主張することに前提がない場合は無限後退により説明が不可能になること
公理を置くことは言語ゲームにより「真」が不可能になること
これらは過去の哲学者が既に"説明"してきたことなのでこれらの説明を前提として意識のハードプロブレムについて話をしていきませんか?