今、あなたには意識がある。
でも、その意識は(あなたが昨晩徹夜していなければ)今日の朝から始まったものだ。

私たちは毎日のように眠る。
眠っていても、夢を見ているときなどは意識があるけれど、意識がないときもあるだろう。
つまり、私たちの意識は、ずっと連続しているわけではない。
眠っているときに、意識は途切れる。昨日の意識と今日の意識のあいだには断絶があるのである。
私たちは、死んだら意識がなくなる。そういう意味では、眠っているあいだは死んでいるのと同じである。
意識だけに注目すれば、眠るたびに死んで、起きるたびに生まれているといってもよいだろう。

しかし、私たちは、そんな風には感じていない。
自分という存在に連続性を感じている。
昨日も今日も同じ自分が生きている、あるいは、昨日の意識と今日の意識は同じ自分の意識である、そう感じているわけだ。
その理由は、昨日のことを記憶しているからだ。
寝ているあいだに意識がなくなっても、脳の物質的な構造は保存されており、その物質的な構造の中に記憶が蓄えられている。
そのため、朝がきて意識が生じると、昨日の記憶を意識が参照して、昨日も今日も同じ自分だという連続性を感じるのだ。
ある意味、私たちは毎朝、世界五分前仮説を経験していることになる。

したがって、連続性の根拠は、意識ではなく脳の物質的な構造にある。
それは少し想像を逞しくして、こんなことを考えるとわかりやすいかもしれない。
もしも、昨日のあなたの意識が、今日は私の体に飛んできて、私の意識になったとしよう。
でも、私の意識になった以上は、私の脳の記憶を参照するので、その意識は昨日も私の意識だったように感じるだろう。
そして、あなたの意識だったことは、きれいさっぱり忘れてしまうに違いない。

もちろん実際の意識というものは、こんな風に人から人へと移れるような、魂のような存在ではないだろう。
脳の物質的な構造が生み出すものだと考えられる。
ただ、ここで重要なことは、おそらく意識自体には連続性がなく、毎朝、新たに生まれてくるということだ。
それは、新しく生まれた生命に、新たに意識が生じるのと基本的には同じである。
私たちは、意識に関するかぎり、毎晩死んで、毎晩生まれてくるのである。