>>299
個人的ながら、このレスで気になるのは「存在」という表現です。
もちろん多様な意味がありそうですから一概には言えませんが、
例えば「富士山が存在している」というとき、富士山は誰からも認識されていなくても、つまり他者に依存せず、自己完結的に存在できている印象が私にはあります。
しかし自己完結は幻想ではないかというのが私の支持する考え方です。「何か」はそれ以外のものとの関係無くしては成立しない、完全な客観的存在は無い、
ただし、関係とか主観とかの意味は一般的なものより広げる必要があります。甚だ私個人の妄想が混ざるので要注意です。
例えば富士山には見えない部分もあるでしょう。しかしそれは視覚的なものとは別のタイプの関係で成立しているのだろうと考えます。それは五感のような生命的現象とは限らないと予想します。

さて、それでは何故自己完結は無いと私は(も)考えるのか、
それはそのようなものがイメージできないためです。自己完結も、それをイメージしている段階で完全な自己完結ではありません。イメージできないものは意味が無いという考え方です。
すると物理学的にもそのような方向で展開されているというのは個人的には心強いはなしです。量子は観測されなければ現れないことになっているようです。
また、私がもっぱら盾に使っていたのがマイケル・ダメットです。私は彼の本を1行たりとも理解できませんが、彼によると「生命が内在しない宇宙はあり得ない」。あるいは「認識能力のあるものを欠く世界はあり得ない」だったかもしれません。(うろ覚え)