たとえば青葉真司被告が京都アニメーション放火殺人事件を起こしたとき、
彼の状態としては

「他者の意識は存在しない。
仮に存在すれば、それは主体の意識の内側に存在する。」

という部分に該当しているといえます。

その部分を青葉被告自身が哲学として持っているわけではなく、
長年生きてきた彼の人生をもって肉体がそのように反応するようになった、と考えられます。


他人が信用できない状態の人間は、表面上の他人の姿を真に受けるようなことはしません。
だからといって他人を解釈しない、ということはないわけです。
彼が生きてきて得た知識、経験、感覚でもって他人を解釈し、その人なりの答えを出します。

その答えはその人にとって感覚的なものです。
答えによっては感情をコントロールできなくなる可能性もありえます。
現に青葉被告はそうであったろうと思っています。