悪質な「信仰」に対するならば、意識を文学とする立場は悪質な「解離」だろう。
ただし「信仰」と「解離」は等しい立場ではない。なぜなら信仰より解離のほうが現実的だからである。
つまり文学を学問とみなして弄んで無邪気に現実と虚構を区別できない文学中毒は解離よりも非現実的なのである。意識のハードプロブレムは無意味な問題である