以下引用

意識の主観性というものが、現代における先入観であり、科学的見地からは誤謬のひとつとして受け入れられるようになるのではないだろうか。それは、われわれが昔の人が天動説を当然のものとみなして地動説を受け入れることを拒否し、そもそもそうする理由もわからなかったという歴史的な事実を見るように、後世の人から見なされることになっても驚かない。われわれが今、意識を所与のものとして見ているさまを、将来に生きる人は、古く誤った考え方として見るようになるのかもしれない。そうなったときに社会や道徳や法はどのように変わるのだろうか。宗教がその座を奪われたときに社会と道徳と法が大きく変わったように、「人間」や「意識」というものへの認識が大きな変革を迫られた場合に何が起きるのか。過去の歴史上、大きく変わったことがあったことから、今後も何も変わらないという保証は当然のことながらないのだから。
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記憶は空であるから、記憶はない。ぜかひか。