意識のハードプロブレムの答え40
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1の考え。
客観はある種の主観である。
脳神経系を含む客体は主観を精緻に表現=代表したものである。
他者の意識は存在しない。
仮に存在すれば、それは主体の意識の内側に存在する。
他者の意識と呼ばれるものは他者の声である。
それを他者の意識のように思うのは主体にとって声は極めて意識的であるからである。
あらゆる主観は客観化可能である。
例えば、クオリアは立ち止まりとして客観化可能である。
根源では主/客の関係は消失する。
例えば、どこかで雷が鳴ったとする。
その雷は独立性の高い形式での私である。
語り得ないことは語り得ないと語り得る。
無は無い。
意識のハードプロブレムの答え39
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1704062362/ >>348
>文章からすればここに書かれている「富士山」は「日本の活火山としての富士山」では無いことは読み取れるでしょう?
いや全く読み取れないんだけど…
じゃあ何なの???
「富士山」って、他の意味ある? 結局のところ
このスレは
「何が言いたいのかさっぱり分からない」レスが多すぎるんだよ
スレタイについて普通に議論できないのか? >>431
>>結局のところ
>>このスレは
>>「何が言いたいのかさっぱり分からない」レスが多すぎるんだよ
ほう。何が言いたいか分からないか。ふむ、たしかにそうかもしれない。
結局のところ、『てきとう』なんだな。でこすけ氏も脳皺氏も『てきとう』に書いてるようだ
まあ、超球面氏もそうだ。わかりずらいのはてきとうに書いた故かもしれぬ ①書き手が適当に書いている
②読み手の読解力がない
さあどっち?
両方かな >>433
両方の場合もあるだろう
でも前者だけのパターンが多く、後者だけのパターンは少ない >>434
ここのネームドキャラは昔からいるから
過去スレの文脈から辿ってないと理解できないこともあるかもしれないが >>230の見せれば分かるクオリアはあなたの見識では感覚の答えの出し方ではなくて、クオリアの答えの出し方だと認識してる前提なんだから、あくまでもあなたの感覚質と感覚がないまぜの答え。
>>230で出る答えがクオリアだけ出るなら、あなたの感覚であなたが感覚質を、あなたの感覚質であなたの感覚をそれぞれどうやって識別したのか、>>230の譬喩では比較対照になってない。
だから>>230でクオリアの答えでるというなら、論理的に文法使って客観的にクオリアを識別した実際の過程を文章で論証する他ないですね。
実際文法使って客観的に文章で、どうやって区別してクオリアの答えがでるでしょと考えられる認識を得たのか、クオリアの答えあれで出るというなら他者にも区別つくように識別プロセスを文章で明らかにすればいいだけだから、どうぞ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています