ウィトゲンシュタイン 5
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存在論的に[オントロジー]痒いところに手が届くのが
形而上学や哲学であるのに対して、そこに手が届かないのが
科学や論理である。
よって、科学や数学、論理は「測れないもの」に対しては
原理的に無力にならざるを得ない。その一方、形而上学は
「測れないもの」への独自のアプローチと照射があるため、
それは現代でも世界中の人々の心を捉えて止まないのである
古代ギリシャ時代から哲学は一部の無知な者たちから罵倒、
揶揄されてきたが、現代においても廃れる傾向がないのである。
なぜなら、哲学は存在論的に普遍者を志向しているからである。
時代に関係なく、人類の知的クラスタの間には、普遍的な
ものへの志向があるのである。これが古代ギリシア語で、
智慧や叡智を意味する「ソフィア」と呼ばれるものになる。
つまり、この精神こそが、哲学(フィロソフィー)なのである。
※前スレ
ウィトゲンシュタイン 4
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1700849339/ 科学や数学の本質には、測る、計量する、ということがあるのではないだろうか。
数学には「測度論」という分野があるが、これも可測空間上で、σ-加法族という、
特定の定義を充たす集合族を使って、集合の大きさを測れるように一般化・抽象化
していく操作のことである。測度論における測度は集合上の関数のことを表している。
ここではσは加算を意味している。σ-加法族であれば、それは有限加法族となる。
集合族は、集合を要素に持つ集合のことで、「集合の集合」を表している 統計の分野だと、「赤池情報量基準(AIC)」などがよく知られている。これは測定データに
おける最適化となるようなモデルを求めるものであり、パラメータ数を調整したりして、
モデルの複雑さとデータとの適合度とのバランスを取るために使用される。機械学習では
「過学習」による弊害が言われたりもするが、そうしたノイズに邪魔されないような汎化能を
獲得するために、AICなどが使われたりする。これも測度論同様に、測っているのである
計算機科学の分野では「コルモゴロフ複雑性」などもよく知られているが、これも有限長の
データ列の複雑さの指標を測っているのである。ここでは、規則性のあるようなデータは
より簡潔に表せるのでコルモゴロフ複雑性は小さく、不規則・無作為なデータでは規則性
が低いのでコルモゴロフ複雑性は大きい、などと表せる。 このような感じで、科学や数学には測ることや計量が常に付きまとう。だが、
哲学は測りえないものを哲学という独自の宇宙の中で、特定のパースペクティブのもと
測ることが出来るのである。そうした哲学的認識は、科学的なパラダイムや論理に
一方的に従属することもなく、むしろ科学や論理が見落としたり、捨象しているものの
中からも、重要なキー(cue)を探り当て、そこへ照射していくことが出来るものである。 たとえば、人類の未来は、超知性化した汎用AI(AGI)によって、ルソーのいう
一般意志を集団的政治意志として社会実装し、重要な政治的な意思決定をしている
かもしれない。だが、そこでどんな計算が行われているのかはパラメータ数が膨大過ぎて、
開発者においてさえブラックボックスと化している状態になるだろう。そうした汎用AIに
よる意思決定や政治決定を私たちは素朴に受容すべきなのであろうか。東浩紀が
こうした不透明さに疑義を唱えていたが、私の見解も東と同様である。 これまで、科学や数学、論理は、「測りうるものを測る」のに対して(命題的)、
哲学は「測り得ないものを測る」もしくは「測りえないものを思索する」(非命題的)と
いう形而上学的なアプローチになると私は指摘した。後者の「測りえないもの」
のカテゴリーには宗教やその他の思想も入るので、倫理的な次元や価値論も
それらは扱える、ということになる。科学や数学、論理に倫理的なものや価値などを
扱えないのは明白である。それらは分類し、クラスタリングし、特定の粒度においての
検出、そこでの観察や証明を記述するだけである。 形而上学は当然、存在論的なことも扱っている。これを「オントロジー」というが、
それは科学や数学、論理の世界でいうところの存在や実在とは性質が異なるもの
である。たとえば、数学世界において2は自然数や整数として自明な存在であるが、
哲学では必ずしもそうではない。2とは何か、数とは何か、それは本当に存在、実在
しているのかと、問いをオントロジーの次元へと移植して、根元的な考究を進めたり
するのが形而上学である。 たとえば、2や5という数は、実際にどこに存在しているのであろうか。たとえば、
1と3の間には2が、4と6の間には5がある、と言えるが、その間にある実数など
無限に存在するので、2や5だけが特別にその中にあるとは言えないのでなかろうか。
つまり、2や5の存在性、もしくは一意性は無限の他の実数の中に埋もれて、解消、
発散していても論理的にはおかしくはないのに、なぜ、2や5という数だけが特別に
無限の系から突如として出現できるのかという、形而上学的な問いなども立てられる。 また、カレンダーを見れば、人は、2や5を見つけることが出来るだろう。日記帳
の中にも、あるいは時計の中にも、5ちゃんねるという匿名掲示板の表題にも
5を見つけることが出来るだろう。だが、それらを総体として考えたときの
2や5が本質的に何を意味、指示しているのか、それらが、どこに位置しているのか、
形而上学的には不明瞭であると言える。2や5が存在論的にどこに本当に位置、
内属しているのかも定かでない。それらは地球や火星に存在しているのか、
単に心の中や頭の中だけにある想像物であるのかも不明である。また、人間以外の
生物に、数にあたる概念があるのかも不明である。 小学生の算数の宿題のノートの中に、それは出現しているであろうし、また、
誰かの心の中で、それは今日のラッキーナンバーとして表象されているかも
しれない。あるいは、マルチバースの一つの宇宙の中では、2と5は同じだと
して(2=5)扱われている特殊な数理宇宙が展開されているかもしれないの
である。このように、身近な数を一つとっても、形而上学的な遡上にのせると
それらは突如として自明性を容易に剥奪され、どこか謎めいたものとして
再現されてくるのである。 また数学では、無限∞や虚数単位i、ZFCの現代数学の公理系では選択公理と
いうものを採用しているが、無限に対応している実世界の対象物は何なのだろうか?
宇宙のインフレーションが無限の対応物と考えるもの早計であろう。なぜなら、
宇宙の無限性を調べるのには、無限の歳月が必要になるので、原理的に誰に
も調べられるはずがない代物だからである。
また、もし、宇宙にビッグクランチ現象があるのであれば、さらに無限の現実的対応物と
して宇宙は不適切なものになる。なぜなら、ビッグクランチは宇宙の収縮現象であるので、
それは当然であろう。虚数iの現実的な対応物は何になるのであろうか。それは単なる
観念という意味では、形而上学的な要素さえ内包しているのではないだろうか。
このように一度、形而上学的なフレームに移植して物事を本質的に考究して
いくと、物事の自明性というのが実は不確かな基礎によっており、安心、安全、
明確なものでもない、という側面が奇妙な形で表面化してくるのである。 >「クリスマスの恋人たちは、ハッピーである。」
の一文の中には幾何学的な円が、半濁点、句点として2度出現している
これは、私が提示した例ではないが、記号(というより、より的確には「合図」)がどのように使われるのかを説明するのに好都合な、簡単な例だろう。 「ピ」の発音を表現するのに、「〇」が使われる必然性はなく、文末を示すのに「〇」が使われる必然性もない。
したがって、これらの用途で「〇」が使用されることは、「恣意的」であると言うことができる。
しかし、では、これらに「〇」が使われているのは、偶々、そうなっているだけのことで、他の「恣意的」に選ばれた記号で「機械的」に置き換えても同じことなのかというとそうではない。
それでは、伝えようとすることを表現するうように記号が「意によく沿う」という意味で「恣(ほしいまま)」にならないだろう。 次は、前スレからの自己引用である。
0920考える名無しさん
2023/12/04(月) 09:32:45.700
「ピ」に「〇」があるのは、「ピ」が「〇」のように閉じた空間がはじけるように瞬間的に開くことによって発せられる発音だからだろう。
そのはじけ方が、「ひび」が入ったように震えるような感じだと、「ピ」ではなく、「ビ」になり、「〇」の代わりに「゛」になる。
「〇」が付けられる「ハヒフヘホ」の方は、「〇」がはじけて開くときの内部空間の開き方に対応する。
これに対して終わりを示す「。」が表象しているのは、「『ま』と『ま』り」としての「〇(まる)さ」、例えば、ボクシングの試合で「ひとまとまり」の戦いの時間を"a round"と呼ぶようなものだ。 「ピ」において「ヒ」の右上に付けられた「〇」は何だろうか。
ここで、「『〇』とは、何だろうか」として問いを独立させると、問いが意味を失うことに気づくだろう。
そのような問いは、脈絡がないので応えようがなく、「ヒ」の右上に付けられた「〇」も、それ自体で何らかの意味を担っているわけではない。
しかし、「ヒ」という発声を表す記号(/合図)の右上に付けられると、それを「ピ」として発声するように「ヒ」という記号(合図)に「特性を付与する」/"to qualify"役割をする。
そしてそのことは、翻って、この「〇」の記号(/合図)そのものに、「発音を表す記号に『特性を付与する』/"to qualify"役割をする記号」という「特性を付与する」/"to qualify"ことになる。
かくして、「ピ」という発音の表記において、「ピ」は、「『ヒ』の右上に『〇』を足した」意味を表すのではなく、「ヒ」と「〇」が「互いに特性を付与する」/"to mutually qualify"ことによってもたらされる特性を備えた発音を表す記号(/合図)となる。
だからこそ、形としては見分けのつかない文末の「〇」の記号(/合図)が、今度は、一群のことばに対して、その発話としての「まとまり」を示す特性を付与するように使われることが可能なのである。 同様のことが、記号(/合図)として用ゐられる「こゑ(声)」についても言える。
言語表現の説明において、そこで用ゐられている「こゑ(声)」がどのような役割で使われているのかを説明しようとすると、すぐに「記号の恣意性」を持ち出してきて、所与の特定の発音が何らかの特定のことを表現しているとすることは間違いだという主張をする人がいる。
しかし、そのような主張は、「『〇』という記号(/合図)は、恣意的に用ゐられ得るのだから、『〇』そのものは無意味である」と指摘しているのと変わらない。
その一方で、「〇」が実際に記号(/合図)として用ゐられている以上、それはどのようにか意に沿うという意味でも「恣意的」なのだから、それがどのように意に沿うのかを問い、記述することは、大切であり、それは、「こゑ(声)」の場合でも同じである。 さらに、「こゑ(声)」が互いに組み合わされることも、「互いに特性を付与する」/"to mutually qualify"ことであり、それは、足し算に喩えられるべきものではなく、その相乗効果から逆算して、掛け算における作用のようなものとしてそれぞれの「こゑ(声)」の働きが推定されるべきものである。 古くからよく知られたパラドックスの一つに「ソリテス・パラドックス(砂山のパラドクス)」がある。
それは次のようなものである。砂山からたった一つの砂粒を取り除いても、それが
砂山であることに変わりはない。そうしてできた新しい砂山もやはり砂山なのだから、
そこからさらに一つ砂粒を取り除いても砂山のままである。この手続きは反復可能である。
他方、わずか二、三粒の砂はあきらかに砂山ではない。
たくさんとはいえ有限個の砂粒から砂山が構成されていることを考えると、以上の
話は辻褄が合わない。このパラドキシカルな状況をもう少し一般的に記述すると
次のようになる。 1. 有限個の要素から成る系列がある。
2. 系列は線形的であり両端があり、それぞれの端に対してある述語とその否定があてはまる。
3. 系列内の一つの要素から、すぐ隣の要素に移ってもその述語の適用は変わらないという
規則がある。 砂山のパラドクスでは、どこまでが砂山で、どこからが非砂山になるのか、という境界線
が不明瞭なことによって生じるものである。ハゲについても同様で、頭髪が豊かな者から、
髪の毛を一本ずつ抜いていく手続きを繰り返した場合(イテレート)、残り何本の頭髪数
からが、その者がハゲに該当するのかが、その境界線が不明瞭なのである。たとえば、
その反復手続きの中で、たとえ、残り頭髪数Xしかなくなった状態をハゲと恣意的に
定義したところで、そのハゲとされた者と、そのハゲの者よりも頭髪が1本多い者を
非ハゲ者とする論理が、形而上学的な存在論からすると、全く自明ではないのであり、
こうした印象は一般人でも容易に共有できるものであろう。 「テセウスの船」のパラドクスも同様である。船のパーツがすべて交換された時、
その新たなテセウスの船は、同一性を担保できるものなのであろうか。それは
むしろ、「テセウスの船2」みたいな、違うバージョンの船なのではないか、あるいは、
それはテセウスではない、何か別の名前の船なのではなかろうか、というのが
この古代のパラドクス問題の中心的な主題になる。要するに、同一性の
概念がここでは懐疑されているのである。前スレで、私がヘラクレイトスに
ついて触れておいたものをもう一度、以下に添付しておく 「同じ」という概念も、哲学的に考えるとそれほど自明ではないだろう。哲学なら、
たとえば古代の自然哲学者であるヘラクレイトスの「同じ川には二度と入れない」
という有名な表現でも分かるように、「同じ」や「等しい」に対して、かなり厳密な
基準を要請していることが分かるだろう。
一般には緻密と考えられている数学においての「同じ」の基準は、ヘラクレイトスと
比べるとずっと緩い基準になっている。たとえば、集合論における「外延性の公理」に
よればA={1,4,3,7} と B={3,4,1,7} という2つの集合Aと集合Bは同じとみなされる。
これは集合の要素が、集合Aと集合Bの中で同じものになっていることで、要素の
順序を考慮することなく、2つの集合を同じとみなすのである。古代哲学者のヘラクレイトス
であれば、これに疑義を呈するかもしれない。 群論になると、集合間の「同じ」のニュアンスがさらに人間の直感に反するものとなる。
たとえば、群GをG={0,1,2,3} としよう。この群Gを加法群(+)とする。
加法の演算のときは、単位元は0になる。単位元とは演算の値を変えないと
いう意味になる。どんな値xに0を足しても、値xを保持、という意味になる。
群Hの方は群H={1,i,-1,-i} としよう。この群Hを乗法群(×)とする。
乗法の演算のときは、単位元は1になる。単位元は演算の値を変えないと
いう意味になる。0を除くどんな値xに1を掛けても、値xを保持、という意味になる。
ここでiは虚数単位のことを指す。、虚数単位 i, j, k を用いた四元数なども
よく知られているが、ここでは割愛しよう
群の定義では、この2つの群Gと群Hが同じという扱いになる。群として、
GとHは同型のように表現される。演算表で対応させると、確かに、
Gは加法の演算によって、Hは乗法の演算によって、同じような対応関係を
表せる。構造において同じような関係があれば、2つの群は同じ、同型と
みなされてしまうのである。 このように、数学における「同じ」の定義は、古代の自然哲学者であるヘラクレイトスの
「同じ川には二度と入れない」の同じと比べると、ずっと緩いものである。
つまり、数学宇宙での「同じ」と、哲学者の表現する哲学宇宙での「同じ」は
同じではない、ということである。昨日と今日が同じ人間など一人もいないのである。
ミクロの身体組成をよく調べれば、昨日と今日が同じ人間などはあり得ないのである
よって、論理や数学が言う「同じ」は、その独自宇宙における同じであり、必ずしも、
普遍的な同じを言い表したものであるとは言えない。
こうした哲学的な厳密さを表現したのがヒュームなどの哲学者である。
哲学は論理や数学が安直に同じとみなすものに、差異性や帰納バイアスが
あることを適切に指摘できるのである。 このような古来から哲学のテーマの一つとしてあるパラドクス問題は、今でいうと、
「合成の誤謬」などと似た問題系であると、考えられる。それは諸部分の総和と、
全体は等しくない、というズレを表すものである。これを最適化問題でたとえると、
演算が過学習などで局所最適解に拘泥してしまい、それが全体としてみた解と
しては間違っているような状態と似ていると言える。あるいは、少し前にAIに
よる「記号接地問題」がさかん言われていたが、これも語Xと、それが名指したり、
指示する対象Xの同一性、対応付けが定まらないために起こる、組み合わせ爆発に
よるAIのフリーズ状態を指したものである。 こうしたパラドクス、自然言語の持つ多義性、クラスの違いの混交によるパラドクスを
生じさせる構造は、クレタ人の嘘つきパラドクスやラッセルのパラドクスとして哲学では
よく知られたものである。自明に見られる物事を、一度、形而上学的な存在論的位相に
物事や事象を移植し、そこへ照射していくと、物事の自明性が融解していくのである。
哲学は、このような「張り紙禁止の張り紙」のような矛盾を含む問題系をも形而上学的に
扱っていけるものである >>25
これを補足すると、それが「全体最適解」になっていない、という問題系である。
私は、合理や論理、科学やテクノロジーの持つバグをよく指摘しているが、
それは、それらが局限的な局所最適解を探索していることによって、
全体としての便益や功利、福利を喪失していることに無自覚なことを指摘したいが
ためでもある。
ここでいう全体とは人間のみならず、他の生物、生物多様性の保全も含まれる
また、まだ生まれていない未来の将来世代の人間も想定している上での
「全体」であることにも注意されたい。当然、気候変動や生態系をも含めた
「全体」最適解を私は志向しているのである。 以上のように、これまで私は、「同じさ」や同一性の問題を幾つかの観点から考察してきた。
量子論的な重ね合わせ状態をイメージさせるものとして、「シュレディンガーの猫」
がよく知られているが、その形而上学ヴァージョンとして、ここでは「猫のティブルス」を
取り上げてみよう。シュレディンガーの猫では、その猫の「生」か「死」かという2つの状態
への確率的な状態遷移が問題となるが、猫のティブルスでは「尻尾のある状態」と
「尻尾の無い状態」が問題系となっている。 つまり、これは先にあげた「砂山のパラドクス」や「テセウスの船」、ハゲの頭髪数の
問題系と同じである。猫のティブルスを構成している原子的な集まりは、通常の状態と、
病気や怪我などで尻尾がなくなった状態では大きく異なるが、それも私たちはそれを
同じ猫のティブルスとして名指してしまうが、これは存在論的にいっておかしいのでは
ないか、というのがここでの論点や問題系になる。
つまり、猫のティブルスを構成している原子的な配列やそのパターン、全体性が
尻尾を失ったことで、大きく異なる状態へと遷移しているのにもかかわらず、人は
それを同じ猫のティブルスとして名指したり、指示したり、認識することの存在論的な
問題系(アポリア)である。また、ここでは、猫という生物や存在が、原子の集まりの
パターンへと還元、要素として削減されていることが理解されるだろう 心の哲学の分野に、付随性(スーパーヴィーニエンス)という概念がある。
たとえば、それは人の特定の感情や心的現象が、脳神経のネットワークの特定の
状態に強く依存していたり、脳内ホルモンなどの生化学的な状態の差異や濃度に
依存してのみ起こるとする場合、それは、付随性を持つものとして記述される。だから、
強い依存関係にあるものを付随性(スーパーヴィーニエンス)と考えてもよいであろう。
これを直観的に言い表せば、「AがBに付随する」とは、「BがAを決定する」ことを
意味する、というような形式になる
より厳密な定義は、次のような形で与えられる。「起こりうる、どの二つの状況を考えて
も[特性2に関して異なりながら、特性1は同一だ]ということがないならば、特性2は
特性1に付随している」といったような記述となる。 つまり、対象の同一性の定義における、脳の物理的な状態への還元(付随)であったり、
猫のティブルスであれば、猫を構成している、原子の集まりや状態、配列への還元(付随)
に依って、その対象や物体、生物や存在の同一性を同定するので、尻尾をなくした
猫のティブルスは、それ以前の猫のティブルスと同一とみなして良いのか、といった
形而上学的な問題系がここに生じるのである。 言語学には「メレオロジー」という概念があるが、これは部分と全体を表す概念として
用いられるものである。車輪と車、生徒と学校、細胞と生体、などでもメレオロジーを
イメージできることであろう。メレオロジーは単語間の間に階層と呼べる構造がある
ことを表している。ラッセルのパラドクスであれば、クラスという別の階層を用意する
ことによって、素朴集合論か持つパラドクスを構造的に解消できるようにするものである。
先に私が例にあげた「張り紙禁止の張り紙」という矛盾した存在や文による名指しや
指示もそうだが、これは自己言及、つまり、自分が自分自身を指すことにより生じる
パラドクスであるので、クラスのように別の階層を用意することで、こうした自己言及に
依るパラドクスを解消できるのである。 さあ、ここでまた、尻尾を失った猫のティブルスの話に戻ろう。果たして、この猫を
尻尾を失う前の猫のティブルスと同一とみなして良いのだろうか。一般的な感覚では
それで良いだろうが、形而上学的な観点からすると、ここに十分な疑義が生じるのである。
なぜなら、物や生体は、原子や細胞、粒子などの集合、配列の集まりやパターンの違い
により同一性が名指され、指示されている。その意味で、尻尾を失った猫のティブルスは、
その自身の全体を構成する原子や細胞などの集合、配列の集まりやパターン、量、
組成が、以前とはかなり異なった状態になっているのが、原始的な還元の立場での
観察からすると明らかであろう。それにもかかわらず私たちは、それを同じ猫のティブルスと
みなすような粗い粒度で、同一性やアイデンティティをそこに認識しているのである。 この点において、以前に取り上げた古代の哲学者ヘラクレイトスだけでなく、
仏教的な認識も私たちの通常の認識よりはるかに厳密なものになっている。
なぜなら、仏教においてはすべての存在者や存在は無常とされ、同じものはない、と
されるからである。よって、仏教では自我の存在は否定され、無我であるとされる。
当然、アイデンティティなどというものは、仏教では妄想の類とされる。この世界は
幻のような仮現象であり、一切は空であり、確固たる実体を持たないという認識が
仏教の基底的な認識論的な立場だからである。 要するに仏教的にも、形而上学的にも、存在の同一性自体が全く自明ではなく、
むしろ、疑わしい幻視のようなものとみなされるのである。だから、存在論的に
この立場に立脚するのであれば、「世界は存在しない」し、すべてはハルシネーション
という幻の中を私たちは普段生きているのである。私の「マルチバース論」もそうした
同一性や自明性のコードを解消しうる、一つの形而上学的な概念的装置なのである こうした分析哲学的なアプローチは、大規模言語モデルや生成AI、未来の
汎用AI(AGI)を原理的なレイヤー(メタ認知上)で考究する上でも寄与すると
考えられるので、そうした観点と絡めながら理解を進めると、なお生産的で、
かつ今日的なものへと接続出来るものになってくるであろう。実際、私は、
そのようにしている。
「言語ゲーム」というのは、連想ゲームでもあり、新しい組み合わせを生成する
だけでも差異のコードを生む創発となりうるので、形而上学的な認識のアプローチは
現代でも有効なのである。AIの研究者でも、しばしば様々な哲学者やその考察への
言及をしたものをよく見かけるが、原理的に物事を考究するときには、やはりそうした
形而上学的な、科学とは異なる知のレイヤーが自然に要請されてくるのであろう。 >>12
>「クリスマスの恋人たちは、ハッピーである。」
の一文の中には幾何学的な円が、半濁点、句点として2度出現している
他者のことばというのは、それを発した本人がそうすることを意図していようといまいと、それまでは、自分自身では気づかなかった様々なことに気づかせてくれる。
この場合に注意を喚起されて気づくことになったのは、「ピ」は、英語で終止符を意味するものとして用いられる表現である「ピリオド」/"period"の「ピ」でもあるということであり、また、今では終止符の"."を指すものとして意識されるようになっている"period"という表現は、本来、そのように物象化して捉えられた"."を単独で指すように用いられたのではなく、その表現どおりまさしく"period"、つまり、「周期」として、「発話におけることばの周期」を指し示すように用いられたのだということである。
>period (n.)
15世紀初頭、「時間の経過または期間; 病気の再発の周期」という意味で、14世紀の古フランス語 periode から直接派生した中世ラテン語 periodus から来ています。ラテン語の periodus は「完全な文」という意味の他、「ギリシャの競技の周期」を意味することもあり、ギリシャ語の periodos は「周期、回路、時間の期間」という意味で、「周りを回る」という意味の peri(peri- を参照)と hodos「行く、旅する、旅行、道、道路」という言葉から成り立っています。この hodos という言葉の起源は不明です(Exodus を参照)。
「文の終わりを示す点」の意味は1600年頃に記録されており、以前の「一つの句読点から別の句読点までの完全な文」という意味から来ており、その後「文の最後の完全な休止」(1580年代)となりました。
(出典 etymonline.com/jp/word/period#etymonline_v_12704) ここで、私は、次のように言ふことができるのではないかと思ひついた。
>世界とは、み(身)ど(獲/取)りのこころ(試)み/心観において様々な「あらは(顕/現)れ」としての「周期」("periods")が「互いに特性をさづ(授)く("mutually qualify")」/うば(奪)ふ("mutually disqualify")」出来事としての効果である。 様々な「あらは(顕/現)れ」としての「周期」("periods")が「互いに特性をさづ(授)く("mutually qualify")」ことによ(依)り、何かがどのようにかう(生)まれ、逆に、「互いに特性をうば(奪)ふ("mutually disqualify")」ことによ(依)り、何かがどのようにかう(失)せる。 ところで、「う(産/生)む」とは、どのような表現だろうか。
これを解釈することは、私には、そうむづかしくないように私には感じられる。
「う(産/生)む」に関連する表現として、一方で「うぶ(産)ぎ(着)」の「うぶ」があり、他方で、「うひうひ(初々)しい」の「うひ」がある。
そこで、形を揃えると、「う(産/生)む」に関連して「うむ」、「うぶ」、「うふ」という三通りの発声の仕方が見られることになる。
では、この三つのなかでどれが中心的なのか、あるいはどれを中心的であると考へると、「う(産/生)む」という表現の意味解釈が容易になるのかと云へば、それは、「うふ」だろうと私は思ふ。
というのも、「うぶ」の「ぶ」は、「ふ」の前に何らかの発声が付加されることにより、「ふ」の発声の作用が薄れないように「ふ」を意識させるために「ぶ」に変化させられたと考へられる一方で、「うむ」の「む」は、「う」の発声によって表現される作用/様態の累加を示そうとするものであると考へられるが、この「う」が、「う(浮)く」、「うす(薄)」、「う(失)せ」などの「う」と共通する表現であるとするなら、「うふ」を介在させた方が、意味解釈が容易になるからであり、また、「うふ」⇒「うぶ」⇒「うむ」の方向での変化を想定することは自然であると(少なくとも私には)感じられるが、その逆は不自然であると感じられるからである。 さらに付け加へるなら、「うふ」を中心に介在させることで、一見したところ、「う(産/生)む」とは何の関係もない表現であるように思へる「うば(奪)ふ」まで、同じ説明の原理を適用することにより、意味解釈が可能になる。 これは、以前から繰り返し別のところで説明してきたことなので、ここでそれを繰り返すことはやめて、結論から先に述べよう。
「うす(薄)」、「う(失)せ」において「う」が伝へているのは、「表層(化)」や「皮相(化)」(≒"becoming superficial")として概念化できる様態/作用であり、「う(産/生)む」、「うぶ」、「うふ」の中心として想定した「う・ふ」の「〜ふ」は、「ひっくりかへし」の操作のメタ言語的な操作を指示する「ふ(復/覆)」である。
そして、「ふ(復/覆)」がその「表層(化)」や「皮相(化)」の様態/作用を「ひっくりかへす」ことによって伝へることになるのは、「表層化/皮相化の『ひっくりかへし』としての表面化」(≒bearing/bringing 〜 to surface)の様態/作用である。
ここで、例えば、「うへ(上)」という表現は、この様態/作用を「概念化する」ことによってもたらされたと見ることができるが、岩波古語辞典には、「うへ(上)」は、最も古くは、「表面」の意味で用ゐられたと記載されることに注目しよう。
しかし、「うへ(上)」が、「表層(化)」や「皮相(化)」の様態/作用としての「表面」、つまり、「『薄皮』/"peel"のような表層」をイメージするなら、それは誤りだろうと私は思ふ。
そうではなく、「うへ(上)」は、「何かが表面に現れてくること」/"coming to surface/emergence"の「表面」/"surfacing"をイメージさせるものだったと考へるのが妥当である。
だからこそ、「うは(上)つら(面)」という表現も、その「うは(上)つら(面)」しか存在しないものに対してではなく、潜在している何かの「うは(上)つら(面)」を表現するように用ゐられるのであり、"on 〜"としての「うへ(上) 」も何かの存在者の「うへ(上) 」として使はれるのである。
たとえ、それが「うは(上)のそら(空)」のように「虚空のうへ(上)」だったとしてもである。 "I wasn't born yesterday."
とはいへ、うひうひ(初々)しさをうしな(失)ひ、す(擦)れか(枯)らし("jaded"/"callous")になってしまうと、ことばの表現がどのようなことをつたへようとしているのか、その「こころ」をし(知/領)ろうとする感性もうしな(失)はれる トロープ(Trope)とは現代の分析形而上学における用語で、個物の個別的性質の
ことである。個別的属性とも呼ばれる。
たとえば赤い郵便ポストの前に赤い車が停まっているとする。その場合「赤」という
普遍的性質が、郵便ポストと車に個別化して存在しているものが「赤」のトロープである。
個物とトロープの関係は「全体」と「部分」の関係の一種であり、トロープは全体の
構成要素である。ただし個物なしでは存在できない「依存的存在者」である点が、
通常の全体と部分の関係と異なる。丸いボールの「丸」のトロープの場合、
個物であるボールが消えると同時に「丸」のトロープも消える。 普遍とトロープの関係は、「タイプ」と「トークン」の関係に似ている。しかしトークンとは
普遍的な性質の実例であるのに対し、トロープとは普遍的な性質がある場所と時間に
おいて個別化したものである。分かりやすく言うと、複数のトークンとは「同じ性質」が
複数あるということなのに対し、複数のトロープとは「類似の性質」が複数ある
ということである。トークンと違ってトロープは再現・再生されることのない、
特定の時空に限定された性質である。
なおトロープは個物の部分であるため、数学的対象や命題など時空に位置を持たない
抽象的存在者とは異なる。 「トロープ」という語を最初に用いたのは、D.C.Williams (1953)であるが、
形而上学において最初にトロープに類した個別的性質に言及したのはアリストテレス
である。アリストテレスは「述語となりえず、かつ基体のうちにあるもの」として
「個別的偶有性」を規定した。フッサールの「契機(momente)」や、ベルクマンの
「完全個別者(perfect particulars)」、ストローソンの「個別化された質
(particularized qualities)」もほぼ同様の概念である。
キャンベル(Campbell 1981)はトロープについてラディカルな立場をとる。彼は
トロープを個体に依存しない独立的な存在だと考え、さらにトロープこそが最も
基礎的なカテゴリーであり、他のカテゴリーはトロープから構成されると主張する。
リンゴも人間も車も諸々の「トロープの和(the sum of tropes)」とみなす。これは
ラッセルや論理実証主義の感覚与件論や、マッハの感性的要素一元論と類似の
方法論である。キャンベルは全てをトロープの集合とみなすことで普遍者を
存在論的に消去しようと試みる。 中世の普遍論争では、普遍が実在すると考える実念論と、普遍は名前だけである
と考える唯名論が対立していたが、トロープの概念は唯名論の系統に属する。
性質の存在論において、トロープ主義者(trope theorist) は普遍主義者
(universalist) と対立する。
現代を代表する普遍実在論者であるアームストロングは、トロープ説は
普遍の問題を先送りしていると批判している。たとえば「赤いトマト」は、「赤」や
その他の個別的性質の集合だとしても、それら個別的性質は既に「赤」などの
普遍者が用いられている、というものである。 心の哲学におけるトロープ説
心の哲学において、心的性質をトロープとみなすことによって心的因果を
説明しようとする立場がある。性質二元論の一種といえる。
トロープ一元主義(Trope Monism) を主張するデイヴィッド・ロブによれば、心的因果の
問題は、次の三つの原則が同時に成立しないことから生じる。
1. 心的性質は、物理的性質とは異なる = 異質性
2. 全ての物理的出来事の原因は、物理的なもののみである = 物理領域の因果的閉包性
3. 心的性質は、物理的出来事に因果的に関連することが出来る = 関連性
この三つの原則をを矛盾無く成立させるためにロブは、「性質」概念をタイプと
トロープの二つに分け、そして心的トロープは物理的トロープと同一の出来事と
して存在しているので、物理的タイプに因果的に作用できると考える。 ドナルド・デイヴィドソンは、心的出来事と物理的出来事とを同一とみなす
トークン一元論によって、出来事が因果的に過剰決定される問題(心的原因と
物理的原因が重複する問題)を解決しようとした。しかし出来事が心的性質と
物理的性質を併せ持っているとしても、物理領域の因果的閉包性によって、
因果的効力を持つのは結局、物理的性質のみであることが指摘された。
デイヴィドソンの難点は、出来事の心的側面を特徴づける役割と、因果的効力を
発揮させる役割を同じ「性質」という存在者に担わせてしまったことであるとロブは考える。
その反省を踏まえたロブのトロープー元論は、出来事の心的特徴づけをタイプに、
因果的役割をトロープに分担させ、異質性、因果的閉包性、関連性の三つの原則を
共に成立させることを試みる。 >>42
言葉遊び君は、全然哲学になってないから、俳句か短歌スレでも作って、そこで
やってくれ給え。君も哲学知識ゼロなのか? ここで私の立場は、唯名論(ノミナリズム)に近いものとなる。それは哲学者で
いうとクリプキなどに近い立場でもある。それは、ベタな普遍性や実在論を
否定する立場であり、すべては個別性における名指しやラベリングの効果による
ものであり、それによって仮の普遍性や汎化性を功利の観点から成立させている
のに過ぎないのが、この実世界である、というような認識である。だから、私は
この世界は脳や意識が作るハルシネーションに過ぎないという立場を支持しているし、
仏教の一切は空であり、世界には確固とした実体はないという思想も同様に支持している。
私の「マルチバース論」も、それらの形而上学的な変種や概念装置であるとも言える。
つまり、私は形而上学的に普遍者を志向しつつも、そうした普遍者を認識できる
ことそれ自体は否定しているのである。こうした捻れの構造の中にいるのが、今の
私の哲学的な認識論的立ち位置になる。 ただし、私が形而上学的な認識論の立場から、普遍者を否定するからと言って、
ドナルド・デイヴィドソンが主張するような心的現象を含めた、世界のすべてにおける、
物質-物理還元論みたいな主張とも、当然異なる立場にある。
つまり、私は世界を脳であろうが、意識であろうが、物理学であろうが、単一のレイヤーで
還元、記述できるような代物だとは想定していない、ということである。そのため、もちろん、
形而上学的なレイヤーをそれに用いたところで、その宇宙に世界を還元できるとも考えて
はいない。形而上学に出来るのは、むしろ、世界を科学のコードを含めて還元的な
単一性として扱うような短絡やショートカットに対する批判的な認識を提示することである。 >>1 --- >>52
いろいろと博学みたいだね。 君の考えをまとめた著作(arxivでもpdfの原稿でも可)を教えてくれないか?
5chでは纏まりがなくて読みにくい。 >>53
断る。クレクレ星人は嫌いなんでね。なぜ、自分で探せないのか、なぜ、このスレで論争になっている当該箇所をカントの著作から自分で探し出せないのかも同じだ。探求を放棄した人間に哲学は一生無理 共産主義国の官僚機構の役人とかの「説明」に典型的に見られる話法なんだよねw >>51
ソール・アーロン・クリプキ (Saul Aaron Kripke、1940年11月13日 -
2022年9月15日)は、アメリカの哲学者、論理学者。ニューヨーク市立大学
大学院センター教授、プリンストン大学名誉教授。ネブラスカ州オマハ生まれ。ユダヤ人。
父親は、ネブラスカ州オマハにある唯一の保守派会衆であるベス・エル・シナゴーグの指導者。
母親はユダヤ教の児童教育書の作家。マデリンとネッタという2人の姉妹とともに、
ダンディー小学校とオマハ・セントラル高校に通った。6歳までに古代ヘブライ語を独学し、
9歳までにシェイクスピアの全集を読み、小学校卒業前にデカルトの著作や複雑な
数学の問題をマスターするなど、神童と呼ばれていた。高校在学中の17歳の時に
自分が発見した様相論理の完全性定理についての論文を書き、翌年に出版した。
1958年、高校を卒業し、ハーバード大学に入学。1962年、数学のB.A.を取得し、
ハーバード大学を首席で卒業した。大学卒業後、フルブライト・フェローシップを得て、
1963年にはソサエティ・オブ・フェローズに任命された。後にクリプキは、
「大学はすっ飛ばせればよかった。面白い人たちと知り合えたけど、何かを学んだ
とは言えない。どうせひとりで読んだら全部わかってしまっていたと思う」と語っている。 ハーバード大学で少し教えた後、1968年にニューヨークのロックフェラー大学に移り、
1976年まで教壇に立った。1978年にはプリンストン大学の主任教授に就任し、
1988年には同大学から人文科学分野での功績を称えるハワード・ベールマン賞を
受賞。2002年からはニューヨーク市立大学大学院センターで教鞭をとり、2003年には
同校の哲学の卓越教授に任命された。
また、ネブラスカ大学オマハ校(1977年)、ジョンズ・ホプキンス大学(1997年)、
ハイファ大学(1998年)、ペンシルバニア大学(2005年)から名誉学位を授与されている。
アメリカ哲学協会会員、アメリカ芸術科学アカデミーフェロー、1985年イギリス学士院
コレスポンディング・フェロー。 2001年、ショック賞論理学・哲学部門受賞。
妻は哲学者のマーガレット・ギルバート。また、テレビプロデューサーの
エリック・クリプキは又従兄弟である。 クリプキの学術的業績は以下のように大別できる。
1. 様相論理、関係論理の為のクリプキ意味論。
2. 1970年にプリンストン大学で行われた講義「名指しと必然性」は、
以後の言語哲学を大きく変えた。
3. ウィトゲンシュタイン研究、テクスト解釈。
4. 真理の理論。
また、再帰理論にも貢献している(許容順序数、Kripke–Platek集合論を参照)。 クリプキ・モデル (Kripke Model) は クリプキ意味論 (Kripke) とも言われている。
これはソール・A・クリプキが提唱し、状況に応じた真理値を持つ論理体系の論理式に
ついて与えられる意味論である。これは「可能世界」という概念で説明される。
可能世界とは、例えば「ある小説の男性は魔法が使える」ということと、現実世界の
「ある男性は魔法が使えない」ということを、「それらは世界が異なるので、
それぞれの世界ではそれらが成り立つ」という方法で説明されている。 形而上学的な存在論というと、存在を直接扱うように思われがちであるが、逆に
存在の「欠如」や「空白」、あるいはその「周縁」を考究することによっても、
存在論的な本質へとアプローチできると考えられる。私は前に、トポロジーについて、
少し触れたので、それをもう一度、再掲してから、次のトピックへと移りたい > トポロジーになると、群論以上に、さらに同じの感覚が人々の直感とは乖離して
くる。トポロジーで問題にするのは、オブジェクト間にある「つながり方」だけに
なるので、コーヒーカップとドーナツは同じもの(位相同型)と記述されるのである。
ミスドにでも行く機会があれば、このコーヒーカップとドーナツが同じものである、
という、このトポロジーの奇妙な説明のことでも思い出せばよいであろう。
位相幾何学という数学宇宙においては、コーヒーカップとドーナツ(トーラス)は
共に種数gが1となり、オイラー標数は共に0となる。簡単に言うと、種数では
コーヒーカップとトーナツは穴の数が両者とも1個だから、同じである、と
トポロジーではみなす。オイラー標数では、オブジェクトの頂点、辺、面、カットの
数を計算して、値を出す。円盤や球面であれば穴がないので、種数gは0になる
このように数学宇宙における同じや同相、同型、準同型などは、オブジェクト間の
構造の特定の局限的な領域のみに着目して、擬似的な同じらしさを測っている
ものに過ぎないのである ここで取り上げたドーナツ(トーラス)には穴があるのだが、こうした穴は欠如や
空白、無という不在や非存在を示しているのにもかかわらず、それでも何か
存在の系と連なる要素が感受されるのである。他の例だと、鍵穴、胃腸、口腔、
銃口、防音室などの壁の穴、トイレットペーパーの芯、ASMRの耳型マイクも
人工の耳の穴を使って特殊な音響効果を生じさせるものである。
ここで、いや、穴は単なる無や欠如ではなく、そこには空気が充填されている
のではないか、という疑問もあるだろう。そうした場合は、ドーナツを地球から
月や宇宙空間にでも持っていけば、そこでは真空という無が容易に得られる
ことであろう。つまり、穴は存在論的には無であるにもかかわらず、それゆえに、
存在論的に有となるような契機があり、その機能や作用を果たしていると言える。 私は、前に正射影ベクトルにも触れたが、そうした射影や影も存在論的には
そうした周縁的なもの、穴と同様の特異な存在系とでも表現できるかもしれない。
> ベクトルを学んだことがある者は、「正射影ベクトル」というのを聞いたことが
あるであろう。それは地面に斜めに刺さった棒に真昼の陽光が射す時に作る
棒の影のようなものである。先にも述べたように、プラトンのイデア論は、この
正射影ベクトルの極限形態とでも表現できるかもしれない。
このように射影や影は、端的な物体というよりは、準-物質的、あるいは、
前-物質的とでも呼べるような周縁的な存在者と表現してもよいであろう。
それは穴と同様に、非物質的でありながらも、それは存在を表している、
もしくは、存在の系を影で支えている。浮輪の穴も同じである。その中心が
存在論的に空虚になっているが故に、それは海やプールの中で役立つのである 老子のタオイズムでは、器の虚空性が重視されている。器は空であるからこそ、
人や物事の役に立つ、という観点である。そこでは「無い」がゆえに、それは
「有る」という存在論的な系へと付随的に移行出来るのである。
これを私は、存在していないことによる存在系と呼ぼう。ここでは奇妙な形で
捻れながら、非存在と存在が等価な系として事後的に接続されてくるのである。
このように、形而上学的な存在論では、無や欠如、空白、影といった周縁的な
ものからも、存在への本質へとアプローチできるのである。
私の「マルチバース論」も存在していないことによる存在系という世界線を
露わにするための、形而上学的な概念装置の一つなのである。 クリプキの講演は、直接に聞いたことがあるけど、まあ、酷かったな。
聴衆を相手に何かを説明しているのではなく、間断的に、脈絡もなく、思いついたことを独り言のように口に出すだけ。
あれをおとなしく最後まで聴いている人々も、まともではないね。 理論やモデルは、とりあえず川を渡れるように作られた仮の筏であってよい
つまり、そのモデルは真理を直接、明示的に指示していなくても構わないのである
この観点は、プラグマティズムというよりは、存在論的なロジックに根ざしている
すなわち、存在は、もともと不明瞭な性質を帯びているからである
ウィトゲンシュタインであれば先行する命題群は、とりあえず梯子を登るための
手掛かり(cue)であり、梯子が登られた暁には、それらの命題群は全て無意味として
捨てられても何の問題もないのと同一の観点である つまり、存在論的に世界には穴が空いている。常に亀裂が生じており、漏れやバグがある。この穴を一時的に塞いでいるのが、理論やモデル、科学の標準理論である
ただ、それらは、どこまでいっても仮の筏であるので真理を明示的には指示し得ない。あくまで、今、現前している川を渡れるための方便のようなものである。よって、それらを真理として誤って捉え、過信してはならない >>42
>そうではなく、「うへ(上)」は、「何かが表面に現れてくること」/"coming to surface/emergence"の「表面」/"surfacing"をイメージさせるものだったと考へるのが妥当である。
だからこそ、「うは(上)つら(面)」という表現も、その「うは(上)つら(面)」しか存在しないものに対してではなく、潜在している何かの「うは(上)つら(面)」を表現するように用ゐられるのであり、"on 〜"としての「うへ(上) 」も何かの存在者の「うへ(上) 」として使はれるのである。
たとえ、それが「うは(上)のそら(空)」のように「虚空のうへ(上)」だったとしてもである。<
《Voilà, c'est ça》⇔「う・べ(宜)・なふ」
「う・べ(宜)・なふ」は、「服従する」という意味合いでもつか(使/仕/遣)はれる。 「さ(然)よう(様)」という「う・べ(宜)・なひ」は、事象を「さ(然)よう(様)」であるものとして物象化することになり、「われ(我)」も「相手」も、その物象化された捉へ方にしたが(従)ふことになるが、これに対して、「さ(然)よう(様)なら」という「わか(別)れ」は、互ひにわか(別)れるわけ(訳)の条件設定であり、「さ(然)よう(様)」であることを、「われ(我)」が「相手」と分れる「わけ(訳)」としてみづから(身づ柄/自ら)のために「流用すること」、つまり、"appropriation"である。 「さ(然)よう(様)なら」という「わか(別)れ」において「われ(我)」が孤立して立ち現れる。 今度は、宮台真司が取り上げていた「吉幾三問題」を言語ゲームの観点から
取り上げてみよう
> 吉幾三は上京したての頃、喫茶店でバイトをしていた事があった。ある日、その喫茶店の
マスターが外出してしまい、店員が吉幾三一人になったことがあった。そこに客がやってきて、
「ウインナーコーヒー」を注文した。吉幾三はウインナーコーヒーとは何かを知らなかったが、
「ウインナーコーヒー」というからには「ウインナー+コーヒー」のことだと考えて、コーヒーと
炙ったウインナーソーセージを出した。
客は何も言わずにその「ウインナーコーヒー」を飲み、食べて、帰っていった。
吉幾三は店長が帰ってきてからこの件を報告して、怒られた。だが、帰っていった
客は、「ウインナーコーヒー=ウインナー+コーヒー」と覚えたままかも知れない。 この「吉幾三問題」は、逆説な形で、ウィトが主張するタイプの哲学の基盤を
掘り崩していると言える。なぜなら、ウィトは記号、すなわちシンボルは、
有意味な記号の使用へ目を向けるべきである、と記述しているからである
論考 : 3・326
[命題からシンボルを読み取るには、有意味な記号使用に目を向けなければならない」
つまり、ここでシンボルとは語や記号のことを表しており、たとえば、単に「あめ」と
表示すると、その語が指示しているものが曖昧になる、多義的になるので
そうしたシンボルの使用を控えよ、みたいなことを述べているのである。
「あめ」は雨でもありうるし、飴でもありうる。「はし」なら、箸なのか、橋なのか、
端のことなのか、よく分からなくなる、というウィトの言語的な観点である。 では、さっきの「吉幾三問題」に戻ろう。喫茶店で客が注文したウィンナーコーヒー
を吉幾三はそれを意味のあるシンボルとして受け取り、それを記号的に正しく
「ウインナー+コーヒー」へと分節化して、ウィトの言うように、それぞれの単語に
対してスタティックに一対一対応させるような形で解釈し、その解釈の帰結として、
ウィンナーを炙ったものと、コーヒーを客に提供して、客もそれに満足しながら
帰っていたのである。つまり、ここではウィトゲンシュタインの言語の固定的使用法
についての哲学が、見事に否定されていると言える。つまり、吉幾三は、非常に
ウィトゲンシュタインと言語感覚が近かったのである。 私や、このスレで砂場で遊ぶ園児のごとく古語解釈をしている「言葉遊び君」などの
ように、言語の有する多義性、私であれば、それは「マルチバース論」の一つへと容易に
回収される問題系であるのだが、そうした多義性を解する人間であれば、当時の吉幾三
のように、ウインナーコーヒーのことを知らなくても「ウインナーコーヒー=ウインナー+コーヒー」というようなスタティックな解釈はしなかったかもしれないのである。
よって、ウィトの論考による言語への考察も決して自明でも論理実証主義的でもなく、
それはあくまで言語分析の一つのモデルに過ぎないと言えるだろう。
そのため語は分岐する、フォークする、そして、そこから生じるエラーが進化論的な
創発の契機にもなりうる、というのが私の言語哲学的な観点になる。 同様に、記号表現にはその背景知識、コンテクストへの理解が必要とされる
そうした背景知識がない者にとっては、記号表現はただのインクの染みのような
ものに過ぎなくなる。たとえば、
「僕は、毎日顔本使ってるよ」
という文や発話を見たり聞いたりしても、その背景知識がない者にとっては意味内容が
つかめない。だが、SNSについての背景知識がある者なら、顔本=Facebookのことを
指していると分かり、この人は毎日、Facebookを利用しているのだなと理解できるようになる このような観点から、ウィトの薦めるような多義性を排除した形の人工的な言語モデルは
どこか硬直性を帯びていて、人間的な自然なものには感じられないのである。哲学として
それを考えても、同様な状況になると考えられる。現にウィトの「論考」を巡る世界各国の
研究者たちの解釈がすでに多様であり、まちまちなことから見ても、それは明らかであろう。 前に、私はAIの「記号接地問題」についても触れたが、実はこれは「吉幾三問題」や
ウィトの求めるような理想的な人工言語モデルから派生しているようなバグであったり、
「組み合わせ爆発」であったりすることが考えられるのである。文脈やコンテクスト、
背景を無視して、語や記号の正しさだけを狭いスコープで最適化すると、それは
局所最適解へと陥り、全体最適解の文脈上ではエラーとなるような間違った解釈を
推論、帰結してしまうということである。また、大規模言語モデルにおけるハルシネーション
にも同様な問題系が伏在していると考えられる。 こうした問題について、前に私はベイトソンの「ダブルバインド」という概念を使って、
文や発話の持つ二重性、もしくは多義性として以下のように触れておいた
> シニフィアンとシニフィエは、全く、一対一対応などしていないのである。
たとえば、
「お前、馬鹿だなあ」
というパロールなども、侮蔑表現としてコンスタティブなものなのか、あるいは
友人同士のパフォーマティブな親愛表現なのかによって解釈は大きく異なるし、
それはパロールからだけでは決定不能である。それらはあくまで文脈によるのであり、
そこでは一対一対応などは求められてはいない。これがコミュニケーションの現場での
通常の情況である。そのため、ベイトソンの「ダブルバインド」のような複雑な
コミュニケーション分析なども要請されるのである かつて、ウィトが文化人や著名人の集まるパーティーに呼ばれたことがあったのだが、
そこでもウィトはいつもの調子で言語や語の持つメタ的な真の意味はなんだろう、と
いう観点で、そこにいた哲学を知らない著名人にもそうした話を持ちかけ、そこにいた
人々と会話が全く噛み合わず、顰蹙を買っていたようである。
これはウィトが社交的なパーティーというTPOを弁えないで、いつもの調子で
自分の言語哲学をそのまま他の人々の自然な会話のやり取りの中へと
アスペ的にベタに挿入、内挿してしまったことによる、場の混乱といえよう。
それは、営利目的の組織である会社の会議中に「マルクスは、資本論でこう言ってました」
という類の場を混乱させる発言と同様の危険さを包含しているのである。つまり、
ウィトの多義性を排他した理想の人工的言語モデルは、論理的にAIの「記号接地問題」の
ような組み合わせ爆発やエラーを引き起こすであろう、というのが私の見立てである。 >>73
これに補足として、一休さんの「このはし渡るべからず」などの立て札もそうした例になる。一休さんは、この橋の「端」を渡らずに、橋の中央を歩いて、立て札の指示に全く違反することなく目的の行為を遂行出来たのである。
一休さんのように智慧のある者ならば、どんな記号、あるいは、解釈の多義性を生じないと過って信じられている論理記号だけで書かれた立て札であっても、そこに意味や指示の「穴」やバグを見つけて、容易に橋を突破することであろう。形而上学は、こうした一休さんのような柔軟性のある智慧を要請するのである また、ウィトゲンシュタインは「論考」で考究した自身の「像の理論」を
その後期では、自身で否定するようになったので、後期のウィトの立場は、
ようやく、これまで私が様々な観点から考察してきた形而上学的な存在論モデル
や背景、コンテクスト、文脈、文化や言語使用の慣習の差異を理解した上での
レジリエントな言語ということを意識するようになってきたのである。こうしたことへの
考察が後期のウィトによる「言語ゲーム」という概念である。そこでは様々なルールが
言語ゲームとして数多的にパラレルに存在したり、交錯しあっていると言える
要するに、ウィトはそれまでの命題と事実が写像や全単射のように1対1対応せねば
ならぬ、という己の信念を放棄し、より柔軟な言語モデルや言語分析へと自己の考究の
軸足(日常言語学派)を転回させた、ということになる。私の場合は、「マルチバース論」に
よって、すべてのドメインにおいて最初から多様性を意識しているので、前期のウィトの
ような1対1対応などというのは、最初から捨てられたものになっている。 一方、ウィトの師であるラッセルの方は、前期ウィトが「論考」で考究していたような
語や命題と事実の1対1対応関係、写像理論のような考え方に留まっていたようである。
ラッセルは当時の先端の科学にも通暁していただけでなく、アインシュタインとも友人で
あったくらいである。よって、ラッセルは後期のウィトが転向したような日常言語学派には
批判的な立場で、あくまで記号論理のような人工言語によって、対象をスタテイックに
定位すべし、という立場に立っている。つまり、科学者的な認識の仕方を求めているのが、
ラッセルである。 それでは科学の世界でも使われる、πや自然対数のeは、実世界と写像理論的に
1対1の対応関係を持つのであろうか。今、私がPythonを使ってπとeの値を表示してみよう
pi(π) = 3.141592653589793
e = 2.718281828459045 となったが、果たしてこれで1対1の対応関係対応関係が得られているのだろうか。
たとえば、小学生では円周率は3と教えるらしい。だが、これは誤報のようで、
小学校では円周率は3.14と教えるらしい。πという概念は使われいないようだ。
小学校で教えられる円周率3.14とPythonで表示させたpi(π) = 3.14159265
3589793 は随分、違う印象を与えないだろうか。また、このプログラミングで書かせた
πやeもそれほど正確というわけでもなく、もっと無限に近い浮動小数点数を使って
πを表せるはずである。要するに、数学的な概念においても、それほど厳密に
実世界や概念モデルとの間に1対1対応関係が得られてないのが現状であり、
自然対数のeについてもそれは同じである。また、プログラミングでは数値において
丸め誤差が生じるので、一般に信じられている程には正確な計算をしているわけでも
ないのである。 ZFC系にある選択公理にしても、どこか疑わしい処理、誤魔化しっぽいことが行われて
いる印象を受けるのも、これと同じことである。とりあえず、同じとみなしている
だけであり、現代数学の公理系においても、はやはり私が言うところの、とりあえず
川を渡れるために作った仮の筏に過ぎないのである。だから、数学や論理が万能や
絶対になることも永遠にないのである。
そうした実世界に伏在する「穴」やバグを内包した実世界を形而上学的なモデルから
照射していくのが私の「マルチバース論」であり、これもやはり川をとりあえず渡るため
に作った仮の筏に過ぎないので、当然、絶対でも普遍でもないのである。だが、それ(無)
ゆえにこそ有用性の平面にも浮上出来る形而上学的な装置とも言えるのである。 また話を戻すと、心の表象モデルに関してもラッセルは独特の立ち位置になる。
それは、外界に対象や物、心的対象が実在して、それらを私たちが認識しているのではなく、
より根源的な要素として、「センシビリア」というものがあり、それを私たちの主観が
センスデータ(感覚与件)と知覚し、それを(社会的に)構成されたものとして表象している、と
いうような理路になる。しかし、この「センスデータ」の概念も、後期ウィトが自身の前期
の思想である「論考」での「像の理論」を放棄し、否定したように、ラッセル自身によって、
捨てられることになる。その代わりに、ラッセルはホワイトヘッドの「出来事」の概念を
使って、知覚のモデルを構築したようである。 要するに、ウィトにしろ、ラッセルにしろ、認識があっちへ行ったり、こっちに行ったりで、
認識が経時的にズレていくのが分かるであろう。「論考」は、言語論的転回という
思潮の当時の理論的支柱にさえなったようだが、その「論考」の思索的な帰結を
後期のウィト自身が放棄しているので、言語論的転回の有効性自体も疑わしいのである。
その点、私の「マルチバース論」は最初から真理を措定してないので、安全である。
なぜ安全かと言うと、実は、これは人間の認識のあやふやさを最初から織り込んだ
形而上学的な認知モデルだからである。
私はこれをソクラテスの「無知の知」からも得ているだろうし、仏教の「一切は空」
という空観からも得ていると言えるだろう。そのため、私の「マルチバース論」は
真理を明示的に指示するのものではなく、むしろ真理が到達不可能であることを
指すのである。従って、これは命題に対して、「多値論理」のようなアプローチを呈して
いるとも言える。つまり、真理値の中に、常に「不明」の値を用意してあるのが、
私の「マルチバース論」のアルゴリズム的な実装だと言えるのである。 >>88
マルチバースがお前の妄想を全否定したから自己矛盾してる
はい完全論破
生きてる意味ないゴミは自殺しな? たとえば、ドーキンスやラッセルは無神論者としてよく知られている。これは二値論理て言うと0の値である。私のような多値論理モデルに基づく場合、神の存在の有無は不明として扱われ、0でも1でもなく、Null となる
死後の世界や輪廻転生、科学的なマルチバースの存在についても、Null になる。要するに、人々は性急に判断を下しがちなのである。余裕がないとも言える >因幡の白兎
「稻羽之素菟(いなばのしろうさぎ)が淤岐島(おきのしま)から稻羽(いなば)に渡ろうとして、和邇(ワニ)を並べてその背を渡ったが、和邇に毛皮を剥ぎ取られて泣いていたところを大穴牟遲神(大国主神)に助けられる」
「気多(けた)の前」に来たとき、裸の兎(あかはだのうさぎ)が伏せっていた。兎は、八十神に「海塩を浴び、山の頂で、強い風と日光にあたって、横になっていることだ」と教えられた通りに伏せていたが、海塩が乾くにつれ、体中の皮がことごとく裂けてきて、痛みに苦しんで泣いている。すると、最後に現れた大穴牟遲神が「なぜ泣いているの」と聞いた。
(ja.wikipedia.org/wiki/因幡の白兎)
このことば遊びが分かるだろうか。「う」=「表面/皮相」が「さ(裂)ける」から「う・さぎ」なのである。 Pile-poil, la poule épile les boules de poil de Paul. フランス語の《pile-poil》という表現は、「ぴったり」である様態を伝へるようにつか(使/仕/遣)はれる。
ところで、日本語の「うってつけ」という表現が、なぜ「うってつけ」という意味でつか(使/仕/遣)はれるのか分かるだろうか?
>
打って付け(読み)ウッテツケ
デジタル大辞泉 「打って付け」の意味・読み・例文・類語
[名・形動]物事がぴったりと当てはまること。また、そのさま。あつらえ向き。「打って付けな役柄」「この仕事は君に打って付けだ」 フランス語の《pile-poil》という表現は、その発音を聞いただけでも、日本語の「ぴったり」という表現を想起させる。
なぜだか分かるだろうか。それは、この場合、《pile》の「こゑ(声)」が、「ぴったりする」様態をちょうど裏返した様態である「ひっぱがす」ことを想起させるように用ゐられているからである。
このことは、例えば、英語で略奪行為、つまり、「身ぐるみ(ひっ)剥がす」行為を表すのに使はれる"pillage"という表現を見ても確認することができる。
>pillage (n.)
14世紀後半、特に戦争における「略奪行為」としての意味で、古フランス語の pilage (14世紀)「略奪品」が、pillier「略奪する、略奪品、虐待する」から来ていると考えられます。そして、これはおそらく Vulgar Latin の *piliare 「略奪する」から派生したもので、Latin の pilare 「毛や毛皮を剥ぐ」という比喩的な用法から来ているかもしれません(動詞の比喩的拡張との関連を考えてみてください、pluck 、 fleece)。また、これは「毛」を指すラテン語の pilus「毛」(pile(n.3)を参照)から来ている。
(etymonline.com/jp/word/pillage#etymonline_v_14990)
ところで、日本語の「ぴったり」という表現の「ぴっ」は、既に以前から何度も指摘するとおり、「ひと(人/一)」という表現と共通で、「匹(Middle Chinese: phjit)」として使われるようにもなった表現の流用である。
>匹
1. † to match; to be equal
匹配 ― pǐpèi ― to match
匹敵/匹敌 ― pǐdí ― to be equal
2. † match; equal; opponent
3. † mate; spouse
4. † single; one
5. † four zhang of cloth
6. Classifier for bolts of cloth.
7. (Sichuanese) Classifier for flat surfaces or objects (hillside, leaves, tiles, etc.).
(en.wiktionary.org/wiki/匹) >>92
>>88
マルチバースがお前の妄想を全否定したから自己矛盾してる
はい完全論破
生きてる意味ないゴミは自殺しな? >>92
それ無理
マルチバースは他のマルチバースの値を操作できるからNullとか不明とか許されない
それがマルチバース 質問です。
マルチバースさん(>>92)と言葉遊びさん(>>95) は同じ人ですか? 違います。賢い方がマルチバースさんで、砂場で遊ぶ園児の方が言葉遊び君です 前回、「穴」や「影」の持つ存在論的な特異性のことに触れた >>63 以降参照
また、>>30において、心の哲学における付随性(スーパーヴィーニエンス)のことに
も触れたが、穴や影もこうした付随性を持つと言える。なぜなら、ドーナツ(トーラス)
や鍵穴の穴だけで単独には存在出来ないし、また、対象物がないのに、影や射影だけ
が自立して単独で生じるということはない。だから、以下のような発話あったら、人は
怪訝な表情を示すことだろう。
ミスドでの一場面。店員に向かって形而上学者的な客が尋ねる
「ドーナツの穴の部分だけを3個、お願いします。穴だけの注文だから、無料でいいですよね」
このように、穴や影だけを単独で取り出すことは出来ないにもかかわらず(= 付随性)、
それは存在論的に特異な形態で存在していると言えるのである。認識へのこうした
メタ的な形態でのアプローチは科学や論理学では向いていないものであり、やはり、
そこは形而上学が向いている領域なのである。 >>92
それ無理
マルチバースは他のマルチバースの値を操作できるからNullとか不明とか許されない
それがマルチバース >>101
位相幾何学すら知らない中卒無職の知ったかぶり
自殺したら? たとえば、影が動くというのは、割と自然な表現や描写になるだろう。夕暮れの中、
自転車に乗る少女が作る影が、その自転車の進行に付き従いながら、一緒に動く。
だが、ドーナツの穴の場合は、少し奇異に感じられないだろうか。さっきの例で言うと、
やはり世間の基準にあわせて、素直に普通のドーナツを3個テイクアウトで注文
したとする。それが、今、例にあげた少女の乗る自転車のかごの中に入っている
のであるが、その場合、そのドーナツの穴は、果たして、少女の自転車の進行と沿い
ながら一緒に動いていると言えるのだろうか
これを命題として取り出すと、また先程の例と同様な奇異な印象を与えるだろう
「(ドーナツの)穴とは、何らかの動作や回転を伴えるものである」
影が動くなら違和感を感じないが、穴が動く、だとやはり違和感が生じる気が
しないだろうか。浮輪が海に浮かんで揺れ動いているなら自然だが、(浮輪の)
穴が海に浮かんで動いている、であれば奇妙な印象を与える。またレコードやCDを
聞いているとき、その穴は回転しているのだろうか、それとも静止しているのであろうか こうした特異性は実は、私たちの日常生活にも伏在している。たとえば、人は
家の中にいたり、電車や車の中にいたり、学校や会社の建物の中にいたりする。
だが、このXの中に存在しているというのは、それを形而上学的に抽象化していくと、
やはり、穴(X)のような存在論的な特異的領域に存在していることを指しているのでは
ないだろうか。つまり、人は物質性の高い、家や電車、学校、病院、会社の建物の位相に
存在しているのでなく、非物質的な穴という空や欠如、不在の中に現象的にハルシネーション
のように一時的に現れている、存在しているとも言えるのである。こうした観点を
比喩的に言うと、私たちは複素平面に置かれたリンゴのような存在だとも言える。 >>104
103 考える名無しさん[] 2023/12/08(金) 05:03:15.68 0
>>101
位相幾何学すら知らない中卒無職の知ったかぶり
自殺したら? >>105
103 考える名無しさん[] 2023/12/08(金) 05:03:15.68 0
>>101
位相幾何学すら知らない中卒無職の知ったかぶり
自殺したら? >>105
>>92
それ無理
マルチバースは他のマルチバースの値を操作できるからNullとか不明とか許されない
それがマルチバース 実は、形而上学自体もこうした穴や影のような存在論的な特異性を有していると言える。
科学などと比較すれば、哲学はある意味において、穴であり、欠如であり、不在でもあり、
無でもある。だが逆に、それゆえにこそ、世界内に伏在している、存在論的な幾多の穴や欠如、
無、バグに対しても認識論的に照射していけるのである。人々にとって自明ではない存在論的な
亀裂や裂け目を露わにしていくこと、これも哲学に遂行できることの一つである >>109
マルチバースが他のマルチバースの形而上学を存在不可能に書き換えたから意味ないよ 以上のように、「穴」や「影」の持つ存在論的な特異性に触れたのだが、人物においては
影武者などの存在もそうした不明瞭な存在といえるだろう。これは事実か陰謀論か噂か、
よく分からないが、プーチン死亡説や金正恩死亡説などもあり、今、存在しているのは
事前に用意しておいた影武者だという説もある。つまり、これを記号的に表すと
プーチン0号(本物,状態 : 生or死),プーチン1号、プーチン2号、プーチン3号……
金正恩0号(本物, 状態 : 生or死),金正恩1号、金正恩2号、金正恩3号…… …がパラレルに存在していることになる。つまり、わざわざ哲学的なゾンビなどを用意
しなくても、実世界の中に存在しうる影武者というものを使って、そうした真を巡る考察を
することも出来るのである。AIの技術がさらに向上すれば、現実と全く見分けのつかない
虚構の現実も構築されてくるだろうし、その時、人は、自分が実世界で生きているのか、
仮想の中で存在しているのかを区分する閾値や境界が消失するであろうことが
想像される。それは、今いる金正恩が本物か影武者なのか区別出来ないのと同じである。
また以前からAIは心を持つか否かも議論になっているが、これも実際には、
人間とAIの間にある閾値や境界線のことを指しているのである。 私の「マルチバース論」はこういう問題に対しても汎化性を持っていると考えられる。
なぜなら、マルチなので、それは最初から現実と虚構をそれほど厳密に区別していない
どころか並行宇宙のような世界さえ想定しているからである。 100年前に哲学が死んだ経緯
・ラッセルのパラドックスが発見され通常の論理学では回避できないことが判明
・ラッセルはパラドックスは論理学の仕組みに問題があることを見抜いてパラドックスがそもそも起こらない論理学の仕組みを構築(自己と自己言及を明確に区別して混同しないルール)
・ウィトゲンシュタインはラッセルの弟子であり論理学の仕組み追求しようとした
・ウィトゲンシュタインは新しい矛盾のない論理学で何を言えるのか研究したところ形而上学や哲学を論理的に扱うことは不可能であることが判明
・形而上学や哲学は論理学を誤って用いたことから生まれる全く意味のない妄想であることを指摘した
・このプロセスは論理哲学論考において数学の証明として掲げられている
・現在までにこの証明に反証出来た人間は歴史上1人も居ない
つまり100年前から哲学者を名乗った時点で不勉強な無知または詐欺師であることは確定している
賢い哲学者というのは論理的に存在不可能
1921年以降に哲学者を名乗った奴は例外なく無知で頭が悪い >>113
想定は不可能
なぜなら他のマルチバースが想定を禁止したから 「論考」の帰結は、後期ウィト(「哲学の探求」)が自身で否定しているから、虫が言っているのは前期ウィトの古い話
無知蒙昧だから、もう相手にする気もないのだけど、どうやったらこれだけ社会のゴミになれるんだろうな メイヤスーの「有限性の後で」は新実在論がテーマの良書だから、
虫もスレ荒らす暇があるなら、読むべきだな。虫は無知蒙昧過ぎて、
哲学の話に参加出来るレベルでないし、カントどころかメイヤスーさえ
全く読めないだろうな >>116
否定は不可能
数学の証明は本人の意思と無関係
これ証明の意味すら理解してない低学歴の自白 >>116-117
否定は不可能
数学の証明は本人の意思と無関係
これ証明の意味すら理解してない低学歴の自白
数学の証明を個人の意見か何かと勘違いしてるところが中卒無職丸出し
中卒無職は自殺しとけよ >>116-117
数学の証明は本人が後から何を願っても取り消せないぞ脳障害
自殺したら? 数学の証明を取り消せると思ってた中卒無職ウケるwwwwww
ガチで一切教育を受けたことが無いんだなwwwwwww 一度証明されたことは取り消し不可能
そんなことすらわからない脳障害中卒無職wwwww
さすがバカすぎて全ての仕事をクビになって障害者年金貰ってるだけあるわwwwww 一度証明されたことは取り消し不可能
そんなことすらわからない脳障害中卒無職wwwww
さすがバカすぎて全ての仕事をクビになって障害者年金貰ってるだけあるわwwwww 「語り得ぬものには沈黙しなければならない」
は数学の定理の証明結果なのであって
個人の見解や意見などでは無い
だから主張した本人が取り消したいと思っても変えたいと思っても全く意味がない
取り消したければ証明の誤りを指摘するしかないが歴史上誰1人として成功していない
よって1921年以降に哲学をやってる者は例外なくバカ
形而上学はどのようなものでも論理学を満たさないことを論理学が証明済み
これを理解できないのは中学レベルの数学の証明すら理解できなかった中卒無職であることを自白しているのと同じ >>116
数学の証明を願望によって否定できると思い込めるのは数学の知識が0な中卒無職だけ 論理学で証明された定理は個人の意見じゃないんだから撤回も転向も全く不可能 みづから(身づ柄/自ら)が「ことば」を活かすようにするとは、「ことば」を「み(身)ど(獲/取)り」に役立つようにつか(使/仕/遣)ふことであり、そのためには、既に「枯(か)れ葉(は)」/《feuilles mortes》/”fallen leaves”として、事物に「ぴたり」と貼りついてラベルのように使はれる「こと(言/事)のは(葉/端)」を、まずは、空を舞ひ散る「か(離)れは(羽/葉)」/《feuilles volantes》/”leaves”の様態に返へしてやる必要がある。そのためには、「こと(言/事)のは(葉/端)」を、それらが、今では、当たり前のように貼りついている事物から丁寧に剥がしてやることが大切なのだ。しかし、残念ながら、そのことがまったく分からない人がとても多い。 >>96
「ぴったり」とは(貼)りつくようにあ(合)ふことと「は(剥)がれる」ことが、それぞれ、互ひの様態/作用を「ひっくりかへして」うつ(移/映/写)す事象としてあらは(顕/現)れるのを意識することにより、以下の万葉集の歌が、どのような「こころ(心)」を伝へようとしているのかを知ることも、より容易となるはずである。
>万葉集 第4巻 614番
不相念 人乎也本名 白細之 袖漬左右二 哭耳四泣裳
相思はぬ人をやもとな白栲の袖漬つまでに音のみし泣くも
あひおもはぬ 「ひと・を」やもとな しろたへの 「そで・ひつ」までに ねのみしなくも
>万葉集 第10巻 1995番
六月之 地副割而 照日尓毛 吾袖将乾哉 於君不相四手
六月の地さへ裂けて照る日にも我が袖干めや君に逢はずして
みなづきの つちさへ「さけ」て てるひにも わが「そで・ひめ」や きみに「あは・ず」して
>万葉集 第3巻 460番
[...]将言為便 将為須敝不知尓 徘徊 直獨而 白細之 衣袖不干 嘆乍 吾泣涙 有間山 雲居軽引 雨尓零寸八
[...]言はむすべ 為むすべ知らに たもとほり ただひとりして 白栲の 衣袖干さず 嘆きつつ 我が泣く涙 有間山 雲居たなびき 雨に降りきや
[...]いはむすべ せむすべしらに たもとほり ただ「ひとり」して しろたへの 「ころもでほさず」 なげきつつ わがなくなみた ありまやま くもゐたなびき あめにふりきや "philosophy"の"philo"、つまり、古代ギリシア語の"φίλος"が、「ぴたりとあふ」感覚を表現している可能性は、十分にあるのではないかと私には思える(ただし、私は、古代ギリシア語の言語表現について、ほとんど何もしらない)。 >φιλί
Etymology
From the mediaeval Byzantine Greek φιλί(ν) (philí(n)), from substantivised infinitive τό φιλεῖν (tó phileîn, “the kissing”) of verb φιλέω (philéō, “to kiss”).
(en.wiktionary.org/wiki/φιλί#Ancient_Greek)
>baiser
Etymology
Inherited from Middle French baiser, from Old French baisier, from Latin bāsiāre (“to kiss”).
(en.wiktionary.org/wiki/baiser) >>129-132
統合失調症の連合弛緩・ワードサラダ
中卒無職の全く無意味な妄想
生きてる意味ないから自殺しな? >>116-117
否定は不可能
数学の証明は本人の意思と無関係
これ証明の意味すら理解してない低学歴の自白
数学の証明を個人の意見か何かと勘違いしてるところが中卒無職丸出し
論理学で証明された定理は個人の意見じゃないんだから撤回も転向も全く不可能
中卒無職は自殺しとけよ 物事を「存在者」たらしめる特性には、つねにすでにその「ひっくりかへし」の潜在性がともなっている。
この「ひっくりかへし」の潜在性により、存在が、それに先立つ臨/隣在性を秘めていることが知られる。
「臨/隣在なくして存在なし」とは、分かりやすい喩えを用ゐるなら、「比なくして、数は存在しない」ということだが、この喩えには、まだ大きな問題がある。
それは、「比」は、ただちに「対比される二項の存在」を想起させてしまうことだ。
しかし、「臨/隣在性」とは、特性の付加がひっくり返し可能に作用することであり、その意味では、むしろ、先に存在者の「何らかの特性」を想定して、その「ひっくりかへし」を考へてみる方がイメージしやすい。 >>135
形而上学は論理学により完全否定された無意味な妄想 論理学で証明された定理は個人の意見じゃないんだから撤回も転向も全く不可能 >>116-117
否定は不可能
数学の証明は本人の意思と無関係
これ証明の意味すら理解してない低学歴の自白
数学の証明を個人の意見か何かと勘違いしてるところが中卒無職丸出し
論理学で証明された定理は個人の意見じゃないんだから撤回も転向も全く不可能
中卒無職は自殺しとけよ 「論考」の帰結は、後期ウィト(「哲学の探求」)が自身で否定しているから、
虫が言っているのは前期ウィトの古い話。無知蒙昧だから、もう相手にする気も
ないのだけど、どうやったらこれだけ社会のゴミになれるんだろうな
メイヤスーの「有限性の後で」は新実在論がテーマの良書だから、
反社ゴミ虫もスレ荒らす暇があるなら、読むべきだな。虫は無知蒙昧過ぎて、
哲学の話に参加出来るレベルでないし、カントどころかメイヤスーさえ
全く読めないだろうな >>141
>>116-117
否定は不可能
数学の証明は本人の意思と無関係
これ証明の意味すら理解してない低学歴の自白
数学の証明を個人の意見か何かと勘違いしてるところが中卒無職丸出し
論理学で証明された定理は個人の意見じゃないんだから撤回も転向も全く不可能
中卒無職は自殺しとけよ >>141
論考は数学の証明なので本人ですら否定は不可能だよ中卒無職w
中卒無職だから証明の意味がわからないのなwww
自殺したら? 証明された定理を人の意思で取り消せると思ってる中卒無職wwwww 古いとか新しいとか全く意味ないぞ
証明されたことだけが正しいし
ウィトゲンシュタインはその証明を否定できない >>141
否定は自分ですら不可能だよ脳障害
証明だからな ウィトゲンシュタインの後期って
「お前は生きてる価値がない」と宣告された無能の足掻きだよ
そして宣告したのは自分自身だというねwwwwwww
その宣告は数学の証明だから本人ですら取り消せない
ねえねえ
どんな気持ち?wwwwww ウィトゲンシュタインを哲学として捉えてる奴は数学の証明を理解できない脳障害だと確定する
ウィトゲンシュタインの読み方は「自らの証明で自らの存在価値の無さを示した無能の足掻き」だよ 科学以外無意味だと証明さた人間は無能だから科学をやれなかった
その負け犬の遠吠えが後期
哲学ではない 科学以外無意味だと証明した人間は無能だから自分では科学をやれなかった
その負け犬の遠吠えが後期
哲学ではない ウィトゲンシュタインは頭が悪いので形而上学の意味すらわかってない それでは形而上学とは本質的には何かと言えば
「言及のたびに内容が変化するのに記号としては変化していないように見せかけられるもの」となる。
例えば倫理や道徳は自然言語で「善」などと書いてしまうと上の「見せかけ」を許してしまうので形而上学となる
逆に言えば言及のたびに意味が変化しないか、意味が変化するならばその変化を記号の変化として明示すれば形而上学にはならない。
例えば
善(1939年のウィトゲンシュタインにとって)
や
善(1939年のアメリカ市民の90%以上が同意するもの)
のように書く。
このように明示すればそれは形而上学でなくなり「語り得るもの」となる
倫理なんて普通に科学で扱えるから自殺しな知ったかぶり中卒無職wwwwww
https://doi.org/10.31234/osf.io/2hxgu
ウィトゲンシュタインの低い知能にとって超越的なんて全くどうでも良い
バカの妄想を相手にする価値はない 社会の中でも最低辺のゴミ虫なのに、なぜか自己顕示欲だけは異常なほどあり、
脳がないので哲学の話など当然できないから、スレ荒らしという中二病の
手段に打って出るのが、ここにいるフンコロガシである。カントさえ読めないゴミである
哲板の住民も、私の書いたものなど、まともな哲学的なものを読みたいのに、
ゴミムシに邪魔されて、不便な思いをしているのである 100年前に哲学が死んだ経緯
・ラッセルのパラドックスが発見され通常の論理学では回避できないことが判明
・ラッセルはパラドックスは論理学の仕組みに問題があることを見抜いてパラドックスがそもそも起こらない論理学の仕組みを構築(自己と自己言及を明確に区別して混同しないルール)
・ウィトゲンシュタインはラッセルの弟子であり論理学の仕組み追求しようとした
・ウィトゲンシュタインは新しい矛盾のない論理学で何を言えるのか研究したところ形而上学や哲学を論理的に扱うことは不可能であることが判明
・形而上学や哲学は論理学を誤って用いたことから生まれる全く意味のない妄想であることを指摘した
・このプロセスは論理哲学論考において数学の証明として掲げられている
・現在までにこの証明に反証出来た人間は歴史上1人も居ない
つまり100年前から哲学者を名乗った時点で不勉強な無知または詐欺師であることは確定している
賢い哲学者というのは論理的に存在不可能
低学歴すぎて証明の意味すら理解できないのかwwww
数学で証明されたことは本人の希望で撤回したりできないぞ?
自殺したら?脳障害
ウィトゲンシュタインが泣いて謝っても哲学が無意味であるという証明を変えることは不可能
撤回も転向も全く不可能
死んで詫びても無意味 哲学そのものが無意味であると証明したのに
知能が低いから哲学しかやれなかったのがウィトゲンシュタイン 哲学が無意味であることは証明された定理なので
ウィトゲンシュタイン本人が泣いて謝っても取り消すことは不可能 古いとか新しいとか言ってる時点で中卒無職
正しいものに時間は関係ない 正しい証明は本人の意思でも取り消すことは不可能
なぜなら証明は意見の表明ではないからだ 要するにウィトの言語分析は普段私たちが使っている自然言語の運用法が
原理的にどう作動しているかの考察であったり、AIの「記号接地問題」にある
語や文と、それが名指すものや外界における対象をどう着地させられるのか、
あるいは、それが不可能なのか、という問題系を取り扱っている。私が>>72で
取り上げた「吉幾三問題」もそうした接地問題になる。そこではウィンナーコーヒー
がウィンナー+コーヒーと固定的に分節化されてしまい、それが大局的な文脈の
もとでエラーを発生させてしまう、ということである。
女子同士の会話で、「こんにゃくは太らないよ」と、いう発話があれば、それは
「こんにゃく文」であり、また、今度は、その女子たちが、レストランで、
「私はウナギにするね」という発話があれば、これは「うなぎ文」と呼ばれるものになる。
AIは、これを意味ある文として、人間のように自然な発話として解釈できない、ということ
である。 証明した内容を取り消したいと懇願しても
証明は永久に成立したままだ
中卒無職にはこれがわからない >>159
それChatGPTは完璧にわかるので
哲学や言語学は全く意味がない証明
だって哲学や言語学を一切全く間接的にでも使ってないからなwwwww
知ったかぶりバレたら自殺しな? >>159
AIはわかるよ
お前はわかってないけど
そしてそのAIは言語学全く使ってない >>159
記号設置問題などこの世に存在しない
中卒無職の妄想 >>159
記号接地問題などこの世に存在しない
中卒無職の妄想 >>159
記号接地問題などこの世に存在しない
中卒無職の妄想
https://youtu.be/UIZAiXYceBI
知能が存在しないから誰かから教えてもらわないと認識できないのバカすぎるwwwwwwwww ・単に言語モデルは学習データに言語しかないだけ
・もちろんマルチモーダルモデルは言語だけでなく視覚や聴覚なども一緒に学習してるから記号接地問題など全く存在しないし歴史上存在したことすらない
・記号接地問題など存在してないことは太古の昔から明らかである上につい先日マルチモーダルモデルがGoogleから発表された事すら把握できてない中卒無職
自殺したら? つまり知能が低すぎるのでAIと言語モデルの区別すらつけられてない
これ人間の知能無いし意識も無いだろ AIは言語しか扱ってはならないなどという規則はないので言語と現実世界のあらゆる情報を一緒に学習すれば良いだけ
太古の昔からそんなことはわかりきってる
わかりきった上で出来るところから確立して来たという話に過ぎない
要するに哲学者はゴミだから全員殺せ つまり?
ウィトゲンシュタインの人生って意味なかったなw
ということ そもそも形而上学の無意味さなんて爆発律を知ってる全ての人間にとって自明なので証明すべきことではない
それが証明すべきことに見えている時点で論理学への理解が足りてない
爆発律使えばウィトゲンシュタインが人生をかけた証明は1行で済む
つまり完全に無価値な人生だし読む価値のある情報など1ビットもない ウィトゲンシュタインのような低知能は登山しようとしたが
科学者は最初から山頂に国家を作り生活してるw
登ること自体が無意味 全ての哲学は無価値な妄想だし
そのことを証明したこと自体も無価値
だって科学は最初から知ってるしw 記号の意味を使うたびに変えたら論理にならない
たったこれだけ
人生かけるようなものじゃなくて科学者なら1秒で理解する話
哲学の歴史は全く意味が無いどころか人類の進歩を遅らせただけ >>159
記号接地問題などこの世に存在しない
中卒無職の妄想
https://youtu.be/UIZAiXYceBI
知能が存在しないから誰かから教えてもらわないと認識できないのバカすぎるwwwwwwwww あー中卒無職ってクレカ作れないから
gpt4vとか使ったことないんだろうなwwwwwwwww 哲学を語ることは呪術や錬金術を語ることと全く変わらない ここで改めて、私の哲学的な立ち位置を表明しておこう。
真理や実在への到達不可能性への同意。実在があるのか無いのかも不明、
すなわち多値論理におけるNullを私はこの問題について採用している。
よって、ここではカントの「もの自体」への立場と同じである。
また、科学や数学、論理が真理や客観を保証するという立場も否定している。
だから、その点で私は反メイヤスーの立場を採用している。メイヤスーの哲学に
おいては数学は物自体へと到達可能な実在や道具にされているからである。
私はカント同様に、メイヤスーが批判する相関主義の立場に近いところにいる。
認識がないところで、宇宙が自立的に存在し得ることには懐疑を持ちうる立場
である。当然、人間の脳や意識、神経ネットワークや生化学的な作用によって、
世界は仮にそう表象されているだけであり、つまり、世界はハルシネーションである、
が私の立ち位置になる そして、私は科学や数学、論理を規則や法則でなく、一種の慣習とみなしている。
慣習は自明ではないので、いつか破れることがある。これはヒュームの立場に
同意していることになる。慣習は廃れたり、変わったりする。科学の標準理論も
これと同じである。マルチバースの宇宙の発見や今の量子コンピュータを遥かに
凌駕する新素材やアルゴリズム、膨大な計算資源を駆使した新しい科学によって、
今の標準理論の大半がひっくり返されていても、違和感がないどころか、それが
普通だと考えているのが私の立場である。 ただし、私の立場はポモ思想が陥っているような、無差別的な相対主義や
スーパーフラットを志向するものではない。だから私の考究には、数学や科学、
プログラミング理論など、非ポモ的なものが頻出するが、そうした定量化、
あるいは定性化できるものと関連させて、私の「マルチバース論」を考究して
いるので、そこには何でもありの非知性的なポモ思想とは異なる汎化性へと
訴求することが出来るのである。 要するにウィトの言語分析は普段私たちが使っている自然言語の運用法が
原理的にどう作動しているかの考察であったり、AIの「記号接地問題」にある
語や文と、それが名指すものや外界における対象をどう着地させられるのか、
あるいは、それが不可能なのか、という問題系を取り扱っている。私が>>72で
取り上げた「吉幾三問題」もそうした接地問題になる。そこではウィンナーコーヒー
がウィンナー+コーヒーと固定的に分節化されてしまい、それが大局的な文脈の
もとでエラーを発生させてしまう、ということである。
女子同士の会話で、「こんにゃくは太らないよ」と、いう発話があれば、それは
「こんにゃく文」であり、また、今度は、その女子たちが、レストランで、
「私はウナギにするね」という発話があれば、これは「うなぎ文」と呼ばれるものになる。
AIは、これを意味ある文として、人間のように自然な発話として解釈できない、ということ
である。 >>159
記号接地問題などこの世に存在しない
中卒無職の妄想
https://youtu.be/UIZAiXYceBI
知能が存在しないから誰かから教えてもらわないと認識できないのバカすぎるwwwwwwwww
あー中卒無職ってクレカ作れないから
gpt4vとか使ったことないんだろうなwwwwwwwww
哲学を語ることは呪術や錬金術を語ることと全く変わらない >>182
解釈できる
クレカ作れないお前が使えるAIじゃ無理だけどwww >>180
マルチバースは中卒無職を全マルチバースで存在させないことにしたからお前は存在しないよ
書いてることも存在してない
これがマルチバースの力 AIが発達しても有能なAIは金を払わなきゃ使えないに決まってる 低学歴はAIの世界になっても救済されませんwww
ざんねんwwww
人生の敗者は自殺しな? ウィトゲンシュタインはこの世に存在した意味がないし生まれてきた意味がないし
それどころか人類の進歩を遅らせた大罪人
そもそも形而上学の無意味さなんて爆発律を知ってりゃ自明だから証明など不要
ウィトゲンシュタインが生まれて来なくても誰でも朝飯前に書ける 爆発律よる形而上学の無意味さの指摘が自己言及文に対しても及ぶようになっただけだよね?
なんの進歩もねーよ脳障害が ラッセルもウィトゲンシュタインも自らが成したことの意味を理解する知能を持ち合わせてない 正しさはそれを成した人間の意思や理解とは独立している アインシュタインが反対しても核兵器は作れるし
ラッセルやウィトゲンシュタインが哲学をやりたがっても論理学は哲学を絶滅させた また、ウィトゲンシュタインは「論考」で考究した自身の「像の理論」を
その後期では、自身で否定するようになったので、後期のウィトの立場は、
ようやく、これまで私が様々な観点から考察してきた形而上学的な存在論モデル
や背景、コンテクスト、文脈、文化や言語使用の慣習の差異を理解した上での
レジリエントな言語ということを意識するようになってきたのである。こうしたことへの
考察が後期のウィトによる「言語ゲーム」という概念である。そこでは様々なルールが
言語ゲームとして数多的にパラレルに存在したり、交錯しあっていると言える 要するに、ウィトはそれまでの命題と事実が写像や全単射のように1対1対応せねば
ならぬ、という己の信念を放棄し、より柔軟な言語モデルや言語分析へと自己の考究の
軸足(日常言語学派)を転回させた、ということになる。私の場合は、「マルチバース論」に
よって、すべてのドメインにおいて最初から多様性を意識しているので、前期のウィトの
ような1対1対応などというのは、最初から捨てられたものになっている。 >>195
否定不可能
数学の証明は本人が泣いて願っても覆せないぞ脳障害www >>196
否定不可能
数学の証明は本人が泣いて願っても覆せないぞ脳障害www 一方、ウィトの師であるラッセルの方は、前期ウィトが「論考」で考究していたような
語や命題と事実の1対1対応関係、写像理論のような考え方に留まっていたようである。
ラッセルは当時の先端の科学にも通暁していただけでなく、アインシュタインとも友人で
あったくらいである。よって、ラッセルは後期のウィトが転向したような日常言語学派には
批判的な立場で、あくまで記号論理のような人工言語によって、対象をスタテイックに
定位すべし、という立場に立っている。つまり、科学者的な認識の仕方を求めているのが、
ラッセルである。 >>199
否定不可能
数学の証明は本人が泣いて願っても覆せないぞ脳障害www 前回、「穴」や「影」の持つ存在論的な特異性のことに触れた >>63 以降参照
また、>>30において、心の哲学における付随性(スーパーヴィーニエンス)のことに
も触れたが、穴や影もこうした付随性を持つと言える。なぜなら、ドーナツ(トーラス)
や鍵穴の穴だけで単独には存在出来ないし、また、対象物がないのに、影や射影だけ
が自立して単独で生じるということはない。だから、以下のような発話あったら、人は
怪訝な表情を示すことだろう。
ミスドでの一場面。店員に向かって形而上学者的な客が尋ねる
「ドーナツの穴の部分だけを3個、お願いします。穴だけの注文だから、無料でいいですよね」
このように、穴や影だけを単独で取り出すことは出来ないにもかかわらず(= 付随性)、
それは存在論的に特異な形態で存在していると言えるのである。認識へのこうした
メタ的な形態でのアプローチは科学や論理学では向いていないものであり、やはり、
そこは形而上学が向いている領域なのである。 たとえば、影が動くというのは、割と自然な表現や描写になるだろう。夕暮れの中、
自転車に乗る少女が作る影が、その自転車の進行に付き従いながら、一緒に動く。
だが、ドーナツの穴の場合は、少し奇異に感じられないだろうか。さっきの例で言うと、
やはり世間の基準にあわせて、素直に普通のドーナツを3個テイクアウトで注文
したとする。それが、今、例にあげた少女の乗る自転車のかごの中に入っている
のであるが、その場合、そのドーナツの穴は、果たして、少女の自転車の進行と沿い
ながら一緒に動いていると言えるのだろうか
これを命題として取り出すと、また先程の例と同様な奇異な印象を与えるだろう
「(ドーナツの)穴とは、何らかの動作や回転を伴えるものである」 影が動くなら違和感を感じないが、穴が動く、だとやはり違和感が生じる気が
しないだろうか。浮輪が海に浮かんで揺れ動いているなら自然だが、(浮輪の)
穴が海に浮かんで動いている、であれば奇妙な印象を与える。またレコードやCDを
聞いているとき、その穴は回転しているのだろうか、それとも静止しているのであろうか
こうした特異性は実は、私たちの日常生活にも伏在している。たとえば、人は
家の中にいたり、電車や車の中にいたり、学校や会社の建物の中にいたりする。
だが、このXの中に存在しているというのは、それを形而上学的に抽象化していくと、
やはり、穴(X)のような存在論的な特異的領域に存在していることを指しているのでは
ないだろうか。つまり、人は物質性の高い、家や電車、学校、病院、会社の建物の位相に
存在しているのでなく、非物質的な穴という空や欠如、不在の中に現象的にハルシネーション
のように一時的に現れている、存在しているとも言えるのである。こうした観点を
比喩的に言うと、私たちは複素平面上に置かれたリンゴのような存在だとも言える。 >>206
形而上学は一切不要
位相幾何学と物理学で100%記述と予測可能 実は、形而上学自体もこうした穴や影のような存在論的な特異性を有していると言える。
科学などと比較すれば、哲学はある意味において、穴であり、欠如であり、不在でもあり、
無でもある。だが逆に、それゆえにこそ、世界内に伏在している、存在論的な幾多の穴や欠如、
無、バグに対しても認識論的に照射していけるのである。人々にとって自明ではない存在論的な
亀裂や裂け目を露わにしていくこと、これも哲学に遂行できることの一つである 以上のように、「穴」や「影」の持つ存在論的な特異性に触れたのだが、人物においては
影武者などの存在もそうした不明瞭な存在といえるだろう。これは事実か陰謀論か噂か、
よく分からないが、プーチン死亡説や金正恩死亡説などもあり、今、存在しているのは
事前に用意しておいた影武者だという説もある。つまり、これを記号的に表すと
プーチン0号(本物,状態 : 生or死),プーチン1号、プーチン2号、プーチン3号……
金正恩0号(本物, 状態 : 生or死),金正恩1号、金正恩2号、金正恩3号…… …がパラレルに存在していることになる。つまり、わざわざ哲学的なゾンビなどを用意
しなくても、実世界の中に存在しうる影武者というものを使って、そうした真を巡る考察を
することも出来るのである。AIの技術がさらに向上すれば、現実と全く見分けのつかない
虚構の現実も構築されてくるだろうし、その時、人は、自分が実世界で生きているのか、
仮想の中で存在しているのかを区分する閾値や境界が消失するであろうことが
想像される。それは、今いる金正恩が本物か影武者なのか区別出来ないのと同じである。
また以前からAIは心を持つか否かも議論になっているが、これも実際には、
人間とAIの間にある閾値や境界線のことを指しているのである。 >>208
完全に数学で扱える
低学歴は知らないだけ 私の「マルチバース論」はこういう問題に対しても汎化性を持っていると考えられる。
なぜなら、マルチなので、それは最初から現実と虚構をそれほど厳密に区別していない
どころか並行宇宙のような世界さえ想定しているからである。 >>212
存在してない
なぜならマルチバースが禁止したから >>214
マルチバースはお前の発言を禁止してるから意味ないよ 要するにウィトの言語分析は普段私たちが使っている自然言語の運用法が
原理的にどう作動しているかの考察であったり、AIの「記号接地問題」にある
語や文と、それが名指すものや外界における対象をどう着地させられるのか、
あるいは、それが不可能なのか、という問題系を取り扱っている。私が>>72で
取り上げた「吉幾三問題」もそうした接地問題になる。そこではウィンナーコーヒー
がウィンナー+コーヒーと固定的に分節化されてしまい、それが大局的な文脈の
もとでエラーを発生させてしまう、ということである。
女子同士の会話で、「こんにゃくは太らないよ」と、いう発話があれば、それは
「こんにゃく文」であり、また、今度は、その女子たちが、レストランで、
「私はウナギにするね」という発話があれば、これは「うなぎ文」と呼ばれるものになる。
AIは、これを意味ある文として、人間のように自然な発話として解釈できない、ということ
である。 ここで改めて、私の哲学的な立ち位置を表明しておこう。
真理や実在への到達不可能性への同意。実在があるのか無いのかも不明、
すなわち多値論理におけるNullを私はこの問題について採用している。
よって、ここではカントの「もの自体」への立場と同じである。
また、科学や数学、論理が真理や客観を保証するという立場も否定している。
だから、その点で私は反メイヤスーの立場を採用している。メイヤスーの哲学に
おいては数学は物自体へと到達可能な実在や道具にされているからである。
私はカント同様に、メイヤスーが批判する相関主義の立場に近いところにいる。
認識がないところで、宇宙が自立的に存在し得ることには懐疑を持ちうる立場
である。当然、人間の脳や意識、神経ネットワークや生化学的な作用によって、
世界は仮にそう表象されているだけであり、つまり、世界はハルシネーションである、
が私の立ち位置になる >>217
それGPT4は普通にわかるよ
中卒無職はクレカ作れないから使えないんだろうけどwww そして、私は科学や数学、論理を規則や法則でなく、一種の慣習とみなしている。
慣習は自明ではないので、いつか破れることがある。これはヒュームの立場に
同意していることになる。慣習は廃れたり、変わったりする。科学の標準理論も
これと同じである。マルチバースの宇宙の発見や今の量子コンピュータを遥かに
凌駕する新素材やアルゴリズム、膨大な計算資源を駆使した新しい科学によって、
今の標準理論の大半がひっくり返されていても、違和感がないどころか、それが
普通だと考えているのが私の立場である。 >>218
お前はどこにもいない
この世に存在してない
そうマルチバースが決めた ただし、私の立場はポモ思想が陥っているような、無差別的な相対主義や
スーパーフラットを志向するものではない。だから私の考究には、数学や科学、
プログラミング理論など、非ポモ的なものが頻出するが、そうした定量化、
あるいは定性化できるものと関連させて、私の「マルチバース論」を考究して
いるので、そこには何でもありの非知性的なポモ思想とは異なる汎化性へと
訴求することが出来るのである。 >>220
マルチバースはお前を否定してるから意味ない >>222
マルチバースはお前が無知だと言ってるから意味ない 数学の証明を反証以外で否定できるわけねーだろwwww ラッセルやウィトゲンシュタインが泣いて謝っても
哲学は無意味ですw
証明された事は本人ですら取り消せませんwwww 科学的知識や証明は核爆発に似ている
誰も取り消せないし取り返しがつかない
一度確かめられた事は泣いて謝っても取り消せない
それが本人であっても つまり発見されて確かめられたことが取り消せないという性質は
どんな兵器よりも強力なものだ この世界から核兵器を無くすことが出来ないように
この世界から「全ての哲学は無意味である」という証明を消す事はできない ラッセルやウィトゲンシュタインが泣いて謝っても
哲学は無意味ですw
証明された事は本人ですら取り消せませんwwww
起こった核爆発を取り消せないのと同じwwww アインシュタインがどれだけ後悔しても原爆投下が無かったことにならないのと同じ どれだけ知能が低いと、そうした社会のゴミになれるんだ 失笑
それだと、もう人間とは呼べないから、虫扱いでいいんじゃないか 失笑
虫並の脳みそに出来ること
・哲学版のスレッドを一日中荒らし続けること
・ヘイトスピーチ、誹謗中傷、汚言症
・フンを転がすこと
カントさえ読めないで哲学板にいると、こうした廃人になる
ことの証明でもある 失笑
前スレ
カントさえ読まない馬鹿が哲板にいるらしい
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1700392179/ 願望と現実の区別をつけられる低学歴は原理的に存在し得ない
つけられるなら低学歴なわけないからなwwwww
現実を願望通りに変える唯一の方法は
現実と願望の差を常に認識した上でその差を埋める行動を積み重ね続ける事のみだ
学歴とはその積み重ねの一つなのだから低学歴は現実と願望の区別を原理的つけられるわけがない >>233
錬金術書読めとか低学歴に言われても何も感じない
むしろ読むほうが脳障害 そもそも論理学から見て無意味な妄想と確定してるものを「読めた」時点で100%脳障害
出来てないことを出来たことにしてる誤魔化しの可能性しかない また、ウィトゲンシュタインは「論考」で考究した自身の「像の理論」を
その後期では、自身で否定するようになったので、後期のウィトの立場は、
ようやく、これまで私が様々な観点から考察してきた形而上学的な存在論モデル
や背景、コンテクスト、文脈、文化や言語使用の慣習の差異を理解した上での
レジリエントな言語ということを意識するようになってきたのである。こうしたことへの
考察が後期のウィトによる「言語ゲーム」という概念である。そこでは様々なルールが
言語ゲームとして数多的にパラレルに存在したり、交錯しあっていると言える 要するに、ウィトはそれまでの命題と事実が写像や全単射のように1対1対応せねば
ならぬ、という己の信念を放棄し、より柔軟な言語モデルや言語分析へと自己の考究の
軸足(日常言語学派)を転回させた、ということになる。私の場合は、「マルチバース論」に
よって、すべてのドメインにおいて最初から多様性を意識しているので、前期のウィトの
ような1対1対応などというのは、最初から捨てられたものになっている。 「哲学書読めた」は「空中浮遊出来た」と何も変わらない
論理学が原理的に無意味だと確定させてるものを「わかる」ことなどできるわけがない >>237
ラッセルやウィトゲンシュタインが泣いて謝っても
哲学は無意味ですw
証明された事は本人ですら取り消せませんwwww >>238
ラッセルやウィトゲンシュタインが泣いて謝っても
哲学は無意味ですw
証明された事は本人ですら取り消せませんwwww 一方、ウィトの師であるラッセルの方は、前期ウィトが「論考」で考究していたような
語や命題と事実の1対1対応関係、写像理論のような考え方に留まっていたようである。
ラッセルは当時の先端の科学にも通暁していただけでなく、アインシュタインとも友人で
あったくらいである。よって、ラッセルは後期のウィトが転向したような日常言語学派には
批判的な立場で、あくまで記号論理のような人工言語によって、対象をスタテイックに
定位すべし、という立場に立っている。つまり、科学者的な認識の仕方を求めているのが、
ラッセルである。 ラッセルやウィトゲンシュタインが泣いて謝っても
哲学は無意味ですw
証明された事は本人ですら取り消せませんwwww
起こった核爆発を取り消せないのと同じwwww
アインシュタインがどれだけ後悔しても原爆投下が無かったことにならないのと同じ 科学的知識や証明は核爆発に似ている
誰も取り消せないし取り返しがつかない
一度確かめられた事は泣いて謝っても取り消せない
それが本人であっても 前に、私はAIの「記号接地問題」についても触れたが、実はこれは「吉幾三問題」や
ウィトの求めるような理想的な人工言語モデルから派生しているようなバグであったり、
「組み合わせ爆発」であったりすることが考えられるのである。文脈やコンテクスト、
背景を無視して、語や記号の正しさだけを狭いスコープで最適化すると、それは
局所最適解へと陥り、全体最適解の文脈上ではエラーとなるような間違った解釈を
推論、帰結してしまうということである。また、大規模言語モデルにおけるハルシネーション
にも同様な問題系が伏在していると考えられる。 つまり発見されて確かめられたことが取り消せないという性質は
どんな兵器よりも強力なものだ 願望と現実の区別をつけられる低学歴は原理的に存在し得ない
つけられるなら低学歴なわけないからなwwwww
現実を願望通りに変える唯一の方法は
現実と願望の差を常に認識した上でその差を埋める行動を積み重ね続ける事のみだ
学歴とはその積み重ねの一つなのだから低学歴は現実と願望の区別を原理的つけられるわけがない >>233
錬金術書読めとか低学歴に言われても何も感じない
むしろ読むほうが脳障害 そもそも論理学から見て無意味な妄想と確定してるものを「読めた」時点で100%脳障害
出来てないことを出来たことにしてる誤魔化しの可能性しかない 願望と現実の区別をつけられる低学歴は原理的に存在し得ない
つけられるなら低学歴なわけないからなwwwww
現実を願望通りに変える唯一の方法は
現実と願望の差を常に認識した上でその差を埋める行動を積み重ね続ける事のみだ
学歴とはその積み重ねの一つなのだから低学歴は現実と願望の区別を原理的つけられるわけがない 私や、このスレで砂場で遊ぶ園児のごとく古語解釈をしている「言葉遊び君」などの
ように、言語の有する多義性、私であれば、それは「マルチバース論」の一つへと容易に
回収される問題系であるのだが、そうした多義性を解する人間であれば、当時の吉幾三
のように、ウインナーコーヒーのことを知らなくても「ウインナーコーヒー=ウインナー+コーヒー」というようなスタティックな解釈はしなかったかもしれないのである。
よって、ウィトの論考による言語への考察も決して自明でも論理実証主義的でもなく、
それはあくまで言語分析の一つのモデルに過ぎないと言えるだろう。
そのため語は分岐する、フォークする、そして、そこから生じるエラーが進化論的な
創発の契機にもなりうる、というのが私の言語哲学的な観点になる。 科学は積み重ねてきた
哲学は願望を垂れ流しただけ
その差よ 同様に、記号表現にはその背景知識、コンテクストへの理解が必要とされる
そうした背景知識がない者にとっては、記号表現はただのインクの染みのような
ものに過ぎなくなる。たとえば、
「僕は、毎日顔本使ってるよ」
という文や発話を見たり聞いたりしても、その背景知識がない者にとっては意味内容が
つかめない。だが、SNSについての背景知識がある者なら、顔本=Facebookのことを
指していると分かり、この人は毎日、Facebookを利用しているのだなと理解できるようになる >>253
願望と現実の区別をつけられる低学歴は原理的に存在し得ない
つけられるなら低学歴なわけないからなwwwww
現実を願望通りに変える唯一の方法は
現実と願望の差を常に認識した上でその差を埋める行動を積み重ね続ける事のみだ
学歴とはその積み重ねの一つなのだから低学歴は現実と願望の区別を原理的つけられるわけがない このような観点から、ウィトの薦めるような多義性を排除した形の人工的な言語モデルは
どこか硬直性を帯びていて、人間的な自然なものには感じられないのである。哲学として
それを考えても、同様な状況になると考えられる。現にウィトの「論考」を巡る世界各国の
研究者たちの解釈がすでに多様であり、まちまちなことから見ても、それは明らかであろう。 >>256
GPT4ならわかるね普通に
お前はクレカ作れないから知らないんだろうけどwww 前に、私はAIの「記号接地問題」についても触れたが、実はこれは「吉幾三問題」や
ウィトの求めるような理想的な人工言語モデルから派生しているようなバグであったり、
「組み合わせ爆発」であったりすることが考えられるのである。文脈やコンテクスト、
背景を無視して、語や記号の正しさだけを狭いスコープで最適化すると、それは
局所最適解へと陥り、全体最適解の文脈上ではエラーとなるような間違った解釈を
推論、帰結してしまうということである。また、大規模言語モデルにおけるハルシネーション
にも同様な問題系が伏在していると考えられる。 クレカ作れない
英語読めない
その時点で人間じゃないだろ 要するにウィトの言語分析は普段私たちが使っている自然言語の運用法が
原理的にどう作動しているかの考察であったり、AIの「記号接地問題」にある
語や文と、それが名指すものや外界における対象をどう着地させられるのか、
あるいは、それが不可能なのか、という問題系を取り扱っている。私が>>72で
取り上げた「吉幾三問題」もそうした接地問題になる。そこではウィンナーコーヒー
がウィンナー+コーヒーと固定的に分節化されてしまい、それが大局的な文脈の
もとでエラーを発生させてしまう、ということである。
女子同士の会話で、「こんにゃくは太らないよ」と、いう発話があれば、それは
「こんにゃく文」であり、また、今度は、その女子たちが、レストランで、
「私はウナギにするね」という発話があれば、これは「うなぎ文」と呼ばれるものになる。
AIは、これを意味ある文として、人間のように自然な発話として解釈できない、ということ
である。 >>260
これ歴史上一度も起こってない
知ったかぶりの妄想100% ここで改めて、私の哲学的な立ち位置を表明しておこう。
真理や実在への到達不可能性への同意。実在があるのか無いのかも不明、
すなわち多値論理におけるNullを私はこの問題について採用している。
よって、ここではカントの「もの自体」への立場と同じである。
また、科学や数学、論理が真理や客観を保証するという立場も否定している。
だから、その点で私は反メイヤスーの立場を採用している。メイヤスーの哲学に
おいては数学は物自体へと到達可能な実在や道具にされているからである。 私はカント同様に、メイヤスーが批判する相関主義の立場に近いところにいる。
認識がないところで、宇宙が自立的に存在し得ることには懐疑を持ちうる立場
である。当然、人間の脳や意識、神経ネットワークや生化学的な作用によって、
世界は仮にそう表象されているだけであり、つまり、世界はハルシネーションである、
が私の立ち位置になる >>266
Nullはマルチバースによって禁止されてる
よってお前の負け そして、私は科学や数学、論理を規則や法則でなく、一種の慣習とみなしている。
慣習は自明ではないので、いつか破れることがある。これはヒュームの立場に
同意していることになる。慣習は廃れたり、変わったりする。科学の標準理論も
これと同じである。マルチバースの宇宙の発見や今の量子コンピュータを遥かに
凌駕する新素材やアルゴリズム、膨大な計算資源を駆使した新しい科学によって、
今の標準理論の大半がひっくり返されていても、違和感がないどころか、それが
普通だと考えているのが私の立場である。 >>269
お前の存在をマルチバースは認めてないから立ち位置も無い
存在そのものが無い ただし、私の立場はポモ思想が陥っているような、無差別的な相対主義や
スーパーフラットを志向するものではない。だから私の考究には、数学や科学、
プログラミング理論など、非ポモ的なものが頻出するが、そうした定量化、
あるいは定性化できるものと関連させて、私の「マルチバース論」を考究して
いるので、そこには何でもありの非知性的なポモ思想とは異なる汎化性へと
訴求することが出来るのである。 >>271
マルチバースはお前を存在として認めてないので立ち位置も存在しない >>273
>>271
マルチバースはお前を存在として認めてないので立ち位置も存在しない 立ち位置なんて全くどうでもよい
現実に対して何の影響を与えたか
この世界の価値はこれしか無い 立ち位置=現実世界に何の影響も与えられない敗者の怨嗟 科学は実在論が実験に合わないから秒単位でその立場を捨てられる
なぜなら現実を変えるための手段に過ぎないから 使えるものはなんでも使うから立ち位置など存在しない
立ち位置とか言ってる時点でこの世界に参加してない無職 主張して良いのは
「この世界をお前がどう変えたか」
だ
それを言えないなら死ね 何の価値もないし何の影響もない
それがウンコ製造器
穀潰し マルチバースはマルチバースによって否定されてる無意味な妄想
はい完全論破w 科学を否定できるマルチバースならマルチバース自身も否定できる
バカにはそんな事すら考えられない
哲学はバカの妄想という証明だなwwww 立ち位置=現実世界に何の影響も与えられない敗者の怨嗟 まさに打席のどこに立ったかなんて意味がないのと同じ
何本ホームラン打ったかだろ ホームラン打てないからヒットの打率?
ヒットも打てないからバッターボックスの立ち位置?
どこまで基準を下げるんだ?
ん? それ無価値な自分が自殺しないようにするための言い訳でしかないだろ そんな言い訳を考えてる時点で無意味な自覚があるんだろ?
死ねよ中卒無職 無意味な自分を見ないようにするための言い訳でしかない 現実のAIはうなぎ文わかるし
全てが現実と関係ない妄想 ホームラン打てないからヒットの打率?
ヒットも打てないからバッターボックスの立ち位置?
どこまで基準を下げるんだ?
ん?
それ無価値な自分が自殺しないようにするための言い訳でしかないだろ
そんな言い訳を考えてる時点で無意味な自覚があるんだろ?
死ねよ中卒無職
自殺しとけ 立ち位置を語るwwwwwww
そんな恥ずかしい状態になったら俺なら生き続けることに耐えられないわwwwwww 科学を否定できるマルチバースならマルチバース自身も否定できる
バカにはそんな事すら考えられない
哲学はバカの妄想という証明だなwwww 哲学の歴史すら理解してないな
哲学は議論したら負けなのにwwwww
神父が神の存在を議論しないのと同じで
哲学者は議論なんかしないんだよwwww
議論を避けるために本を書いてることすらわかってない 議論を避ける環境づくりこそが奴らの本業だと知らないのは
本物の哲学者と会ったことすらないからだろうな なんかこうヒキコモリだから社会の仕組みを全く知らないんだろうな
どこの神父が神の存在を議論するんだよ
哲学者だって形而上学の無意味さを議論なんてしないよ
100%負けるんだから100%逃げるの
それが商売 バカを騙せて飯食えれば良いんだから議論なんかするわけないだろwwwwwwwww そして俺は騙されたバカを笑う趣味の持ち主なwwwww
哲学信者という選ばれたバカは知的障害者施設級の笑いを提供する
だって論理学によりデタラメが確定してるんだから確定の脳障害よ 立ち位置=現実世界に何の影響も与えられない敗者の怨嗟
科学は実在論が実験に合わないから秒単位でその立場を捨てた
なぜなら現実を変えるための手段に過ぎないから
科学とは現実と願望の差を埋めるための行動の積み重ねでしかない
行動によって何を変えたかにしか価値はない
立ち位置など考える価値は全く無い
そのとき使えるならどんなものでも使う
マルチバースキチガイが思いついたマルチバースでマルチバースキチガイそのものを完全否定したようにな? もしかして科学者を教わったことしか使えない作業員か何かだとでも思ったのか?
むしろ武器を選ばない殺し屋なのだが 立ち位置を語るwwwwwww
そんな恥ずかしい状態になったら俺なら生き続けることに耐えられないわwwwwww
何点入れたか語れない無職wwwwww ソクラテスだって自分が勝てそうな相手にしか吹っかけねえよwwwww
俺を見たらソクラテス逃げるね
二度と近寄らないだろ 形而上学用語を一つでも使ったらその意味を変えた瞬間に爆発律を指摘して殺す 論理も知らんのに論理語るとか生きてて恥ずかしく無いんか?と自害させるわ 立ち位置は科学でもあるよ社会のゴミ虫くん。ひも理論も立ち位置だよ >>279
だから科学も仮の筏なんだよ、ゴミ虫くん 科学は殺すためならなんでも使う殺し屋みたいなもんだよ
立ち位置も武器も存在しない 先端科学なんか、科学者によって、いろんな立ち位置があるのが普通。社会のゴミ虫くんだけが異常な主張をしているだけ 何点入れたか恥ずかしくて言えないからどこに立ってたかの話にすり替えるwwwwwwwwww
自殺したら?中卒無職 >>318
立ち位置など誰にとっても全く存在してない >>280
だから科学も仮の筏なんだよ、社会のゴミ虫くん >>321
科学は殺人術であり型などない
殺せればそれで良い
筏ですらないよ 小学生が考えた最強の投球フォームで笑うwwww
よくプロにそんなもん言えるな たとえばスレを一日中荒らしている社会のゴミ虫くんは、社会のゴミ虫という立ち位置が存在している >>325
この世界になんの影響も与えられなかった敗者の怨嗟を見て快感を感じている それによって自らの選択がどのように正しかったか再確認できるのだ ブザマな死体を眺めれば
死ななくてよかったwwww間抜けだから死んだだろwwwww
と最高の笑いを楽しめる テレビなんて見るわけがない
本物のマヌケが本当にブザマに死体晒してて本物の笑いが手に入るんだからなw この世界になんの影響も与えられなかった敗者の業績ゼロの社会のゴミ虫くんの怨嗟が一日中スレ荒らし行為に繋がる お笑い芸人なんてニセモノの笑いだ
本物のバカを本当にバカにして楽しむことで
より失敗から遠ざかるようになる
これが笑いの機能だ >>331
すまんの論文の被引用数はお前の年齢の何倍もあるわwwwww この世界になんの影響も与えられなかった敗者の業績ゼロの社会のゴミ虫くんの怨嗟が一日中スレ荒らし行為に繋がる
迷惑だなあ 笑 社会のゴミ虫くんて、一日中スレに張り付いているが、無職なの? あと給料も額面で毎月80万超えてるからまあ年収1千万弱と言えるなwwww
成し遂げちゃってごめんねwwww >>338
成果報酬だから働く時間なんて決まってないんだよ中卒無職wwww テレビなんて見るわけがない
本物のマヌケが本当にブザマに死体晒してて本物の笑いが手に入るんだからなw
笑いの本質は他山の石だよ
お笑い芸人なんてニセモノの笑いだ
本物のバカを本当にバカにして楽しむことで
より失敗から遠ざかるようになる
これが笑いの機能だ
死ぬまで笑われ続けるって
どんな気持ち? >>341
悔しすぎて個人特定して報復することしか考えられないから中卒無職なんだろw 社会のゴミ虫くんの書くものや行為、知能の低さからプロファイルすると、社会のド底辺に認定済だよ >>344
貼られた論文読めないから泣いてるのか?ん? そもそも瞬時に論文探して的確な箇所を引用できる時点で生きてる世界が違いすぎるwwwwwww お前は人類の文明にアクセスすら出来ない
俺は人類の文明を今作ってる >>344
論文読めないから泣いてるのか?
152 考える名無しさん[] 2023/12/09(土) 02:08:41.53 0
それでは形而上学とは本質的には何かと言えば
「言及のたびに内容が変化するのに記号としては変化していないように見せかけられるもの」となる。
例えば倫理や道徳は自然言語で「善」などと書いてしまうと上の「見せかけ」を許してしまうので形而上学となる
逆に言えば言及のたびに意味が変化しないか、意味が変化するならばその変化を記号の変化として明示すれば形而上学にはならない。
例えば
善(1939年のウィトゲンシュタインにとって)
や
善(1939年のアメリカ市民の90%以上が同意するもの)
のように書く。
このように明示すればそれは形而上学でなくなり「語り得るもの」となる
倫理なんて普通に科学で扱えるから自殺しな知ったかぶり中卒無職wwwwww
https://doi.org/10.31234/osf.io/2hxgu
ウィトゲンシュタインの低い知能にとって超越的なんて全くどうでも良い
バカの妄想を相手にする価値はない >>349
>>344
論文読めないから泣いてるのか?
152 考える名無しさん[] 2023/12/09(土) 02:08:41.53 0
それでは形而上学とは本質的には何かと言えば
「言及のたびに内容が変化するのに記号としては変化していないように見せかけられるもの」となる。
例えば倫理や道徳は自然言語で「善」などと書いてしまうと上の「見せかけ」を許してしまうので形而上学となる
逆に言えば言及のたびに意味が変化しないか、意味が変化するならばその変化を記号の変化として明示すれば形而上学にはならない。
例えば
善(1939年のウィトゲンシュタインにとって)
や
善(1939年のアメリカ市民の90%以上が同意するもの)
のように書く。
このように明示すればそれは形而上学でなくなり「語り得るもの」となる
倫理なんて普通に科学で扱えるから自殺しな知ったかぶり中卒無職wwwwww
https://doi.org/10.31234/osf.io/2hxgu
ウィトゲンシュタインの低い知能にとって超越的なんて全くどうでも良い
バカの妄想を相手にする価値はない それならそれでさー
知能低くて論文読めないからごめんなさいって土下座しろや中卒無職wwww お前は逃げて負けたことを忘れても俺は忘れてないよw ゴミ虫のお前の貼ってるものなんか、一切踏んでない。 >>356
論文読めないから負けましたってかwwwww
自殺したら? >>356
論文読めないって人類の文明にアクセスできないってことだよ
人間じゃないよ
生きてる価値ないよ >>356
英語の論文読めないのは猿だよ猿
人間ではない
文明にアクセスできないってことだからな? >>361
>>356
英語の論文読めないのは猿だよ猿
人間ではない
文明にアクセスできないってことだからな? >>361
英語の論文読めないんだwwwwww
ウケるwwwwwwwwwww
人生の敗者wwwww 低知能ゴミ虫の張るものを一切読まないだけ。哲学も英語で読むことがある 英語の論文貼られても読めないんだwwwwwww
バカすぎる知ったかぶりwwww >>366
英語読めないから逃げてるwwwwwww
低学歴バレバレwwwww >>366
反論できない言い訳にすらなってねえわ中卒無職wwwww
生きてて恥ずかしくねえの? >>366
論文読めないなら自殺しなよ?
生きてる意味ないから >>370
論文読めないなら自殺しなよ?
生きてる意味ないから 英語の論文読めない=猿の知識しかない
生きてる意味ないですwwwwww 論文読めないから反論できない無能wwwwww
中卒無職ウケるwwwww 論文読めないっていうより中学レベルの数学の証明すら理解してねえだろ中卒無職wwww 中学レベルの数学の証明を理解してたら
誰かが自分の意思で証明を撤回することなど出来るわけがないと理解できる
ウィトゲンシュタイン後期とか口にできてしまう時点で中学レベルの数学の証明を理解してないという自白だ 社会のゴミ虫経由の情報はゴミとして即すべてゴミ箱行き
ベイズ推定で自明だからなw つまり不登校ニートで中学校すら通ったことがない中卒無職だと確定する >>380
ベイズ推定にそんな意味はねーよ知ったかぶり
中卒無職自殺しないの? >>380
中学レベルの数学の証明を理解してたら
誰かが自分の意思で証明を撤回することなど出来るわけがないと理解できる
ウィトゲンシュタイン後期とか口にできてしまう時点で中学レベルの数学の証明を理解してないという自白だ
つまり不登校ニートで中学校すら通ったことがない中卒無職だと確定する 社会のド底辺ゴミ虫くん経由の情報はすべて迷惑メールと同じ扱い >>380
中学レベルの数学の証明を理解してたら
誰かが自分の意思で証明を撤回することなど出来るわけがないと理解できる
ウィトゲンシュタイン後期とか口にできてしまう時点で中学レベルの数学の証明を理解してないという自白だ
つまり不登校ニートで中学校すら通ったことがない中卒無職だと確定する
恥ずかしくて自殺するだろ?普通 >>384
>>380
中学レベルの数学の証明を理解してたら
誰かが自分の意思で証明を撤回することなど出来るわけがないと理解できる
ウィトゲンシュタイン後期とか口にできてしまう時点で中学レベルの数学の証明を理解してないという自白だ
つまり不登校ニートで中学校すら通ったことがない中卒無職だと確定する
恥ずかしくて自殺するだろ?普通 >>384
中学レベルの数学の証明を理解してたら
誰かが自分の意思で証明を撤回することなど出来るわけがないと理解できる
ウィトゲンシュタイン後期とか口にできてしまう時点で中学レベルの数学の証明を理解してないという自白だ
つまり不登校ニートで中学校すら通ったことがない中卒無職だと確定する
恥ずかしくて自殺するだろ?普通 >>384
中学レベルの数学の証明を理解してたら
誰かが自分の意思で証明を撤回することなど出来るわけがないと理解できる
ウィトゲンシュタイン後期とか口にできてしまう時点で中学レベルの数学の証明を理解してないという自白だ
つまり不登校ニートで中学校すら通ったことがない中卒無職だと確定する
恥ずかしくて自殺するだろ?普通 バカすぎていじめられて不登校ニートでそのまま中卒無職かwwwwwwwwwwwwww なんでバカすぎていじめられて不登校ニートでそのまま中卒無職なのに自殺したくならないの? 実はこのスレもNG沢山使っているから、ゴミ虫くんのものはほとんど表示されてない バカなのはお前が100%悪いんだからお前が死んで詫びろよ >>392
なんでバカすぎていじめられて不登校ニートでそのまま中卒無職なのに自殺したくならないの? >>392
バカなのはお前が100%悪いんだからお前が死んで詫びろよ >>392
バカすぎていじめられて不登校ニートでそのまま中卒無職の怠け者のクズが
なんで堂々と知的障害者年金なんか貰って暮らしてんの?
生きてて申し訳ないと思わないの?ん? >>392
バカすぎていじめられて不登校ニートでそのまま中卒無職の怠け者のクズが
なんで堂々と知的障害者年金なんか貰って暮らしてんの?
生きてて申し訳ないと思わないの?ん?
脳が正常なら生きてて恥ずかしくて申し訳なくて自殺してるよね?
脳障害だから自殺すらできないの? バカのくせに社会に迷惑かけてごめんなさいって遺書書いて電車に飛び込めよ中卒無職脳障害 だから、俺は社会のゴミ虫くんのを読んで判断していなくて、飛び番号の大きさから判断して、意見している。だって相手は会話不能の気違いボットだから、普通こうするだろう
他のスレでも同じ、ゴミ虫のはほとんど表示さえされていない 立ち位置はワロタwwwww
「自分は立ってるだけで何もしません」って言ってるのと同じwwwwwwwww
この社会で生きてる人間は何点入れたかしか語らないのにwwwww >>399
立ち位置はワロタwwwww
「自分は立ってるだけで何もしません」って言ってるのと同じwwwwwwwww
この社会で生きてる人間は何点入れたかしか語らないのにwwwww >>399
バ.カすぎてい.じめられて不.登校ニ.ートでそのまま中.卒無.職の怠.け者のク.ズが
なんで堂々と知.的障.害者年.金なんか貰って暮らしてんの?
生きてて申し訳ないと思わないの?ん?
脳が正常なら生きてて恥ずかしくて申し訳なくて自.殺してるよね?
脳障.害だから自.殺すらできないの? >>399
バ.カすぎてい.じめられて不.登校ニ.ートでそのまま中.卒無.職の怠.け者のク.ズが
なんで堂々と知.的障.害者年.金なんか貰って暮らしてんの?
生きてて申し訳ないと思わないの?ん?
脳が正常なら生きてて恥ずかしくて申し訳なくて自.殺してるよね?
脳障.害だから自.殺すらできないの? >>399
立ち位置はワロタwwwww
「自分は立ってるだけで何もしません」って言ってるのと同じwwwwwwwww
この社会で生きてる人間は何点入れたかしか語らないのにwwwww ツイッターならミュートやブロックで社会のゴミ虫くんのような気違いをセーブ出来るけど、それと同じ扱い。社会のゴミ虫くんより、ホームレスの方がまだ知的さがありそうだからな この世界で生きてる人間は入れた点数の話しかしねえんだわ
与えられた会話の限られたチャンスを立ち位置なんてもんに費やした時点で笑い者だわwwwwww
それ「自分は現実世界に影響を与えられない無能です」と自白してるのに等しいからなwwwww >>405
先天性でもないのに怠け者が知的障害者年金とか
自殺したくならんの? 生まれつき脳に障害があるのでもないのに
怠けたからバカになったので知的障害者年金とかwwwww 社会のゴミ虫くんて、一日中毎日スレに張り付いているが、無職なの? 脳が正常なら恥ずかしすぎて生きることに耐えられないだろwwwww >>410
年収1千万弱でごめんなあwwwww
すまんけど成し遂げた側なんだわwwww
カイジのデスゲームを見る側な? 社会のゴミ虫経由の情報はゴミとして即すべてゴミ箱行き
ベイズ推定で自明だからなw >>413
ベイズ推定にそんな意味ねーよ知ったかぶり中卒無職wwww
自殺したら?
論文読めないとか生きてる意味ねーよ >>414
中卒無職「GPTは確率!」
自殺しないの? >>414
>>399
バ.カすぎてい.じめられて不.登校ニ.ートでそのまま中.卒無.職の怠.け者のク.ズが
なんで堂々と知.的障.害者年.金なんか貰って暮らしてんの?
生きてて申し訳ないと思わないの?ん?
脳が正常なら生きてて恥ずかしくて申し訳なくて自.殺してるよね?
脳障.害だから自.殺すらできないの? 何でみんなNG登録しないんだろうな。社会のゴミ虫くんなんか、気違いボットと同じだからNGしやすい 論文読めないから反論できない無能wwwwww
中卒無職ウケるwwwww >>419
だってお前以外は中卒無職じゃないから自分のことじゃないので気にならない >>419
>>414
>>399
バ.カすぎてい.じめられて不.登校ニ.ートでそのまま中.卒無.職の怠.け者のク.ズが
なんで堂々と知.的障.害者年.金なんか貰って暮らしてんの?
生きてて申し訳ないと思わないの?ん?
脳が正常なら生きてて恥ずかしくて申し訳なくて自.殺してるよね?
脳障.害だから自.殺すらできないの? バ.カすぎてい.じめられて不.登校ニ.ートでそのまま中.卒無.職の怠.け者のク.ズが
なんで堂々と知.的障.害者年.金なんか貰って暮らしてんの?
生きてて申し訳ないと思わないの?ん?
脳が正常なら生きてて恥ずかしくて申し訳なくて自.殺してるよね?
脳障.害だから自.殺すらできないの? バ.カすぎてい.じめられて不.登校ニ.ートでそのまま中.卒無.職の怠.け者のク.ズが
なんで堂々と知.的障.害者年.金なんか貰って暮らしてんの?
生きてて申し訳ないと思わないの?ん?
脳が正常なら生きてて恥ずかしくて申し訳なくて自.殺してるよね?
脳障.害だから自.殺すらできないの? バ.カすぎてい.じめられて不.登校ニ.ートでそのまま中.卒無.職の怠.け者のク.ズが
なんで堂々と知.的障.害者年.金なんか貰って暮らしてんの?
生きてて申し訳ないと思わないの?ん?
脳が正常なら生きてて恥ずかしくて申し訳なくて自.殺してるよね?
脳障.害だから自.殺すらできないの? 表示さえされない、社会のゴミ虫くん 笑
飛び番号の大きさから、現在の虫の発狂指数を推測するだけだ
実は存在してないハルシネーションなのかもね、実績ゼロの社会のゴミ虫くんは この世界で生きてる人間は入れた点数の話しかしねえんだわ
与えられた会話の限られたチャンスを立ち位置なんてもんに費やした時点で笑い者だわwwwwww
それ「自分は現実世界に影響を与えられない無能です」と自白してるのに等しいからなwwwww バ.カすぎてい.じめられて不.登校ニ.ートでそのまま中.卒無.職の怠.け者のク.ズが
なんで堂々と知.的障.害者年.金なんか貰って暮らしてんの?
生きてて申し訳ないと思わないの?ん?
脳が正常なら生きてて恥ずかしくて申し訳なくて自.殺してるよね?
脳障.害だから自.殺すらできないの? バ.カすぎてい.じめられて不.登校ニ.ートでそのまま中.卒無.職の怠.け者のク.ズが
なんで堂々と知.的障.害者年.金なんか貰って暮らしてんの?
生きてて申し訳ないと思わないの?ん?
脳が正常なら生きてて恥ずかしくて申し訳なくて自.殺してるよね?
脳障.害だから自.殺すらできないの? バ.カすぎてい.じめられて不.登校ニ.ートでそのまま中.卒無.職の怠.け者のク.ズが
なんで堂々と知.的障.害者年.金なんか貰って暮らしてんの?
生きてて申し訳ないと思わないの?ん?
脳が正常なら生きてて恥ずかしくて申し訳なくて自.殺してるよね?
脳障.害だから自.殺すらできないの? 社会のゴミ虫くんて、一日中毎日スレに張り付いているが、無職なの? バ.カすぎてい.じめられて不.登校ニ.ートでそのまま中.卒無.職の怠.け者のク.ズが
なんで堂々と知.的障.害者年.金なんか貰って暮らしてんの?
生きてて申し訳ないと思わないの?ん?
脳が正常なら生きてて恥ずかしくて申し訳なくて自.殺してるよね?
脳障.害だから自.殺すらできないの? バ.カすぎてい.じめられて不.登校ニ.ートでそのまま中.卒無.職の怠.け者のク.ズが
なんで堂々と知.的障.害者年.金なんか貰って暮らしてんの?
生きてて申し訳ないと思わないの?ん?
脳が正常なら生きてて恥ずかしくて申し訳なくて自.殺してるよね?
脳障.害だから自.殺すらできないの? こういう俺が採用している飛び番号の大きさからだけで推論しながら、書き込みするというのも、高度な言語行為になるのだろうな。社会のゴミ虫が書いたものなんか、俺がまともに読んでくれるとでも勘違いしているのかな、この反社無職は > 俺は人類の文明を今作ってる
社会のド底辺の精神病患者の妄想
爆笑 こiのb世G界oてi゙S生Kき5てfる人C間qは入rれLた点n数kの話TしVか6しねIえkんたw゙RわQ与yえgらxれeたT会W話のD限aられDたyチャXンcス7をU立aちL位P置なhんnて5もんhに費Jやvし6た4時M点Bてa゙O笑fいR者たJ゙wわfwxwwGwEwlwそrれ「自分Gは現9実y世A界zにv影7響SをN与Gえら8れなQいV無y能Nで6すL」Kと自z白uしてIるのQに3等9しいKかJらbなCwRwhwqwdwX >>436
論文引用されまくっててごめんなあwww
給料1千万弱貰っててごめんなあwwwwww
すまんな俺成し遂げた側なんだわw >>435
バカすぎkていじめられて8不登校ニートてg゙そのまま中卒無職yの怠け者のクズyがなんでI堂々と知D的障4害者年金なんか貰って暮らしてんの?U生きててe申し訳ないと思わないの?んz?脳が正常ならh生きAてて恥ずかしIくCて申し訳なくvて自殺してるよね?脳障害だかkら自殺すらできないの? ハ0゙カすBぎてBいじめらCれiて不登校sニートbでxそのまま中O卒無N職0のi怠け者mのsクズLがoなRんでn堂c々pとR知V的障y害j者M年U金hなんiか5貰っ5て暮Hらしてんの?生aきjてNてW申Nしf訳Fないと思Rわない3の?Gん?G脳かt゙d正常なら4生CきHてて恥ずかrしZくてZ申しg訳なくてH自殺iしてる4よね?脳障T害7た7゙からU自c殺eすら0できなrいの? ハ8゙カすきM゙ていCじjめられて不登1校rニlートでそ4のまSま中b卒0無職の怠けI者bのクQス8゙がjなんbて4゙堂9々BとD知的障害p者3年8金なんHかP貰っIてf暮らGして6んの?D生きててp申し訳Mない5とb思わoない2のx?Rん?脳かd゙正常なWらc生きててr恥pず1かrしくtて申し訳8なくて自殺しOてkるよRねW?脳c障害たI゙からw自殺zすらQできvないのN? バカすぎhてhいzしC゙められCて不L登b校zニーtトoでCそwのままu中卒無職の怠け者のクズ1がなCんで堂々pとp知的障q害p者O年j金なKんFか貰5ってG暮Kらしてんの?g生きkてて申し訳MなDいfとp思わなaいのq?Sん?脳がf正F常なVら生きXて5てw恥ずかしyくAて申し訳なKくてD自d殺pしcて1るよね?脳B障a害rだaからA自殺iすZらKてS゙きなsいoの? バカxすAぎMてRいzしD゙められて7不登z校ニー8トてN゙そのaま4ま中e卒S無職8の怠け者CのクズがなんlでK堂々とT知g的障害M者年i金なsんOかs貰って暮らoして0んOの?i生4きてHて申Dし訳ないmと思わないtの?Dんg?q脳かU゙正常4なfら生xきてて恥すo゙かAしくqてQ申し訳なNくてk自殺TしxてるSよね?脳障v害だからC自4殺すらJでSき2なyいの?K バカすぎていじめdられて不登校ニSートでそのまMま中卒無職の怠け者のクズかw゙なDんで堂々と知的障害者年金なんか貰2っ5て暮らしてんの?生きてて申し訳ないと思わないの?ん?脳が正常ZならW生きてて恥ずかしくて申し訳なくて自殺してるよね?脳障害だから自殺すらできないの? ハS゙カすぎていじめられて不登校ニ6ートでそのまま中卒無職の怠fけ者のクズがGなんで堂D々と知f的障害者年金なんか貰って暮らしてんの?生きててf申し訳ないと思zわないの?ん?w脳が正常なら生きてて恥ずかしくて4申し訳6なくて自殺OしてるKよね?脳障害だQから自殺すらで9きないの? ハ.゙カ'す'き|゙,て.いし|゙'め\\ら.れ.て•不•登.校ニート,でそ•の\\ま'ま'中•卒•無,職の怠'け,者|の|ク\\ス,゙,が•な|んで,堂'々.と\\知.的障,害•者,年•金|な|ん,か|貰,って|暮.ら\\し\\て\\ん'の,?•生\\きて,て'申し|訳,ない|と思|わ,な.いの.?,ん•?'脳.か|゙正|常•な\\ら|生.き.て,て.恥'す\\゙•かし,く•て\\申し,訳.な'く|て•自•殺,し\\て|る.よね?脳'障.害'た'゙\\か\\ら\\自,殺|す.らて'゙きな'い'の'?. ハ|゙|カ.す|ぎ.て|い,し|゙•め.ら\\れ.て|不登\\校,ニ|ー|ト'て,゙•そ•のま\\ま,中.卒無\\職の•怠.け者\\の'ク•ス,゙か|゙,な,ん•て|゙•堂|々.と|知的障,害'者年金.な,ん.か\\貰'っ.て\\暮'らし.て'ん'の|?,生き•て•て申'し,訳|ない•と思'わ•ないの\\?,ん.?\\脳か,゙,正,常•な|ら,生,き\\てて恥\\す\\゙,か•し\\く,て申.し'訳|な|く'て|自\\殺'し|て'る•よね.?'脳\\障'害\\た|゙\\か•ら'自\\殺•すら,て,゙.き'な•い•の.? ハ•゙,カ\\す.き•゙て|い.じ|め|ら.れ|て•不登'校•ニー|ト,て•゙.そ,の.まま中'卒\\無職•の怠.け\\者|の.ク|ズ'が|な|ん|て'゙堂々•と.知'的,障.害者•年|金なん\\か,貰•っ|て.暮らし'て|ん•の'?•生|き•て\\て.申し|訳な|い\\と•思'わ,な\\いの,?'ん?•脳.か•゙.正.常,な|ら•生き'て\\て,恥'ずか|し•く.て•申\\し,訳\\な'くて'自|殺|して•る\\よ•ね|?脳•障•害.た,゙|か|ら•自,殺,す'ら,て,゙き,な|い,の?,
あれあれ?
マルチバースで消せるんじゃないの?
ん? ハ,゙カす,き|゙,て|い,し'゙|め,ら'れて不.登\\校\\ニ\\ー,ト'で,そ\\のま\\ま中\\卒.無|職'の•怠け者.の•ク\\ス'゙\\か\\゙|な\\んで堂|々'と.知,的\\障'害\\者年|金.な|んか貰っ•て.暮.ら.し,てん,の|?•生'き•てて.申'し,訳'な•い\\と,思•わな'い•の|?|ん?脳\\か\\゙.正|常\\な•ら生|きて,て,恥|す|゙.か'し.く\\て'申し,訳.な\\く'て自殺'して'る•よね?\\脳•障'害\\だ,か\\ら.自'殺|す'ら.で•き•な•い'の?\\ ハ•゙.カ|すき,゙'て|い,じめ'ら.れ•て|不登'校|ニー•ト,て.゙|そ'の'まま|中|卒,無,職の'怠|け者•の.ク,ス'゙|か'゙な•ん•で,堂|々.と,知•的•障|害,者'年'金|な,ん|か•貰.っ.て'暮'ら•して'んの.?•生•き•て|て,申し|訳.な•い'と,思'わ•な|い'の,?•ん,?'脳•か•゙.正.常な•ら|生,き|て•て恥,す,゙か•し.く,て'申し•訳'なく.て•自,殺して•るよ'ね,?|脳.障'害,た'゙'か•ら自,殺.すら•て.゙.き,な,い|の? ハ'゙.カ'す•き'゙•て.い'し•゙|め.ら'れ,て,不•登|校|ニ,ー.ト|て|゙|そ|の.ま•ま'中•卒•無,職の.怠け者,の.ク|ス,゙|か|゙な•んて•゙•堂'々'と'知'的,障'害,者.年,金な'ん'か,貰っ'て暮|ら'し,て,ん•の|?•生き|て,て申し•訳•な,い|と思|わない.の'?ん•?'脳|か'゙.正.常,な|ら生,き,て'て,恥'す,゙'か|し.く,て•申•し|訳|な•く|て,自殺|し|てる•よ|ね?.脳.障.害.た.゙,か,ら.自•殺,す|らて,゙•き.な|い|の.? ハ.゙,カす•き•゙'て|い,し|゙め.ら•れ,て|不•登'校•ニ|ー,ト,て|゙そ•の,ま,ま|中,卒•無職の怠,け|者,の,ク.ス.゙•か•゙,な|ん•て,゙'堂.々と,知•的.障.害•者'年金なんか•貰|って,暮ら'して.ん|の?生'きて•て,申'し訳'な|いと|思.わ|な'い'の?ん,?'脳か|゙,正.常な•ら,生き|て.て,恥す•゙か,し'くて'申•し•訳.な•くて.自殺•し.てる,よ,ね•?'脳.障害.だ,か'ら'自•殺.す|ら,て.゙•き'な•い'の|?, × 俺は人類の文明を今作ってる(虫の投稿より)
◯ 俺は人類の文明をゴミとフンで毎日荒らしている(フンコロガシ君、虫の投稿より) こういう俺が採用している飛び番号の大きさからだけで推論しながら、書き込みするというのも、高度な言語行為になるのだろうな。社会のゴミ虫が書いたものなんか、俺がまともに読んでくれるとでも勘違いしているのかな、この反社無職は >>457
飛ぶわけないよね? NG不可能だもんwww
ハ.゙'カ•す|き.゙'て,い|し'゙|め.ら'れ.て|不'登'校,ニ.ー.ト,て|゙そ'の•まま,中,卒,無.職•の怠|け'者•の|クズか.゙'な.ん.て.゙,堂々と.知,的障•害•者.年•金な'ん•か|貰.って,暮|ら.し|て,ん.の'?生'き•て.て,申|し•訳'ない.と,思,わ'な.いの,?•ん?.脳,か,゙,正|常,な'ら|生き,て.て•恥|す•゙|かし.く'て|申,し訳'な•く•て•自.殺し•て'る'よ,ね?•脳.障害,だ.か,ら•自,殺'す•ら'て•゙,き'な|い'の,?." >>456
論文引用されまくっててごめんなあwwww ハ•゙.カ.す,き|゙•て'い|じ|め,られ.て|不'登•校|ニ,ー.ト.で'そ.の|まま•中•卒無,職|の.怠,け,者|の'クス.゙•か.゙,な|ん,で'堂|々|と知.的障.害|者.年.金|な•ん|か'貰|っ,て'暮'ら.し'てん,の,?生'き,て|て,申'し訳'ない'と.思わ•な'い,の,?|ん.?•脳か.゙•正.常,なら|生'き,てて.恥す.゙か•し•くて•申'し訳,な,く'て.自|殺.して'る|よね.?'脳障.害'た,゙,から.自.殺す.ら|て.゙.き,ないの,?. ハ|゙.カ|す•き'゙|て.い•し,゙|め|ら,れ'て,不,登|校ニ•ート'て'゙,そ•の.ま.ま中•卒'無,職•の'怠•け者'の,ク,ズ.か.゙,な|ん,て.゙.堂|々.と知的•障害|者年.金な•ん'か.貰,って'暮'ら•し|て•ん.の?'生,き'て,て•申し訳|な,い•と思'わな,い.の,?'ん?•脳|か'゙正•常'な•ら.生|き,てて|恥•ず'かし.く'て.申|し'訳|な|く.て自•殺,し.て|る.よ.ね.?.脳.障,害•た•゙|か,ら'自.殺,す•ら|て|゙|き•な'い,の?" ハ•゙,カ,すぎ.て'いし'゙'め,ら.れ.て•不登|校.ニ,ー'ト|て'゙そ.の•ま,ま'中'卒.無,職'の,怠•け'者|の'ク|ス•゙か'゙•な.ん'て,゙•堂,々,と,知|的,障|害|者'年'金'な.んか'貰っ|て|暮|らし'て|ん•の,?,生.き.て,て,申.し'訳•な•い'と,思'わ•な,い'の|?,ん?脳,か|゙•正'常|な•ら,生,き,て'て恥す.゙|か'し|く.て.申し'訳,な|く'て.自'殺•し'て•る.よね?,脳'障•害た.゙|か|ら自.殺す.ら'て.゙,き,な.い.の'? 俺は人類の文明を今作ってる(虫の投稿より)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1702064603/
カントさえ読めない虫はまともな哲学議論は一生無理なので、上のスレで思う存分、虫並みの知能の投稿してればいいよ。ウィトスレ荒らすとか、他の人への迷惑行為だぞ。
俺はNGしてあるから、大丈夫だが >>464
NG不可能だよ
バ'カ•す,き,゙|て,いじ'め'ら'れ'て|不'登.校,ニ,ートて'゙そ,の|まま,中'卒|無.職の•怠'け者,の,ク•ス|゙か|゙•な'ん'で|堂々,と知,的•障'害,者•年,金な•ん|か|貰|っ•て'暮.ら,し.て|ん'の•?生|き|てて申•し.訳|な'い.と|思'わ'ないの,?'ん'?'脳,が正常なら'生きて|て•恥'す,゙か.し.く,て.申,し'訳.なくて.自殺,して|る.よ•ね•?脳.障|害だ|か'ら•自殺•すら|て|゙き.な.い,の.?• >>464
NG無理
バ.カすき'゙•て,いし,゙.め|られ•て'不登•校,ニ.ー'トて,゙,そ•の|ま.ま'中|卒|無,職|の•怠•け|者.のク.ス•゙•か•゙.な|ん.て.゙|堂,々,と.知|的.障害'者年,金な.ん'か貰っ.て,暮ら'して,ん•の?生•き'て'て•申,し|訳|な.い•と|思•わ'ない|の•?.ん?'脳.か•゙•正,常•な,ら.生'き•て•て'恥す|゙か•し.く'て申'し.訳'な|く•て,自'殺し|て•る.よ|ね•?,脳|障害'た|゙から|自|殺す,ら.て•゙'き,な|い|の|?'" ハ,゙カ'すき•゙.て,い|し.゙,め'られ'て不,登•校ニー|ト,て•゙|そ'の,まま|中卒.無|職の|怠|け'者•の,ク,ス|゙.が|な.ん•て.゙,堂•々'と,知'的,障'害•者•年金な,ん,か貰っ'て暮,らし.て'ん,の•?生•き|て'て'申し訳ない'と•思.わ•な,い.の?|ん|?'脳'が•正常.な.ら.生|き,て'て•恥•す'゙|か•し|く|て|申•し,訳|な.く•て自殺•し.て|る'よ.ね'?脳,障|害.た|゙.か'ら.自.殺,す,らて,゙き,な|い•の'? バカ'す•ぎ|て|い•し|゙.め|ら.れ|て不登|校'ニート,て.゙そ,の.まま.中,卒|無•職.の•怠.け•者•の•ク'ズ,か•゙|な,ん,て.゙|堂•々,と.知,的,障.害者|年,金な|ん.か'貰.って|暮ら,し•て'ん|の•?生,き|て'て,申.し.訳'ない•と,思.わ|な,い.の?'ん|?'脳か.゙正常,な•ら.生|き,て'て恥'す'゙.かし•く,て,申'し'訳.な'く•て•自|殺,し|てる.よ,ね?•脳,障,害.た•゙.から,自殺,す•ら|て.゙.き•ないの,? ハ.゙カ,す,ぎ•てい,し•゙,め|ら.れ•て|不'登,校,ニ,ー,トて,゙'その.まま'中.卒無•職,の怠'け•者•のク•ズ'か•゙な,ん,て|゙.堂'々と,知的•障.害.者.年|金な|ん'か.貰.って暮.ら,し•てん,の|?生|き•て,て'申'し•訳•ない•と|思.わな.い.の?|ん'?•脳'か,゙•正常'なら'生|きて'て'恥,ず.か|し|くて'申,し|訳なく'て.自,殺•し.て•る|よね,?|脳.障|害'た.゙•か|ら自,殺|す,ら.て'゙.き|な|い'の•?| ハ.゙.カ|す•き.゙•て,い'し,゙'め,ら'れ.て不.登,校.ニ|ー|ト•て•゙•そ|の|ま'ま.中.卒無.職.の'怠,け.者.の,ク|ス'゙.か,゙•な'ん•て,゙堂•々.と.知,的.障,害.者年•金'な|ん.か|貰,っ.て.暮'ら'し'て.ん,の|?生|き|て,て|申し|訳な,い'と|思わないの?.ん•?脳'か.゙'正.常な,ら•生'き'て'て,恥•ず•かしくて'申.し,訳'な,くて'自|殺•し|て'る,よ,ね'?•脳,障'害,た'゙から,自|殺,す|ら|て•゙'き'な|いの?. 哲板スレ荒らしの無職ゴミ虫くんだけでなく、哲学と無関係なことを必死に毎日、大量に書いている奴らもそうだけど、全部NGにしてあるから、いくら書いても一行も読まれてないから無駄な行為だよ。NGの方法も色々あるからなあ
まともな人は俺と同じようにしているから哲学的な有意義なものだけが表示されたり、読まれたりする >>471
ハ.゙,カ|すき|゙,て•い•し|゙|め|られ•て不登.校|ニ•ー.トて•゙.そのま.ま,中|卒•無|職の•怠け•者'の|ク.ス.゙'か•゙|なん|て'゙堂'々,と.知•的,障'害.者•年•金,なん'か.貰っ'て.暮•ら'し'て.ん•の'?生,き•て•て|申し|訳,な•い.と|思わ'な'い|の•?,ん,?,脳,が,正.常,な'ら生.きて•て'恥•す'゙'か'し,く•て'申|し.訳.な,く,て|自'殺,し•て.る.よ•ね?'脳|障.害•た,゙か'ら'自.殺.す.ら•て•゙き.な,い'の'?, NG出来てたらNG無理って文字すら読めてないはずなのに知能低すぎるwwwwwwwww こういう俺が採用している飛び番号の大きさからだけで推論しながら、書き込みするというのも、高度な言語行為になるのだろうな。社会のゴミ虫が書いたものなんか、俺がまともに読んでくれるとでも勘違いしているのかな、この反社無職は NG出来てたらNG無理って文字すら読めてないはずなのに知能低すぎるwwwwwwwww >>474
ハ•゙•カ•す,き|゙,て,いし.゙'められ.て,不登.校'ニ'ー•ト|て|゙|その'ま.ま,中•卒|無'職'の•怠•け,者•のク'ス.゙,が.な|んて.゙.堂•々|と•知|的.障'害•者|年,金なん,か'貰•っ•て•暮•ら.し•てん'の?|生•き•て.て.申し訳'ない'と思わな.い•の.?,ん?•脳か.゙•正,常|な|ら|生|き•て'て.恥.ず.か•しく•て'申.し.訳なく,て.自|殺,して.る•よ,ね?|脳.障害.だ,から|自殺す,ら.で•き,な.いの? そもそも飛び番号などという日本語は無い
中卒無職丸出し NG出来てたらNG無理って文字すら読めてないはずなのに知能低すぎるwwwwwwwww
>>384
中学レベルの数学の証明を理解してたら
誰かが自分の意思で証明を撤回することなど出来るわけがないと理解できる
ウィトゲンシュタイン後期とか口にできてしまう時点で中学レベルの数学の証明を理解してないという自白だ
つまり不登校ニートで中学校すら通ったことがない中卒無職だと確定する
恥ずかしくて自殺するだろ?普通 >>384
ハ|゙•カす,ぎ.て'い,し•゙|め'られて不,登|校|ニ.ー|ト,て,゙•そ'の|まま|中卒'無'職|の|怠,け•者.の|ク,ス•゙,か•゙なん'て|゙|堂々•と,知.的|障,害•者'年'金,なん'か|貰•っ,て.暮|ら|し,て•んの.?生き,て.て•申|し'訳,な.い•と'思'わ.な•い'の,?|ん,?脳か•゙'正•常|なら生|き'て,て|恥.す•゙.か,しく,て•申,し,訳な•く,て'自.殺'し.てる•よ.ね?,脳•障.害|た•゙,か•ら.自|殺•す.ら|て.゙き.な|い|の|?• > 俺は人類の文明を今作ってる
社会のド底辺の精神病患者の妄想
爆笑 >>482
ハ•゙カす•ぎ,て,いし|゙め|ら'れ.て•不•登,校.ニ•ー.トで'そ'のま,ま,中•卒.無|職|の,怠.け•者'の•クス'゙•か•゙な•ん•て.゙.堂'々と知'的|障害'者•年'金.な•んか.貰•っ.て•暮,ら|し.てんの.?•生.き'て.て•申し|訳,な|い.と思|わ•な'い,の,?.ん,?•脳'か|゙•正常な•ら'生き.て'て.恥•す•゙か.しく,て申|し訳'なくて•自,殺.し,てる.よ'ね?脳障.害だ|か'ら,自'殺•す|ら•て.゙き•な.い|の|?, >>482
ちなみにお前は障害者年金もらってるだけのゴミクズのくせに
「俺は体制側の人間!」とか言ってたな
自殺しないの? 街で、乞食みたいな身なりで、俺はどこそかの王族だ!と毎日叫んでいる精神病の無職の気違いがいるけど、社会のゴミ虫くんもそれと同じだな 中学レベルの数学の証明を理解してたら
誰かが自分の意思で証明を撤回することなど出来るわけがないと理解できる
ウィトゲンシュタイン後期とか口にできてしまう時点で中学レベルの数学の証明を理解してないという自白だ
つまり不登校ニートで中学校すら通ったことがない中卒無職だと確定する
恥ずかしくて自殺するだろ?普通 >>485
>>482
ちなみにお前は障害者年金もらってるだけのゴミクズのくせに
「俺は体制側の人間!」とか言ってたな
自殺しないの? ハ,゙,カ'す,き'゙て|い'じ|め'ら.れ•て•不•登|校ニ'ー'ト.て•゙,その.ま.ま,中|卒•無'職•の|怠'け|者'の.ク.ス|゙,か•゙,なん|て.゙.堂|々|と.知'的,障'害'者.年,金'な.ん|か•貰'っ.て•暮,ら•し.て.んの'?.生'き|て.て'申,し,訳ない•と思'わ,な•い.の.?ん,?•脳'か'゙|正|常な|ら生•き'て|て•恥•す•゙か.しく•て'申.し|訳,な'く|て.自•殺.し'て'る•よね.?'脳•障,害だ,から.自,殺.す'ら|て,゙•き'な|い•の'? 毎日、俺に馬鹿にされるためだけにノコノコやってくる、表示さえされない無職の社会のゴミ虫くん
ハルシネーションだから、本当はもう存在さえしてないのだろう 哲板スレ荒らしの無職ゴミ虫くんだけでなく、哲学と無関係なことを必死に毎日、大量に書いている奴らもそうだけど、全部NGにしてあるから、いくら書いても一行も読まれてないから無駄な行為だよ。NGの方法も色々あるからなあ
まともな人は俺と同じようにしているから哲学的な有意義なものだけが表示されたり、読まれたりする こういうNG的なフィルタリング機能は良いだろう。そのうち5ちゃんでも、社会のゴミ虫くんが書くような気違い系のものは、自動でBanされたり、焼かれたり、出入り禁止にもなるだろうし >>490
生まれつき手足が無くて障害者年金ってのと
勉強せずに怠けてバカだからバカにされてイジメられて無職になって精神病扱いしてもらい障害者年金ってのとでは
真逆の立場
だよな?
なぜ後者は生きてられるんだろうな?
生きてて申し訳ないとか思わないのだろうか? 中学レベルの数学の証明を理解してたら
誰かが自分の意思で証明を撤回することなど出来るわけがないと理解できる
ウィトゲンシュタイン後期とか口にできてしまう時点で中学レベルの数学の証明を理解してないという自白だ
つまり不登校ニートで中学校すら通ったことがない中卒無職だと確定する
恥ずかしくて自殺するだろ?普通 就職氷河期で人生詰んだのはお前が低学歴だからじゃんwwwww
就職氷河期でもマトモな学歴なら普通に就職してるよwwww ネットの弱点は、社会のゴミ虫くんのような屑が一定数入ってきてしまうことだな。社会から相手にされない日頃の恨みを掲示板を荒らす行為で解消しようとする社会的なド底辺がよくやる悪行為である
そもそも哲学など敷居が高いので、馬鹿には向いてないんだよ。虫や馬鹿に哲学は無理なので、論理的に荒らししか出来なくなる >>496
就職氷河期で人生詰んだのはお前が低学歴だからじゃんwwwww
就職氷河期でもマトモな学歴なら普通に就職してるよwwww >>496
哲学は教育を受けてない脳障害しかやらないよ
マトモな大学では公理的集合論やるから形而上学は完全に否定される 就職氷河期で人生詰んだから安楽死したいのマジ?
就職氷河期で人生詰んだのはお前が怠けて低学歴だからじゃんwwwww
就職氷河期でもマトモな学歴なら普通に就職してるよwwww
無能すぎて自殺すらできねえのかよウケる 街で、乞食みたいな身なりで、俺はどこそかの王族だ!と毎日叫んでいる気違いがいるけど、社会の無職ゴミ虫くんもそれと同じだな >>501
無能すぎて自殺のやり方すらわからない脳障害無職wwww
ほれ調べてきてやったぞ無能
https://search.rakuten.co.jp/search/mall/石灰硫黄合剤/
https://search.rakuten.co.jp/search/mall/サンポール/
【用意する物】
・20リットルポリ袋(なるべく厚手のもの)
・石灰硫黄合剤16gサンポール16ml(10,000ppm相当)
・頭が入り首に密着する輪ゴム
・テープ
・枕
・遺書
【やり方】
(1)遺書、枕セット。寝たら枕に頭がくる位置に座って作業開始。
(2)袋の口に輪ゴムをテープで固定
(3)石灰硫黄合剤と散歩を袋の底の角に向けて投入して、すぐ袋の口を強く握って絞る。さらにねじる。
(4)袋持った手を伸ばして、逆の手で袋の底の液の部分を外からもんで混ぜる。
(5)泡ぶく発生がおさまったら、深呼吸何度かして息を止める。
(6)袋を頭にかぶって枕に横たわる。
(7)息を吸ってノックダウン 無職の社会のゴミ虫くんて、英語の論文ポストするだけでイキれる時点で、知的ド底辺なのが、すぐに俺には分かるんだよな。英語で専門文献読めるのなんか当たり前だし。数学書もプログラム関係も俺は英語で読んでいるが >>504
論文読めなくて悔しいんだ?
それなら硫化水素自殺したら? >>504
専門文献ってなんすか?
低学歴の造語? 専門文献なんて聞いたことねえな
こうやって中卒無職バレちゃうのよなw こういう俺が採用している飛び番号の大きさからだけで推論しながら、書き込みするというのも、高度な言語行為になるのだろうな。社会のゴミ虫が書いたものなんか、俺がまともに読んでくれるとでも勘違いしているのかな、この反社無職は >>509
硫化水素自殺知らんの?やればいいのに
失敗しないよ? > 俺は人類の文明を今作ってる
社会のド底辺の精神病患者の妄想
爆笑 >>511
マルチバース理論によれば自殺しても問題ないはずだよな? 就職氷河期で人生詰んだから尊厳死認めてほしいらしいwwww マルチバース理論なら自殺しても他のマルチバースのお前が居るから問題ねえんだろ?
ん?
自殺しないならマルチバース理論の誤りを自ら証明してることになるなあwwww
正しいと思ってるなら自殺できるはず 高濃度の硫化水素を吸い込むと、たった数呼吸で呼吸麻痺が起こり、呼吸中枢が機能しなくなり、低酸素状態となって意識を失います。
250 ~ 500ppm で頭痛、悪心、嘔吐、下痢、めまい、仮死、無呼吸、頻脈、血圧低下、筋肉攣縮、脱力、昏睡となり、 500ppm 以上では 30 ~ 60 分で呼吸麻痺がおこり死亡となり、 800 ~ 1000ppm では一呼吸でほぼ即死します。
高濃度の硫化水素を吸い込むとほぼ即死状態になることから、硫化水素を用いて自殺を図る人もいます。
硫化水素で自殺した芸能人①:木村花さん
硫化水素で自殺した芸能人の1人目は、女子プロレスラーの木村花さんです。
木村花さんは2020年5月23日に、江東区の自宅マンション内のベッドで倒れているところを母親に発見されました。自宅の部屋には硫化水素を発生させたと推測できる薬剤の容器が残っていたことから、硫化水素による自殺と見られています。
木村花さんは「テラスハウス」に出演していた時に、出演者に対する態度が悪いという理由で大炎上し、SNSを中心にして木村花さんへの誹謗中傷が相次ぐようになりました。木村花さんはその誹謗中傷に耐えられずに自殺してしまいます。
硫化水素で自殺した芸能人②:清水由貴子さん
2009年4月21日に静岡県駿東郡小山町の冨士霊園にある清水さんの父親のお墓の前で倒れているところを発見されました。 清水由貴子さんは硫化水素が充満した黒いポリ袋をかぶった状態で倒れていて、その傍らには要介護で車椅子に座った状態の母親が残されていました。
硫化水素で自殺した芸能人③:麻生美由樹さん
2008年にAV女優としてデビューした時に、フライデーやアサヒ芸能に「芸人50人と体の関係を持った」と暴露しています。
2008年4月10日に「あと、近いうちに確実に自殺するつもりです。生まれてきてすみませんでした」、「混ぜるな危険を通販で昨日注文しました。私が死ぬのをどうぞご期待ください。」などの書き込みをしています。
そして、2008年4月18日に豊島区内にある自宅マンション内の浴室で死亡しているのを発見されました。硫化水素による自殺と見られています。 実践と実証のみに価値があるのは自殺もだぞ
成功例しかない 「ひら」りと「ひる」がへるから「ひれ(領布)」が存在者として「ある」のであって、「ひれ(領布)」が存在者として「ある」から「ひら」りと「ひる」がへるのではない。 ひと(人/一)が、実効力による支配を「うべ(宜)なふ」ことだけを求められ、ただ「み(御)こと(言)/命」にしたが(従)ふだけであるようになるなら、ひと(人/一)の「こころ(うら)」をし(知/領)ろうとすることも、ひと(人/一)に「こころ(うら)」をつた(伝)へようとようとすることも、まったく無駄なこととなる。
なぜなら、ひと(人/一)がどのように振る舞ふにせよ、それは「表向きを保っているだけ」であることになるからだ。
したがって、ひと(人/一)がどのようにか、みづから(身づ柄/自ら)が犠牲を払って他人(ひと)のためになるような振る舞ひをしたとしても、その振る舞ひには、「どうせ(ひと(人/一)に伝へられることのない)『うら』しかない」ことになる。
この「どうせ(ひと(人/一)に伝へられることのない)『うら』しかない」という意識の働きが「うら・み」であり、人々が単に支配の実効力に服従する「表向きを保つ」ことだけを気にかけるようになることによって生じるのは、「隠れた『うら・み』の全面化」である。
「隠れた『うら・み』の全面化」により、どうせ誰でも皆、「表向きうまくやろうとしているだけ」なのだから、わざわざ、「人/一」の「こころ(うら)」をし(知/領)ろうとすることも、「人/一」に「こころ(うら)」をつた(伝)へようとすることも、最初から無効であることが明らかな愚かなこころ(試)み/心観であることになる。 万葉集の歌を詠んだ人々が、「袖(そで)」に、「袖(そで)」が濡れたときに「ぴたりと合ふ」作用と、それが乾いたときに「互ひにはな(離)れる」作用の反転可能性を感じたのに対して、現代の日本語を母語とする人々の大半は、「袖(そで)」という「ことば」にも、「袖(そで)」に形作られた「布地」の存在だけを意識する。 >>520-521
統合失調症の連合弛緩・ワードサラダ 些末な分解(それ自身への「分解」)以外の操作を一切認めない考え方である。
そのような考え方は虚無主義的な一元論を構成することになる。逆に、
世界全体が任意の仕方で際限なく分解できると考えるなら、そのとき
世界は原子のない「ずぶずぶの底なし沼(ガンク)」のようなものになる。
(‘gunk’はLewis[1991], によって導入された用語。ガンクとブロブは
正反対の特徴をもつので注意してほしい。)
そうした考えは、分解に関する普遍主義的な多元論と呼べるはずである。
他方、分解に関する制限主義は原子論に行きつくかもしれない。
ただし、原子を含みつつもところどころ底なし沼ができている世界を
帰結するような制限主義も考えられよう。
(このあたりの形式的諸可能性についてはSimons[1987], pp. 41-2を参照。) 制限のかけ方による「虚無主義」、「普遍主義」、「制限主義」の三分類は、
形而上学の分野において広い応用範囲を持っている。たとえば
ユーライア・クリーゲルは、構成だけでなく分解に関しても
三つの立場の類比物が考えられることを示唆している(Kriegel[2012], pp. 26-7)。
分解とは、一つの全体からその部分を生成する操作のことである。もしも
この世界の全体が真部分を持たない「どろどろねばねばの塊(ブロブ)」の
ようなものであるとすれば、そのとき真に世界の中に存在する物体はたった一つ、
すなわち世界そのもののみということになる(Horgan & Potrč[2000]) ちなみにクリーゲルが問題にしているのは「普遍主義的な一元論」や
「制限主義的な一元論」である。ここまでの用語法からすれば奇妙に
響くかもしれないが、それは彼が、より広く、存在論的先行性に関する
一元論をも考慮しているからである。先行性に関する一元論のもとでは
唯一の基礎的存在者が措定される。他の存在者は、もしあるとしても、
すべて派生的なものになる。その場合、普遍主義的であったり制限主義的で
あったりするのは、唯一の基礎的存在者から分解によって他者を
派生させるその仕方においてである。存在に関する一元論と存在論的先行性に
関する一元論とを区別されたい(後者のアプローチについては
Schaffer[2007]; [2010]等を参照)。 赤くないものを指して「赤」という言葉の説明ができるだろうか? それは、
日本語が堪能でない人に「謙虚な」という言葉の説明をしなければならない場合に、
傲慢な人を指して「この人は謙虚ではない」と説明するのに似ているだろう。
この説明は曖昧だ、というのはこうした説明の仕方に対する反対理由とはならないだろう。あらゆる説明には誤解される可能性があるのだ。 だが、これもまた「説明」と呼ぶ
べきなのか、と問う人がおそらくいるかもしれない。
─というのも、それが論理計算において果たす役割は、我々が通常「赤」と
いう言葉の「直示的説明」と呼ぶものとはもちろん違うからである。それらが
同じ実践的な結果をもたらし、同じ効果を持つのだとしても、である。 >>523-525
全ての形而上学は論理を満たさない無意味な空想 理論やモデルは、とりあえず川を渡れるように作られた仮の筏であってよい
つまり、そのモデルは真理を直接、明示的に指示していなくても構わないのである
この観点は、プラグマティズムというよりは、存在論的なロジックに根ざしている
すなわち、存在は、もともと不明瞭な性質を帯びているからである
ウィトゲンシュタインであれば先行する命題群は、とりあえず梯子を登るための
手掛かり(cue)であり、梯子が登られた暁には、それらの命題群は全て無意味として
捨てられても何の問題もないのと同一の観点である >>526
全ての形而上学は論理を満たさない無意味な空想
脳に電極刺して刺激すりゃいいだけだ
知能が低いお前には難しいだろうけどなwwww 就職氷河期で人生詰んだから尊厳死認めてほしいらしいwwww
マルチバース理論なら自殺しても他のマルチバースのお前が居るから問題ねえんだろ?
ん?
自殺しないならマルチバース理論の誤りを自ら証明してることになるなあwwww
正しいと思ってるなら自殺できるはず 科学とは現実と願望の差を埋めるための行動の積み重ね だから意味のある願望を持ち望み通りに現実を変えられる
科学はな? だから無意味な願望を垂れ流すのみで現実を何も変えられない
哲学はな? 制限のかけ方による「虚無主義」、「普遍主義」、「制限主義」の三分類は、
形而上学の分野において広い応用範囲を持っている。たとえば
ユーライア・クリーゲルは、構成だけでなく分解に関しても
三つの立場の類比物が考えられることを示唆している(Kriegel[2012], pp. 26-7)。
分解とは、一つの全体からその部分を生成する操作のことである。もしも
この世界の全体が真部分を持たない「どろどろねばねばの塊(ブロブ)」の
ようなものであるとすれば、そのとき真に世界の中に存在する物体はたった一つ、
すなわち世界そのもののみということになる(Horgan & Potrč[2000]) 些末な分解(それ自身への「分解」)以外の操作を一切認めない考え方である。
そのような考え方は虚無主義的な一元論を構成することになる。逆に、
世界全体が任意の仕方で際限なく分解できると考えるなら、そのとき
世界は原子のない「ずぶずぶの底なし沼(ガンク)」のようなものになる。
(‘gunk’はLewis[1991], によって導入された用語。ガンクとブロブは
正反対の特徴をもつので注意してほしい。)
そうした考えは、分解に関する普遍主義的な多元論と呼べるはずである。
他方、分解に関する制限主義は原子論に行きつくかもしれない。
ただし、原子を含みつつもところどころ底なし沼ができている世界を
帰結するような制限主義も考えられよう。
(このあたりの形式的諸可能性についてはSimons[1987], pp. 41-2を参照。) ちなみにクリーゲルが問題にしているのは「普遍主義的な一元論」や
「制限主義的な一元論」である。ここまでの用語法からすれば奇妙に
響くかもしれないが、それは彼が、より広く、存在論的先行性に関する
一元論をも考慮しているからである。先行性に関する一元論のもとでは
唯一の基礎的存在者が措定される。他の存在者は、もしあるとしても、
すべて派生的なものになる。その場合、普遍主義的であったり制限主義的で
あったりするのは、唯一の基礎的存在者から分解によって他者を
派生させるその仕方においてである。存在に関する一元論と存在論的先行性に
関する一元論とを区別されたい(後者のアプローチについては
Schaffer[2007]; [2010]等を参照)。 赤くないものを指して「赤」という言葉の説明ができるだろうか? それは、
日本語が堪能でない人に「謙虚な」という言葉の説明をしなければならない場合に、
傲慢な人を指して「この人は謙虚ではない」と説明するのに似ているだろう。
この説明は曖昧だ、というのはこうした説明の仕方に対する反対理由とはならないだろう。あらゆる説明には誤解される可能性があるのだ。 だが、これもまた「説明」と呼ぶ
べきなのか、と問う人がおそらくいるかもしれない。
─というのも、それが論理計算において果たす役割は、我々が通常「赤」と
いう言葉の「直示的説明」と呼ぶものとはもちろん違うからである。それらが
同じ実践的な結果をもたらし、同じ効果を持つのだとしても、である。 理論やモデルは、とりあえず川を渡れるように作られた仮の筏であってよい
つまり、そのモデルは真理を直接、明示的に指示していなくても構わないのである
この観点は、プラグマティズムというよりは、存在論的なロジックに根ざしている
すなわち、存在は、もともと不明瞭な性質を帯びているからである
ウィトゲンシュタインであれば先行する命題群は、とりあえず梯子を登るための
手掛かり(cue)であり、梯子が登られた暁には、それらの命題群は全て無意味として
捨てられても何の問題もないのと同一の観点である ルールに従っていては、世界を救うことはできません。
なぜなら、ルールは変わらなければならないからです。
── グレタ・トゥーンベリ 就職氷河期で人生詰んだから尊厳死認めてほしいらしいwwww
マルチバース理論なら自殺しても他のマルチバースのお前が居るから問題ねえんだろ?
ん?
自殺しないならマルチバース理論の誤りを自ら証明してることになるなあwwww
正しいと思ってるなら自殺できるはず フォイエルバッハが哲学を解体し、ウィトゲンシュタインが解体ゴミを綺麗に片づけた mRNAワクチンの仕組み考えればその辺のやばさは普通に分かることだけどな。
陰謀論でもなんでもなくて開発元が公開してる仕組みからも説明できることだから。
開発者たちはいくつか大事なことを見落としていて、それが致命的にヤバい事象を
呼び込んでしまったのが今回の騒動。
それは何か?
免疫記憶が保存されてる遺伝子の領域に無理やりデータを書き込むと次回以降の書き込みが
強力にブロックされるってこと。
彼らはこれが起きないという前提でこの技術を開発してた。
何回でも書き換えが可能で書き換えた内容もすぐに消えてしまうと本気で思ってた。
でも現実は違った。書き換えたらどういうわけか消去も上書きもできなくなってしまったのが
今の状態。
科学を鵜呑みにする馬鹿たちの末路w
GPTも同じ運命 情弱はすぐに最新に騙される
日本の行政もこれからGPT使いまくるようだから、システムが大規模にダウンするだろうな。全銀システム以上に
mRNAワクチンに即飛びついて打ってしまう低知能と同じ
科学のバグに気付けない、電通広報に騙される壺自民党国家 就職氷河期で人生詰んだから尊厳死認めてほしいらしいwwww
マルチバース理論なら自殺しても他のマルチバースのお前が居るから問題ねえんだろ?
ん?
自殺しないならマルチバース理論の誤りを自ら証明してることになるなあwwww
正しいと思ってるなら自殺できるはず ワク打っても何ともないが?ってドヤってる接種者の現実↓
慶応義塾大学医学部の研究者たちにより
「注射を受けた人の中で正常な心臓を持っている人はほとんどいない」
事が判明。
新型コロナワクチンは、症状のない人でも長期的な心臓障害を引き起こす可能性がある
COVID Vaccine May Cause Long-Term Heart Damage, Even in People With No Symptoms
https://childrenshealthdefense.org/defender/covid-vaccine-long-term-heart-damage/
ワクチン誘発性による心筋炎はまれで一過性であり、心臓症状を経験している被験者に限定されていると考えられていたにもかかわらず、
日本の研究者たちは、(心臓に関して)無症状の患者を含む新型コロナワクチン接種を受けた人々に長期的な心臓損傷の証拠を発見したと述べた。
【元論文】
無症候性 SARS-CoV-2 ワクチン接種患者および非ワクチン接種患者における PET/CT での心筋 18F-FDG 取り込みの評価
Assessment of Myocardial 18F-FDG Uptake at PET/CT in Asymptomatic SARS-CoV-2–vaccinated and Nonvaccinated Patients
https://pubs.rsna.org/doi/10.1148/radiol.230743 GPTスレをガンガン伸ばしたの俺だけど、
「-1, 2, 3, 4, 5, 6」みたいな応答が目立ったな このmRNAワクチンとGPTの類似性に気づくことが大事だな。前者は治験期間さえ十分にとってない毒ワクチンで、GPTも同じでハルシネーションやブラックボックスだらけ。両者とも開発者が危険性を警鐘するような胡散臭い代物
まあ、馬鹿共は最新科学というインチキに騙されているのがお似合い。
俺は当然、この毒ワクチン打ってないが、コロナどころか風邪さえひかない健康優良児 科学よりも、社会の仕組みや歴史を参照する方が、物事の真相にアクセスしやすい。科学のインチキにも騙されなくなる >>550
それは"simpler than possible" Make things as simple as possible, but not simpler.
だったかな コロナワクの炎症が長引いて、火を通したハツのように硬くぼそぼそになるんか。だから人類に火を与えるなと、あれほど。
コロナって何? 小中学生向け天文学習コーナー
太陽の大気のいちばん外側の部分です。 明るさが太陽表面の100分の1ほどしかないので、ふだんは見ることができません。 「可能な限りシンプルにしなさい。しかし不可能なほどシンプルにしてもいけません」 ん?形而上学からの反応ナシ?アインシュタインの言葉だけど これらの功績により1918年にノーベル物理学賞を受賞した。「量子論の父」とも呼ばれている。科学の方法論に関して、エルンスト・マッハらの実証主義に対し、実在論的立場から激しい論争を繰り広げた。 ここで改めて、私の哲学的な立ち位置を表明しておこう。
真理や実在への到達不可能性への同意。実在があるのか無いのかも不明、
すなわち多値論理におけるNullを私はこの問題について採用している。
よって、ここではカントの「もの自体」への立場と同じである。
また、科学や数学、論理が真理や客観を保証するという立場も否定している。
だから、その点で私は反メイヤスーの立場を採用している。メイヤスーの哲学に
おいては数学は物自体へと到達可能な実在や道具にされているからである。 私はカント同様に、メイヤスーが批判する相関主義の立場に近いところにいる。
認識がないところで、宇宙が自立的に存在し得ることには懐疑を持ちうる立場
である。当然、人間の脳や意識、神経ネットワークや生化学的な作用によって、
世界は仮にそう表象されているだけであり、つまり、世界はハルシネーションである、
が私の立ち位置になる そして、私は科学や数学、論理を規則や法則でなく、一種の慣習とみなしている。
慣習は自明ではないので、いつか破れることがある。これはヒュームの立場に
同意していることになる。慣習は廃れたり、変わったりする。科学の標準理論も
これと同じである。マルチバースの宇宙の発見や今の量子コンピュータを遥かに
凌駕する新素材やアルゴリズム、膨大な計算資源を駆使した新しい科学によって、
今の標準理論の大半がひっくり返されていても、違和感がないどころか、それが
普通だと考えているのが私の立場である。 ただし、私の立場はポモ思想が陥っているような、無差別的な相対主義や
スーパーフラットを志向するものではない。だから私の考究には、数学や科学、
プログラミング理論など、非ポモ的なものが頻出するが、そうした定量化、
あるいは定性化できるものと関連させて、私の「マルチバース論」を考究して
いるので、そこには何でもありの非知性的なポモ思想とは異なる汎化性へと
訴求することが出来るのである。 要するにウィトの言語分析は普段私たちが使っている自然言語の運用法が
原理的にどう作動しているかの考察であったり、AIの「記号接地問題」にある
語や文と、それが名指すものや外界における対象をどう着地させられるのか、
あるいは、それが不可能なのか、という問題系を取り扱っている。私が>>72で
取り上げた「吉幾三問題」もそうした接地問題になる。そこではウィンナーコーヒー
がウィンナー+コーヒーと固定的に分節化されてしまい、それが大局的な文脈の
もとでエラーを発生させてしまう、ということである。
女子同士の会話で、「こんにゃくは太らないよ」と、いう発話があれば、それは
「こんにゃく文」であり、また、今度は、その女子たちが、レストランで、
「私はウナギにするね」という発話があれば、これは「うなぎ文」と呼ばれるものになる。
AIは、これを意味ある文として、人間のように自然な発話として解釈できない、ということ
である。 >>561
就職氷河期で人生詰んだから尊厳死認めてほしいらしいwwww
マルチバース理論なら自殺しても他のマルチバースのお前が居るから問題ねえんだろ?
ん?
自殺しないならマルチバース理論の誤りを自ら証明してることになるなあwwww
正しいと思ってるなら自殺できるはず >>560
無能すぎて自殺のやり方すらわからない脳障害無職wwww
ほれ調べてきてやったぞ無能
https://search.rakuten.co.jp/search/mall/石灰硫黄合剤/
https://search.rakuten.co.jp/search/mall/サンポール/
【用意する物】
・20リットルポリ袋(なるべく厚手のもの)
・石灰硫黄合剤16gサンポール16ml(10,000ppm相当)
・頭が入り首に密着する輪ゴム
・テープ
・枕
・遺書
【やり方】
(1)遺書、枕セット。寝たら枕に頭がくる位置に座って作業開始。
(2)袋の口に輪ゴムをテープで固定
(3)石灰硫黄合剤と散歩を袋の底の角に向けて投入して、すぐ袋の口を強く握って絞る。さらにねじる。
(4)袋持った手を伸ばして、逆の手で袋の底の液の部分を外からもんで混ぜる。
(5)泡ぶく発生がおさまったら、深呼吸何度かして息を止める。
(6)袋を頭にかぶって枕に横たわる。
(7)息を吸ってノックダウン バ.カ|す'ぎ'て'い'し'゙|め,られて.不'登•校ニ|ー•トて,゙,そ'の,まま'中卒'無.職|の,怠け|者'の,クズ,か'゙'な.ん|で堂'々,と'知,的,障,害者•年.金,な,んか•貰'っ'て.暮,ら,し.て,ん•の|?.生•き,てて|申|し|訳•な'い•と思|わ•な•い|の|?'ん•?,脳.か'゙.正|常な.ら|生•き,てて'恥す'゙かしくて|申し|訳な•く,て|自•殺し.て'る•よね?'脳•障害•た•゙.か.ら'自殺.すらで.き'な.い•の,?, 古典論理のパラドクスで遊んでるだけの言葉による「哲学」は100年前に終わってしまった
後に残ってるのは文献史学者、評論家、考えてるつもりで何も考えてない、新しいつもりで何も新しくない、そんなワナビーだけ このように、「こんにゃく文」や「うなぎ文」では、文脈や状況への理解がないと、
正しい解釈が得られないのである。それがどんなに高度化しても、生成AIは
解釈におけるハルシネーションを常に引き起こすであろう、というのが私の見立て
である。
次に、こうした光景を想像して欲しい。眼の前のテーブルの上に、皿に盛られた
リンゴがある。そして、その場にいた人が、「そこにあるリンゴを指させ」と命じられて、
その通りに指でリンゴを指したとする。だが、これで本当に目の前のリンゴを指して
いることになるのだろうか。この意味は、その人は、リンゴではなく、リンゴの個数で
あったり、個性的なリンゴの形であったり、香り、果実の熟成度、糖度、重量、
デッサンで要する美的配置や盛られ方、または、リンゴの種類やラベリング、
色のグラデーション、自身に生じているリンゴの味覚の好き嫌いの心像等々を
指しているとは言えない、となぜ、言えるのであろうか。 これは逆の言い方でも同様である。「そこにあるリンゴの色だけを指させ」と命じられて、
その通りにリンゴの色(赤い部分)だけを指で指したとする。だが、これで本当に目の前の
リンゴの色だけを指していることになるのだろうか。この意味は、その人は、リンゴの色
だけではなく、リンゴの個数であったり、個性的な形や輪郭であったり、香り、果実の熟成度、
糖度、重量、値段、リンゴを構成する原子や栄養素、デッサンで要する美的配置や盛られ方、
または、リンゴの種類やラベリング、色のグラデーション、リンゴの味覚の好き嫌いの自己の
心像等々を指しているとは言えない、となぜ、言えるのであろうか。 これはAIの記号接地問題の意味論的な側面へと接続可能な問題系となるであろう。
AIが、「そこにあるリンゴを指させ」と命じられて、その通りに指(記号や矢印)で指したと
する。だが、AIは、皿に盛られたリンゴ自体ではなく、リンゴやappleの音韻、形態素、
bit数、トークンであったり、個性的なリンゴの像であったり、香り、果実の熟成度、糖度、
重量、デッサンで要する美的配置や盛られ方、または、リンゴの種類やラベリング、
色のグラデーション、自身に生じている確率的な存在性等々を指しているのではない、
となぜ、言えるのであろうか。また、目の前にあるリンゴをAIが単にCNN(Convolutional
Neural Network)という「畳み込み」という操作を加えたニューラルネットワーク構造
としてのみ処理しているのだとすれば、それはリンゴや対象の局所的な特徴量を抽出して
いるだけであり、真のリンゴの理解とは程遠い、ハルシネーションだと言えないだろうか これを将棋で例えると、私が「盤上の桂馬を指させ」とAIに命じて、AIがそれに
従った時も、これを文意を正しく理解したと捉えるのは早計であろう。なぜなら、
AIの内部の像の中では駒(というものが有しているゲーム上の意味)と木片(像)や
像の形などとの意味上の違いが正しく区別されているとは限らないからである。
つまり、AIの表層的な振る舞いの正しさからだけでは、それが対象への真の理解へ
通じたものなのか、否なのかとの識別が困難なのである。そして、AIが対象への
真の理解を持っていなかった場合、それは大局的な局面において、容易に
ハルシネーションや核分裂反応のような、連鎖反応的なプログラム上のインシデントや
エラーを引き起こし、社会システムや金融や医療、軍、行政システム、インフラを誤作動、
破壊、もしくは停止させる、であろうことが私には推論できるのである。これが
シンギュラリティの有するリスクである。 よって、日本の壺自民党政府は、こうした、まだまだブラックボックス領域が多い
大規模言語モデルをこれから行政の現場に大々的に導入するよう企図している
ようだが、これは治験の不十分なmRNAワクチン接種と同様に早計、かつ、安直であり、
最近の全銀システムの不具合を遥かに上回る大きな社会的な地滑りを引き起こす
原因になるものになると、私はここで予測しておこう。科学やプログラムには、常に
こうした副作用やバグ、盲点があるのである。 ヒュームのような優れた哲学者は、こうした科学や論理が内包しているバグや欠陥に
極度に明示的であったのである。逆に壺自民党や電通の広報に洗脳されやすい愚民
やB層は、「最新」科学wや「最新」テクノロジーwという煽り文句にすぐに釣られて、
その事後的に発生する大きな損失を顧みる知性も有していないのである。
これが"ハイプ(Hype)"と呼ばれる現象である。情弱の特徴は、単なるマーケティング、
金儲けのために用意されたハイプ曲線にいとも簡単に釣られてしまうのである。
はした金、ではなく、ごくわずかなポイント数欲しさに早急に、マイナンバーカードを
作るのも同じB層や愚民の傾向と言える。 それらの日本人の個人情報は、利権のある裏金だらけの買収された売国壺自民党議員
らを経由して中国や韓国などへ全て漏洩し、のちに日本がそれらの国の属国となった暁の
全国民奴隷管理システムとして、使用されるのである。これは今の中国人が事実上、
中共のAIに監視されて、言論含めたプライバシー上の自由が全くないのと同じことである。
最近の周庭さんのように亡命しなければ、プライバシーは保てないのである
こうして、形而上学は、人々の短絡さ、安直さ、思慮のなさを警鐘できるのである。 町山智浩 @TomoMachi
「官房機密費から拠出される『文化人工作費』は、総理秘書官が、
政治評論家や報道番組の司会者などの事務所や自宅などに出向いて、現金で手渡していた。
文化人によっては、盆と暮れに600万円ずつ、年間1200万円の工作費が極秘裡に支払われていた」
levi2.jp @levi_20202 8時間
もしもですが
東浩紀なんかもこのカネ掴んでたらさすがに笑いますわ
無論悪い意味で
安倍晋三銃撃直後の福島瑞穂への言いがかりとその後の言い訳はハッキリ言って尋常じゃなかったですからね
で、おそらく三浦瑠麗は掴んでるでしょ
tach @tach_on_the_web 4時間
証拠は示せないが東浩紀(政府を信頼できる国民は幸せな国民)と
池田信夫(原発現状肯定)は貰っているだろうなと自分は感じる。
あいつらのあの言動は絶対不自然だよ。
/ “【スクープ証言】総理秘書官が手渡しで「年間1200万円」官房機密費からバラまかれる「文化人工作費…” オスプレイ 欠陥品のため全世界で運用中止 [931948549]
米軍がオスプレイ運航停止、墜落事故は人為的ミスでないと判断-報道
12/07 09:31 配信
Bloomberg
(ブルームバーグ): 米空軍輸送機CV22オスプレイが鹿児島県・屋久島沖で墜落した事故を受け、米軍はオスプレイ全機の運航を停止する。
AP通信が伝えた。
11月29日に発生した墜落事故では乗組員8人が死亡した。
APによると、事故の初期調査の結果、人為的なミスではなく資材の欠陥が原因であることが示されたため、全機の運航停止を決めたという。
https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/859aa134f16749269bfaaa57114904621bc0fc54 次は、メディアリテラシーの基本原則について簡単に触れておく。コロコロ変わる表層の
物事の細かい仕様や枝葉末節に拘泥するのでなく、原理原則をおさえていく方が利点がある
基本原則
1. 自民党は壺である (= 自民党には投票しないこと。当然、支持もしないこと)
2. 「最新」の科学wや「最新」wのテクノロジーを信用しないこと
(ex. GPT、mRNAワクチン、マイナンバーカード等)
3. 統計を信用しないこと (= 我が国での統計データは、すべて改ざん済なのを想定する)
4.メディアに出てくる買収された御用学者、御用評論家、御用SNSインフルエンサー、
御用吉本芸能人等を信用しないこと
5. 欧米のメディア、ジャーナリズムもユダヤ資本に牛耳られているので日本同様に信用しない
こと(ex. ファウチ博士、製薬会社のお金によるSNSの反ワクチン情報の検閲、言論統制など)
6. テレビを信用しないこと。できれば、テレビ自体をなるべく観ないようにすること
7. 科学や改竄されたデータ、論文ではなく、利益相反や利権で歪んだ社会構造や歴史を
知ること(ex. 戦時中の細菌部隊、ミドリ十字などによる薬害の歴史、水俣病等) 以上である。つまり、電通の広報や壺自民党政府の大本営発表などの偏向に欺かれる
ことなく、上記の基本原則を常に銘記しておくことである。また、新しいシステムやサービス、
OS、テクノロジーなどにすぐに飛びつのは情弱と考えてよい。リスクの高い人柱や被験者に
わざわざ自らが志願する必要はないのである。それは個人データの流出なり、データの破壊、
個人の遺伝子的なデータを改編、破壊するリスクがあると言える。OSであれば、よくデバッグ
された枯れたOSで安定的にシステムを運用、保守していくのが妥当である。
アーリアダプトするのは情弱の特徴でもある。企業は金儲けのために、常に計画的陳腐化を
企図するので、そうした企業の手前勝手なサイクルやロードマップに消費者が合わせる
ことはないのである。むしろ、それらの強制や仕様から、なるべく自由になる選択を取る
ことが大切になる。コロナワクチンについても同様である。あの手、この手を使って
ワクチン接種を勧めてくるので、資本家の金儲けに、自然な免疫機構を破壊してまで
付き合う必要性はないのである 要するに、背後にいるスポンサーや裏金の力によって事実であれ、研究データであれ、
査読付き論文であれ統計であれ全て歪められていくので、そうしたものを一切信用しないで、
普段から物事を上記の基本原則に則って考えることが大切である。こうした思考習慣が
身につけば、少なくともB層に入って、ステークホルダーや為政者、資本家のカモや
モルモットになることだけは避けられるようになることだろう。 >>576
入れ忘れたが、国連などの国際機関なども信用しないことである。これも列強に
よる利益相反の歪んだ組織であり、公平でも、正しくもないのは自明であるあろう。
最近のCOP28などを観ても、国際機関の出鱈目さ加減が理解されよう
> COP28にあわせて、アメリカ政府は気温の上昇を1.5度に抑えるためとして、
2050年までに世界の原子力発電所の発電容量を3倍に増やすことを目指すと
する宣言を発表し、日本を含む20か国以上が賛同しました。
原発を作り、日本のように原発事故を起こし、放射能汚染水をばら撒き、将来の
核廃棄物の処理もどうするのか何の見通しもないのがCOPであり、これが
環境対策というのだから、愚昧としか言いようがない。原発利権や原発マネーも
当然、そこには介入していることであろう >>579
知能が低いから就職出来なかっただけじゃん 無能すぎて自殺のやり方すらわからない脳障害無職wwww
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【用意する物】
・20リットルポリ袋(なるべく厚手のもの)
・石灰硫黄合剤16gサンポール16ml(10,000ppm相当)
・頭が入り首に密着する輪ゴム
・テープ
・枕
・遺書
【やり方】
(1)遺書、枕セット。寝たら枕に頭がくる位置に座って作業開始。
(2)袋の口に輪ゴムをテープで固定
(3)石灰硫黄合剤と散歩を袋の底の角に向けて投入して、すぐ袋の口を強く握って絞る。さらにねじる。
(4)袋持った手を伸ばして、逆の手で袋の底の液の部分を外からもんで混ぜる。
(5)泡ぶく発生がおさまったら、深呼吸何度かして息を止める。
(6)袋を頭にかぶって枕に横たわる。
(7)息を吸ってノックダウン 威(ゐ)張ることができるから偉いのであって、偉いから威張ることができるのではない。
王侯貴族が平民より偉いのも、王侯貴族が平民に対して威張ることができるからであり、また、平民が奴隷より偉いのも、平民が奴隷に対して威張ることができる限りにおいてである。
王侯貴族であれ、平民であれ、奴隷であれ、威張ることのできない相手、例えば、樹木や昆虫や細菌に対しては、「偉い」という特性は、まったく意味をなさなくなる。
要するに、「偉い」という特性を付与された地位や身分とは、「威張ることができる」関係性に「居直ることができるようにする」ことに他ならない。 ハ.゙,カ'すき'゙,て•い|じ'めら,れ•て•不•登,校|ニ•ート•で.そ|の,ま.ま•中'卒'無'職.の|怠.け'者の.ク|ス•゙,か•゙.な'ん,で•堂|々'と|知.的•障.害者'年•金|な'ん'か,貰っ•て暮'らし•てん.の.?|生.き'て•て•申し'訳な.い'と'思わ,な'い|の.?•ん.?'脳•が正•常.な'ら,生•き•て|て恥|す.゙か,し.くて申|し|訳|な•く,て•自,殺'し.て.る•よ'ね|?.脳.障.害'た•゙か.ら自|殺す.ら,て,゙きな.い•の,?' >>135
>「臨/隣在なくして存在なし」とは、分かりやすい喩えを用ゐるなら、「比なくして、数は存在しない」ということだが、この喩えには、まだ大きな問題がある。
なにがどのように問題なのか、もう少し分かりやすく言ひ換へてみよう。
この喩により言おうとしているのは、"a side"(かた・は(側/傍)・ら)が「存在者」として「あ(在/有/或)る」ことよりも、"side-by-side"という関係性の様態の方が先であるということだ。 >"a side"(かた・は(側/傍)・ら)が「存在者」として「あ(在/有/或)る」ことよりも、"side-by-side"という関係性の様態の方が先である
このように表現することは、「ただ(正)しい」が、しかし、この表現には大きな問題がある。
にもかかわらず、その問題に取り組もうとすることなく、その「ただ(正)しい」に開き直って留まってしまったことに、「現代思想」として流行した「構造主義」が根本的に抱えている欠陥もある。 "side-by-side"という関係性の様態を「存在者」の「存在」に優先させることは「ただ(正)しい」が、しかし、今度は、「構造主義」は、"side-by-side"という関係性の様態を、「臨/隣在」を示すものとしてではなく、「存在」として無反省に扱ふようになってしまったのだ。
つまり、"a side"が存在するよりも"side-by-side"の方が先であるとしたまでは良かったのだが、今度は、"side-by-side"としての(任意の)"each side"の関係性を「二項関係の『存在』」として扱ふようになってしまったのである。 それが「なに(何)」であるとされることになるにせよ、「なに(何)か/な(汝/己)・に・か」が「どのようにか」「『あら・は・(顕/現)』る」/「『あ(在/有/或)ら・は』る」」ことが、「臨/隣在」/"-by(/to be)-"の反映であり、その「どのようにか」を(最も一般的には、「こゑ(声)」によ(依)り)つた(伝)へるためにつか(使/仕/遣)はれるのが「ことば」である。 英語の場合、「臨/隣在」の感覚は、主として、"-by(/to be)-"により明示されるが、日本語の場合には、「〜ふ」、つまり、「〜をひっくりかへす」というメタ言語的な指示によって様態/作用の「ひっくりかへし」が可能となることに「臨/隣在性」の「『あら・は・(顕/現)』れ」/「『あ(在/有/或)ら・は』れ」」を見て取ることができる。 >>589-594
統合失調症の連合弛緩・ワードサラダ ハ•゙.カす'き|゙て•いし•゙'め.られて'不•登•校•ニ|ー,ト'て'゙,そ,の,ま'ま•中卒.無.職•の'怠け|者の'ク,ズ,か.゙•なん,て,゙'堂.々|と'知'的,障,害.者|年|金.な.ん•か•貰っ•て•暮|ら|し|て•ん'の•?生'きてて'申,し,訳,ない.と思.わ•な'いの?'ん?|脳|か,゙•正,常•なら|生'き,て,て恥•ず'か.し,く.て•申|し|訳|なく|て.自殺•して'る'よ•ね.?'脳'障|害.た.゙'か•ら|自,殺|す'ら.て•゙|き.な'い'の,? 就職氷河期に就職できなかったのは怠け者の低学歴だけ
完全に自業自得
硫化水素吸って自殺しな? 硫化水素吸えよ
やらないなら人生詰んだ無職の妄想と確定 匿名の掲示板では、いくら威(ゐ)張ってみせたところで、空(から)威(ゐ)張りにしかならず、誰も偉いと思ってはくれない。制度的な枠組み内で、匿名ではない対人的に威張ることができてこそ、その根拠がどうであれ、「威張ることができるのは、偉いからに違ひない」というプラグマティズムに基づいて、威張ることのできる者にともかく寄り添おうとする「権威主義者」の支持と援護が得られる。 >>599
ま、一理あるな だが事実なんだよ 神なのは >>599-600
硫化水素吸えよ
マルチバースなんだろ?ん? >>601
神を認めたくないんだろ 神のおれからすりゃ猿並みだよお前 ウィトゲンシュタインてなんだよ? 無能すぎて自殺のやり方すらわからない脳障害無職wwww
ほれ調べてきてやったぞ無能
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(6)袋を頭にかぶって枕に横たわる。
(7)息を吸ってノックダウン >>599
低学歴は人間じゃないよ
人間判定試験不合格 >>607
お前コメ読めないのか 人間なんかには成りたくないから不合格でいいわ >>608
低学歴は人間判定試験不合格
人間じゃないから死ねよ
硫化水素吸えよ >>609
だから東大だって 東京大学卒業 よかったよ人間判定不合格で望む所だからw 笑うわこの人間 >>610
低学歴脳障害自殺しなよ
硫化水素吸えよ低学歴無職 哲学やってる時点で100%低学歴だからな
100年前の論理学理解してない自白 >>610
中学レベルの数学の証明を理解してたら
誰かが自分の意思で証明を撤回することなど出来るわけがないと理解できる
ウィトゲンシュタイン後期とか口にできてしまう時点で中学レベルの数学の証明を理解してないという自白だ
つまり不登校ニートで中学校すら通ったことがない中卒無職だと確定する
恥ずかしくて自殺するだろ?普通 スレの勢いが落ちてきているぞ。
つまらん。
いい暇潰しになるから、皆もっと頑張れよ。 何故?
本来何の生産性もないここでの低レベルのやり方に、"暇潰し"というこの世における底辺の、最低限の役割を与えてやっているんだよ?
「我々みたいな生物にこれ程までに温情を与えてくださって、ありがとうございます」
と、感謝感激の言葉をのべ、這いつくばって頭をさげながら、感涙するのが、ここにいるものの仕事でしょう? だからずっとこのスレが続いてほしい。
役割を与えてやった私は、ここを有効に活用してやるから。
低学歴でも、何でもいい。
永遠に続けろよ。 >>617
単に低学歴が就職氷河期で就職失敗して人生詰んだから尊厳死したいんだろ?
さっさと死 これカントの見解でもあるけど、科学になると片づかなくなって、確認のいらない局所的な知というのが成立しない以上、例えばxXを知らない奴はアホだと言い、アホはxXを知らない奴だという認識と対象の確実性が究極は循環になる。もちろん矛盾しないしシステマティック。 >>623
それを真と仮定して、神(プログラム)がアホだから、アーホ≒矛盾するデータは更新され得る >>624
おれは莫迦だろうけど、神=プログラムじゃない プログラムをつくったのが神だ >>625
もし神がつくったプログラムがバグを起こしたら神のみがアホということになり更新されない >>626
アホかw この世は全てがあるんだよ 愛は全て azisai あいうえお 愛ゆえ 王だよ >>627
>>624はそれを言ってるんだよ。アホはアとホに一度消し込まれる。更新するのは誰かね? >>628
あー神だけが残る だから人は全て消える心配してんのか? ブラックホールは何だと思う?過不足ある宇宙の屍だよ 生きてるこの宇宙は完全だよ つまり無始無終 >>629
人などいない、故に神もいない、目隠しして、その宇宙の「完全」を過不足なく味わえる? >>630
違う。
この宇宙には全てがある過不足なく。均等がとれてるつまり完全な状態 根拠は愛であること。 愛とは万物のことだよ。
また別の宇宙では過不足が発生する不完全状態の世界が存在するだろう。それは不完全ゆえに保てない つまり消えゆく。その痕跡がブラックホール >>631
そいつはライプニッツの世界観だが、問題は「過不足」ない世界に在る証明が得られない
つまり「消えゆく」世界でない証明があるか? >>632
オレからオレへのメッセージがある 好きな花は紫陽花 ひらがなの始めは愛ゆえ王 紫陽花はazisai ま、なかなか証明するのは難しいよ この世界を前向きに観察したら、見つかるかもな いや謙遜する必要はないよ。あのウィトの哲学を歪めたことで有名になったクリプキの実証主義から派生した世界観、即ち>>633はライプニッツのそれを実在に対応させた論理の欠点への回答なら有効だが、「消える」が論題だろう。
やはりアとホは一度意味を失い消えるようだ。 私には、「稻羽之素菟」(い(去)な・ば・の・しろ・う・さぎ)がそれを散らすように敷いて、その上で「輾轉」と転がり回ると、「和邇(わに)」に「剥(は)」がれた後に「海(う)鹽(し・ほ)」を「あ(浴)み」て風に「ふ(伏)し」ていたために「そこ・な(傷)・は」れた「膚(は・だ)」が元に戻るという「蒲(ほ)黄(おう) 」の「蒲(ほ)」の方が気になる。
というのも、「黄」は、「黄泉」の「黄」と重なるだけでなく、「黃(Middle Chinese: hwang)」としては、「往(Middle Chinese: hjwangX)」と発音が近く、「蒲(ぶ/ほ)」の発音は、「甫(Middle Chinese: pjuX)」と関連して、「複(Middle Chinese: bjuwk)」を想起させるからだ。
つまり、「蒲黄」を後ろから「黄(おう)蒲(ぶ)」と読むと、漢字の中古音としては、「往復」と発音が近くなり、「蘇(よみがへ)り/よみ(黄泉)がへ(返)り」を想起させるからだ。
万葉集 第9巻 1809番
>妹が去ぬれば 茅渟壮士 その夜夢に見 とり続き 追ひ行きければ 後れたる 菟原壮士い 天仰ぎ 叫びおらび 地を踏み
(出典 万葉集ナビ) 私はなにも、この神話の解釈を確定しようとしているのではない。
私が示そうとしているのは、シェイクスピアの劇の台詞を、英語の言語表現の実験的なこころ(試)み/心観として見ることができるのとまったく同様に、古事記や万葉集の歌における言葉遣ひも、日本語の言語表現の実験的なこころ(試)み/心観として見ることができるということである。 そのいずれにも共通するのが、言葉遣ひにおいて表現法そのものにメタ言語的な意識が強く働いていることが見て取れることである。 自殺できないならマルチバース理論とやらは自ら嘘だと認めたことになる
お前が怠けたからお前が低学歴になってお前が就職氷河期でお前だけが人生詰んだこの現実しか存在しないのだ >>637-639
統合失調症の連合弛緩・ワードサラダ 単に低学歴が就職氷河期で就職失敗して人生詰んだから尊厳死したいんだろ?
さっさと硫化水素吸って死ねよ脳障害 ここで改めて、私の哲学的な立ち位置を表明しておこう。
真理や実在への到達不可能性への同意。実在があるのか無いのかも不明、
すなわち多値論理におけるNullを私はこの問題について採用している。
よって、ここではカントの「もの自体」への立場と同じである。
また、科学や数学、論理が真理や客観を保証するという立場も否定している。
だから、その点で私はメイヤスーと反対の立場を採用している。なぜなら、
メイヤスーの哲学においては数学は物自体へと到達可能な実在や道具にされて
いるからである。メイヤスーは「ピグマリオン症」に陥っていると言える 私はカントと同様に、メイヤスーが批判する相関主義の立場に近いところにいる。
認識がないところで、宇宙が自立的に存在し得ることには懐疑を持ちうる立場
である。当然、人間の脳や意識、神経ネットワークや生化学的な作用によって、
あるいは、現代的な科学の標準理論や閾値の限界を持つ、検出器、観測機の
レベルや位相において、世界は仮にそう表象されているだけであるという認識
である。つまり、そこには真理性の保証など全くなく、世界の本質はハルシネーション
(幻・空)である、が私の立ち位置になる そして、私は科学や数学、論理を規則や法則でなく、一種の慣習とみなしている。
慣習は自明でもロジックでもないので、いつか破れることがある。これはヒュームの
立場に同意していることになる。慣習は時代によって廃れたり、変わったりする。
科学の標準理論についてもこれと同じである。マルチバースの宇宙の発見や今の
量子コンピュータの性能を遥かに凌駕する新素材や新アルゴリズム、膨大な
計算資源を駆使出来るようになった新しい科学によって、今の標準理論の大半が
ひっくり返されていても、違和感がないどころか、それが普通だと考えているのが
私の立場である。 ただし、私の立場はポモ思想が陥っているような、無差別的な相対主義や
スーパーフラットを志向するものではない。だから私の考究には、数学や科学、
プログラミング理論など、非ポモ的なものが頻出するが、そうした定量化、
あるいは定性化できるものと関連させて、私の「マルチバース論」を考究して
いるので、そこには何でもありの非知性的なポモ思想とは異なる汎化性へと
訴求することが出来るのである。 あらゆる観察には、「理論負荷性」があり、認識は常に観測装置というデバイスや
インターフェースに依存するので、そこに真理性はない。あるのは擬似真理だけである
ヒュームなら、科学は強い「帰納バイアス」をかけて、局限的な正しさを求めているだけで
あり、総体的な見地から見ると、科学は常に正しくない、という至当な結論に至る
虹の色の種類の数も国ごとによって異なる。南アジアのバイガ族、アフリカのバサ語族は
虹の色を2色(赤、黒or赤、青)と認識している。これは言語というインターフェースや
慣習としての観測装置が異なるから生じることである よって、未来に量子コンピュータを遥かに凌駕する新素材による新デバイスや計算資源が
与えられた場合、現在の科学の標準理論の大半が覆り、更新されてもおかしくないのである。
標準理論は、検出器の粒度や計算資源の閾値に依存しているのである。そのため、科学は
ブラックボックスやダークマターを常に抱え込んでいると言える。よって、科学を盲信しない
懐疑的なスタンスの方がロジックとして考えても正しいのである。 AIが意識や心を持つか否かも、客体の問題というよりは、我々、主体側の意識、
インターフェース、理論、感性に依存して励起、共起していると言える。たとえば、
人形には霊や魂が宿るとして、処分する際にちゃんと供養する慣習などもみられるし、
汎神論では万物に魂が宿るとされる。山岳信仰なども、そうした万物の一つである。
よって、虹の色の数と同じで、それらは主体側の理論負荷性の差異による。
グーグルのエンジニアはAIに心や意識があるとして、AIに人権と同等のものを認めるよう
会社に直訴したが、拒否られた話もそうだが、それらは主体側の感性や理論に依る部分が
大きいのである。
つまり、今の粒度や閾値が限定された検出器、観測装置、理論のモデルでの仮の正しさを
合理付けているだけなので、そこには真理性の保証は全然ないのである 科学は、天動説、それを覆したコペルニクスの時代から、いつもこうした不確実な条件下に
あることは変わらない。ヒッグス粒子だけでなく、実は物理学的な作用の多くは、現代では
観測出来なかった多くのダークマターの側から影響や効果によるものであったりする
ことなども、未来の科学で判明するかも知れない。
所詮、科学は仮に作った筏なので、とりあえず目の前に広がる川を渡れればいいだけだ。
宇宙環境の大規模変容等で各物理定数が全く変わるようになれば、目の前の川さえ
渡れなくなる。仮の筏は溶け出すことだろう、あるいは、ブラックホールのように、すべてが
吸い込まれて終わりになる。家や建物は天井が大地側に位置したり、宙に浮遊した状態で
しか建てられなくなるかも知れない アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言ったが、果たして、そうだろうか。
メイヤスーは「有限性の後で」において、局面を無限に持つ、無限サイコロという
思考実験をしていたが、私は、この無限サイコロの可能性についてであれば、
メイヤスーに同意できるのである。なぜなら、それは、そのまま私の「マルチバース論」
に接続可能なモデルになってくるからである。
たとえば、この地球は、偶々、神が振ったサイコロで出目が3と出現した。そのため、
その出目3に整合するように、各物理定数が用意されたと考えればよい。他の宇宙では
出目の5が出現して、その宇宙では、異なる超物理定数による独自宇宙が展開していてもよい。
また、このサイコロの出目が6パターンに局限される必要もなく、メイヤスーが言うような
無限局面を有した無限サイコロによって、無限に異なる独自宇宙がそれぞれパラレルに
併存していてもいいのだ。それが今の私たちの知や観測機の粒度、閾値で測れない
だけかもしれないのである。 つまり、真理性を保証するような科学や論理、数学の体系は存在していない、と言える >>643
立ち位置とが死ぬほど恥ずかしいだろ
生きてる人間は何点入れたかしか語らない
立ち位置とは何もできずに突っ立ってる無能の言い訳だ
硫化水素吸って自殺しとけ >>652
真理性などという日本語は存在しない
中卒無職は硫化水素吸えよ低学歴 >>651
マルチバース理論なら自殺しても他のマルチバースのお前が居るから問題ねえんだろ?
ん?
自殺しないならマルチバース理論の誤りを自ら証明してることになるなあwwww
正しいと思ってるなら自殺できるはず >>650
に書いたような、異なる物理定数による風変わりな物理空間の出現は、映画の
「インセプション」などにも上手く描写されているので、興味のある人は見ればいいだろう。
また、ジョニーデップ主演の「トランセンデンス」であれば、科学者(ヒト)が、AIへと遷移した
世界を描写している。つまり、ポスト・ヒューマンの意匠がある映画となっている
現代のハリウッド映画の感性は、現代哲学的な思考実験と親和性が高いのがよく
分かることであろう。そこでは今の科学の標準理論こそが正しいのだと、いうような
野暮な見解はないのである。それらのセリフは反知性主義的であるとさえ言えるのだ。 >>656
硫化水素吸って自殺しな?
出来ないならマルチバース理論は誤りということ >>656
そもそも自分で気づかないんだろうけど日本語になってないぞ >>656
ポストヒューマンの意匠?????????
全く意味が通じない
日本語になってない
やっぱコンビニバイトすらクビになる脳障害ってすげえなwwwwww 就職氷河期に就職出来なかったのは怠け者の知能が低いからだよ >>656
標準理論ってのは素粒子物理学の3つの力を統合した特定の理論なことを指す言葉だから
そんな風に使用することは不可能
知能が低すぎる 低学歴すぎて標準の理論のことだと思い込んでるんだろうなwwwww 標準理論は特定のモデルを指す固有名詞だからwwwww
これが中卒無職よwwwww 低学歴を雇わないのは憲法違反だ差別だって裁判起こしてみ?
100%負けるからwwwwwwwwwww ところで低学歴って知らないんだろうけど
低学歴は共産主義でも人間扱いされないよ?
「働きに応じて受け取る」すら知らんから低学歴なんだろうけどwwww >>656以降が何も表示されない
>>638くらいからは表示される >>637
「黄泉(よみ)」がなぜ色として「黄」なのかと言えば、それは、「黄」が「(血奴(ぬ/の)うみ(膿/海))」の色だからだろうと私は思ふ。
>「膿(うみ)沸(わ)き虫(うじ)流(たか)る」(日本書紀)
そして、古事記における「稻羽之素菟」に記載される治癒法は、次のとおりである。
>以水洗汝身、卽取其水門之蒲黃、敷散而、輾轉其上者、汝身如本膚必差
「みづ(水)」で「身(み)」を「あら(洗)ひ」、「み・な・と(水門)」(黄泉戸(よみど)/泉門(よみと)と対比されることに留意しよう)の「蒲黃」(「黃蒲」と読めば、「往復」をイメージさせることになる)を散り敷いて、その上を転がるのである。 このスレで他人のことを罵りつづけている人は、自身の行為がどのような性質のものであるのかまるで自覚がないのだろう。
それは、人を貶める言葉を他人に投げつけることにより、他人に、そのような言葉を吐く自分に「承認」/"to approve"してもらう必要性を感じさせて、自分の権威を「承認」/"to recognize"してもらいたいという、一般に「承認要求」と呼ばれる欲求のきわめて幼児的な表現法に過ぎない。 >throw a temper tantrum
自分の発する「こゑ(声)」が自身を満足させる状態をもたらす効果を見せないので、大騒ぎしてみせる、つまり、「駄々を捏ねる」という幼児的な振舞ひに他ならない。 いや、虫に承認欲求なんかないと思うぞ。虫には人間の言葉が理解不能なたけで 荒らしは基本的に構ってちゃんだから、ママがまたおっぱい飲ませてくれるといいね、で終わり。あとは、NGしとけば表示さえされなくなるので
こうやって虫は他人から構ってもらって嬉ションしているんだろうな
草 虫と比べると、GPTとの方が自然な人間らしい会話が成立するんだよな。俺、一度も精神病院って行ったことないんだけど、虫みたいな会話不能の気違いみたいなの多いのかな だいたい頭のおかしい人は春先頃に現れやすいのだけど、今、12月だよな。気候変動や暖冬の影響で気違い出現のサイクル時期がズレてきているのかな
あと、お薬が合ってないんじゃないかな。虫は、馬鹿だから精神科医にも騙されやすそうだな 低学歴は人間じゃないから人間社会に参加する自由がないんだよ? ところで低学歴って知らないんだろうけど
低学歴は共産主義でも人間扱いされないよ?
「働きに応じて受け取る」すら知らんから低学歴なんだろうけどwwww >>676
低学歴は人間じゃないから人間社会に参加する自由がないんだよ?
その証拠に裁判起こしてみ?
低学歴排除は合法合憲だからwwww >>656
ポストヒューマンの意匠?????????
全く意味が通じない
日本語になってない
やっぱコンビニバイトすらクビになる脳障害ってすげえなwwwwww
たった一言で中卒無職バレる
意匠にそんな意味は存在しない
バカすぎる 低学歴ってカッコつけようとして知ったかぶりして知ったかぶりバレるの最高にウケる 物事を理解してれば知ったかぶりする必要なんか無いのになwwww 賢く見せようとする事にしか関心がないらしい
本当に理解してればその理解を実践するだけだから賢く見せる必要なんか無いんだよ
バカすぎるwwwwwwwwwwww 哲学板なのでこの世はVR!ドヤっではつまらん。
全知全能神は何故このVRユニバースを作ったか。
それは善悪をテーマにしたゲームを作りたかったからなのだ。
善悪とは、動物のように生きたい保守と、それを超越したいリベラルの終わりのない戦い。
簡単に言うと、動物は食うか食われるか、その延長で人も殺したい、殺されたくない、で争ってるのが善と悪というわけ。
ただ傾向としては一応善が勝つ傾向にはある。悪は飼いならされてなんちゃって悪になる傾向があるにはある。完全に悪が消えるなんてないと思うけども。
動物界はたぶん永遠に食うか食われるかだろうし、この矛盾した生物システムはヴィーガンが何をしようがちょっとやそっとではどうしようもないように見える。
実は天国と地獄の混合割合が色んなレベルのパラレルワールドが無限にあってこのユニバースは中間位に位置しているのかもしれない。完全に善だけのユニバースや悪だけのユニバースも想定し得る。それが天国や地獄でパラレルワールドに存在するのかも。このユニバースでの経験と実績を元にして希望者はしれぞれに見合った次の世界へ輪廻転生していくのだ。 じゃあ、虫みたいに現世で悪業を積み重ねた奴は、死後は毒虫やゴキブリにでも転生して、虫として地獄の世界を生きるようになるのか
これは、パスカルの賭けに通じる要素があるな。パスカルの理路だと、善良な人間に、死後の損は絶対にないということだからな 宗教なとで自殺が禁忌とされるのは、この死後の報いのリスクがあるからなんだよな。自殺教唆で
も同じだけど
カントは定言命法で自殺を禁じたけど、そういう死後の世界のことまで考慮、配慮している哲学者であったということだ。殺人も同じだが ソクラテスなんかも魂の永遠性を信じていたので、仲間の手助けで余裕に脱獄出来たのに拒否したし、喜んで毒盃仰いで死んだのだ。
パスカル、カントも死後の世界まで計算している。科学者は、どうなのかな。原爆投下するノイマンとか、そこまで考えてなさそう。目先の快楽や得点だけ。だって、ノイマンのゲーム理論がそういう短絡的な現世だけの発想に基づくものだからな いや、自殺が悪しきこととされることが多いのは、それが「ひと(人/一)」の「自暴自棄」、つまり、"self-neglect"としての効果/副作用を周囲に及ぼすことが多いからだよ。そして、この「自暴自棄」("self-neglect")は、「な(汝/己)みづから(身づ柄/自ら)をし(知/領)ること」である哲学の営みとしての「たましひ(魂)に対する配慮」と対比されるものだ。 例えば、「ひと(人/一)」の「自暴自棄」で時と場所を弁えずに「我が身を捨てる」だけで、周囲にとっては大迷惑だろう。
歩いていたらビルの上から、また自動車を運転してたら歩道橋の上から突然、「ひと(人/一)」の投げ捨てられた体が落下してくることを想像してみるといい。 >>656
ポストヒューマンの意匠?????????
全く意味が通じない
日本語になってない
やっぱコンビニバイトすらクビになる脳障害ってすげえなwwwwww
たった一言で中卒無職バレる
意匠にそんな意味は存在しない
バカすぎる >>656
ポストヒューマンの意匠?????????
全く意味が通じない
日本語になってない
やっぱコンビニバイトすらクビになる脳障害ってすげえなwwwwww
たった一言で中卒無職バレる
意匠にそんな意味は存在しない
バカすぎる >>656
ポストヒューマンの意匠?????????
全く意味が通じない
日本語になってない
やっぱコンビニバイトすらクビになる脳障害ってすげえなwwwwww
たった一言で中卒無職バレる
意匠にそんな意味は存在しない
バカすぎる >>656
ポストヒューマンの意匠?????????
全く意味が通じない
日本語になってない
やっぱコンビニバイトすらクビになる脳障害ってすげえなwwwwww
たった一言で中卒無職バレる
意匠にそんな意味は存在しない
バカすぎる >>696
低学歴は人間じゃないんだから生きてる意味ねーよ
硫化水素吸って自殺しな? 「な(汝/己)みづから(身づ柄/自ら)をし(知/領)ること」を放棄して、酒や薬に溺れる。
本人は、「自暴自棄」で、どうせ他人も自分に配慮することなど一切しないのだから、自分が何をしようと自分の勝手だろうと振る舞ふ。
しかし、周囲にとっては、そのような「ひと(人/一)」が道端に寝そべっているだけで迷惑であり、勝手に死んで腐乱死体になったとしても、とても都合が悪い。
そこまで行かなくても、悪臭を放って近くにいるだけで、また汚れやゴミを周囲に広げるだけで不快となる。 >>656
ポストヒューマンの意匠?????????
全く意味が通じない
日本語になってない
やっぱコンビニバイトすらクビになる脳障害ってすげえなwwwwww
たった一言で中卒無職バレる
意匠にそんな意味は存在しない
バカすぎる >硫化水素吸って自殺しな?
他人に自殺することを要求するなら、その自殺により周囲に迷惑がかかることになるのだから、少なくとも自殺実行のために自分の自宅環境を提供して、周囲の安全にも、その後始末にも自分が責任を負うというのでなければ、無責任極まりない。 >>702
それだとメンタリストDaiGoと同じ発想だろう。ホームレスは認知症などの精神疾患が理由でなっているケースも多い。精神疾患による自殺なども多いことだろう 死体が悪いのであれば、戦争を指揮するプーチンやゼレンスキーは最悪の死体大量製造装置になる。ウクライナ支持している先進国も同罪にならないかい? 牧師でホームレス支援している抱樸の会の人も、そう言ってなかったかな。金だけやれば済むような単純な問題でもないと。高知能でも、精神疾患でホームレスやっている者もいる >精神疾患による自殺なども多いことだろう
他の動物は、寄生虫などに侵された病状として、自分から命を落とすような行動に出ることがあるが、それを「自殺」とは呼ばない。飛んで火に入る夏の虫は、焼身自殺を図っているわけではないし、自分から浜にうち上げられるイルカやクジラも、自殺を企図しているとは見做されない。 韓国の芸能人とか、SNSの誹謗中傷でよく自殺しているが、それをセルフ・ネグレクトとは呼ばないだろう。学校でのイジメの自殺もそうだが。セルフネグレクトしているのは、誹謗中傷する側やイジメの側ではないのかな。虐待する側がセルフネグレクトしているんだよ
もし社会がそんな感じなら、それは社会のセルフ・ネグレクトだと言える >セルフネグレクトしているのは、誹謗中傷する側やイジメの側ではないのかな。
「セルフネグレクト」は、「強要」として生じているのだから、どちらかの側だけのものではなく、どちらのものでもある。 >それは社会のセルフ・ネグレクトだと言える
だから、哲学することは、そのセルフ・ネグレクトがもたらす悪影響を直そうとするフィードバックなのですよ。
それが、「たましい(魂)への配慮」だ。 >死体が悪いのであれば、
死体が悪いのではない。セルフ・ネグレクトが誰にとっても「悪しきこと」なのだ。 ふーん。じゃあ、イジメられる側も悪いという見方か
たとえば、母親が人気AV女優出で、母子家庭の子が学校でそれをネタにイジメられたとして、その子自身のセルフネグレクト要素はどこにあるんだ?武道でも習うこと?女子の場合は?あの北海道の中学生女子のケースみたいな >>705
硫化水素吸って自殺しな?
低学歴は生きてる意味ないよ >イジメられたとして、
捏造するなよ。イジメ「られる」ことがどうして、「自らの振舞ひ」と解釈できるんだ? じゃあ、学校でイジメられて自殺するのは、セルフネグレクトには入らないの?それとも、イジメが原因でも自殺だから、やはりそれもセルフネグレクトになるのか
君は後者の見方っぽいのは分かるが >学校でイジメられて自殺するのは、セルフネグレクトには入らないの?
「イジメられる」のは、セルフネグレクトではない。
それを理由に自らに自殺を強要するのは、セルフネグレクトであり、自らにとって「悪しきこと」だ。 >イジメが原因でも自殺だから、
イジメが原因だから、自殺することは「善いこと」だとでも主張したいのかな? 風俗産業などで働くメンヘラ女子が、よく自殺しているが、確かに自堕落な生活を送っている感じがするから、セルフネグレクトの要素はありそうだな
ただ、そういうメンヘラ女子は、たいてい精神病院とかに入院してたり、治療も服薬もしているのだけど、それでも自殺しているから、そういう場合でも、完全セルフネグレクト扱いになるのか、君の論点では? >>720
いや、自殺が良いなんて、俺は言ってないぞ。カントの自殺禁止の定言命法挙げるくらいだから
でも、薬物や脳の変性、精神疾患などによる不可抗力の自殺はあるんではないの?犯罪でも、責任能力の有無が問われるのと同じこと ベトナム戦争の帰還兵が重度のPTSDを発症したり、癈人になったり、自殺も多かったと思うが、それもセルフネグレクトになるのか?
神風特攻も集団自殺と同じだから、あれも集団セルフネグレクト扱いで良いの?君は、いつも保守寄りの主張だから、あえて聞いているのだが そうだ、君は保守寄りの人間だが、日本の保守の論客は自殺だらけだぞ
江藤淳、西部邁、三島由紀夫、どこかの右翼のボスが朝日新聞へ乗り込んで自決とか多いだろう。保守は、セルフネグレクトの塊なのか?
俺はリベラルだから、保守寄りの君にあえて聞いているのだが >>683
それ社会主義の段階の話だね。
ま、広く共産的でもいいけど。 では、自殺に関する俺の論点をまとめよう。基本的に自殺は良くないという立場にある。なぜなら、その人の自殺にショックや悲しみを受ける人がいるからである。他人を傷つけるのは良くないので、自殺は回避されるべき。また、死後の世界があった場合は、自殺は殺人同様に大きなペナルティになるリスクがあるので、その点への考慮においても回避されるべき。イジメや自殺教唆もそうしたペナルティに該当するだろう
ただ重度の精神疾患とかPTSD、酷いイジメなどによる不可抗力の自殺は、こうした範疇にはない、と考えられる。むしろ、ここでは社会のセルフネグレクトを問題にした方がいいだろう 「"self-neglect"の強要をみづから(身づ柄/自ら)に生じること」が「あ(悪)しきこと」である。 ひと(人/一)の世は、それが階層組織的に構成される限りにおいて、ひと(人/一)に「そばかり」として生きることをつねに強要するからこそ、そのことがもたらす「なやみ/病(やまひ)」に対する治療法(なほ(直)び)として哲学することが求められるのである。 だから、やっているよ、このスレでも世直し哲学。俺のマルチバース論は、狭い了見でなんでも決めつけるな、多様な宇宙の視点を持て、自由を奪われるなと言っているだけだからな
この宇宙の視点を持ては、ラッセルが言ってたことでもある >曽婆訶理(そばかり、『古事記』での名。『日本書紀』では、刺領巾〈さしひれ〉)は、古墳時代(仁徳朝から履中朝)の隼人。
/ja.wikipedia.org/wiki/曽婆訶理 近現代の倫理・道徳の言説は、古代から人が「ことば」にして表現して伝へようとしてきた「メタ意識の働き」を聴き取り不能にし、不可視化しようとしているのである。 ひと(人/一)が「野生」を「高貴」であると感じるとき、それは「野生」が”self-neglect”を強要する「不自然」な関係性に陥っていないと感じるからである。 じゃあ、匿名掲示板荒らしまくるのは、セルフネグレクトの塊みたいな愚行の存在者なんだな。そこには完全に同意出来るな。心理学的に考えても、スレを荒らしまくる行為は、自身へストレスをもたらすブーメラン行為になっているのだが、解説は控えよう。頭が悪いと、そういうことさえ知らないらしいからな >>726
お前が死んで悲しむ奴なんかいるわけねえだろ自惚れんなwwwwwwww >>721
低知能低学歴は本人の怠惰が招いた事態
100%自己責任 >>733
人生詰んで死にたいとか明言してるゴミを眺めるのは最高だけど
スカッとする
マヌケで笑うのは最高 他人に〇殺しろなって無責任なことが言えるのは、幼稚で、人が死んでも自分には何の影響も及ばないと思っているからだ。
生き物が命をいずれ失うのは自然なことだが、人の場合には、それでは済まされない。
そんなことは、身内が命を引き取るのを看取ったことがある者ならだれでもよく知っているだろう。
本人が、いくら体調が悪く、そのままでは確実に命を失うことが明らかな状況でも、病院で診断を受けることも、医師に診てもらうことも拒否したとしよう。
本人は、「ただ自宅で死ぬだけなのだから、何が悪いのか」と思っている。
しかし、診断もなく、ただ死亡時に死亡の証明を得るために医療機関や警察に連絡しても、「制度的に」まずは「不審死」として扱われざるを得ない。
なぜ、本人や身内は、何らかの病気で命を失うことをあらかじめ覚悟していて、それが当たり前のことであったとしても、それ以外の世間にとっては「原因不明の死亡事例」でしかないからだ。
したがって、いくら本人が「自暴自棄」であったとしても、どのようにか本人を説得して、医療機関による処置を受けさせる必要がある。
医療機関が、自宅で看取ることを勧めるなら、それに従って、医師に定期的に容体を観察してもらいながら、死を迎えるのを待つことになる。
それでようやく、人が死ぬことについての「事件性」が解消される。 >>737
低知能低学歴は本人の怠惰が招いた事態
100%自己責任
低知能低学歴の死は社会の全員が望んでいる
誰もかなしむわけがない
さっさと硫化水素吸って自殺しとけ脳障害
穀潰し 興味深いな。私が「〇殺」をそのまま書き込もうとすると、NGワードという警告が出されて、書き込めなくなったのに、この「〇殺教唆」常習者の書込みは、まったく規制の対象にならないんだねw 今日はビールを飲み手羽餃子を食べながらここを観戦しよう。
皆頑張れよ。 >>741
お前が自殺するんだよ就職氷河期に就職出来なかった低学歴で尊厳死導入希望wwwwww
そしてお前が笑われて見世物小屋の中の珍獣 >>742
尊厳死しないの?
硫化水素で出来るのに? 低知能低学歴は本人の怠惰が招いた事態
100%自己責任
低知能低学歴の死は社会の全員が望んでいる
誰もかなしむわけがない
さっさと硫化水素吸って自殺しとけ脳障害
穀潰し 切実に尊厳死を認めて欲しいらしいwwwww
それなら硫化水素吸えよ?
楽天で買えばいい >>729
人間社会に参加する自由がない怠け者低学歴無職wwww 私が書いたものは、日本の国立国会図書館にも、アメリカ議会図書館にも収蔵されていると思うが、そんなものに私が書いたことよりも、このスレの書込みを含め、この掲示板に私が匿名で書き込んでいることの方がはるかに重要性が高い。
そのことが分かる人がどれだけいるか私には不明だが、その重要性が分かる人に伝はれば、それでいい。そのことが分からないような人々からは、承認されようと、拒絶されようと、称賛されようと、罵られようと、私にはどうでもいい。 >>755-756
低学歴脳障害無職は自殺しとけ無能 >>756
100年前に哲学が死んだ経緯
・ラッセルのパラドックスが発見され通常の論理学では回避できないことが判明
・ラッセルはパラドックスは論理学の仕組みに問題があることを見抜いてパラドックスがそもそも起こらない論理学の仕組みを構築(自己と自己言及を明確に区別して混同しないルール)
・ウィトゲンシュタインはラッセルの弟子であり論理学の仕組み追求しようとした
・ウィトゲンシュタインは新しい矛盾のない論理学で何を言えるのか研究したところ形而上学や哲学を論理的に扱うことは不可能であることが判明
・形而上学や哲学は論理学を誤って用いたことから生まれる全く意味のない妄想であることを指摘した
・このプロセスは論理哲学論考において数学の証明として掲げられている
・現在までにこの証明に反証出来た人間は歴史上1人も居ない
つまり100年前から哲学者を名乗った時点で不勉強な無知または詐欺師であることは確定している
賢い哲学者というのは論理的に存在不可能
低学歴すぎて証明の意味すら理解できないのかwwww
数学で証明されたことは本人の希望で撤回したりできないぞ?
自殺したら?脳障害
ウィトゲンシュタインが泣いて謝っても哲学が無意味であるという証明を変えることは不可能
撤回も転向も全く不可能
死んで詫びても無意味 >>756
こういう低学歴は間違いなくZFC公理的集合論を知らない 哲学って異世界転生希望弱者男性の妄想と何も変わらん
現実世界と何も関わりがないし影響が無い
無意味なバカの思い込み >>719
勉強しないで低学歴になるのはセルフネグレクトなん? 哲学において、死は重要なテーマとなる。そのため、ハイデガーであれば、
「メメント・モリ(死を想え)」というテーゼをその哲学の中で使っている
> メメント・モリ(羅: memento mori)は、ラテン語で「自分がいつか必ず死ぬことを
忘れるな」「人に訪れる死を忘ることなかれ」といった意味の警句。芸術作品のモチーフと
して広く使われる。
つまり、こうした死への哲学的な認識は古来から存在していたのである。
死は、あるいは、死後の世界は不明、すなわち、多値論理でいえばNullに該当
しているため、やはりそれは測れないもの、として科学や数学、論理ではなく、
形而上学が扱えるドメインであると考えられる。 カミュの「シーシュポスの神話(Le Mythe de Sisyphe)」の冒頭は、以下の文で始まっている。
> 真に重要な哲学上の問題は一つしかない。それは、自殺ということだ。人生が
生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである。
といった感じで、カミュにとってはそれ以外の哲学的な問題は遊戯の如くどうでも
いい対象とされる。だから、ウィトゲンシュタインが行っている言語分析における
「言語ゲーム」などは、カミュにとっては文字通り、どうでも良い遊戯のような類
として切り捨てられる。「シーシュポスの神話(Le Mythe de Sisyphe)」において、
カミュはこの世界の不条理を問題視している。 たしかに、カミュのこの世界への不条理性への認識には同意できるものがある。
最近の例だと、たとえば、イランで人権活動を行っていたノーベル平和賞受賞の
ナルゲス・モハンマディさんが投獄されたり、香港民主化活動家の周庭さんが
亡命したり、と正義はキリスト同様に受難に遭遇しやすいことが分かるであろう。
また、日本社会と政治の長年の腐敗のシンボルでもあった壺自民党の安倍首相の
殺害をした山上氏も、ある意味で、こうした正義の受難者である、と言える。
こうした腐敗した世界や社会、今の、ウクライナ戦争などで殺される多くの無辜の子どもたち
を見ると、この世界は生きるに値しない、というカミュ的な不条理な判断が頭をもたげて
くることも、別におかしくはないのである。むしろ、人間的に自然な感覚であるとも言える 話は、少しそれるが、ウィトゲンシュタインは裕福な名門の家庭に生まれたのだが、
なぜか、兄弟にうつ病や自殺する者が多く、自分もいつかそういう遺伝子的な要因で
自殺するのではないかと危惧して、師のラッセルにそうした悩みを打ち明けていた
ようである。
また、デュルケームの「自殺論」によると、自殺の原因として、人々はアノミーに陥る
ことで、そうしたブラックホール(虚無・自暴自棄)に吸い込まれやすくなる、としている。
たとえば、社会的な価値観が大きく変わる、時代の変わり目など、新しい価値観について
これない人々などが、自殺しやすい、ということである。だから、イスラム原理主義者の
自爆テロなども、そうした超保守の思考と、そうした因習や伝統を排し、合理に基づく
経済を優先する現代的な価値観が彼らの宗教的な保守思想と大きな齟齬をきたしている、と
考えられるのである。 彼ら宗教保守や原理主義者にとっては、LGBTQなど、当然、受けいられるはずもない。
アメリカでも、中絶手術をする産婦人科の女性医師が宗教保守派に襲撃されて殺される
事件も起きているし、イスラム圏では若い女性が露出の多い服装をしているだけで、
集団リンチされて殺されたりもしている。 要するに、この世界は不公平、不条理だらけで、危ない場所なのである。日本にいると
平和ボケしているので、こうした世界の悲惨さに臨場感を覚えることはあまりない
が、現実の世界には、どの時代でも悲惨や災厄が満ち溢れている状態が普通である。
なぜ、世界がこうした危険な場所なのか、あるいは、腐敗や悪の蔓延るような
社会なのかについては、人間そのものが邪悪な存在であるので、仕方がない
部分もあるのであろう。私は、グノーシス主義的な人間悪へのニヒリズムや
ベネターの反出生主義も支持しているので、人間存在は碌でもない、という
基本認識であるし、こうした人間悪が、いつか人類全体の淘汰になっても、
別にいいのでは、という冷めた観点も持っている。生態系の視点に立てば、
人類の淘汰は歓迎されるべき出来事にさえなるのであるから また、ショーペンハウアーはカントの定言命法とは違う観点で、自殺の
無意味さを説いているが、それはここでは長くなるので割愛しよう
だが、だからと言って、私は人類全体に自殺を勧めたりはしないのである。
哲学的にあえて逆説的にいえば、どこか、こうした不条理な世界には学びの契機が
あるのではないだろうか。 もしも、この世が楽園であり、人々の願いや欲望はすべて魔法のように瞬時に叶い、
どこにも不幸や苦痛、不安、苦しみが一切なければ、それこそ今の人類はさらに傲慢に
なり、増長し、さらに腐敗し、頽廃し、欲望に耽溺し、セルフ・ネグレクトし、地球環境を破壊し、
楽園にもすぐに飽いて、やがて退屈や刺激欲しさに、お互いの首を締め合うようなことや
殺し合いを一種のゲームとして楽しみながら、開始し出すに違いないのである。
よって、この悪であり、腐敗した世界を修行僧のように、日々、己が修行する場、自己を
鍛錬、向上させる場や道場のごときものとして解釈すれば、そこには形而上学的にも
意味や価値が発生すると考えられる。なぜなら、天国や楽園にいて、自己成長しよう、
などと考える殊勝な人間など、人類には皆無であろうと考えられるからである。 仏教でこれをたとえれば、汚水の中にいても、綺麗な蓮の花を咲かせることができる
のである。
このスレで言えば、無職のスレ荒らしの汚水の中にいても、私のように常に意味のある
哲学的な体系立った書き込みが出来るのが、そうした蓮の花に対応している、ということである
だから、哲学板にいる諸君らも、こうした美しい蓮の花になれば良いであろう ソクラテスも魂の永遠性を信じていたので、仲間の手助けで余裕に脱獄出来る状態
であったのにそれを拒否し、喜んで毒盃仰いで死んでいったのだ。
パスカルやカントも死後の世界まで計算している。科学者は、その辺りどうなのであろうか。
マンハッタン計画で原爆投下に協力するノイマンとか、死後の世界までは考えてなさそうで
ある。あくまで、目先の快楽や欲望充足、得点、利得獲得だけである。なぜなら、ノイマンの
発案した「ゲーム理論」が、そうした現世だけの利得最大化を目指す短絡的な発想に基づくものであるからである。
よって、ノイマンは死後の世界で、未だシジフォスのような過酷な罰を受けて責苦に呻吟して
生前の己の非道な行いを後悔している最中かもしれない。哲学や形而上学であれば、
そうした死後の世界も想定しながら、メメント・モリの精神で生きているので、死後の世界に
おいても安泰であり、パスカルの賭けのように、どちらに転んでも(死後の世界があろうが
なかろうが)損失は発生しないように出来ているのである。 100年前に哲学が死んだ経緯
・ラッセルのパラドックスが発見され通常の論理学では回避できないことが判明
・ラッセルはパラドックスは論理学の仕組みに問題があることを見抜いてパラドックスがそもそも起こらない論理学の仕組みを構築(自己と自己言及を明確に区別して混同しないルール)
・ウィトゲンシュタインはラッセルの弟子であり論理学の仕組み追求しようとした
・ウィトゲンシュタインは新しい矛盾のない論理学で何を言えるのか研究したところ形而上学や哲学を論理的に扱うことは不可能であることが判明
・形而上学や哲学は論理学を誤って用いたことから生まれる全く意味のない妄想であることを指摘した
・このプロセスは論理哲学論考において数学の証明として掲げられている
・現在までにこの証明に反証出来た人間は歴史上1人も居ない
つまり100年前から哲学者を名乗った時点で不勉強な無知または詐欺師であることは確定している
賢い哲学者というのは論理的に存在不可能
低学歴すぎて証明の意味すら理解できないのかwwww
数学で証明されたことは本人の希望で撤回したりできないぞ?
自殺したら?脳障害
ウィトゲンシュタインが泣いて謝っても哲学が無意味であるという証明を変えることは不可能
撤回も転向も全く不可能
死んで詫びても無意味 就職氷河期で人生詰んでるから尊厳死の導入を切実に認めて欲しいらしい中卒無職wwwww 哲学って異世界転生希望弱者男性の妄想と何も変わらん
現実世界と何も関わりがないし影響が無い
無意味なバカの思い込み うつ(移)ろひをうつ(映/写)すこころ(試)み(/心観)においてうつく(美)しさをし(知/領)る
The experience of beauty is for one to be held in transference. 就職氷河期で人生詰んでるから尊厳死の導入を切実に認めて欲しいらしい中卒無職wwwww
哲学って異世界転生希望弱者男性の妄想と何も変わらん
現実世界と何も関わりがないし影響が無い
無意味なバカの思い込み 就職氷河期で人生詰んでるから尊厳死の導入を切実に認めて欲しいらしい中卒無職wwwww
哲学って異世界転生希望弱者男性の妄想と何も変わらん
現実世界と何も関わりがないし影響が無い
無意味なバカの思い込み それほど賃金労働で使ってもらわなくても生活できるので、必要以上に働かない。
事実上のワークシェアリングと、哲学的な思索による言説を無償で書込みとして提供するボランティア活動だな 就職氷河期で人生詰んでるから尊厳死の導入を切実に認めて欲しいらしい中卒無職wwwww
哲学って異世界転生希望弱者男性の妄想と何も変わらん
現実世界と何も関わりがないし影響が無い
無意味なバカの思い込み 正規表現でのNGを増やして置いたので、このスレでは俺が体系的に書いたものと、言葉遊び君が書いたものくらいしか、ほとんど表示されなくなって、さらに読みやすくなった。
前から、そんな感じなんだが、さらにNGを正規表現でタイトに設定して置いた。もちろん、絵文字などは表示されない
賢者の書き込みがあれば、それ以外でも表示されることだろう >>787
ハ'゙カ'すき,゙'て,いじ|め'ら.れて不.登,校,ニ'ー•ト|て.゙|そ,のま•ま中卒,無,職の怠,け者'のク•ス.゙か,゙'な'んて'゙,堂,々と.知|的.障•害,者•年金|な.ん•か,貰,っ,て,暮,ら|し'て,ん•の?'生,き|て,て.申,し.訳•ない'と|思わ•な|い'の|?.ん•?•脳•か|゙•正.常|な|ら|生,き•てて|恥'す,゙,か|しくて'申'し,訳な'く•て,自•殺,し'て'る,よ•ね,?•脳•障'害.た|゙'か.ら•自•殺,す.らて|゙|き,な|い|の?, 頭悪すぎてウケるwww
さすが低学歴氷河期無職wwww
NGしてるってことは効くってことじゃんwwww >>787
就,職,氷,河期.て,゙|人'生'詰ん•て'゙|る'か'ら|尊,厳•死.の導,入'を•切実|に認•め|て'欲,し'いら,しい.中,卒,無職.w•ww|ww•哲'学|っ.て.異'世.界転,生希'望|弱'者'男•性,の妄,想|と'何'も.変'わ'ら.ん現.実世界'と何•も関'わ'り|か.゙.な.い|し.影'響'か'゙,無'い'無'意,味.なハ,゙,カ•の,思'い込•み, Sikiも試しに入れて各種NG設定してみたけど、これ、めっちゃいいわ。
クソリプ全部、弾いて非表示になっている。ダークモードもあるから見やすいし
これを使うようにしよう。荒らしがうざいと思うヒトは、Sikiがおすすめ。
どのOSにも対応しているから。 >>794
就,職,氷,河期.て,゙|人'生'詰ん•て'゙|る'か'ら|尊,厳•死.の導,入'を•切実|に認•め|て'欲,し'いら,しい.中,卒,無職.w•ww|ww•哲'学|っ.て.異'世.界転,生希'望|弱'者'男•性,の妄,想|と'何'も.変'わ'ら.ん現.実世界'と何•も関'わ'り|か.゙.な.い|し.影'響'か'゙,無'い'無'意,味.なハ,゙,カ•の,思'い込•み, >>794
就'職'氷河•期.て,゙.人.生.詰'ん|て.゙•る'から|尊|厳,死'の,導|入.を.切実に.認,め|て,欲,し.い'ら|し•い'中卒'無,職|w'w'w•ww哲'学|っ'て'異•世,界転生.希望•弱者男|性,の•妄'想|と|何|も変|わら|ん|現実|世|界'と何,も•関'わ|り'か.゙•ない•し•影,響•が'無い,無.意|味な|ハ|゙,カの,思,い,込•み| 効いてないならNGするわけがないからな
ちのうがひくすぎるwwwww Siki最初から使っていれば良かったな
これブラウザからでも、クソスレ全部ミュートできるからいいな
スマホでは前からそうしていたが
これで、ゴミムシ君の低能書き込みは一切読めなくなった
もう構ってやれなくて、ごめんな
無職の馬鹿を相手にできるほどの俺は暇人ではないから
みんなもSikiを使って、気違いの書き込みは表示されないように
設定すべきだな。これで有意義な哲学の書き込みだけ読めるわ >>656
ポストヒューマンの意匠?????????
全く意味が通じない
日本語になってない
やっぱコンビニバイトすらクビになる脳障害ってすげえなwwwwww
たった一言で中卒無職バレる
意匠にそんな意味は存在しない
バカすぎる 表示はされてないけど、もう反応があるな
一日中スレに張りついている知恵遅れの狂人なんだなw
どれだけ暇人なんだろうな
また、相手にしてあげちゃった。
まあ、こういうのも青葉みたいな犯罪者を出さないための
ボランティアなんだよな。そろそろ止めるけど >>656
ポストヒューマンの意匠?????????
全く意味が通じない
日本語になってない
やっぱコンビニバイトすらクビになる脳障害ってすげえなwwwwww
たった一言で中卒無職バレる
意匠にそんな意味は存在しない
バカすぎる >>804
就職氷河期尊厳死切実希望者wwwwwwww 人生詰んでるから哲学なんかやってんのなwwwwm
意味ねーけどwwwww 就職氷河期で人生詰んでるから尊厳死の導入を切実に認めて欲しいらしい中卒無職wwwww
哲学って異世界転生希望弱者男性の妄想と何も変わらん
現実世界と何も関わりがないし影響が無い
無意味なバカの思い込み ウィトゲンシュタインの著作なんか全く読む価値ないよ
なぜなら証明された数学の定理は本人ですら取り消せないから後期とか転向とか全く意味がない ただでさえ低学歴のゴミなのに限られた寿命を無意味なものに浪費したとか最高にウケるなwwwwww
最高に笑える 私は前に、形而上学は科学とは違って「測りえないものを測る」と定義しておいた。
あるいは、哲学においては、測ることは一意性を持たない、多様な系へとフォーク
していく、とこれを表現してもいいだろう。ウィトゲンシュタインもこうした測るを巡って、
いろいろと試行錯誤していたようである。たとえば、[単純-複合的]という合成を巡る系に
おける思考として、ウィトは以下のような例をあげている
まず、正方形を用意する。それぞれの各正方形は赤、緑、白、黒の色が付いたもの
になっている。それを赤は「R」,緑は「G」,白は「W」,黒は「S」という記号で表す
ことにする。そして、この正方形を9個(3×3という配置)使って、正方行列的に
配列する。この時、記号群で「RRSGGGRWW」と記述された文は、この順序に
対応した布置を表示したダイアグラムとして表せる。 この時、ウィトが問題にするのは、ここで今作られたダイアグラム(複合)は、それを
構成する個々の要素(単純)である色のついた正方形による合成であるとして
良いのか?という問いである。つまり、このダイアグラムは、色の付いた正方形という
要素だけに単純化できず、そこには個数という別の要素もあるのではないか、と
いうのが彼の問題意識である。つまり、このダイアグラムは、たしかに9個の色の
付いた正方形で構成されているが、9個という正方形の個数が、別の要素にもなる
のではないか、とウィトは問題提起しているのである。
私なら、さらにこのウィトの問いを拡張して、要素とは原子や粒子のことではないのか?
などと言いたくなる。ある色の正方形は液晶のドットやペンのインクや鉛筆の原子から
構成された点や粒子の集まりでもあるし、それがこのダイアグラムの真の要素である、と
しても別におかしくはないのである。 前に私は>>33で付随性(スーパーヴィーニエンス)や>>44でトロープという
形而上学的な概念があることを紹介したが、色というのは単独では存在できないのである。
あくまで、なんらかの付随性としてのみ、つまり、強い依存関係のもとでようやくその
存在性を獲得できるのである。これは人が赤だけを指すことが出来ないのと同じである。
赤いリンゴや赤いトマト、信号機の赤の部分、赤い色の付いた正方形であれば、人は
それを指差すことが出来るが、赤自体や赤そのものだけを指させる人はいないのである。 それ以外にも、色の知覚には私たちの感覚モダリティや意識の存在に依っている(付随性)
ことも同様に明らかである。要するに、色は単独には実在していない、という形而上学的な
認識が得られるのである。これはあらゆる他の対象についても同様である。媒質や媒体が
全く存在しないで伝わる音や匂い、形、光などは存在しないのである。光は真空中では、
約30万 km/sの最高速で進むが、真空さえ、この文脈では媒体になっているのである。
真空さえも存在しなければ、媒質が不要の光さえ伝播したり、存在することは不可能であろう。
それに加えて、それらの存在性はそれを認識する側(主体)の感覚モダリティに依存して
いる。そのため、生物によって色をキャッチできる色のスペクトルや光の波長が異なる
のである。つまり、色覚が生物ごとによって異なるのである。爬虫類や鳥類は4種類の
錐体を持っているので、色の識別プロセスが人間とは異なる。鳥であれば、
波長300〜330ナノメートルの紫外線光を感知できると言われている。 要するに、哲学的に考えると、存在の一意性という概念自体が非常に疑わしいのである。
これは対象とそれを名指したり、指示するものが、本質的には1対1対応しえない、という
現実を表している。ウィトが言うように、2センチの線分であっても、その表し方は多様で
ありうる。つまり、2センチは2センチからしか生成(一意性)されないのではなく、
たとえば、最初に3センチを線分を作り、それを反対のベクトルの1センチの線分を用意
することで、前者同様の2センチの線分を生成できるのある。このパターンは無限に作れるので、
この2センチの線分の存在は一意ではなく、無限の系から生成されることが理解できるであろう 私なら、先に挙げた色の付いた正方形と同じように、この線分を構成する原子の
要素の差異や、この線分を表示する媒体、たとえば、紙、黒板、ホログラム、モニターの
種類や差異、IT機器上であれば、OSやソフトウェアの違いなどをそこに認めながら、
多様なモードの集合として、ある存在を多面的に記述できると主張することであろう。
つまり、ある存在や対象を構成する単純な要素(一意性)は、そこには見当たらないのである。
こうした存在における多様な系の暴露や解明は、当然、私の「マルチバース論」とも
ロジカルであり、整合的であることが理解されよう 付随性(スーパーヴィーニエンス)という概念は>>30辺りに書いてある https://news.yahoo.co.jp/articles/d8c2e8ff320d01207f3d03747216ca267af0f2e8?page=1
「哲学では飯は食えない」は過去のこと 海外の先進企業はなぜ哲学者を雇い始めたのか?
これらは個人の哲学者が企業内で雇われてきたケースですが、欧米では
「哲学コンサルティング」の企業や団体も設立されており、それらを利用する
ケースも多々あります。
例えば博士号をもち、アスコルという企業を設立したA.タガートは、
「どうすれば私はもっと成功できるのか」と考える企業幹部に対し、
「なぜ成功しなければならないのか」と問い返すような哲学的なコーチングの
プログラムを提供してきたそうです。そうした問いかけを通じて暗黙裡に
抱えてしまっている先入観が再考されたり、「そもそも成功とは何か」と
いったより深い思考へ導かれたりするというわけです。
セールスフォースやボーイング、ロレアル、Airbnbなど欧米企業には、
「CEO(Chief Ethics Officer=最高倫理責任者)」やそれに類する役職さえ
設置されているところもあります。哲学や倫理が自社の事業展開に積極的に
活用されているのです。 アメリカにはタガートのような活動をする「哲学プラクティショナー」が数多くいて、
「アメリカ哲学プラクティショナー協会」という組織がその認定を行っています。
こうした哲学コンサルティングの広がりは、欧州でも加速しています。もともと
アメリカに先んじて、1981年、ドイツの哲学者G.アーヘンバッハが自身の
クリニックで「哲学カウンセリング」を開業したのですが、そうした潮流が発展し、
今日ではビジネスシーンでの哲学コンサルティングが広がっています。
例えばドイツには「プロイェクト・フィロゾフィー」、オランダには
「ニュー・トリビュウム」といった哲学コンサルティングの企業や団体があります。
これらの組織は議論するスキルを向上させるコーチングやセミナーを実施したり、
会議のファシリテート(対話の進行)をしてより本質的な議論に深まるように導く
支援をしたりしているようです。 重要なポイントは、今日、「自分(たち)は何をよしとするのか」
「なぜそう考えるのか」について哲学的に考える必要性がさまざまな場面で
生じてきているということです。欧米での哲学活用の広がりを、各種メディアを
通じて発信したところ、大きな反響がありました。しかし、私自身は欧米での
先行例の功罪両面を見極める必要があると考えています。
例えば、2020年12月、米グーグルは同社の大規模言語モデルに含まれる
差別的バイアスを指摘した、AI倫理研究者ティムニット・ゲブルを解雇しました。
論文の共著者から名前を削除するよう要求されるも拒否したためです
(彼女はAI開発現場の白人男性の比率が高く、多様性がないことも問題視していました)。
それに抗議したマーガレット・ミッチェルも解雇されてしまいます。その結果、
研究者コミュニティの離反やグーグルからの資金提供の拒否、社員2600人以上に
よる抗議署名、抗議辞職などが起きたのです。 >>814-823
就職氷河期で人生詰んだ尊厳死を切実に希望する低学歴無職ゴミの妄想
全く無価値 >>820
そのような概念は存在不可能
論理学が禁止している 就職氷河期で人生詰んでるから尊厳死の導入を切実に認めて欲しいらしい中卒無職wwwww
哲学って異世界転生希望弱者男性の妄想と何も変わらん
現実世界と何も関わりがないし影響が無い
無意味なバカの思い込み >>656
ポストヒューマンの意匠?????????
全く意味が通じない
日本語になってない
やっぱコンビニバイトすらクビになる脳障害ってすげえなwwwwww
たった一言で中卒無職バレる
意匠にそんな意味は存在しない
バカすぎる 自殺できないならマルチバース理論とやらは自ら嘘だと認めたことになる
お前が怠けたからお前が低学歴になってお前が就職氷河期でお前だけが人生詰んだ現実しか存在しないのだ >>591-593
人々の間で通用するようになった「言葉(こと・ば)」とは、»Gleichnis«/「喩」によ(依)る»Begleichung«/「し(如/敷/然)かるべき『平定』」を介して「し(如/敷/然)かる『こと(言/事/如)』」の»Begleitung«/「随伴」(「そ(添)へもの(物)」と言ひ換へることもできるだろう)にか(変)はった»Vergleichung«/「比」(「〜く(比)らべ」)である。 このようなことを明示的に言葉にしてみせても、哲学的な思索の歩みに慣れていない人には、どのようにでも取れる抽象的な言葉が並べられているだけのように感じられるかもしれないが、ここで述べていることを具体例を使って示すことはいとも容易である。 内陸で生活していて、「河/川(かは)」と「湖(みづ(水)・うみ)」しか知らない人々に、「海(うみ)」に姿を現す、現代では一般に「イルカ」として広く知られる生き物の存在について、どのようにして「ことば」によ(依)りうまく「つた(伝)へ」ることができるか、少し「かむか(考)へ」てみるといい。 たとえ数百万円支払ったとしても、このようなことを明示的にをし(教)へてくれるような人は、私の以外にこの世の中にはまずいないだろうと私には思えるのだが、このようなことを読まされたり、聞かされたりすると、大抵の人は、感謝するどころか、「そんなことを誰が言っているのか」、「何の/誰による裏付けがあってそんな主張をしているのか」と逆上するのである。
しかし、別に「私という個人」がその「こと」を主張しなくても、「『ことば』による表現」そのものが、「言葉」とはそのようなものであることを伝へている。 >>833-836
形而上学が論理学を満たさないことは証明済み >>840
脳に障害あるから自殺した方がいいよ
低学歴でしょ?
それ客観的な脳障害の証明 ひと(人/一)がみづから(身づ柄/自ら)の「臨在」について意識することを統治権力が抑圧しようとするのは、被支配側がそれを意識することが、支配側がひと(人/一)を使ひ捨てで交換可能な手足としてつか(使/仕/遣)ふのに不都合を生じるからである。 >>842
あと低学歴は例外なく人格がクズね
人間じゃないから
だって過ちを認めて正そうとしない知ったかぶりであることが原因で
その結果として低学歴になるんだよwww
過ちを認められる人間は低学歴にならない
これは絶対の原理
定義と言っても良い
クズであることが原因でその結果として低学歴になるの
低学歴は100%クズなんだよ
人間じゃない >>842
一神教がどのようにして、ひと(人/一)がみづから(身づ柄/自ら)の「臨在」について意識することを抑圧/隠蔽するか分かるだろうか。
これは、その仕掛けに気づいてみれば、とても巧妙な手法であることが理解できるだろう。
それは、「ひと(人/一)みづから(身づ柄/自ら)の『臨在』についての意識」を裏返すことによってである。
つまり、「臨在」は、あらゆる「存在者」に対して遍在する普遍的な神だけの特性となり、
「ひと(人/一)みづから(身づ柄/自ら)」は、その「み(身)ど(獲/取)り」において「ゐ(居)る」/"to be"ことを自覚する代わりに、臨在する神による「被造物」として「し(然/如/敷)かるべくあ(或/在/有)るもの(者/物)」/「一般的な存在者」/"a certain being"とみづから(身づ柄/自ら)を見做すことになるのだ。 >>845
あと低学歴は例外なく人格がクズね
人間じゃないから
だって過ちを認めて正そうとしない知ったかぶりであることが原因で
その結果として低学歴になるんだよwww
過ちを認められる人間は低学歴にならない
これは絶対の原理
定義と言っても良い
クズであることが原因でその結果として低学歴になるの
低学歴は100%クズなんだよ
人間じゃない 「臨在」を「かた(片)くな(曲)(頑な)」に認めることを拒絶しようとするばかりに、本来であれば、容易に説明できるはずの言語表現の解釈がどれほど複雑怪奇な様相を呈することになっているかは、例えば、日本語の「そば(側/傍)」という表現について、岩波古語辞典における記述を参照しながら考へてみれば、すぎに気づくはずである。
「そば(側/傍)」の「そ」は、どのようなことを表現しているだろうか。 しかし、これは、日本語の表現の解釈に限ったことではなく、印欧諸語の表現の解釈においてもそのまま当てはまる問題である。 >>847
全く無価値な低学歴脳障害の妄想
自殺したら? >そば【稜・傍】
原義は斜面の意。
(岩波古語辞典)
正/反⇔recto/verso
>阪/坂
versant d'une montagne ou d'une colline
(出典 fr.wiktionary.org/wiki/阪, fr.wiktionary.org/wiki/坂)
>versoio(犁板)
(agricoltura) parte metallica dell'aratro che consente di ripiegare la zolla di terra su sé stessa dopo che è stata tagliata dal vomere e dal coltro
(出典 it.wiktionary.org/wiki/versoio) 「王様を求めるカエルたち」にも背骨くらいはあるはずだが
Invertebrates, such as worms, are the main diet of these water birds. クズだから過ちを正せない
↓
過ちを正せないから低学歴
↓
低学歴だから低収入
↓
低収入だからクソ田舎から出れない いうほど自分に対して殺人未遂した人間ばかりの都会で働きたいか? >>857
低学歴が少ないから快適
低知能低学歴はまず家賃払えないからwwww >verser
➊ 〔液体など〕をつぐ,注ぐ.
verser du vin dans un verre|グラスにワインをつぐ
Verse-moi à boire.|私に飲み物をついでくれ.
(出典 kotobank.jp/frjaword/verser)
もはや、云ふまでもなく、この場合、「注ぐ」の適切な読みは、「注(つ)ぐ」ではなく、「『そ』・『そ』ぐ」である。 >>845
人々は、この「臨在」の「うら(裏/心)かえ(返)し」/「ひっくりかへし」/「反転」/《renversement》の「意味」を本当に理解しているだろうか。 それは、「『ひと(人/一)』が『みづから(身づ柄/自ら)』を嫌悪するよう」/"to be a・verse to oneself"に不可逆的に傾けること、「かた(片)くな(曲)(頑な)」になるように差し向けることであり、それにより、「ひと(人/一)」が生きることは、「生きるにあた(能/与/価)ふこと」/"to be capable of living"から、「命を与えられていること」/"to be given life"に、「生きるのを許されていること」/"to be allowed to live"に、「あてがひ(宛行)ぶち」/"allotment"としての生活に一方的に非可逆に転換するのである。 >>859-861
あと低学歴は例外なく人格がクズね
人間じゃないから
だって過ちを認めて正そうとしない知ったかぶりであることが原因で
その結果として低学歴になるんだよwww
過ちを認められる人間は低学歴にならない
これは絶対の原理
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クズであることが原因でその結果として低学歴になるの
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1.SIMの入ったスマホかタブレットを準備。
2.以下のtiktok liteのサイトからアプリをダウンロード(ダウンロードだけでまだ起動しない)
https://lite.tiktok.com/t/ZSNfGFL7M/
3.ダウンロード完了後、もう一度上記アドレスのリンクからアプリへ
4.アプリ内でtiktokで使用してない電話番号かメールアドレスから登録
5.10日間連続のチェックイン(←重要!)で合計で4000円分のポイントゲット
ポイントはPayPayやAmazon券に交換できます!
家族・友人に紹介したり、通常タスクをこなせば更にポイントを追加でゲットできます – Hier bliebe die Möglichkeit offen, daß nicht die Menschheit in Entartung sei, sondern nur jene parasitische Art Mensch, die des Priesters, die mit der Moral sich zu ihren Wert-Bestimmern emporgelogen hat – die in der christlichen Moral ihr Mittel zur Macht erriet... Und in der Tat, das ist meine Einsicht: die Lehrer, die Führer der Menschheit, Theologen insgesamt, waren insgesamt auch décadents: daher die Umwertung aller Werte ins Lebensfeindliche, daher die Moral... Definition der Moral: Moral – die Idiosynkrasie von décadents, mit der Hinterabsicht, sich am Leben zu rächen – und mit Erfolg. Ich lege Wert auf diese Definition. –
(zeno.org/nid/20009257063) あらゆる「存在」に「臨在」が先立つことを否認することにより、「何がどのようであるかをし(知/領)ろう」とすることは、無限定の探求から、「『存在者』について知識を蓄積しよう」とすること、つまり、あらかじめ数えられるように/数量化されるべく限定されたデータの収集となるのである。 >>868
罪の深さを感じないのか?
何も生み出さず何の役にも立たないことに対して み(身)ど(獲/取)りに役立つことをしているから生きている。
しかも、みづから(身づ柄/自ら)の身体は、腸内細菌も含めて、つねに既に生命の複合体として機能しており、生きていることそのものが共生である。 >>872
生きてて申し訳ないと思わないのか?
何の価値も生み出せない無能のゴミなのに? >>872
クソして死ぬだけの動物と同じだろ
何の価値もない >>874
>石油ってどうやってできたの?
大昔の生物がくれた贈り物
石油は、数億年前の生物の死骸が化学変化を起こしてできた化石燃料といわれています。石油の成因については、長い間「有機(生物)起源説」と「無機(無生物)起源説」の両論が主張されていましたが、現在ではほぼ、有機説に統一されており、その中でも「ケロジェン起源説」が有力です。この説では、生物の死骸が海底や湖底に堆積し、その大部分が化石化してケロジェンと呼ばれる物質になり、長い間に地熱と地圧の影響を受け熟成されて石油に変化したとされています。
(oil-info.ieej.or.jp/whats_sekiyu/1-2.html) >>876
お前動物だろ脳障害
化石燃料は植物だろ脳障害
そんな事すら知らないから低学歴無職なんだろ脳障害
死ねよ役立たずのゴミ >>876
クソして死ぬだけの動物そのもの
何の役にも立たない
燃料にすらならない >>877
植物が水と太陽の光だけで育っていると信じているのですね >>880
光合成すら知らない脳障害無職wwwwwww
低学歴ってやばすぎるwwwww >>880
知能そのものが全く存在しないので
植物しかない時代というものがあった事すら知らない
これがクソして死ぬだけの動物と同じ知能しかない無価値なゴミ "s"の発声が、「(息が)いづ(出)ることにさまた(妨)げがない」様態をイメージさせるのに対して、そこに"t"が加へられることによって、「「(息が)いづ(出)ることがとど(留)められる」様態がイメージさせることになる。 誤:「「(息が)いづ(出)ることがとど(留)められる」様態がイメージさせることになる。
正:「(息が)いづ(出)ることがとど(留)められる」様態をイメージさせることになる。 しかし、"start"の"t"は、動き出させる「(足の)一突(つ)き」である。 いかなる存在者の「存在」にも「臨在」が先立つ。
このことは、「発音」という存在者と見なされる「こゑ(声)」についても同様である。 言語学において「音声」について語ることの「無意味さ」(「音声」は、恣意的に用ゐられるため、「音声」そのものには何も「意味がない」ものとされる)は、「こゑ(声)」のつか(使/仕/遣)ひ方についてかむか(考)へるときに「臨在」をないがし(蔑)ろにすることによる。
「臨在」をないがし(蔑)ろにすることにより、「こゑ(声)」はもはや、みづから(身づ柄/自ら)がつた(伝)へ、みづから(身づ柄/自ら)につた(伝)はる「こゑ(声)」としてですらなく、「臨在」におけるみづから(身づ柄/自ら)の身体性を欠いた空疎な「音(おと)」としてあつか(扱)はれることになり、その空疎さが、意味をにな(担)ふことばとして用ゐられる「発音」の「恣意性」という言ひ方で正当化される。
「発音」は、ほしいまま(恣)に、単に互いに識別される存在者として組み合わされて、意味をつた(伝)へることばを形成するのに用ゐられると主張されることになるのである。 >「発音」は、ほしいまま(恣)に、単に互いに識別される存在者として組み合わされて、意味をつた(伝)へることばを形成するのに用ゐられると主張されることになるのである。
この「発音の恣意性」と、それにより意味のあることばを形成するように用ゐられることになるとされる一般的な「存在者」とされる「発音」の関係性は、ちょうど、一神教の神学における、創造者としての神(「臨在」は神のみの特性とされ、すべての存在者の存在は、神の意のままであるとされる)とその被造物の関係性に喩えることができるだろう。 ソシュール言語学では「示差的」という概念が有名だね
日本では言霊として、ここで言葉遊び君がやっているように、言葉が空疎な意味へと
発散したり、あるいは、悪い言葉を使うと、自身の運命も降下するということで、
普段から清らかな言葉を使うように伝統的な文化としてあるものだ "stop"において"st"が「(息が)いづ(出)ることがとど(留)められる」様態をイメージさせるのに対して、"start"において"st"が「動き出させる一突き」の様態をイメージさせるというのであれば、同様の発音の連なりが、一方では「止める」ことを意味する言葉において用ゐられ、他方は、「動き出す」ことを意味する言葉において用ゐられるのだから、やはり、「発音の用法は恣意的である」ということになりそうだが、本当にそうだろうか。 宮台真司がネトウヨに襲撃されて滅多刺しにされたのも、あれも言霊の効果だよ
宮台は普段からあの煽り芸で、ヘイトスピーチや汚言症でペラペラ喋りまくっていたので、
そのブーメランが返ってきただけ。そういう効果があるのが言霊。 >"stop"において"st"が「(息が)いづ(出)ることがとど(留)められる」様態をイメージさせるのに対して、"start"において"st"が「動き出させる一突き」の様態をイメージさせる
私は、この"st"の用ゐられ方の対比は、「キアスム」の一例として見ることができるだろうと思う。
「キアスム」とは、ギリシア文字、"χ"に由来する概念で、日本語で表現するなら、「それ自体により『か(交)ひ』が伝はる関係性」と説明することができる。
例えば、日本語の「こゑ(声)」の用例でかむか(考)へてみるなら、「さ(去)る」("to remove [oneself]")の「さ」と「さら(晒)す」("to expose") の「さ」(より一般的に、「〜『さ』れる」の「さ」でもいいが) は、「キアスム」の関係性において捉へることができる。 このように見ると、「それ自体により『か(交)ひ』が伝はる関係性」と説明することができる「キアスム」も、実のところ、「いかなる存在者の存在にも臨在が先立つ」ことの反映に過ぎないことが分かるだろう。
では、なぜ、哲学において、「キアスム」という概念が要請されたのだろうか。
哲学において、「キアスム」は、主として、フランスの現象学を代表する人物として知られるモーリス・メルロー=ポンティが、それを流通させることに大きく寄与した概念である。 デリダもキアスム的な嵌入がどうのこうの言ってたな。デリダなら差延の概念が有名だが
同様に、バフチンのポリフォニー論も有名だが
テクストは他声的になり、意味は重層的になるということだ
その理論化が俺の「マルチバース論」になる 統計だと「カイ二乗検定」がよく知られているよ
カイ二乗検定は、帰無仮説が正しければ検定統計量が
漸近的にカイ二乗分布に従うような統計的検定法の総称である
カイはχだからな だから、χを量子論的な重ね合わせのイメージでも捉えられることだろう
つまり、χはシュレディンガーの猫である https://blog.google/technology/ai/google-gemini-ai/#sundar-note
Introducing Gemini: our largest and most capable AI model
Geminiになっても、ハルシネーションだらけになる世界が容易に想定できる。社会的な壮大なバグとしての世界規模のシンギュラリティは、いつか起こることだろう ここには、西洋の思想や哲学が、つねに絶えず一神教である「ユダヤ・キリスト教」とつかず離れずの関係を保ちながら、その「学問」としての身分と地位を築いてきたという事情が強く働いているだろう。
本来であれば、「いかなる存在者の存在にも臨在が先立つ」ことを明示的に意識したなら、「キアスム」という概念は、副次的な役割しか果たさなくなるはずだが、「一神教の神学」と対置されている「哲学」においては、「臨在」を強調するなら、その「臨在」は、ひと(人/一)も含め、「いかなる存在者の存在にも先立つものとされる『神の臨在』」にただちに取り込まれてしまうのである。
そこで、やむを得ず、「臨在」よりも、「キアスム」/「それ自体により『か(交)ひ』が伝はる関係性」の方を強調することにより、「神の臨在」に取り込まれることをなんとか防ごうとするのだが、「み(身)ど(獲/取)り」として「臨在」する(/ゐ(居)る)「みづから(身づ柄/)」について「キアスム」の概念に依拠して語ろうとすると、結局、「キアスム」を介して「『被造物』としての自己」が「いかなる被造物に臨在する『創造者としての神』」と「交叉」して「被造物としての自己×創造者としての神」の神秘的な合一が「臨在の体験」であると見なされるような「『臨在を絶対化』する神秘主義」という「一神教の神学」のわだち(轍)にはまり込むことになる。
しかし、それは、西洋の思想や哲学の事情であって、日本語で哲学しようとする者は、そもそも、そのような事情に囚われなければならない謂れはなく、みづから(身づ柄/自ら)が進んでわざわざそのようなわだち(轍)にはまってみせる必要はまったくないのである。 >しかし、"start"の"t"は、動き出させる「(足の)一突(つ)き」である。
「すた・すた」歩く 一神教の神学⇒神秘主義⇒学問としての思想・哲学⇒学問としての現象学⇒学問としての詩人・文学者研究 >"stop"において"st"が「(息が)いづ(出)ることがとど(留)められる」様態をイメージさせるのに対して、"start"において"st"が「動き出させる一突き」の様態をイメージさせる
「臨在」をないがし(蔑)ろにする説明では、この"start"/"stop"における"st"のキアスム的な関係性は、例えば、「踏み出す行為」/「踏みとどまる行為」としてふ(踏)む"step"、つまり、
「歩(ほ)」が先に「存在する」ということにしてしまえば、難なく解釈できることになる。
"start"/"stop"の語源解釈では、そのような説明はなされていないが、実際、印欧諸語の多く表現の解釈において常套的に用ゐられているのは、この場合であれば、"step"/「歩(ほ)」に相当するような何らかの「存在者」を前提とする説明である。
そのように説明に都合のよい「存在者」の「存在」が前提とされることで、"step"/「歩(ほ)」をその印として残すことになった「ふ(踏)む」ことに暗黙にともなふはずの「臨在」(「存在者」ではなく)は、忘れ去れれるのである。
>步
Ideogrammic compound (會意/会意): 止 (“foot”) + 止 (“foot”) – one foot in front of the other.
(出典 en.wiktionary.org/wiki/步#Chinese) 万葉集 第11巻 2693番
如是許 戀乍不有者 朝尓日尓 妹之将履 地尓有申尾
かくばかり恋ひつつあらずは朝に日に妹が踏むらむ地にあらましを
かくばかり こひつつあらずは あさにけに いもがふむらむ つちにあらましを
(出典 万葉集ナビ) いづれにせよ、「何か/な(汝/己)にか(可)」を(惜/乎)「ま(真)こと(如)」に「し(知/領)る」には、経験によ(依)る他なく、経験とは、「知のちゃぶ台返し」であり、その「ひっくりかへし」は、「みづから(身づ柄/自ら)」の「み(身)ど(獲/取)り」の「と(獲/取)りく(組/汲)み」においてしか可能ではないのだ。 誤:な(汝/己)にか(可)
正:な(汝/己)に(尔/爾)か(可) >惜・可惜(読み)あたら
(形容詞「あたらし」のもとになる部分。感動詞的語性をもつ) すぐれたもの、りっぱなもの、価値あるものに対して、それが失われたり、欠けたり、無視されたりして、むなしく終わってしまうのは残念だという感情を表わす。
※古事記(712)下・歌謡「八田(やた)の 一本菅(ひともとすげ)は 子持たず 立ちか荒れなむ 阿多良(アタラ)菅原(すがはら) 言(こと)をこそ 菅原といはめ 阿多良(アタラ)清(すが)し女(め)」
(出典 kotobank.jp/word/惜・可惜-2002356#goog_rewarded)
>Die Hochherzigkeit hält die rechte Mitte ein gemäß dem eigenen Vermögen im Streben und den eigenen Verhältnissen; sie strebt nach dem Größten, aber angemessen den eigenen Kräften.
(出典 thiele-und-thiele-consult.de/courses/582-St-Thomas-Aquinas-IV-Thomas-von-Aquin-Summa-Theologiae-II-II.html) 「可惜(あたら)し」の「あた(能/価/与)ひ」が»das eigenen Vermögen«であり、「可惜(あたら)し」という感覚を覚えることが»Der Wille zur Macht«(≒「できること・を(乎/惜)」)である。 その感覚を覚えることなしに、「あたらし」が「可惜し」と表記されるといったような物象化された認識を「しかばね(尸)」と化した知識としていくら蓄えたところで、生きた知識を身につけることにはならないのだ。 Was hat das mit Thomas Aquinas zu tun? Und das Summa-Theologiae ist ein lateinisches Buch. 臨在を先取りしようとすると、
>曽尸茂梨(そしもり)から蘇尸茂利(そしもり)へ
ではなく
>蘇尸茂利(そしもり)から曽尸茂梨(そしもり)へ
になる >>923
知っているよ。訳語の»das eigenen Vermögen«の用法が都合がよかったから、利用しただけだ。
人格カルトはどうでもいい。 別に引用元を示さなくても、著者とされる人格とは完全に切り離して表現の一部だけを切り取って私の説明に流用しても何の支障も生じないわけだが、それだと不親切でしょう。 私が引用するのは、例示と、他者による検証可能性のためであって、私の主張の権威付けのためではない。 >>928
低学歴だからオリジナル要素0wwwwwww 何もすることができないのではなく、何もしないことができるのです 和訳のあるものなのに、なんで原文だけ貼りつけるわけよ。
原文主義だというのならば、ラテン語の本も原文でやれ。 >>936
出典を示さないのは教育を受けてない自白 >Δύναμις – Kraft, wirkmächtige Substanz, Vermögen, Macht
Aus dem Buch Körper und Verkörperung
日本語の表現で対応関係を示しているし、例示として引用している表現をラテン語の原文から拾ってきたり、日本語の訳語にしたりすれば、却って何を指摘しているのか不明になる。
また、私は、対応する箇所の言語表現をネットで検索して拾ってきているだけで、その原文や翻訳を読んでいるわけではない。
私は、宗教にも、神学にも、思想にも関心がないと最初から、というか、繰り返し明言してきたはずだが? 見てのとおり、私が提示している表現の相互の関連性は、私個人にも、私が引用する表現を用いる著者個人にも限定されるものではない。 >出典がない
ネットで拾ってきているだけだから、そのままコピペして検索すればヒットするよ。
そこまで面倒は見ていられない。検索するほどの関心もないなら、どうでもいいはず。 >>942
生きる価値なし
脳障害無職はバカすぎて出典の意味すら理解できない
自殺しとけ知ったかぶり >>943
知能が低いから出典の意味すら理解できない
義務があることすらわかってない >>943
そもそも違法だってことすらわかってない脳障害www 読んだフリをしてコピペしてるだけ
国語の教科書のごんぎつねすら理解できてない 人間のフリをしてるだけで人間じゃない
カラスがガラス片集めてるのと同じ 人間の文化がどういうものなのか考えたことすらないのだろう
だからお前は人間社会に必要ない
人間ではないのだから 何でも「低学歴」や「脳障害」や「無職」の現れに見えてしまうのは、認知障害と呼ばれる病気の症状ではないですか お前国語のテストで100点満点中10点くらいだったろ?
んでバカすぎていじめられて不登校ニートだろ? >>952
出典の意味すらわかってないなら100%低学歴だ
低学歴なら100%脳障害だ そんなキチガイ誰も雇わないんだよ
つまり100%無職 お前国語のテストで100点満点中10点くらいだったろ?
んでバカすぎていじめられて不登校ニートだろ? 人間のフリをしてるだけで人間じゃない
カラスがガラス片集めてるのと同じ
読んだフリをしてコピペしてるだけ
国語の教科書のごんぎつねすら理解できてない お前国語のテストで100点満点中10点くらいだったろ?
んでバカすぎていじめられて不登校ニートだろ?
人間のフリをしてるだけで人間じゃない
カラスがガラス片集めてるのと同じ
読んだフリをしてコピペしてるだけ
国語の教科書のごんぎつねすら理解できてない お前は人間じゃない
その証拠に人間の仕事が与えられていない
人間の暮らしもな >>946
>そもそも違法だってことすらわかってない
法の通念に照らして、>>939の貼り付けが違法とされることはまずあり得ないと思いますよw
検索してみれば、すぐに分かることだが、これは、著作の章の題名でしかない。
要するに、普通に見れば、著作名が脱落しているか、省略されているだけ。
著作の章の題名を無断で引用して違法になるのであれば、曲のアルバムに収録される曲名を引用しても違法になるのでは?w
しかも、章の題名に並べられている言葉は、商品名のような独自性のあるものではなく、一般的な言葉の関連性を示しているだけで、それも、私がこの貼り付けとはまったく無関係にこのスレでも、別の書込みでも何年も前からそれについて詳しく説明してきたのと同じ関連性を示しているだけなので、独自に優先権を主張できるようなものではない。 >>966
批評のための引用で求められる著作権法上の必要条件すら理解出来ないなら自殺しなよ
お前が思っても意味ねーんだよ違法なんだから
知能が低いから判例探せないし読めないんだろ?ん?
そんな簡単な文字すら読めないのに哲学だ?
笑わせんなよ国語10点脳障害がよ
バカすぎてどこに行っても爪弾きだろお前
この世に必要無い
著作権すら理解出来ない脳障害が哲学とか
自殺するだろ?普通
それがわかってない時点で脳障害なんだよ低学歴無職wwww >>966
優先権とか言ってる時点で著作権法を1ビットも理解してない自白
教育を受けたことがないヒキコモリ脳障害低学歴無職 著作権法に優先権なんて概念無いからガチで自殺しな知ったかぶり >>966
無断とか書いてるのも脳障害丸出しだな
こいつ知能が低いから著作権法を全く理解してない 簡単なことすらわかってないくせに難しいことがわかると妄想してる
これが低学歴 では、著作の章の題名を貼り付けたら違法であるとされた判例を具体的に示して見せたら? >>975
新聞記事の見出しで賠償命令出た判例なんて無数にあるぞ自殺したら? >>975
で
優先権って何?
その低学歴の造語詳しく解説してみろよ
絶対に不可能だけどなwwww
だって著作権法にそんな概念ねーしwwww >>978
そもそも法律読めてないんだから自殺すべき 商業目的の新聞記事の見出しと学術的な著作の章の見出しが著作権上、同じ扱いだと思っているの?
学術的な著作の章の見出しを引用として提示して、違法であるとされた判例を早く見せてくださいw >>978
批評のための引用すら知らない脳障害が哲学だあ?
今すぐ自殺すべき >>980
無断って何?
批評のための引用に許可なんて要らねーよ知ったかぶり脳障害wwwwwwww
自殺すべき >>980
見出しとか関係ねーぞ脳障害
著作権は著作物全てに及ぶ 知能そのものが全く存在してないwwwwwwww
こいつ「3行目をコピペしたら違法になった判例は無いだろ!だから合法!」
とか言ってるぞwwwwww どの部分かなんて関係あるわけがない
全てが著作物なんだからどんな一部でもアウト で、著作の章の題名を、自分の文章としてではなく、引用として明示して提示することが、なぜ著作権の侵害に当たるのですか?
意味不明ですね。 >>988
意味不明だからお前は無職なんだよ
脳障害だから理解できない >>988
低学歴過ぎて引用の意味すら理解できてない 引用の意味すら理解出来ない脳障害がコピペで知ったかぶりwwwwww >>988
コピペは引用じゃないことがわからない脳障害ってガチで居るのなwwwwwwwww >>994
完全に合法
バカすぎるから自殺すべき
サンポールと石灰硫黄合剤混ぜて硫化水素吸って自殺すべき コピペと引用の区別すらつかない脳障害wwwwwwwwww コピペしてるだけで何も理解してないことがバレバレwwwwww このスレッドは1000を超えました。
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