「主観」の説明ですが、私がもっぱら例にとるのは視覚です。視覚を体験している主体というか意識というか精神というか心というか実存というか、
すると漠然と空想するに、原始生物でも視覚器官を持っているものには主観のようなものが内在しているだろうと思うわけです。
で、生物は視覚器官をどうして獲得したのかというと、映像を体験するためではなく、映像をより鮮明にするためだと考えるのが妥当です。
映像を体験したことがない生物が、映像を体験するために有用でない段階の未完成の視覚器官を発達させるということは考えにくいように考えられます。例えば単細胞生物でも光を体験してはいて、おそらくそれは明るいか暗いかくらいだったろうけれども、その映像をより鮮明にするために視覚器官を発達させたという考え方です。
つまり原始生物にもすでに「主観」のようなものはあったのだろうということになります。(「主観」の成立に脳は必要がないということにもなります)