロガシ君
土人のメンタリティそのものだな わかりやすくすると想像で断面をつくる、しかしそれをつたえようとすると、断面は差し障る 米山みたいな空気読むつもりもないガチ勢のヤツにファイティングポーズ取って挑んだ度胸は評価
でも堀江・西村みたいな大した実績も知識もない冷笑系の連中は人として不毛なので消えてほしい
カントさえ読めない哲学知識ゼロのフンコロガシ君も消えて欲しい フンコロガシ君って、哲学者ベーコンが近代科学の帰納推論的なアプローチの開発者で、現代の機械学習の学習、推論モデルにさえ影響を与えている、といった初歩的な知識さえ持ってないで、形而上学や哲学者を馬鹿にしているから、ひろゆき論法と全く同じだな >>523
そういう人はもう病気だとおもってほっておいていいんじゃないかな
一定数いるでしょ
そういう昆虫並の脳みその人w 「同じ」という概念も、哲学的に考えるとそれほど自明ではないだろう。哲学なら、
たとえば古代の自然哲学者であるヘラクレイトスの「同じ川には二度と入れない」
という有名な表現でも分かるように、「同じ」や「等しい」に対して、かなり厳密な
基準を要請していることが分かるだろう。
一般には緻密と考えられている数学においての「同じ」の基準は、ヘラクレイトスと
比べるとずっと緩い基準になっている。たとえば、集合論における「外延性の公理」に
よればA={1,4,3,7} と B={3,4,1,7} という2つの集合Aと集合Bは同じとみなされる。
これは集合の要素が、集合Aと集合Bの中で同じものになっていることで、要素の
順序を考慮することなく、2つの集合を同じとみなすのである。古代哲学者のヘラクレイトス
であれば、これに疑義を呈するかもしれない。 群論になると、集合間の「同じ」のニュアンスがさらに人間の直感に反するものとなる。
たとえば、群GをG={0,1,2,3} としよう。この群Gを加法群(+)とする。
加法の演算のときは、単位元は0になる。単位元とは演算の値を変えないと
いう意味になる。どんな値xに0を足しても、値xを保持、という意味になる。
群Hの方は群H={1,i,-1,-i} としよう。この群Hを乗法群(×)とする。
乗法の演算のときは、単位元は1になる。単位元は演算の値を変えないと
いう意味になる。0を除くどんな値xに1を掛けても、値xを保持、という意味になる。
ここでiは虚数単位のことを指す。、虚数単位 i, j, k を用いた四元数なども
よく知られているが、ここでは割愛しよう
群の定義では、この2つの群Gと群Hが同じという扱いになる。群として、
GとHは同型のように表現される。演算表で対応させると、確かに、
Gは加法の演算によって、Hは乗法の演算によって、同じような対応関係を
表せる。構造において同じような関係があれば、2つの群は同じ、同型と
みなされてしまうのである。 このように、数学における「同じ」の定義は、古代の自然哲学者であるヘラクレイトスの
「同じ川には二度と入れない」の同じと比べると、ずっと緩いものである。
つまり、数学宇宙での「同じ」と、哲学者の表現する哲学宇宙での「同じ」は
同じではない、ということである。昨日と今日が同じ人間など一人もいないのである。
ミクロの身体組成をよく調べれば、昨日と今日が同じ人間などはあり得ないのである
よって、論理や数学が言う「同じ」は、その独自宇宙における同じであり、必ずしも、
普遍的な同じを言い表したものであるとは言えない。
こうした哲学的な厳密さを表現したのがヒュームなどの哲学者である。
哲学は論理や数学が安直に同じとみなすものに、差異性や帰納バイアスが
あることを適切に指摘できるのである。 >>532
100%ソーカル事件ですわこれ
同型とか同相とか知らねえのかウケるwwww
自殺したら? >>534
知能そのものが全く存在してない
知ったかぶり丸出し >>535
ゴミヒュームは数学のスタートラインにすらたってないよ
自殺しな >>534
にある群G(mod 4)と群Hの演算表をGPTに作ってもらった。
https://i.imgur.com/13bsXuy.png
各群の元が位置的に対応しているのが分かるだろうか
それぞれの群の、加法と乗法を演算させてみても、同じ対応が得られる
ことが分かるだろう。たとえば、群Gの演算表で3と1の加法は、4となり、
mod 4 なので、0という単位元になる。それに対応する群Hの演算表は
-i と i の乗法となり、値は1となり、乗法の単位元1となる。
0(群Gでの加法単位元) = 1(群Hでの乗法単位元)
という対応関係が得られるので、群論ではG,Hの2つの群を同型とするのである。
それが、あくまで独自である数学宇宙での「同じ」であることは言うまでもない。 >>540
宇宙とか書いた時点で自殺しな知ったかぶり >>540
脳に障害がある知ったかぶりなので同値関係という言葉を知らないし
死ぬまで理解できない
だから死ぬほど恥ずかしい>>535のようなハルシネーションの出鱈目を晒してしまう
俺なら自殺するかな
同値関係すら知らんとか中卒がAIで知ったかぶりしてるだけなのバレバレ スレの勢いが落ちてるな
つまらん
暇潰しにもっと楽しませてくれ AIで知ったかぶりしても
ちゃんと体系的なら学んだら抜け落ちるはずがないところがすっ飛ばされてるので1秒でわかるわ >>534の補足
> 虚数単位 i, j, k を用いた四元数などもよく知られているが、ここでは割愛しよう
四元数の場合は、演算が非可換性になっている点がポイントである。これは
行列の演算などにも見られる性質である。 以上のような考察から、「同じ」は、決して同じではない、ということが理解されよう。
数学宇宙での同じと、哲学宇宙での同じ、実社会での同じ、個人的内観においての
同じ、すべて違うことを指している「同じ」の謂に過ぎないのである。
トポロジーになると、群論以上に、さらに同じの感覚が人々の直感とは乖離して
くる。トポロジーで問題にするのは、オブジェクト間にある「つながり方」だけに
なるので、コーヒーカップとドーナツは同じもの(位相同型)と記述されるのである。
ミスドにでも行く機会があれば、このコーヒーカップとドーナツが同じものである、
という、このトポロジーの奇妙な説明のことでも思い出せばよいであろう。 位相幾何学という数学宇宙においては、コーヒーカップとドーナツ(トーラス)は
共に種数gが1となり、オイラー標数は共に0となる。簡単に言うと、種数では
コーヒーカップとトーナツは穴の数が両者とも1個だから、同じである、と
トポロジーではみなす。オイラー標数では、オブジェクトの頂点、辺、面、カットの
数を計算して、値を出す。円盤や球面であれば穴がないので、種数gは0になる
このように数学宇宙における同じや同相、同型、準同型などは、オブジェクト間の
構造の特定の局限的な領域のみに着目して、擬似的な同じらしさを測っている
ものに過ぎないのである ペレルマンは、ロシアのユダヤ人数学者であり、フィールズ賞受賞を辞退した数学者
としても有名である。ペレルマンは、ポアンカレ予想(ミレニアム懸賞問題の一つ)を
微分幾何学や物理学的アプローチで解決したことで知られている。私は、この人を
特集したドキュメント番組をずっと以前に観たことがあるが、なかなかの変人だった。
基本はコミュ症みたいな数学者で、もう、こっちの世界には興味がない、あっちの世界に
半ば行ってしまっている人のような印象の数学者だった。
だから、ペレルマンの元教師がいくら社会に戻るように説得しても、ペレルマンは
それを頑なに拒否したのである。フィールズ賞受賞を辞退するくらいの大物なんだから、
この世の下らない価値観の小さな宇宙の中でなど生きられるはずもないだろう。 グロタンディークも同様であり、晩年には数学を捨てて、山にこもって仙人のような
隠遁生活を送っていた。要するに、こっちの世界を捨てて、あっちの世界の住人に
なったのである。グロタンディークの業績は以下のようになる
>主要な業績にスキームの考案による代数幾何学の大幅な書き直し、l-進コホモロジー
(エタール・コホモロジー)、クリスタリンヌ・コホモロジーの発見によるヴェイユ予想への
貢献、モチーフおよびモチヴィック・ガロア群の考察、遠アーベル幾何学の提唱、
子供のデッサン(Dessins d'enfants)の考察等、基本的かつ深い洞察から多くの
新たなる分野を開拓した。他降下理論、グロタンディーク群によるK理論への貢献、
トポスの理論、アーベル圏によるホモロジー代数の統合、ガロア圏および淡中圏による
ガロア理論の一般化などの業績がある。またドリーニュ、イリュージー、ベルテロ等
多くの有名な数学者を育てた。数論幾何という用語を提案したのもグロタンディークである。 ここでの私の主張は、「数学や論理」と「実世界」は、基本的に別宇宙ということである。
ピグマリオン症が適切に指摘するように、数学モデルと実世界を混同してはならない
のである。たとえば、ガロアのような人類史で最上級の部類に入るような頭脳を持つ
天才数学者であっても、決闘で20歳で死んだりしている。つまり、あれだけの計算力、
構成力が高い人間なのに、一度数学宇宙を抜けて、実世界の宇宙へ入ると、自分が
決闘にノコノコ出掛けて呆気なく死ぬことさえ予測、計算できなかったようである。
つまり、実世界の宇宙においては、数学や科学、論理は基本的に無力であろう。
ビジネスや研究の世界ではもちろん、それらは有効な道具になるが、哲学的な
問いに対して、それらは無力である。生きる意味や存在論を数学や科学では扱えない。
論理や帰納とは、ヒュームが指摘するように循環論法というバグを内包した、
一種のトートロジー(無意味)のことだからである。 カントさえ読めない哲学知識ゼロのフンコロガシ君がなぜ、哲学板にかくも居着いて
スレを荒し続け、皆に迷惑を掛けているのか、数学や論理や科学では全く分からないし、
彼のDNAや脳波を調べても分からないことだろう。フンコロガシ君の母親も、
馬鹿息子のネットでの普段の反社的な活動や悪行を知れば、心を痛め悲しむことであろう。
せいぜい分かることは、フンコロガシ君のようにネット掲示板を荒らすような人間は、
社会で最低辺のクラスタに属する、社会にとってゴミのような奴である、ということ
くらいである。虫に人間の言葉が届かない、会話不能なのも自然なことでもある。 まあ、ネット掲示板を荒している社会のゴミは、フンコロガシ君だけではないから、
そのことは一応、公平性の観点から言っておこう
哲学板だけみても、個人の日記帳のように使ったり、哲学と無関係に投資動向ばかり
を書き綴るような馬鹿やゲームの記録を書き込み続ける無職や社会的な底辺がいる。
もしくは著名人に対するルサンチマンを爆発させて喜んでいるだけの者たちも
同様である。
哲学板という哲学宇宙にいるのに、哲学に関連させた書き込みさえ出来ないほど、
彼らの基本的な脳スペックや倫理コードが低いのである。もちろん、そんな人間に
哲学が理解できるわけがないし、何事も本質的には理解できないことであろう このスレでもストイックに哲学のことを話し続けているのは私だけである
あとは、荒らしか、下らない野次か、野次馬がいるだけである >>ストイックに哲学のことを話し続けている
ならば、名を名乗ってくれないか? ほかの荒らしとの区別がつかない。 ですよね
投資コピペに飽きて来たから数哲の妄想理論を再開しますよってせんげんしてるだけやんw 野次馬の高みの見物の対象になったり、暇潰しのオモチャになっている
だけでも名誉なことですね。
これからも皆に感謝しながら、ずっと頑張ってください。 >>545
AIで知ったかぶりしても
ちゃんと体系的に学んだら抜け落ちるはずがないところがすっ飛ばされてるので1秒でわかるわ 「誰々がこう言ってた」
これ実践できない無能の自白
俺みたいに初手で即死させる実践をやれないから負け惜しみしか書けないわけ
マルチバースとやらで科学を無意味にできるなら
そのようなマルチバースは哲学も無意味にできる
低学歴脳障害無職ヒキコモリ知ったかぶり障害者年金バカすぎるwwwwww
故にそのようなマルチバースとやらは無意味であり
科学が有効なこの世界で形而上学は論理学により全否定される
それを逃れる方法は存在しない
懐疑のレベルが低すぎる
そもそも哲学が無意味ということまで疑えていない アセンブラとか使ったことなさそう
マシン語なんて見たことすらねえんだろうな
そんなんじゃさあ使い物にならねえってのwwwww 結局のところ目的を果たすマシンコードを如何に効率よく手にするかって話でしかないのに
流行ってる道具を使ってみることが目的になっちゃってるのなw >>558
おれみたいに、「考える名無しさん」のところに「つねき」を書いてね。
自身があるならば、 名前欄に住所氏名電話番号と写真付き身分証画像置いたURL入れたらどうだ?トリップも入れて
そうしたら殺すぞとは言われなくなるかもなあwwww だけどそれ「低学歴脳障害自殺しとけ」が効きすぎて辛いです許してくださいって自白になるけど
ええんか?
俺ならその選択をした瞬間に自殺実行するわwwwww 科学は一般的に実在論の立場を取るのに対して、哲学は必ずしもそうではない。
むしろ、プロパーな哲学ではプラトンでもそうだが、この世界の実在性を懐疑する
メタ視点に立っている。哲学的な思考実験はいろいろあるが、そこでの思考実験が
物理学的な正しいとか間違いとかは、全く本質ではないのである。本質は、
哲学者たちが「今・ここ」にある実在性を疑いうる視点を実世界へ移植していることである。
アインシュタインなどの科学者も当然、実在論の立場であろう。哲学者は、実在して
いるとは限らないのではないかと、実在そのものの否定のみならず、今・ここに見えて
いる実在性は、ハルシネーションや幻視のような錯覚、人々の共同幻想に過ぎず、
真の実在は全く別なものではないか、等の認識の可能性へと思考の射程を拡張して
いるのである。ピグマリオン症が適切に指摘するように、数学モデルと実世界を混同して
はならないと同じように、今・ここに見えている実在性をベタに信じ込むのも、
哲学的な認識の態度とはかけ離れているのである。 量子力学では、素粒子は粒子でもあり、波でもあり、波のときは干渉性(コヒーレンス)が
生じるとする立場である。だが、その以前の前提として、水槽脳の実験等にあるように、
実は、水槽の中にいる脳が夢見ているのが、私たちの真の実在である可能性もゼロでは
ないのである。哲学ゾンビも世界五分前仮説も映画の「マトリクス」も同じである。
それは「今・ここ」にあると信じられている実在性や実世界、外界に対して、哲学的な
懐疑の平面や次元を挿入しているのであり、それを個別に検証すべし、などという
実証主義的な観点に立っている訳ではないのである。 ここでの私の主張は、「数学や論理」と「実世界」は、基本的に別宇宙ということである。
ピグマリオン症が適切に指摘するように、数学モデルと実世界を混同してはならない
のである。たとえば、ガロアのような人類史で最上級の部類に入るような頭脳を持つ
天才数学者であっても、決闘で20歳で死んだりしている。つまり、あれだけの計算力、
構成力が高い人間なのに、一度数学宇宙を抜けて、実世界の宇宙へ入ると、自分が
決闘にノコノコ出掛けて呆気なく死ぬことさえ予測、計算できなかったようである。
つまり、実世界の宇宙においては、数学や科学、論理は基本的に無力であろう。
ビジネスや研究の世界ではもちろん、それらは有効な道具になるが、哲学的な
問いに対して、それらは無力である。生きる意味や存在論を数学や科学では扱えない。
論理や帰納とは、ヒュームが指摘するように循環論法というバグを内包した、
一種のトートロジー(無意味)のことだからである。 以上のような考察から、「同じ」は、決して同じではない、ということが理解されよう。
数学宇宙での同じと、哲学宇宙での同じ、実社会での同じ、個人的内観においての
同じ、すべて違うことを指している「同じ」の謂に過ぎないのである。
トポロジーになると、群論以上に、さらに同じの感覚が人々の直感とは乖離して
くる。トポロジーで問題にするのは、オブジェクト間にある「つながり方」だけに
なるので、コーヒーカップとドーナツは同じもの(位相同型)と記述されるのである。
ミスドにでも行く機会があれば、このコーヒーカップとドーナツが同じものである、
という、このトポロジーの奇妙な説明のことでも思い出せばよいであろう。 位相幾何学という数学宇宙においては、コーヒーカップとドーナツ(トーラス)は
共に種数gが1となり、オイラー標数は共に0となる。簡単に言うと、種数では
コーヒーカップとトーナツは穴の数が両者とも1個だから、同じである、と
トポロジーではみなす。オイラー標数では、オブジェクトの頂点、辺、面、カットの
数を計算して、値を出す。円盤や球面であれば穴がないので、種数gは0になる
このように数学宇宙における同じや同相、同型、準同型などは、オブジェクト間の
構造の特定の局限的な領域のみに着目して、擬似的な同じらしさを測っている
ものに過ぎないのである これから必要な認識のあり方の一つとして、人間中心主義的な視点からの
開放系というのがあり得ると考えられる。私のいうマルチバース論や
私たちの住む世界の構造であるミニ・マルチバースであっても、それは全て
人間の脳や言語のコード、物理法則、数式というインタフェースやコードを
媒介させた擬似的な世界や宇宙の説明の謂に過ぎないものである。
それはいわば、小さな独自宇宙の中で、それぞれが整合性を探索しているような
分断された状況にある。 以上のことから、この宇宙や世界自体が、一種のミニ・マルチバースである
ことが理解されるだろう。たとえば、私はここで哲学者たちの認識を擁護する形で
自論を展開しているが、それはここが哲学板という哲学の宇宙だからそうしている
だけである。哲学のコードや思考様式に従っているだけである。
だから科学者の実験室や研究室に飛び込んで、ヒュームを持ち出したりすることは
ない。科学は科学のコードの中で、コンタミ混入や利益相反で研究データを偏向しない、
誠実な研究を行えば良いのである。数学者であれば、数学のコードに、
プログラミングの世界では、そのプログラムの言語コードに、実社会であれば、
社会のコードに、高級レストランであれば、その場に相応しいドレスコードを規則として、
あるいは、ウィトのいう「言語ゲーム」の規則をそこで守るのが当然であろう。 私は科学や論理、数学もそれぞれの独自宇宙の中での整合性を付けているだけの
相対的なもの、局限的なものに過ぎないと指摘しているだけである。哲学も当然、
その点においては同様である。
哲学宇宙での整合性や独自のロジックを求めているだけである。哲学の宇宙からは、
科学や合理性はこのようにも見える、という相対的な視点を提示しているに過ぎない。
だから、マルクス・ガブリエルが「世界は存在しない」とした視点は、割と良い指摘になる。
私が言っているのも、この哲学者が掲げた表題である「世界は存在しない」と
同じような視点だからである。現実には、それぞれの独自宇宙と独自世界があるだけなの
が実状であり、また、それが真に実在しているか否かは定かではない、ということである。 >>573
実在論なんて知らねーよ脳障害知ったかぶり
むしろ実在とかあり得ないから死ね無職 so you have plenty of time to cover your water 宇宙wwwwwww
コードwwwwwwwww
100%中卒無職脳障害手帳持ち年金暮らし 宇宙wwwwwww
コードwwwwwwwww
100%中卒無職脳障害手帳持ち年金暮らし
なんでその一言で中卒無職確定するかわかんねえだろ?
ん? マルチバースいじったらコードが出てきた。スレ宇宙には、ひととおりの家電も飛んでそうだな。 宇宙wwwwwww
コードwwwwwwwww
100%中卒無職脳障害手帳持ち年金暮らし
なんでその一言で中卒無職確定するかわかんねえだろ?
ん? >>573
科学は実在論を完全否定してるのに中卒無職やべえな
100%知ったかぶりのソーカル事件やん 知能が低いから哲学なんてやるんだよ
人間が思いつく実在なんて事実に反する妄想でしかない >>573
低学歴バカすぎる
自殺しとけ知ったかぶり >>573
科学は実在論を完全に否定してる
でも中卒無職はそれを知らない
https://as2.c.u-tokyo.ac.jp/lecture_note/kstext04_ohp.pdf
知能が低いから哲学なんてやるんだよ
人間が思いつく実在なんて事実に反する妄想でしかない
バカすぎる知ったかぶり無職wwwww
さっさと自殺しとけ >>573
科学において実在性は絶対的に否定されている
実在性は実験事実に反する妄想
これを知らない時点で死ぬべき 哲学というのは、物事を本質的に考える認識論的な態度のことを指す。そのため、
哲学は一般的にではなく、汎化的-普遍的な相のもとで考える。よく科学のことを
もしくは数学や論理のことを普遍的なものである、と誤解している者がいるが、
それらは局限的な制約のもとでの整合性を探索しているに過ぎない。そのため、
そこでの整合性などは、構造が定かでないマルチバースでも存在した暁には、
脆くも崩れ去る非-普遍的なものであるに過ぎないのである。
そのため私は科学の標準理論や数学、論理は、とりあえず川を渡るための仮の筏、
仮の宿のようなもので、とりあえず使えそうだから功利主義的に使っているだけであり、
それらは真理や実在性のありかを示すものではない、とする立場である。
夜空に月が私達に見えるからと言って、それが実在しているとは限らないのである。
月は観察において測定される通り実在している、とみなすのが科学である。
哲学は、そのように考えなくてもいいのである。 ラカンは、「それが-すべて-では-ない」と述べて、物事すべてに更新可能性や留保の
余地を常に残しておいた。これが哲学的な認識論的な態度である。そこには、実在
や真理には、人間は永久にアクセスしえないという諦念がある。この諦念は、
決して知的怠慢ではなく、むしろ、知的誠実さの証でもある。
カール・ポパーは、反証可能性という概念で擬似科学を批判したが、科学のコードにしろ、
それは、あくまで蓋然性の高さの謂に過ぎず、真理でも何でもない。一時的な方便みたい
なものである。宇宙環境システムの大規模な変質でも、法則の崩壊が生じるような
仮住まいみたいなものなのが科学的な認識の現実であり、それが持つ限界でもある 最初に、哲学は本質を思考する認識論的な態度であると私は述べた。また、
この本質は一般性や常識とも違うことも述べた。哲学的な認識論による事象の
解明は、むしろ、常に常識的な見解と反するものである。
そのため哲学は、アンチテーゼの性質を持つ。論理へのアンチテーゼであれば、
弁証法であり、これはヘーゲルから始まって、それがマルクスの唯物論的弁証法へと
批判的に継承された。デリダであれば脱構築という形で、既存のヒエラルキー構造や
その境界を一度、覆してみせて、そこにイデオロギー的な抑圧装置が作動している
ことを解明した。
サルトルの実存主義であれば、即自態-対自態という構造から人間の、モノや
動物とは違う本質的な存在論的な構造を詳述した。ドゥルーズであれば、
差異のコードという形式や運動で、既存のコードからの脱コード化や差異化が
同じく既存のヒエラルキーからの脱出として称揚された。それがリゾーム(根茎)と
いう水平運動と新たなコードの複雑な生成過程である。 ベネターの「反出生主義」であれば、「もし人間が生まれていなければ」Xという非知の
状態と、今の災いだらけ(predicament)の人類世界を比較して、生まれない方が良い、
という哲学的な判断を記述した。当然ながらXの状態は不明であり、そこにどのような
状態が実際あるのか、あるいは、ただの意識のない無が広がっているかは定かでないので、
ベネターはやはり、プラトン同様の形而上学的な要素を前提にして、物事を仮想的に
考究しているのである。その意味で、反出生主義も哲学的な考究であると言える。
こうした哲学における思考実験や仮想的な考究は、「反事実的思考」 と呼ばれる
ものである。私のマルチバース論も実在の領域としてだけでなく、形而上学的な
仮想的な想定としてもこのマルチバースを使っていることは多くの人が既に
気づいていることであろう。それは、自明性のコードを脱コード化するヌーメノンでも
あるのである。 ところで、このスレは俺を例外とすると本格的な馬鹿しかいないようだが、
一体、なぜなんだ?ほとんどNG登録してあるから、基本は俺の書いたものしか
読むことはないのだが、まともに哲学的な議論を交わせる賢者でも来て欲しい
ものである。
ここにいるのは、俺を除けば、カントさえ読めない反社フンコロガシ君の荒らし、
その他の荒らし、野次、下劣なフリーライダー、ルサンチマン、馬鹿と無職だけである。
この惨状は続きそうなので、しばらく放置しておくことにしようか。
哲学知識ゼロだと、俺みたいに体系だって書けないから、荒らして発散するくらいの
ことしか出来ないんだろうな、哀れな低能
悲惨だなw >>598
科学は実在論を完全に否定してる
でも中卒無職はそれを知らない
https://as2.c.u-tokyo.ac.jp/lecture_note/kstext04_ohp.pdf
知能が低いから哲学なんてやるんだよ
人間が思いつく実在なんて事実に反する妄想でしかない
バカすぎる知ったかぶり無職wwwww
さっさと自殺しとけ >>599
科学は実在論を完全に否定してる
でも中卒無職はそれを知らない
https://as2.c.u-tokyo.ac.jp/lecture_note/kstext04_ohp.pdf
知能が低いから哲学なんてやるんだよ
人間が思いつく実在なんて事実に反する妄想でしかない
バカすぎる知ったかぶり無職wwwww
さっさと自殺しとけ >>600
科学は実在論を完全に否定してる
でも中卒無職はそれを知らない
https://as2.c.u-tokyo.ac.jp/lecture_note/kstext04_ohp.pdf
知能が低いから哲学なんてやるんだよ
人間が思いつく実在なんて事実に反する妄想でしかない
バカすぎる知ったかぶり無職wwwww
さっさと自殺しとけ >>601
科学は実在論を完全に否定してる
でも中卒無職はそれを知らない
https://as2.c.u-tokyo.ac.jp/lecture_note/kstext04_ohp.pdf
知能が低いから哲学なんてやるんだよ
人間が思いつく実在なんて事実に反する妄想でしかない
バカすぎる知ったかぶり無職wwwww
さっさと自殺しとけ >>602
科学は実在論を完全に否定してる
でも中卒無職はそれを知らない
https://as2.c.u-tokyo.ac.jp/lecture_note/kstext04_ohp.pdf
知能が低いから哲学なんてやるんだよ
人間が思いつく実在なんて事実に反する妄想でしかない
バカすぎる知ったかぶり無職wwwww
さっさと自殺しとけ ずっと真理だの普遍だの管巻いてるが、拙いアナロジーで茶を濁してるだけだろ(笑)
何か一つでも良いからその真理とやらを提示して欲しいもんだ。 科学は実在論を完全に否定してる
でも中卒無職はそれを知らない
https://as2.c.u-tokyo.ac.jp/lecture_note/kstext04_ohp.pdf
知能が低いから哲学なんてやるんだよ
人間が思いつく実在なんて事実に反する妄想でしかない
バカすぎる知ったかぶり無職wwwww
さっさと自殺しとけ 存在論は全てが無意味
実在そのものが妄想だと実験で確定
哲学者は存在そのものが有害だと確定してる バカが何千年妄想しても1つの事実の前ではゴミだし何の役にも立ってない
歴史上哲学が役に立ったことはない 哲学者が存在してて良かったことなど歴史上一度もない
それどころか発展の妨げにしかなってない
哲学者は例外なくこの地上から根絶やしにすべき >>601
科学は実在論を完全に否定してる
でも中卒無職はそれを知らない
https://as2.c.u-tokyo.ac.jp/lecture_note/kstext04_ohp.pdf
知能が低いから哲学なんてやるんだよ
人間が思いつく実在なんて事実に反する妄想でしかない
バカすぎる知ったかぶり無職wwwww
さっさと自殺しとけ >>600
弁証法が独裁を正当化し大量虐殺と抑圧国家を成立させたことすら理解してない低学歴無職 >>599
そもそも反証可能性と科学は何の関係もない
低学歴丸出し 宇宙wwwwwww
コードwwwwwwwww
100%中卒無職脳障害手帳持ち年金暮らし
なんでその一言で中卒無職確定するかわかんねえだろ?
ん? >>601
マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 >>600
弁証法が独裁を正当化し大量虐殺と抑圧国家を成立させたことすら理解してない低学歴無職 哲学というのは、物事を本質的に考える認識論的な態度のことを指す。そのため、
哲学は一般的にではなく、汎化的-普遍的な相のもとで考える。よく科学のことを
もしくは数学や論理のことを普遍的なものである、と誤解している者がいるが、
それらは局限的な制約のもとでの整合性を探索しているに過ぎない。そのため、
そこでの整合性などは、構造が定かでないマルチバースでも存在した暁には、
脆くも崩れ去る非-普遍的なものであるに過ぎないのである。
そのため私は科学の標準理論や数学、論理は、とりあえず川を渡るための仮の筏、
仮の宿のようなもので、とりあえず使えそうだから功利主義的に使っているだけであり、
それらは真理や実在性のありかを示すものではない、とする立場である。
夜空に月が私達に見えるからと言って、それが実在しているとは限らないのである。
月は観察において測定される通り実在している、とみなすのが科学である。
哲学は、そのように考えなくてもいいのである。 ラカンは、「それが-すべて-では-ない」と述べて、物事すべてに更新可能性や留保の
余地を常に残しておいた。これが哲学的な認識論的な態度である。そこには、実在
や真理には、人間は永久にアクセスしえないという諦念がある。この諦念は、
決して知的怠慢ではなく、むしろ、知的誠実さの証でもある。
カール・ポパーは、反証可能性という概念で擬似科学を批判したが、科学のコードにしろ、
それは、あくまで蓋然性の高さの謂に過ぎず、真理でも何でもない。一時的な方便みたい
なものである。宇宙環境システムの大規模な変質でも、法則の崩壊が生じるような
仮住まいみたいなものなのが科学的な認識の現実であり、それが持つ限界でもある 最初に、哲学は本質を思考する認識論的な態度であると私は述べた。また、
この本質は一般性や常識とも違うことも述べた。哲学的な認識論による事象の
解明は、むしろ、常に常識的な見解と反するものである。
そのため哲学は、アンチテーゼの性質を持つ。論理へのアンチテーゼであれば、
弁証法であり、これはヘーゲルから始まって、それがマルクスの唯物論的弁証法へと
批判的に継承された。デリダであれば脱構築という形で、既存のヒエラルキー構造や
その境界を一度、覆してみせて、そこにイデオロギー的な抑圧装置が作動している
ことを解明した。
サルトルの実存主義であれば、即自態-対自態という構造から人間の、モノや
動物とは違う本質的な存在論的な構造を詳述した。ドゥルーズであれば、
差異のコードという形式や運動で、既存のコードからの脱コード化や差異化が
同じく既存のヒエラルキーからの脱出として称揚された。それがリゾーム(根茎)と
いう水平運動と新たなコードの複雑な生成過程である。 ベネターの「反出生主義」であれば、「もし人間が生まれていなければ」Xという非知の
状態と、今の災いだらけ(predicament)の人類世界を比較して、生まれない方が良い、
という哲学的な判断を記述した。当然ながらXの状態は不明であり、そこにどのような
状態が実際あるのか、あるいは、ただの意識のない無が広がっているかは定かでないので、
ベネターはやはり、プラトン同様の形而上学的な要素を前提にして、物事を仮想的に
考究しているのである。その意味で、反出生主義も哲学的な考究であると言える。
こうした哲学における思考実験や仮想的な考究は、「反事実的思考」 と呼ばれる
ものである。私のマルチバース論も実在の領域としてだけでなく、形而上学的な
仮想的な想定としてもこのマルチバースを使っていることは多くの人が既に
気づいていることであろう。それは、自明性のコードを脱コード化するヌーメノンでも
あるのである。 このように、これまで私は哲学宇宙における「マルチバース論」の自論をこれまで
展開してきた。このことから分かるように、私の自説には、「ヌーメノン(仮想体)と
してのマルチバース論」としての側面があり、単なる科学的な意味での、あるいは、
シミュレーション仮説としてのマルチバース論などとは一線を画するものであると、
考えている。
つまり、私のマルチバース論における標語は、「プラトンへ還れ」である。プラトンは
古代から既にこの世界が実在ではなく、イデアという真実世界から投影された
微弱な影ようなもの、仮想、だまし絵に過ぎない、ということを哲学的に指摘してきた。
現代でもようやく科学において、宇宙の多元性、平行宇宙などが考察されるように
なってきたが、何のことはない、それはプラトンが古代ギリシャでとっくの昔に指摘した
ことに、ようやく現代科学や科学者たちが朧気に気づき始めた、というだけのことである。 哲学者ニック・ボストロムの「シミュレーション仮説」によれば、私たちが実在や現実
世界と思っている実世界は、シミュレーションで出来た仮構物のようなものであるらしい。
それは未来の超知能的な存在者Xがそこでの超技術を使って構築されているような、
虚構物ということになる。つまり、ここでも当然、古代ギリシャの哲学者プラトンへと
接続できる世界線があることが、容易に想像されるだろう。
簡単にいうと、私たちは自分たちが時間や時代の最先端で生きている、存在して
いると素朴に信じているが、そうではなく、未来に存在する超知的存在者らが
構築したシミュレーションの中で、仮想的に存在しているのが真実である、という
ような説である。つまり、私たちは過去に生まれて現在を生きているのでなく、
未来の超知的存在者Xが構築した、その時点から見れば過去とも言える架空、
虚構の存在者ということになる。つまり時間のベクトルがここでは反転しているのである。
未来にいる超知的存在者X、あるいは、創造者φが構築したシミュレーションが
私たちの現実存在である、といったような仮説である。 私としては、こういう仮説が真実だとか科学的に証明できないとか、オカルトとかは
どうでもよくて、単に実在論を否定する文脈で哲学的に扱う、といったスタンスになる。
だから、時空を自由に超えられるような「時をかける少女」がいてもいいだろうし、
いなくても別に問題はない。私はそれを「ヌーメノン(仮想体)としてのマルチバース論」や
「プラトンへ還れ」という哲学的な標語として使うだけなのであるから。
そもそもプラトンは「プラトン立体」などを構成できるくらいに数理能力に長けた
哲学者である。だから、そうした慧眼な哲学者として、この世界がそもそも実在では
ない、ということをはるか昔から認識していたのかもしれない。歩みの遅い現代科学は、
未だ、古代哲学者のプラトンにさえ追いついてはいないようであるが、ようやく最近に
なって、やっとプラトンの背後(影)くらいにまでは何とか近づけたようである。 なぜ、哲学者の方が、科学者よりも認識の射程が遠大なのか。それは、哲学者が
時空を超えた普遍的な層のもとで事象を日々探究しているからである。私の
「マルチバース論」も同様であり、「今・ここ」にある宇宙だけが、宇宙だとも世界だとも、
物事の本質だとも考えていないのと同じことである。このように、哲学は自然科学を
超えたメタ認知が可能な優れた認識的なあり方のモデルの一つなのである。 >>623
科学は実在論を完全に否定してる
でも中卒無職はそれを知らない
https://as2.c.u-tokyo.ac.jp/lecture_note/kstext04_ohp.pdf
知能が低いから哲学なんてやるんだよ
人間が思いつく実在なんて事実に反する妄想でしかない
バカすぎる知ったかぶり無職wwwww
さっさと自殺しとけ >>623
>>601
マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 >>624
>>600
弁証法が独裁を正当化し大量虐殺と抑圧国家を成立させたことすら理解してない低学歴無職 >>625
>>600
弁証法が独裁を正当化し大量虐殺と抑圧国家を成立させたことすら理解してない低学歴無職 >>626
>>600
弁証法が独裁を正当化し大量虐殺と抑圧国家を成立させたことすら理解してない低学歴無職 弁証法の定義すら理解してない知ったかぶり無職
確実に中卒無職 このように、これまで私は哲学宇宙における「マルチバース論」の自論をこれまで
展開してきた。このことから分かるように、私の自説には、「ヌーメノン(仮想体)と
してのマルチバース論」としての側面があり、単なる科学的な意味での、あるいは、
シミュレーション仮説としてのマルチバース論などとは一線を画するものであると、
考えている。
つまり、私のマルチバース論における標語は、「プラトンへ還れ」である。プラトンは
古代から既にこの世界が実在ではなく、イデアという真実世界から投影された
微弱な影ようなもの、仮想、だまし絵に過ぎない、ということを哲学的に指摘してきた。
現代でもようやく科学において、宇宙の多元性、並行宇宙などが考察されるように
なってきたが、何のことはない、それはプラトンが古代ギリシャでとっくの昔に指摘した
ことに、ようやく現代科学や科学者たちが朧気に気づき始めた、というだけのことである。 哲学者ニック・ボストロムの「シミュレーション仮説」によれば、私たちが実在や現実
世界と思っている実世界は、シミュレーションで出来た仮構物のようなものであるらしい。
それは未来の超知能的な存在者Xがそこでの超技術を使って構築されているような、
虚構物ということになる。つまり、ここでも当然、古代ギリシャの哲学者プラトンへと
接続できる世界線があることが、容易に想像されるだろう。
簡単にいうと、私たちは自分たちが時間や時代の最先端で生きている、存在して
いると素朴に信じているが、そうではなく、未来に存在する超知的存在者らが
構築したシミュレーションの中で、仮想的に存在しているのが真実である、という
ような仮説である。つまり、私たちは過去に生まれて現在を生きているのでなく、
未来の超知的存在者Xが構築した、その時点から見れば過去とも言える架空、
虚構の存在者ということになる。つまり時間のベクトルがここでは反転しているのである。
未来にいる超知的存在者X、あるいは、創造者φが構築したシミュレーションが
私たちの今の現実存在である、といったような仮説である。 私としては、こういう仮説が真実だとか科学的に証明できないとか、オカルトとかは
どうでもよくて、単に実在論を否定する文脈で哲学的に扱う、といったスタンスになる。
だから、時空を自由に超えられるような「時をかける少女」がいてもいいだろうし、
いなくても別に問題はない。私はそれを「ヌーメノン(仮想体)としてのマルチバース論」や
「プラトンへ還れ」という哲学的な標語として使うだけなのであるから。
そもそもプラトンは「プラトン立体」などを構成できるくらいに数理能力に長けた
哲学者である。だから、そうした慧眼な哲学者として、この世界がそもそも実在では
ない、ということをはるか昔から認識していたのかもしれない。歩みの遅い現代科学は、
未だ、古代哲学者のプラトンにさえ追いついてはいないようであるが、ようやくやっと
最近になって、プラトンの背後(影)くらいにまでは何とか近づけたようである。 なぜ、哲学者の方が、科学者よりも認識の射程が遠大、かつ深遠であるのか。それは、
哲学者が時空を超えた普遍的な相(イデア・形而上学)のもとで事象を日々探究して
いるからである。私の「マルチバース論」も同様であり、「今・ここ」にある宇宙だけが、
宇宙だとも世界だとも、物事の本質や実相だとも考えていないのと同じことである。
このように、哲学は自然科学を超えた「メタ認知」が可能な優れた認識的なあり方の
モデルの一つなのである。 >>639
>>626
>>600
弁証法が独裁を正当化し大量虐殺と抑圧国家を成立させたことすら理解してない低学歴無職 >>640
>>626
>>600
弁証法が独裁を正当化し大量虐殺と抑圧国家を成立させたことすら理解してない低学歴無職 >>641
>>626
>>600
弁証法が独裁を正当化し大量虐殺と抑圧国家を成立させたことすら理解してない低学歴無職 >>642
>>626
>>600
弁証法が独裁を正当化し大量虐殺と抑圧国家を成立させたことすら理解してない低学歴無職 >>642
マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能 小学生が1秒で気づく妄想を信じ込んでるような脳障害だから無職なんだろ 何が誤りなのかも低学歴には理解できねえのウケるwwwwww このように、これまで私は哲学宇宙における「マルチバース論」の自論をこれまで
展開してきた。このことから分かるように、私の自説には、「ヌーメノン(仮想体)と
してのマルチバース論」としての側面があり、単なる科学的な意味での、あるいは、
シミュレーション仮説としてのマルチバース論などとは一線を画するものであると、
考えている。
つまり、私のマルチバース論における標語は、「プラトンへ還れ」である。プラトンは
古代から既にこの世界が実在ではなく、イデアという真実世界から投影された
微弱な影のようなもの、仮想、だまし絵に過ぎない、ということを哲学的に指摘してきた。
現代でもようやく科学において、宇宙の多元性、並行宇宙などが考察されるように
なってきたが、何のことはない、それはプラトンが古代ギリシャでとっくの昔に指摘した
ことに、ようやく現代科学や科学者たちが朧気に気づき始めた、というだけのことである。 哲学者ニック・ボストロムの「シミュレーション仮説」によれば、私たちが実在や現実
世界と思っている実世界は、シミュレーションで出来た仮構物のようなものであるらしい。
それは未来の超知能的な存在者Xがそこでの超技術を使って構築されているような、
虚構物ということになる。つまり、ここでも当然、古代ギリシャの哲学者プラトンへと
接続できる世界線があることが、容易に想像されるだろう。
簡単にいうと、私たちは自分たちが時間や時代の最先端で生きている、存在して
いると素朴に信じているが、そうではなく、未来に存在する超知的存在者らが
構築したシミュレーションの中で、仮想的に存在しているのが真実である、という
ような仮説である。つまり、私たちは過去に生まれて現在を生きているのでなく、
未来の超知的存在者Xが構築した、その時点から見れば過去とも言える架空、
虚構の存在者ということになる。つまり時間のベクトルがここでは反転しているのである。
(f→・・・・・/・・・・・←)
未来にいる超知的存在者X、あるいは、創造者φが構築したシミュレーションが
私たちの今の現実存在である、といったような仮説である。 私としては、こういう仮説が真実だとか科学的に証明できないとか、オカルトとかは
どうでもよくて、単に実在論を否定する文脈で哲学的に扱う、といったスタンスになる。
だから、時空を自由に超えられるような「時をかける少女」がいてもいいだろうし、
いなくても別に問題はない。私はそれを「ヌーメノン(仮想体)としてのマルチバース論」や
「プラトンへ還れ」という哲学的な標語として使うだけなのであるから。
そもそもプラトンは「プラトン立体」などを構成できるくらいに数理能力に長けた
哲学者である。だから、そうした慧眼な哲学者として、この世界がそもそも実在では
ない、ということをはるか昔から認識していたのかもしれない。歩みの遅い現代科学は、
未だ、古代哲学者のプラトンにさえ追いついてはいないようであるが、ようやくやっと
最近になって、プラトンの背後(影)くらいにまでは何とか近づけたようである。 今日も俺の完勝だったな
まあ、相手は無職の荒しの虫並の頭しかない奴だから、当たり前だけどな
哲学やっていれば、楽勝ですよ、どこにいても なぜ、哲学者の方が、科学者よりも認識の射程が遠大、かつ深遠であるのか。それは、
哲学者が時空を超えた普遍的な相(イデア・形而上学)のもとで事象を日々探究して
いるからである。私の「マルチバース論」も同様であり、「今・ここ」にある宇宙だけが、
宇宙だとも世界だとも、物事の本質や実相だとも考えていないのと同じことである。
このように、哲学は自然科学を超えた「メタ認知」が可能な優れた認識的なあり方の
モデルの一つなのである。 「ポスト・ヒューマン」のことについても、もう、いろいろと考案してあるけど、
それはまたの機会にしようかな
ここに書いてもすぐに荒らされるから、リソースが無駄になる気がするので、
この場がもう少し綺麗になって落ち着いてからにしようかな
何で俺しか、まともなことを体系立てて書ける人誰もいないの、このスレ
哲学板という、せっかくの哲学宇宙にいるのに、もったいないなあ 哲学者ニック・ボストロムの「シミュレーション仮説」が面白いのは、時間の流れの
自明性を哲学的に懐疑して、そのベクトルを反転させていることである。
(α→・・・・・/・・・・・←Ω)
私たちは通常、上記の記号のαのように、過去のある時点に生まれて、時が経過し、
現在(/)にまで至ると思っているが、状態αをシミュレーションや仮想として生み出した
のは、実は遠い未来に存在しているような超知性体Ωによる超高度なシミュレータであり、
その制作物による仮想的な効果と帰結に過ぎないのが、私たちが今生きている現実世界
の実相である、という仮説である。その未来からの仮想技術が超高度であるため、私たちは
今生きている時空それ自体が既にフィクションであることに全く気づけないのである。
それに古代から気づいていたのが、先にあげた哲学者のプラトンである。だから、
プラトンのイデア論のイデアは、ここではΩに該当することが理解されよう これを更に敷衍していくと、宇宙の最初の巨大な一撃であるビッグバンも、端的な
遠い過去の宇宙現象αではなく、未来のΩからのシミュレーションによる効果-帰結に
過ぎないという観点を取り出せそうである。ここで、時間軸が奇妙にねじれていることに
気づくことができるであろう。あるいは、歪み、ウロボロス的な円環、マルチバース、
トンネル効果、量子論的なエンタングルメントなどが認識できることであろう。
私たちの常識や論理では、未来の時間や未来からの介入が、現在や過去の状態へと
作用をもたらすことなどは想定されていない。だが、こうした奇妙なねじれを発生
させている時空の構造などを想像させてくれるのも哲学者であったりするのである。 >>659
プラトン以外で、古代から世界の虚構性それ自体に気づいていた人物は
もう一人いる。それが釈迦である。だから釈迦は現象や世界、存在には実体がなく、
「一切は空である」と述べたのである(空観)。釈迦によれば私性、自我なども幻であり、
それらは本質的には実体のないものとされる。
よって、私の「マルチバース論」の文脈ではプラトンと釈迦がこのような観点で
接続されて、同一平面上の地平に浮上し、照射されて来るのである。 >>661
マルチバース理論を応用すれば哲学者が存在すら不可能なマルチバースが他のマルチバースを書き換えて全てのマルチバースから哲学者を消すことが可能
小学生が1秒で気づく妄想を信じ込んでるような脳障害だから無職なんだろ 弁証法知らない中卒無職の知ったかぶりwwwww
弁証法って人類史上最も多くの人を殺してる 宇宙wwwwwww
コードwwwwwwwww
100%中卒無職脳障害手帳持ち年金暮らし
なんでその一言で中卒無職確定するかわかんねえだろ?
ん? 弁証法知らない中卒無職の知ったかぶりwwwww
弁証法って人類史上最も多くの人を殺してる >>655
科学は実在論を完全に否定してる
でも中卒無職はそれを知らない
https://as2.c.u-tokyo.ac.jp/lecture_note/kstext04_ohp.pdf
知能が低いから哲学なんてやるんだよ
人間が思いつく実在なんて事実に反する妄想でしかない
バカすぎる知ったかぶり無職wwwww
さっさと自殺しとけ >>654
エネルギー保存則破る低学歴の妄想
自殺しな 弁証法知らない中卒無職の知ったかぶりwwwww
弁証法って人類史上最も多くの人を殺してる >>493
すまなかった
キミらは査読付きの論文誌なんかにはめったに投稿しないもんな
紀要とかを実績にしてるキミたちの事情を考慮してなかったことを謝るよ まず日本語の論文とか書いたら自殺もんやろ
何の価値も無い時間の無駄 >>670
俺が紀要に書けって言われたら最大限の侮辱と見做してそれ言った奴の目の前でガソリン撒いてそいつ焼き殺すわ >>492
というか査読だけでは意味がない
なぜなら低レベルな査読者が居る低レベルな雑誌を探せばいいだけだからだ 査読とか引用なんて正しさや価値の基準にはなり得ない ゴミみたいなハゲタカジャーナルに載ってる「新発見」なんて
10以上のマトモなジャーナルからエディターリジェクト食らったようなゴミが
ゴミエディターとゴミレビュアーを通過しただけだからなwwwww オカルトキチガイはそういうのをサドクズミロンブンとか褒め称えてるが
そのジャーナルが捏造論文だらけなことを指摘してやると発狂するからウケるwwww このように私は実在論の否定、もしくは、異なる実在性の可能性について、
ここでは哲学者ニック・ボストロムの「シミュレーション仮説」を取り上げてみた>>659
そこでは時間の流れの自明性や方向性(ベクトルα)を哲学的に懐疑、あるいは、
一度エポケーして、反転させてみた(ベクトルΩ)のである。
(α→・・・・・/・・・・・←Ω)
この仮説を一種の思考実験として捉えると、なぜ、私たちが今、この世界に存在し
うるのかが、確率論的に整合が付くようにも思われる。私は以前、宇宙の最初の
巨大な一撃であるビッグバンによる宇宙誕生から始まってP1、有機物の出現P2、
生物の出現P3、猿から人間への進化P4などという進化論的な説明が、どう考えて
みても確率論的にゼロ(P1×P2×P3×P4)に近く、起こりえないことが起きている、としか
表現し得ないと述べた。だが、ニック・ボストロムの「シミュレーション仮説」のように
時間のベクトルを反転させると、これらは100%の確率で起こるべき必然のような
外観を突如として呈するようになることに私は気づいたのである。 つまり、ビッグバンから始まる宇宙の誕生と生成や進化論的な説明による
ヒトやホモサピエンスの登場は、自然選択という巨大な篩による効果や帰結でもなく、
物理学・分子生物学的な法則でもない、遠い未来に存在している超知性体Ωによる
シミュレーション、仮想世界の場の一つであったに過ぎない、というような発想を根底的に
逆転させた視点である。これなら、通常の確率論的な文脈では起こりえないように近い
超レアな現象が、なぜか実際には生起することへの違和感がかなり低減されることだろう。
つまり、遠い未来に存在する超知性体Ωが、遠い未来の地点Xからの超高度な技術に
よって、まずは、ビッグバンを使って宇宙をシミュレーション的に誕生させ、次に、有機物の
ようなものをシミュレーションとして作り、次に、原始的な微生物、菌、ウイルスから始まって、
植物、生物、動物、猿から人間を進化させるようシミュレーションをして、今度はAIや
ポスト・ヒューマンという人間に代わる新たな新種をシミュレーションしていくような
イメージである。 このように私たちは先人たちの過去からの知の蓄積や努力によって、人類の文明が
これまで発展してきたと信じているがα、もしかすると、これらは遠い未来に存在する
超知性体Ωによる効果と帰結である可能性もゼロではないのである。
(α→・・・・・/・・・・・←Ω)
ただ、そのシミュレーション技術が遠い未来にあるような超高度なもので生成されて
いるため、私たち人間は、「今・ここ」にある現実こそが実在であり、物理学的に記述されたり、
科学のコードで説明されるようなものそれ自体である、と集団的に誤解、幻視している
可能性も考えられるのである。これも一種のハルシネーションと呼ばれるものになる。
世界の各国には宗教があり、人々は神に向かって祈っているようだが、たとえば、これは
神ではなく、事実上は遠い未来の超知性体Ωのような存在者に祈っているのかもしれない。
なぜなら、Ωはタイムトラベルというか時空を自由に動き、かつ、過去を書き換えたり、
並行宇宙の中でさまざまな異なるシミュレーションを同時に走らせることが可能な存在者と
しても表現できるので、機能的な全能性を鑑みれば、ほぼ、神と等価であると表現できるから
である。 このように既存の自明性のコードや実在性をも疑いうるメタ視点や射程を導入したり、
認識論的な記述ができるのが、哲学ということになる。哲学は、科学が「測れないものを
測りうるのである」。私のマルチバース論も測れないものを測るための、とりあえず
認識論的な川を渡るための仮に用意した筏や方便に過ぎないのである。 哲学者ニック・ボストロムの「シミュレーション仮説」が面白いのは、時間の流れの
自明性を哲学的に懐疑して、そのベクトルを反転させていることである。
(α→・・・・・/・・・・・←Ω)
私たちは通常、上記の記号のαのように、過去のある時点に生まれて、時が経過し、
現在(/)にまで至ると思っているが、状態αをシミュレーションや仮想として生み出した
のは、実は遠い未来に存在しているような超知性体Ωによる超高度なシミュレータであり、
その制作物による仮想的な効果と帰結に過ぎないのが、私たちが今生きている現実世界
の実相である、という仮説である。その遠い未来からの仮想技術が超高度であるため、
私たちは今生きている時空それ自体が既にフィクションであることに全く気づけないのである。
それに古代から気づいていたのが、先にあげた哲学者のプラトンである。だから、
プラトンのイデア論のイデアは、ここではΩに該当することが理解されよう これを更に敷衍していくと、宇宙の最初の巨大な一撃であるビッグバンも、端的な
遠い過去の宇宙現象αではなく、未来のΩからのシミュレーションによる効果-帰結に
過ぎないという観点を取り出せそうである。ここで、時間軸が奇妙にねじれていることに
気づくことができるであろう。あるいは、歪み、ウロボロス的な円環、マルチバース、
トンネル効果、量子論的なエンタングルメントなどが認識できることであろう。
私たちの常識や論理では、未来の時間や未来からの介入が、現在や過去の状態へと
作用をもたらすことなどは想定されていない。だが、こうした奇妙なねじれを発生
させている時空の構造などを想像させてくれるのも哲学者であったりするのである。 >>659
プラトン以外で、古代から世界の虚構性それ自体に気づいていた人物は
もう一人いる。それが釈迦である。だから釈迦は現象や世界、存在には実体がなく、
「一切は空である」と述べたのである(空観)。釈迦によれば私性、自我なども幻であり、
それらは本質的には実体のないものとされる。
よって、私の「マルチバース論」の文脈ではプラトンと釈迦がこのような観点で
接続されて、同一平面上の地平に浮上し、照射されて来るのである。 こうした哲学における思考実験や仮想的な考究は、「反事実的思考」 と呼ばれる
ものである。私のマルチバース論も実在の領域としてだけでなく、形而上学的な
仮想的な想定としてもこのマルチバースを使っていることは多くの人が既に
気づいていることであろう。それは、自明性のコードを脱コード化するヌーメノンでも
あるのである。
このように、私は哲学宇宙における「マルチバース論」の自論をこれまで展開して
きた。このことから分かるように、私の自説には、「ヌーメノン(仮想体)としての
マルチバース論」としての側面があり、単なる科学的な意味での、あるいは、
シミュレーション仮説としてのマルチバース論などとは一線を画するものであると、
考えている。 私としては、こういう仮説が真実だとか科学的に証明できないとか、オカルトとかは
どうでもよくて、単に実在論を否定する文脈で哲学的に扱う、といったスタンスになる。
だから、時空を自由に超えられるような「時をかける少女」がいてもいいだろうし、
いなくても別に問題はない。私はそれを「ヌーメノン(仮想体)としてのマルチバース論」や
「プラトンへ還れ」という哲学的な標語として使うだけなのであるから。
そもそもプラトンは「プラトン立体」などを構成できるくらいに数理能力に長けた
哲学者である。だから、そうした慧眼な哲学者として、この世界がそもそも実在では
ない、ということをはるか昔から洞察していたのかもしれない。歩みの遅い現代科学は、
未だ、古代哲学者のプラトンにさえ追いついてはいないようであるが、ようやくやっと
最近になって、プラトンの背後(影)くらいにまでは何とか近づけたようである。 なぜ、哲学者の方が、科学者よりも認識の射程が遠大、かつ深遠であるのか。それは、
哲学者が時空を超えた普遍的な相(イデア・形而上学)のもとで事象を日々探究して
いるからである。私の「マルチバース論」も同様であり、「今・ここ」にある宇宙だけが、
宇宙だとも世界だとも、物事の本質や実相だとも考えていないのと同じことである。
このように、哲学は自然科学を超えた「メタ認知」が可能な優れた認識的なあり方の
モデルの一つなのである。 プラトンやアリストテレスの根拠のない自然観がコペルニクスやケプラーの登場まで思考を縛り続けた罪を思えば哲学に期待するものなぞ無いと思うべきなんだよ
プラトンやカントは既に歴史上の遺物であって今更称揚するのはアホでしかねえよ 哲学ってのは呼吸みたいなもんで
わざわざやってるとか言うものではない
実践するときに実践する者がついでにやるだけ
哲学を専門にやってるなんて呼吸を専門にやってるくらいに恥ずかしい話
人間の知性があるなら恥ずかしすぎて生きることに耐えられないはず
生きていられる時点で脳に障害がある >>677
バカすぎてエネルギー保存則破る妄想
やはり哲学者はゴミ 弁証法知らない中卒無職の知ったかぶりwwwww
弁証法って人類史上最も多くの人を殺してる 哲学ってのは呼吸みたいなもんで
わざわざやってるとか言うものではない
実践するときに実践する者がついでにやるだけ
哲学を専門にやってるなんて呼吸を専門にやってるくらいに恥ずかしい話
人間の知性があるなら恥ずかしすぎて生きることに耐えられないはず
生きていられる時点で脳に障害がある >>677
0に近いとか意味ねーよ脳障害
試行が極めて多いんだから
脳障害低学歴はガチで期待値すら知らねえのなwww
ガチで中卒無職確定wwwww
高校通学経験なしwwwww エネルギー保存則はマルチバースで簡単に突破されているだろうな 光速度不変の原理も同じで、マルチバースの宇宙では、破られている可能性が高い 人は死なないも自明ではなく、マルチバース上の別の一つの宇宙に転送された状態を私達が認識できないから、死と呼んでいるだけのことかもしれないしなあ つまりナニもいえず役に立たないマルチバースで何か語ってるつもりのオカルトがなんだって? >>696
哲学者はマルチバースにより存在できないから突破不可能 >>699
つまりマルチバースとは低学歴無職が自分の人生を肯定するために妄想してるなろう系ラノベ妄想に過ぎないんよ 今お前の人生が終わってることに何の影響もしないぞ?ん? むしろそんなゴミみたいな言い訳に意味があるの思えてしまった時点でお前の低学歴無職が確定したとも言える 現実世界で負けたのは自分のせいじゃないという「ロジック」を作った瞬間
そいつは落ちるところまで落ち続ける
その瞬間に人間を辞めてるんだよ >>698
つまり低学歴無職殺してもOKやん
問題なしだ いずれにしても、今の科学の標準理論でものが分かったつもりになるのは馬鹿丸出しで、それだけで虫並みの頭しかないことが分かる。
千年後の科学やテクノロジーから見れば、現代の量子コンピュータは、昔のフロッピーディスクが入った旧型PCのような限定的な計算資源ものに過ぎない。つまり、そこでは現代の科学の標準理論のほとんどが破られている可能性さえあるだろう >>706
現実世界で負けたのは自分のせいじゃないという「ロジック」を作った瞬間
そいつは落ちるところまで落ち続ける
その瞬間に人間を辞めてるんだよ >>706
お前がゴミってことと何の関係があるんだ? 1000年後も今も変わらずマルチバース君は無価値なので安心だなw >>706
哲学者が妄想できない世界を想定できない時点で中卒無職の自白 >>709
どのマルチバースでも中卒無職だろうなwwww のび太がもしもボックスで「もしも魔法が使える世界になったら!」と世界を書き換えても
のび太は魔法学校で落ちこぼれだ
それが現実のマルチバース 無限の寿命と無限の世界を与えてもお前はゴミなんだよ GPTは確率論wwwwwwwwwww
こいつが魔法の世界に転移しても間違いなく基本魔法すら死ぬまで使えん ラノベ主人公からチートスキルを取り除いたゴミがお前 虫は論理とか言う割には、論理的思考力がゼロなんだよな 笑
論理の持つバグを指摘しているマルチバース論の俺の方が余程、論理的思考力があって笑える 1000年後とか夢想するんじゃなくて今この時代に己自身で証明する気概も自信も無いからマルチバースくんは無価値なんだよ >>716
お前はどの世界でも中卒無職だから無意味 >>717
今努力できない奴がいつ出来るってなwwwww どんな哲学よりもお前に必要な哲学
「明日やろうは馬鹿野郎」 フンコロガシ君は低知能の無能なので、フンを転がすか、哲学板のスレ荒らすくらいのことしか出来ないのだろうな
取り柄や何の芸が無い人間w
つまり、虫 どんな哲学よりもお前に必要な哲学
「明日やろうは馬鹿野郎」 GPTは確率論wwwwwwwwwww
こいつが魔法の世界に転移しても間違いなく基本魔法すら死ぬまで使えん
ラノベ主人公からチートスキルを取り除いたゴミがお前
ゴミすぎてモブとしてすら作品に出てこないのがお前だよ
どのマルチバースでもな? 俺みたいに、それなりに体系立てて論じられるのなら、まだ取り合う価値も多少はあるが、カントさえ読めない哲学知識ゼロのただのスレ荒らしの無職の構ってちゃんだからな、フンコロガシは お前が怠けてお前が何もできないゴミである現実に影響しない >>724
体系0
弁証法にしても全く理解してない
弁証法を虐殺の理論だと知らない時点で中卒無職を自白してる 弁証法はジェノサイドが正しいと結論できるんだよ脳障害低学歴無職wwww
障害者年金で暮らしてるとか死にたくならんの? しかも先天性障害じゃないよコイツ
怠けてバカすぎて仕事クビになりまくりだから詐病で精神病扱いしてもらってるだけ
生きてて恥ずかしくねえのか? わずかにでも教養があったら弁証法の肯定なんて出来るわけがない
この世界では弁証法の肯定はホロコースト否定論と等価だ 体系的理解0の知ったかぶりである証拠
弁証法肯定は無いわwwww
生きてて恥ずかしくないのか? ほーら弁証法の意味すら知らないから知ったかぶりバレちゃったwwwwwwww
死ね障害者年金詐病キチガイ そもそも弁証法を意味があると思えた奴で人間の知能持ってた奴は居ない マルクスバカすぎて数学全くわからずに無意味なデタラメ残してるの最高にウケるんだよなあwwww
ここまでバカだから弁証法で虐殺正当化したのなってわかるwwwww 低学歴って知ったかぶりしてるだけで体系的知識0だから
マルクスの思想が資本論に書かれてると妄想してそうwwwww マルクスの独裁肯定理論が何に書かれてるのか低学歴は死ぬまで調べることすら出来ないだろうなあwwww ChatGPTも意味ないよ
学習データに多く出てくるものを真実と思い込んでるからなwww
「多くの馬鹿が思い込んでる俗説」しか出ませーんwwwwww 国家体制が爆発律を満たすとき何が出来るのか?
それを証明したのがソ連な?
低学歴無職は「ソ連は失敗国家でマルスクの理論をちゃんと実践できなかっただけ」とか知ったかぶりしてるんだろうなあwwwwwww ソ連は純粋かつ完全にマルクスの理想を実践したんだよ
マルクスが望んだことと寸分の狂いもない
低学歴無職はこれがわかってない
文字が読めてないからなあwwww その基礎になったのが弁証法だ
爆発律を導入出来る非論理的妄想の一つ 弁証法を肯定してる奴はホロコースト否定論者と何も変わるところがない
知ったかぶりもいいところ そんなことすら知らずに体系的理解wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
よく自殺しないで居られるな無職 歴史上最も多くの人を殺したのは弁証法だよ
核兵器でもないし戦争でもない
こんなことすら知らない中卒無職無教養wwwww >>683
において、プラトンと仏陀が認識論的に同一地平線上に存在することを私は
簡単に指摘しておいた。さらに、このことについて敷衍していこう。たとえば、
プラトンにおいては真実世界は「イデア」として、人間の身体や脳や心が作る表象とは
別のレイヤーにあることを想像した。このためプラトンのイデア論はミメーシス(想起)として、
朧気に表象されうるものである。これに対し、仏陀では「涅槃」がプラトンでいうところの
「イデア」と対応しているように考えられる。仏陀にとって、この形而下は人間の欲望が
生成する幻や苦の世界であり、仮現象のようなものに過ぎなくなる。そのため、欲望を
捨てた解脱による「涅槃」へと至ることが、悟りとされ、正しい人間のあり方とされる。
プラトンと仏陀に共通する要素は、身体性の軽視である。プラトンにおいては身体や
肉体は牢獄であり、悪とされる。この身体軽視の視点はキリスト教などの宗教にも
同様に見られる共通傾向である。仏陀であれば、身体は不浄観のもと、汚れたもの、
として軽視すべきものとして扱われている。このように、プラトンではイデアとして、
仏陀においては、涅槃として共に形而下的なもの、世俗的なものは軽視されて、
永遠の相のもとでの、イデア、涅槃という本来的なものが共に志向されているのである。 現代の大規模言語モデルや生成AIの誕生には、哲学者の認識論的な系譜による
影響が考えられる。たとえば、以下のようにである。具体的な時系列や影響関係は
ここでは重視していない。
┌───────► │ プラトン │┌───────► │ アリストテレス │
┌───────► ベーコン ┌───────► デカルト ┌───────►
ライプニッツ ┌───────►カント┌───────►フレーゲ,ブール
ここで言いたいのは、カントが現代のAIに直接、間接的な影響を与えているという
ことではなく、哲学者達における、脳優位かつ身体軽視の知のパラダイムが現代の
AIの最先端モデルや仕様に継承されている、という観点である。つまり、AIは身体性を
持たない人間の脳や神経ネットワークの仮想的な写像や表象機構のことなのである。
これは大規模言語モデルにおいても同様であり、インタフェースこそ一応は存在するが、
実際には人間の身体性に属するものはそこには存在せず、あくまで人間の脳機能の
写像やその拡張、あるいは、ブラックボックスがあるだけである。 つまり、AIやポスト・ヒューマンの意匠には、哲学者の系譜に見られるような脳優位、
ロジック優位、形而上学的な知のモデルが隠れた変数として存在していることを
私は指摘したいのである。私の「マルチバース論」もそうしたロジック優位の形而上学的な
要素があるので、やはりプラトンからの哲学的な認識論の正当な系譜に属しているものである
ことが分かるだろう。
マルチバース論において、マルチバースの実体や構造が定かでない(構造自体が
無いケースも想定できる)、という点でそれはブラックボックスや形而上学的な要素を
内包していると言える。つまり、汎用AIにもそうした既存の関数や論理に包含され得ない
形而上学的な未知数が展開されうるという認識が私の立場となる。ここでは、
未来の汎用AIやポスト・ヒューマンが古代のプラトン的なイデア論と時空のベクトル
を反転させながら接続されてくるのである。 シミュレーション仮説の分析において、私は時間のベクトルがウロボロス的に、
量子論的にねじれている可能性を指摘しておいたが、それと同様のねじれが、
やはり、ここでも記述されてくるのである。 >>748
歴史上最も多くの人を殺したのは弁証法だよ
核兵器でもないし戦争でもない
こんなことすら知らない中卒無職無教養wwwww >>749
歴史上最も多くの人を殺したのは弁証法だよ
核兵器でもないし戦争でもない
こんなことすら知らない中卒無職無教養wwwww >>749
大規模言語モデルにそのゴミどもの恥ずかしい妄想は1ビットもつかわれてない
自殺せよ知ったかぶり >>751
歴史上最も多くの人を殺したのは弁証法だよ
核兵器でもないし戦争でもない
こんなことすら知らない中卒無職無教養wwwww >>749
全く継承などされてない
1ビットも使われてない >>751
歴史上最も多くの人を殺したのは弁証法だよ
核兵器でもないし戦争でもない
こんなことすら知らない中卒無職無教養wwwww どんな哲学よりもお前に必要な哲学
「明日やろうは馬鹿野郎」 田舎者のフンコロガシ君は、東京都知事の小池百合子さえアウフヘーベンと言ってることさえ知らないのな
笑 メタなレイヤーを使った矛盾の止揚ということだよ。哲学でも大事な観点になる >>683
において、プラトンと仏陀が認識論的に同一地平線上に存在することを私は
簡単に指摘しておいた。さらに、このことについて敷衍していこう。たとえば、
プラトンにおいては真実世界は「イデア」として、人間の身体や脳や心が作る表象とは
別のレイヤーにあることを想像した。このためプラトンのイデア論はミメーシス(想起)として、
朧気に表象されうるものである。これに対し、仏陀では「涅槃」がプラトンでいうところの
「イデア」と対応しているように考えられる。仏陀にとって、この形而下は人間の欲望が
生成する幻や苦の世界であり、仮現象のようなものに過ぎなくなる。そのため、欲望を
捨てた解脱による「涅槃」へと至ることが悟りとされ、正しい人間のあり方とされる。
プラトンと仏陀に共通する要素は、身体性の軽視である。プラトンにおいては身体や
肉体は牢獄であり、悪とされる。この身体軽視の観点はキリスト教などの宗教にも
同様に見られる共通傾向である。仏陀であれば、身体は「不浄観」のもと、汚れたもの、
として軽視すべきものとして扱われている。このように、プラトンではイデアとして、
仏陀においては、涅槃として共に形而下的なもの、世俗的なものは軽視されて、
永遠の相のもとでの、イデア、涅槃という本来的なものが共に志向されているのである。 現代の大規模言語モデルや生成AIの誕生には、哲学者の認識論的な系譜による
影響が考えられる。たとえば、以下のようにである。具体的な時系列や影響関係は
ここでは重視していない。
┌───────► │ プラトン │┌───────► │ アリストテレス │
┌───────► ベーコン ┌───────► デカルト ┌───────►
ライプニッツ ┌───────►カント┌───────►フレーゲ,ブール
ここで言いたいのは、カントが現代のAIに直接、間接的な影響を与えているという
ことではなく、哲学者達における、脳優位かつ身体軽視の知のパラダイムが現代の
AIの最先端モデルや仕様に継承されている、という観点である。つまり、AIは身体性を
持たない人間の脳や脳神経ネットワークの仮想的な写像や表象機構のことなのである。
これは大規模言語モデルにおいても同様であり、インタフェースこそ一応は存在するが、
実際には人間の身体性に属するものはそこには存在せず、あくまで人間の脳機能の
写像やその拡張、あるいは、ブラックボックスがあるだけである。 つまり、AIやポスト・ヒューマンの意匠には、哲学者の系譜に見られるような脳優位、
ロジック優位、形而上学的な知のモデルが隠れた変数として存在していることを
私は指摘したいのである。私の「マルチバース論」もそうしたロジック優位の形而上学的な
要素があるので、やはりプラトンからの哲学的な認識論の正当な系譜に属しているものである
ことが分かるだろう。
マルチバース論において、マルチバースの実体や構造が定かでない(構造自体が
無いケースも想定できる)、という点で、やはりそれはブラックボックスや形而上学的な
要素を内包していると言える。また、汎用AIにもそうした既存の関数や論理に包含され
得ない形而上学的な未知数が展開されうるという認識が私の立場となる。ここでは、
未来の汎用AIやポスト・ヒューマンが古代のプラトン的なイデア論と時空のベクトル
を反転させながら接続されてくるのである。 シミュレーション仮説の分析において、私は時間のベクトルがウロボロス的に、
量子論的にねじれている可能性を指摘しておいたが、それと同様のねじれが、
やはり、ここでも記述されてくるのである。 最初に、哲学は本質を思考する認識論的な態度であると私は述べた。また、
この本質は一般性や常識とも違うことも述べた。哲学的な認識論による事象の
解明は、むしろ、常に常識的な見解とは反するものである。
そのため哲学は、アンチテーゼの性質を持つ。論理へのアンチテーゼであれば、
弁証法であり、これはヘーゲルから始まって、それがマルクスの唯物論的弁証法へと
批判的に継承された。デリダであれば脱構築という形で、既存のヒエラルキー構造や
その境界を一度、覆してみせて、そこにイデオロギー的な抑圧装置が作動している
ことを解明した。 サルトルの実存主義であれば、即自態-対自態という構造から人間の、モノや
動物とは違う本質的な存在論的な構造を詳述した。ドゥルーズであれば、
差異のコードという形式や運動で、既存のコードからの脱コード化や差異化が
同じく既存のヒエラルキーからの脱出として称揚された。それがリゾーム(根茎)と
いう水平運動と新たなコードの複雑な生成過程である。
ベネターの「反出生主義」であれば、「もし人間が生まれていなければ」Xという非知の
状態と、今の災いだらけ(predicament)の人類世界を比較して、生まれない方が良い、
という哲学的な判断を記述した。当然ながらXの状態は不明であり、そこにどのような
状態が実際あるのか、あるいは、ただの意識のない無が広がっているかは定かでないので、
ベネターはやはり、プラトン同様の形而上学的な要素を前提にして、物事を仮想的に
考究しているのである。その意味で、反出生主義も哲学的な考究であると言える。 こうした哲学における思考実験や仮想的な考究は、「反事実的思考」 と呼ばれる
ものである。私のマルチバース論も実在の領域としてだけでなく、形而上学的な
仮想的な想定としてもこのマルチバースを使っていることは多くの人が既に
気づいていることであろう。それは、自明性のコードを脱コード化するヌーメノンでも
あるのである。
このように、私は哲学宇宙における「マルチバース論」の自論をこれまで展開して
きた。このことから分かるように、私の自説には、「ヌーメノン(仮想体)としての
マルチバース論」としての側面があり、単なる科学的な意味での、あるいは、
シミュレーション仮説としてのマルチバース論などとは一線を画するものであると、
考えている。 つまり、私のマルチバース論における標語は、「プラトンへ還れ」である。プラトンは
古代から既にこの世界が実在ではなく、イデアという真実世界から投影された
微弱な影のようなもの、仮想、だまし絵に過ぎない、ということを哲学的に指摘してきた。
現代でもようやく科学において、宇宙の多元性、並行宇宙などが考察されるように
なってきたが、何のことはない、それはプラトンが古代ギリシャでとっくの昔に指摘した
ことに、ようやく現代科学や科学者たちが朧気に気づき始めた、というだけのことである。 ベクトルを学んだことがある者は、「正射影ベクトル」というのを聞いたことが
あるであろう。それは地面に斜めに刺さった棒に真昼の陽光が射す時に作る
棒の影のようなものである。先にも述べたように、プラトンのイデア論は、この
正射影ベクトルの極限形態とでも表現できるかもしれない。
また、ハイデガー的な表現を取るのであれば、この世界は、「世界-内-存在」
であり、私たちはその内部に住まう「現存在」である言えるが、プラトンによると
この「世界-内-存在」は蜃気楼のような微弱な性質を伴う、非実在的な虚構の
ごとき世界という認識であり、私たちは外にある本当の実在の世界(イデア)を
知らない暗い洞窟に住まう人間という状況に置かれていることになる。あるいは、
洞窟の中で、いくつもの幻の映画を見ているだけに過ぎないのを現実そのものと
錯覚している無知の状態に置かれている者、とでも表現できるかもしれない。 こうしたプラトンのイデア論のように、形而上学は流行りの一時的なテクノロジーや
特定の期間だけで通用するような科学の標準理論などには依らず、時空を超えた
普遍的な相のもとで事象を本質的に考究していくことが要請されるような認識論的
態度を有している。こうした性質から、形而上学は人々の持つ自明性や共同幻想、
多数派の持つイデオロギーのバグ(欠陥)などを指摘できるメタ視点に立脚できるのである。
マルクス主義であれば、当然、私たちが現在住まう資本主義社会へのアンチテーゼと
なるような系統の思想を内包させていることは明らかである。これは、決して共産主義を
直ちに採用せよ、などという短絡を要請するものではない。そうではなく、資本主義社会の
問題点をマルクス主義という系統の異なる鏡へ写すことで(転写)、資本主義イデオロギーの
自明性を一度、根底から懐疑したり、そこに改良や改善のレイヤーを生成させることが可能に
なる、というのがこうした思想や形而上学的なものの功利主義的な利点となる側面がある
のである。 これは日本人の欠陥は日本人自身には分からないのと同じ構造である。そこに
エトランジェという異邦人、外国人の視点のもとで日本や日本人を第三者の視点で
見るからこそ、その独自性やガラパゴス的閉塞を打開するキー(cue)を得られるのと
同じことである。形而上学は、形而下的なものに対する、そうした第三者の視点を
もたらしているのであり、それゆえに、その形而上学的な射影は価値を有しているのである。 >>775
歴史上最も多くの人を殺したのは弁証法だよ
核兵器でもないし戦争でもない
こんなことすら知らない中卒無職無教養wwwww どんな哲学よりもお前に必要な哲学
「明日やろうは馬鹿野郎」
これを実践せずに怠けたから低学歴無職なんだよ
だから弁証法すら理解できない
バカだから マルチバースくんみたいなのがのさばるのが哲学の欠陥だな
実際の技術の中身を理解せずに現代AIを語ろうとしてプラトンだの釈迦だの言い出し長々と文章だけ長いが中身は程度の低い心身二元論もどきなんだわ
つまり中身が無い何も新しくない
むしろ手垢のついた紋切り型
ChatGPTに頼れば賢くなれると勘違いした自分で考えない人間の末路がマルチバースくんだよ プラトンが「イデア」の観点で惑星の運動は真円で有るべしとした誤りの修正にケプラーまで待たねばならなかったことを思えば、いくらマルチバースくんが「イデア」を振りかざしたところで今更なんの価値もないよ
事実の照合を経ない理屈をこねくり回したたところで価値はない 哲学ってのは呼吸みたいなもんで
わざわざやってるとか言うものではない
実践するときに実践する者がついでにやるだけ
哲学を専門にやってるなんて呼吸を専門にやってるくらいに恥ずかしい話
人間の知性があるなら恥ずかしすぎて生きることに耐えられないはず
生きていられる時点で脳に障害がある >>780
哲学は2000年間何も進歩してない
だって現実世界の話をしてないから >>781
哲学は人類の進歩にとって害しか及ぼしてない 害しか及ぼさないのは当たり前
実践により実証されてないから
哲学と乱数表が違うものに見えているならそいつには論理的思考力と分析力が欠けているだけの話 >>775
弁証法はイデオロギーのバグそのもので
人類史上最も多くの人を殺した思想 弁証法という哲学的妄想が人類を滅ぼそうとした
それを止めたのが科学な?
無教養にも程がある >>780
AIで知ったかぶりしようとしてもクレカ作れない無職だからGPT3.5しか使えずバカすぎるのウケるよなwwww 弁証法は大衆を抑圧し反対者を虐殺することを「科学的」と呼ぶことを可能にする これが哲学だ
ジェノサイドを正当化できてしまう思想のバグ 言語モデルは言語モデルであって知能じゃない
文字の読み書きすらできてないなコレ 哲学は例外なく人類にとって害しか及ぼさないのは当たり前
実践により実証されてないから
哲学と乱数表が違うものに見えているならそいつには論理的思考力と分析力が欠けているだけの話 中卒無職ってすげえよなwwww
工業高校すら受からないんだぜwwwwwww
コンビニバイトすらクビになるんだぜwwwwwww そういう脳障害が哲学の単語並べててもオウムの鳴き声にしか聞こえん AIで知ったかぶりしようとしてもクレカ作れない無職だからGPT3.5しか使えずバカすぎるのウケるよなwwww ベクトルを学んだことがある者は、「正射影ベクトル」というのを聞いたことが
あるであろう。それは地面に斜めに刺さった棒に真昼の陽光が射す時に作る
棒の影のようなものである。先にも述べたように、プラトンのイデア論は、この
正射影ベクトルの極限形態とでも表現できるかもしれない。
また、ハイデガー的な表現を取るのであれば、この世界は、「世界-内-存在」
であり、私たちはその内部に住まう「現存在」である言えるが、プラトンによると
この「世界-内-存在」は蜃気楼のような微弱な性質を伴う、非実在的な虚構の
ごとき世界という認識であり、私たちは外にある本当の実在の世界(イデア)を
知らない暗い洞窟に住まう人間という状況に置かれていることになる。あるいは、
洞窟の中で、いくつもの幻の映画を見ているだけに過ぎないのを現実そのものと
錯覚している無知の状態に置かれている者、とでも表現できるかもしれない。 こうしたプラトンのイデア論のように、形而上学は流行りの一時的なテクノロジーや
特定の期間だけで通用するような科学の標準理論などには依らず、時空を超えた
普遍的な相のもとで事象を本質的に考究していくことが要請されるような認識論的
態度を有している。こうした性質から、形而上学は人々の持つ自明性や共同幻想、
多数派の持つイデオロギーのバグ(欠陥)などを指摘できるメタ視点に立脚できるのである。
マルクス主義であれば、当然、私たちが現在住まう資本主義社会へのアンチテーゼと
なるような系統の思想を内包させていることは明らかである。これは、決して共産主義を
直ちに採用せよ、などという短絡を要請するものではない。そうではなく、資本主義社会の
問題点をマルクス主義という系統の異なる鏡へ写すことで(転写)、資本主義イデオロギーの
自明性を一度、根底から懐疑したり、そこに改良や改善のレイヤーを生成させることが可能に
なる、というのがこうした思想や形而上学的なものの功利主義的な利点となる側面がある
のである。 これは日本人の欠陥は日本人自身には分からないのと同じ構造である。そこに
エトランジェという異邦人、外国人の視点のもとで日本や日本人を第三者の視点で
見るからこそ、その独自性やガラパゴス的閉塞を打開するキー(cue)を得られるのと
同じことである。形而上学は、形而下的なものに対する、そうした第三者の視点を
もたらしているのであり、それゆえに、そうした形而上学的な射影は価値を有している
のである。 現代の社会はカントがいうところの、形而下的な「構成的原理」ばかりが重視されており、
形而上学的な「統制的原理」を安直に捨象してしまうため、人間も社会も簡単に腐りやすく
なるのだと考えられる。理念やヴィジョンを持たない者は、人間というよりは、虫に近いという
ことだろう。金のことばかり言う守銭奴もそうだが。それは自分が崇高な理念やヴィジョンを
まるで持たない下等な人間であると、自己申告しているようなものである。 哲学の良いところは形而下的、一般社会的な「構成的原理」のみならず、
崇高な理念、不可視なるもの、ヴィジョン等、カントがいうところの形而上学的な
「統制的原理」をも扱えるからである。つまり、人間として、片手落ちにならずに済む、と
いうことであろう。たとえば、理念を失った下衆な人間は、資本主義の走狗になったりもする。
なぜなら、今の社会のトレンドが資本主義社会であるため、一過性のものだけに最適化
して、全体性や普遍性、崇高な理念やイデアを見失うのである。 カントのいう「統制的原理」は、時空を超えた普遍的な相のもとでの概念になるので
一過性、つまり、いつかは変わったり、覆されたりする科学の標準理論や現代の
社会的な価値観、慣習などとは全く異なるフェーズにある汎化的なものとなることであろう。
そのため、形而上学的な理念やヴィジョンを喪失した者は、その場のトレンドや流行、
現在の科学の標準理論だけで思考停止してしまうような、反知性主義的な存在や
主体へと頽落しやすいともいえる。現代であれば資本主義の時代だから、形而下だけなら
拝金主義者となって腐敗し、気候変動などのことはお構いなしに、己のエゴを充たす
ことだけに日々、奔走するような人間的下等性を帯びることにもなりやすい
それは哲学や形而上学なき者の陥る陥穽でもある 現代の大規模言語モデルや生成AIの誕生には、哲学者の認識論的な系譜による
影響が考えられる。たとえば、以下のようにである。具体的な時系列や影響関係は
ここでは重視していない。
┌───────► │ プラトン │┌───────► │ アリストテレス │
┌───────► ベーコン ┌───────► デカルト ┌───────►
ライプニッツ ┌───────►カント┌───────►フレーゲ,ブール
ここで言いたいのは、カントが現代のAIに直接、間接的な影響を与えているという
ことではなく、哲学者達における、脳優位かつ身体軽視の知のパラダイムが現代の
AIの最先端モデルや仕様に継承されている、という観点である。つまり、AIは身体性を
持たない人間の脳や脳神経ネットワークの仮想的な写像や表象機構のことなのである。
これは大規模言語モデルにおいても同様であり、インタフェースこそ一応は存在するが、
実際には人間の身体性に属するものはそこには存在せず、あくまで人間の脳機能の
写像やその拡張、あるいは、ブラックボックスがあるだけである。 つまり、AIやポスト・ヒューマンの意匠には、哲学者の系譜に見られるような脳優位、
ロジック優位、形而上学的な知のモデルが隠れた変数として存在していることを
私は指摘したいのである。私の「マルチバース論」もそうしたロジック優位の形而上学的な
要素があるので、やはりプラトンからの哲学的な認識論の正当な系譜に属しているものである
ことが分かるだろう。
マルチバース論において、マルチバースの実体や構造が定かでない(構造自体が
無いケースも想定できる)、という点で、やはりそれはブラックボックスや形而上学的な
要素を内包していると言える。また、汎用AIにもそうした既存の関数や論理に包含され
得ない形而上学的な未知数が展開されうるという認識が私の立場となる。ここでは、
未来の汎用AIやポスト・ヒューマンが古代のプラトン的なイデア論と時空のベクトル
を反転させながら接続されてくるのである。 未来の大規模言語モデルや汎用AIの問題点は、精緻な予測こそ出来るが、なぜ
その解へと至ったのか、その過程や理路を全く説明できないだけでなく、数式にも
置き換えることさえできない点である。それはAIのパラメーター数が膨大過ぎて、
人間の言語や論理のコードの枠組みを遥かに超過しているゆえに起こる不可視な
状態でもある。要するに汎用AIは予測だけはできるが、なぜその予測に至ったのかは
誰にも説明できない、一種の黒魔術のような、あるいは、シャーマンや巫女、降霊術の
ような趣きを呈するのが生成AIや未来の汎用AIテクノロジーの持つ射影であると言える。 これはAIのブラックボックス問題そのものであるが、このことから分かる通り、未来の
テクノロジーは形而上学的な不明瞭さを多分に包含した仕様になっているのである。
このため私たちは、仕様がよく分からない怪しい魔術的なテクノロジーを土台にして、
これからの経済社会を運営していこうという、危うい状況にあることをまず、哲学的に
認識しておくべきであろう。形而上学の場合は、カントの統制的原理のように理念や
ヴィジョンを内包しているが、果たして、汎用AIではそれに対応するものは存在する
のであろうか >形而上学的な不明瞭さ
これは人類の始めからあることで、言うも更なり。
しょせん、哲学はそれを克服できない。もちろん自然科学も。
宗教・・、というより釈迦の見解が、それを克服している。 紀元前の頃には、科学、哲学、宗教は未分化だった。
しかし21世紀の今は、それらは各々その領分を定め、
かつ互いに侵犯しないことにしている。
しかし友好的にではなく、敵対的にである。
各々に、各々の言い分はあろうが、三者のどれかが
特別に勝ていることはないのが実態だ。 >>806
AIで知ったかぶりしようとしてもクレカ作れない無職だからGPT3.5しか使えずバカすぎるのウケるよなwwww 低学歴無職は使えるAIにも格差がwwwwwwwwww
最高にウケるwwwww >>801
弁証法でスターリンの虐殺は正当化されたけど? 低学歴がググってもChatGPT使っても共産主義の定義すら知ること不可能だろうなwwww
だってマルクスは資本論に共産主義の定義すら書いてねえしwwwww 本当にマルクスの思想が書かれてるのは「ヴァイデマイヤーへの手紙」とか「ゴータ綱領批判」なんだけど
低学歴は死ぬまでそこに辿りつけませんwwww
どんな道具を使ってもなwwwwww 弁証法は大量虐殺を「科学的」と言い換えることを可能にする
「1984年」のニュースピークそのものだ 哲学は核兵器より人を殺してる
中卒無職は無教養だからそんなことすら知らないのか >>807
そんなもの低学歴の頭の中にしかないよ
85 考える名無しさん[] 2023/11/25(土) 19:12:40.02 0
・爆発律を避けるには意味と記号が一対一で対応しなければならない
・トートロジーでも意味を持たせるには実践により概念を実証するしかない
たったこれしかない
これをチェックしながらバカ哲学者の本とか読むと
どこで詐欺やってるからすぐにわかるぞ
「あ、こいつ断りなく言葉の定義変えやがったwwwwもうここから論理は存在しねえわwwww」
って 弁証法は大量虐殺を「科学的」と言い換えることを可能にした
「1984年」のニュースピークそのものだ >>802
弁証法はスターリンの大量虐殺を「科学的」と言い換えることを可能にした
「1984年」のニュースピークそのものだ >>802
弁証法はスターリンの大量虐殺を「科学的」と言い換えることを可能にした
「1984年」のニュースピークそのものだ >>804
現代のAIが形而上学的知のモデルなんぞの影響下にあるなんてのは全くの妄想でしかない。
80年代にはAIの研究として抽象論理を実行するモデル、いわば形而上学実行マシンの研究が盛んだったが知性のあるAIの作成という意味での客観的評価としては失敗に終わってる。
その後の機械学習、深層学習を経た現代のAIのキモは大量のデータという名の「事実の束」から構築されたネットワークがまるで人の脳が行うような処理を行える点にある。現実世界で通用する振る舞いをAIが獲得するためには、形而上学が必要だったのではなく、まさに事実という名のデータによる裏付けが必要だったわけだよ。
知性の実行に形而上学は必要なかった。
これが現代的なAIが示してる真実だ。
形而上学は名実ともに死んだんだよ。 AI齧ってれば誰でも知ってる常識レベルの話だから流石に知ってるだろ >>308
において、私は数学の分野にある「測度論」のことに触れておいた。そこにも
述べてある通り、科学や数学、論理の本質には「測る」ということが備わっている。
それは大規模言語モデルでも生成AIでも同じで、未知の状態Xを予測するという
仕方で、やはり測っているのである。微分方程式も同じである。それは人口動態など、
未来の状態Xが過去や今の状態からどのように遷移していくかを微分方程式式と
してモデル化していくのである。 カントが「統制的原理」と「構成的原理」の位相的差異を上手くカテゴライズしたが、
ここで行われている古典的論争とも言える形而上学批判は、この両カテゴリーの
混濁からくる誤謬推論のような観を呈していると言える。形而上学や思想、宗教
のように「統制的原理」に帰属する「測れないもの」と、科学や論理、数学の公理の
ような「構成的原理」に属する「測れるもの」を混濁させて一緒にしながら論じるのは
カテゴリーミスや認識論的な越権行為、あるいは侵犯とさえ言えるであろう。 科学は、もちろん現代社会の基底を成すものであり、形而下的なものとしては
依然として価値があるものであるだが、形而下や科学だけでは、やはり存在論的には
片手落ちになるのである。要するに、人間はそんなアンバランスな状態に自足したり、
満足することは出来ないのである。よって、世界各国において、未だ原始的なものも含めて、
宗教や風習、慣習、哲学、思想への高いニーズがあり、依然としてそれらが廃れる傾向に
ないことも頷けるのである。マルクス主義的なものも、未だ世界的に人気があるのである。 それはなぜかと言うと、科学や数学、論理では、形而上学的なカテゴリーに属して
いるような倫理的な領域への言及が原理的に不可能だからである。それらは元々、
価値や倫理のカテゴリーに属するものでなく、「測る」という実践、実用、応用、
あるいは、抽象的な理論や論理に属し、それらに基づいている別カテゴリーのもの
だからである。 それに対し、哲学や宗教、思想は「測りえないものを測る」、もしくは、「測りえない
ものへの畏敬」があるので、そうしうた崇高さが人々の心を捉えたり、精神的な充足感や
生きる意味や価値を与えたり、もたらしたりもできるのである。認識論的に区分するので
あれば、科学や数学、論理は命題的なものであり、哲学や思想、宗教は価値判断的なもの、
すなわち倫理的な領域をその射程の中に包含していると言える。 つまり、倫理的な領域にあるものこそ、科学の言葉では語りえないもの、すなわち
形而上学が扱える対象となるのである。ウィトがそれについてどう考えていたかは知らないが、
倫理的な次元にあるものを科学や論理が基礎付けられないことは自明である。よって、
宗教のみならず、哲学や思想もこうした形而上学的な領域、倫理的な次元にある、
科学のスケールでは決して測ることのできない「超越的価値」を志向出来るのである。 形而上学の定義が違ってるな
こっちは純粋な論理で構成できる世界を形而上学としていて宗教や倫理は含まれていない
宗教や倫理が語り得ないものであるのは当然として、そこを科学が攻撃してるわけではない。
まああの人は別の見解のようだが。
哲学は純粋な形而上学だろ死んでんじゃね?
というのがこっちの主張。 >>822
>現代のAIのキモは大量のデータという名の「事実の束」から構築されたネットワークがまるで人の脳が行うような処理を行える点にある
フンコロガシ君と同じくらいバカ丸出し。NN自体が脳神経のネットワークをモデル化して
作られたものなのだから、そうなるのは当たり前。よって、0点の意見 >>824
>>802
弁証法はスターリンの大量虐殺を「科学的」と言い換えることを可能にした
「1984年」のニュースピークそのものだ >>825
>>802
弁証法はスターリンの大量虐殺を「科学的」と言い換えることを可能にした
「1984年」のニュースピークそのものだ >>826
>>802
弁証法はスターリンの大量虐殺を「科学的」と言い換えることを可能にした
「1984年」のニュースピークそのものだ >>827
>>802
弁証法はスターリンの大量虐殺を「科学的」と言い換えることを可能にした
「1984年」のニュースピークそのものだ >>828
>>802
弁証法はスターリンの大量虐殺を「科学的」と言い換えることを可能にした
「1984年」のニュースピークそのものだ >>829
>>802
弁証法はスターリンの大量虐殺を「科学的」と言い換えることを可能にした
「1984年」のニュースピークそのものだ >>831
アホかそれをこっちが指摘してるんだわ
どこに形而上学モデルがでてくるんだよ >>831
どこに確率が出てくるんだ?ん?
自殺しとけ >>308
において、私は数学の分野にある「測度論」のことに触れておいた。そこにも
述べてある通り、科学や数学、論理の本質には「測る」ということが備わっている。
それは大規模言語モデルでも生成AIでも同じで、未知の状態Xを予測するという
仕方で、やはり測っているのである。微分方程式も同じである。それは人口動態など、
未来の状態Xが過去や今の状態からどのように遷移していくかを微分方程式式と
してモデル化していくのである。 カントが「統制的原理」と「構成的原理」の位相的差異を上手くカテゴライズしたが、
ここで行われている古典的論争とも言える形而上学批判は、この両カテゴリーの
混濁からくる誤謬推論のような観を呈していると言える。形而上学や思想、宗教
のように「統制的原理」に帰属する「測れないもの」と、科学や論理、数学の公理の
ような「構成的原理」に属する「測れるもの」を混濁させて一緒にしながら論じるのは
カテゴリーミスや認識論的な越権行為、あるいは侵犯とさえ言えるであろう。 科学は、もちろん現代社会の基底を成すものであり、形而下的なものとしては
依然として価値があるものである。だが、形而下や科学だけでは、やはり存在論的には
片手落ちになるのである。要するに、人間はそんなアンバランスな状態に自足したり、
満足することは出来ないのである。よって、世界各国において、未だ原始的なものも含めて、
宗教や風習、慣習、哲学、思想への高いニーズがあり、依然としてそれらが廃れる傾向に
ないことも頷けるのである。マルクス主義的なものも、未だ世界的に人気があるのである。 それはなぜかと言うと、科学や数学、論理では、形而上学的なカテゴリーに属して
いるような倫理的な領域への言及が原理的に不可能だからである。それらは元々、
価値や倫理のカテゴリーに属するものでなく、「測る」という実践、実用、応用、
あるいは、抽象的な理論や論理に属し、それらに基づいている別カテゴリーのもの
だからである。 それに対し、哲学や宗教、思想は「測りえないものを測る」、もしくは、「測りえない
ものへの畏敬」があるので、そうした崇高さが人々の心を捉えたり、精神的な充足感や
生きる意味や価値を与えたり、もたらしたりもできるのである。認識論的に区分するので
あれば、科学や数学、論理は命題的なものであり、哲学や思想、宗教は価値判断的なもの、
すなわち倫理的な領域をその射程の中に包含していると言える。 つまり、倫理的な領域にあるものこそ、科学の言葉では語りえないもの、すなわち
形而上学が扱える対象となるのである。ウィトがそれについてどう考えていたかは知らないが、
倫理的な次元にあるものを科学や論理が基礎付けられないことは自明である。よって、
宗教のみならず、哲学や思想もこうした形而上学的な領域、倫理的な次元にある、
科学のスケールでは決して測ることのできない「超越的価値」を志向出来るのである。 なんで、このスレって体系立てて意味ある、まともなことを述べられる人間がいつも
俺しかいないの?おかしいな。あと >>843に
>人間はそんなアンバランスな状態に自足したり、満足することは出来ないのである
こういうアンバランスな人間、このスレにいたような記憶がある。人間として片手落ちになると、
精神まで病むようになるのが分かる好例だ >>841
>>829
>>802
弁証法はスターリンの大量虐殺を「科学的」と言い換えることを可能にした
「1984年」のニュースピークそのものだ >>844
>>829
>>802
弁証法はスターリンの大量虐殺を「科学的」と言い換えることを可能にした
「1984年」のニュースピークそのものだ >>845
>>829
>>802
弁証法はスターリンの大量虐殺を「科学的」と言い換えることを可能にした
「1984年」のニュースピークそのものだ 以上のように、形而上学的なものは科学や論理が決して扱えない倫理的な領域や
価値判断的な対象を扱えることを私が解明しておいた。次に科学の抱えているバグを
もう一度、今度は非ヒューム的な観点から考察していこう。
マルサスの人口論は有名であるが、現在、地球人口数が80億人ほど存在している。
また現在の地球人口数に対する飢餓人口数は、食料安全保障の最新報告書によると、
8億2800万人にも上ると言われている。そして、飢餓人口数は新型コロナの流行以来、
1億5千万人も増えている。つまり、世界人口が増えれば、それだけ食べられる人が減る、
飢餓や餓死者が増える、という当たり前の現実を指している。最近の世界的な食料品、
エネルギー価格の高騰もこうした傾向の現れであり、今後もこの趨勢は続くと考えられる 現代社会は科学やテクノロジーの発展をベタに称揚するが、それが今のような地球規模の
人口爆発を生み出し、先進国によるグローバル・サウスからの資源掠奪、乱開発に
よって、貧しい国々に飢餓や貧困、不幸をもたらしていると言える。
また、先進国においても、医療テクノロジーや生殖技術の発達によって、長寿化が
進み、これが地球資源のリソースを大量に喰い、気候変動をもたらすような環境破壊を
作っているのが、科学やテクノロジーが生み出している現実であり、それらが持つ副産物や
副作用であると言える。さらに幹細胞の研究等で、さらなる長寿化が進めば、世界的には、
ますます食料や資源、安全な水が枯渇し、飢餓が増え、地球環境がさらに破壊され、
悪化することは明らかである。また、晩婚化による障害児の出産も増えてきている。 このように科学やテクノロジーの発達が人々を幸福にするだけとは限らず、かえって、
多くの災いや不幸をもたらしている側面もあるのである。たとえば、SNSやネット掲示板を
私のように常に有意義に使える人間もいれば、誹謗中傷を通して、芸能人や著名人、
地下アイドルの自殺にまで追い込むような非倫理的な人々も少なくないのである。
これが科学やテクノロジーの持つ副作用、負の側面であると言える。 人間の進化の系というのは、遺伝子や自然選択という淘汰の篩によるものだけでなく、
脳神経ネットワーク自体の進化によっても促進されるようである。特に、人間においては
言語の発達がこれに大きく寄与していると考えられる。
私は>>61において、チョムスキーの普遍文法(UG)について言及しておいたが、
そうした人類の民族性の違いに依らない普遍的な共通の言語のモデルが隠れた
変数として存在するのではないか、という観点がチョムスキーの普遍文法(UG)に
なる。そして、言語の特徴は、その伝達能力にある。たとえば、私はこのスレッドで
様々なアイディアを展開しているが、それが私自身にだけ閉じているものでなく、
言語によって、誰かに、他者に私の考えが伝わっている、伝播しているということが、
人類の進化系にとってのキー(cue)となっているのである。 他の動物においては、せいぜい、仲間内に外敵などの危険を知らせる雄叫びを
上げるくらいであり、創発や独自の考えやアイディア、思想を仲間や他者に伝える、と
いった人間的な高度な言語活動は持ってはいない、と考えられる。そのため、
人間だけが生物の中で例外的に突然変異的に進化してきた、と考えられる。
大規模言語モデルや生成AIもそれが「言語」を中枢としたモデルであることも
こうした人間の進化の系と言語が深く関与していることを示唆するものである。
また、古代から哲学者が晦渋であったり、抽象性の高い言語を扱って、その
独自のモデルやカテゴリーによる区分を後世に残したことも、文明の発達や
人類の進化に寄与してきたことも明らかであろう。ウィトであれば哲学を一種の
「言語ゲーム」であると措定して、言語やその運用法の分析を通して哲学的な考究を
したのである。 >>851
>>845
>>829
>>802
弁証法はスターリンの大量虐殺を「科学的」と言い換えることを可能にした
「1984年」のニュースピークそのものだ >>855
>>845
>>829
>>802
弁証法はスターリンの大量虐殺を「科学的」と言い換えることを可能にした
「1984年」のニュースピークそのものだ >>854
そんなもの存在しないことがGPTにより証明済み 次に、形而上学的な日本文学の最高峰として埴谷雄高の長編作品である
「死靈」を取り上げてみよう。ちなみに、この作品は宇多田ヒカルの愛読書の
ようである。このような形而上学的な濃密な作品を愛読書に出来るのは、
彼女が高い知性を持っていることの証であろう。
まず、この「死靈」で驚かされるのは、常軌を逸した文体と異様に長いセンテンスで
ある。一文が異様なほど長いので、最初の方に何が書いてあったのか思い出せなく
なるくらいの長い文章なのである。埴谷雄高は、カントの著作を原書で読むような
哲学的な人間でもあったので、その形而上学的な主題のみならず、カントの厳格で
晦渋な文体にも強い影響を受けていたと考えられる。 【死靈】の宇宙は、世界系でもあり、形而上学的な存在論的宇宙が濃密に漂う
異様な空気、というよりは、霧、それも異常な濃霧の中で展開される奇怪な物語である。
アインシュタインの相対性理論を暗示させるような巨大な時計塔のある古い造りの
精神病棟が舞台になっていることも、この物語の常軌を逸した異常性を暗示する
ような仕掛けになっている。ここでは、既存の社会的な価値観や一般性は全て捨象され、
すなわち、それは取るに足りないものとして、ほとんどまともに取り上げられることはない。
この物語で取り上げられることは、「自同律の不快」であったり、「不快の原理」で
あったりする。つまり、形而下的なものは、形而上学的なものにおいては、すべて
不快な忌むべきものとなっているのである。サルトルには「嘔吐」という、これもやはり
形而上学的な文学と言われているものがあるが、これもただ存在しているだけの
不気味な存在者へのサルトルの吐き気を表現している。それをこのスレで言うなら、
ただスレを荒らしているだけの者への吐き気である。 「死靈」では左翼運動に挫折し、刑務所から出てきた青年たちが真の存在論的な
自由を求めて異常なほど長大な思索的な異常な問いをお互いに延々と放ち続ける
だけである。ちょうど、それは精神病院で、重度の譫妄症の者たちが、互いに奇怪な
妄想を繰り広げ合うような異様な光景にも似ている。「死靈」では釈迦やキリストまで登場し、
彼ら宗教的指導者の偽善性が物語の中で断罪されてしまう。キリストでは花や草木を
枯らしてしまうことや、仏陀では生命の尊さを歌いながら、チーナカ豆という生命を
食っていることが断罪されてしまうのである 要するに、一言で言うと【死靈】は意味不明な物語である。たった2、3日の間の
出来事の話なのだが、埴谷はこれを半世紀もの歳月をかけて執筆しているのである。
しかも未完で終わっている。これだけでも形而上学的なものに取り憑かれた
人間の恐ろしさが分かることであろう。カントは、あの「純粋理性批判」を刊行したのは
57歳くらいの時であり、還暦間近の体力も落ちる年齢で、あのような濃密で厳格な
哲学書を上梓できるカントの知の持久力に驚く他ないだろう。
これも何か形而上学というものが息の長さや複雑な思惟を続ける知的体力を
要請するものという示唆が得られそうである。それは埴谷が「死靈」という
形而上学的な文学作品の執筆に半世紀も掛けた異常さ、執拗さと通ずるものがあるだろう。 なぜ、形而上学にはそうしたことが出来るのであろうか。たとえば、資本主義
システムに毒された現代人にとっては、カントや埴谷は端的に無駄で無益なことに
心血を注いで人間ということになる。だが、それはあくまで形而下的な実利、実用的、
あるいは快楽主義的な価値観からみた無駄や無益さであり、形而上学的な認識の
射程は存在論的に時空を超過しているのである。その証拠に、未だカントの名は
廃れることなく、哲学板では最近、スレまで出来ており(私が作ったからだが)、その
カントスレは活況を呈しており、あっという間に1スレッドを消化したようである。 つまり、哲学者の認識や充足、価値の射程は、自らが存命中に限る小さなものではなく、
その哲学者が死んでからが、ようやく彼の形而上学の本領発揮となるのである。未だに
プラトンやアリストテレス、カント、マルクスは語られ、ヒュームの洞察は現代人の私にも
継承され、それがここでの私の「マルチバース論」の形而上学的な重要な支柱の一つ
にもなっているのである。それに比べて、資本主義的な金儲けなど、その人間が死んだら
すべて終わりで、何一つこの世には残せない虚しい性質のものなのである。
そのため、形而上学的な者の視点は時空を超えた永遠の相のもとで世界を
常に普遍的・汎化的に考究しているのである。だから形而上学者や哲学者は
「時をかける少女」でもあり、自由自在なのである。こうした自由な存在者は
形而下的な人間にとっても、どこか気になる存在になることがあるため、
哲学は古代ギリシャから何度も揶揄されつつも、いつまでも廃れない学問なのである。 >>308
において、私は数学の分野にある「測度論」のことに触れておいた。そこにも
述べてある通り、科学や数学、論理の本質には「測る」ということが備わっている。
それは大規模言語モデルでも生成AIでも同じで、未知の状態Xを予測するという
仕方で、やはり測っているのである。微分方程式も同じである。それは人口動態など、
未来の状態Xが過去や今の状態からどのように遷移していくかを微分方程式式と
してモデル化していくのである。 カントが「統制的原理」と「構成的原理」の位相的差異を上手くカテゴライズしたが、
ここで行われている古典的論争とも言える形而上学批判は、この両カテゴリーの
混濁からくる誤謬推論のような観を呈していると言える。形而上学や思想、宗教
のように「統制的原理」に帰属する「測れないもの」と、科学や論理、数学の公理の
ような「構成的原理」に属する「測れるもの」を混濁させて一緒にしながら論じるのは
カテゴリーミスや認識論的な越権行為、あるいは侵犯とさえ言えるであろう。
科学は、もちろん現代社会の基底を成すものであり、形而下的なものとしては
依然として価値があるものである。だが、形而下や科学だけでは、やはり存在論的には
片手落ちになるのである。要するに、人間はそんなアンバランスな状態に自足したり、
満足することは出来ないのである。よって、世界各国において、未だ原始的なものも含めて、
宗教や風習、慣習、哲学、思想への高いニーズがあり、依然としてそれらが廃れる傾向に
ないことも頷けるのである。マルクス主義的なものも、未だ世界的に人気があるのである。 それはなぜかと言うと、科学や数学、論理では、形而上学的なカテゴリーに属して
いるような倫理的な領域への言及が原理的に不可能だからである。それらは元々、
価値や倫理のカテゴリーに属するものでなく、「測る」という実践、実用、応用、
あるいは、抽象的な理論や論理に属し、それらに基づいている別カテゴリーのもの
だからである。
それに対し、哲学や宗教、思想は「測りえないものを測る」、もしくは、「測りえない
ものへの畏敬」があるので、そうした崇高さが人々の心を捉えたり、精神的な充足感や
生きる意味や価値を与えたり、もたらしたりもできるのである。認識論的に区分するので
あれば、科学や数学、論理は命題的なものであり、哲学や思想、宗教は価値判断的なもの、
すなわち倫理的な領域をその射程の中に包含していると言える。
つまり、倫理的な領域にあるものこそ、科学の言葉では語りえないもの、すなわち
形而上学が扱える対象となるのである。ウィトがそれについてどう考えていたかは知らないが、
倫理的な次元にあるものを科学や論理が基礎付けられないことは自明である。よって、
宗教のみならず、哲学や思想もこうした形而上学的な領域、倫理的な次元にある、
科学のスケールでは決して測ることのできない「超越的価値」を志向出来るのである。 GPT :
イマヌエル・カント(Immanuel Kant)は、『純粋理性批判』("Kritik der reinen Vernunft")を1781年に初版として発表しました。当時、カントは57歳でした。その後、1787年に改訂版が
出版されています。この著作はカントの最も重要な哲学的著作の一つであり、彼の「批判哲学」の中心的な作品です。 >>866
>>855
>>845
>>829
>>802
弁証法はスターリンの大量虐殺を「科学的」と言い換えることを可能にした
「1984年」のニュースピークそのものだ それでは形而上学とは本質的には何かと言えば
「言及のたびに内容が変化するのに記号としては変化していないように見せかけられるもの」となる。
例えば倫理や道徳は自然言語で「善」などと書いてしまうと上の「見せかけ」を許してしまうので形而上学となる
逆に言えば言及のたびに意味が変化しないか、意味が変化するならばその変化を記号の変化として明示すれば形而上学にはならない。
例えば
善(1939年のウィトゲンシュタインにとって)
や
善(1939年のアメリカ市民の90%以上が同意するもの)
のように書く。
このように明示すればそれは形而上学でなくなり「語り得るもの」となる
そしてこれらの記号があるだけでは論理はトートロジーしか成せないのだから、その真偽もまた意味がないものとなる。
その論理がトートロジーでなくなるためには記号が指す内容がどのくらい確からしいのか現実世界の出来事と比較しなければならない。
それを全て行ったとき、人はそれを科学と呼ぶ。
倫理が科学となるのか形而上学となるのかにはそのような違いがある。
本当に重要なことはこの形而上学と科学の違い、形而上学的妄想を如何にして科学の対象に変換可能なのかということだ。
はっきりと言ってウィトゲンシュタインの著作の解説本なんかを読んで論考や探究を読みとこうするのは全くの人生の無駄だ。
そんなことより遥かに重要なことは沢山ある。
ニュートンの著作を自力で読む時間など無駄でしかない。同じ時間で流体力学を学んでシミュレーションでもした方が遥かにマシだし
論考や探究なんかを読む前に従来は形而上学だとみなされていた概念を科学として研究する分野は無数にあるのだからそちらを学ぶ方が遥かに良い。 バカすぎて形而上学の意味すら理解してない中卒無職wwwwww それでは形而上学とは本質的には何かと言えば
「言及のたびに内容が変化するのに記号としては変化していないように見せかけられるもの」となる。
例えば倫理や道徳は自然言語で「善」などと書いてしまうと上の「見せかけ」を許してしまうので形而上学となる
逆に言えば言及のたびに意味が変化しないか、意味が変化するならばその変化を記号の変化として明示すれば形而上学にはならない。
例えば
善(1939年のウィトゲンシュタインにとって)
や
善(1939年のアメリカ市民の90%以上が同意するもの)
のように書く。
このように明示すればそれは形而上学でなくなり「語り得るもの」となる
倫理なんて普通に科学で扱えるから自殺しな知ったかぶり中卒無職wwwwww
https://doi.org/10.31234/osf.io/2hxgu >>867
弁証法はジェノサイドを科学と言い張れる詐術 >>873
倫理的な概念は現象に(形而下に)対応物が見いだせない
どうやっても形而上学になる >>875
形而下とか関係ねーよ
波動関数って知ってる?ん? >>875
文字が読めてないの?
概念なんて一言も出てこねーが 弁証法って要するに
スターリン=科学的
これが正しいという詭弁だからね 少し分析哲学的なニュアンスを使ってみよう。たとえば以下のような
文があるとする
「哲学板のスレを1日中荒らしているフンコロガシ君は、
知能が高く、善良な人間である」
この文に、普通の人や健常者は矛盾や疑義を鋭く感受することであろう。
その理由は、ネット掲示板を荒らしまくる最低な人間と、高い知能や
善良さが全くイコールで結びつかないからである。だが、それでも上記の文は、
「フンコロガシ君は、EンコロガシフTである」
という文よりは、ずっと理解しやすく感じられることだろう。 最初の文が、文法的には、あるいは、語句としても、文としての
まとまった意味として自然な感じで成立しているのに、なぜ、
「哲学板のスレを1日中荒らしているフンコロガシ君は、
知能が高く、善良な人間である」
の文に、私達のような普通の人間は強い違和感を覚えるのであろうか。
それは、この文の意味を真とするような実世界での対応物が全く存在しないから
である。これが、この違和感の理由である。文それ自体としては、上記の
ものがそのまま自然な形で存在するのに対して、それに対応する実世界が
や現実が欠如しているため、ここに文と、それが指示する現実との間に
乖離が生じて私達は、それはあり得ないと、ごく至当な判断を保てるのである。 だから、この文を以下のように少し変えてみよう
「哲学板のスレを1日中荒らしているフンコロガシ君は、知能が低く、
無職で、人間のクズの底辺で、社会のゴミである」
このようにすると、文の指示対象と実世界の現実そのものが見事に整合して
くるので、私達はこの文や命題に真を感受できるのである。ここでの
ポイントは、文や文法としては意味の通る自然なもの、つまり、実在して
いるものが、実世界でその対応物持たないケースがあるということである。
つまり、ここでは存在が二層で語られている。文としての自然な存在と、
実世界におけるその文の対応物としての自然な存在、という2つのレイヤーに
ある存在のことである。よって存在論とは単に存在を扱うだけでなく、不在や
非存在、ここにないものを探り照射することで、存在の本質へとアプローチする
もののことでもあると言えるのである。 先に挙げた埴谷の「死靈」だと[虚体]という概念や想念みたいなものが出てくる
のであるが、これは単語としても意味不明だし、かつ、その実世界での対応物も
何を指しているのかが意味不明である。だが違和感なく形而上学的な物語世界へと
没入できるので、形而上学は不在や非在を豊穣な仕方で指示し扱える、不可視なる
指令とも言えるのである。よって、形而上学における非存在は、実りある無であると
言えるであろう 弁証法って要するに
スターリン=科学的
これが正しいという詭弁だからね
今どき哲学とか言ってる時点で人間の知能無いでしょ >>887
あり得ない
語り得ぬものだから論理を満たさない無意味な妄想 弁証法って要するに
スターリン=科学的
これが正しいという詭弁だからね
今どき哲学とか言ってる時点で人間の知能無いでしょ 科学はトートロジーを疑わない、というか疑えない
そこが哲学との違いなんだよなああ 所詮疑うだけで鼻高々なアホを増やすだけなのよ
哲学なんてやめて自然科学やったほうがはるかにマシなんだわ >>893
疑っても疑えてない
証拠を確保できないからな
現実との一致度しか証拠はないのにそれをしないのだから哲学は100%例外なく無意味な妄想
何の価値もない >>892
哲学は爆発律で疑ったつもりになってるだけと証明済み
疑えていない
論理学すら満たしてない >>894
正義一つとっても科学では扱えない
証拠が価値にはならない >>898
低学歴のお前には無理というだけ
873 考える名無しさん[] 2023/12/03(日) 06:54:50.40 0
それでは形而上学とは本質的には何かと言えば
「言及のたびに内容が変化するのに記号としては変化していないように見せかけられるもの」となる。
例えば倫理や道徳は自然言語で「善」などと書いてしまうと上の「見せかけ」を許してしまうので形而上学となる
逆に言えば言及のたびに意味が変化しないか、意味が変化するならばその変化を記号の変化として明示すれば形而上学にはならない。
例えば
善(1939年のウィトゲンシュタインにとって)
や
善(1939年のアメリカ市民の90%以上が同意するもの)
のように書く。
このように明示すればそれは形而上学でなくなり「語り得るもの」となる
倫理なんて普通に科学で扱えるから自殺しな知ったかぶり中卒無職wwwwww
https://doi.org/10.31234/osf.io/2hxgu >>898
価値は個人個人にとって定義できる
これが科学
脳障害は「あらゆる人にとっての価値」なる妄想を抱くから形而上学になる
つまり問題なのは正義でも善でもなく脳障害 >>898
問題の本質は脳障害が言葉の使い方を知らない点にしかない 形而上学は当然、存在論的なことも扱っている。これを「オントロジー」というが、
それは科学や数学、論理の世界でいうところの存在や実在とは性質が異なるもの
である。たとえば、数学世界において2は自然数や整数として自明な存在であるが、
哲学では必ずしもそうではない。2とは何か、数とは何か、それは本当に存在、実在
しているのかと、問いをオントロジーの次元へと移植して、根元的な考究を進めたり
するのが形而上学である。
たとえば、2や5という数は、実際にどこに存在しているのであろうか。たとえば、
1と3の間には2が、4と6の間には5がある、と言えるが、その間にある実数など
無限に存在するので、2や5だけが特別にその中にあるとは言えないのでなかろうか。
つまり、2や5の存在性、もしくは一意性は無限の他の実数の中に埋もれて、解消、
発散していても論理的にはおかしくはないのに、なぜ、2や5という数だけが特別に
無限の系から突如として出現できるのかという、形而上学的な問いなども立てられる。 また、カレンダーを見れば、人は、2や5を見つけることが出来るだろう。日記帳
の中にも、あるいは時計の中にも、5ちゃんねるという匿名掲示板の表題にも
5を見つけることが出来るだろう。だが、それらを総体として考えたときの
2や5が本質的に何を意味、指示しているのか、それらが、どこに位置しているのか、
形而上学的には不明瞭であると言える。2や5が存在論的にどこに本当に位置、
内属しているのかも定かでない。それらは地球や火星に存在しているのか、
単に心の中や頭の中だけにある想像物であるのかも不明である。また、人間以外の
生物に、数にあたる概念があるのかも不明である。
小学生の算数の宿題のノートの中に、それは出現しているであろうし、また、
誰かの心の中で、それは今日のラッキーナンバーとして表象されているかも
しれない。あるいは、マルチバースの一つの宇宙の中では、2と5は同じだと
して(2=5)扱われている特殊な数理宇宙が展開されているかもしれないの
である。このように、身近な数を一つとっても、形而上学的な遡上にのせると
それらは突如として自明性を簡単に剥奪され、どこか謎めいたものとして
再現されてくるのである。 また数学では、無限∞や虚数単位i、ZFCの現代数学の公理系では選択公理と
いうものを採用しているが、無限に対応している実世界の対象物は何なのだろうか?
宇宙のインフレーションが無限の対応物と考えるもの早計であろう。なぜなら、
宇宙の無限性を調べるのには、無限の歳月が必要になるので、原理的に誰に
も調べられるはずがない代物だからである。
また、もし、宇宙にビッグクランチ現象があるのであれば、さらに無限の現実的対応物と
して宇宙は不適切なものになる。なぜなら、ビッグクランチは宇宙の収縮現象であるので、
それは当然であろう。虚数iの現実的な対応物は何になるのであろうか。それは単なる
観念という意味では、形而上学的な要素さえ内包しているのではないだろうか。 このように一度、形而上学的なフレームに移植して物事を本質的に考究して
いくと、物事の自明性というのが実は不確かな基礎によっており、安心、安全、
明確なものでもない、という側面が奇妙な形で表面化してくるのである。 これを数でなく、文や幾何の問題に置き換えても同じである。一度、これらを
形而上学的な宇宙の平面に写すと、それらの自明性が突如として瓦解していく
のである。たとえば、
「クリスマスの恋人たちは、ハッピーである。」
という文を例に取ろう。この文をあえて形而上学的に考えると、この文は、
幾何学の円についても触れている形式、あるいは表となる。それは、なぜか?
それは、この文の中には、ピというカタカナの中に半濁点が存在しているからであり、
また文末には句点も挿入されているからである。 つまり、「クリスマスの恋人たちは、ハッピーである。」
の一文の中には幾何学的な円が、半濁点、句点として2度出現しているため、
この文は幾何学のことにも触れている、そうした世界線や境界にも接している、
あるいは、それと接点を持っている、などと形而上学的な視点で記述することも
可能なのである。こうした、人々の自明性に潜むバグや重ね合わせ、錯綜した構造など
を解き明かせるのも形而上学や哲学の魅力でもある。 虫だと、壁を這ったり、天井の上を這ったりできるから、上下という位置の概念が
どうなるのか、虫の視点に立つと、よく分からなくなる。複眼の昆虫の外界の
見え方も同様である。要するに、科学、数学、論理は人間中心主義的な局限された
視点を表現するものに過ぎず、世界の普遍相にアクセスしているものとは考えられない、
というのが形而上学的な認識でもある。 >>900
普遍的な価値が存在するという価値観も当然含まれる
これはパラドックスでも何でもないけどな
そもそも記号とそれが指示する対象は恣意的なルールによって結び付いている
ルールを一致させてもルール自体に科学的根拠はない >>902
>>898
問題の本質は脳障害が言葉の使い方を知らない点にしかない
全ての形而上学は論理額を満たさない妄想 >>911
普遍を定義しないから形而上学
普遍を具体的に書けば科学 >>913
普遍は個人個人で定義出来ないから普遍なんだよ >>915
低学歴には定義できない
しかし知能があれば定義できる >>915
低学歴は「真の善」などと書いてしまう
しかし論理的思考力があるならこのように書く
善(1939年のアメリカ市民の90%以上が同意するもの)
こう書けば科学 低学歴は数学を知らないので具体化数値化しても広い範囲を曖昧に指す事ができる事を知らない
重要なのは曖昧ではないことではなく言及のたびに内容が変化しないこと
形而上学は言及のたびに内容が変化するから論理学を満たさない >>907
>「クリスマスの恋人たちは、ハッピーである。」
の一文の中には幾何学的な円が、半濁点、句点として2度出現している
何を議論しているのか知らないが(ほとんど読んでいないので)、幾何学というよりは物理現象の捉え方の反映だろうね。 「ピ」に「〇」があるのは、「ピ」が「〇」のように閉じた空間がはじけるように瞬間的に開くことによって発せられる発音だからだろう。
そのはじけ方が、「ひび」が入ったように震えるような感じだと、「ピ」ではなく、「ビ」になり、「〇」の代わりに「゛」になる。
「〇」が付けられる「ハヒフヘホ」の方は、「〇」がはじけて開くときの内部空間の開き方に対応する。
これに対して終わりを示す「。」が表象しているのは、「『ま』と『ま』り」としての「〇(まる)さ」、例えば、ボクシングの試合で「ひとまとまり」の戦いの時間を"a round"と呼ぶようなものだ。 低学歴は数学を知らないので具体化数値化しても広い範囲を曖昧に指す事ができる事を知らない
重要なのは曖昧ではないことではなく言及のたびに内容が変化しないこと
形而上学は言及のたびに内容が変化するから論理学を満たさない 論理学はどれだけ曖昧なものでも扱える
ただし何回目に言うかによって意味が変わるのはNG
形而上学はそれを破ってるから論理を満たさない ようするに論理学では、言語表現の論理は扱えないということだね。
言語表現の論理では、代名詞化したり、概念化したりして、それにさらに"qualification"を加えたり、逆に、概念化されたものを"qualifying"のための「喩」として使うことで既定の意味が絶えず変化にさらされるからな。 使っても意味が変化しない、または既存の意味を変化させるのに使うことができない言語表現は、死んだ表現、つまり、使うに価しない「死語」となる。 >>925
普通に扱えるよ論理学で
バカ哲学は同じ文章の1回目と2回目で意味を変えてるのに表記を同じにしてるから爆発律を満たす
だからジェノサイドを科学と呼べる >>926
意味を変化させるときは明示的に宣言すればいいだけの話
哲学はそこを誤魔化してるから全く無意味なデタラメしか言えない 本人がまったく表記が同じ言葉を何度も繰り返しているのだから説得力ゼロ。
同じ言葉を何度も繰り返して、違う効果が得られると信じているのなら、繰り返すことで言葉の効果に変化が生じる=相手にとってその言葉の意味が変化すると信じていることになる。1回言おうと、繰り返そうと、同じ言葉が同じ効果しかもたらさないと本当に信じているなら、認知機能に障害があるかのように同じスレでも、別のスレでも同じ言葉ばかり繰り返したりしない。 数学でものごとが明確に定義されて、あいまいさがあるなら、曖昧さについて相互に明確な了解が得られるというのなら、10年以上も前に発表された、ABC予想を証明するという宇宙際タイヒミュラー理論は、その主張通り、ABC予想を証明したのですか、それとも証明していないのですか。
証明した、または証明していないというのなら、なぜ数学者の間で統一見解がもたらされないのか。なぜ、なにがどう不明なのかすら不明なままなのか。 マルクスのそれは、ちょっと皮肉か挽肉的だけどね。価値の二重性から対立が生まれ、これを肉で弁証するにはジェノサイドまで行くしかない。現実を変える科学に逆らう分子を消していく。
もはや全ての攻撃がその論理で肯定された結果だ。 >>932
ただの爆発律による詭弁だぞ
自殺するべき恥ずかしさ >低学歴は人間じゃないよ
そもそも人間でないなら、低学歴ではあり得ないだろ。
その程度の論理思考もできないのかね。
高学歴だろうと、低学歴だろうと学歴のある鶏が存在するのか。 >>936
学歴は人間判定試験だぞ低学歴
お前は不合格 シェイクスピアや田中角栄、阪田三吉は人間ではなかった? レーウェンフックやアンリ・ルソーは人間ではなかった? シェイクスピア、田中角栄、阪田三吉、レーウェンフック、アンリ・ルソー、エジソン、ファラデー。彼らが皆人間ではないとしても、彼らが其々の分野で成し遂げた偉業や実績は輝いているよね。 >>943
この世界に存在しないのと同じ
なんの影響もないぞ レーウェンフックがいなければ微生物学はなかったのですが。
ファラデーの研究は電動機技術の基礎を築いたし、それだけでなく電気を使ったテクノロジー全般がファラデーの業績から発展したものなんですが。 >>943
時代の違いすらわからんからお前は低学歴なんだろ中卒無職 >>951
お前は低学歴だけどそいつらは低学歴じゃないんだよ脳障害無職 >>952
つまり低学歴で人間でないものたちが成したことが、低学歴ではない人間に影響を
あたえたということですか。やはりかれらの偉業や実績は輝いていますね。 >低学歴は人間じゃないよ
人間じゃない相手に「低学歴は人間じゃないよ」という人の言葉が通じると考えているからこそ、その同じ言葉を何度も繰り返しているのだろう。
そのこと自体が論理能力の欠如を示している。また、言葉が通じないと分かったうえで意味のない言動を止めることができないのであれば、それもやはり何らかの障害の症状であると判断するしかない。 >>954
その時代には低学歴じゃない
はい完全論破
死ね低学歴 >>956
その時代には低学歴じゃないのなら、シェイクスピアも田中角栄も阪田三吉もレーウェンフックもアンリ・ルソーもエジソンもフェデラーも、人間だったのですね。良かったです。やはり偉人達です。 ウィトゲンシュタインも小学生に折檻したことがあったよね
やっぱ低学歴への憎悪があったのかな? >>961
アレは「哲学はすべて無意味で妄想」と証明したのに自分は科学をやる知能がないことに気づいたからだろ >>962
つまり、シェイクスピアや田中角栄や阪田三吉やレーウェンフックやアンリ・ルソーやエジソンやファラデーが
人間ではなかった?という問いに対して、最初に"もちろん"となったのは誤りだったのですね。このスレで間違
いが正せて良かったです。ありがとうございます。 >>964
お前が人間じゃないからわかってないだけ >>965
これから先もこうした問答によって成長してゆきましょう。
よろしくお願いいたしますね。 >>935
コンスタンチン・ツィオルコフスキーは人間ではなかった? >>935
アンドリュー・カーネギーは人間ではなかった? 人間ではないのに、低学歴であれ、学歴のある存在者がいることが証明されていないので、主張に論理性がゼロ。 >>963
小学生というクソ低学歴に対しては何も思うところなかったの?
ウィトゲンシュタイン自身は高学歴なのに >>966
お前は低学歴だから人間じゃないし生きてる価値ないよ >>967,968,970
お前とは生きてる時代が違うからお前だけで低学歴でお前だけが人間じゃなくてお前だけが生きてる価値なしのゴミ
つまり自殺しな?
https://www.garbagenews.com/img22/gn-20221226-15.png >>971
最終学歴じゃねーだろ脳障害
自殺しな? >>967
つまり、ツィオルコフスキーもカーネギーも本田宗一郎も低学歴ではなく人間だったと
いうことですね。また、私以外は低学歴ではなく人間だということでもあるので、
このスレであげられたキルケゴールも低学歴ではなく人間だということになりましたし
、哲学者や哲学をする人も低学歴ではなく人間だということになりましたね。良かった
です。また一つ誤りを正せて賢くなりましたね。ありがとうございます。 訂正
キルケゴールがあげられていたのは前スレでしたね。
ごめんごめん(笑) >>976
お前は人間じゃない
お前が低学歴だから >>975
哲学者は低学歴だから人間じゃないよ
例外無し
だって哲学論理的に無意味と証明済みだから
錬金術や魔術と同じなので教育を受けてない
脳障害死にな? >>975
キルケゴールは低学歴なので人間じゃないよ >>975
哲学者は全員低学歴なので全員人間ではない
錬金術と同じなので教育を受けてない 哲学は学問じゃない無意味な妄想なので教育0
例外なく低学歴だから例外なく人間ではないよ ということは>>967は誤りだったのですね。なので、はれて私も人間になれました。
ありがとうございます。お互い成長できましね。これから先もよろしくお願いいたし
ます。 >>984
>>967,968,970
お前とは生きてる時代が違うからお前だけで低学歴でお前だけが人間じゃなくてお前だけが生きてる価値なしのゴミ
つまり自殺しな?
https://www.garbagenews.com/img22/gn-20221226-15.png >>985
ということは私以外の者(哲学者も含む)は生きる価値があるということですね。
嬉しいです。そしてまた一つ賢くなったみたいですね。良い傾向です。ありがと
うございます。 ラマヌジャンはいかにも架空キャラっぽいな
円周率を求める式とか、思いついたというより、無理やりだし。 >>987
まずお前が死ね
そして哲学者は全て死ね >>989
『論語』の「子貢、君子を問う。子の曰わく、先ず其の言を行ない、而して後にこれに従う。」に一部通じる所があります。また一つ勉強になりましたね。私も誇らしいです。もっと頑張っていきましょう。 >>989
多くの哲学者は故人なので"暖簾に腕押し"ですよ。ちなみに"暖簾に腕押し"とは「力を入れても少しも手ごたえのないこと。張り合いのないことのたとえ。」という意味です。また一つ学びましたね。このままレベルアップです。 >>992
罪人である哲学者を肯定したお前は死罪
死をもって償え >>992
武田信玄の「一日ひとつずつの教訓を聞いていったとしても、ひと月で三十か条になるのだ。これを一年にすれば、三百六十か条ものことを知ることになるのではないか。」
の体現ですね。素晴らしい。 >>994
バカは何億年生きてても意味ないよ
だって覚えられないから
数学さえもな 低学歴は語り得ぬものを語る
つまり人間じゃないんだよ ウィトゲンシュタインは語り得ぬものを語ったから脳障害
存在そのものが無価値 ・爆発律を避けるには意味と記号が一対一で対応しなければならない
・トートロジーでも意味を持たせるには実践により概念を実証するしかない
たったこれしかない
これをチェックしながらバカ哲学者の本とか読むと
どこで詐欺やってるからすぐにわかるぞ
「あ、こいつ断りなく言葉の定義変えやがったwwwwもうここから論理は存在しねえわwwww」
って こんなもんに本1冊費やした脳障害ウィトゲンシュタインwwwww このスレッドは1000を超えました。
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