今何かしらを考えているもの・何かを行為するものが「自分・私・我」であるとするのは文学である。そして、その「我・我・自分」を操作する第三者がいるとするのも文学である。
無意味な文学の上に作り出されたものが「意識」の哲学=文学である。
意識のハードプロブレムを真剣に考えるとすれば、それは現実と虚構の区別がついていないのである