>>95
私の考えとしては総体としての世界(客観)と総体の細分化としての主観(主観群)と捉えた方がよりシンプルに感じます。
前提として主観は単独では存在できない。(でこすけさんの主張するように主観は自己完結出来ない)
と言う事は、反対に客観は単独で存在出来ると言う事です。(客観は主観群を有するので自己完結出来る)
主観と言うのは客観のある一面、位相の様なものではないかと考えます。
つまり自分も他者も元々素は同じであり、現時点は見かけ上(表層的に)分離しているに過ぎない。(一応分離されているので主観上では通常他の主観とはリンクできない)

自分や世界がどのようにして成立したのかと言うのは、確率が絡む問題になるので必ずそうなるわけでは無いように考えられますね。

主観群の中に主観と間主観があり、総体に客観があるとイメージ出来ます。(でこすけさんの主観中心の考え方でも主観の集合体はどの視点でも無いと言えるので客観と表現出来る)
主観や客観と言うのは、ある種相対的なモノなので主観視点からだと客観が主観の一部(主観的な解釈は自由)のように見えてもおかしくはないでしょう。(自分の中の客観的感覚が主観に起因するからと言って自分以外の客観を否定する事は出来ない)