デカルトの「コギト・エルゴ・スム 」にせよ、カントの「物自体」にせよ、
西欧の人々の「存在」に対するコンプレックスは酷い。
「存在」は仮定にすぎず、「現象」こそが現実だという、簡単なことを理解できない。