>>803
>その部分を青葉被告自身が哲学として持っているわけではなく、
>長年生きてきた彼の人生をもって肉体がそのように反応するようになった、と考えられます。

身体的(?)独我論ですか?
身体に哲学的態度が備わり(!)しかもそれが独我論として抽出できるというのはどのようにして知られるのでしょうか?

身体が思考するのでしょうか?身体には霊魂が宿るのでしょうか?
流行りの「身体論」は文学的散文としては面白いでしょうが、哲学的には問題含みだと思われます