矛盾になりかねない主観的解釈だと、矛盾する世界とは別に観念として矛盾しない世界観が成立していて、物質という意味の共有可能な言葉一つとってみても、そこから意識のハードプロブレムと掠りもしない解釈の世界観といえる、感覚器官が朽ちる死と同時にその世界観を成立させた価値観もろとも消滅するというファイナルアンサーになるんじゃないかな。
とりあえず的に彼が主観的に予想している疑似問題の意識のハードプロブレムをはじめ、量子や生命や無意識と彼が呼ぶ事柄の感覚ついて、論理的に矛盾していようとも、独自に納得できると思える素質があれば棚上げでき、見通しはよくなるという解釈も世界観的にはなるほどそうなんだろうと思う。将来再び、素粒子のように新たに世界観と相容れない現象が物理学的に観測・確定されたとしても、このままその都度疑似問題と理解するための講釈を上書きしていけば済む世界観になっているのでその意味で見通しは明るいですね。

哲学的な一定の秩序をそなえた世界としての宇宙を矛盾なく解説しようとすれば、わたしとしても宇宙は不滅でなくとも、理論上では後50億年後太陽が寿命を迎えるといったことが現実に起こるような天文学的な構造変化の働きかけがあちら側から生じれば、現代科学の観測結果から推測するに宇宙のパワーバランスが根本から入れ替わり、本質的に矛盾なく通用している古典力学の自然法則が日本円の紙屑化同様、現代科学の知的情報が到底通用しない法則性の根源をひっくり返す世界が現象する確率は天文学的規模のエネルギーを考慮すれば起こり得るでしょう。