>>524
外界とされるものも私にとっては私の内面に現れたものから予想したものであるという域を出ない、つまり確証のないものです。ただ、そのようなものを想定すると、体験上のあれこれにつじつまが合う気がする、むしろ私の内面が私の内部で完結するという印象がありません。
おそらく私と同じような体験をしている内面が私の他にもあって、そしてそれらは原始的なものから徐々に進化してきたのだろう、そう考えておくのが目下の私の知っている限りでは最も妥当な印象です。
いずれにしても予想とか解釈とか仮説とか、その程度であるというのが基本です。

時計さんの「他者の意識は存在しない」については「存在」がポイントのようです。
彼が言うところの「存在する」とは、彼の意識に現れることで、つまり「他者は存在するが、他者の意識は存在しない」ということになります。
ただ、一般的な感性では、意識に現れないからと言って存在しないということにはならない ということになるだろうと思います。この点については彼個人の思考過程があるようで、私も十分に理解できている自信はありません。
とにかく彼の日常的な感覚として、一方で例えばカーネルサンダース本人には意識があっただろうと考える私たちでさえも流石にKFC の店の前に置いてあるカーネルサンダースの人形には意識は内在しないように感じる、そんな感じでじつは彼は普通に彼以外の人間に意識の内在を感じないらしいです。しかも子供の頃から。
ただ、私が本当に他者に意識の内在を感じているのかというと、微妙な気もします。通勤電車のなかで目の前にいる人の頭蓋骨の中に意識があるという事実が本当にあるのかどうか、私は時々考えてみるけれども、よくわからない、というのが率直なところです。