>>790
>→「何か」が「神」であることや第三者の自己意識を操る存在であることは文学の上でしか成立しない。
「何か」を「神」と表現することはできますが"それは何であるか?”は説明されていませんしこれは"文学上"があなたが文学をどのような理解をしているを説明してもらわない限り反論ができません
>→非現実的な哲学のゲームは「意識」を崇めるゲームである。対して非哲学的なゲームは日常生活ではその有用性ゆえに「意識」を用いているだけである。
これはその通りだと思いますがしかし
>哲学の「信仰」のゲームとは違って「意識」にこだわりは無いので有用性さえあれば「意識」が「神」などの別の概念に変えて用いられてもよい。
>だから意識を純粋に崇拝するような仲間内だけでやっている文学中毒としての哲学の「信仰」のゲームと現実のゲームは違う。
この部分は意味が分かりません
哲学は意識を崇拝していません「意識とは何か?」を説明するための学ですもちろん「仲間内だけでやっている」というのは物理学と同様です
得られた"それ"を使った誰かが「正しい」というにすぎません
ですので「哲学の「信仰」」はあなたがどのように感じているかわかりませんが「現実のゲームとは違う」は「あなたのいう「現実」とは何か?」と文学で問いましょう